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2013年5月21日 (火)

1975年 新潟の旅 8 115系 300番台 

115系の話題、今回は300番台です。

300番台といえば、冷房化とシールドビームライトですね。

通勤車輌の冷房化は今は当たり前ですが、その動きは関東圏では私鉄の方が先で1968年に製造された京王電鉄の5000系(5718編成)、5100系(5119編成)が最初の冷房搭載編成として登場しました。

1970年7月31日に山手線103系にも試作冷房車1編成が登場し(その頃の新聞記事)、国鉄における通勤電車の冷房化の試験が始まりました。私も1971年4月から高校通学で高田馬場~渋谷間で山手線を使うようになりましたが、1973年に量産冷房車が登場するまでの間、2度ほど偶然に乗ることができました。車輌ごとに天井の様子が異なりましたが、2本の四角いダクトが飛び出していたのを今でも憶えています。

103_3
当時、オリンパスペンで鉄道写真を撮り始めたころで、新宿駅で偶然、試作冷房編成 北イケ(臨1)編成に遭遇し、写真を撮りましたが、二眼式のカメラの欠点と腕が悪かったためストラップが映り込んでいました。1974/9頃

103_2_3
こちらは外回りに投入された臨1編成 新宿

<登場時の103系冷房試作編成>

クハ103-179+モハ103-279+モハ102-434
             AU75X形(三菱電機)
+ サハ103-306+モハ103-280+モハ102-435+サハ103-307
           AU74X形(日立製作所)
+ モハ103-281+モハ102-435+クハ103-178
            AU73X形(東芝)

一方、中距離電車の世界では京阪神の113系に改造冷房車が登場したそうで、Wikipediaの記述では

1970年に試作冷房編成が京阪神地区に投入された。改造されたのはサロ112形を含む以下の1編成8両である。

←東 クハ111-52+モハ113-55+モハ112-55+クハ111-360+サロ112-14+モハ113-15+モハ112-15+クハ111-369

冷房装置はクハ111-360とモハ112-15が東芝製AU73X形、モハ112-55とクハ111-369が日立製作所製AU74X形、クハ111-52とモハ113-15・55が三菱電機製AU75X形と集中式3種類が車体・台枠を補強のうえで搭載され、車内の意匠も冷房風道や吹き出し口の配置、扇風機の有無も数種類が存在した。冷房用電源装置は、製作期間の関係から急行用の110kVAのMGを流用しクハ111形に搭載した。

とのことでした。
113系の冷房化は1972年から113系1000番台として量産に移され、普及して行くことになりました。こういった流れを受ける形で115系においても冷房搭載車の製造と言うことになって1973年に登場したのが300番台です。

基本番台に対する主な変更点は

1)冷房(AU75C集中式冷房装置)搭載のため、M'車(モハ114形)に自車を含め最大4両に給電可能な冷房電源供給用MH135-DM92形・160kVA電動発電機 (MG) と関連機器を搭載。車体では中央後位側戸袋窓上部に電動発電機用冷却風取入口を設置。

2)低圧制御回路引通し用ジャンパ連結器をKE58形2基からKE76形3基に変更。

3)前照灯をシールドビームとし小型化。

4)乗務員室運転士側の面積が拡大され乗務員室扉前に下降窓を新設。

5)運転台機器配置を人間工学に基づいたものに変更。

6)助士側仕切戸を固定式に変更するとともに仕切窓も小型化。

7)クハ115形は、冷房電源用三相引通しにKE9形ジャンパ連結器を設置したために片渡り構造となり向きが奇数番号は奇数、偶数番号は偶数向に固定化。

8)1972年に発生した北陸トンネル火災事故の教訓から、長大トンネル走行時の火災対策を強化する目的でA-A基準に対応させるためシートや床材などを難燃化。ロングシート部の奥行きを500mmから550mmに拡大して座り心地を改善しました。

9)中央東線狭小断面トンネル対策としてパンタグラフは、折畳み高さが低いPS23形が開発されたためモハ114形は低屋根構造が不要となりました。そのため、800番台に相当する番台区分は存在しません。 PS23形搭載車は車体側面の車号表記に◇マークを付記して識別し車両番号での区分はされません。

10)客室窓構造は製造工数・保守低減のため別製造・後取付のユニットサッシに変更。

11)車体側面後位寄に電動行先表示器取付準備工事を施工。

12)横軽対策を新造時から全車に施工。

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東北本線南浦和付近を行く115系300番台 1982/1/3 東北上越新幹線の開業も迫り、最後の東北・上越特急の活躍を写しに南浦和付近に出かけた際についでに写したものと思われます。

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小山区のY379編成7連 2002/12/29 尾久

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小山区のY419編成 4連 2003/2/15 黒磯

中央線用の山スカ編成に関してはM1~M12、M40のすべてが300番台となっています。また、岡山には現時点で湘南カラーで残るA13(4連)を始め、多くの300番台が活躍しています。

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岡山区(岡オカ)4連 A-13編成 2013/3/20 岡山 
<姫路 Tc325+M316+M'316+Tc326 三原>

2013/5/18に大月で滞留していたM9編成からのスナップショット

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<基本番台に無くて、300番台以降にある> 運転席側パノラミックウインドウと乗務員室扉の間の小窓
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<300番台まであるけれど、1000番台以降は無い> 戸袋窓と連結面側窓の間の小窓

300番台のモデルチェンジ車として耐寒耐雪機能を強化し、不評だったシートピッチの改善等を行った1000番台の製造が1977年から開始されたため、300番台の総数は488両となり、車両番号は

クモハ115 301-326
モハ115   301-418
モハ114     301-444
クハ115     301-496   (444 - 496の奇数番号車欠番)
サハ115    301-330

となりました。これらの車輌は小山電車区・新前橋電車区・三鷹電車区に新製配置されました。

昨日の記事でも記述しましたが、三鷹区への300番台投入でそれまで活躍していた「ヤマゲタ」70系は広島に転属となりました。またこの投入で基本番台編成は8連McM'TcTTMcM'TcからMcM'TTc4連に編成替えされ、新宿や松本までの運用には顔を出さなくなりました。

1979年の時点でいずれの車輌も新製配置区に所属していましたが、1986年11月(国鉄最後のダイヤ改正)では三鷹区の配置車輌は、豊田区と岡山区へ、小山区の車輌の一部は三鷹区、広島所へと転属しています。下関所にも4連6本が配置されていました。

三鷹から岡山に転属した編成はF1~6編成として、3連(McM'Tc)で
広島に転属した編成はH14~17編成として4連で活躍を開始しました。

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