1975年 新潟の旅 6 雪国カラーの旧国 3
今回はクハ76形です。
昨日の記事で紹介した「みどりの窓口」さまのサイトを見ると、当時新潟地区で活躍したクハ76形27両の一両、一両の違いが良く分かります。
クハ76形は座席定員60名の制御車で106両が製造されました。
1951年前期製 昭和25年度予算で製造されたクハ76001 - 76030。
窓配置は1dD6D6D2。 台車は戦前からのTR23形をコロ軸受としたTR45形を装着。 トイレは後の増備車とは異なる大型を採用。 出入口が客室側を向いており、出入りする様子が他の乗客にわかりやすく乗客からは不評とのこと。
1951年後期製 昭和26年度予算で製造されたクハ76031 - 76036・76037 - 76051奇数。
トイレを小型化により海側窓配置を1dD6D6D1に変更 トイレ対面に当たる座席をクロスシートに変更。
当時、長岡運転所には2両いたという前面ガラス窓枠が木製のクハ76 76049の方だと思われます。もう一方は046で前照灯が赤く縁取りされていたそうです。 1975/11/3 長岡
1952年 - 1957年製 クハ76052 - 76096・76097・76099・76101
前面窓のHゴム支持化を実施。 台車をTR48形へ変更。
長岡をあとにするクハ76 4連 1975/11/3
おでこの出っ張りは耐雪タイプのタイフォン
1957年・1958年製(300番台)
全金属車で基本的仕様変更はモハ70形と同一。奇数・偶数を分けない両渡り構造を採用。 トイレ位置を3位側に統一。 運転台直後の客室部分に窓を設置したため配置が2・4位側が1d1D6D6D2、1・3位側は1d1D6D6D11に変更。 運行番号表示器を少し前に張り出した構造に変更。 運転台窓上部に通風口を設置。 前面下部に埋込式警笛を2基設置。
不覚にも架線ビームが正面にかかってしまいましたが、昨日の編成データからクハ76064かと思われます。 1975/11/3 柏崎
新潟地区の旧形国電の歴史は二度にわたる置き換えによって幕を閉じたそうです。
1回目は1976年秋に首都圏の冷房化促進のため、115系300番台が投入され、捻出された0番台が長岡運転所に転入し、一部車輌が廃車、少数が信越本線ローカルに転出しました。この置き換えで清水トンネルを越えて高崎まで来ていた運用がなくなりました。
2回目は1977年以降、長岡運転所に115系1000番台を直接投入、0番台は80系置き換えのため広島地区に転出、70系は廃車となりました。1978年7月までに置き換えを完了させるはずでしたが、5月に発生した信越本線関山~妙高高原間の地滑りと6月の集中豪雨による柏崎駅冠水のため、計画は遅延しました。7月以降は115系の投入も順調に進み、8月23日
<=新潟 クハ76049-モハ70016-モハ70011-モハ70102-モハ70022-クハ76064 =>直江津
による編成でさよなら運転が実施され新潟地区での運用は終了しました。
にほんブログ村 最後まで読んで戴きありがとうございます。
上のリンクをクリックされると面白い鉄道記事満載のブログ村に飛ぶことができます。
« 1975年 新潟の旅 6 雪国カラーの旧国 2 | トップページ | 1975年 新潟の旅 7 クモニ83+クモユ141 »
「電車_旧形国電」カテゴリの記事
- 青梅線開通130周年、青梅駅駅舎築100年(2024.11.28)
- 広島~下関間の山陽本線直流区間で活躍した近郊形電車 その1 80系の時代(2023.09.19)
- 通勤電車シリーズ 205系 48 川越・八高線からの撤退(2022.04.15)
- 通勤電車シリーズ 205系 16 E231系の登場と中央・総武緩行線からの撤退 part2 南武支線101系の置き換え(2022.02.15)
- 通勤電車シリーズ 205系 4 阪和線への投入、横浜線への進出(2022.01.27)
« 1975年 新潟の旅 6 雪国カラーの旧国 2 | トップページ | 1975年 新潟の旅 7 クモニ83+クモユ141 »
コメント