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2013年5月14日 (火)

1975年 新潟の旅 6 雪国カラーの旧国 1

1975年の新潟の旅、今回からは柏崎や長岡で逢った新潟色の旧形国電の話題です。

塗色は写真のように全国ではここだけの赤と黄色の派手な塗色ですが、雪国での識別効果によると思われます。

すべて長岡運転所の所属で、デンチュウさまのページの情報によると、1976年当時の運用範囲は新潟-村上、新潟-長岡、長岡-高崎(荷電は上野まで)、長岡-直江津、直江津-妙高高原でした。

今回は20m、3扉、セミクロスシートの一族の国鉄51系電車の一形式、クハ68一族について触れます。

<国鉄51系電車>

1936年から1943年にかけて鉄道省が製造した20m、3扉、セミクロスシートの旧形電車を便宜的に総称したもので、当初新製されたのはモハ51形、モハ54形、モハユニ61形、クハ68形、クロハ69形の5形式です。後に40系や42系からの編入改造車を多く含むようになったため、同一形式の中で車体形状や窓配置などが異なるグループが多数存在するようになりました。

51系はそれまでロングシートか2扉クロスシートのみだった省電において、ラッシュ時、データイム双方で利用者に快適なサービスが提供できるよう、省電初採用の3扉セミクロスシート車として登場した電車でした。

51系電車が最初に投入されたのは中央線急行で1936年から1937年にかけてモハ51形が26両新製され、全車浅川寄りの先頭車として使用を開始されました。

引き続いて、1937年には京都駅 - 吹田駅間の電化開業を控えた京阪神緩行線に投入されました。中央線への投入はモハ51形だけでしたが、京阪神緩行線にはモハユニ61形を除く全形式が投入され、同形による編成美を見せることになりました。大鉄局向けの51系の投入は1941年まで行われ、当初は京都電化開業用として新設の明石電車区に配属されますが、一部の車両は宮原電車区・淀川電車区にも配属され、急行電車に投入されたこともあるほか、城東線や片町線の輸送力増強にも充当されました。

51系の最終増備は太平洋戦争中の1943年に横須賀線に登場したモハユニ61形です。車両の投入計画そのものは1939年頃からありましたが、投入計画が後回しにされてしまい、戦時下の登場となってしまいました。そのため、座席がロングシートとされたり、各部の工作が簡略化されるなど戦時仕様となりました。また、電装品の不足により、全車が制御車代用で落成しました。

(如何にも、見た来たように書いていますが、私自身は101系世代なのであくまで文献的な知識で実体感がありません)。

私が1975年の旅行で撮影したクハ68はクハ68021、クハ68050、クハ68210の3両です。

まずはクハ68021から、

68021_751103
新幹線工事真っ盛りの長岡駅に停車中のクハ68021先頭の8連(4連x2) 1975/11/3

1933年から1934年かけて21両が製造されたモハ42系の二・三等制御車クロハ59形(クロハ59001)を1938年に3扉化してクハ68形に形式変更した車輌だそうです。同様の経歴を持つ車輌にクハ68015がいました。

<国鉄42系電車>

1933年から1935年にかけて鉄道省(日本国有鉄道の前身)が製造した2扉クロスシートの旧形電車を便宜的に総称したもので、具体的には、モハ42形(42001 - 42013)、モハ43形(43001 - 43037)、モハユニ44形(44001 - 44005)、サロハ46形(46100 - 46103)、クハ58形(58001 - 58025)、クロハ59形(59001 - 59021)の105両を示します。

続いてクハ68050です。

68050_751103_3
長岡駅を発車するクハ68050 1975/11/3

こちらは半流スタイルで、オリジナルのクハ68を戦時中一旦、クハ55に改造し、再びクハ68になったもので、68050 ← 55129 ← 68015 といった改番歴を持っています。クハ68015は1937年度に日本車輌の製造です。同じ形式に戻っているにも拘わらず、改番中に別のグループがオリジナルの番号を使っていたため、違う番号に落ち着いています。関西出身の証とも言える大鉄タイプの球状ベンチレーターが見えます。

最後はクハ68210です。

68210_751103_2
増結作業中であったのか、連結作業の様子が想像されます。 1975/11/3 長岡

このクハ68は横須賀線2扉車の扉増設改造で誕生したもので、1963年から1964年にかけて、横須賀線に残る2扉のクモハ43形、クモハ53形(42系)、クハ47形(32系)、サハ48形(52系)に対し、激化した通勤輸送に対応し、3扉の70系と混結した際の乗車位置を揃え、整列乗車を乱さないようにするため、大船工場で車体中央部に客用扉を増設し、3扉に改造する工事が実施されました。改造後は、クモハ43形がクモハ51形(200番台)に、クハ47形がクハ68形(200番台、210番台)に改められたほか、クモハ53形とサハ48形は、それぞれクモハ50形、サハ58形と新形式を与えられたそうです。クハ68210 ← クハ47072といった改番になっています。横須賀線時代のクハ47072のお写真はこちらのサイトにあります。

長岡でこれらの電車を見たときはただ古そうな電車がいるから撮っておこうといった気持ちで撮った写真ですが、旧形国電に関する履歴の解説をしているサイトが増えたおかげで、いろいろとそれぞれの車輌の複雑な履歴が分かるようになり、戦前の京阪神間や戦後の横須賀線で活躍した花形電車の世を忍ぶ姿であったことが分かり、感無量です。

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