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2013年5月15日 (水)

1975年 新潟の旅 6 雪国カラーの旧国 2

新潟の旧形国電、今回はクハ75形です。

本題に入る前に当時の旧国の編成表がデンチュウさまのページにありますので、参考にさせて戴きたく思います。1976.3.31頃のデータとのことです。

<=新潟
 Tc     M       M     Tc       
N1       68021 70110 70009 68200       
N2       75017 70027 70045 68050       
N3       68015 70018 70031 68210       
N4       68005 70029 70028 75002       
N5       68211 70117 70103 68084       
N6       76003 70030 70033 68044       
N7       76067 70035 70008 68104       
N8       76009 70019 70006 68092       
N9       76041 70007 70114 68028       
N10     76099 70081 70080 76076       
N11     76097 70126 70097 76078       
N12     76077 70071 70070 76092                     
     Tc     M       T      M      M     Tc       
T1    76001 70012 75009 70016 70011 76002       
T2    76069 70021 85004 70092 70024 76080       
T3    75005 70068 75000 70013 70005 76064       
T4    76049 70112 87002 70015 70020 76016       
T5    76011 70017 75004 70022 70010 76012       
T6    76047 70026 85001 70023 70025 76004       
T7    76087 70109 75001 70102 70014 75008       
T8    76015 70065 87007 70108 70091 76084       
T9    76029 70046 87009 70101 70092 75006                
 予備車 Tc     Tc     T      T     
      76007 76304 87010 87011
(注) T2 T9 に 092あり。どちらかが032である。誤植と思う。

当時、4連のN編成と6連のT編成がそれぞれ12本、9本あったのですね。モハはすべて70形で構成されており、クハも大半はクハ76でしたが、クハ68とクハ75も先頭車として活躍していました。

ちなみに、長岡運転所の70形の歴史は緑の窓口さまのサイトによると、 1962年4月28日、京阪神緩行線で使われていたモハ70形とクハ68形、計10両が長岡第二機関区に到着した時から、新潟の70形(ななまるかた)の歴史は始まったそうです。そして新潟色のいわれは1964年に開催された新潟国体が「ひまわり国体」という愛称だったため、新潟色はひまわりの花をイメージしたものだったそうです。

75017_751103
柏崎駅に停車中のクハ75017先頭の4連 台車がTR48Aであること、前面に屋根布押え 1975/11/3

<クハ75形について>

サロ46形(後に→サロ75形)が横須賀線用の定員64名の2等付随車として、1951年・1953年・1955年に合計18両がに製造されました。

2等車であるため車体両端に幅700mmの客用扉を設置し、座席配置はサロ85形やオロ40形と同様の固定式クロスシートを採用。後位側にトイレと洗面所を設けたことにより窓配置はD8D1となりましたが、窓は高さが3等車他形式と同一の二段窓にしたものの幅はサロ85形と共通となる1,200mm大形窓でした。通風器は押込式でした。

形式番号が46と大きく飛んだのは、製造初年の1951年当時は70台の空き番号がなかったためで、元々32・42・52系のサロハ46形が、戦前に全てサロハ66形またはクロハ59形に改造されて消滅して空きとなっていたことから充てられたためです。

製造年次により以下の相違点があります。

1951年製 座席布地はブルーの塩化ビニール張り。 床はリノリウム張り。 台車はクハ76形のTR45形を改良したTR45A形を装着。
1953年・1955年製 座席布地ををサランに変更。 内装をニス塗りから塗りつぶしに変更。 台車をTR45A形からTR48A形に変更。 1955年製の車両では通風器を8個から9個に増設。
本形式では座席の布地に化学繊維を多用していることが特徴です。

1959年6月1日の車両称号規程改正による改番でサロ75形に変更されました。
同改正では旧形電車はトップナンバーを000とすることに変更されたために原番号-1で改番されました。
サロ46001 - 46018→サロ75000 - 75017

1967年に短編成化による制御車不足のため、運転台を取り付けてクハ75形としました。上越線用に5両が改造されサロ時代の番号を引き継ぎました。

サロ75002・75005・75006・75008・75017→クハ75同番号

改造点
前位側に切妻構造の高運転台を取付
前位客用扉を移設のうえ1,000mm幅に拡大
前位客用扉直後に種車の座席を流用してロングシート化
これらの改造によって窓割はdD7D1となりました。

002、005、006と008が1950年度製サロ75形からの改造で台車はTR45A、015と017は1953年・1956年度製のため台車がTR48Aです。017は前面に屋根布押さえが付いているのが特徴でした。

75005_751103
こちらはクハ75005 先頭の6連 デンチュウさまのページの編成表から新潟向きのクハは005のみ 1975/11/3

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電車_旧形国電」カテゴリの記事

コメント

おはようございます!
新潟にも当然ながら旧型国電が走っていたのですが、この塗装は逆に新鮮に見えました(^_^)。今につながる新潟カラーの魁といったところでしょうか(^_^)。

teru さま、おはようございます。

私も初めて見たとき、なんと当時の国鉄らしくない派手なお化粧でしょうと感じました。
でも派手なりに識別性も良く、飽きない塗装だと感じました。

今の新潟カラーはメインは緑だったり、青だったりですが、それもセンスがあるなと感じています。

やはり、鉄道の塗装って大事ですね。

毎度楽しませていただいています。
新潟の旧国・・・最高ですね。
顔だけ眺めてもこのバラエティー・・・見ているだけで楽しくなります。
貫通型あり、三枚窓あり、湘南顔でも木枠のタイプも撮影していらっしゃるのですね。

お話のように吹雪の中でも、電車接近がわかるようにこういう塗装にしたとか。
それまでぶどう色がすきなオールドファンには、
こういう塗装は顔をしかめたかもしれませんが、
私は大好きです。

ひそかに115系の新潟色化を夢見ています。

やぶおさま、こんばんは。

あの黄色はひまわりの黄色だったというところがびっくりですね。

新潟の115系でも弥彦線カラーに黄色がありますね。

1975年11月の1日の訪問でしたが、今から思えば木枠のクハ76に会えたのはラッキーでした。

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