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2013年4月30日 (火)

安中貨物とEF81 その1

本Blogで安中貨物の話題を取り上げるのは昨年11月4日のEF510-500番台全機制覇以来、2度目のこととなります。

今回は「旅行シリーズ」の切れ目でもありますので、これまで撮った安中貨物列車の写真を牽引機ごとに分け、時代を追ってご紹介できればと思います。

<安中貨物とは>

東邦亜鉛の小名浜製錬所(福島県いわき市) - 安中製錬所(群馬県安中市)間において、亜鉛の鉱石、および金属亜鉛の精錬過程で生成する「亜鉛焼鉱」を輸送するために設定されている貨物列車で、当初は鉱石輸送用にトキ25000形(JR貨物所有車)、粒状の「亜鉛焼鉱」輸送用にタキ15600形が用いられて来ました。

鉱石輸送用としてはJR貨物の汎用無蓋車淘汰方針を受けて、代替輸送手段が検討され、コンテナ化・トラック転換などとの比較がなされましたが、荷役や運用方の変更回避・総合的な輸送コストの低廉性を考慮した結果、トキ25000形(JR貨物所有車)の取替用として、1999年3月に日本車輌製造で東邦亜鉛所有のトキ25000形12両 (25000-1 - 25000-12) が製作されました。

焼鉱輸送用はタキ15600形の老朽化に伴い、日本車輌製造にてタキ1200形2010年に量産先行車1両が落成し、各種試験が行なわれ、2011年3月に量産車19両(2 - 20)がわずかな仕様変更を受けて製造されました。こちらも全車が東邦亜鉛株式会社所有の私有貨車で、日本貨物鉄道(JR貨物)の車籍を有します。開発に際して、最高速度を95km/hにすること(タキ15600形は75km/hです)を主眼にしており、基本的な形状や仕様などはタキ15600形を踏襲しています。

東日本大震災の影響もあり、量産車の落成後数ヶ月は目立った動きがありませんでしたが、2011年6月25日から26日にかけ、全両数となる20両を1本の編成にまとめての試運転が熊谷貨物ターミナル駅 - 川崎貨物駅間で行われました。(営業運転時の組成両数は最大12両の予定)その後、試運転などを兼ねて定期の精錬所間輸送列車にも組み込まれ、10月頃からタキ15600と混結する形で使用が開始されました。

毎日運行される貨物列車で経路は往路(宮下→安中)は田端信号場駅まで常磐線を南下、東北本線(東北貨物線)・高崎線・信越本線を経由します。空車の返送(返空)となる復路(安中→宮下)は大宮操車場から別所信号場を経て武蔵野線を経由、南流山駅から貨物支線を経て北小金駅付近で常磐線に合流し北上します。

当初は水戸線・両毛線経由で運行されましたが、2000年12月のダイヤ改正で上記経路に変更されています。機関車運用はダイヤ改正ごとに変化することが多く、以前は常磐線貨物で北上した機関車がいわき・泉から安中貨物を担当して田端経由で安中を往復し、いわき・泉でバトンタッチする運用行路のこともありましたが、2013年現在は田端から運用が始まり、5781レで安中まで行き、5782レで大宮へ、大宮から5387レとなって泉、いわきへ、再びいわきから5388レで田端までの2日掛かりの行路となっています。使用された機関車はEF81形(2010/12/2まで)、EF510-500番台(2010/12/3から2013/3/16まで)、EH500形(2013/3/16から)となっています。

私も2002年頃から撮影していますので、その写真を紹介します。

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EF81 57号機が牽引する安中貨物 2003/8/30 荒川沖~土浦間 

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今は圏央道(首都圏中央連絡自動車道)とのクロスポイントとなっている牛久~ひたち野うしく間を行くEF8190牽引の安中貨物 2002/3/16

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91号機牽引で佐貫~牛久間の有名撮影ポイントを通過する安中貨物 2010/3/23

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93号機牽引で我孫子を通過する安中貨物 2008/12/30

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98号機牽引で南柏を通過する安中貨物 2011/1/22

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桜満開の頃、川口を通過する85号機牽引の安中貨物 2007/4/7

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87号機牽引で大宮を通過する安中貨物 2011/1/9

次回は色物EF81牽引による、安中貨物です。

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2013年4月29日 (月)

1974,1975 北海道へ 7 DF200形 その3

DF200 第3回は100番台です。

2005年以降、製作された番台区分で2011年度を持って増備は完了したそうです。ただ56号機が事故廃車になっていますので、追加増備があるかも知れません。

内容的な変更点はVVVFインバータのスイッチング素子をGTOサイリスタからIGBTに変更したことです。外観の変更はなく、スカートは灰色、JRFロゴは白色です。

GTO素子からIGBTに変更となって番台区分が変わった例として他の機関車で思い浮かぶのはEF210の基本番台と100番台がありますが、EF210の場合、基本番台は1C2M方式から1C1M方式への転換も同時に行われいるのに対して、DF200の場合は最初から1C1M方式です。

新製開始以来、全機がJR貨物鷲別機関区に配置されています。番台による区別なく、全機とも共通に運用されています。投入当初は札幌貨物ターミナル駅 - 五稜郭駅・帯広貨物駅間の運用に充当されていましたが、増備が進行した現在では根室本線の釧路貨物駅(新富士)・宗谷本線の北旭川駅まで運用を拡大し、DD51形を徐々に淘汰しつつあります。

製作実績は試作機、基本番台12両、50番台13両に続いて100番台は101~123の23両製作されました。

JR九州が、2013年10月より運行開始する予定の、豪華寝台列車(クルーズトレイン)『ななつ星in九州』牽引機として、九州仕様に改めたDF200が川崎重工業にて製造される予定だそうです。

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102号機牽引のコンテナ貨物列車が新札幌に進入 2008/3/20

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上野幌を通過する104号機牽引下りコンテナ貨物列車 2008/3/21

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106号機牽引の上りコンテナ貨物列車が上野幌を通過 2008/3/22

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110号機牽引の短編成コンテナ貨物 2010/6/26 南千歳

以上で、これまでに撮影しているDF200の写真は全てです。また北海道に出かける機会があったら撮影したく思います。と同時に北海道シリーズもこれにて終わりと致します。

続いてのシリーズは、1975年新潟シリーズ、1977年身延線の旅、1980年代九州旅行シリーズ、1980年代能代、北奥羽の旅シリーズ等を考えています。

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2013年4月28日 (日)

1974,1975 北海道へ 7 DF200形 その2

DF200の2回目は50番台です。

1999年12月から2004年1月にかけ、13両が製造されました。

駆動用機関をコマツ製のSDA12V170-1形に変更しました。これはDD51形のB更新工事施工車に搭載されたものと同系統で、部品の共通化による保守性向上を主目的としたためです。車体構造の変更はありませんが、製作途中で"RED BEAR"の愛称が決定し、車体に愛称のロゴが描かれました。スカートは灰色、JRFロゴは白色です。

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51号機牽引のコンテナ貨物が南千歳に進入するところです。 2008/3/23

スカートの色の変化はイメージをかえましたね。

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52号機 五稜郭での機回しのシーンです。 2003/9/27

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55号機 牽引のコンテナ貨物がさっぽろビール庭園駅で特急待避のために側線に入線
2010/6/26 近くで見ると車体の大きさを感じます。

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南千歳を通過する札幌貨物ターミナル行きコンテナ貨物列車 2010/6/24 6月でも雨の北海道は結構冷えますね

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61号機牽引のコンテナ貨物が五稜郭到着 2003/9/28

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62号機牽引のコンテナ3両の貨物が上野幌を通過 2008/3/22

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2013年4月27日 (土)

1974,1975 北海道へ 7 DF200形 その1

昨年10月25日に開始した当blogも半年が過ぎました。2月末から続けている北海道シリーズも最後に残ったテーマはJR貨物のDF200です。今回はまずその基本番台の写真を紹介したく思います。

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札幌貨物ターミナルを目指して南千歳駅に進入するDF200-2牽引コンテナ貨物列車 2002/8/27

<DF200形ディーゼル機関車について>

幹線における電化区間の割合が低い北海道において、無煙化以降の貨物輸送は電化・非電化区間の別なく本blogでも紹介致しましたDD51形ディーゼル機関車が主力として活躍してきました。しかし、JR移行後の輸送量増大や貨物列車の高速化に対し、DD51形では恒常的に重連での運用を要したことにと、北海道の厳しい気候風土による車両の老朽化も顕在化してきました。このため重連運転の解消と老朽車両の置換えを目的として1992年に開発された電気式ディーゼル機関車がDF200です。

JR貨物の公募により"ECO-POWER RED BEAR"という愛称がつけられ、車体側面にロゴが描かれています。1994年には鉄道友の会からローレル賞(第34回)が授与されています。

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車両限界一杯まで車高を確保しているためか背の高さを感じるスタイルです。 記憶が正しければ隅田川に朝到着する3056レを牽引する3号機 2008/3/21 上野幌

<構造>

車体は前面を傾斜させた20m級の箱型で、重連運転は想定していないため、正面の貫通扉はありません。屋根高さを車両限界いっぱいに高くして機器類の艤装空間を確保しています。側面より見て車体中央部に放熱器・冷却ファンなどの冷却系統、その両隣に動力源となる機関と発電機のセットを搭載し、主変換装置・補助電源装置など電気系統機器は運転台の真後ろに各々配置されました。機器配置は概ね前後対称です。乗務員扉は側面向かって左側のものは車体中央付近に設けられ、右側のものは運転室に設ける点対称の配置です。外部塗色は濃淡グレーと朱色の組み合わせです。

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パワーがあるせいか、同じ場所でDD51の重連貨物を撮ってますが、接近の速度などはこちらがかなり速かったように感じました。 2008/3/21 上野幌

動力伝達方式はDF50形以来の電気式です。これは増大した出力に対応する大容量液体変速機の研究・開発がDE50形の試作を最後に中止sれてしまったことと、VVVFインバータ制御など、長足の進歩を遂げた電気機器を採用することで駆動系の小型化と保守の軽減が図れるためです。

駆動機関として、V型12気筒ディーゼル機関を2基搭載しました。初期の車両はドイツ・MTU社製の機関(定格出力1,700PS/1,800rpm)が採用されましたが、50番台以降はコマツ製SDA12V170-1形(定格出力 1,800PS/1,800rpm、最大出力 2,071PS/2,100rpm)に変更されています。

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遠路貨物列車を牽引し、終点五稜郭に進入する5号機 2003/9/28

発電機も2基搭載されており、全車が東芝製FDM301形、自己通風冷却回転界磁式ブラシレス同期発電機(定格出力1550kVA/1,800rpm)となっています。

主電動機はかご形三相誘導電動機FMT100形(320kW)を6基搭載しました。1個のインバータで1個の主電動機を制御する1C1M方式の個別制御システムにより、定格の動輪周出力はDD51形の1.5倍となり、平坦線で110km/h以上の均衡速度(800t牽引時)を維持することができます。

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6号機牽引のコンテナ貨物が南千歳に接近 2008/3/23

6軸駆動となったことで、起動時の粘着安定性も向上しました。主電動機の装架方式は国鉄・JRの電気機関車で汎用的に用いられる「吊り掛け式」で、動軸への動力伝達は主電動機回転子軸の小歯車と車軸側の大歯車の係合による1段歯車減速方式です。

ブレーキ装置は電気指令式を採用し、抑速機構として発電ブレーキを併設しました。台車は空気バネを用いた軸梁式台車FDT100形(両端)FDT101形(中間)で、低い位置に設けられた心皿を介して牽引力を伝達します。基礎ブレーキ装置は片押し式踏面ブレーキで、ブレーキシリンダ・ブレーキテコと一体化して台車に装架するユニットブレーキです。

耐寒・耐雪構造としては運転室では気密対策、暖房能力を向上させ前面窓ガラスは熱線入り、温風式デフロスタを装備しました。エンジンは低温環境の起動を考慮し給気予熱のフレームトーチを装備し、冬期長時間停留を考慮し潤滑油、蓄電池を保温するために外部電源による冷却水保温ヒーターを装備しました。台車では砂撒管の目詰り防止のために電動機の排気熱による温風ヒーターを装備しました。ブレーキ装置では車輪踏面と制輪子間に雪が噛込むのを防ぐために耐雪ブレーキ制御を行います。ブレーキ制御装置、除湿装置に保温ヒーターを装備しました。

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五稜郭にて次の仕業に向けて準備する8号機 2003/9/28

試作機 (901)

1992年9月、川崎重工業で落成しました。冬季の耐寒・耐雪を中心に各種試験に供されました。

前照灯は正面窓上に4個設置され、運転台直下には標識灯のみを装備してます。正面デザインは3面構成で、窓の傾斜角や塗り分けパターンも量産車とは異ります。排障器(スカート)は赤色です。

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夕暮れの札幌貨物ターミナルを出発し、新札幌駅に接近する9号機牽引貨物列車
2008/3/22

基本番台(1~12)

1994年9月から1998年3月にかけ、12両が製造されました。

901号機の試用結果を踏まえ製作された量産機です。

前照灯は正面窓上2個+運転台直下2個(標識灯と一体で設置)、正面は2面構成となり、塗り分けの変更とも相まって外観は大きく変化しました。
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短めのコンテナ編成を牽引して北広島を通過する10号機 2008/3/20

落成時、スカートは赤色、側面のJRFロゴは赤紫色でしたが、10号機以降の新製機はスカートは灰色、JRFロゴは白色となりました。近年は工場入場時にスカートの赤色化・JRFロゴの白色化が施工されています。台車に設置される空転防止用の砂箱は、セラジェット方式対応として小型化されました。これは粒径約0.3mmのセラミック細粒と珪砂の混合物を用いるもので、従来の天然砂に比べ使用量と材料費を節減できます。4号機から設置され、既製機も順次換装されました。

本区分まではMTU製エンジンを搭載するが、10号機は、後に50番台で採用されるコマツ製エンジンを先行して搭載しました。

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終着、札幌貨物ターミナルまであと僅か新札幌を通過 11号機牽引のコンテナ貨物 2008/3/21

DF200がデビューしてからの北海道訪問で積極的に貨物列車は狙って撮影しているのですが、まだまだ未撮影機が多い状態でした。そんな中で先日もお伝えしたように56号機が早々と事故廃車になってしまったのは残念でなりません。

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2013年4月26日 (金)

1974,1975 北海道へ 7 DE15と除雪用車輌

これまで冬の北海道や北国はあまり行ったことがないのですが、除雪関連の車輌は撮っておりますので、今回はその紹介です。

<DE15形について>

ラッセル式除雪機関車としては、1961年DD15形が登場していましたが、除雪装置を装着した際の軸重が15.5トンとなるために、線路等級の低い丙線以下の線区には入線することが出来ませんでした。したがって、これらの低規格線区では、旧来からの雪かき車を機関車で推進して除雪する方式で行わざるを得ませんでした。

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昔の記事を見ていたらEF70を撮った写真にDD15 15号機が写っていましたので再掲します。

そこで除雪車両の高性能化と近代化をはかるため、DD20形をベースにし、ラッセル除雪装置を機関車に固定したDD21形1963年に試作されましたが、除雪装置を装着したままでのローカル線運用や入換作業に不便があり1両のみの製造にとどまりました。DD21形の欠点を是正し、DE10形をベースに開発された低規格線区に入線可能な除雪用機関車がDE15形です。

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札幌駅で見かけたDE15 1534 2002/8/25 

現在この機関車は旭川運転所に1533とともに配置され、緑色を基本とした「ノロッコ号」塗装となっているそうです。

1967年から1981年までの間に計58両が製造されました。除雪時には機関車本体の前後に2軸台車を使用したラッセルヘッドを連結します。除雪期以外には停車場構内での入換作業や本線の客貨列車牽引にも使用されることを考慮し、ラッセルヘッドの連結解結作業は簡略化・省力化できるように設計されました。

機関車本体の基本的な構造はDE10形とほぼ同じですが、ラッセルヘッド連結のための装備が設けられています。ラッセルヘッドとは3箇所の密着連結リンクで連結されるため、ナンバープレート部分中央と後部標識灯(尾灯)横に密着連結リンクが装着されています。また、ナンバープレート中央部のそれには電気連結器が装備されたため、ナンバープレートは中央部分が分割されており、後部標識灯もDE10形に比べ外方に寄せて取付られています。なお、これらのリンクは取外し可能です。これらの装備によりラッセルヘッド車運転台から機関車の運転操作が可能となっています。

製造開始時は単頭式ラッセルヘッド(機関車の片側のみにラッセルヘッドを連結)で、折り返し時にラッセルヘッドの車体を台車の中心を支点に油圧で180度方向転換させて、機関車本体を反対側に連結する構造でした。そのため、側線を使って機関車本体の機回しをする手間を要しました。ところが、終端駅の側線が雪で埋没することで方向転換不能に陥るケースやラッセルヘッドの回転スペース確保のため線路脇の除雪が必要となる等の問題点が生じたため、その改善策として、1976年からは両頭式(機関車の両側にラッセルヘッド車を連結)で製造されました。また、ラッセルヘッド車の形状には単線形(進行方向の両側に雪を掻き分ける方式)と複線形(進行方向の左側に雪を掻き分ける方式)があります。

製造期によって一部仕様が違い、後に改造による改番も発生しています。

基本番台

1967年 - 1969年に日本車輌製造で製造された、DE10形0番台に相当するグループです。機関はDML61ZA (1,250ps/1,500rpm) が搭載されています。1 - 2と4 - 6が複線形の単頭式、3が単線形の単頭式として製造されました。客車暖房用蒸気発生装置(SG)を装備していました。後に1 - 3・6が両頭式に改造されましたが、単線形であった3は2053に改番されています。

1000番台

1971年 - 1973年に日本車輌製造で製造されました、DE10形1000番台に相当するグループです。機関はDML61ZB (1,350ps/1,550rpm) に変更され、SGを装備しています。1001・1003 - 1006が複線形の単頭式、1002が単線形の単頭式で製造されました。後に1002・1004・1006は両頭式に改造され、1002は2052に改番されました。

1500番台

1971年 - 1973年に日本車輌製造・川崎重工業で製造されたグループで、SGの代わりに死重を搭載しました、DE10形1500番台に相当する機関車です。1501 - 1504・1507・1509 - 1512・1514 - 1516・1518が複線形単頭式、1505・1506・1508・1513・1517が単線形単頭式で、1976年製の1519 - は複線形両頭式で製造されました。しかし単頭式で製造されたが後に両頭式に改造されたものがあり、単線用両頭化改造車は2550番台に改番されました。

2050番台

SG装備の単線形単頭式車を単線形両頭式に改造したグループです。2052・2053の2両が存在しますが、それぞれ種車が異なるため同番台でも機関出力が異なります。
DE15 1002・3→DE15 2052・2053

2500番台

1977年から1981年に日本車輌製造・川崎重工業で単線形両頭式として製造されたグループです。SG非搭載のため該当分の死重を搭載しています。27両が製造されました。

2550番台

1500番台車のうち、単線形単頭式で製作されたものを単線形両頭式に改造したグループです。種車の番号に1050を加えた番号になっています。

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郡山のホームから写した除雪用車両 2006/8/20

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同じ場所にて 2008/7/30

両方とも真夏にこうやって冬場に活躍する車輌が外に出されているのを見ているのも摩訶不思議

<現状>

国鉄分割民営化時は北海道旅客鉄道(JR北海道)、東日本旅客鉄道(JR東日本)、東海旅客鉄道(JR東海)、西日本旅客鉄道(JR西日本)の4社に計84両が承継されました。
2000年代以降は、保線要員のみで操作できるという簡便さや経費の面から除雪用モーターカーが使用されることが多く稼働率は落ちており、余剰車の一部はJR貨物へ売却され、DE10形3000・3500番台に改造されています。

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北広島で見かけた除雪用モーターカー 2010/6/26

現在は小回りが効きそうなこちらが主役?

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こちらは空港関係の除雪車輌? 南千歳 2008/3/23

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2013年4月25日 (木)

1974,1975 北海道へ 9 カートレイン

今回はクルマを積んで走る列車「カートレイン」の話題です。

1985年頃から1990年代にはカートレインが日本でも運行されておりました。

最初に走り出したのは汐留~東小倉間(後のカートレイン九州)で、その後、東京・名古屋 - 広島・九州間、東京 - 北海道間、北海道相互間で運行されました。しかし、積載するにあたり、いろいろな制約、例えば積載出来るクルマのサイズは全長4,600mm×全幅1,600mm×全高1,900mmまでで、当時大流行した3ナンバー車積載できないとか、5ナンバー車でも一部不可のクルマがあったとかで最初は指定券を取るのが大変なほど人気があったのですが、1990年代中盤を過ぎると乗客が減少し、廃止されてしまいました。欧米では後述のように今でも結構走っているようですが、在来線の線路幅が狭軌であったことが禍したのかも知れません。

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白石駅で休むカートレイン編成 1991/8/20

カートレイン北海道 恵比寿駅(後に浜松町駅) - 白石駅間に運行されいました。特急列車扱いで24系客車4両(電源車を含む)とワキ10000形9両で運行されていました。

<ワキ10000形貨車について>

国鉄が高速貨物列車用として最高速度 100 km/h で運用可能な貨車として開発した車両で、1965年から製作されました。 30 t 積の貨車(有蓋車)で、類似の仕様を有するコキ10000系コンテナ車・レサ10000系冷蔵車とともに「10000系高速貨車」と総称されます。

電磁弁を用いた CLE 方式(応荷重装置付電磁自動空気式)ブレーキ装置、空気バネ台車など種々の新技術を実装し、これら新装備を検証する試作車として1965年3月に1両が製作され、試用結果に基づき翌1966年からコキ10000形・レサ10000形とともに量産されました。

1968年までに191両が製作され、主に東海道・山陽 - 九州地区各方面の主要都市間を連絡する高速特急貨物列車にコンテナ車との併結で運用されました。通運業者が扱う混載貨物を主とする小口輸送が本来の用途でしたが、1970年以降は営業体制の変化に対応し客車と共通運用可能な荷物車との兼用車に一部が改造されました。1975年頃からは小口貨物のコンテナ移行や輸送需要自体の減少もあって稼働率は漸次減少し、国鉄末期の1985年には旅客の乗用車を同時に付帯輸送する「カートレイン」用として一部が転用されました。

ワキ50000形への改造車を除いて国鉄時代に貨物列車への用途を喪失し、1987年の国鉄分割民営化では乗用車輸送対応車のみ25両がJR東日本、JR西日本の旅客2社にのみ承継されました。引き続き「カートレイン」に使用され、JR東日本とJR北海道では廃車を復活整備して需要に対応しましたが、列車の廃止で用途を喪失し2007年までに全車が除籍されました。

カートレイン専用車

旅客の移動手段としての自動車を同乗者とともに輸送する「カートレイン」に使用するため、1985年から合計36両が改造されました。改造対象はすべて後期形で、車両番号の変更はありません。改造時期・使用条件により以下のとおり仕様の差異があります。

初期改造車

汐留駅 - 東小倉駅間に設定された「カートレイン」に使用する車両で、1985年に8両が改造され、翌1986年に「カートレイン九州」編成増強用として17両が改造されました。施工は国鉄大宮工場です。
乗用車の積卸を側面から行うため、室内の側柱1組を撤去し、残存の側柱を移設して等間隔の3室構造に改装しました。側柱の減少に伴い、強度確保のため台枠の側梁に補強部材を追加しています。床面には専用パレットの固定金具を、妻面上部には通風孔を設けました。20系客車との併結運用となるため、連結面の配管・ジャンパ栓は客車にあわせ配置を変更しました。 外部塗色は種車の黄緑6号を青15号(濃青色)に変更し、側面には「カートレイン」のシンボルマークが表示されました。 積卸は専用のパレットに乗用車を自走で積載・固定し、パレットごとフォークリフトで荷役を行います。改造した本形式1両に乗用車3台を積載できます。

青函トンネル通過対応車

青函トンネル開通に伴って設定された津軽海峡線経由の「カートレイン北海道」に使用する車両で、1988年に18両が改造されました。所属の内訳はJR東日本が9両(うち廃車復活2両)JR北海道が9両(すべて廃車復活)です。 乗用車積載に対応する基本仕様は初期改造車と同一で、青函トンネル区間の通過規制に対応して、室内天井に煙感知器とスプリンクラーを設けています。

自走荷役対応車

「カートレイン北海道」の廃止後、JR北海道が1997年から運行した「カートレインくしろ」に使用中の車両について、対応車種拡大のため再改造を施した車両です。1998年に苗穂工場で6両が改造されました。 車両寸法の大きい RV を積載可能とするため、積卸方式を自走式に変更しています。編成の端から乗用車を乗り入れ、連結された車両間を走行させて所定の位置に積付けするもので、車運車ク5000形と同一の荷役方式です。 妻面に出入口となるシャッター付の開口部を設け、床面には乗用車走行用の鋼板製車輪ガイド・隣車への通り抜けに用いるアルミ合金製の渡り板を追設しました。車内側面には運転者用の通路も設けています。これら追加改造のため、1両あたりの積載能力は2台に減少しています。

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再掲ですが、ED75300番台が牽引するク5000形車運車貨物列車 1975/3/5 小倉

<海外におけるカートレインの現状>

ドイツなどでは今でもカートレイン(Autozug)が盛んに運行されています。

私も2009年4月にベルリンに出張した際にWannsee駅でその到着からクルマが降ろされる風景を目撃しました。

Wannsee駅はベルリンの南西の端、ポツダムのそばにありAutozugのターミナルになっています。https://www.dbautozug.de/autozug/buchung_und_verbindungen/terminals/deutschland/berlin.html 

まずは、かつて日本でも存在した車載車を連結した列車です。

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ベルリン中心部に向かう列車にぶら下がって走る自動車積載貨車 2009/4/19 Savignylplatz         Audiらしきクルマが一台乗っていました。

以下は、Wannsee 駅 Autozugターミナルで写した写真です。2009/4/21

列車の到着からクルマが降りてゆく様子を纏めました。

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客車7両に車輌積載貨車を連結した列車が到着します。

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客車編成にはちゃんと食堂車も組み込まれています。

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列車が到着すると客車と車輌積載車が分離されます。

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車輌積載貨車は日本のク5000のような構造で、クルマもカバーなど掛けずに乗せてあります。貨車は入れ換え機によってゲートのあるホームに据え付けられます。ホーム側にもバッファ-付きの連結器が装備されていました。

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貨車の台車のクローズアップ 空気バネ台車にディスクブレーキ装備です。

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クルマは自走で貨車から出すために貨車の接続部に渡り板をセットします。

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クルマを預けた乗客が貨車を伝わってそれぞれのクルマに向かいます。

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乗客がそれぞれ各々のクルマを運転して貨車から離れます。

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2階式のゲートからクルマは出て参ります。

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地上側の構造は、貨車を据え付けるホームとゲートだけで極めてシンプルな構造でした。

以上、カートレイン、ワキ10000の情報等はWikipediaの記事を参考に纏めました。

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2013年4月24日 (水)

1974,1975 北海道へ 9 50系客車

50系客車は国鉄が主に地方都市圏の通勤・通学時間帯の普通列車に使用する目的で、1977年より設計・製作した一般形客車の系列です。その塗装から「レッドトレイン」とも称されていました。

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ED75 700に牽引される奥羽本線普通列車 1993/8/7 富根~二ツ井

本州以南用の50形と、北海道用の51形がありますが、基本的な構造、仕様は同一です。

1970年代前半まで、地方都市圏の旅客輸送には1920年代から1960年代にかけて製作された鋼製客車が多く使用されていました。これらの車両は優等列車の電車化や気動車化および12系客車の登場によって転用されたもので、製造後20年から40年以上を経て老朽化、陳腐化が進行していました。自動扉をもたないことから走行中でも客用扉を開閉できるため乗客や荷物が転落する危険があり、保安上の問題となっていました。

地方部の通勤・通学時間帯に多く運転されていた比較的長編成の客車普通列車の置き換え用として、1両当たりの製造コストが気動車や電車よりも格段に安かったため、余剰の電気機関車やディーゼル機関車を有効活用し、輸送力増強やサービス改善を低コストで行うために客車の新形式を開発する方針が採られました。
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レッドトレイン 1993/8/7 鶴形~富根

最初の車両は1977年-1978年に製造され、筑豊本線・芸備線・東北本線(仙台地区)などの線区で、特に朝夕のラッシュアワーに使用されました。製造は1982年まで続き、同様の条件の他の交流電化区間や非電化区間にも投入されました。1979年には鉄道友の会よりローレル賞を授与され、オハフ50 1の車内に記念プレートが取付けられました。

<運用の変遷>

国鉄時代は事故廃車もなく、座席車として製造されたすべての車両がJRに承継されました。50形原形車はJR東日本・JR西日本・JR四国・JR九州に承継され、電気暖房付き車両は九州以外の3社に承継されました。51形はすべてがJR北海道に承継されています。

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DE10重連に牽引されて青森駅に入線する快速「海峡」編成 1991/11/12

国鉄末期以降、各地で「短編成・高頻度」型のフリークエント・ダイヤへの転換が相次ぐと、折り返し駅で機関車を付け替える必要がない電車・気動車への転換が進み、客車列車の本数は著しく減少しました。また、急行列車の大幅な縮小によって余剰となった急行型車両が普通列車に転用されたため、1986年11月のダイヤ改正では早々と余剰車が発生しました。それらは開通目前の津軽海峡線向けに転用されることになり、国鉄時代末期に転用改造が行われて函館運転所に転属しました。
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青森を発車してゆく快速「海峡」 1991/11/12

JR移行直後、四国配置車に早くも大量の余剰車が発生する状況になり、他社においても徐々に余剰化が進行しました。一部の車両がキハ141系・キハ33形への改造に充てられた以外は転用されず、1989年以降淘汰が進みました。1992年4月1日には高徳線の普通列車が全列車気動車化され、JR四国管内での本系列の定期運用は消滅し、東日本地区でも1993年6月23日に羽越本線(酒田駅 - 秋田駅間)の普通列車がすべて電車化され、同年12月1日には、奥羽本線(新庄駅 - 秋田駅間・追分駅 - 青森駅間)、八戸線の本系列および12系客車を使用した普通列車はすべて701系電車と気動車に置き換えられました。1997年3月22日のダイヤ改正で山陰本線から12系客車の普通列車運用を終了したことにより、JRグループでの客車による普通列車は津軽海峡線の快速「海峡」とJR九州管内の一部のみとなりました。2001年10月6日に筑豊本線の折尾駅 - 桂川駅間(福北ゆたか線)が交流電化されたことによって50形客車の運行を終了することとなり、直方車両センター配置の14両は12系客車12両とともにすべて廃車となり、一般仕様車はこれを最後にすべて廃車となっています。

快速「海峡」が最後の定期列車でしたが、2002年11月30日で廃止になり、定期列車の運用は消滅しました。現在、JRグループの路線で営業運転に使用される車両はJR北海道の「ノロッコ号」、JR九州の「SL人吉」号など、観光を主目的とした不定期の列車に限られています。

<車体構造の特徴>

客用扉は、幅を1,000mmに拡大した片引戸で半自動操作も可能な自動扉としました。ドアエンジンを動作させる圧縮空気は、空気圧を供給する空気圧縮機やその動力源も搭載されていないため、機関車から元空気溜管(Main Reservoir Pipe:MRP)を介して供給する必要があります。このため牽引用機関車は、AREBブレーキに改造された20系客車やCLEブレーキと空気ばねを備える10000系高速貨車などと同様、MRPへの空気圧供給が可能なタイプに限定され、しかも旧形客車と混結する際には、旧形客車はブレーキ管(Brake Pipe:BP)と蒸気暖房用の蒸気管や電気暖房用の給電回路のみ引き通し、客用扉操作用回路や車内放送用回路とMRPの引き通しがないため、編成中で50系車両を機関車に続けて連結し、50系の車掌室・業務用室から自動扉を一括操作する必要がありました。扉の操作回路には、車軸からの速度検出による戸閉保安装置が追加されています。なお、車内のサービス用電源は従来通り各車に搭載された車軸発電機と蓄電池を用ています。

行先表示は、在来形客車のサボを掲示する方式を踏襲し、側面中央部窓下にサボ受を設けました。車体色は、交流電気機関車と同様の赤2号(やや小豆色に近い赤色)の一色塗りで、屋根はねずみ色1号です。同時期に設計・製作されたキハ40系気動車・115系1000番台などとは、アコモデーションや車体構造などで共通点が多々あります。

<形式別>

50形

本州以南向けの車両群で、東北・北陸地区などに投入された車両は電気暖房を併設し、車両番号を2000番台として区別しました。

オハ50形
編成の中間に組成する座席普通車で、1978年- 1982年に335両 (オハ50 1 - オハ50 335) が製作されました。

オハフ50形
前位側に業務用室、後位側に専務車掌室をもつ緩急車で、トイレも備えました。1978年-1982年に488両 (オハフ50 1 - オハフ50 488) が製作されました。 主に列車の最前部、最後部に連結されるほか、自動ドア等客扱いの利便性のため編成中間に連結されることもありました。

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50系客車4両編成 1991/11/12 青森

51形

北海道用の車両群で、客室窓を小型の一段上昇式二重窓とし、車軸発電機をベルト駆動からギア駆動に変更するなどの酷寒地対策がなされました。台車は、軸ばねと枕ばねにゴム被覆コイルばね(エリゴばね)を使用したTR230Aです。

1979年までに製作された初期車 (1 - 10) は、車体側面の戸袋窓が小型で、オハフ51形では床下水タンクの装架位置が異なりました。札幌圏で運用した車両には、機関車に出発合図を送るためのブザー回路が追加されました。

オハ51形(二代)
編成の中間に組成する座席普通車で、1978年-1982年に62両 (オハ51 1 - オハ51 62) が製作されました。

オハフ51形
車掌室をもつ緩急車で、1978年-1982年に68両 (オハフ51 1 - オハフ51 68) が製作されました。

郵便・荷物車

マニ50形
老朽化したマニ60形・マニ36形など旧形車の置き換え用として開発された荷物車で、1977年-1982年に236両 (マニ50 2001 - マニ50 2072・マニ50 2101 - マニ50 2264) が製作されました。乗務員室扉は車体前後に設けられ、各々に車掌室と業務用室を配しました。荷重は14tで、外部塗色は青15号です。全車が電気暖房装置を備え、番号は2000番台を付番しました。1979年製からはブレーキシリンダの配置など細部が変更され、番号を2101以降として区別しました。 1986年に鉄道荷物輸送が廃止されたことで本来の荷物車としての用途はなくなり、製造年が新しいにもかかわらず大量に廃車となりましたが、「MOTOトレイン」(乗客とバイクを同時に輸送する、いわゆるバイクトレイン)用や、救援車の代用としてJR旅客6社に63両が承継されました。しかし現在までにバイクトレインはすべて廃止され、営業運転に使用されることはほとんどありません。現在使用頻度の高い車両は、工場入出場時の控車として使用されるごく一部である。 特異なものとして、24系客車の電源車マニ24形500番台への改造車・「リゾートエクスプレスゆう」用電源車への改造車が存在します。

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「リゾートエクスプレスゆう」用電源車として現在も現役のマニ50 2186 1991/11/3 水戸

スユニ50形
スユニ60形などの旧形郵便・荷物合造車を置換えるため計画された郵便荷物合造車で、1978年-1981年に80両 (スユニ50 2001 - スユニ50 2063・スユニ50 501 - スユニ50 517) が製作されました。 台枠も含めて車体は完全に新製されましたが、台車のTR47および自動連結器一式は廃車となったスハ43形やスハネ16形などから流用したもので、名義上は新製ではなく、種車になった車両の改造扱いです。 本州以南用の0番台と北海道用の500番台があります。0番台は全車電気暖房を備えており、番号は2000番台となっています。外部塗色は青15号です。 技術力の維持と向上をはかるため、本形式はすべて国鉄工場で施工しています。当初は100両改造される計画でしたが、郵便・荷物輸送の低迷により80両に下方修正されました。1986年の郵便・荷物輸送の廃止とともに大部分が廃車されており、JRへの承継は北海道3両、東日本4両にとどまりました。現存している車両は北海道・東北で救援車代用として配置されています。

改造車

「日本海モトとレール」用マニ50形
1988年、大阪 - 函館間の寝台特急「日本海」でツーリング客向けに夏季期間中に限りオートバイの輸送を実施するため、宮原客車区(現・宮原総合運転所)マニ50形2両を改造したもの。 車内にオートバイの緊結装置を取付けたほか、特急列車に連結することからブレーキ装置を改良し110km/h走行対応化も実施されました。そのほか、電照式の愛称表示器が貫通路に設置されています。このバイク輸送列車は当初は「日本海モトトレイン」と称していたが、のちに「モトトレール」→「モトとレール」と改められています。 1998年シーズンを最後に「日本海モトとレール」が運転中止となり、翌1999年に廃車となりました。 マニ50 2230・マニ50 2256→マニ50 5001・マニ50 5002

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24系24形 寝台特急「日本海」の最後尾にぶら下がるモトトレイン用に改造された車輌 1993/8/7 鶴形~富根

快速「海峡」用改造車

50形5000番台

50形5000番台 青函トンネルを含む津軽海峡線の快速「海峡」(青森 - 函館)用として改造された車両です。改造工事は1987年のJR発足以前にすべて完了し、JR北海道が全車を承継しました。 側面窓は固定式の大型一枚複層窓に交換され、外部塗色は青色地に白帯の塗装に変更されました。車内には青函トンネル内での現在位置を表示する装置を取り付け、座席は全席とも新幹線0系電車の廃車発生品の転換クロスシートに取り替えられました。AU13AN分散式冷房装置を5基屋根上に搭載しました。電源はED79形電気機関車が備える電気暖房用電源を冷房用電源として兼用し、自車に冷房用電源装置は装備しません。このため改造種車はすべて電気暖房装置付き車両です。 津軽海峡線内での高速運転に備えてブレーキ装置の改良が実施され、最高速度110km/hでの走行に対応しています。

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上の写真の続きのショットですが、画面をよく見ると当時の青森駅に集まるメンバーがよく見えます

51形5000番台

快速「海峡」の増発対応として1990年に51形を改造した車両です。塗装や車内は50形5000番台とほぼ同等ですが、オハフ51形にはトイレ対向部にベビーベッドを設けて、乳児の世話に対応しました。 当初は冷房装置を搭載していませんでしたが、のちにAU51集約分散式冷房装置を2基屋根上に搭載しました。50形5000番台と同じく機関車から給電される電気暖房用電源を冷房用電源としても用いるため、暖房は電気暖房式に改造されました。 台車やブレーキ装置も当初は改造がなされず最高速度95km/hのままでしたが、1996年から1997年にかけて、オハ51形は、台車を14系客車の廃車によって生じたTR217CまたはTR217Dに置き換え、オハフ51形はTR230の改造とブレーキ装置の改良により、最高速度が110km/hに引上げられました。 オハ51形はカーペット車に改造された際に後位側客扉が閉鎖されました。

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2013年4月23日 (火)

1974,1975 北海道へ 9 10系寝台客車

ヨーロッパなどとは違い、日本では動力分散化が強力に推進されたため、今では機関車は牽引する客車列車は、本州と北海道を結ぶ3本の寝台特急「北斗星」「カシオペア」「トワイライトエクスプレス」、それに急行「はまなす」、そして特急「あけぼの」と蒸気機関車が牽引する一部のイベント列車だけとなってしまいました。私が初めて北海道を旅した1974年~75年頃はまだ客車急行が存在し、夜行急行には10系寝台客車が活躍していました。

その代表的な例が

急行 利尻 317レ 札幌21:20=>稚内6:00 318レ 稚内20:55=>札幌5:44                

編成: マニ60+マニ60+スユニ60+スハネ16+オロハネ10+スロ54+
                             スハ45+スハ45+スハ45+スハフ

急行 大雪5号 517レ 札幌22:15=>網走7:56 518レ 網走20:33=>札幌6:13          

編成: マニ+スユニ+オハネフ12+オハネ12+オロハネ10+スロ54+
                             スハフ+スハ+スハ+スハフ+スハ+スハフ

急行 狩勝4号 417レ 札幌21:30=>釧路6:15  狩勝3号 418レ 釧路21:30=>札幌6:33   

編成: オユ10+マニ+スハフ44+スハ45+スロ54+オロネ10+
               スハネ16+スハネ16+スハネ16+スハネ16+スハネ16+オハネフ12

札幌から稚内、網走、釧路に向かう3本の夜行急行には寝台車が連結されていましたが、特に特徴的だったのがAB寝台合造車のオロハネ10の連結でした。

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1975/8に網走駅で偶然見かけたオロハネ10-501 急行 大雪5号で到着後引き上げられた姿

<オロハネ10について>

1957年度に1~5、1958年度に6~9が日本車輌製造にてナロハネ10として製造された勾配が多く、牽引定数の限られる亜幹線用の夜行列車に使用するための二・三等合造寝台車です。車体中央部の二等室・三等室の境に出入台を設置しており、定員は42名(二等寝台12名、三等寝台30名)です。

二等寝台は後発のオロネ10形に比しやや簡素な内装ですが基本は同様なプルマン式配置です。当初は両室とも冷房装置を搭載していませんでしたが、1964年の5 - 7月に「ロネ」側に冷房装置を設置するとともに、複層固定窓化、重量増によりオロハネ10形へと改称され、二等室は「Cロネ」から「Bロネ」へ格上げされました。

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別の角度から

1~5は当初、中央東西線の準急「アルプス」「きそ」に連結されました。信越本線の準急「妙高」などにも使われました。さらに急行「さんべ」に5年間ほど使われました。

北海道に配置されていたナロハネ10 6 - 9は、同時に寒冷地仕様への改造を実施し500番台(501 - 504)を付番しました。後年に1両が追加改造(オロハネ10 2 → オロハネ10 505)されています。 1969年には「ハネ」側にも冷房装置を設置しました。オロハネ10 4 のみ設置対象から外れ、後に新幹線工事用車両939-201形に改造されています。1977年以降「利尻」と「大雪」から外され、1979年に全廃を迎えました。

北海道の客車ではありませんが、当時あたりまえだった旧形客車による夜行急行の数少ない写真から、上野駅で写した上越・羽越線経由秋田行き急行「鳥海」の写真を載せます。

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秋田行き急行「鳥海」に組み込まれたオロネ10 1981/1/27 上野

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オロネのとなりにはグリーン車 スロ62 1981/1/27 上野

あの頃はこういった夜行急行が定期で走っていました。30年後の今となっては信じがたい光景となりました。編成情報を確認するため、ネットで調べて見ると私がこれらの写真を撮ったのと同じダイヤ(同年3月)での急行「鳥海」で秋田まで実際に乗車された記録が見つかりました。「翠月庵日記」というblogで当時の汽車旅の模様が大変興味深く綴られております。

急行列車の時刻表、編成データはこちらのサイトのデータを参考に致しました。
オロハネ10に関するデータはWikipediaとこちらのサイトの記述を参考に致しました。

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2013年4月22日 (月)

1974,1975 北海道へ 5 ED79 50番台

今回はED79 50番台です。

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ED79 51と58の重連が牽引する貨物列車が青森信号場に向かう。 2010/10/24 千刈踏切

津軽海峡線の貨物列車増発に対応するため、1989年に東芝で10両 (51 - 60) が新製されました。同時期に、国鉄時代の設計をもとにJR貨物が新製した機関車にEF66 100番台(101-133)、EF81 450番台(451-455)、EF81 500番台(501-503)があります。いずれも貨物増発に対応するために独自の新規設計は間に合わず国鉄時代の設計で急遽、製作した車輌達でした。

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五稜郭で入れ換え中の52号機 2003/9/28

基本番台とほぼ共通の仕様で製作されましたが、前面窓がわずかに傾斜し、前面窓直上にツララ切りを装備しました。JR貨物の新製機ですが、客車列車牽引を想定し電気暖房装置を装備しています。

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53号機と55号機の重連が津軽海峡線から青森信号場に 2010/10/24 千刈踏切

最高速度は 100 km/h と基本番台・100番台よりも低くなっています。台車は一体圧延車輪を使用する DT129T 形です。外部塗色は車体がコンテナブルー+白、運転席の側扉は赤2号、床下機器は灰色です。青函ATC受信器は基本番台と異なり、上り列車用 L 信号、下り列車用 U 信号の双方を受信可能で、自動判別するため機関車の向きが変わっても、青函トンネルを走行可能です。ただし、ジャンパ連結器は基本番台と同じく片渡り構造となっています。56号機以降は製造当初、EF81-450と同じくすそ周りに青帯が入っていました。

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機関車の足(車輪)元に見える一輪車、何に使うのかと思いきや、五稜郭では貨物列車がスイッチバックするので、コキの尾部につける後部標識灯の移動のためのものでした。 2003/9/28

電磁ブレーキ指令回路はEF66形電気機関車(100番台)に準じ、電空帰還器を用いる構造から、カム接点付きのブレーキ弁に変更されています。

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青森信号場から奥羽本線(津軽海峡線)方面に向かう連絡線(単線)をゆく57号機と60号機の重連貨物列車 2010/10/24 大野踏切

五稜郭機関区に配置され、津軽海峡線青森信号場 - 五稜郭間の貨物列車牽引に重連で運用されるほか、過去には東北本線宮城野駅までの定期運用が存在し、変運用として単機で旅客列車に充当されたこともありました。2000年に五稜郭駅構内で発生した衝突事故で56号機が廃車されたため、現在は9両が在籍します。

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51号機と重連を組む58号機 2010/10/24 千刈踏切

最近、知ったことですが2012年2月16日にJR貨物のDF200の56号機が石勝線東追分駅でシェルターに突っ込む大事故を起こしていたのですね。決して興味本位でこういった話題を取り上げるわけではありませんが、2013年の貨物時刻表で欠番になっていたので気になった次第です。

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60号機と57号機の重連貨物列車 2010/10/24 千刈踏切

テキストはWikipediaの記事を参考に纏めました。

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2013年4月21日 (日)

1974,1975 北海道へ 5 ED79 100番台

今回はED79 100番台です。

貨物列車を重連で牽引する際の補助機関車として使用するため、土崎・苗穂・大宮の3工場で総数13両 (101 - 113) が改造されました。改造種車はED75 700番台前期の車両に集中しています。

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ED79 104と基本番台の重連 100番台には屋根上の抑速用抵抗器がないことが分かります。 2003/9/28 五稜郭

屋根上の回生ブレーキ用抵抗器は非装備、制御装置も種車の磁気増幅器+低圧タップ切換器をそのまま搭載しました。常に重連の函館側に連結して運用するため、運転台の側窓改造は函館側(第2エンド側)のみ施工され、青森側(第1エンド側)の運転台は種車の固定窓+落とし窓のままです。保安装置は、本線運転で先頭となる函館側の運転台に ATC 受電器のみを設置しました。ATC 装置本体は設置されず、単独で海峡線の走行はできません。外部塗色は赤2号です。

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こちらも112号機と基本番台の重連です。 2003/9/27 五稜郭

私がED79 100番台を写したのはこの五稜郭旅行の時が最初で最後のチャンスでしたが、既にその頃は後輩のEH500が活躍しており、100番台の活躍は風前の灯火状態でした。

最後にED79 基本番台と100番台のED75 700番台からの改造番号対応表を載せます。

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対応データとテキストはWikipediaの記述を参考に致しました。

ED75 700の写真は奥羽本線北部の特集で載せたく思います。

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2013年4月20日 (土)

1974,1975 北海道へ 5 ED79 基本番台

ED79形電気機関車は、国鉄が1986年から津軽海峡線用として製作した交流用電気機関車で、国鉄分割民営化後にも、JR貨物が1989年から新製しました。青函トンネルを有する津軽海峡線区間の開業に伴う同区間の専用機関車として計画され、運用の置き換えで捻出されたED75形電気機関車(700番台)から34両が改造されました。

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ED79 18号機が牽引して五稜郭を通過する特急「日本海」 2003/9/28 こちらも北陸のEF70や函館本線のED76 500同様パンタが固定されていました。

連続勾配・多湿・信号方式など区間特有の条件に対応した種々の機能付加がなされ、本務機用(基本番台)の他に補機専用として最小限の改造を施工した車両(100番台)が設定されました。改造は国鉄時代から開始され、1987年4月の国鉄分割民営化に伴い北海道旅客鉄道(JR北海道)が全機を承継しました。1988年3月の青函トンネル開通以降、同区間を往来する旅客列車や貨物列車に使用されています。

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ED79 17号機に牽引されて青森に入線する快速「海峡」 1991/11/12

1989年には貨物列車増発のため、JR貨物が50番台10両を新規製作しました。これは基本番台と概ね同一仕様の車両で、津軽海峡線区間の貨物列車に重連で使用されています。

<構造とメカニズム>

車体は種車のものを再用し、外部機器の絶縁強化・運転台側窓のアルミサッシ化など、常時高湿度環境への対策がなされました。基本番台には屋根上に新設した抵抗器を収納するカバーを設けました。

連続勾配 12 ‰ の青函トンネルを走行するため、降坂対応としてブレーキ管圧力制御装置を追加したほか、交流回生ブレーキを搭載しました。このため無電弧低圧タップ切換方式はそのままに、基本番台の制御装置は種車の磁気増幅器+シリコン整流器からサイリスタに換装されています。主変圧器と低圧タップ切換器は種車のものをそのまま使用し、磁気増幅器とシリコン整流器を撤去して、その空きスペースに主サイリスタ整流器、界磁用変圧器、高速遮断器、力行・制動転換器などを搭載しています。

基本番台と100番台との制御方式の差異に起因する走行特性差を極力解消させるため、基本番台では屋根上に安定抵抗器を設置しました。12 ‰ の連続下り勾配において総重量 1,000 t の貨物列車を牽引する条件下でも、抑速は機関車1両で可能であることから、本務機となる基本番台のみに回生ブレーキを装備しています。

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ED79 7と 100番台の重連 2003/9/28 五稜郭

台車は種車の仮想心皿台車 DT129 系を再用し、駆動装置も種車と同一の吊り掛け駆動方式です。主電動機は種車の直流直巻電動機 MT52 系を再用し、転がり抵抗低減のため動輪側の支え軸受をコロ軸受に変更した MT52C 形です。最高速度 110 km/h 運転対応のため、歯車比は 1:4.44 から 1:3.83 に変更されました。歯車比の変更に伴う粘着引張力の減少は軸重を種車の 16.8 t から 17 t に増大させて填補しました。軸重は基本番台では搭載機器増加による重量増加により、100番台は基本番台との走行性能を均衡させるために死重搭載により、増加させました。

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ED79 9と基本番台の重連 2003/9/27 五稜郭

集電装置は種車の下枠交差型パンタグラフ PS103 形をそのまま使用し、通常は2エンド側(函館側)のみ常用します。

保安装置は海峡線専用の ATC-L 型を搭載しました。第1エンド(青森側)の ATC 受信器は上り列車用 L 信号のみ、第2エンド(函館側)の ATC 受信器は下り列車用 U 信号のみを専用に受信する設定であり、各エンドの運転台は各々運転方向が限定されています。補機専用の100番台は ATC 受電器のみを2エンド側に設置し、本線で先頭に出ない1エンド側には ATC を設置していません。重連運転で連結面となる基本番台2エンド側 および 100番台1エンド側には、相互を接続する青函 ATC 受電器専用の引き通しジャンパ連結器を装備しました。これら設備仕様のため、基本番台・100番台ともジャンバ連結器は「片渡り構造」となりました。

重連総括制御は基本番台+100番台のみならず、基本番台または50番台が最低1両含まれれば可能な構造で、車両運用の都合から、実際に基本番台のみの重連や50番台+基本番台の重連で貨物列車に使用することもあります。

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急行「はまなす」牽引機(ED79 9)の単機回送 2010/10/24 千刈踏切

今回は基本番台の写真を紹介しています。

総数21両 (1 - 21) が改造されました。100番台と異なり、改造種車は後期の車両に集中しています。

屋根上に安定抵抗器カバーを設置し、運転室側窓は引き違い式のアルミサッシに交換されました。運転席側の側窓下の位置には青函無線用の板状アンテナを設けています。外部塗色は赤2号です。

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ED79 12に牽引されて青森を出発する特急「日本海」 右側のトワイライト色のEF81は青森までの牽引機 1991/11/12

改造は土崎工場(現在の東日本旅客鉄道(JR東日本)秋田総合車両センター)・苗穂工場・大宮工場(現在のJR東日本大宮総合車両センターとJR貨物大宮車両所)のほか、工期短縮のため東芝や日立製作所といった車両メーカーも担当しました。

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ED79 6号機に牽引されて青森を出発する快速「海峡」 1991/11/12

以上、Wikipediaの記事を参考に纏めました。

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2013年4月19日 (金)

1974,1975 北海道へ 8 183系 リゾート列車

国鉄が民営化した頃、日本全国に大量にジョイフルトレインといった列車がデビューしました。ちょうどバブル期に至る景気の上昇もあってどの鉄道会社もいろいろな車輌を改造して臨時列車、リゾート列車用の車輌を準備致しました。

JR北海道においても先日、キハ56、キハ27記事でご紹介したアルファコンチネンタルエクスプレス(キハ59編成)やキハ80系を改造したフラノエクスプレス(キハ84編成)、トマムサホロエクスプレス(キハ84-101編成)、それらに続いてキハ183系をベースにした3編成がデビューしました。

私は、残念ながらキハ84の2編成は撮影しておりませんが、キハ183系をベースとした3編成は撮影しておりますので、今回はその3編成について紹介致します。なお、北海道の鉄道に関して大変素晴らしい写真とともに纏められたサイトがあり、その中にリゾート列車のページもあります。

まずはニセコエクスプレスとして有名なキハ183系5000番台です。

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2002/8/27 南千歳

キハ183系気動車をベースとする初のリゾート車両で、1988年から運用され、ニセコ方からキハ183-5001 - キハ182-5001 - キハ183-5002の3両編成を組みます。

前頭部は傾斜角を大きくとり、大型の曲面ガラスを採用した流線型となりました。JRの鉄道車両として初めてプラグドアを採用し、密閉性の向上と車体外側面の平滑化による着雪防止を図っています。

従来のリゾート列車が客室の一部又は全部を高床式としていたのに対し、曲線の多い山岳路線を走行することから床面はフラットな構造とされ、床面の嵩上げは200mmにとどめられました。屋根の高い車体断面は存置され、広い車内空間が確保されています。

座席はリクライニングシートが一般用よりもわずかに広い960mm間隔で設置されています。当初は各座席に液晶式モニターが設置されていましたが、2004年のシートモケット張替の際に撤去され、オーディオサービスのみ存置されています。

冷房装置は取外し可能な床置き式で、冬季には取外し後の空間をスキー板等の大型荷物置き場として使用できるようになっています。

走行装置はキハ183系の最終増備車(NN183系)を基本とした仕様で、最高速度120km/hに対応しています。駆動機関は直列6気筒ディーゼル機関DMF13HZ (330PS/2,000rpm) を各車に1基ないし2基搭載しました。ブレーキ装置は CLE 方式(応荷重装置付電磁自動空気ブレーキ)を装備し、ダイナミックブレーキを併設しています。

キハ183形

編成の両端に連結される運転台付の普通車で、5001は函館方に、5002は旭川方に組成(札幌駅基準)されます。 トイレ・洗面所を設け、定員は48名です。駆動機関は2基を搭載しました。

キハ182形

編成の中間に組成される普通車で、運転台はありません。5001の1両のみ製作されました。 車販準備室・電話室を設け、定員は56名です。 駆動機関は1基を搭載し、編成全体に電源を供給する発電装置としてDMF13HS形機関とDH82A形発電機を搭載します。

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2002/8/27 南千歳

続いて、クリスタルエクスプレス トマム & サホロとして有名なキハ183系5100番台です。

石勝線方面への観光輸送を主目的として、苗穂工場で設計、製作されました。JR北海道の気動車ジョイフルトレインとしては5番目の編成です。1989年から運用されています。

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2002/8/27 札幌

走行装置は「ニセコエクスプレス」と同様にNN183系に準じた仕様で、最高速度は 120 km/h です。走行用機関(DMF13HZ・330PS/2,000rpm)をキハ183形に2基、キハ182形に走行用機関1基と電源用機関(DMF13HS-G・180kVA)1基を搭載しました。台車も同様のボルスタレス式で、動力台車は一軸駆動のDT53、付随台車はTR239です。

1990年度の通商産業省グッドデザイン商品(現在の日本産業デザイン振興会グッドデザイン賞)に選定されています。

当初は3両編成で登場しましたが、翌1990年12月にダブルデッカー車両のキサロハ182-5101を増結し、4両編成となりました。

キハ183形(5101・5102)

編成の両端に組成される、運転台付きの先頭車。5202が1号車、5201が4号車として使用されます。 運転台を2階に上げて先頭部を乗客に開放する名古屋鉄道パノラマカー方式の展望車としました。客席部は床面を300mm上げたハイデッカーとし、側窓も屋根肩にまでかかる曲面ガラスとなっています。 かつては展望席が各8席設置されていましたが、2010年1月に函館本線妹背牛駅 - 深川駅間で発生した789系電車1000番台「スーパーカムイ」の踏切障害事故に鑑み、同年5月25日に座席をすべて撤去した上で、乗客が立ち入らないよう仕切扉が設置されました。これにより、定員は当初の44人から36人に減少しました。

キハ182形(5101)

2号車として使用される中間車。定員は56人。 車体断面はキハ183形よりさらに大きくとり、屋根肩部に天窓を設けるとともに妻部にも窓を設けた「ドームカー」として360度の展望を確保しています。各席にシート液晶モニターが設置されていましたが、2003年に撤去され、その後は各車車端部と展望室ならびにグリーン個室に大型液晶モニターが設置されています。

キサロハ182形(5101)

3号車として使用される2階建て車両で、1990年12月に増備されました。気動車列車では日本初の2階建て車両です。台車間に1階部分を落とし込む構造で、走行用機関を搭載しない付随車となっています。 台車は廃車発生品の電車用TR69D形を装着します。これは、JR北海道が日本国有鉄道(国鉄)から継承しながら、一度も営業運転に就かずに廃車になったサハネ581形から流用したものです(583系はつかりの記事に追記しました。 2階客席は4人用のボックスシート(普通席)を7組配置し、1階には4人用のグリーン個室を3室設置しました。

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2002/8/27 札幌

そして最後はノースレインボーエクスプレス (North Rainbow Express) として有名なキハ183系5200番台です。

キハ56系気動車「アルファコンチネンタルエクスプレス」の置換え用として計画された編成で、6番目のリゾート編成として、苗穂工場で新製されました。愛称は公募により決定されました。1992年から運用されています。

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2008/3/19 新札幌

編成は函館側から キハ183-5202 (Mc2) - キハ182-5251 (M) - キサハ182-5201 (TD) - キハ182-5201 (mg) - キハ183-5201 (Mc1) の5両編成で、1992年7月に Mc2-mg-Mc1 の3両編成で運転を開始しましたが、同年12月に M-TD を加え5両編成となりました。

1994年3月の函館本線・室蘭本線特急高速化に先行して、一般のキハ183系550番台(NN183系)より先に最高速度130km/hに対応しました。走行用機関はキハ183形200番台と同じ DMF13HZC (420PS/2,000rpm) を各車に1台ないし2台搭載し、付随車組込みによる編成重量増に対応しています。台車は動台車が1軸駆動のDT53B、付随台車はTR239Aです。電源用機関は中間のキハ182-5201に搭載します。

青函トンネル通過対策が実施されており、電気機関車牽引により本州への乗り入れが可能です。

キハ183形

編成の両端に連結される運転台付きの普通車で、駆動機関は2台を搭載しています。定員はいずれも47名。車体帯色は 5201 (Mc1) がピンク、 5202 (Mc2) がラベンダーです。

キハ182形

編成の中間に連結される普通車で、定員はいずれも60名。
5201 (mg) は発電機関としてDMF13HZ-G (300PS) /DM93 (210kVA) を1組、駆動機関を1台搭載します。車体帯色はオレンジ。
5251 (M) は1992年12月に追加組成された車両で、駆動機関を2台搭載します。車体帯色はブルー。

キサハ182形

1992年12月に追加組成された車両。付随車 (TD) であるため、駆動機関は搭載されていません。車体帯色はライトグリーン。

編成の中間に連結される2階建車両で、1階部分にラウンジ・ビュッフェを設け、2階部分を客室としました。定員は36名。

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2008/3/19 新札幌

以上、183系をベースに開発されたJR北海道のジョイフルトレインをWikipediaの記事を参考にご紹介致しました。

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2013年4月18日 (木)

1974,1975 北海道へ 8 183系気動車改造版

JR北海道には1980年代から1990年代半ばまで、道内特急列車のエースとして活躍したキハ183系を改造したリゾート列車や観光列車、さらには183系グループとして新製されたリゾート車輌が存在します。また予備車輌を利用した臨時列車もありました。

今回と次回の2回に分けて、私が偶然撮影したそれらの写真を紹介したく思います。

まずはキハ183系基本番台に由来する「旭山動物園号」編成 です。

旭山動物園(旭川市)へのアクセス輸送に使用する車両について、内外装の改装工事を2007年に五稜郭車両所で実施しました。

当初は4両編成で使用を開始し、2008年4月28日以降は「オオカミ号」を追加して5両編成で使用しています。

旭山動物園の元飼育係で絵本作家のあべ弘士氏がデザインを手がけ、旭川側から1号車「ホッキョクグマ号」(キハ183-3)、2号車「オオカミ号」(キハ182-46)、3号車「ライオン号」(キハ182-47)、4号車「チンパンジー号」(キハ182-48)、5号車「ペンギン号」(キハ183-4)と名づけられ、それぞれの動物の親子などの絵が描かれています。 接客設備にも種々の改装がなされ、各車両には動物をかたどった記念撮影用の「ハグハグシート」が設けられました。

1号車の キハ183-3 は旧「ちゃいるどさろん」の空間を転用し、カーペット敷きで子供が靴を脱いで遊べる「モグモグコーナー」に改装されました。5号車の キハ183-4 は業務用室部分を転用した授乳室を備えました。車内メロディは童謡『森のくまさん』を用いています。

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2008/3/21 平和 この時は4連での運行でしたが、この直後から5連化されたようですね。

同じくキハ183系基本番台を使った列車で特急「コンサドーレ号」といったものもありました。

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2008/3/23 南千歳

こちらは専用編成ではなく、予備編成などを用いた臨時列車だと思われます。

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札幌側のエンドは貫通タイプでした。

私もたまたま札幌出張の最終日に南千歳で撮影していて偶然、この列車に遭遇したのですが、ネットで調べると当時の列車の案内の記事が残っておりました。

JR北海道では、3月23日(日)に室蘭で開催されるヤマザキナビスコカップ、コンサドーレ札幌・川崎フロンターレ戦に合わせ、臨時特急コンサドーレ号を運転します。(JR北海道プレスリリース)http://www.jrhokkaido.co.jp/press/2008/080225-2.pdf

そして最後は以前、オホーツク・サロベツの記事でも写真を載せたキハ183系6000番台です。

お座敷車(6000番台)

お座敷車としてそれまで運用されてきた車輌は最高速度が95km/hであったため、N183系 から2両、 NN183 系から1両の3両を1999年に改造して高速化したお座敷車両です。

N183 系の2両は走行用機関と変速機を NN183 系と同一仕様に変更し、 130 km/h 運転対応を全車に実施しました。 120 km/h 車とのブレーキ切替機能を装備し、他の本系列全車との連結が可能です。青函トンネル通過対策がなされ、同トンネル内を電気機関車牽引により本州に乗り入れることが可能です。

団体臨時列車として単独編成で使用するのみならず、閑散期には定期特急列車に併結して使用することも考慮され、団体使用時は床面を完全にフラットにできますが、定期列車併結時には車内販売や乗務員の往来のため中央部に通路を設けることができる構造とし、左右に2人用と4人用の座卓を設置している。それぞれの座卓の下部は深さ 30 cm の掘り炬燵構造としている。定員はキハ183形が団体使用時46人、キハ182形が56人で、定期列車併結時には、それぞれ36人・42人となります。

番号対応:キハ183-507・1557 → キハ183-6001・6101 ※キハ182-514 → キハ182-6001

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2002/8/25 札幌駅

いつものようにそれぞれのデータはWikipediaの記事を参考に纏めました。

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2013年4月17日 (水)

1974,1975 北海道へ 8 一般形気動車 キハ201系

北海道の一般形気動車、今回は最も新しいキハ201系です。

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キハ201系 D-101編成 2002/8/25 札幌

札幌都市圏の中でも最も混雑する函館本線・小樽駅 - 札幌駅間の輸送改善にあたって、非電化区間である小樽以西からの札幌駅直通列車の混雑緩和・スピードアップを図るため、1997年3月22日のダイヤ改正から営業運転を開始しました。同時期に導入された731系電車と併結し、現在日本で唯一の電車と気動車による協調運転が行われています。

車両性能は最高速度130km/h、加減速度ともに協調運転を行う731系電車とほぼ同等であり、電化区間でも電車と同等のダイヤで走行することができます。

1996年に3両編成4本(12両)が富士重工業で製造されましたが、高性能ゆえの製造コストの高さなどもあって、その後の増備はされていません。なお、2000年に登場したキハ261系気動車は、本系列を基本に設計されました。

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キハ201系 D-102編成 2002/8/27 札幌

車体は軽量ステンレス製で、車体傾斜装置を搭載することから、車体断面は車両限界に抵触しないよう上方窄まりの台形断面となっています。クラッシャブルゾーンを設け正面衝突時に衝撃吸収を図る高運転台構造、片側3箇所の片開き式客用扉(有効幅1,150mm)など、731系電車とほぼ同一の車体構造をもっています。

車体の塗装もステンレス地肌の無塗装で、窓柱部のみ黒色に塗装するなど、これも731系電車と同じですが、車体側面に萌黄色(ライトグリーン)+青色(731系は萌黄色+赤)の帯を配することで、731系電車との差別化を図っています。

正面貫通扉には増解結時間短縮のため自動幌を採用、先頭の密着連結器には併結時以外にはカバーが付きます。冬季対策として全6灯の前照灯(腰部の2灯はHIDランプ)、スノープラウ兼用の大型スカート、高速ワイパーを採用しています。また、運転台の機器類も731系とほぼ同一であり、左手操作式ワンハンドルマスコンおよび、タッチパネル式カラー液晶ディスプレイのモニタ装置を装備します。

車内も731系電車とほぼ共通で、車内は全てロングシートで、客用扉隣接の座席は跳ね上げて壁面に格納できる構造です。乗降円滑化のため、従来の北海道仕様の車両にあったデッキは廃止されました。これに代わる寒冷対策として、客用扉の上と横から温風を送り込み冷気を遮断するエアカーテン、遠赤外線暖房装置、ボタン開閉式の半自動ドアを装備しています。

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キハ201系 D-104編成 2008/3/21 札幌

駆動機関は新潟鐵工所(現・新潟トランシス)製の定格出力450PS/2,100rpm、最大トルク160kg・mのN-DMF13HZE形ディーゼルエンジンを各車に2基搭載し、3両編成での定格出力は2,700PSに達します。液体変速機は変速1段・直結4段、パワーオン制御(自動車の半クラッチと類似の機構)を採用したDW16形です。

台車は731系電車のN-DT731形と基本構造を合わせた軸梁式、ヨーダンパ付のボルスタレス台車(N-DT201形)で、床面高さを下げるため車輪の直径を小さくし、810mm径としています。車体中央寄りの車軸が駆動軸、車端寄りが従軸です。曲線通過速度向上のため、空気バネを利用した車体傾斜装置を搭載し、車体を最大で2度傾斜させることができます。

運転台付きのキハ201形100番台・300番台、中間車のキハ201形200番台で3両の固定編成を組みます。

これまでに4編成のうち、D-103編成以外は撮っているのですが、今度撮影するチャンスがあれば是非、731系との強調運転シーンを撮影したく思います。

記事はWikipediaを参考に纏めました。

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2013年4月16日 (火)

1974,1975 北海道へ 8 一般形気動車 キハ40系とその仲間達

現在でも日本中の非電化路線で多く活躍しているキハ40系(キハ40形(2代)、キハ47形、キハ48形の3形式およびこれらの改造により発生した派生形式)1977年から1982年にかけて計888両が製造されました。因みにキハ40形の初代とは、昨日ご紹介したキハ08系のうちの改称される前の一形式名でした。

電車に近い車体構造の大型気動車で、客室設備の改善や走行機器の刷新なども図られていますが、その一方で、それ以前の在来型気動車と比較してエンジン出力は若干増加したものの重量も増加しており、動力性能はほとんど向上していません。

客用の片引き戸を車端部2か所に設置したキハ40形(両運転台)、キハ48形(片運転台)と、都市近郊向けに両引き戸を車体中央に寄せて2か所に設置した片運転台のキハ47形に大別されますが、各形式共投入線区の気候に応じた仕様の違いや、便所の有無などによって番台区分されています。国鉄分割民営化後は、各社毎に使用線区の事情に応じた改造がきめ細かに実施され、派生形式や区分番台が多くなっています。当 Blogにキハ40系が登場するのは初めてですが、全バージョンについて記述するとあまりに長くなるので今回は北海道向け酷寒地バージョンについて記述します。

<国鉄時代の区分番台>

北海道用にはキハ40 100番台1977年上期より製造されました。キハ40系では最初に就役したグループです。

車体はデッキ付きで、1段上昇式の二重窓、トイレ、空気バネ台車を装備します。床材は北海道向け従来形式のキハ22形などが用いた鋼板+木材板張りを廃し、1.2mm厚SPA鋼板と断熱材+リノリウム張りで構成されています。1982年までに150両 (101 - 250) が製造されました。

1977年製の16両 (101 - 116) のみ、角型水タンクキセ、4人掛けクロスシート12組、客室の小窓の配置が両端、室内の化粧板が濃い肌色、軸ばね式空気ばね台車 (DT44・TR227) などの特徴を持ちます。1978年以降に製造された117 - 250は設計が変更され、水タンクキセ、座席配置と窓割り、外気導入ルーバー、スカート形状がキハ40形2000番台一次形車と同様になりました。室内の化粧板はクリーム色になり、台車は乾式円筒案内式空気ばね台車のDT44A・TR227Aに変更されました。

1988年に9両(141 - 149)がキハ400形に改造され、残りの全車も1990年から1995年にワンマン化のため700番台に改造され、廃区分番台となりました。

さらにキハ48 300、1300番台が北海道向け酷寒地仕様車として、1982年にごく少数が製造されました。デッキ付き、1段上昇式二重窓の車体構成はキハ46形に酷似しています。空気ばね台車を装備。輸送量が限られた北海道の路線では2両編成以上が必須の片運転台車は使いにくいこともあり、トイレ付きの300番台車は4両 (301 - 304)、トイレなしの1300番台車は3両 (1301 - 1303) の製造に留まりました。304と1300番台全車が1988年にキハ480形に改造され、1300番台は廃区分番台となりました。

301 - 303の3両は、JR北海道に承継された後も改番されずに使用されていましたが、2012年6月1日のダイヤ改正で札沼線(学園都市線)の一部区間(桑園駅 - 北海道医療大学駅間)が電化開業したことで運用を外れ、3両ともミャンマー国鉄に売却されたため、300番台も廃区分となりました。

キハ48 301 - 303を除くすべての車両には、ワンマン運転対応、エンジン換装、冷房装置搭載など、線区の事情に応じた改造が実施され、それに伴う改番が行われました。キハ400形・キハ480形を除く各車共通の改造点としては、電磁ブレーキ制御用のKE67形ジャンパ連結器の撤去と、ワンマン運転時および客用扉の半自動扱い時に共通で使用する、KE67形ジャンパ連結器の増設(一般放送回路との区別のため、赤色により識別)が挙げられます。

<キハ400形、キハ480形>

宗谷本線の高速化に向け急行「宗谷」・「天北」・「利尻」に使用されていた14系客車を置き換えるため、1988年にキハ40形100番台9両、キハ48形300番台1両、1300番台3両の計13両を急行列車用に改造した形式です。それぞれ新形式のキハ400形・キハ480形に改められ、両形式を総称してキハ400系と言います。

エンジンをDMF13HZ (330PS/2,000rpm) に、変速機を直結2段式のN-DW14B形に交換して加速力の向上を図り、特急列車頻発でダイヤ密度の高い函館本線での高速運転や、宗谷本線の勾配区間に備えました。車内には洗面所を新設し、座席もキハ183系500番台と同等のリクライニングシートへの交換されました。また、電動式の冷房装置 (N-AU400) を屋根上に1基搭載、その電源となるディーゼル発電機はキハ400形客室内の床上に設けた機器室内に設置し、キハ400形自車とキハ480形へ三相交流220V を給電する方式としました。そのため、キハ480形は単独では冷房装置を使用することができません。キハ480形の種車のうち1両はトイレ付きの300番台車ですが、トイレは改造時に撤去されています。

<キハ400形500番台>

老朽化したお座敷気動車(キロ29形・キロ59形)を置き換えるために、1997年から1998年にかけてキハ400形3両をお座敷車に改造したものです。
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2002/8/25に偶然、札幌駅で出会ったキハ400-500番台のお座敷列車「くつろぎ」

客室を可能な限り広く取るため前位側の出入り台(デッキ)を撤去し、塗装も深い赤と黒のブロックパターンに改められました。室内は床面をかさ上げしてカーペット敷きとし、深さ30cmの掘り炬燵構造として、乗客が足を伸ばしてくつろげるようにするとともに、床面をフラットにすることも可能です。2003年度には冷房装置の交換などの更新改造が実施されました。
番号対応 キハ400-141・142・149 → 501 - 503

<キハ40形700番台>

1990年から1994年にかけてキハ40形100番台にワンマン運転対応工事を行ったもので、キハ400形に改造された9両を除く141両全車が改造されました。番号は竣工順に付番されており、原番号との関連性はありません。ただし、1次車 (101 - 116) が種車の車両だけは元番号に725を足した連番になっています。

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今は延命工事で1700番台になってしまったかと思いますが、2002/8/27に南千歳で撮影した700番台 キハ40-772

<キハ40形300番台>

1996年に学園都市線(札沼線)の列車増発のため、同線での運用に対応する改造をキハ40形700番台に対して行ったもので、4両が改造されました。

機関はN-DMF13HZB (330PS/2,000rpm) に換装され、出力増強が図られました。サービス向上のため機関直結式冷房装置 (N-AU26) やトイレの汚物処理装置を搭載、混雑緩和対策としてシートが2+1人掛けとされ、客室とデッキの間の仕切り壁も撤去されています。客室とデッキの間の仕切り壁が撤去されたことにより、車内の保温が困難になるため、ボタン開閉式の半自動ドアを装備しています。

番号対応: キハ40 702・748・773・782 → 301 - 304

<キハ40形400番台>

1996年に札沼線石狩当別 - 新十津川間のワンマン化と老朽化したキハ53形500番台の置き換えのため、キハ40形700番台2両を改造したものです。

番号対応: キハ40 769・770 → 401・402

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札沼線列車の札幌到着 2008/3/21 キハ40-401

<キハ40形350番台>

日高本線で使用されていたキハ130形の老朽化による置き換えのため、1998年から1999年にかけてキハ40形700番台10両を改造したものです。「優駿浪漫」という愛称がつけられているそうです。

番号対応:キハ40 710・713・717 - 719・728・731・743・753・794 → 351 - 360

<キハ40形330番台・キハ48形1330番台 >

2000年の宗谷本線急行の特急格上げに伴い、余剰となったキハ400形・キハ480形を学園都市線に転用するために再改造したものです。

番号対応:

キハ400 143 - 148 → キハ40 331 - 336
キハ480 1301 - 1303 → キハ48 1331 - 1333

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キハ40-332 札沼線で活躍する姿です。 2002/8/25 札幌

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先頭はキハ480-1332 急行「宗谷」などの運用を降りた後、札沼線で活躍する姿 2002/8/27

<キハ40形1700番台>

今後の長期使用を見越し、キハ40形700番台に延命改造を実施したものです。
2003年度から11年程度をかけて全車に施行される計画で、2012年4月現在延べ82両が落成し、苗穂運転所に5両、苫小牧運転所に18両、釧路運輸車両所に25両、函館運輸所に20両、旭川運転所に14両が配置されています。改造内容としては、駆動用エンジンのN-DMF13HZI (243kW (330 PS)/2,000rpm) への換装およびそれに伴う液体変速機の直結3段式(N-DW40)への換装、その他の付随する機器の交換、客室の床材の張替え、扇風機のクールファンへの交換、ワンマン運転用機器の更新などです。屋根上の水タンクは撤去され、車内設置に変更されました。改造車の番号は原番号に1000が加えられています。

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2008/3/23 キハ40-1780
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2008/3/23 キハ40-1783
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2010/6/24 キハ40-1786

いずれも南千歳で撮影したもので、石勝線夕張方面のローカル列車として運用される1700番台

今回、この記事を纏めることで北海道のキハ40、キハ48の歴史を理解することが出来、また複雑な枝番の体系に自分がこれまでに撮った写真を当てはめることが出来ました。

Wikipediaの記事が纏める上で大変参考になりました。

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2013年4月15日 (月)

1974,1975 北海道へ 8 一般形気動車 キハ141形とキハ150形

北海道の気動車シリーズ、今回はキハ141系です。

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よく見れば種車の50系客車の面影を残すキハ143形気動車 キハ143-104

JR九州には国鉄が製造したキハ40形のエンジンを換装して出力アップを図ったキハ140形という形式がありますが、JR北海道のキハ141系は国鉄キハ40、キハ47形とは全く関係が無く、札沼線の輸送力増強を目指して、50系客車を改造して投入された形式、キハ141形、キハ142形、キハ143形およびキサハ144形の総称です。

1990年から投入され、電車や気動車への置き換えで余剰となっていた50系客車(オハフ51形)を改造して製作されました。客車 (Passenger Car) 改造のディーゼル動車 (Diesel Car) であることからPDCとも呼ばれています。過去にもPDCの例はあり、1960年からオハフ61形を改造したキハ08系(具体的には、キハ40形(初代)、キハ45形(初代)、キクハ45形、キサハ45形の4形式が該当)が有名ですが、こちらは試作の域を出ませんでした。

客車の気動車化改造は、根本的な強度構造の違いから来る車体重量の違いから、国鉄・私鉄ともにほとんど成功例がありませんが、キハ141系は客車としては軽量な50系客車に、新世代の軽量高回転エンジン(DMF13HS系エンジン)を組み合わせることによって、一定以上の成果を引き出しました。

4形式で合計44両が製作され、オハフ51形の2/3が本系列に改造されました。客車から気動車への改造車としては日本最多です。JR西日本でも50形客車から改造したキハ33形 がありますが、こちらは2両のみで、2010年3月30日付で廃車・廃形式となりました。

キハ141形

1990年から14両 (1 - 14) が製作されました。駆動用機関として、直列6気筒ディーゼル機関 DMF13HS (250PS/2,000rpm) を1基搭載しました。台車はコイルバネ式のDT22系で、キハ56系気動車の廃車発生品を使用しています。最高速度は95km/hです。
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2連X2で活躍するキハ141系 2002/8/25 札幌   キハ141-2他

運転台は札沼線での札幌方を向いており、原則としてキハ142形の同一番号の車両と連結して運用されていました。運転台側の客用扉直後にトイレが設置されており、冷房装置は搭載されていません。キハ141-1は先行試作車で、1992年に苗穂工場で量産化改造が行われました。

キハ142形

1990年から1994年にかけて15両 (1 - 14・201) が製作されました。駆動機関は、DMF13HS 形を2基搭載しました。台車にキハ56系気動車の廃車発生品(DT22系)を使用した点はキハ141形と同じです。最高速度は95km/hです。

運転台は札沼線での石狩当別方を向いており、原則としてキハ141形の同一番号の車両と連結して運用されました。トイレは改造時に撤去され、採光窓が埋められています。冷房装置は搭載されていません。

キハ142-1は先行試作車で、1992年に苗穂工場で量産化改造が行われました。また、キハ142-14は1995年の再改造でキハ142-114に改番されました。

キハ143形

キハ141形・キハ142形の増備にあたり、キハ150形気動車の駆動システムを用いて性能強化した形式です。1994年から1995年にかけて11両 (101 - 104・151 - 157) が製作されました。100番台はトイレ不設置、150番台はトイレ設置の車両です。
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キハ143-103他 2002/8/25 札幌 キハ40形との混結も見られました。

駆動機関は大出力の N-DMF13HZD 形 (450PS/2,000rpm) を1基搭載し、台車はキハ150形の N-DT150 形台車を基に、各部の仕様を本形式に適合させる仕様変更を行った2軸駆動式のボルスタレス式空気バネ台車 N-DT150A 形・N-TR150A 形を使用しました。最高速度は110 km/hです。

ラッシュ時の乗降円滑化対策として、キハ141形・キハ142形で残存していたデッキ仕切扉は撤去されました。仕切扉に代わる冬期の保温対策として、客用扉はボタン開閉式の半自動扉を装備しています。製作当初は冷房装置を設けませんでしたが、1995年から1996年にかけて冷房改造が行われ、N-AU26 形冷房装置が屋根上に設置されました。最終製作分の2両 (156・157) は1995年の気動車化竣工時から冷房装置を設置しており、本形式の全車両が冷房化されています。

原則として、150番台を室蘭本線での室蘭方(札沼線での札幌方)に、100番台を苫小牧方(札沼線での石狩当別方)に組成しますが、キハ143-157は例外的に苫小牧方に組成されています。なお、札沼線では必要に応じてキサハ144形を中間に増結し、3両編成としても使用されていました。

キサハ144形

1994年に4両 (101 - 103, 151) が製作されました。運転台は装備せず、駆動用エンジンも搭載しない付随車です。台車はキハ56系気動車の廃車発生品から付随台車(TR51 形)を使用しています。動力を持たないため、当初はキハ141形およびキハ142形、後にキハ143形の中間に連結して運用されました。

改造当初は、キサハ144-151にトイレが残されていましたが、1995年に苗穂工場でトイレを撤去し、キサハ144-104に改番されています。当初は全車両が非冷房でしたが、2001年に冷房が搭載され、電源供給用の発電用エンジンを床下に搭載しています。

<運用>

全車両が苗穂運転所に配置され、札沼線(学園都市線)の(札幌駅 - )桑園駅 - 北海道医療大学駅間を中心に使用されました。キハ40形300番台・330番台・キハ48形1330番台などとの共通運用であり、専らこれらの車両と併結して運用されました。

2005年3月には、老朽化を理由にキハ141-1、キハ142-1の2両が廃車となりました。

2012年6月1日に同区間が電化開業し、同年10月27日のダイヤ改正で当該区間におけるすべての営業列車が電車化されたため、同路線での運用を終了しました。これにより、キハ143形の10両がワンマン運転対応工事を施工の上で苫小牧運転所へ転属、室蘭本線・千歳線での運用へと変更されましたが、キハ141形・キハ142形・キサハ144形はすべて定期運用から撤退しています。

*キハ142-201・キハ143-155・キサハ144-101・キサハ144-103の計4両は東日本旅客鉄道(JR東日本)に売却され、2013年冬から釜石線で運行されるSL列車の客車に改造されることになりました。なお、再改造にあたって動力は再利用され、純粋な客車ではなく気動車として勾配区間でC58のブースター的役割をするようです.情報ソースはこちら

続いて、キハ150形です。

JR北海道が継承したキハ22形・キハ56系などは経年30年を超え、老朽化による取替えが喫緊の課題であり、本来単行運転で十分な需要しかない閑散線区においても、キハ40形は出力不足の関係で冬季積雪時には2両編成が必須であること(単行では排雪運転に足る出力がない)などの問題点が顕在化していました。こういった問題を解決するために、積雪急勾配線区における単行運転を考慮して開発された、高出力機関装備の両運転台式気動車がキハ150形です。1995年までに27両が富士重工業で製造され、旭川運転所・苗穂運転所・苫小牧運転所の各所に配置され、地域輸送に使用されています。

駆動機関はコマツ製の過給器・吸気冷却器付の直噴式ディーゼル機関N-KDMF15HZ形(SA6D140-H・定格出力450ps/2000rpm・最大トルク173kgm/1400rpm 水平直列6気筒・総排気量15240cc)を1基装備します。450psの定格出力はキハ40形 (DMF15HSA・220ps) の2倍強、2台機関搭載のキハ56形 (DMH17H・180ps×2) をも上回ります。液体変速機は湿式多板クラッチによる変速1段・直結2段式のN-DW14C形で、コンバータブレーキの機能をもち、下り勾配での抑速装置として機関本体の機関ブレーキと併用できます。

台車は空気バネ付のボルスタレス台車 N-DT150形(動台車)/N-TR150形(付随台車)で、牽引力確保のため2軸駆動としています。軸箱支持機構は積層ゴムを用い、車輪踏面片押し式の基礎ブレーキ装置を備える。空気ブレーキはキハ40形などと共通の3圧式制御弁をもつCLE方式(応荷重装置付電磁自動空気ブレーキ)です。

これらの駆動系改良により、最高速度110km/hでの走行が可能です。一方で、放熱器・燃料タンクなどの補機類にはバス用などの自動車用部品・汎用部品を用い、製造コスト削減を図っています。

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札沼線で活躍するキハ150形12編成 2002/8/25 札幌

以上、Wikipediaの記事を参考に纏めました。

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2013年4月14日 (日)

1974,1975 北海道へ 8 一般形気動車 キハ22 

昨日に続き、北海道の気動車シリーズですが、今回は急行型が登場する以前から各停・準急などの運用に活躍していた一般形気動車です。

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バス窓スタイルなのでキハ12形かと思いましたが、番号が59と書かれているのでキハ22形の初期タイプかと思います。 1975/10 池北線のどこかの駅 (2021/6/12追記:コメント欄の犬山いずみ様のメッセージにありますが、これはキハ21のようです。)

1975年の配置表データによると
キハ21 釧路 15 16 18 64 83
     深川 23
            苗穂 3 7 8 20 21 25 38 39 40 41 42 51 54 55 56 57 69 77 101 102 103
    苫小牧 6 9 19 24 29 30 31 32 33 34 43 44 53 59 60 61 62 71 73 74 75 76 78 81 82
    函館 1 2 4 5 10 11 12 13 14 17 22 27 28 36 37 45 79 80
    長万部 46 47 48 49 50 84
    一ノ関 65 66 67 68 70 72  に配置されていました。
84両が製造され、26、35、52、58、63は欠番ですが、52、58、63は新聞輸送のため、荷物車部分改造ロングシート化改造(1968年苗穂工場)され、101-103に26と35はキユニ21に改造(1969年旭川工場)されています。

<キハ10系に関して>

国鉄キハ10系気動車は、国鉄が液体式試作気動車として開発されたキハ44500形の実績を基に1953年に開発した気動車のグループで、1957年までに728両が製造され、日本全国で使用されました。

国鉄の量産形気動車としては初めて液体式変速機を実用化し、複数車両の総括制御を容易としたことで、日本におけるその後の気動車普及の途を開いた極めて重要な系列として位置づけられています。

車体は鋼板および鋼板プレス材により構成された軽量構造であり、車体重量を可能な限り軽量化するために車体断面を小さく設計されており、当時の電車や客車に比べても車体幅が小さく2,600mmとなっています。設計全般には、当時の車両火災などへの考慮から、難燃・不燃材料などが多く取り入れられています。

外観の最大の特徴は、正面貫通式運転台を採用したことです。運用にフレキシビリティを持たせるためで、以後の国鉄気動車は特急形も含めほとんどがこれを踏襲し、結果1両単位での自由な増解結が可能となり、車両運用上多大な利便性を有することになりました。

側面形状は車体両端にステップ付の客用ドアを配置し、客室側窓は1953年製のキハ44000形2次車と同様、上段をHゴム支持固定、下段を上昇式とした、いわゆる「バス窓」です。窓下には補強帯(ウインドウ・シル)を備えた古い形態を残します。車体中央部壁の面に排気管を立ち上げる屋上排気方式を標準としました。

機関・変速機・逆転機はDMH17B形ディーゼル機関(160PS/1,500rpm)にTC2液体変速機とDT19形台車を組み合わせています。変速機は後にDF115も用いられました。

エンジンと変速機は車体床下に吊り下げられた機関台枠に搭載されており、ここから取り出された動力は、プロペラシャフト(ユニバーサルジョイント)、ギアボックスと一体化の上で台車のトランサム(横梁)に2本の平行リンクで結合して支持される、ベベルギアと平ギアによる逆転機、およびこれと一体化された平ギアによる最終減速機を経て、台車の車体中央寄り1軸を駆動する構造でした。

キハ17形(キハ45000形)

キハ17形は、便所付き片運転台車で、1953年から1957年にかけて402両が製造された本系列の基幹形式であり、日本初の本格的量産型液体式気動車でした。

初期車は全座席がボックス式クロスシートでしたが、1954年製の206以降は、乗客の乗降の円滑化を図るため、客用扉付近のクロスシートがロングシートに変更されるとともに、シートの背ずりが高く改良されました。また、1956年製の321 - については、車体強度の向上が図られた関係で、トイレの窓がHゴムによる固定式となり、トイレおよび水タンク室の補強帯(シル・ヘッダー)が省略され、客室幅が12mm広げられました。客室の拡幅に関する設計変更は、同時期に製造されていた他形式でも行われています。

形式間改造については、11両がキユニ17形に、5両がキニ17形に改造されました。老朽廃車については1973年から始まり、1981年までに全車が除籍されました。

キハ16形(キハ45500形)

キハ16形は、便所なし片運転台車で、1954年から翌年にかけて99両が製造されました。日本各地に配置・運用されました。車内は全車がキハ17 206 - と同様の、客用扉付近にロングシートを配した背ずりの高いタイプとなっています。定員は106名(座席82人、立席24人)です。

形式間改造については、8両がキハユニ18形に改造され、そのうち6両がキユニ18形に再改造されています。廃車は1974年から始まり、1980年までに全車が除籍されました。

キハ12形(キハ48200形)

キハ12形は、酷寒地向けの便所付き両運転台車で、1956年に22両が製造され、全車が北海道内で使用されました。キハ11形100番台との相違は、側窓が二重構造となったことです。当初は、デッキ部の仕切り壁は設置されませんでしたが、後年の改造により設置されました。定員は、基本的な車体構造が同じキハ11形と同一です。

老朽廃車は1976年から始まり、1980年までに全車が除籍されました。形式間改造車および譲渡車は存在しません。

 

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キハ22-136 1974/7 深川にて

<キハ20系について>

キハ10系気動車は当時の一般的な20m級客車と比較して車体断面が小さいために居住性が犠牲となっており、乗り心地の点でも問題がありました。

それは当時のDMH17形エンジンでは車体サイズを小さくしたり、乗り心地を犠牲にした軽量化に務めても出力が足りなかったからです。

1955年ナハ10形軽量客車の完成で状況は一変し、スイス国鉄流の準モノコック構造車体と、プレス鋼板による溶接組立台車の導入により、十分な強度を維持したまま、従来比3/4程度の大幅な軽量化が可能となり、これにより、非力な既存エンジンのままでも大型車体を備える気動車の製造に目処が立ちました。

こうして、10系客車の設計ノウハウを有効活用する形で、翌1956年に大断面車体を備える20m級気動車の第1陣として、準急形気動車であるキハ55形(当時はキハ44800形)が製造され、ここに初めて電車・客車と同等の車体(車内設備)を備える気動車が実現しました。

その後、キハ55形の成功を受ける形で、普通列車に用いる一般形気動車についても大型車体へ移行することが決定され、同形式に準じた設計で新たに開発されたのがキハ20系です。

 

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キハ22-19 留萌にて 1974/7 羽幌線の列車として留萌で出発待ちをしている様子

キハ22形

酷寒地向けの耐寒仕様車として1958年から製造開始され、北海道および東北地方に配置されました。製造会社はキハ21形の帝車と新潟に加え、富士重工業と日本車輌製造が加わっています。

乗降口を車体両端へ配置して、客室との仕切り扉を備えたデッキ付きとし、側窓を小型の一段上昇式二重窓として保温性を高めています。暖房装置はエンジン冷却水利用の温水暖房として強化し、かつ放熱フィンを大型化して効率を良くしました。床は雪が融けて濡れた時の滑りにくさや、雪靴・雪下駄の滑り止め金具(スパイクなど)への対策から木張りとされ、さらに断熱材の厚さを増したため、暖地向けの標準車に比べ、レール面基準で50mm高くなりました。そのため、客室窓、乗務員用扉、運転台窓、貫通路扉(幌枠高さは標準車と同じ)、尾灯の位置もキハユニ25 7を除くキハ20系他車よりも高くなりました。また、警笛は前照灯脇から、温水管の取り回しが楽な乗務員室床上(助手席足元)に変更されました。

室内色も暖色系の薄茶色4号とされ、車端部がロングシートであること、窓側に肘掛けがないことを除けば、準急形のキハ55系に遜色ない水準であり、急行列車にも用いられました。

 

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この車輌はいまだに正体不明なんですが、羽幌線内ですれ違った対向列車でキハ55だったのかも知れません 1974/7

(2021/6/12 追記:こちらも犬山いずみさまのコメントからキハ55 5だそうです。)
1956年製の1次車(1~5)で登場当初はキハ44800~キハ44804と付番されていましたが1957年4月の気動車称号改正でキハ55 1~5に改められました。下の配置表では高知、鹿児島、郡山、苗穂に残存していました。バス窓といわれるスタンディングウインドウの側窓(1次から3次車~46まで)で正面窓が小型であり、雨樋縦管が露出していることが識別点となっています。

1975年当時のキハ55形の配置は

苗穂 5 10 24 164 222
一ノ関 181 227
盛岡 16 17 20 130 131 132 160 197 198 199 239
山形 11 15 18 21 28 37 46 112 118 135 140 147 148 149 217 252
郡山 3 101 103 104 110 133 145 146 208 209 210 212 260
小牛田 113 188 232 233 234
新潟 204 215 230 231 240 241 242 243 244 245 246 247 267
水戸 19 27
中込 163 167 182 185
長野 12 13 25 156 157 159 161 165 166 187
名古屋 179 201 228 229
美濃太田 107 108 136 143 144 150
富山第一 105 120 126 152 153 155 172 184 186 202 213 214 221
七尾 111 151 154 183 205 206 207
亀山 109 218 223 248 250 257 259
豊岡 256
鳥取 253
米子 224 225 249 263
浜田 251 255
岡山 7 102 106 180 203 211 254 258 261 262
松山 237 238
高知 2 226 235 264 265 266 268 269 270
広島 191 236
長崎 119 123 124 193 200
竹下 171 196
直方 6 9 22 23 26 29 35 36 38 40 41 43 127 128 129 194 195
大分 33 125 142 168 169 170 178 189 192
熊本 8 32 34 39 42 45 114 115 116 117 121 122 137 138 139 158 162 173 174 220
鹿児島 4 30 31 44 175 219

床下機器のカバーリングや冷却水による保温をはじめ、補器類に至るまで徹底した耐寒・耐雪措備が施され、北海道の酷寒地での実用上も十分な能力が確保されました。

1960年代から1970年代に北海道のローカル列車の多くは本形式が投入されていました。また、循環急行「いぶり」、函館本線の「らいでん」、「せたな」や羽幌線の「はぼろ」など道内のローカル急行にも数多く使用され、これらは「遜色急行」として鉄道ファンに注目されたそうです。

 

22_7510
防寒の徹底した二重窓が特徴的だったキハ22 1975/10 札幌

22_910820

 

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白石駅で撮影した首都圏色のキハ22形2連 1991/8/20

以上、Wikipediaの記事を参考に纏めました。

 

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2013年4月13日 (土)

1974,1975 北海道へ 8 急行型気動車 キハ56 キハ27

1974年、75年の大学化学部の北海道実験旅行は乗車券は北海道周遊券でしたから、急行列車乗り放題でした。したがって当時、北海道の各地を走り回っていたキハ56、キハ27形気動車には大変お世話になりました。

当時、あまりに当たり前すぎて写真をあまり撮っていないのが今となっては悔やまれるところですが、今回はその急行型をご紹介しようと思います。

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1975/10 札幌駅で出会ったキハ56形 急行「大雪」 先頭車は後述の200番台です。

この写真は2013年3月8日の1974,1975 北海道へ 2 北の大地のDC特急 4 「北海」 の記事でご紹介した急行「大雪」の写真ですが、よく見ると左端にはキハ80系、右端には札沼線の気動車でしょうかキハ12形?が写っています。

まずキハ56系についてですが、私もこのblogで気動車の形式について○○系といった記述をしていますが、電車で言う系列を意味する○○系とは意味がちがって、あくまでも同一の設計思想により製造された気動車を便宜的に総称したものであり、具体的にはキロ26形・キハ27形・キハ56形の3形式およびこれらの改造車を指して言っています。

これらの形式が設計、製作された経緯は、1950年代初頭、北海道の主要幹線に運転される急行列車は、すべて蒸気機関車が牽引する客車列車で、一般に速度が低く、また北海道向けの車両は、特殊な耐寒耐雪設備を要することもあって潤沢には製造されない傾向がありました。したがって道内の車両数は常に不足しており、特に幹線の輸送力は逼迫していました。

そういった状況において北海道で最初の気動車優等列車は、1957年6月に釧網本線の釧路 - 川湯(現・川湯温泉)間に臨時列車として運転開始した準急「摩周」が最初で、普通列車用のキハ12形を用いたものでした。以後1960年頃までに、札幌地区を中心とした気動車準急網が整備されましたが、使用された車両はいずれも普通列車用のキハ12形キハ21形・キハ22形のみでした。

1956年から製造された準急形気動車キハ55系は、日本全国に準急列車のネットワークを構築する成果を上げ一部は急行列車にも充当されました。北海道でも本州からの借り入れの形で準急「アカシヤ」に充当されましたが、キハ55系は元々暖地向けの設計であるため耐寒耐雪対策が施されておらず、冬季を前にして本来の所属基地に返却する措置が取られました。

この実績に基づいて、再び本州から借り入れたキハ55系を投入し、1960年7月1日から北海道初の気動車急行列車「すずらん」が、函館 - 札幌間に運転を開始しました。全車指定席のこの列車は、函館 - 札幌間を室蘭本線・千歳線経由で函館本線小樽経由の客車急行列車に比べて30分のスピードアップとなる5時間で走破しました。もっとも55系の耐寒問題自体は解決しておらず、55系はこのシーズンの冬期には再び本州に返却され、代わって普通列車用のキハ22形で長編成を組んで「すずらん」に充当しています。「すずらん」の成功は、道内でも長距離列車における気動車の有効性を強く認知させました。

キハ55系を主体に運行が広まった準急気動車列車は、1950年代後半、快適な居住性と高速性が高く評価され、全国各地で成功を収めたことから、急行列車についても気動車化を促進する気運が高まりました。しかし、キハ55系は元々準急用であり急行用としては設備グレードがやや低いことから、1ランク上の設備を備えた急行形気動車が計画されました。これがのちのキハ58系です。

この計画の中には北海道用の耐寒耐雪形も含まれており、特に輸送事情の逼迫した北海道向けに、暖地向けのキハ58系を差し置いていち早く開発が進められることになりました。こうして1961年初頭に登場したのがキハ56系です。

広幅車体や高運転台構造、接客設備等、多くのスペックは後から登場したキハ58系と同じですが、北海道の酷寒地で運用される条件から、先行して北海道用に開発されたキハ22形気動車に倣い、さまざまな耐寒耐雪装備が施されています。

外観上の特徴として、小型の客室窓が挙げられます。本州並みに大型の窓を採用すると保温性に難があるため、2等車の窓はキハ58系より上下寸法が100mm小さくなっています。それまでの北海道用車両と同様、二重窓ですが、内窓には初めてFRP製の窓枠を採用しています。1等車のキロ26形も連続窓ではなく、独立した小窓を用いているのは同様の理由です。

保温には二重窓以外にも配慮がなされ、暖房はキハ22形に倣ったエンジン冷却水利用の温水暖房としました。キハ58系でも採用された方式ですが、キハ58系では床下のラジエーターと客室の放熱器が直列につながれているのに対し、キハ22形や本系列の場合はラジエーターと客室放熱器を並列配管とし、より強力な暖房能力を確保しています。ラジエーターにはシャッターを備え、過冷を防いでいます。床板の表面材にはリノリウムや鋼板などを使わず、木張りとしました。より保温性に優れるほか、当時の冬期の北海道では雪靴・雪下駄に滑り止めの金具を付けて列車に乗る乗客が多く、木張り以外では耐久性に難があったという事情もあります。また、ドアレールや汽笛など、随所にエンジン冷却水を引き回す温水管や電熱ヒーターを装備し、凍結を防止しています。冬季用のエンジン防雪カバーも用意されています。

1961年3月に製造されたキハ56 1 - 5・キハ27 1 - 12・キロ26 1 - 5については、その後の量産車とは主に以下のような差異が見られます。

車体断面形状が異なり裾絞りが直線的
先頭車の前照灯・前面通風口をやや内側に設置
乗務員室扉と前位出入口の間に取り付けられている握り棒が長い
キハ56・キハ27の連結面に窓がない

56_7508_2
1975/8/5 登別にて 線区から想像するところ急行「すずらん」「ちとせ」もしくは「いぶり」でしょうか

キハ56形

本系列の基本形式である2エンジン装備の2等車。1961年から1968年までに合計121両製造されました。キハ58系におけるキハ58形に相当します。

国鉄気動車を製造するメーカーは多数存在したにもかかわらず、210 - 214のみ富士重工業が製造した以外は、すべて新潟鐵工所が製造を担当しました。

0番台(1 - 47)

1961年から1962年にかけて製造された初期形。

100番台(101 - 151)

1963年から1967年にかけて製造されたグループ。長大編成対応の改良がされており、キハ58形400番台に相当します。

200番台(201 - 214)

1968年に製造された最終増備グループ。キハ58形1100・1500番台に相当する番台区分で車体断面の変更を含む改良が行われました。AU13形分散式冷房装置7基をボルトオンで簡単に搭載できる構造の冷房準備工事が施工されており、客室屋根上のベンチレーターがなく屋根部の形状も従来よりフラットで高さも抑えめに外観の印象は大きく変化しています。また前面窓はパノラミックウインドウとなり、運転台下部にも排障器(スカート)を採用しました。しかし夏が短く猛暑日も少ない気候事情も考慮し、道内気動車急行の普通車への冷房搭載は見送られたことから冷房搭載改造はありません。

1986年に201・209・212が「アルファコンチネンタルエクスプレス」へ改造されました。
この改造とは別に後に213が、外板塗色の変更・冷房電源・制御回路のジャンパ連結器追加改造を施工され、「アルファコンチネンタルエクスプレス」の増結車となりました。しかし車内がボックス式クロスシートで非冷房のためにサービス格差問題が露呈。実際に増結車として使用される機会は少なく、後に従来の急行色に戻され冷房関係引き通しも撤去されました。

56_7508
前面に212とありますが、もしこれがキハ56形ならば、アルファーコンチネンタルエクスプレスに改造される前のキハ56-212だったのですね。 1975/8/5 登別

キハ27形

キハ56形と同型の1エンジン装備の2等車。キハ58系におけるキハ28形に相当します。1961年から1968年にかけ、合計102両製造されました。

0番台(1 - 56)

1961年から1962年にかけて製造。キハ28形0番台に相当します。

100番台(101 - 129)

1963年から1967年にかけて製造。キハ56形100番台同様の長大編成対応車でキハ28形300番台に相当します。

日本車輌製造製の125 - 129は手違いから、窓周りの赤11号の帯幅がキハ58と同寸(天地方向に太い)で落成しており、その後も全検時の再塗装でも修正されていませんでした。

1973年に3両がお座敷車キロ29形に改造されました。

200番台(201 - 217)

1968年に製造。キハ56形200番台同様の前面パノラミックウインドウの冷房準備仕様車でキハ28形500(2500)・1000(3000)番台に相当します。

キロ26形

本系列唯一の新製1等車で、1961年から1968年にかけて28両が製造されました。キハ58系におけるキロ28形に相当します。

本州以南用の急行形電車・気動車の一等車とは違い、2連窓ではなく、座席1列ごとに独立した一段上昇窓が1枚ずつ並んでいます。車内はキロ28形と同様のリクライニングシートで、定員もキロ28形と同じく52人です。

0番台(1 - 18)

1961年から1962年にかけて製造。キロ28形0番台に相当します。当初は非冷房でしたが、1964年から1968年にかけてAU13形分散式冷房装置6基と自車給電用の4DQ-11P冷房用発電装置を搭載して冷房化されました。

1985年3月14日のダイヤ改正で北海道内の気動車急行列車のグリーン車が全廃されたことで用途がなくなり、国鉄時代の1986年までに廃車されました。

100番台(101 - 107)

1963年から1966年にかけて製造。キロ28形100番台に相当します。101 - 103は1 - と同仕様で非冷房、104 - 107は強制通風装置付で冷房準備仕様。いずれも1968年までに冷房化されています。

0番台同様、道内の気動車急行のグリーン車廃止により用途がなくなり、国鉄時代の1987年までに廃車されました。

200番台(201 - 203)

1968年に製造。当初から冷房付。キロ28形300・500番台と同時期の製造ですが、キロ28形のような車体断面形状の変更やトイレ・洗面所位置の変更はされていません。

道内気動車急行のグリーン車廃止により203は民営化前に廃車されましたが、残存した2両は「アルファコンチネンタルエクスプレス」用改造種車となりJR北海道に承継された。
201:キハ29 1に改造。
202:増結車として整備改造が施工されたが1988年に廃車。

1980年代以降、赤字ローカル路線の廃止や急行列車廃止による余剰老朽化で廃車が進行し、2002年までに全車が運用を離脱、形式消滅となりました。2013年4月8日のDD51の記事でちらっと触れましたが、五稜郭車両所にキハ56形3両が長らく保管されていましたがそれも一部を残して解体されてしまいました。

<アルファーコンチネンタルエクスプレスについて>

国鉄末期の1985年から1986年にかけ、国鉄苗穂工場(当時)で改造されました。

1987年の国鉄分割民営化後から1990年代にかけて、バブル景気に伴う旅客需要増加という背景とともに日本各地で改造・新造取り混ぜて多数登場した気動車をベースとしたジョイフルトレインの先駆けといえる存在で、その前頭形状はデザインのみならず強度面などの構造的な完成度も高く、その後は苗穂工場が金沢鉄道管理局(現・西日本旅客鉄道(JR西日本)金沢支社)によるキハ65形ベースの「ゆぅトピア」「ゴールデンエクスプレスアストル・新潟鉄道管理局(現・東日本旅客鉄道(JR東日本)新潟支社)によるキハ58系改造車「サロンエクスプレスアルカディア」(現・「Kenji」)などの改造に協力している。

車両愛称の「アルファコンチネンタルエクスプレス」とは、改造に関わったホテルアルファトマム(アルファリゾート・トマム)と狩勝コンチネンタルホテル(サホロリゾート)の2つのホテル名から得たものです。

910820

1980年代、急行列車の衰退でキハ56系気動車は大量の余剰車を出しており、一方で石勝線沿線には当時のスキーブームを背景にトマム(勇払郡占冠村)・サホロ(上川郡新得町)に大型リゾートホテルが作られました。道路事情の不便さもあり、両リゾートへのアクセスは千歳空港からのスキー客輸送を石勝線に頼っていましたが、国鉄の運行する臨時列車は旧態化したキハ56系が主力で、「リゾート」の雰囲気とはほど遠くホテル・利用客の双方から不満がありました。

そこでホテル側が宿泊客向けに列車を借り切り、営業収入を保証するという、国鉄にとっては有利な条件を提示して、新たな特別車両の開発を申し入れました。これは国鉄にとっても前代未聞のケースで、従来の国鉄の体質では受け容れ難い企画提案でありましたが、民営化を前にした増収政策への方針転換もあり、国鉄とホテルの提携(タイアップ)によってリゾート列車用の特別車の開発が行われることになリました。

<改造に関して>

キハ59 1・2

運転台寄り1/4の車体を切断して、新たに本来の床面から最大600mm高められたハイデッカー構造の構体を新製し接合しました。運転台を低位置に配置し、前面展望を可能とした前頭部は大きく傾斜した前面窓を採用。前照灯は屋根上と窓下(尾灯と並列)に配置しました。また、この部分はハイデッカー部直後に置かれたAU76形集中式冷房装置で冷房化され、暖房も電気暖房としました。

落成時には非装着であった大型の連結器カバーは、「フラノエクスプレス」登場後に装着されました。

キハ29 1

元グリーン車のため冷房車であり、自車用冷房電源エンジンを搭載していましたが、「アルコン」では編成全体が冷房車であり隣接するキハ59形にも冷房電源を供給する必要が生じた。そのため、電源エンジンは自車専用の4DQ-11Pを取り外し3両に給電可能な4VK形冷房電源装置に換装しています。

キハ59 101

「アルコン」は運行開始後利用客が増えたため、緊急対策としてキロ26 202を塗装のみ「アルコン」塗装に変更して増結に用いました。しかし、車内は旧来の内装のままであり「リゾート列車」らしからぬ設備に乗客からは不評であり、同一サービスの提供という観点から正式な増備車が必要と判断されたため、1986年に苗穂工場でキハ56 212から改造されました。

旅客設備は従来の「アルコン」各車を踏襲し、運転台は撤去のうえ切妻に整形され完全な中間車となりました。また、編成出力確保の見地もあり2エンジン車のキハ56形からの改造となりましたが、以下の問題点が発生しました。
キハ29 1搭載の4VK電源装置は供給量が3両分で4両目となる当車までカバーできない。
2エンジン車は床下が走行用エンジンで埋まって冷房用電源装置を積むスペースが得られない。

このため苦肉の策として床上にエンジン室を設け、キロ26形廃車発生品の4DQ-11P冷房電源装置を搭載する自車給電方式を採用しました。また、既存の前後各車相互の冷暖房電源供給用に別途電源引き通し線を設置しています。

910820_2_2

アルファーコンチネンタルエクスプレスには1991/8/20に苗穂で偶然撮影していました。

「アルコン」が好評を持って受け入れられたことから、JR北海道では続けて特急形車両のキハ80系を改造、そしてのちにはキハ183系に属する完全新造車という形態で多数のリゾート気動車が製造されるに至りました。

人気列車であった「アルコン」ですが、後続の新型車が登場してくると以下の問題点が浮き彫りになってきました。
急行形気動車からの改造車であり、最高速度が95km/hに制限されたために高速化する特急主流のダイヤに適応しにくい。
種車の金属バネ台車を流用したため空気バネ台車が標準である特急形車両に比して乗り心地が劣る。
改造後は10年近く、新製からも30年近く経過していたために老朽化が進行した。

このため1995年に「引退イベント」を実施し廃車となりました。

しばしばお世話になっているこちらのサイトの情報では1974年夏のダイヤでは北海道全体で31種類の急行が走っていたようですが、それらも遠い昔の記憶になろうとしています。

今回もWikipediaの記事を参考に纏めました。

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2013年4月12日 (金)

1974,1975 北海道へ 7 DD51の活躍 その7

函館のDD51、今回は1138、1140、1141、1143の4機を紹介して、「青いDD51」シリーズを終わらせようと思います。

まず1138号機です。

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1138号機他牽引の特急「北斗星」の上野幌通過シーンです。 2008/3/21

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南千歳での1138号機のサイドショットです。 2008/3/23

」の札とともに「」の札が示されています。この重は重連の意味ですが、Wikipediaの記述にもあるように、

北海道地区に配置された500番台は半重連形と全重連形とを区別するため、区名札の隣に「半」「重」の識別札を挿入していた。2011年現在では北海道旅客鉄道(JR北海道)函館運輸所所属の重連形に「函」「重」の札が残るのみだが、国鉄時代は「築」「重」(小樽築港機関区)、「五」「重」(五稜郭機関区)、「釧」「半」(釧路機関区、半重連形)、「釧」「重」、「旭」「非」(旭川機関区、非重連形)などの組み合わせが存在した。

とのことです。

1138号機の履歴です。

日立製作所水戸工場=20700-4        1975-05-22 D84.0tB2B(1067)
車歴;1975-05-22 製造→ 納入;国鉄;DD511138→ 配属;札幌局→
配置;小樽築港→1986-11-01 岩見沢二→1987-04-01JR 北海道;DD511138→
配置;空知→1994-11-01 函館運転所→2003-04-01
現在;函館運輸所→2007-04-01 現在;函館運輸所→2008-04-01 現在;函館運輸所

続いて1140号機です。

Dd51_1140_030928_2
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昨日の記事で札幌駅付近で配給列車仕業に活躍する姿を紹介しましたが、五稜郭でも貨物列車で回送される姿を撮影していました。 2003/9/28

Dd51_1140_cassiopea_080322_2
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1140号機他牽引の特急「カシオペア」の上野幌接近通過のシーンです。2008/3/22

1140号機の履歴です。

日立製作所水戸工場=20710-3        1975-06-20 D84.0tB2B(1067)
車歴;1975-06-20 製造→ 納入;国鉄;DD511140→ 配属;札幌局→ 配置;小樽築港→
      1986-11-01 岩見沢二→1987-04-01JR 北海道;DD511140;空知→
      1994-11-01 函館運転所→2003-04-01 現在;函館運輸所→
      2007-04-01 現在;函館運輸所→2008-04-01 現在;函館運輸所

続いて1141号機です。

Dd51_1141_100624
南千歳に到着する特急「北斗星」 2010/6/24
Dd51_1141_exp_020827_2
Dd51_1141_020827_2
トワイライトエクスプレスの札幌到着のシーンです。 2002/8/27

1141号機の履歴です。

日立製作所水戸工場=20710-4        1975-06-24 D84.0tB2B(1067)
車歴;1975-06-24 製造→ 納入;国鉄;DD511141→ 配属;札幌局→ 配置;岩見沢二→
      1975-12-01 小樽築港→1986-11-01 岩見沢二→
1987-04-01JR 北海道;DD511141→配置;空知→1994-11-01 函館運転所→2003-04-01 現在;函館運輸所→2007-04-01 現在;函館運輸所→2008-04-01 現在;函館運輸所

最後は1143号機です。

Dd51_1143_020827
Dd51_1143_020827_2_2
Dd51_11431005_020827
カシオペアの札幌到着、そして札幌運転所への回送シーンです。 2002/8/27

1143号機の履歴です。

日立製作所水戸工場=20720-1        1975-07-04 D84.0tB2B(1067)
車歴;1975-07-04 製造→ 納入;国鉄;DD511143→ 配属;札幌局→
配置;岩見沢二→1975-12-01 小樽築港→186-11-01 岩見沢二→
1987-04-01JR 北海道;DD511143→配属;札幌局→ 配置;空知→1994-11-01 函館運転所→2003-04-01 現在;函館運輸所→2007-04-01 現在;函館運輸所→2008-04-01 現在;函館運輸所

再び、Wikipediaの記事によれば、

DD51による20系・14系・24系客車編成の寝台特急列車(ブルートレイン)牽引は、1965年春の「はくつる」盛岡駅以北の前補機仕業を皮切りに40余年間継続しており、1形式では最長期間記録を保持している。

とのことです。

北海道新幹線の函館開業が2015年、その後の札幌延伸もまだまだ先かとは思いますが、果たしてDD51がリタイアする方が先なのか、あるいは列車が廃止される方が先なのか、九州における超豪華特急「クルーズトレインななつ星」もまもなくデビューしますが、北海道におけるDD51重連牽引列車の将来が気になる今日この頃であります。

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2013年4月11日 (木)

1974,1975 北海道へ 7 DD51の活躍 その6

本州と北海道を結ぶ特急、急行列車の牽引に活躍する函館運輸車両所所属の「青い」DD51、今回は1095, 1100, 1102, 1137の4機です。

まずは1095号機です。

Dd51_1095_020827
特急「北斗星」を牽引して南千歳に到着した1095号機他の重連です。 2002/8/27

南千歳駅は新千歳空港の連絡のみならず、石勝線方面の分岐駅でもあるので、その方面の連絡も兼ねて北斗星はこの駅に停車しているのですね。

1095号機の履歴です。

日立製作所水戸工場=20640-4        1975-01-30 D84.0tB2B(1067)
車歴;1975-01-30 製造→ 納入;国鉄;DD511095→ 配属;
旭川局→1975-01-28 配置;旭川→1975-01-30 竣工→
1987-04-01JR 北海道;DD511095→ 配置;旭川機関区→1990-07-01 空知運転所→1994-11-01 函館運輸所→2003-04-01 現在;函館運輸所→2007-04-01 現在;函館運輸所→2008-04-01 現在;函館運輸所

続いて1100号機です。

Dd51_1100_100626
こちらも特急「北斗星」の新千歳到着のシーンですが、私が撮影しているのは今のところこの写真のみでした。 2010/6/26

今でも憶えていますが、この日は特急「北斗星」が遅延して、南千歳到着も12:32頃でした。本来,10:41の着発ですから、払い戻しの2時間遅れを考えると札幌着はどうなっていたか・・・。

1100号機の履歴です。

日立製作所水戸工場=20650-3        1975-02-27 D84.0tB2B(1067)
車歴;1975-02-27 製造→ 納入;国鉄;DD511100→ 配属;札幌局→
配置;小樽築港→1975-10-01 岩見沢二→
1987-04-01JR 北海道;DD511100→ 配置;空知→1994-11-01 函館運輸所→
2003-04-01 現在;函館運輸所→2007-04-01 現在;函館運輸所→2008-04-01 現在;函館運輸所

続いて、1102号機です。

上野幌でトワイライトエクスプレスの接近を写していました。

Dd51_1102_twilight_express_080323_0
Dd51_1102_twilight_express_080322_3
まさにこの駅は素晴らしい撮影ポイントですね。 2008/3/22

Dd51_1102_100626
一方、こちらは札幌を目指す下り列車です。 北広島 2010/6/26

長大編成の客車が順光で全体写せるポイントは貴重ですね。

1102号機の履歴です。

日立製作所水戸工場=20650-5        1975-03-07 D84.0tB2B(1067)
車歴;1975-03-07 製造→ 納入;国鉄;DD511102→ 配属;札幌局→
配置;小樽築港→1975-09-17 岩見沢二→
1987-04-01JR 北海道;DD511102→ 配置;空知→1994-11-01 函館運輸所→2003-04-01 現在;函館運輸所→2007-04-01 現在;函館運輸所→2008-04-01 現在;函館運輸所

今回の最後は1137号機です。

函館のDD51はWikipediaによれば

寝台特急運用の間合いとして札幌運転所・函館運転所 - 苗穂工場間の電車・気動車回送及び構内入換にも使用されている

とのことで、

Dd51_1137_020825
札幌駅を単機で通過する姿も撮影しております。 2002/8/25

080321_2
同じような仕業でキハ261系を牽引する姿も撮影していました。 2008/3/21 機番は不明ですが。

Dd51_1137_100626_2
さらに、北広島で特急「カシオペア」を牽引して札幌に向かう姿も撮影していました。 2010/6/26

1137号機の履歴です。

日立製作所水戸工場=20700-3        1975-05-20 D84.0tB2B(1067)
車歴;1975-05-20 製造→ 納入;国鉄;DD511137→ 配属;札幌局→ 配置;小樽築港→
      1986-11-01 岩見沢二→1987-04-01JR 北海道;DD511137→ 配置;空知→
      1994-11-01 函館運転所→2003-04-01 現在;函館運輸所→
      2007-04-01 現在;函館運輸所→2008-04-01 現在;函館運輸所

履歴データは沖田祐作氏の著作による機関車表からの引用しました。

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2013年4月10日 (水)

1974,1975 北海道へ 7 DD51の活躍 その5

今回はJR北海道・函館運輸車輌所に所属し、「北斗星」、「カシオペア」、「トワイライトエクスプレス」、「はまなす」などの牽引にあたっている青塗装(通称:北斗星塗装)のDD51について紹介致します。

現在はこちらのサイトの情報によると13両(1054 1083 1093 1095 1100 1102 1137 1138 1140 1141 1142 1143 1148 )の配置のようです。

私がこれまで撮影している機を若番から順を追って紹介して参ります。

まず1006号機です。

Dd51_1006_020825
Dd51_1006_020825_2_2
特急「カシオペア」の札幌駅到着のシーンです。 2002/8/25

特急「カシオペア」は1999年7月16日から運行開始されたJR東日本のフラッグシップトレインで、全客室を2名用A寝台個室とするなど、1988年に運行開始された特急「北斗星」よりさらに高水準のサービスを提供する列車としてE26系が投入されています。

客車のE26系が1編成しかないため、原則として下りの上野発は火・金・日曜日、上りの札幌発は月・水・土曜日のみ運行される臨時列車です。ただし、ゴールデンウィークや夏季、年末年始の繁忙期には、曜日に関わらず2日に1本の運行形態を採っています。また、毎年10月下旬から12月上旬にかけては車両の点検・整備のため運休となっています。

列車番号は臨時列車のため8000番台が使用され、下りが8009、上りが8010です。
運転最高速度 上野駅 - 青森駅、新中小国信号場 - 木古内駅:110km/h
青森駅 - 新中小国信号場、木古内駅 - 函館駅:100km/h
函館駅 - 札幌駅:95km/h となっています。

1006号機の履歴です。

三菱重工業三原工場=1893          1972-11-21 D84.0tB2B(1067)
車歴;1972-11-21 製造→ 納入;国鉄;DD511006→
配属;青函局→ 配置;五稜郭→ 長万部→1980-10-01 五稜郭→
1986-11-01 岩見沢二→1987-04-01JR 北海道;DD511006→
配置;空知運転所→1994-11-01 函館運転所→ 改称;函館運輸所→
2003-04-01 現在;函館運輸所→2007-04-00 現在;函館運輸所→
2008-04-01 現在;函館運輸所(保留車) 既に廃車?

Dd51_1006_twilight_express_080323
北広島を通過する特急「トワイライトエクスプレス」を牽引する1006号機他の重連です。2008/3/23

特急「トワイライトエクスプレス」は1989年7月21日に団体専用として運転を開始した列車で当初はツアー客のみでしたが、同年12月に臨時列車となり、一般にも販売されるようになりました。下り大阪発札幌行きは1,495.7kmを約22時間かけて、上り札幌発大阪行きは1,508.5kmを約22時間50分かけて運行し、JR西日本・JR東日本・JR北海道のJR旅客3社にまたがる日本一の長距離旅客列車となっています。上り下りで走行距離が違うのは函館本線森駅 - 大沼駅間で上り列車は勾配の緩い支線(砂原線)を経由するためです。なお、かつて急行「桜島・高千穂」の時代にあったように長時間かけて走る列車では同じ列車同志のすれ違いが2度あったりしますが、この列車の場合も現行ダイヤでは奥羽本線大久保駅と東海道本線(JR京都線)西大路駅 - 京都駅間の2か所で見られるそうです。

続いて1054号機です。

Dd51_1054_020827_2
札幌駅で731系と並び、出発待機する1054号機他重連牽引の特急「北斗星」

1970年代の札幌駅を思い出すと、ここから上野行きの直通列車が出ていること自身、いまだに信じがたい気分です。

1054号機の履歴です。

日立製作所水戸工場=20500-3        1973-12-00 D84.0tB2B(1067)
車歴;1973-12-00 製造→ 納入;国鉄;DD511054→
配属;札幌局→ 配置;岩見沢二→1982-12-15 釧路→1987-04-01JR 北海道;DD511054→ 配置;釧路→1988-11-03 空知→
1994-10-24 函館運輸所→2003-04-01 現在;函館運輸所→
2007-04-00 現在;函館運輸所→2008-04-01 現在;函館運輸所

特急「北斗星」は青函トンネル(津軽海峡線)が開業した1988年3月13日に、初めて東京と北海道を乗り換え無しで直行する列車として運行を開始しました。 走行距離 1,214.7 km(このうちJR線 1,010.8 km)はJRグループが運行する定期旅客列車として最長距離であり、臨時列車も含めた全旅客列車においても「トワイライトエクスプレス」に次ぎ、同一経路で運行される「カシオペア」と同順位の2位です。

運行開始当初は1日3往復(うち1往復は臨時列車扱い)が運行されており、1989年には3往復全てが定期列車となりました。 しかし、1999年の「カシオペア」運行開始後は1往復が臨時列車に格下げされ2往復となった後、2008年3月以降は北海道新幹線建設工事の影響(青函トンネルを含む津軽海峡線区間での夜間工事時間帯確保のため])により、現在では毎日1往復のみの運行となっています。

今回の最後は1093号機です。

Dd51_1093_100626
2010/6/26 南千歳駅に進入する特急「北斗星」です。

Dd51_1093_080323_3_2
同じ列車の出発シーンです。青い塗装も相まって、DD51のスマートさが強調されているようにも感じます。

1093号機の履歴です。

日立製作所水戸工場=20640-2        1975-01-16 D84.0tB2B(1067)
車歴;1975-01-16 製造→ 納入;国鉄;DD511093→
配属;旭川局→ 配置;旭川→1987-04-01JR 北海道;DD511093→ 配置;旭川機関区→1989-07-01 空知運転所→1994-10-24 函館運輸所→2003-04-01 現在;函館運輸所→2007-04-01 現在;函館運輸所→2008-04-01 現在;函館運輸所

履歴データは沖田祐作氏の著作による機関車表からの引用しました。

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2013年4月 9日 (火)

1974,1975 北海道へ 7 DD51の活躍 その4

JR貨物所属のDD51,北海道での活躍、最後の4機は1155号機からの連番で、1158までです。

2013年版のJR貨物時刻表によれば1155号機以外の3機は現役のようです。

Dd51_1155_020827
南千歳で1155号機の牽引する専貨列車、札幌貨物ターミナル発11:47の5772レ(本輪西行き)ではないかと思います。

1155号機の履歴です。

三菱重工業三原工場=2031          1975-06-16 D84.0tB2B(1067)
車歴;1975-06-16 製造→ 納入;国鉄;DD511155→ 配属;札幌局→
配置;岩見沢二→1986-11-01 鷲別→
1987-04-01JR 貨物;DD511155→ 配置;鷲別機関区→2003 年機関更新→
2007-04-00 現在;鷲別機関区→2008-03-31 廃車;鷲別機関区

つづいて1156号機です。

Dd51_1156_100626
続いて、よく出てくる上野幌での撮影で2010/6/26の撮影です。

1156号機の履歴です。

三菱重工業三原工場=2032          1975-06-23 D84.0tB2B(1067)
車歴;1975-06-23 製造→ 納入;国鉄;DD511156→ 配属;札幌局→ 配置;岩見沢二→
      1986-11-01 鷲別→1987-04-01JR 貨物;DD511156→ 配置;鷲別機関区→
      2006-01-05 車両更新;苗穂工場→2007-04-01 現在;鷲別機関区→
      2008-04-01 現在;鷲別機関区

2010年の改正ダイヤでは鷲別機関区のDD51運用は14仕業まで減少していますが、朝の東室蘭操車場からの重連総括運用の8771レは健在でした。

Dd51_1157_100624
この写真は2010/6/24に南千歳で撮影したものですが、撮影時間から考えて5772レであると思います。

三菱重工業三原工場=2033          1975-06-30 D84.0tB2B(1067)
車歴;1975-06-30 製造→ 納入;国鉄;DD511157→ 配属;札幌局→
配置;岩見沢二→1986-11-01 鷲別→
1987-04-01JR 貨物;DD511157→ 配置;鷲別機関区→1997-07-15 五稜郭機関区? →2002-02-18 機関更新→2007-04-01
現在;鷲別機関区→2008-04-01 現在;鷲別機関区

Dd51_1158_080323
早朝、新札幌で捕らえた3077レだったと思います。 2008/3/23

三菱重工業三原工場=2034          1975-07-15 D84.0tB2B(1067)
車歴;1975-07-15 製造→ 納入;国鉄;DD511158→
配属;札幌局→1975-07-15 配置;岩見沢二→1986-11-01 鷲別→
1987-04-01JR 貨物;DD511158→ 配置;鷲別機関区→1996-04-00
現在;五稜郭機関区→1998-03-17 機関更新→1999-04-01 鷲別機関区→
      2007-04-01 現在;鷲別機関区→2008-04-01 現在;鷲別機関区

最後に、2013年ダイヤ改正のJR貨物時刻表に出ている2013年2月14日時点でのDD51の配置状況を載せます。

北海道:鷲別機関区 1047, 1056, 1073, 1086, 1089, 1146, 1150, 1152, 1156, 1157, 1158, 1162, 1165, 1184

愛知機関区 1028, 825, 847, 852, 853, 856, 857, 875, 889, 890, 891, 892, 893, 899, 1801, 1802, 1804, 1805

広島車両所 750, 756, 1027, 1147

Dd51_1156_100626_2
1156号機他の重連が牽引する専貨列車の後追い写真ですが、ここは絵になるポイントですね。

愛知機関区、関西本線四日市方面で活躍するDD51の写真もかなり撮っていますので、またの機会に紹介できればと思います。

履歴データは沖田祐作氏の著作による機関車表からの引用しました。

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2013年4月 8日 (月)

1974,1975 北海道へ 7 DD51の活躍 その3

北海道のDD51,現在はJR貨物鷲別機関区の14両と後日、紹介する予定のJR北海道函館運輸所の13両の配置となっているようです。

JR貨物の場合、2013年3月のダイヤ改正で仕業数は3になっています。それも仕業番号1は札幌タから北旭川までの臨時8085レ、仕業番号2は北旭川から北見往復(臨時8071レ~臨時8074レの重連の旭川より)、仕業番号3は同じ運用の反対側、そして札幌タまでの戻り(臨時8090レ).この列車は通年ではなく、8月から4月までの運行です。

このDD51によるタマネギ輸送の問題、近年はいろいろな問題を抱えているようです。

1)DD51の老朽化の問題、DF200では軸重が重すぎで入線が出来ないとのこと(線路規格的には軸重15tまで)
2)タマネギ輸送という季節性の高い輸送であり、一方で北見に輸送するものがあまりないため、一方通行の貨物輸送となっておりコスト高である点
3)石北本線は遠軽でスイッチバックする線形であり、さらに北旭川にも寄るために二度スイッチバックしなくてはならないこと。現在は貨車の前後に機関車を付けるプッシュプル方式ですが、DF200一両で牽引する場合は機関車の入れ換えを担当する要員が必要となること
4)トラック輸送に転換した場合も北見周辺では高速道路等の高規格道路が整備されていないこと

こちらのサイトに纏めてありました。

などでJR貨物としてはDD51の老朽化もあってトラック輸送に切り換えたいのかも知れませんが、一方で3月9日にはDF200が石北本線に入線したというニュースもありました。

今回は1145、1151、1152、1154の4両です。

Dd51_1145_030928
2003/9/28に五稜郭で撮影した1145号機です。背後には五稜郭車両所で保管されていたキハ56形-202,-204,-211の姿も見えます。この3両も2006年11月に-211を残して解体され、-204は前頭部のみが残されたとのことです。

10年前の2003年3月の改正ダイヤにおいて、鷲別機関区のDD51は48両在籍し、仕業はA1~A34と変A8(火曜日運用)で35ありました。五稜郭にもA7:3082レ~A8:4099レ、A19:4096レ~A20:3093レ、A21:3052レ~A22:4061レ、A26:3092レ~A27:3085レ、A29:4092レ~A30:入れ換え~A31:4097レなどで乗り入れておりました。そういった運用が今日はすべてDF200に取って代わられたようですね。

日立製作所水戸工場=20720-3        1975-07-15 D84.0tB2B(1067)
車歴;1975-07-15 製造→ 納入;国鉄;DD511145→
配属;札幌局→ 配置;岩見沢二→1986-11-01 鷲別→
1987-04-01JR 貨物;DD511145→ 配置;鷲別機関区→
2003-04-01 現在;鷲別機関区→2007-04-01 現在;鷲別機関区→
2008-04-01 現在;鷲別機関区 その後、廃車

Dd51_1151_080323
2008/3/23に上野幌で撮影した重連総括制御運用の8771レの写真です。東室蘭操車場から札幌タまでの早朝の運用でした。

2008年3月改正のダイヤではまだ22仕業持っており、五稜郭までの往復も3本ありました。

1151号機の履歴は

日立製作所水戸工場=20730-5        1975-08-29 D84.0tB2B(1067)
車歴;1975-08-29 製造→ 納入;国鉄;DD511151→
配属;札幌局→ 配置;岩見沢二→1985-03-15 鷲別→
1987-04-01JR 貨物;DD511151→ 配置;鷲別機関区→
1988-03-13 五稜郭機関区→ 鷲別機関区→1994-12-02 五稜郭機関区→
1997-03-14 鷲別機関区→2000-03-09(3/19?)
機関更新→2007-04-01 現在;鷲別機関区→2008-04-01
現在;鷲別機関区 その後、廃車

となっています。

続いて1152号機です。

Dd51_1152_020827
2002/8/27に撮影した南千歳を単機で通過する1152号機

日立製作所水戸工場=20730-6        1975-09-02 D84.0tB2B(1067)
車歴;1975-09-02 製造→ 納入;国鉄;DD511152→ 配属;札幌局→ 配置;岩見沢二→
1986-11-01 鷲別→1987-04-01JR 貨物;DD51152→ 配置;鷲別機関区→
1988-03-13 五稜郭機関区→1992-04-12 鷲別機関区→1996-12-12 機関更新→
1997-12-18(3/31?)五稜郭機関区→1999-04-01 鷲別機関区→
2007-04-01 現在;鷲別機関区→2008-04-01 現在;鷲別機関区 現在も現役です。

最後は1154号機です。

Dd51_1154_080323
先の1151号機と同じ2008/3/23に同じ上野幌で6時台に通過した3077レです。

こうやって何気なく撮っていたDD51牽引の貨物列車でも当時のダイヤや運用表を元に調べるといろいろなことが分かってくるものだとつくづく思いました。

1154号機の履歴は

三菱重工業三原工場=2030          1975-06-09 D84.0tB2B(1067)
車歴;1975-06-09 製造→ 納入;国鉄;DD511154→ 配属;札幌局→
配置;小樽築港→1975-12-01 岩見沢二→1986-11-01 鷲別→
1987-04-01JR 貨物;DD511154→配置;鷲別機関区→1997-12-05
機関更新→1997-12-08;五稜郭機関区→1999-04-01 鷲別機関区→2007-04-01
現在;鷲別機関区→2008-04-01 現在;鷲別機関区 その後、廃車

履歴データは沖田祐作氏の著作による機関車表からの引用しました。

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2013年4月 7日 (日)

1974,1975 北海道へ 7 DD51の活躍 その2

北海道でのDD51の活躍、今回は1045、1047,1063、1082の4両です。

まず1045号機です。

Dd51_1045_020827
南千歳における入線パターンから札幌貨物ターミナルから千歳線~石勝線を経由して、帯広方面に向かう貨物(2075レ)だったと思います。苫小牧方面に向かう貨物列車は通常は向こう奥の線路に入線します。 2002/8/27 

2003年以降の貨物列車時刻表しか手元にありませんが、2075レは2003年のダイヤ改正以降はDF200が担当しています。

Df200102_080319
DF200-102号機が牽引する2075レ 2008/3/19 南千歳

1045号機の履歴です。

日立製作所水戸工場=20450-1        1973-05-23 D84.0tB2B(1067)
車歴;1973-05-23 製造→ 納入;国鉄;DD511045→ 配属;札幌局→ 配置;小樽築港→
    1986-11-01 五稜郭→1987-04-01JR 貨物;DD511045→ 配置;五稜郭機関区→
    1993-12-14 機関更新→1999-04-01 鷲別機関区→2007-04-00
現在;鷲別機関区→2008-04-01 現在;鷲別機関区 その後 廃車

続いて1047号機です。

Dd51_1047_080319
DD51 1047号機が牽引する専用貨物列車です。 2008/3/19 恵庭

2008年のダイヤから札幌タ発、本輪西行きの5772レだと思います。この塗装は更新色ですね。

日立製作所水戸工場=20450-3        1973-05-29 D84.0tB2B(1067)
車歴;1973-05-29 製造→ 納入;国鉄;DD511047→
配属;札幌局→ 配置;小樽築港→1986-11-01 鷲別→1987-03-31(3/29?)
五稜郭→1987-04-01JR 貨物;DD511047→
配置;五稜郭機関区→1994-11-10 機関更新→1999-04-01 鷲別機関区→2007-04-00
現在;鷲別機関区→2008-04-01 現在;鷲別機関区 2013年も現役

続いて1063号機です。

Dd51_1063_030928
2003/9/28に五稜郭駅構内で撮影した1063号機です。

三菱重工業三原工場=1952          1974-01-14 D84.0tB2B(1067)
車歴;1974-01-14 製造→ 納入;国鉄;DD511063→ 配属;
米子局→ 配置;米子→1975-02-11 旭川→1986-11-01 五稜郭→1987-04-01
JR 貨物;DD511063→配置;五稜郭機関区→1988-03-13 鷲別→1995-04-01
現在;鷲別機関区→2007-03-30 廃車;鷲別機関区 その後 廃車

最後は1082号機です。

Dd51_1082_030927
2003/9/27に五稜郭駅構内で写した1082号機です。

三菱重工業三原工場=1985          1974-05-31 D84.0tB2B(1067)
車歴;1974-05-31 製造→ 納入;国鉄;DD511082→ 配属;
札幌局→ 配置;小樽築港→1986-11-01 鷲別→1987-04-01
JR 貨物;DD511082→ 配置;鷲別機関区→1997-03-21
機関更新→1997-03-31 五稜郭機関区→1999-04-01 鷲別機関区→2007-04-01
現在;鷲別機関区→2008-04-01 現在;鷲別機関区 その後 廃車

履歴データは沖田祐作氏の著作による機関車表からの引用しました。

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2013年4月 6日 (土)

1974,1975 北海道へ 7 DD51の活躍 その1

DD51は無煙化の立役者として、当時蒸気機関車を駆逐する役目を背負わされていました。したがって、蒸気機関車を撮影をするものにとっては目の敵的な存在であったように思います。しかしそのDD51も製造開始が1962年、終了が1978年ですから、最終ロットですら35年以上が経過し、後進に道を譲る時期が来ていることは確かです。

今回から何回かに渡って1974年以降の北海道旅行で撮影したDD51の活躍の様子をご紹介したく思います。有名なのは青色塗装重連で特急「北斗星」「カシオペア」「トワイライトエクスプレス」を牽引する特急仕業ですが、それは最後に回して、まずは原色塗装機の活躍から見てゆこうと思います。

<DD51形ディーゼル機関車について>

DD51は1962年から1978年までの16年間に649両が製造されました。電気式のDF50形に代わる、本格的な幹線用主力機として開発されたもので、速度面では旅客列車用大型蒸気機関車C61形を、牽引力では貨物列車用大型蒸気機関車D51形を上回る性能を持つように設計されています。

最盛期には四国地方を除く日本全国で使用され、非電化幹線の無煙化・動力近代化を推進しました。しかし、電化の進展と客車・貨物列車の減少により、1987年のJR移行までに約3/5が余剰廃車され、JR各社には593号機以降の完全重連タイプのみの259両が継承されました。

その後も客車・貨物列車のさらなる減少、DF200形など新型機関車への置き換え、加えて老朽化のため、少しずつ数を減らしつつあります。しかし、本州以南向けの後継機の開発がないこともあり、日本貨物鉄道(JR貨物)所属車には延命のための更新工事が実施されるなど、本形式は当面継続して使用される見通しです。

車体は凸型車体で前後にエンジン2基を配し、中間運転台方式とし、台車はB-2-B方式です。エンジンはDD13形の実績をベースに新開発された1100psのディーゼルエンジンでターボチャージャーとインタークーラーを装備しています。動力伝達方式はトルクコンバーターによる液体変速機方式で1エンジン、1変速機、1台車の関係で伝達を行っています。中間台車は軸重を14tと15tに調整する能力があります。

番台区分

基本番台1~53 1962年~1966年 製造

試作型及び初期の量産型で客貨両用でした。客車暖房用の蒸気発生装置 (SG) を搭載していましが、重連総括制御装置は搭載しておらず、非重連形と呼ばれました。0番台はJRに継承されることなく、1986年までに全て廃車されました。

1号機
第1次試作型で1962年に日立製作所が製造しました。エンジンはダイハツディーゼル製DML61S (1,000ps) を2基搭載しています。秋田機関区に配置された。 当初は機関や変速機の特性不一致などで所定の性能が得られませんでしたが、そのデータは2号機以降に活かされることになり、本機ものちに改修され面目を一新しました。 2 - 4号機が増備されると盛岡機関区に転属し、その後も東北地方を中心に運用されましたが末期には再び秋田機関区に転属し1986年に廃車となりました。長らく高崎第二機関区に保存されていましたが、1999年以降に登場当初の塗装色に戻され、碓氷峠鉄道文化むらに保存されています。

Dd51_1_050816
碓氷峠鉄道文化むらで保存されるDD51 1号機 2005/8/16

2,3,4号機
第2次試作型で2号機は日立製作所が、3号機は川崎車輛が、4号機は三菱重工業がそれぞれ担当し、いずれも1963年に製造されました。前照灯はボンネット前端にやや奥まった形態で配置され、凹んだ四角形のライトベゼルが付けられました。運転室屋根前後端は水平に延長され、ヒサシ状となりました。中間台車は、コイルバネにライナーを挿入することで14t - 15tの間で軸重切替が可能です。燃料タンクの容量は3,000Lでしたが、のちに700Lタンクがランボード上2箇所に設置され、4,400Lに増量されました。 1号機のテストで得られた結果を元に改良されており、所定の牽引性能を確保しました。また、技術的な問題も解決され、以後の量産車に反映されました。 3両とも盛岡機関区に配属され、秋田から転入した1号機とともに、当初は東北本線御堂駅 - 奥中山高原駅間の十三本木峠越えに投入されています。 末期には2号機と3号機が秋田機関区に、4号機が岡山機関区にそれぞれ転属されたのち、4号機が1983年に廃車され、2号機と3号機がそれぞれ1985年に廃車されました。

5~19号機
1964年に製造された先行量産型。長距離運用に対応するため、燃料タンク容量が4,500Lに増量されました。中間台車は枕バネを空気バネとしたTR101A形で、空気バネ圧の変化で軸重を調整する機構に変更され、運転台から調整操作が行えるようになりました。 盛岡機関区の他、吹田第一機関区(現・吹田機関区)・鳥栖機関区にも配置され、非電化幹線の旅客列車の無煙化を推進しました。

20~53号機
1965年・1966年に製造された初期量産型。エンジンはDML61Z/DW2 (1,100ps) に強化されました。 正面の白帯はナンバープレートの取付位置に合わせられ、以降の標準配色となった。 20号以前の車両も後日DML61Zに換装され、従来使用されていたエンジンはDD16形に流用されています。 このグループの一部は20系客車牽引のため元空気溜め引き通し管を増設したものもあります。

500番台 

製造時期:1966年 - 1977年
重連運転のための重連総括制御装置を搭載した区分で、重連形と呼ばれます。

半重連形 (501 - 592)
釣り合い引き通し管を装備していないため、重連運転時に前位の本務機が単独ブレーキ弁(単弁)を操作したときは本務機のブレーキのみが作動し、次位の補機はブレーキが作動しないタイプです。半重連タイプはJRには継承されませんでした。

548以降は、ブレーキ力増大のため中間台車にも基礎ブレーキ装置を装備したために台車形式はTR106形となりました。ブレーキ装置のスペース確保のため、床下の燃料タンク容量が4,500Lから4,000Lに減少しています。

587 - 592の6両は蒸気発生装置 (SG) 非搭載車として落成しています。800番台のような本格的なSG非搭載車とは異なり、SG用ボイラを積載していないだけでSG機器室などの関連機器は省略されていません。

重連形 (593 - 799・1001 - 1193)
593 - 799号機、1001 - 1193号機が該当します。

釣り合い引き通し管を装備し、重連運転時に次位の補機まで単弁が作動するように改良された区分です。一部の半重連形で釣り合い引き通し管を新設し、全重連形に改造されたものも存在しました。

1001以降は、500番台が799まで達したため貨物用800番台との重複を避け1001へ飛び番となったグループです(同じような例は103系電車のクハ103にありました)。1010以降は運転室内前後の天井に扇風機が設置されたため、運転室屋根に突起が2か所あります。また1052以降はラジエーターカバーが2分割タイプに変更されました。

北海道地区に配置された500番台は半重連形と全重連形とを区別するため、区名札の隣に「半」「重」の識別札を挿入していました。

800番台 (801 - 899・1801 - 1805)

製造時期:1968年 - 1978年

貨物列車の運用を主体とするため、SGを搭載せずに登場したグループです。SG関連機器やボイラ・タンクなどを省略し、運転室中央にあったSG機器室がなくなりました。運転整備重量は約6t軽くなり、各軸の荷重負担割合が変化したことから中間台車の枕バネを変更し、滑走防止のためブレーキシリンダを縮小したTR106Aとなりました。855以降は運転室内に扇風機が設置されましたが、500番台と異なり運転室屋根の中央に大きな突起が1か所あるのみです。北海道地区へは一時的に投入されたのみで、A寒地仕様車は存在しません。

当初の計画では貨物列車用の新形式「DD52」を予定していましたが、新形式の投入に際しては労働組合との間で難しい折衝を行う必要があったために、既存形式DD51形の仕様を変更する方針を採ったそうです。EF64 1000番台ED76 500番台と同じ経緯でしょうか。
Dd51_842_050528
現在、JR東日本 高崎車両センター所属の842号機 通常は工臨などの仕事しかないようですが、イベントの際などはお召し列車牽引のスタイル登場することもあります。 2005/5/28 大宮車両センター公開にて

1801以降は、800番台が899まで達したため1801へ飛び番となったグループです。成田線および総武本線での成田空港向けジェット燃料輸送のために製造されたが、将来の客車列車牽引への転用も考慮してSG搭載の準備工事がなされました。

DD51形は日本全国に配置されたため、気候条件に応じた3つの仕様が存在します。

一般型
気候が温暖な地域に配置された標準的な仕様です。スノープラウが装備されないものが多く、関東以西に配置されたものに見られる。

A寒地仕様
気候が極めて寒冷な地域に配置された仕様です。おもな追加装備は耐雪ブレーキ・スノープラウ・旋回窓・ホース類の凍結防止用加熱装置・つらら切り兼前面窓プロテクター(2011年現在は東新潟機関区のみ)である。北海道・東北地区に配置されたものと中部地区に配置されたものの一部に見られる。

B寒地仕様
A寒地仕様程気候が寒冷ではない地域に配置された仕様です。おもな追加装備はA寒地仕様に準じるが、耐雪ブレーキ・旋回窓・つらら切り兼前面窓プロテクターは装備していません。山陰を中心とした中国地区に配置されたものに見られます。

第1回は593, 639, 650, 767の4機です。

DD51 593号機は上述のように重連形のトップナンバーであり、撮影した時点では知りませんでしたが、JRに継承されたもっとも若いナンバーとなりました。

Dd51_593_7508_b
番号の判別が難しい写真ですが岩見沢で室蘭本線の旅客列車を牽引する姿です。 1975/8 手前の気動車はキハ22形です。

DD51 593号機の履歴です。

日立製作所水戸工場=110721-5        1968-02-28 D84.0tB2B(1067)
車歴;1968-02-28 製造→ 納入;国鉄;DD51593→
配属;長野局→ 配置;長野→篠ノ井→1973-07-31 鷲別→1979-07-28 亀山→1987-02-09
廃車;亀山

593号機周辺の履歴を見ると587号機から592号機までは美濃太田に新製配置されており、終生、あの辺で暮らして稲沢で終わっていますが、593号機から604号機までは最初、長野に配置されたのち、1973年頃、一斉に北海道に渡っています。

続いて639号機です。2013年2月28日の記事でも出てきた厚岸から厚床までの旅客列車でお世話になった機です。

Dd51_639_7508_2
列車の編成が長くホームからはみ出して停車したため、地面のレベルから汽車を見た際の大きさを感じた写真でした。 1975/7 厚床

639号機の履歴

三菱重工業三原工場=1692          1969-01-20 D84.0tB2B(1067)
車歴;1969-01-20 製造→ 納入;国鉄;DD51639→
配属;釧路局→ 配置;釧路→1986-12-27
廃車;釧路

旅客運用がなくなったせいか、機関車としての生涯は18年弱の短いものとなっています。

続いて、650号機です。

Dd51_650_7508_b
貨物列車を牽引して登別を通過する写真です。当時、蒸気機関車に較べDD51牽引の列車は随分速度をあげて通過すると感じたものでした。

DD51 650号機の履歴です。

日立製作所水戸工場=111281-1        1969-06-26 D84.0tB2B(1067)
車歴;1969-06-26 製造→ 納入;国鉄;DD51650→
配属;札幌局→ 配置;鷲別→1987-03-31
廃車;鷲別

こちらも機関車としては18年弱の短命の生涯を終生北海道にて送っています。

最後はDD51 767号機です。

Dd51_767_7508
先日のD51牽引貨物列車の際にもお話ししたタンク車と材木の輸送列車です。1975/8 登別

DD51 767号機の履歴です。

日立製作所水戸工場=20180-2        1972-04-28 D84.0tB2B(1067)
車歴;1972-04-28 製造→ 納入;国鉄;DD51767→
配属;天王寺局→ 配置;亀山→ 鷲別→1972-09-28 亀山→1984-03-23 米子→1987-02-06
廃車;米子

767号機周辺の履歴を見ると760号機から766号機までは門司局新製配置で、767号機から770号機までは天王寺局新製配置です。門司局配置の機は本州西部で生涯を送っていますが、天王寺局配置の機の全ては鷲別に転属となっています。

DD51に関する記事はWikipediaの記載を参考に纏めました。また履歴データは沖田祐作氏の著作による機関車表からの引用しました。

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2013年4月 5日 (金)

1974,1975 北海道へ 6 室蘭本線 D51牽引貨物列車 7

室蘭本線のD51貨物列車シリーズ、今回ご紹介する釜は1086、1118、1127の1000番台です。

私、今までD51はあらゆる形式の機関車の中では最も多い両数(1115両)製造された形式だと言うことは知っていたのですが、1000番台という枝番があったことはつい最近知りました。

D51以降の機関車でも1000番台は20系客車や高速コンテナ貨物列車牽引用に枝番として設けられたケースはED73, ED75,ED76, EF64, EF65, EF70などにありましたが、基本番台が900番台まで行っていて1000番台があるケースはD51だけですね。

まずは1086号機です。

D51_1086_2707510
貨物列車としては当時のよくあるタイプの貨物列車でしたが、写真を見ていて蒸気列車とは思えないくらい高速で通過した列車だったことを思い出しました。この釜も蒸気ドームはカマボコ形のままであったと思います。

履歴は

日本車両名古屋工場=1274           1944-05-19 S77.60t1D1T(1067)
車歴;1944-05-19 製造→ 納入;国鉄;D511086→ 配属;門司局→1944-05-00 配属;鳥栖→1944-08-06 新鶴見→1948-07-01 平→1949-12-16 水戸
→1950-08-30 戦時設計装備復元・給水温器取付→1958-09-12 新缶に交換
→1963-10-05 原ノ町→1967-05-17 旋回窓取付→1967-08-28 釧路
→1967-09-22 借入;新得→1967-10-08 借入;池田→1967-11-15 追分
→1967-02-18 滝川→1969-12-20 踏段改造→1975-09-29 追分→1976-03-10
廃車;追分

九州からスタートして常磐線、北海道と転勤していますが、戦時設計故、給水温器がなかったことや釜も粗悪品であったことが想像されます。

続いて、1118号機です。

D51_1118_7508
岩見沢駅の札幌よりの跨線橋から撮った写真だったと思いますが、室蘭本線をを上って行く貨物列車です。ドームは標準型になっていました、

日本車両名古屋工場=1307           1944-08-24 S77.60t1D1T(1067)
車歴;1944-08-24 製造→ 納入;国鉄;D511118→
配属;東京局→1944-09-19 配置;宇都宮→1949-09-15 田端
→1950-04-20 水戸→1950-11-16 戦時設計装備復元
→1957-11-18 新缶に交換→ 平→1963-09-21(9/20 発)岩見沢
→1963-10-09 耐寒工事施工・旋回窓取付→1967-01-20 踏段改造→1976-03-01
廃車;岩見沢一→ 保存;大阪府;D511118

こちら首都圏、常磐線で活躍した後、北海道に渡っています。

最後は1127号機で、この番号に遭遇した際、こんな番号もあったのっかと正直感じました。

D51_1127_1294_7508
1294レを牽引して中線に停車するD51 1127号機 

無蓋車に黄緑色の枠を設けた貨車は材木輸送でしょうか、当時よく見た貨車でした。

D51_1127_1294_7508_2_2
1975/10 登別 8月に953号機を撮影した同じ列車に1127号機が入りました。

そして1127号機の履歴です。

日本車両名古屋工場=1316           1944-09-18 S77.60t1D1T(1067)
車歴;1944-09-18 製造→ 納入;国鉄;D511127→ 配属;名古屋局→1944-09-29
配置;多治見→1944-11-11 使用開始;名古屋局→1946-08-10 借入;
中津川→1946-09-11 給水温器取付→1946-09-14 返却→1946-09-21 借入;
福井→1946-12-24 返却→1947-01-09 借入;
中津川→1947-03-28 返却→1947-10-02 戦時設計装備復元→
1948-03-03 上諏訪→1948-05-29 中津川→1948-10-21
炭水車D511079 と交換;日本車輌→1949-06-30 高知→
1952-02-23 重油併燃装置取付→1953-02-25 缶胴に手摺取付→
1953-09-22 集煙装置改造・重油併燃装置改造・粘着重量増大改造→
1954-05-26 運転室雨樋取付・缶胴手摺改造→1956-10-16
新缶に交換→1960-03-03 米子→1960-10-25 松本→1960-10-25 借入;
長野→1960-00-00 長野→1961-11-11 旋回窓取付→1963-09-13
集煙装置取替→1963-10-05(10/4?)稲沢一→
1966-07-10(7/11?)滝川→1966-09-06 耐寒工事施工→1966-11-29
踏段改造→1975-11-07 追分→1976-03-01
廃車;追分

これまでに紹介したD51のなかでも群を抜いて履歴の項目が多いのが特徴かと思います。

名古屋からスタートして中央西線、北陸、四国、山陰と渡り歩き、廃車の10年前に渡道しています。さらに戦時設計を標準化するために各種改造がなされているのも履歴から読み取れます。

以上、履歴データは沖田祐作氏の著作による機関車表からの引用しました。

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2013年4月 4日 (木)

1974,1975 北海道へ 6 室蘭本線 D51牽引貨物列車 6

室蘭本線のD51牽引貨物列車、今回は855号機、866号機、915号機の3機を紹介致します。

今回の3機は先日の分類ではいずれも準戦時形に属するタイプです。

まず855号機ですが、写真は追分での入れ換えシーンだったと思います。

D51_855_7510_1
D51_855_7510_2b
準戦時形の特徴であるカマボコ型ドームはそのまま保持されていました。また煙室扉の上端が欠き取られた形をしているのも準戦時形の証ですね。

D51855号機の履歴ですが、

国鉄鷹取工場=53          1943-09-04(10/3?) S77.60t1D1T(1067)
車歴;1943-09-04(10/3?)製造→ 納入;国鉄;D51855→ 配属;? → 配置;? →
    1946-02-00 現在;吹田→1946-12-31 現在;吹田→1950-03-06 借入;福知山→
    1950-03-09 返却→1954-08-05 借入;平→1954-09-00 平→1958-04-09 水戸→
    1965-05-09(5/8?)池田→1965-06-09 耐寒工事施工→1966-10-05 新得→
    1968-01-17 釧路→1968-09-28 借入;池田→1968-10-01 池田→
    1969-03-01(3/2?)長万部→1969-10-01 岩見沢一→1961-07-15 小樽築港→
    1971-09-17 岩見沢一→1976-03-01 廃車;岩見沢一

製造後、吹田に配属され、山陰線などで活躍した後、水戸に転属し、常磐線で活躍、その後北海道で終生過ごした釜ですね。

続いて866号機ですが、

D51_868_7508
列車番号は忘れましたが、後ろにDD51を従えた異種重連運転で室蘭本線登別付近を下って行きました。こちらもカマボコドームでした。

D51 866号機の履歴は

汽車製造大阪工場=2355            1943-11-28 S77.60t1D1T(1067)
車歴;1943-11-28 製造→ 納入;国鉄;D51866→ 配属;? → 配置;? →
1946-02-00 現在;吹田→
1946-12-02 借入;奈良→1946-12-13 借入;亀山→1946-12-20 返却→
1946-12-31 現在;吹田→1954-07-23 重油併燃装置取付→1954-07-25 盛岡→
1968-08-12(8/15?)名寄→1968-10-08 血耐寒工事施工・踏段改造→
1974-00-00 追分→
1975-12-03 廃車;追分
D51_915_9173_7508_2_3
9173レ、返空の石炭列車を牽引して室蘭本線登別付近を下る915号機です。1975/8

D51 915号機の履歴は

三菱重工業三原工場=418            1944-03-31 S77.60t1D1T(1067)
車歴;1944-03-31 製造→ 納入;国鉄;D51915→ 配属;東京局→
    1944-05-07 配置;水戸(給水温器・前灯なし)→1950-02-17 デフ取替→
    1953-06-18 歩み板/ デフ/ 炭庫/ シンダ受を鋼板製に改造→
    1959-02-17 郡山工場製新缶に交換;郡山工場→1964-12-16 旭川→1965-01-12 耐寒工事施工→
    1965-02-01 名寄→1965-12-17 旋回窓取付→1967-06-08 踏段改造→
    1972-03-19 岩見沢一→1976-01-17 廃車;岩見沢一

これまで北海道のD51を何機か見て参りましたが、北海道のD51の特徴は入れ換えの際に邪魔にならないようにデフレクター(除煙版)の前1/3程度を切り欠いていることですね。

(履歴データは沖田祐作氏の著作による機関車表からの引用しました。)

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2013年4月 3日 (水)

1974,1975 北海道へ 6 室蘭本線 D51牽引貨物列車 5

室蘭本線のD51牽引貨物列車、今回は566号機、744号機、767号機の3機を紹介致します。

そもそも室蘭本線、特に苫小牧~岩見沢間は北海道内陸部の産炭地から太平洋岸の港まで石炭を運び出すための路線として当時は非常に重要な路線で、軌道も運炭列車のために重軌条化された複線区間でした。

石炭産業が衰退した現在では、札幌を通らないことや、栗山駅で接続していた夕張鉄道の廃線に伴い、千歳線列車の乗り入れのある苫小牧駅 - 沼ノ端駅間をのぞけば、普通列車が運転されているのみです。3 - 4時間ほど運行がない時間帯があるようで、ほかに本州から道北・道東に直通する貨物列車がわずかに通過するのみです。

非常時に函館本線と千歳線のバイパスとして活用できるよう複線のまま残されていましたが、1990年4月に下り線の栗山駅 - 栗丘駅間にある栗山トンネルの明かり区間の一部が上部の法面と共に崩落したため、そのまま廃止されました。このため、この区間は旧上り線を使った単線運転となっているそうです。踏切などでレールが撤去されていますが、大半は道床・レールともにそのまま残されているそうで、現在使われている新栗山トンネルは、下り線とやや離れた位置に、上り線用の単線トンネルとして1969年に開通したものだそうです。

そんなわけでまず566号機牽引の貨物列車は当時さかんに走っていた運炭列車の返空版で、ロセキ3000による編成です。

D51_566_9173_7508
D51_566_9173_7508_2_2
1975/8 撮影の9173レですが、まさに専用貨物列車であり、黒い車体に黄色の帯の入った煤汚れたセキ3000形をD51が牽引して行きました。

D51 566号機の履歴は

川崎重工兵庫工場=2419            1940-12-15 S77.60t1D1T(1067)
車歴;1940-12-15 製造→ 納入;国鉄;D51566→
1941-01-21 配属;札幌局→1941-01-16
配置[札鉄達950];函館→1944-10-11 五稜郭→1958-11-01 運転室特別整備→
1960-11-19 函館→1966-04-01 五稜郭→1967-04-05(4/4)追分→      
1968-03-12 岩見沢→1976-03-01
廃車;岩見沢一→
保存;北海道赤平市「赤平公園」;D51566

この釜も新製配置から廃車まで、そして保存もすべて北海道で過ごしているのですね。

続いてはD51 744号機

D51_744_7508
こちらは今では単機回送なのか、活性単機なのか不明ですが、機関車単独で走って行きました。

履歴は
日本車両名古屋工場=1186           1943-08-08 S77.60t1D1T(1067)
車歴;1943-08-08 製造→ 納入;国鉄;D51744→
配属;? →1943-08-16 配置;? →1946-02-00 現在;吹田→1948-11-08
借入;宮原→1948-11-14 返却→1949-11-12 借入;福知山→1949-11-20 返却→1953-11-30 平→1958-04-12 水戸→1962-06-19 デフに検査窓設置;
郡山→1965-06-10 岩見沢→1965-07-28
耐寒工事施工→1966-12-15 踏段改造→196810-01 小樽築港→1974-00-00 岩見沢一→
1975-12-03
廃車;岩見沢一

そして、D51 767号機です。

D51_767_2350_7510_4
当時の貨物列車を偲ばせる冷蔵車を中心とした単軸貨車編成の2350レを牽引してまず登別で出会いました。続いて、

D51_767_7510_2
追分でもセキやトキを含んだ編成の貨車を牽引する姿を見ました。どちらも絶気状態だったのが残念ですが。

履歴は
川崎重工兵庫工場=2766            1943-02-13 S77.60t1D1T(1067)
車歴;1943-02-13 製造→ 納入;国鉄;D51767→
配属;仙台局→1943-03-01 配置;一ノ関→1943-03-04
使用開始→1956-06-28 借入;金ヶ崎工事区→1956-06-29 返却→1957-06-28 借入;
金ヶ崎工事区→1957-06-29 返却→1957-07-14 借入;
金ヶ崎工事区→1957-07-15 返却→1957-08-27 借入;
金ヶ崎工事区→1957-08-28 返却→1957-09-03 借入;
真柴工事区→1957-09-04 返却→1958-09-01 借入;
折居工事区→1958-09-02 返却→1959-10-17 尻内→1963-08-09
左側旋回窓取付→1964-09-15 前灯予備灯取付→1968-10-06(10/5?)
新津→1969-09-20 酒田→1971-07-05 一休直江津区留置→1972-05-30
返却→1972-08-25(8/22?)追分→1972-10-05
耐寒工事施工・右側旋回窓取付・踏段改造・重油併燃装置取外→1976-03-19 廃車;追分

となっています。

今回はここまでです。(履歴データは沖田祐作氏の著作による機関車表からの引用しました。)

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2013年4月 2日 (火)

1974,1975 北海道へ 6 室蘭本線 D51牽引貨物列車 4

室蘭本線、登別や追分で撮影したD51シリーズ、ナメクジやギースルエジェクターなど特徴的な釜のお話はしてしまったので、あとは番号順に撮影した釜を紹介して行こうと思います。

まずはD51 118号機です。昨日の分類では第2次量産試作形 107~133 に属する釜で、従台車が一体鋳鋼式のLT154B形から鋼板組み立て式のLT157形に変わり、テンダー台車も組み立て式になった27両で、川崎車輌と日立製作所で製造されたものです。

履歴は

川崎重工兵庫工場=1943            1938-07-30 S77.60t1D1T(1067)
車歴;1938-07-30 製造→ 納入;国鉄;D51118→ 配属;
札幌局→1938-07-30
使用開始→1938-07-30
配置[札鉄達617];岩見沢→1941-03-31 現在;
岩見沢→1945-09-30 現在;
岩見沢→1956-09-01 借入;
新得→1957-02-00 新得→1957-09-05 富良野→1961-05-10
運転室特別整備(含むキャブ密閉化)→1961-12-05
旋回窓取付→1969-03-04 岩見沢→1974-04-28 遠軽
→1975-03-10 追分→1976-03-19
廃車[工車1224];追分(岩見沢?)→保存;埼玉県所沢市「小手指公園」;D51118

ということで、新製配置が岩見沢で、廃車になるまで終生、北海道で過ごした釜です。

D51_118_7510
1975/10に追分で撮った写真一枚ですが、単機で入れ換えでもしていたのでしょうか。

続いてD51 260号機です。昨日の分類からすると量産型 134~198、212~745、748~845、950~954 に属する釜です。その履歴は

国鉄長野工場=[5]          1940-01-15(1/22?) S77.60t1D1T(1067)
                                         
車歴;1940-01-15 (1/22?)製造→ 納入;国鉄;D51260→
配属;新潟局→1940-01-23 配置[新鉄達26];直江津→1940-01-27
使用開始→1942-03-15 長岡一→1961-08-01
旋回窓取付(左側)→1965-12-26 旋回窓取付→1967-08-10 重油併焼装置取付(長野工場)→1967-09-26 酒田→1971-07-03 新津→1972-10-10(10/8?)
岩見沢→1972-11-04 耐寒工事施工/ 重油併焼装置取外→1976-03-01
廃車;岩見沢一→1976-08-27 保存;富山県滑川市「青少年婦人研修センタ-」;D51260(東福寺野自然公園説?)

新製配置は新潟で信越、羽越線で活躍した後、廃車の数年前に北海道に渡っています。

D51_260_7508
苫小牧付近ですれ違いを撮影したこのショット1枚です。

続いてD51 320号機です。こちらも量産形グループに属する釜で、履歴は

日立製作所笠戸工場=1199           1939-11-11 S77.60t1D1T(1067)
車歴;1939-11-11 製造→ 納入;
国鉄;D51320→ 配属;札幌局→1939-11-11 竣工→1939-11-23
配置[札鉄達964];函館→1939-11-28
使用開始→1944-10-11 五稜郭→1950-08-25 長万部→1952-03-17
缶胴交換(D51483 の缶に交換)→1958-02-12
運転室特別整備→1964-02-25 旋回窓取付→1970-10-01 小樽築港→1972-12-18 追分→1976-01-17
廃車;追分→保存;北海道追分町「追分町鉄道記念館」;D51320

この釜は先日の241号機のときに出てきましたが、追分機関区の火災で241号機などが消失したため、241号機に代わって追分町鉄道記念館に保存されるようになった釜です。

D51_320_1295_7508_2
先日のD51 4号機と同じ1295レに入って登別で入れ換えを行い、
D51_320_1295_7508_4
爆煙(そんな言葉あるか?)を上げて出発して行きました。

続いてD51 367号機です。

日立製作所笠戸工場=1246           1940-05-04 S77.60t1D1T(1067)
車歴;1940-05-04 製造→ 納入;国鉄;D51367→
配属;札幌局→1940-05-04 竣工→1940-05-14
配属[札鉄達365];函館→1940-05-24
使用開始→1945-12-06 五稜郭→1950-09-01 長万部→1952-07-30
缶交換(D51425 のものに交換)→1958-08-14
運転室特別整備→1973-08-18 岩見沢→1975-12-03
廃車;岩見沢一

この機関車も終生北海道で暮らした釜です。

D51_367_7508
D51のサイドビューと当時の岩見沢機関区の様子が分かる写真かと思います。

今回はここまでです。(履歴データは沖田祐作氏の著作による機関車表からの引用しました。)

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2013年4月 1日 (月)

1974,1975 北海道へ 6 室蘭本線 D51牽引貨物列車 3 D51 953, D51 1119

北海道でみたギースルエジェクター装備の蒸気、今回はD51 953号機と1119号機です。

D51の形態分類は諸説あるそうですが、ここでは臼井茂信氏の分類に従って記述しようと思います。その分類によると、

1)標準型Aタイプ 所謂、ナメクジスタイルで1~21、24~85、91~100がこのグループに属します。
2)標準型Bタイプ 先日、スーパーナメクジと言った、汽車製造の22,23号機がこのグループです。
3)第1次量産試作形 86~90、101~106 ナメクジが続々と落成しているころ、ナメクジの欠点であった軸重バランスの関係を改良しようとして試作された釜で鉄道省浜松工場と汽車製造から登場した11両がこのグループに属します。
4)第2次量産試作形 107~133 従台車が一体鋳鋼式のLT154B形から鋼板組み立て式のLT157形に変わり、テンダー台車も組み立て式になった27両で、川崎車輌と日立製作所で製造されたものです。
5)第3次量産試作形 199~211 動力逆転機を手動のねじ式に変更したタイプで、かつテンダー台車が第1次量産形までの鋳鋼側枠に戻った13両で、浜松工場と鷹取工場で落成した釜です。
6)量産型 134~198、212~745、748~845、950~954 当然のことながら702両が属する最大のグループで、軍需用として最大量産体制で大量製造されたグループです。950~954の5両は準戦時形が出揃った後に胆振縦貫鉄道から買収したもので、準戦時形のラストナンバーの続番が与えられたそうです。
7)準戦時形 746、747、846~949 次第に悪化する材料事情により、各部に代用品が使用され、ボイラーのドームがカマボコ形になったり、デフレクタ、テンダーの上部、ナンバープレートが木製となったり、メインロッドの大端部のブッシュが角形から円形になったり、前面のボイラー端上部を切り取ったりという変更が行われました。
8)戦時形 1001~1161 ボイラー圧力が14kg/cm2から15kg・cm2にアップして従来のD51とは性能面でも異なったため1000番台に分けられたそうです。代用品の使用は、銅部品に代わる鉛代用、鉛部品に代わる鋼代用、鋼部品にかわる木材代用といったように実施され、ボイラーは肉厚、溶接ともにレベルの低い粗悪品に、メインロッドは小端部も角形ブッシュから円形に変わりました。砂撒き管が3本から2本に、車体大枠の前後にコンクリートの死重搭載、給水温メ器の省略された釜も登場したそうです。テンダーも最低の強度を維持するために炭水槽の底を船底形に折り曲げ、台枠を省略した10-20形とし、直接貨車用のTR41形台車を履かせたとのことです。(データは蒸気機関車 形式D51 伊藤久巳著より引用)(文章は蒸気機関車 形式D51 伊藤久巳著を参考に纏めました。)

それではD51 953号機の履歴です。
汽車製造大阪工場=2234     1941-02-19/1942-07-17 S77.60t1D1T(1067)
車歴;1941-02-19/1942-07-17 製造→
納入;胆振縦貫鉄道;D5104→1942-02-19 竣工→1944-07-01 買収配置;国鉄;
D5104;伊達紋別→1947-02-22 改番;
D51953;伊達紋別支区→1949-03-29 名寄→1952-01-30 缶をD51359 のものに交換→1952-09-12 旭川→1974-12-29 岩見沢一→1976-03-01
廃車;岩見沢一→保存;北海道豊浦町船見町公園「中央公民館前広場」;D51953

D51_953_1294_75081975/8 登別で撮影していると中線で停車して特急列車などをやり過ごす1294レで953号機はやって来ました。

D51_953_1294_7508_2_3今だったらデジカメで撮り放題ですが、当時はフィルムの枚数を気にしながらですが、もう後は帰るだけの状態でしたから、いろいろな角度から写真を撮りました。

D51_953_1294_7508_3反対側からも撮影しました。

D51_953_1294_7508_4そして1294レを追い抜いていったキハ82系特急「おおぞら」とのツーショットも撮影しました。

当時、煙突の形態が変わっていることは気がつきましたが、この釜が胆振縦貫鉄道の買収機であったことは今回初めて知りました。ほぼ40年ぶりにBlogに纏めることで知り得た知見です。

続いてD51 1119号機の履歴です。

日本車両名古屋工場=1308           1944-08-26 S77.60t1D1T(1067)
車歴;1944-08-26 製造→ 納入;国鉄;D511119→ 配属;
東京局→1944-10-20 配置;平→1948-03-20
給水温器取付→1949-08-12(8/13?)新鶴見→1953-12-27 借入;
国府津→1953-12-28 返却→1954-07-12 大宮→1955-02-13 借入;
甲府→1955-06-20 返却→1955-08-12 借入;
宇都宮→1955-08-20 返却→1958-04-17 稲沢一→1959-03-12 借入;
高山→1959-04-01 高山→1959-12-04 長野工場製製番3550 新缶に交換;
浜松工場→1962-01-30 特別塗装→1962-06-26 鷲別→1962-09-29 耐寒工事施工・旋回窓取付→1967-03-29 ギースルエジェクター取付→1967-04-01 発;
追分→1969-02-01 踏段改造→1976-03-01
廃車;追分→
保存;神奈川県厚木市「福祉会館」;D511119(若宮公園説?)

この履歴からも想像されるように戦時形として登場した際には給水温め器は省略されていたようですね。

D51_1119_5797_7510_2こちらは写真1枚だけですが、追分で石炭列車5797レを牽引して接近してくる姿を写していました。

(履歴データは沖田祐作氏の著作による機関車表からの引用しました。)

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