1975年 新潟の旅 4 EF62形電気機関車 3 山を降りた山男たち
信越本線の本務機としてEF63とともに頑張っていたEF62形電気機関車にも転機が訪れました。
信越線、碓氷峠経由の貨物列車の廃止
碓氷峠越えは、粘着運転への切り替えが行われても相変わらず信越本線最大のボトルネックであり、貨物列車重量は400tに制限され、横川や軽井沢では編成の組み替えが必要なほどでした。このため、関東・北陸間の貨物列車については、非効率な信越本線経由が避けられ、遠回りだが緩勾配で格段に輸送条件の良い上越線経由ルートが一般化しました。
信越本線経由の急行「越前」を牽引して上野で出発準備するEF62 32号機 同列車は20:51に上野を出発し、信越本線経由で福井に7:12に到着するダイヤでした。
1984年2月のダイヤ改正では対長野県向けの貨物列車も中央本線・篠ノ井線経由に統一されることとなり、碓氷峠越え区間を含む信越本線安中 - 小諸間の貨物輸送は廃止されました。碓氷峠通過がなければ、信越本線での貨物列車牽引にはEF65形やEF64形などの一般的な構造で速度も高い機関車を用いることができるため、特殊機のEF62は余剰化しました。
上野発のイベント列車を牽引する23号機
EF58に代わって荷物列車の牽引に
1980年代前半、東海道・山陽本線で荷物列車牽引に運用されていたEF58形は老朽化が進み故障も多発し、代替機関車が必要となっていました。
荷物列車は乗務員用の暖房熱源供給が必要で、暖房用ボイラーか電気暖房用交流電源を必要としました。当時の国鉄直流機関車では、SG搭載のEF61形は絶対数が不足する上に駆動系統のトラブルも多く、東海道・山陽線主力車のEF65形は暖房供給装置を搭載していないため冬期の運用に難がありました。一部に電気暖房電源搭載車のあるEF64形は運用線区の関係から転用できる余剰車がありませんでした。
当時の国鉄の財政状況では新造機関車などおよびもつかず、EF81形の進出で多数が休車となっていた交流機EF70形を直流化改造し代替車に充てる計画も浮上しましたが、碓氷峠での貨物列車廃止に伴い、電気暖房用電源を搭載した本形式に余剰車が発生することが判明したため、費用節約の観点から転用されることになりました。
この結果、1984年に4・13 - 34・36 - 38の計26両が下関運転所(現・下関総合車両所運用検修センター)に転属し、汐留 - 下関間の荷物列車運用に投入されました。この際、荷物車の入換を行う際に邪魔になる電気暖房用KE3形ジャンパ連結器の移設などの小改造が行われました。
京都駅に到着したEF62牽引の小荷物列車 1984/12/5 暖房が電暖方式に替わり、SGの煙も見られなくなりました。
しかし、本形式は諸元上の最高速度こそ100km/hですが、現実には山岳路線での牽引力重視設計で、定格速度が39.0km/hに設定された低速機であり、平坦区間主体の東海道・山陽本線汐留 - 下関間1,000km超の長距離で連続高速運転を行うことは、本来想定外でした。
この性能特性で、従来、定格速度68.0km/hの高速機関車EF58形で運行していたダイヤを代替するのは無理があり、過負荷を強いられた荷物列車牽引充当機は主電動機フラッシュオーバーなどの故障が続発、暖房供給装置類を持たないEF65形を代走させる事態にまで陥りました。
碓氷鉄道文化村に保存されているラストナンバー54号機 2005/8/16
この不適合問題に歯車比変更や車両置き換えなどの抜本的対策がなされることもなく、転用からわずか3年も経過しない1986年11月のダイヤ改正で国鉄の荷物列車自体が廃止されることになったため、東海道・山陽本線に転じた本形式は余剰となり、1987年4月の国鉄分割民営化までにすべて廃車されました。また、篠ノ井機関区に所属する本形式も同時期に廃車となっています。
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コメント
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こんにちは。
EF62のアルバムを拝見です。
EF62といえばお話の(越前)を真っ先に思い出します。
京都でのEF62のお写真・・・今拝見するとやはりここに現れるのは意外という感じがします。
それにしても定格速度が40キロ弱とは・・・
それが東海道での高速運転の足かせとなったのですね。
そういう理由で早期撤退となったとは勉強になりました。
投稿: やぶお | 2013年5月12日 (日) 20時09分
やぶおさま、おはようございます。
EF62にしても、あるいはEF60の500番台がブルートレインを牽引した時のエピソードを思い出しても、EF58という機関車が如何に高速性に優れた名機であったかが良く分かる話ですよね。
投稿: B767-281(クハ415-1901) | 2013年5月13日 (月) 06時03分