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2013年5月11日 (土)

1975年 新潟の旅 4 EF62形電気機関車 2 碓氷峠とEF62

柏崎で偶然、遭遇したことからEF62の話題に入りましたが、EF62といえば碓氷峠を含む信越線直通用に開発された機関車です。

Ef62_8_810412
横川付近の国道18号併走区間を行くEF62 8牽引貨物列車 1981/4/12

BSフジで放映された鉄道伝説でも紹介されていましたが、信越本線横川 - 軽井沢間の碓氷峠区間は、最大66.7‰という急勾配を控える難所でした。官設鉄道として開業した明治時代から、補助レール(ラックレール)に機関車の歯車を噛み合わせて昇降するアプト式が採用されていました。このため同区間はいち早く電化され、1912年には電気機関車が導入されましたが、長らく単線のまま過密ダイヤを強いられてきました。

1960年代初頭の時点で、アプト式電気機関車ED42形1933年 - 1947年製造)が活躍していましたが、アプト式の制約で1両僅か510kWの低出力だったED42形を合計4両連ねても、通過できる列車の重量は360t止まりであり、極めて速度が遅いために単線の過密ダイヤの中でこれ以上の増発は困難でした。
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碓氷峠鉄道文化村で保存中のED42 1号機 2005/8/16
小さい頃、親に買って貰った鉄道模型(Oゲージ)の機関車がこのED42でした。

日本が経済成長して行くうえで、東京と長野県東信・北信を結ぶメインルートである信越本線の輸送力不足は非常に深刻な問題になっていました。

粘着運転への移行

国鉄本社は1956年高崎鉄道管理局が出した「碓氷白書」、(内容は碓氷峠区間が輸送のボトルネックとなっており、アプト式鉄道の施設旧式化・老朽化も著しい実態が指摘され、アプト式の解消や複線化などの抜本的な対策が早急に必要であることを訴えたものでした。)に対応し、翌1957年から同区間の改良策検討に取りかかり以下の2案の比較検討を行いました。

急勾配の現在線に並行した「腹付け線増」で複線化
緩勾配 (25‰) の迂回線建設

結果は費用や工事期間の制約から現在線案が選択され、アプト式を廃止して通常レールの摩擦力のみによって走行する「粘着運転」化の上で牽引機関車を前後の区間から直通させる方針を計画しました。

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横川機関区で休むEF62 21号機 第1次量産形 
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同じく横川機関区にて EF62 32号機 こちらは第2次量産形

このため碓氷峠区間を除いて非電化だった信越本線は、1962年に高崎 - 横川間、続いて1963年には軽井沢 - 長野間の電化が行われました。碓氷峠の電化方式も第三軌条方式600Vから通常の架空電車線方式1,500Vに変更することになりました。
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軽井沢で僚友 EF63と休む EF62 18号機 

粘着運転化にあたり、特殊装備を多数搭載したEF63形が開発されましたが、同形式はあくまでも碓氷峠区間専用の補助機関車で牽引力・ブレーキ力に重点を置いた特殊形式であり、信越本線の前後区間を直通できる本務機関車として開発されたのがEF62形です。碓氷峠ではEF63形の補助を受けて通過することを前提とした上で、降坂時にはEF63形と直接連結されて協調運転を可能な構造としました。

開発は1960年から開始され、1962年5月にEF62形ならびにEF63形各1両の先行試作車が完成しました。

Ef62_1_050816
同じく碓氷峠鉄道文化村に保存されるEF62 1号機 登場時の茶色塗装で 2005/8/16

碓氷峠通過用の機構的特徴

主抵抗器は、66.7‰もの急勾配における起動抵抗や制動中の負荷抵抗が膨大なものであることから、冷却効果の高い専用のものを開発しています。さらに、強制通風式とすることで小型化を図っています。

重連運転時の総括制御ならびにEF63形との協調運転に対応するため先行試作車ならびに1次量産車ではKE63形、2次量産車ではKE77A形のジャンパ連結器2基ならびに元空気ダメ管・釣り合い管を装備しました。

MT52系直流直巻電動機 (425kW) 、歯車比1:4.44としたスペックは、協調運転を考慮した結果、EF63形と共通となりましたが、両形式は重量と機器類の差によって全く異なった性能の機関車となりました。

軸重移動補償

EF63の特殊な台車構造による機械的軸重移動補償に対して、EF62では電気的軸重移動補償が採用されました。

力行中の軸重のアンバランスによる空転の発生を抑えるために、進行方向前方から見て
第1軸・第4軸:61%
第2軸・第5軸:78%
第3軸・第6軸:100%

となるように電流を制限しているそうです。

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サロンエクスプレス東京を牽引して碓氷峠を登って来たEF62 40号機

ちょうど、この記事を書いていて1975年10月28日に碓氷峠で回送中だったEF62 2両(12号機と35号機) EF63 2両(5号機と9号機)の暴走・脱線・転落事故が起きていたことを思い出しました。事故のことは当時、ニュースで知り、急勾配の恐ろしさをまじまじと実感させる事故でした。

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