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2013年5月31日 (金)

1975年 新潟の旅 8 115系 改造 クハ115-550, 650番台

大宮のふれあいフェアの記事で新潟の話題からしばし遠ざかりましたが、今回からまた115系の話題を続けます。

クハ115-550および650番台は、1983年に、越後線・弥彦線の電化開業用ならびに山陽本線広島地区の短編成化頻発運転用としてモハ115形・モハ114形基本番台を電装解除し、500番台と同様の運転台を取付けてクハ115形に改造されたグループです。550番台が奇数向き、650番台が偶数向き先頭車となりました。

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新潟駅に到着するL1 4両編成 2005/3/25 先頭はクハ115-552

550番台も650番台も奇数(上り)向きで種車の前位に運転台を取付け、550番台は偶数(下り)向きに方向転換し、3位側隅にトイレを設置しました。基本的に550番台はモハ115形からの、650番台はモハ114形からの改造ですが、552のみモハ114形からの改造で屋根上のパンタグラフ部の歩み板が残存します。

550番台では551 - 553は新潟地区用で耐寒耐雪装備を追加し、554 - 556と650番台の全車は広島地区用で暖地向けです。1987年の国鉄分割民営化では、新潟地区用の550番台3両がJR東日本に、広島地区用の550番台3両と650番台4両がJR西日本に承継されました。

JR東日本承継車は現在も全車が車籍を有し、AU712形集約分散型冷房装置による冷房化も施工。新潟車両センターに所属し信越本線・白新線・越後線・弥彦線で運用されています。

新潟地区に残るクハ115-550番台は4両編成グループ、L1, L2, L3編成に組み込まれており、

2011.10.1現在の編成表では
<= 新潟・柏崎                 長岡、村上=>

        クハ115   モハ115  モハ114   クハ115
L1    552     113     99      1051
L2         553           116         102             2040
L3         551           119         105             2037   

と、なっています。

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115系 L-3編成 2005/3/26 加茂 手前のクハが551

JR西日本承継車は、554・556・652・654が国鉄時代の1985年にAU13E形分散式冷房装置を6基搭載する冷房化改造を施工され、1987年に651・653が試作のWAU101形を3基搭載して冷房化されましたが、555は非冷房のまま1992年に廃車されました。その後、2001年に651・653、2004年に554、2013年に556・652・654が廃車され、550番台はJR西日本より消滅、650番台は全廃されました。

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115系 広セキ C-18編成 2004/9/4 広島 
クハ115-556+モハ115-2018+モハ114-2018+クハ115-2012

この編成は上り方、先頭にクハ115-556を連結した編成で、556だけ他の3両とエアコンのキセが違います。

改造に伴う、番号の対応は

モハ115・114-67・モハ115-69・15・18・91 → クハ115-551 - 556
モハ114-69・15・18・91 → クハ115-651 - 654

となっています。

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2013年5月30日 (木)

2013/5/25 常磐線貨物と東武野田線の新顔

2013/5/25の大宮までの往復に東武野田線を使いましたが、往復で見たものについて今回は触れたく思います。

まずは、藤代駅での2095レです。

5/18の高尾、大月方面の撮影では最近開業した吉川美南駅で2095レを狙いましたが、今回は交流区間に入って最初に停車する藤代駅で狙ってみました。

時間は8時頃で、上りのE657系特急「フレッシュひたち12号」1012Mが通過した後に、入れ替わるようにEH500の姿が見え、低速で中線に進入して参ります。今の季節、運転士さんは見えにくいかもしてませんが、機関車の正面から陽があたる感じです。今回は79号機で、2エンド先頭でした。

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停止位置に止まると直ちに後方のパンタを下げます。

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そして約10分ほど停車した後、発車して行きます。下りE657系特急「フレッシュひたち5号」1005Mをやり過ごします。この間、普通電車はないので、佐貫方面に先回りは出来ません。

続いて、東武野田線の新車、60000系と東上線から転属した10030系の話題です。

ニュース等で8000系のみだった野田線に新たなバリエーションが加わったことは知っておりましたが、イベントからの帰り、いきなり大宮駅で出迎えを受けたのには驚きました。

大宮駅のホームではあまりに窮屈であったので、とりあえず一駅、北大宮に移動して何時やってくるか待つことにしました。その間に並行して走るJR線の撮影も行いました。

485_130525
北大宮のホームからは東北本線の列車と東大宮に出入りする列車を写すことが出来ます。やって来たのは宴編成1993年に勝田から小山に転入した485系0番台を種車に改造したもので、クロ484-3(いこい)、モロ484-5(ろばた)、モロ485-3(はなやぎ)、モロ484-4(にぎわい)、モロ485-2(ほほえみ)、クロ485-1(へいあん)の6両から構成されています。

種車の番号は編成順に(クハ481-22、モハ485-37、モハ485-37、モハ484-56、モハ485-56、クハ481-25)となっています。クロは1965年に483系のクハとして仙台に配置されてもので、車体は新製されてはいますが車齢的には48年になります。

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60000系はすぐ後にやってきました。とりあえず2編成のみの投入というところが如何にもという感じも致しますが、記録することに致しました。

61601_130525_2
さらに柏に到着して常磐線ホームから見ていると、8000系でないステンレス車体の電車がホームにいるではありませんか。これが噂の「ファミリーマート」11652Fかと思い、こちらも記録致しました。

16652f_130525
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最後に、この日、2097レ~2092レで隅田川~土浦を往復したEH500-1号機を撮影して家路につきました。

Eh5001_130525

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2013年5月29日 (水)

2013/5/25 JRおおみや鉄道ふれあいフェア 2013 その4

JR貨物の大宮車輌所ではDE10 1539号機が「あけぼの」のHMを付けてお出迎えです。

De10_1539_130525
De10_1539_130525_2_3
DE10
という機関車は結構、よく出会う機関車で知らず知らずのうちに撮影しているのですが、この1539号機は今回初めて出会いました。所属を調べると、仙台総合鉄道部とのことでした。もう一台1586号機が入場中で、こちらは愛知機関区時代、現在の新鶴見機関区(川崎派出)時代に撮影しておりました。

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DE10 1586号機 愛知機関区時代 2009/3/24 稲沢

ここでの最大の見世物はクレーンを使ったDE10の空中浮揚ショーですが、今回は撮り逃がしてしまいました。2005年にはED751008号機が浮いており、2010年にはEH50038号機が浮いていましたが、それぞれを思い出すと時間の経過を感じます。

EF641049号機も入場しており、こちらは2月頃出場したEF641047号機とおなじ広島更新塗装機でしたが、1047号機が高崎更新塗装(牛乳パックとも言われているそうですが)に替わって出場したのに対して、こちらは広島更新塗装のまま出場とのことでした。

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高崎更新塗装で活躍する最近の1047号機 2013/2/23 成田線宮ノ下踏切 鹿島貨物のEF64も一年で終わってしまいました。

思えばEF651000番台でも似たようなことがありました。2008年頃、広島更新色(辛子色貫通扉)だったEF651093号機EF65 1127号機が大宮で検査を受けることとなり、1093号機は最初の大宮入場で関東のEF651000番台と同様のスタイルになり、一方で1127号機は現在、2127号機に改番されても辛子色貫通扉で活躍しています。大宮車輌所のルールとしては、広島更新色は最低一機は残すという方針なのでしょうか。

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EF651093号機、このスタイルでの関東での活躍は短かったです。 2008/3/29 府中本町

さらにEH500-29号機や、EF641035号機が入場しておりました。EH500-29号機は中身の機器類は全て抜かれがらんどう状態でした。EF641035号機は運転台見学用になっていました。パンフレットにはEF652037号機の展示も予定されていたようですが、こちらは見えるところにはいませんでした。
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最後にJR東日本の電車関係の建物を覗いてみました。京葉線の205系(メルヒェン顔)、251系などのJR発足時の車輌が20数年の時間の経過で今後どのように変わって行くのかが興味深く感じられました。

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205系の電動車の台車 台車解体作業の途中だったようです。

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2013年5月28日 (火)

2013/5/25 JRおおみや鉄道ふれあいフェア 2013 その3

個人的に今回のイベントでもっとも興味深かったのがSL展示コーナーでした。

庫内には、最近入場した真岡鉄道で活躍するC11325号機と、釜石線での運転を目指して現在、復元作業中のC58239号機の姿がありました。

<C11形蒸気機関車について>

国鉄の前身の鉄道省が1932年に設計した機関車で、1930年に設計されたC10形の改良増備車として設計・製造された軸配置1C2の小型タンク式蒸気機関車です。

第一次世界大戦終結後の日本経済の低迷と、都市部での並行私鉄線や自動車の台頭などの事情から、1920年代は旅客・貨物輸送ともに輸送単位の縮小や列車運行回数の高頻度化が求められるようになっていました。

そこで制式テンダー機関車ではもっとも小型であったC50形を基本としつつ、支線区の輸送需要を考慮して一回り小型化し、炭水を無補給で50kmから60km程度の距離を走行可能とする石炭庫と水タンクの搭載、それにそれらの重量の変化による動軸重の変化を抑制するために2軸従台車を付加する形で、国鉄としては1917年4110形最終増備グループ以来13年ぶりとなる、新設計の制式タンク機関車が作られることとなりました。

その先駈けとなったのは鉄道省の島秀雄を主務設計者として鉄道省・国内機関車メーカー各社によって共同設計され、1930年に製造されたC10形です。これは主として都市部に配置され、短区間の折り返し運転による快速列車運用などで好評を博しました。しかし、このC10形は性能面ではおおむね満足な成績が得られたものの、従台車を2軸台車としたにもかかわらず動軸重が13tを超過し、軸重制限の厳しい丙線以下の支線区への投入には適さないという問題がありました。

新型タンク機関車の本格量産にあたって、1931年に設計されたC54形で得られたノウハウを盛り込んで設計をさらに見直し、とくに薄鋼板部品の接合に電気溶接を採用するなど、新技術を積極的に導入して軽量化を図ることで、動軸重を13t以下に抑えることになりました。水タンク・石炭庫・運転室など薄鋼板を使用する部分について構造の見直しと工作法の工夫が行われ、これにより運転整備重量をC10形比で約5パーセントの削減となる66.05t、動軸重で最大12.5tの範囲内に収め、C10形と比較して入線可能線区を大幅に拡大することに成功しました。

コンパクトで使い勝手がよく、戦時中に貨物輸送能力の増強用として支線区を中心に投入されたこともあり、その総数が381両(民間用をあわせると401両)に達するという、国鉄近代型制式蒸気機関車の中でも有数の成功作となりました。また、その設計で得られた知見はC54形の後継機種となるC55形の設計にフィードバックされ、国鉄最後の新設計制式蒸気機関車となったE10形まで引き継がれており、その面でも大きな成功を収めた形式です。

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本来は予備機であるC11325がC1266検査入場中の際にSL列車を牽引した姿 2012/4/12 天矢場~茂木

<C11 325号機について>

1946年3月28日に日本車輌製造本店にて落成(製番1418)。4次形の後期製造グループに含まれ、「戦時設計」「戦時工程」による大幅な簡素化が図られていました。そのため、現役当時は工作の容易化を図った角型の砂箱と蒸気ドーム被いを装着していました。 当初は茅ヶ崎機関区に配属され、相模線や南武線、入換などに用いられました。

1967年3月、米沢機関区へ転出し、米坂線や左沢線で使用され、1972年、左沢線で蒸気機関車の運転が終了されるにあたり、本機が「SLさよなら列車」を牽引し、その後廃車となりました。

1973年、新潟県水原町(現在の阿賀野市)水原中学校に無償譲渡、静態保存されることとなりました。

1996年C12 66により「SLもおか」を運転していた真岡鐵道が、予備機として使用するため、3月27日に水原中学校から真岡鐵道真岡駅前に移設されました。

1997年11月より、JR東日本大宮工場(現在の大宮総合車両センター)にて動態復元工事が行われました。この復元工事にあたり、1次形にならい、特徴的であった角型ドームを通常の丸型ドームに交換しました。1998年9月に動態復元工事が完了、10月に真岡鐵道に引き渡されました。同月9日より試運転が行われ、この時「SLもおか」を牽引していたC12 66との重連での試運転が幾度か行われた。11月1日、全国の第三セクター鉄道による「ふるさとレールフェスタ」に併せて、C12 66を従えて初の営業運転に投入された。 その後は、ホームグラウンドである真岡鐵道での「SLもおか」のC12 66検査時の予備機、および重連運転用として使用されています。

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C11325にとってみれば1998年に二度目の命を与えられた地で検査を受けていることになるのですね。C11のキャブの後ろにはC58の炭水車が見えます。

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戦時設計のカマボコ形ドームからオリジナルのドームに生まれ変わったのもここでした。

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C11の動輪はC54,C55の頃ですからまだスポーク動輪で、C55のように水搔きは付いていません。動輪径は1520mmとのことです。因みにC12はさらに小さく1400mmとのこと。

続いてC58239号機です。

<C58形について>

国鉄の前身の鉄道省が導入したローカル線用の客貨兼用過熱式テンダー式蒸気機関車で、8620形の速度と9600形の牽引力を兼ね備えた共通の後継機として設計され、1938年から1947年にかけて、431両(国鉄向け427両(樺太庁鉄道向け14両含む)、天塩鉄道・三井芦別鉄道向け各2両)が製造されました。

国鉄のテンダー式蒸気機関車では唯一の2-6-2(1C1。プレーリー)型車軸配置を採用しています。国鉄の蒸気機関車としては、初めて密閉型の運転室が採用され、床部後方に延長して炭水車に接する部分に扉を設けています。一番動揺の激しい炭水車との接続部が床になったことで、機関助士の労働環境は大きく改善されましたが、温暖な九州では扉を外して使用したものもありました。

太平洋戦争の戦況悪化により、戦前・戦中の製造は1943年発注分で中止され、D51形などのような木製デフレクターやカマボコ型のドームを装備したいわゆる戦時型は製造されず、戦後は1946年から製造が再開されました。

戦後製造分(C58 383以降)は、ボイラー径の拡大(1,364mm → 1,396mm)、炭水車を6-17型(石炭6t・水17t)から10-20型(石炭10t・水20t)型に拡大、無台枠の船底型に変更、台車の変更(軸ばね形プレート式 → まくらばね形鋳鋼製)とするなどの設計変更が行われています。

<C58 239号機について>

機関車表による現役時代の履歴は

C58239     川崎重工兵庫工場=2321      1940-06-00 S58.70t1C1T(1067)
車歴;1940-06-00 製造→ 納入;国鉄;C58239→
配属[達529];名古屋局→1940-06-26 竣工→1945-08-00 現在;宮古→
1964-04-01 現在;宮古→ 八戸→1972-05-22 廃車;八戸→1973-05-01
保存;岩手県盛岡市運動公園内「交通公園」

2012年10月のJR東日本の発表によれば、2013年度冬以降の営業運転開始を目指して復元させる予定とのこと。2012年12月4日に復元のために大宮総合車両センターへ向けて陸送され、順調であれば2013年内にも復元工事が終了し、翌2014年2月頃までに営業運行の開始を目指すとのことです。

復元後は釜石線を中心に年間80日程度の運行を予定しているほか、東北地方を中心に他路線への出張運転も計画されています。また、この際に必要となる牽引客車に関しては、JR北海道からキハ141系気動車(キハ142-201・キサハ144-101・キサハ144-103・キハ143-155)を購入し、ジョイフルトレインに改造の上、使用する予定。ただし、キハ141系は釜石線内での急勾配区間に対応するため、動力機構は撤去せず自走可能な状態で使用するとのことです。

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主台枠 前方から
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主台枠 後方から

ボイラー部分はサッパボイラで修復作業中とのことで、大宮センター内にはありませんでした。炭水車、従台車を外すと意外とエンジン部分の全長は短いものだというのが正直な感想でした。

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蒸気室とシリンダー 

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秩父鉄道のC58363号機 2010/5/15 広瀬川原

ふだんはカバーがかかっており、結構大きく感じますが、裸にしてしまうと結構小さく感じるものです。

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ピストンや弁も展示されてしました。これらも取りだして並べてみると意外と小さなものです。

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手前の短い方がC11の主連棒、奥がC58の主連棒

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ばらしてしまえばただの部品といった感じですが、これらを組上げて動くようにする工程はなにか生命を吹き込んで行くようにも感じます。
以前、何かの本で読んだことがありますが、部品としてかなりの精度が要求されますが、蒸気機関車の場合、あまりきっちり作りすぎると動かなくなってしまい、ある程度の遊びも重要であるとか。

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蒸気機関車の場合、ブレーキ等に必要な圧縮空気も蒸気コンプレッサーで作りだしております。C58_363_100515_6
ボディに装着された姿

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主動輪の軸受けかと思いますが、以前、C571の修復作業をテレビで見た際に、この部品を作っているシーンがあったのではと思います。

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奥の上から見ると三角形の枠は従台車枠でしょうか。

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運転整備時の従台車の様子 まさに主台枠とピンで繋がっていることが分かります。

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煙突が何気なく置いてある風景もシルクハットのようでユーモラスではありました。

蒸気の復元作業でいつも一番気がかりなのは静態保存期間中におけるボイラー等のいたみ具合ですが、今回もサッパボイラーで修復中の心臓部が無事審査をパスしてC58239号機が本線に復帰することを願っております。

記事の作成にあたり、Wikipediaの記述、沖田祐作氏の著作「機関車表」のデータを使用致しました。

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2013年5月27日 (月)

2013/5/25 JRおおみや鉄道ふれあいフェア 2013 その2

2回目は野外の機関車展示から始めます。

毎回、メンバーは替わりますが、今回はEF60 510, EF65 1115, EF81 133, EF80 36が展示されていました。

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EF60500番台として颯爽とブルートレインを牽引していたころの衣装を纏い、丸い「富士」のHMを付けた510号機

Ef60_510_130525_3
反対側は「はやぶさ」でした。HMは時間ごとに替わるという案内がありましたが。

Ef60_510

再掲ですが、510号機の現役時代。紙列車といわれたワムを牽引して飯田町から中央線を下る貨物列車 市ヶ谷

EF60500番台に関しては、2012年11月18日の記事で紹介しましたが、1963年から1964年にかけて20系寝台特急牽引用にEF58の置き換え用に製造されましたが、定格速度が低く特急列車牽引には不向きであったため、EF65500番台の登場でその任を解かれ、貨物機に転じ、塗装も一般貨物塗装に改められました。

EF60510    川崎重工兵庫工場=286/= 川崎電機   1963-11-27 E96tBBB(1067)
  車歴:1963-11-27 製造→ 納入;国鉄;EF60510→ 配属[達370];関東支社→
      1963-11-27 配置[関東支社達乙3];東京→1963-11-28 使用開始→
      1963-12-03 借入;新鶴見→1963-12-19(12/28?)返却→
      1964-03-18 借入;新鶴見→1963-03-22(3/21?)返却→
      1964-07-17 借入;広島→1964-07-27 返却→
      1964-07-28 借入;下関?(履歴簿では当日東京区へ返却となっている)→
      1964-07-31 借入;広島→1964-10-01(9/30?)返却→1965-09-24 浜松→
      1979-03-18 借入;八王子→1979-04-01 八王子→1984-02-01 高崎二→
      1984-05-15(5/25?)一休指定→1986-02-03 廃車;高崎二→
     保存;埼玉県大宮市「JR 東日本大宮工場」;EF60510(最終走行距離2,243,935㎞)Ef60_510_130525_6

EF5893号機の換算が11(11.5)()内はSGの燃料、水搭載時と思いますが、であるのに対してEF60510は9.5でした。

Ef60_510_ef65_1115_130525

EF60の隣にはEF651115号機が。HMは「富士・はやぶさ」併結マークでした。

Ef65_1115_000000
かつては東京機関区のエースとして、「あさかぜ」や、  保土ヶ谷Ef65_1115_000000_3
富士 東京Ef65_1115_801208_2_2
出雲 などを牽引しました。1985年3月の改正で一部、EF66に置き換えられましたが、その後も「瀬戸」、「出雲」、「銀河」などの牽引に奮闘しました。

EF651115    川崎重工兵庫工場=606/= 富士電機    1978-08-23 E96tBBB(1067)
  車歴;1978-08-23 製造→ 納入;国鉄;EF651115→ 配属;関東支社→
      1978-08-23 配置;東京→1985-03-14 新鶴見→1986-11-01 田端→
      1987-04-01JR 東日本;EF651115→ 配置;田端運転所→
      2003-04-01 現在;田端運転所→2008-04-01 現在;田端運転所

Ef81_133_130525
田端運転所のEF81の中でも庇付きの車体でユニークな存在な133号機

Ef81_133_110206

再掲ですが、機関士訓練列車を牽引する133号機 2011/2/6 栗橋~古河

次の検査期間まであとどれくらいの時間があるのか、昨日見るのを忘れましたが、田端のEF81の姿を見ることが出来るのもあと僅かのように感じます。

Ef65_1115_ef81_133_130525_2
反対側エンドのHMは EF651115 オリエントエクスプレス、EF81 133 エルムでした。

EF81133    日立製作所水戸工場=10450-4      1976-09-07 E100.8tBBB(1067)
車歴;1976-09-07 製造→ 納入;国鉄;EF81133→
配属;東北支社→1976-09-07 配置;酒田→1985-03-14 長岡→1987-04-01
JR 貨物;EF81133→ 配置;富山機関区? →
JR 東日本;長岡運転所→1994-11-19 田端運転所→2008-04-01 現在;田端運転所

Ef80_36_130525
常磐線をメインに活躍したEF8036号機 当時の技術では交直流機の軽量化は難しかったので、一台車一モーター方式を採用した我が国初の本線用交直流量産機です。

Ef80_36_8306
Ef80_36_8306__2_4
36号機の現役時代、寝台特急「ゆうづる」を牽く姿 1983/6 荒川沖~牛久間 つくばに移り住んだ当初、夏至の頃なら常磐線を上るゆうづるを写せるとのことで早起きして撮ったショットです。

EF8036     日立製作所水戸工場=193421-3     1963-04-04 E96.0tBBB(1067)
   車歴;1963-04-04 製造→ 納入;国鉄;EF8036→
   配属[達396];関東支社→1963-04-04 配置;田端→1986-01-18 廃車;田端→
      保存;埼玉県大宮市「JR 東日本大宮工場」;EF8036
185_c1_130525_2
そして、昨日の記事でもご紹介した185系C1 5両編成が今回、試乗車輌として活躍していました。

185_c1_120715
A8 10両編成と組んで15連で特急「踊り子」号で活躍する姿 2012/7/15 大船

次回は蒸気機関車の展示を

機関車の履歴データは沖田祐作氏の機関車表のデータを引用しました。

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2013年5月26日 (日)

2013/5/25 JRおおみや鉄道ふれあいフェア 2013 その1

今月5日の東京貨物ターミナル公開に続いて、JRおおみや鉄道ふれあいフェアに行って参りました。

正式にはJR東日本の大宮総合車輌センターとJR貨物の大宮車輌所の一般公開です。

前回、参加したのは2010年でした。

大宮までは柏から東武野田線を利用してみました。あとでお話しますが、野田線でも意外な収穫がありました。

185c1_130525
東武野田線のホームからは試乗の185系C1(斜めストライプ編成)と展示機関車が見えます。

De10_1099_130525

大栄橋を渡って行くとDE10がHMを付けてお出迎え。前回も同じでした。

D51_187_130525
会場入口そばには、D51187号機の展示が。

D51_187_130525_2
昭和13年、大宮工場1号機として製造された銘板がキャブに。

因みにD51 187号機の履歴は

D51187     国鉄大宮工場=1               
1938-09-09 S77.60t1D1T(1067)
車歴;1938-09-09 製造→ 納入;国鉄;D51187→ 配属;東京局→1938-09-09 使用開始→
    1938-09-00 配置[東鉄達749];田端→1945-12-29 姫路→1955-11-09 浜田→
    1956-10-00 頃;後藤工場にて切取式除煙板G-5 型装備;浜田→1960-02-29
集煙装置取付→
    1960-02-06 最終甲修;後藤工場→1971-08-26 廃車;浜田→
      保存;埼玉県JR 東日本「大宮工場」;D51187(保存時除煙板を標準型に取換)

(沖田祐作氏の機関車表から)

Jr50_130525
今年は交通新聞社が発行する時刻表(現 JR時刻表)が50周年のようで、D51_187_130525_3_3
D51187号機にも時刻表50周年のHMが。

130525
鉄道関係のイベントにつきもののアーチがお出迎え。

130525_2
国鉄時代はひとつの組織だったのかと思いますが、分割民営化後の今も仲良く並んで表札が。

130525_3
入口で配られたパンフレット 展示のおおまかな様子は例年と変わらない様です。

台車の組み立ての実演、大量の輪軸のストック、台車置き場の横を通過して、最初に見えてきた展示車両は青大将塗色のEF58 93号機でした。

Ef58_93_130525
EF58 93号機 2005年に来たときと展示場所が変わっていましたが、
Ef58_93_130525_2
裏側から狙ったショットで、
Ef58_93_130525_3
1956年製造ですから、私と同じ年なのですが。
Ef58_93_3
93号機の現役時代、ミスショットですが、20系化された上り急行「銀河」を牽いて川崎駅に接近するところです。93号機の履歴です。

EF5893     東芝府中工場=302300-3        
1956-07-09 E115.0t2CC2(1067)
車歴;1956-07-09 製造→ 納入;国鉄;EF5893→ 配属[達549];東京局→1956-07-09
竣工→1956-07-09 配置;東京→1956-08-19 借入;宮原→1956-00-00
宮原→1979-07-04 浜松→1984-02-01 東京→1985-03-14 新鶴見→1985-07-26
廃車;新鶴見→ 保存;埼玉県大宮市「JR 東日本大宮工場」EF5893

「銀河」牽引時代は宮原区の所属でした。

(沖田祐作氏の機関車表から)

107_n4_130525
EF5893号機の先にはこの3月の改正で日光線から引退した107系電車N4編成。

107_n4_130525_2
クハ106側からのショット

107_n4_060708
107系N4編成の登場時の塗装 2006/7/8 自治医大~石橋間

107_130525
107系の運転台

<107系について>

1980年代後半の日光線・両毛線など北関東支線区の普通列車には、急行列車の廃止により165系急行形電車が多数転用されていました。しかし、新製後20年以上を経て、老朽化が進行しており、 デッキ付き片側2扉の車体構造のため朝夕ラッシュ時には乗降に手間取り遅延を発生させる原因になっていました。最低組成編成が3両であるため日中閑散時には輸送力過剰となっていました。

国鉄分割民営化によって発足してまもないJR東日本に望まれたのは、時間帯ごとの需要に柔軟に対応できる車両の開発でした。

以上の経緯から1988年から1991年にかけて誕生したのが クモハ107形 (Mc) + クハ106形 (Tc') から構成される107系で以下の特徴を持ちます。

2両編成を基本とすることで2両・4両・6両と需要に応じて輸送力の調整が可能です。

製造コスト削減を図るため165系の廃車発生品となる主電動機・台車・補助電源装置(電動発電機)・ブレーキ制御装置・空気圧縮機・冷房装置など主要機器を再用しました。

車体製造技術の維持向上を兼ね大宮工場(現・大宮総合車両センター)・大井工場(現・東京総合車両センター)・大船工場(現・鎌倉車両センター)・新津車両所(現・新津車両製作所)・長野工場(現・長野総合車両センター)・郡山工場(現・郡山総合車両センター)など自社工場での製造を実施しました。

投入線区の事情で仕様が異なるために0・100番台の番号区分を実施しました。

107系の記事に関してはWikipediaの記事を参考にしました。

<次回へ続く>

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2013年5月25日 (土)

1975年 新潟の旅 8 115系 改造 500番台 2両編成

1975年の水上、長岡、柏崎の旅では115系を一枚も写しませんでしたが、その後の新潟旅行では特徴のある車両を写しておりますので、紹介いたします。

1984年に越後線(柏崎~新潟)、弥彦線(弥彦~東三条)が電化され、開業のために全国各地から基本番台が集められ、同線用に改造されました。

115_050323
弥彦線カラーを纏ったY編成 2005/3/23 東三条

当時の国鉄財政は極度に逼迫しており両線の電化開業用に車両を新製する費用軽減策として、岡山・広島の両鉄道管理局管内で運用されていた115系編成を短編成化し、捻出されたモハ115形前位・モハ114形後位に300番台以降と同様の運転台取付・耐寒耐雪装備等の改造を施工しました。

番号の新旧対応は

モハ115-84・87 - 89・127・129・134 → クモハ115-501 - 507
モハ114-84・87 - 89・113・115・120 → クモハ114-501 - 507

でした。

115_y1_050323
Y-1編成 2005/3/23 新潟

現在、これらの車輌はY編成(弥彦線用ワンマン対応編成)Y-1, 2, 3とS編成のうちのS-13, 14, 15、さらに2000年に訓練車になった編成1本としてすべて健在です。

115_s15_050323_2
S-15編成 2005/3/23 新潟 この色は非更新車の色で更新されると青系統の塗色になるそうですね。

編成番号と車輌番号の対応は

                            弥彦<=                                   =>東三条

            Y-1        クモハ115-501+クモハ114-501 
       Y-2                              503                 503
              Y-3                              504                 504

      S-13                             502                 502
             S-14                             505                 505
             S-15                             507                 507   となっており、

506 の編成は2000.8.7に訓練者に改造されクモヤ115-1+クモヤ114-1になりました。

なお、これらの車輌は後年、冷房化された際にJR東日本の後付けタイプの冷房装置としてよく見られたAU712形冷房装置によって冷房化されています。

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2013年5月24日 (金)

1975年 新潟の旅 8 115系 3000番台 

115系シリーズ、新造車の最後のグループは3000番台です。

1982年に広島地区で使用されていた153系を置き換える目的で製造されました。これまでの6連から、フリークエントサービスを目指した(ひろしまシティ電車)4連とし、宮島などの観光地も控えていることから2扉クロスシートとし、それまで配備されていた111系とも混結可能としました。その結果、3000番台単独の編成6本と4連化で捻出された111系モハユニットに連結されるクハが15組30両製造されました。

1153000_850418b
3000番台登場の頃の塗色。手前の4両は3000番台の第一編成。すべて3000番台から組成される4連です。 1985/4/18 広島

1153000_850418_3
一方、こちら側の4連は、当初、111系モハユニットと組むために製造された3000番台クハと湘南色のモハユニットから構成されていました。

主要機器類は2000番台から踏襲されましたが、車体内外は117系電車に近い構造となったため。以下の設計変更が実施されました。

1) 保守省力化を図ったDM106ブラシレス式MG(容量190kVA)をモハ114形に搭載。
2) 短編成化に伴う1ユニット運転における冗長性確保の観点から、パンタグラフはモハ114形に2基搭載とし、制御用電源はモハ115形に搭載するバックアップ用SIVから供給されました。
クハ115形は以下の設計変更が行われました。
1) 先頭形状は在来車と同じですが、ガラス支持方法をHゴムから金属押え式に変更。
2) 運用線区が広島地区であることから新製当初よりスノープロウは未装備。
3) 下関方偶数向き車(3000番台)にトイレを設置したほか、111系との混結時にモハ110形のCPだけでは容量不足となるためC-1000形CPを搭載。
4) 閑散区間・時間帯での車掌業務に配慮し、扉の開閉は編成中どの乗務員室からでも操作を可能としました。

111系と編成を組成するクハ115形は以下の変更も追加。
1) 電動車ユニットが非冷房かつ電源用大型MGが搭載されないため冷房準備車として製造。ただし、老朽化による淘汰に伴う編成変更で冷房車との再組成を考慮し、天井風道を設け一部に凹みを設けて扇風機を設置。運転台後部の押込式通風器も大型に代えて一般型にするなどの変更を実施。1983年から1985年にかけてMM'ユニット本区分追加製造車や冷房改造施工基本番台車へ組替る際に、全車冷房搭載工事を施工。
2) 運転台に111系・本系列の制御回路切替スイッチを搭載し、抑速ブレーキ・客用扉半自動扱いなどに対応。

1983年6月に本系列最終増備車となるMM'ユニット6組x12両 (モハ115・114-3007 - 3012)が追加製造され、本グループの総数は66両となりました。

モハ115-3001 - 3012
モハ114-3001 - 3012
クハ115-3001 - 3021・3101 - 3121

登場から30年経過した現在の3000番台は、下関総合車輌所(広セキ)所属のN編成O01,O02編成のクハとして全車両健在です。当初から4連で製造された車輌と後で増備されたモハユニット6組による4連はN01~N12編成を組成し、クハのみで製造された車輌は117系の4連化で捻出されたモハ117ユニットを115系化した-3500番台と4連を組成し、N14, N16~N21編成となっています。

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今はなくなってしまった「広島快速色」で活躍するN01編成 2002/3/29 倉敷

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現在の塗色のN01編成 2012/12/22 新山口

115_n11_130322_2
N編成にも黄色化は来ており、N11,N12、N19編成等が既に黄色化されているようです。 2013/3/22 海田市

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元117系のモハユニット、3500番台を組み込んだN17編成 2002/3/29 倉敷

117系由来のモハユニットのため、パンタの位置の違い、側面の行き先表示の位置の違い、さらに車体の曲線の違いが分かります。

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N19編成の塗色変更される前の姿 2010/8/7 下関

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3000番台に関してはやはり以前の塗装の方が似合っているように感じますが。 2013/3/22 海田市

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2013年5月23日 (木)

1975年 新潟の旅 8 115系 2000番台 

115系の話題、今回は2000番台です。

115系も当初は東北本線(宇都宮、小山)、高崎線(新前橋)、中央線(三鷹、豊田)に投入されて来ましたが、1977年頃になると広島地区に残る旧形車や身延線の旧形車の直接の置き換えのために投入されることになりました。投入地域が暖地であったので、1000番台から耐寒耐雪構造を軽減した車輌が設計されました。これが2000番台です。115_850418_3_2
1985年4月に広島に出かけた際、大きなHMをつけた2000番台と思われる115系ひろしまCity電車に遭遇しました。 広島 1985/4/18

1977年に広島地区に6連8本、4連13本、1981年に身延線に3連13本と4連組成用(増結用)クハ8両が投入されました。

2012年の編成表によれば、広島運転所に115系4連のL編成が22本(L1~L22)配置されており、一部1000番台が混じっていますが大半は2000番台です。

115_l11_040905
L11編成は、播州赤穂<クハ115-2101+モハ115-2001+モハ114-2001+クハ115-2001>とオールトップナンバーから構成される編成です。 2004/9/5  広島

115_l21_130322
L-21編成 こちらはJR西日本が進めている地域統一色化に従って黄色に塗り替えられた編成で、L編成シリーズではL-03,L-08, L-10, L-15, L-20などが既にこの塗色となっています。いずれはすべてこの色になるのでしょう。

115_c21_100805
C21編成 2010/8/5 下関

2000番台は下関総合車輌所(広セキ)配置の編成にも存在します。C13,C14, C16, C18, C21, C24のモハユニットと一部のクハは2000番台です。この写真のC21編成も上り方はクハ115-2114ですが、下り方のクハは192で基本番台です。デカ目の台座にシールドビームライトを付けた珍改造の車輌で、誰が名付けたのか”チクビーム”と言われているようですが。

下関配属の車輌ではC編成以外にO編成のO01~O03編成のモハユニットも2000番台です。

一方、身延線に投入された2000番台は当初ワインカラー塗色で活躍しました。その時期、身延線を訪れていないので写真は撮っていませんが、湘南カラーになった後に一枚だけ撮ったものをご紹介致します。

1152000_b02_050821
静シス B2編成 2005/8/21 島田

JR東海は313系化を推進して国鉄型車輌の積極的淘汰を進めており、2000番台も全て廃車となっております。なお、身延線の狭小トンネルはモハ114形のPS23Aパンタ取り付け車でも絶縁距離確保が難しいことから、再び低屋根車として2600番台が登場しました。

というわけで、2000番台は

クモハ115-2001-2113
モハ115-2001-2029
モハ114-2001-2029,  2601-2613
クハ115-2001-2034,  2101-2129   

と製造されました。

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2013年5月22日 (水)

1975年 新潟の旅 8 115系 1000番台 

115系の話題、今回は1000番台です。

1000番台の特徴は耐寒耐雪構造とシートピッチの拡大ですね。1977年から1982年にかけて製造されました。尚、1000という番台区分は寒冷地用として好評を博していた485系1000番台 のイメージを踏襲することを狙ったそうです。

300番台をベースに設計がなされていますが、シートピッチに関しては1978年に設計・製造された417系と設計思想を統一したそうです。4人掛けボックスシートは狭いと評判が悪かったので座席の幅を930から1040mmに、間隔を1420から1490mmとして当時の急行形車輌並みに拡大されました。

因みにシート拡大は115系1000番台と明日記述予定の2000番台以外では、113系1500・2000番台415系100番台・キハ40系気動車でも採用され、「シートピッチ改善車」と呼ばれ以後の標準となりました。

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仙台地区で活躍した417系電車 写真はK-2編成 2006/7/11 東仙台

冷房に関しては長野、新潟地区投入車は国鉄の財政難で冷房準備工事車となりました。客室暖房容量向上が実施されたことから、冷房準備工事車も新造時から160kVA MGを搭載しました。後年、これらの準備工事車はすべて冷房化されました。

極寒冷地での夜間滞泊による水管割損を避けるため、485系1000番台で採用された自動給排水装置を搭載しました。

電動車では、浸雪対策として主電動機の冷却方式を変更。車体側妻部の取入口を廃止し、冷却風は1・4位側車端部に設置された「雪切室」に導く構造としました。 雪切室設置と同時に配電盤などを収めた扉も取付られたことから、車端部は従来のボックスシート+3人掛けロングシートから5人掛けのロングシートに変更となりました。 雪切室にはルーバーが設置されました。

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高崎センター所属のT1041編成 2009/9/5 高崎 昨日の記事で300番台の写真であった連結面側の戸袋窓の横の小窓がシートの変化に対応して無くなっているのが分かります。

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クモハ115 1000番台を含む3連 T1040編成 2006/8/26 伊勢崎 乗務員室扉後方に大型の空気取り入れ口とルーバーの存在がわかります。

クモハ、クハの運転台付き車輌の貫通扉には膨張性シールゴムを設けて運転室の気密性向上を図りました。小学生の頃から、先頭車両で前方展望を楽しんでいると必ず、ヒューという風の進入音がして、その後、貫通扉にガムテープを貼って、目張りをしているのも見かけましたが、その対策がこのゴムだったのですね。

クモハ115形1000番台+モハ114形1000番台ユニットは松本運転所(現・松本車両センター)・同北松本支所・長岡運転所(現・長岡車両センター)・新前橋電車区・三鷹電車区(1ユニットのみ)に限定新製配置されました。

1151000_t104_100501
上越線水上までの列車に活躍する高崎所属の115系1000番台 T1044編成 2010/5/1 屋形原踏切 SLみなかみを撮りに行った際についでに写したものです。

クハ115形は偶数向(クハ115-1001 -・1201 - )奇数向(クハ115-1101 - )に番号区分され、トイレは偶数向きの1001 -にのみ設置とし、採光窓も小型化されました。 後に奇数向きもクハ115-1142以降(昭和54年度第2次債務車)ではトイレ設置に設計変更されました。

サハ115形のトイレ設置は廃止されました。

1151000_t1091_100429_2
信越線横川までの区間で活躍する高崎のT1091編成 2010/4/29 松井田~西松井田 SL碓氷号を撮りに行った際についでに写したものです。

1982年に製造された伯備線電化用はグループでは屋根布がポリウレタン樹脂の塗屋根に設計変更されました(昭和55年度第2次債務車)。また外板腰板部をステンレスとするなどさらなる腐食防止対策も施工されました(昭和56年度第1次債務車)。

1000番台は1982年までに651両が製造されました。
形式別の車輌番号は

クモハ115 1001-1084
モハ115  1001-1127
モハ114  1001-1211
クハ115  1001-1099、1201-1243 (偶数向き) 1101-1159 (奇数向き)
サハ115   1001-1028

1151000
吾妻線で活躍する115系1000番台

1979年の配置表をみると、1000番台は

長岡    6連 McM'TMM'T'c 14本
      4連 McM'TT'c       8本
      3連  McM'T'c     1本 
新前橋 7連 TcMM'TMM'T'c 4本(0番台、300番台混成)
      3連  McM'T'c         18本
小山   4連  TcMM'T'c    4本
            7連 TcMM'TMM'T'c  4本(0番台、300番台混成)
松本   5連 McM'MM'T'c   14本
      3連  McM'T'c         7本
岡山   6連  TcMM'MM'T'c 14本 +TcMM'T'c

といったように配置されていました。西トタの1000番台はまだ未配置でした。

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2013年5月21日 (火)

1975年 新潟の旅 8 115系 300番台 

115系の話題、今回は300番台です。

300番台といえば、冷房化とシールドビームライトですね。

通勤車輌の冷房化は今は当たり前ですが、その動きは関東圏では私鉄の方が先で1968年に製造された京王電鉄の5000系(5718編成)、5100系(5119編成)が最初の冷房搭載編成として登場しました。

1970年7月31日に山手線103系にも試作冷房車1編成が登場し(その頃の新聞記事)、国鉄における通勤電車の冷房化の試験が始まりました。私も1971年4月から高校通学で高田馬場~渋谷間で山手線を使うようになりましたが、1973年に量産冷房車が登場するまでの間、2度ほど偶然に乗ることができました。車輌ごとに天井の様子が異なりましたが、2本の四角いダクトが飛び出していたのを今でも憶えています。

103_3
当時、オリンパスペンで鉄道写真を撮り始めたころで、新宿駅で偶然、試作冷房編成 北イケ(臨1)編成に遭遇し、写真を撮りましたが、二眼式のカメラの欠点と腕が悪かったためストラップが映り込んでいました。1974/9頃

103_2_3
こちらは外回りに投入された臨1編成 新宿

<登場時の103系冷房試作編成>

クハ103-179+モハ103-279+モハ102-434
             AU75X形(三菱電機)
+ サハ103-306+モハ103-280+モハ102-435+サハ103-307
           AU74X形(日立製作所)
+ モハ103-281+モハ102-435+クハ103-178
            AU73X形(東芝)

一方、中距離電車の世界では京阪神の113系に改造冷房車が登場したそうで、Wikipediaの記述では

1970年に試作冷房編成が京阪神地区に投入された。改造されたのはサロ112形を含む以下の1編成8両である。

←東 クハ111-52+モハ113-55+モハ112-55+クハ111-360+サロ112-14+モハ113-15+モハ112-15+クハ111-369

冷房装置はクハ111-360とモハ112-15が東芝製AU73X形、モハ112-55とクハ111-369が日立製作所製AU74X形、クハ111-52とモハ113-15・55が三菱電機製AU75X形と集中式3種類が車体・台枠を補強のうえで搭載され、車内の意匠も冷房風道や吹き出し口の配置、扇風機の有無も数種類が存在した。冷房用電源装置は、製作期間の関係から急行用の110kVAのMGを流用しクハ111形に搭載した。

とのことでした。
113系の冷房化は1972年から113系1000番台として量産に移され、普及して行くことになりました。こういった流れを受ける形で115系においても冷房搭載車の製造と言うことになって1973年に登場したのが300番台です。

基本番台に対する主な変更点は

1)冷房(AU75C集中式冷房装置)搭載のため、M'車(モハ114形)に自車を含め最大4両に給電可能な冷房電源供給用MH135-DM92形・160kVA電動発電機 (MG) と関連機器を搭載。車体では中央後位側戸袋窓上部に電動発電機用冷却風取入口を設置。

2)低圧制御回路引通し用ジャンパ連結器をKE58形2基からKE76形3基に変更。

3)前照灯をシールドビームとし小型化。

4)乗務員室運転士側の面積が拡大され乗務員室扉前に下降窓を新設。

5)運転台機器配置を人間工学に基づいたものに変更。

6)助士側仕切戸を固定式に変更するとともに仕切窓も小型化。

7)クハ115形は、冷房電源用三相引通しにKE9形ジャンパ連結器を設置したために片渡り構造となり向きが奇数番号は奇数、偶数番号は偶数向に固定化。

8)1972年に発生した北陸トンネル火災事故の教訓から、長大トンネル走行時の火災対策を強化する目的でA-A基準に対応させるためシートや床材などを難燃化。ロングシート部の奥行きを500mmから550mmに拡大して座り心地を改善しました。

9)中央東線狭小断面トンネル対策としてパンタグラフは、折畳み高さが低いPS23形が開発されたためモハ114形は低屋根構造が不要となりました。そのため、800番台に相当する番台区分は存在しません。 PS23形搭載車は車体側面の車号表記に◇マークを付記して識別し車両番号での区分はされません。

10)客室窓構造は製造工数・保守低減のため別製造・後取付のユニットサッシに変更。

11)車体側面後位寄に電動行先表示器取付準備工事を施工。

12)横軽対策を新造時から全車に施工。

115300_820103
東北本線南浦和付近を行く115系300番台 1982/1/3 東北上越新幹線の開業も迫り、最後の東北・上越特急の活躍を写しに南浦和付近に出かけた際についでに写したものと思われます。

115300_y379_021229_2
小山区のY379編成7連 2002/12/29 尾久

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小山区のY419編成 4連 2003/2/15 黒磯

中央線用の山スカ編成に関してはM1~M12、M40のすべてが300番台となっています。また、岡山には現時点で湘南カラーで残るA13(4連)を始め、多くの300番台が活躍しています。

115_a13_130321_2
岡山区(岡オカ)4連 A-13編成 2013/3/20 岡山 
<姫路 Tc325+M316+M'316+Tc326 三原>

2013/5/18に大月で滞留していたM9編成からのスナップショット

115300_m9_130518
<基本番台に無くて、300番台以降にある> 運転席側パノラミックウインドウと乗務員室扉の間の小窓
115300_m9_130518_2_3
<300番台まであるけれど、1000番台以降は無い> 戸袋窓と連結面側窓の間の小窓

300番台のモデルチェンジ車として耐寒耐雪機能を強化し、不評だったシートピッチの改善等を行った1000番台の製造が1977年から開始されたため、300番台の総数は488両となり、車両番号は

クモハ115 301-326
モハ115   301-418
モハ114     301-444
クハ115     301-496   (444 - 496の奇数番号車欠番)
サハ115    301-330

となりました。これらの車輌は小山電車区・新前橋電車区・三鷹電車区に新製配置されました。

昨日の記事でも記述しましたが、三鷹区への300番台投入でそれまで活躍していた「ヤマゲタ」70系は広島に転属となりました。またこの投入で基本番台編成は8連McM'TcTTMcM'TcからMcM'TTc4連に編成替えされ、新宿や松本までの運用には顔を出さなくなりました。

1979年の時点でいずれの車輌も新製配置区に所属していましたが、1986年11月(国鉄最後のダイヤ改正)では三鷹区の配置車輌は、豊田区と岡山区へ、小山区の車輌の一部は三鷹区、広島所へと転属しています。下関所にも4連6本が配置されていました。

三鷹から岡山に転属した編成はF1~6編成として、3連(McM'Tc)で
広島に転属した編成はH14~17編成として4連で活躍を開始しました。

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2013年5月20日 (月)

2013/5/18 武蔵野線から中央線へ 後編

ぶらり高尾散策号」は時間調整のためか、南流山の中線で約15分程、停車し武蔵野線電車を2本ほどやり過ごし出発して行きました。私も、それを追う形で府中本町行き電車に乗りました。西国分寺で高尾行き快速に乗り換え、立川についてみると先ほどの「ぶらり高尾散策号」が停車しています。こちらが先に発車することになり、高尾には先着しました。

E257_m104_130518
E257系M104編成の「かいじ」 高尾駅の配線は昔から殆ど変わらずで、この2番線が上り列車の通過線ですが、「ぶらり高尾散策号」はダイヤの合間を縫う形でこのホームに到着しました。

E653_k307_130518_2
この場所でE653系はまだまだ目新しい車輌かも知れません 高尾 

E653_k307_130518_2_2
E653系は到着後、すぐに折り返し線を通って留置線へ 折り返しの9384Mまでお休み

今回の中央線訪問のターゲットは115系のM編成でM4が未撮であること、それとE351系のS5+S25編成もこれまでまともな写真が無いのでそれらを課題としました。

まずは、昔の高尾駅の写真を

76_2
76_4

79300iv

79300iv_4
これら3枚の写真は1975年頃の高尾駅です。ヤマゲタと言われた70系1956年からモハ72850とクハ79300番台が投入され、トイレが無かったためクハ76も投入されたそうです。1,2番線ホームの感じは今も全く変わりありません。京王線側は1967年に高尾山口まで開業していますが、当時の様子は今とだいぶ違います。

115_m8_130518
ヤマゲタとして活躍した70系電車1975年から1976年にかけて冷房装備の115系300番台が投入されたことによって広島運転所へ転出し、呉線で運用されることになりました。その115系300番台が既に38年になりますが、現在も活躍中です。大月まで乗車した高尾発11;01の535MはM2+M8編成でした。

115_m7_130518
高尾に10:50に到着した536MはM6+M7編成でした。

115_m1_130518
大月到着時に逢った上り542M はM1+M5編成でした。

115_m9_130518
大月の電留線にはM9編成が。

といったように、115系M編成、短時間のうちに7編成遭遇出来ましたが、未撮だったM4編成には遭遇出来ず課題は持ち越しとなりました。

Eh20023_130518
中央線名物、竜王と川崎を結ぶタンカー貨物80レはEH200-23の牽引でした。

昼食を摂った後、富士急を撮影しに駅西方へ、

5000_130518
元京王の5000系がオリジナル塗色と富士急の塗色で

6000_130518
さらにJRから購入した元205系の6000系、クモハ6501を先頭とする3連は元ケヨ22編成
205_22_081230_2
在りし日のケヨ22編成 こんなに長い編成だったのが今は3連とは(笑) 2008/12/30 蘇我

130518
駅西方の跨線橋から富士急大月駅の全景を 2000系フジサン特急もお休み中 元は165系改造のパノラマエクスプレスアルプス

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長ナノのC9編成が539Mに C編成は2009年3月18日の改正で松本区から転属した6連(TcMM'MM'T'c)編成で、多くは1000番台の115系で構成されていますが、C5,C6,C9は300番台から構成されており、C13の長野よりモハユニットも300番台です。

中央線の普通電車、現在のダイヤではこの時間帯はトタの山スカ115系よりもナノの115系をよく見たように感じました。

E351_s5_130518

E351_s25_130518_6

E351_s25_130518_7

続いて通過した「スーパーあずさ」。E351系はJR東日本が1993年12月に最初にEをつけた系列名で登場させた車輌ですが、既に登場から20年近く経過し、後継車の話題も出ています。この編成はS5+S25編成で、漸くE351系もコンプ出来ました。

189
ここで大変古い写真を一枚 「あずさ」に投入された189系が1975年頃の高尾駅を通過するシーンです。 上の70系と同じ日だったかも知れません。雰囲気は今と殆ど変わっていないことが分かります。

高尾に戻り、駅周辺を散策、そこで思いついたのが帰りは「ぶらり高尾散策号」で帰ること。窓口で聞いてみると、乗車券は休日お出かけ切符で乗車可能で、牛久までの指定券(\510)を購入すればよいとのこと。

常磐線の特急電車、これまで485系651系は上野~仙台間全線乗車しておりましたが、E653系に乗車するのは今回が初めてです。しかも武蔵野線~常磐線の北小金付近の連絡線を通過するのも初めてのことでした。

停車駅は高尾を出ると中央線内は八王子、立川に停車し、武蔵野線内はノンストップで常磐線に入って、柏、取手、佐貫、牛久と停車します。中央線内で沿線を眺めていると、多摩川橋梁などの撮影ポイントではかなりのカメラの砲列が。E653系自身がまだ珍しいためかと思われます。ふだんこういう列車に乗っていないものですから、何か不思議な気分がします。

立川を出て、柏の予定時刻が1時間後だったので、とこかで長時間停車があるのかと思いましたが、南浦和で1分ほど運転停車しただけで後はほぼ一定速度で走っていました。乗務員の担当は上記の切符でも分かるように八王子運輸区の担当で、車内販売も勝田まで営業とのことでした。座席の指定される列車に乗ったのも久しぶりのことで、常磐線のグリーン車は時々利用しますが、わずか500円ちょっとの追加で現役の特急車両の指定席に100分も乗車できたのですからかなり得した気分でした。

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2013年5月19日 (日)

2013/5/18 武蔵野線から中央線へ 前編

昨日、18日土曜日はふらっと武蔵野線から、中央線へ、さらに大月まで行ってきました。

乗車券は休日お出かけパス(\2600)を購入。2年前の3月まであったホリデーパス(\2,300)に較べてプリ-パス区間は増えたものの、300円の値上がり感の方が強く、この3月の改正までは臨海フリー切符(\2230)を使っていましたが、それも廃止されてしまったので、最近はこの切符を使うようにしています。荒川沖~大月間運賃を調べると片道で2520円、新宿~高尾間を京王線を使うと2030円なんて値段も出てきますが、フリー区間の端から端までなので、かなりお得であります。

いつものように荒川沖5:27の1320Mで柏へ、柏で各駅停車に乗り換え、新松戸で武蔵野線へ、今回はまず昨年3月に開業した吉川美南駅で2095レを狙うことにしました。吉川美南駅に着いたのは6:32でした。2095レは3月のダイヤ改正で大幅に時刻が繰り上がっており、吉川美南駅の通過時間は7時少し前のはず。まずは何本かの武蔵野線電車で試し撃ちを。

205_m62_130518
最初にやってきたのはM62編成。武蔵野線用に新製されたクハ205、204-146、モハユニット395,396,397で武蔵野線オリジナルとしては2本目で、クハ205,204-145の編成はM35編成としてVVVF化されていますが、こちらは依然としてモハx3ユニットでパンタを3丁立てて走る編成です。
205_m5_130518_3
続いてはM5編成。クハ205、204-31、モハユニット5033、5040(元177、180)、サハ206、207で元山手線+川越線(サハ)の混成編成
205_m20_130518
今度はM20編成 クハ205,204-5、モハユニット5010,5034,サハ226,227で通称「田の字」でなくなった205系の第2次ロット1号のクハを先頭にした編成です。
Eh50014_130518
そして6:58に3つ目ライトの接近が分かり、EH500-14号機牽引の2095レが通過して行きました。

因みに3月のダイヤ改正までは2095レは府中本町で定点撮影をしておりました。今日乗った武蔵野線電車でそのまま、府中本町まで行くと7:20頃到着し、朝食を摂った後、7:45に通過する2095レ、8:08に通過する3087レ(EH500)、8:17に通過する3083レ(EF65 1000)が3本セットといった感じでした。Ef510507_120325_2_2
府中本町を通過する2095レ 2012/3/25

吉川美南で目的を達成したので、南流山まで戻り、武蔵野線を通過する臨時列車を何本か狙うことにしました。

209500_m73_130518
臨時列車の前に一本、紹介しておくべきなのが209系500番台のM73編成 
クハ209-515+モハユニット529、530+サハ557、558
209系500番台として新製されたのは2000年2月、総武線、京浜東北線、京葉線、そして2010年9月に武蔵野線転用改造を受けて現在の職に落ち着いたようですが、ずーっと総武線で活躍する209系500番台と較べるとなんと流転の人生かといった感じがします。

189_n102_130518
7:53 最初にやってきたのは長ナノのN102編成 6連
クハ189-9+モハ189-32+モハ188-32+モハ189-40+モハ188-40+クハ189-510

ふだん「妙向」等に使われている編成でN101~N103まで3本あり、モハユニットはいずれも189系オリジナルですが、N101編成のクハは183-1525と-1528で、「とき」の廃止後の再就職用にATCを搭載して1500番台になったものですね。N103編成のクハ188-102と602のクハ188は1986年にサハ481形100番台にクハ189形に準じた運転台を取付けて先頭車化改造した形式で、クハ189形とは異なり、直江津方が100番台、上野方が600番台に区分されています。

183_h81_130518
8:17 今度は3月の改正まで東チタだったH81編成です。3月の改正で田町車輌センターは消滅し、配置車輌のうち、特急、元特急車(185系、251系、183系、189系)は大宮へ、通勤電車(E233系3000、215系)は国府津センターに転属となりました。そのため、E233系3000番台のNT編成は以前から国府津所属のE01,E02編成の続番となりました。

H81編成はクハ189-10+モハ182-1018+モハ183-1018+モハ182-1020+モハ183-1020+モハ182-1013+モハ183-1013+クハ189-508 と6M2Tの強力編成ですが、面白いことにクハ189の向きとユニットの向きの関係が長ナノのN102編成と元東チタの編成では逆になっていることが分かります。

E653_k307_130518
8:48 中線に常磐線方面からやって来たのはE653系K307編成でした。「ぶらり高尾散策号」という企画列車でこれまでは勝田区の485系K60編成で運転されていましたが、今回(2013年5月)からはE653系で運転されることになりました。

4851500_k60_120401
「ぶらり高尾散策号」に使われた際の写真ではありませんが、常磐線ひたち野うしく~荒川沖間を上る在りし日のK60編成 2012/4/1

E653系の中でもK307編成は2013年2月頃、検査出場をしており、フレッシュひたちからの引退間際にE653系14連の写真を撮っていたときもピカピカの編成でした。

E653_k307_130301_2
K303編成と重連でフレッシュひたちに活躍していた頃のK307編成 2013/3/1 ひたち野うしく~荒川沖間

ぶらり高尾散策号は9424Mとして常磐線を上り、武蔵野線経由で中央線に入り、9385Mとして高尾に向かうため、今回はこの列車を追うことにしました。

続きの中央線編は明日の記事で。

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2013年5月18日 (土)

1975年 新潟の旅 8 115系 基本番台 

115系も今年で登場して50年、登場当時の車輌は殆ど鬼籍に入っていますが、約半数の車輌がまだまだ現役で頑張っています。1975年の水上、長岡、柏崎の旅行では、一枚も写真を撮っていなかった115系で、これまでも113系、415系といった近郊型電車についてあまり触れなっかったのですが、やはりここら辺で写真を整理して、その歴史を振り返るのも良いかなと思い、今回は書くことに致しました。

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岡山地区で活躍する基本番台 クハ115-6を先頭にした4連 1985/4/18 岡山

その歴史を調べてみると基本番台登場の後、冷房装備の300番台、耐寒耐雪装備、シートピッチ拡大の1000番台、1000番台の耐寒装備を緩くした温暖地用2000番台、そして広島City電車用の3000番台とモデルチェンジをしながらの増備がなされ、四国を除く、日本全国の勾配区間が存在する直流区間で活躍する電車となりました。こういった新造番台以外に、編成の短縮化、他系列の取り込みなどで近年は複雑怪奇な番台が増えています。

今回はまず基本番台からその活躍を振り返ってみようと思います。

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八王子駅で出発待ちをする115系普通電車 1975/11

<115系電車>

国鉄115系電車は、国鉄が寒冷地区・急勾配路線での運用を目的に設計し、1963年から製造を開始した直流近郊形電車であり、1983年まで、改良を重ねながら1,921両製造されました。

車体は111系や113系と同じ設計の鋼製車体で、前面中央に貫通扉と側面は片側3か所に開口幅1,300mmの客用扉を設けました。客用扉は「半自動機能」を備えており手動での開扉も可能です。これは寒冷地区で扉の開放を極力抑えるためのもので、車掌スイッチによって容易に自動・半自動の切替ができる方式です。このため扉には取手を装備し、開扉時に取手部分は戸袋に収納されません。

側窓は戸袋部分を除いて上段上昇下段上昇式または上段下降下段上昇式です。開閉方向は製造時期によって異なります。

屋根上通風器は冬期に冷気や雪の遮断が可能な押込式を採用しました。

座席は他の一般的な国鉄近郊形電車と同様、扉間に対面式固定クロスシート(ボックスシート)を配し、扉周り戸袋部にロングシートを配したいわゆるセミクロスシートです。

台車は国鉄新性能電車の標準形式 DT21B形・TR62形で、ウィングバネ式の軸箱支持機構とスウィングリンク式の揺れ枕機構をもちます。枕バネ・軸バネはいずれもコイルバネです。また付随車用台車ではディスクブレーキを採用しました。

主電動機は定格出力120kWのMT54形直流直巻電動機を歯数比1:4.82 (17:82) で搭載しました。

主制御器は勾配区間での運用に対応するためノッチ戻し機構抑速ブレーキを装備したCS15形を搭載しました。

パンタグラフは国鉄標準型である菱形のPS16形をM'車のモハ114形に搭載しました。

とここまではWikipediaの記述を参考に115系の系列としての特徴を。

1150_000000
かつては新宿まで115系の普通電車が当たり前のように来ていたのですが、1993年のダイヤ改正でなくなってしまいました。

<基本番台の特徴と製造、増備>

基本番台ではクモハ115、モハ115、モハ114、クハ115、サハ115の5形式が製造されました。最初に東北本線黒磯までの直流区間用として昭和37年度民有車輌予算(1963年製)により、宇都宮運転所に電動車9ユニット、クハ16両が投入されました。これらは高崎・上越線系統とも共通運用されたようです。当初はTcMM'Tcの4連を基本編成として運用され、その後、1969年にTを加えた7連(TcMM'TMM'Tc)を基本編成とするようになりました。この辺は常磐線の415系とも似ていますね。昭和45年度第2次債務予算(1970年製)まで14次に渡り、増備が繰り返されました。
 クモハ115サハ115は中央線では富士急行線乗り入れの関係から3両単位とし、T車を挟んでMcM'TcTTMcM'Tc編成で使用するため昭和40年度第2次債務予算(1966年製)から増備されました。またモハ114についても中央線のトンネル通過の関係から低屋根車800番台が増備されました。低屋根の800番台は101系165系でもおなじみの枝番ですね。800番台のうち、801~817は三鷹区に配置され、クモハ115とユニットを組みましたが、818~831は広汎な地域に運用する波動輸送用として小山区に配置されモハ115とユニットを組み、横軽対策も施されました。

最終的に基本番台の車輌番号は

クモハ115 1~17 (奇数向き)
モハ115  1~135
モハ114  1~121 801~831    
クハ115  1~228
サハ115  1~37  となりました。

手元にある1976.3.31現在の配置表によるとこれら基本番台は新製配置区である(宇都宮、1967年度に小山に移管)、新前橋、三鷹に配置されていました。1977.3.31の配置表では岡山電車区(岡オカ)にTcMM'MM'Tcの8編成が転属となっています。

私は1983年につくば市(当時は新治郡桜村)に職を得て移り住むまでは東京北西部、北多摩郡東村山町~杉並区清水3丁目~練馬区南大泉に住んでおり、西武線や中央線線沿線での生活が長かったので、115系が活躍し始めた頃の東北本線や高崎線沿線とは全くといっていいほど縁が無く、115系とは三鷹電車区配置の頃からの付き合いとなりました。

休日などに三鷹電車区まで自転車で出かけたこともあり、その時に115系の基本番台、デカ目の写真を撮っておりました。

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1975/3の日曜日、三鷹電車区付近の跨線橋上から写した小山区の波動用115系と思われる編成で甲府行きと表示されています。モハ114は低屋根車です。

いろいろと文献を見てみると、クハ115の形態も製造初期と後期では変わっており、まずは雨樋が乗務員室扉上まで延長され、最前部の通風器が大型のものに替わったのは99以降、タイフォンの耐雪カバー設置は215以降とのことで、さらに小山区の波動用のクハは193-216だったそうですので、もしかするとこの編成は215,216をクハとする編成だった可能性が大きいです。

1150_750511_2
初めて東北本線大宮以北、蓮田まで撮影に出かけた際に撮影した115系 このときにはEF57 1号機牽引の小荷物列車が収穫でした。 1975/5/11

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国鉄最後の日に上野駅地平ホームにHM付きで登場した115系はデカ目の0番台でした。 1987/3/31

次のモデルチェンジ車の300番台はシールドビーム前照灯で登場しているので、デカ目であれば間違いなく0番台ということになります。また、300番台以降は乗務員室が拡大され、運転席側のパノラミックウインドウと乗務員室扉の間に下降窓があり、基本番台ではそれがないのが識別ポイントです。

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2002年頃は小山区に0番台がまだ在籍して活躍していました。前照灯はシールドビーム化され、アンチクライマーも物々しいものが装着されていました。 Y58編成 2002/8/17 蓮田

小山区の編成は7連と4連がありましたが、7連はTcMM'TMM'Tcのため、Yにそれぞれの側のモハユニットの番号を付して、上野側と黒磯側でひとつの編成に2種類の編成番号が付いていました。この頃になると、0番台は片方のクハだけであとは全部300番台といった混成の編成もありました。

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2013年5月17日 (金)

1975年 新潟の旅 7 クモニ83+クモユ141

当時の上越線の電車を振り返るとき、上野まで来ていた荷物電車のことを忘れてはいけないと思い、触れることに致しました。

あの時代、東京、新宿、上野などのターミナル駅にやってくる中距離電車には交直流の常磐線を除いて荷物電車が連結されていました。また、国電区間では単独で走る荷物電車もありました。

13_871200
川口付近を行くクモニ13の荷物電車 1982/12

クモニ13形1932~1933年に製造された国鉄31系電車(17m級3扉ロングシート)に属する片運転台のモハ33形や両運転台のモハ34形を戦後改造したもので、改造後モニ53形と名乗り、称号規定の改正でモニ13、クモニ13となったそうです。

1973年3月末時点でのクモニ13の配置は
クモニ13(24両)       
品川  002 004-007 010-013 016 030 033      
大船  021       
豊橋  025 026       
向日町 028       
高槻  009 015 023 029 032       
宮原  020       
府中  031       
下関  037

と、首都圏を始め、国電が配置されている場所に配置がありましたが、1986年度末では
クモニ13(2両)       
品川  007 011
品川の2両のみとなっていました。

今でも、しっかり憶えておりますが、1972年10月に初めて上野駅に写真撮影目的で出かけた際に、初老の方から、「そこの若い人、今は荷物電車なんて誰も注目しないかも知れないけど、ああいうのをきちっと記録しておくべきだよ」と声をかけられました。ちょうど、山手線の線路をクモニ13が走っており、その時は撮影チャンスを逃してしまいましたが、その時以来、どんな列車も「来たものは記録するの精神」は重要だと思っております。

今回、注目するのは115系と共に上野までやって来ていたクモニ83クモユ141についてです。

1973年3月末の時点でクモニ83 (42両) の全国の配置は、
長岡  001-004 007 010
大船  008 804 805
三鷹  800 803 806-808 811 812 814-817 
大垣  012-015 020 021 813 818 819      
宮原  000 005 009 011 016 017-020      
広島  006 801 802 809 810

一方、郵政省所有のクモユ141(10両)は
長岡  1-5
宮原  6-10     でした。

クモニ83形は新性能電車との併結を目的とした荷物専用車で、クモハ73形・モハ72形を改造して登場した車両です。クモニ83形にはクモユニ81形改造の100番台車(こちらは新性能電車との併結不可)が存在しました。

0番台(83000 - 83029。1967年 - 1975年改造)は、1967年に上越線の電車置換え用として登場。クモユ141形とコンビを組んで使用されたほか、他の路線でも使用されました。

800番台(83800 - 83820。1966年 - 1973年改造)は、まず中央本線115系併結用として登場。その後、幹線の電化が進み荷物車の必要が生じたため、どの線区へも使用可能ということで800番台が追加改造され、一部は山陽本線でも使用されました。

83_83_800503
クモニ83 800番台 1980/5/3 松本

クモユ141形は、鉄道郵便輸送用として1967年から製造され、国鉄に車籍を有した電車(郵便車)です。

国鉄電車で全室を郵便室とした初の形式で、1967年に1 - 5の5両、1968年に6 - 10の5両、郵便電車としては最多の計10両が日本車輌製造・汽車製造で製造されました。郵政省が所有し、国鉄に車籍を置く私有車両です。

1986年11月の鉄道郵便輸送終了で用途を喪失し、分割民営化前に全車が除籍・廃車されました。

デンチュウさまのページの運用行路データを拝借しますと、

    荷電:クモニ83  新潟-上野
  21  Ng 732M Tk
  22  Tk 721M Ng 437M Ni 432M Ng 730M Tk 922M Ue 733M Ng 421M Ni 420M Ng
  23  Ng 449M Ni 454M Ng
  24  Ng 724M Ue 729M Ng
    荷電:クモユ141 新潟-上野
  31  Ng 732M Ue 932M Kh
  32  Kh K722M Ue 723M Ng 439M Ni 436M Ng 449M Ni 454M Ng
  33  Ng 724M Ue 729M Ng

記号
   Ai 新井       Ey 越後湯沢  Iu 石打     Kd 小出       Kh 籠原
   Kn 上沼垂     Kz 柏崎      Mk 村上     Mm 六日町     Mn 水上
   My 妙高高原   Ng 長岡      Nh 二本木   Ni 新潟       No 直江津
   Nt 新津       Sb 新発田    Tk 高崎     Ue 上野

といった行路で運用されていたようです(1976.3.31)。

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クモニ83+クモユ141+115系 による  724M 鶯谷にて 1980/11/15
83141115_820214_3
同じ列車と思われます 1982/2/14 日暮里にて

あれほど当たり前のように走っていた荷物電車や荷電併結列車も無くなってしまうと懐かしさが込み上げて来るものです。今回、そんな思いもあって当時、決してきちんと撮った写真でありませんでしたが、一応撮っていた彼らの写真を特集してみました。東海道線や他の線区の荷電の写真も機会があれば載せる予定です。

今回、デンチュウさまのページの配置データ、運用データ、さらにWikipediaの記述を参考に纏めました。

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2013年5月16日 (木)

1975年 新潟の旅 6 雪国カラーの旧国 3

今回はクハ76形です。

昨日の記事で紹介した「みどりの窓口」さまのサイトを見ると、当時新潟地区で活躍したクハ76形27両の一両、一両の違いが良く分かります。

クハ76形は座席定員60名の制御車で106両が製造されました。

1951年前期製 昭和25年度予算で製造されたクハ76001 - 76030

窓配置は1dD6D6D2。 台車は戦前からのTR23形をコロ軸受としたTR45形を装着。 トイレは後の増備車とは異なる大型を採用。 出入口が客室側を向いており、出入りする様子が他の乗客にわかりやすく乗客からは不評とのこと。

1951年後期製 昭和26年度予算で製造されたクハ76031 - 76036・76037 - 76051奇数

トイレを小型化により海側窓配置を1dD6D6D1に変更 トイレ対面に当たる座席をクロスシートに変更。

76049_87751103
当時、長岡運転所には2両いたという前面ガラス窓枠が木製のクハ76 76049の方だと思われます。もう一方は046で前照灯が赤く縁取りされていたそうです。 1975/11/3 長岡

1952年 - 1957年製 クハ76052 - 76096・76097・76099・76101

前面窓のHゴム支持化を実施。 台車をTR48形へ変更。
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長岡をあとにするクハ76 4連 1975/11/3

おでこの出っ張りは耐雪タイプのタイフォン

1957年・1958年製300番台

全金属車で基本的仕様変更はモハ70形と同一。奇数・偶数を分けない両渡り構造を採用。 トイレ位置を3位側に統一。 運転台直後の客室部分に窓を設置したため配置が2・4位側が1d1D6D6D2、1・3位側は1d1D6D6D11に変更。 運行番号表示器を少し前に張り出した構造に変更。 運転台窓上部に通風口を設置。 前面下部に埋込式警笛を2基設置。

76064_751103
不覚にも架線ビームが正面にかかってしまいましたが、昨日の編成データからクハ76064かと思われます。 1975/11/3 柏崎

新潟地区の旧形国電の歴史は二度にわたる置き換えによって幕を閉じたそうです。

1回目は1976年秋に首都圏の冷房化促進のため、115系300番台が投入され、捻出された0番台が長岡運転所に転入し、一部車輌が廃車、少数が信越本線ローカルに転出しました。この置き換えで清水トンネルを越えて高崎まで来ていた運用がなくなりました。
2回目は1977年以降、長岡運転所に115系1000番台を直接投入、0番台は80系置き換えのため広島地区に転出、70系は廃車となりました。1978年7月までに置き換えを完了させるはずでしたが、5月に発生した信越本線関山~妙高高原間の地滑りと6月の集中豪雨による柏崎駅冠水のため、計画は遅延しました。7月以降は115系の投入も順調に進み、8月23日

<=新潟 クハ76049-モハ70016-モハ70011-モハ70102-モハ70022-クハ76064 =>直江津

による編成でさよなら運転が実施され新潟地区での運用は終了しました。

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2013年5月15日 (水)

1975年 新潟の旅 6 雪国カラーの旧国 2

新潟の旧形国電、今回はクハ75形です。

本題に入る前に当時の旧国の編成表がデンチュウさまのページにありますので、参考にさせて戴きたく思います。1976.3.31頃のデータとのことです。

<=新潟
 Tc     M       M     Tc       
N1       68021 70110 70009 68200       
N2       75017 70027 70045 68050       
N3       68015 70018 70031 68210       
N4       68005 70029 70028 75002       
N5       68211 70117 70103 68084       
N6       76003 70030 70033 68044       
N7       76067 70035 70008 68104       
N8       76009 70019 70006 68092       
N9       76041 70007 70114 68028       
N10     76099 70081 70080 76076       
N11     76097 70126 70097 76078       
N12     76077 70071 70070 76092                     
     Tc     M       T      M      M     Tc       
T1    76001 70012 75009 70016 70011 76002       
T2    76069 70021 85004 70092 70024 76080       
T3    75005 70068 75000 70013 70005 76064       
T4    76049 70112 87002 70015 70020 76016       
T5    76011 70017 75004 70022 70010 76012       
T6    76047 70026 85001 70023 70025 76004       
T7    76087 70109 75001 70102 70014 75008       
T8    76015 70065 87007 70108 70091 76084       
T9    76029 70046 87009 70101 70092 75006                
 予備車 Tc     Tc     T      T     
      76007 76304 87010 87011
(注) T2 T9 に 092あり。どちらかが032である。誤植と思う。

当時、4連のN編成と6連のT編成がそれぞれ12本、9本あったのですね。モハはすべて70形で構成されており、クハも大半はクハ76でしたが、クハ68とクハ75も先頭車として活躍していました。

ちなみに、長岡運転所の70形の歴史は緑の窓口さまのサイトによると、 1962年4月28日、京阪神緩行線で使われていたモハ70形とクハ68形、計10両が長岡第二機関区に到着した時から、新潟の70形(ななまるかた)の歴史は始まったそうです。そして新潟色のいわれは1964年に開催された新潟国体が「ひまわり国体」という愛称だったため、新潟色はひまわりの花をイメージしたものだったそうです。

75017_751103
柏崎駅に停車中のクハ75017先頭の4連 台車がTR48Aであること、前面に屋根布押え 1975/11/3

<クハ75形について>

サロ46形(後に→サロ75形)が横須賀線用の定員64名の2等付随車として、1951年・1953年・1955年に合計18両がに製造されました。

2等車であるため車体両端に幅700mmの客用扉を設置し、座席配置はサロ85形やオロ40形と同様の固定式クロスシートを採用。後位側にトイレと洗面所を設けたことにより窓配置はD8D1となりましたが、窓は高さが3等車他形式と同一の二段窓にしたものの幅はサロ85形と共通となる1,200mm大形窓でした。通風器は押込式でした。

形式番号が46と大きく飛んだのは、製造初年の1951年当時は70台の空き番号がなかったためで、元々32・42・52系のサロハ46形が、戦前に全てサロハ66形またはクロハ59形に改造されて消滅して空きとなっていたことから充てられたためです。

製造年次により以下の相違点があります。

1951年製 座席布地はブルーの塩化ビニール張り。 床はリノリウム張り。 台車はクハ76形のTR45形を改良したTR45A形を装着。
1953年・1955年製 座席布地ををサランに変更。 内装をニス塗りから塗りつぶしに変更。 台車をTR45A形からTR48A形に変更。 1955年製の車両では通風器を8個から9個に増設。
本形式では座席の布地に化学繊維を多用していることが特徴です。

1959年6月1日の車両称号規程改正による改番でサロ75形に変更されました。
同改正では旧形電車はトップナンバーを000とすることに変更されたために原番号-1で改番されました。
サロ46001 - 46018→サロ75000 - 75017

1967年に短編成化による制御車不足のため、運転台を取り付けてクハ75形としました。上越線用に5両が改造されサロ時代の番号を引き継ぎました。

サロ75002・75005・75006・75008・75017→クハ75同番号

改造点
前位側に切妻構造の高運転台を取付
前位客用扉を移設のうえ1,000mm幅に拡大
前位客用扉直後に種車の座席を流用してロングシート化
これらの改造によって窓割はdD7D1となりました。

002、005、006と008が1950年度製サロ75形からの改造で台車はTR45A、015と017は1953年・1956年度製のため台車がTR48Aです。017は前面に屋根布押さえが付いているのが特徴でした。

75005_751103
こちらはクハ75005 先頭の6連 デンチュウさまのページの編成表から新潟向きのクハは005のみ 1975/11/3

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2013年5月14日 (火)

1975年 新潟の旅 6 雪国カラーの旧国 1

1975年の新潟の旅、今回からは柏崎や長岡で逢った新潟色の旧形国電の話題です。

塗色は写真のように全国ではここだけの赤と黄色の派手な塗色ですが、雪国での識別効果によると思われます。

すべて長岡運転所の所属で、デンチュウさまのページの情報によると、1976年当時の運用範囲は新潟-村上、新潟-長岡、長岡-高崎(荷電は上野まで)、長岡-直江津、直江津-妙高高原でした。

今回は20m、3扉、セミクロスシートの一族の国鉄51系電車の一形式、クハ68一族について触れます。

<国鉄51系電車>

1936年から1943年にかけて鉄道省が製造した20m、3扉、セミクロスシートの旧形電車を便宜的に総称したもので、当初新製されたのはモハ51形、モハ54形、モハユニ61形、クハ68形、クロハ69形の5形式です。後に40系や42系からの編入改造車を多く含むようになったため、同一形式の中で車体形状や窓配置などが異なるグループが多数存在するようになりました。

51系はそれまでロングシートか2扉クロスシートのみだった省電において、ラッシュ時、データイム双方で利用者に快適なサービスが提供できるよう、省電初採用の3扉セミクロスシート車として登場した電車でした。

51系電車が最初に投入されたのは中央線急行で1936年から1937年にかけてモハ51形が26両新製され、全車浅川寄りの先頭車として使用を開始されました。

引き続いて、1937年には京都駅 - 吹田駅間の電化開業を控えた京阪神緩行線に投入されました。中央線への投入はモハ51形だけでしたが、京阪神緩行線にはモハユニ61形を除く全形式が投入され、同形による編成美を見せることになりました。大鉄局向けの51系の投入は1941年まで行われ、当初は京都電化開業用として新設の明石電車区に配属されますが、一部の車両は宮原電車区・淀川電車区にも配属され、急行電車に投入されたこともあるほか、城東線や片町線の輸送力増強にも充当されました。

51系の最終増備は太平洋戦争中の1943年に横須賀線に登場したモハユニ61形です。車両の投入計画そのものは1939年頃からありましたが、投入計画が後回しにされてしまい、戦時下の登場となってしまいました。そのため、座席がロングシートとされたり、各部の工作が簡略化されるなど戦時仕様となりました。また、電装品の不足により、全車が制御車代用で落成しました。

(如何にも、見た来たように書いていますが、私自身は101系世代なのであくまで文献的な知識で実体感がありません)。

私が1975年の旅行で撮影したクハ68はクハ68021、クハ68050、クハ68210の3両です。

まずはクハ68021から、

68021_751103
新幹線工事真っ盛りの長岡駅に停車中のクハ68021先頭の8連(4連x2) 1975/11/3

1933年から1934年かけて21両が製造されたモハ42系の二・三等制御車クロハ59形(クロハ59001)を1938年に3扉化してクハ68形に形式変更した車輌だそうです。同様の経歴を持つ車輌にクハ68015がいました。

<国鉄42系電車>

1933年から1935年にかけて鉄道省(日本国有鉄道の前身)が製造した2扉クロスシートの旧形電車を便宜的に総称したもので、具体的には、モハ42形(42001 - 42013)、モハ43形(43001 - 43037)、モハユニ44形(44001 - 44005)、サロハ46形(46100 - 46103)、クハ58形(58001 - 58025)、クロハ59形(59001 - 59021)の105両を示します。

続いてクハ68050です。

68050_751103_3
長岡駅を発車するクハ68050 1975/11/3

こちらは半流スタイルで、オリジナルのクハ68を戦時中一旦、クハ55に改造し、再びクハ68になったもので、68050 ← 55129 ← 68015 といった改番歴を持っています。クハ68015は1937年度に日本車輌の製造です。同じ形式に戻っているにも拘わらず、改番中に別のグループがオリジナルの番号を使っていたため、違う番号に落ち着いています。関西出身の証とも言える大鉄タイプの球状ベンチレーターが見えます。

最後はクハ68210です。

68210_751103_2
増結作業中であったのか、連結作業の様子が想像されます。 1975/11/3 長岡

このクハ68は横須賀線2扉車の扉増設改造で誕生したもので、1963年から1964年にかけて、横須賀線に残る2扉のクモハ43形、クモハ53形(42系)、クハ47形(32系)、サハ48形(52系)に対し、激化した通勤輸送に対応し、3扉の70系と混結した際の乗車位置を揃え、整列乗車を乱さないようにするため、大船工場で車体中央部に客用扉を増設し、3扉に改造する工事が実施されました。改造後は、クモハ43形がクモハ51形(200番台)に、クハ47形がクハ68形(200番台、210番台)に改められたほか、クモハ53形とサハ48形は、それぞれクモハ50形、サハ58形と新形式を与えられたそうです。クハ68210 ← クハ47072といった改番になっています。横須賀線時代のクハ47072のお写真はこちらのサイトにあります。

長岡でこれらの電車を見たときはただ古そうな電車がいるから撮っておこうといった気持ちで撮った写真ですが、旧形国電に関する履歴の解説をしているサイトが増えたおかげで、いろいろとそれぞれの車輌の複雑な履歴が分かるようになり、戦前の京阪神間や戦後の横須賀線で活躍した花形電車の世を忍ぶ姿であったことが分かり、感無量です。

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2013年5月13日 (月)

1975年 新潟の旅 5 長岡区・東新潟区のEF15

1975年10月の真鶴~湯河原間の撮影旅行では東海道本線で活躍するEF15を撮影し、首都圏でのEF15形式の活躍を特集しました。また、1976年3月の関西旅行では阪和線で活躍するEF15の姿も記録しました。今回は日本海縦貫線直流電化区間(信越本線)で活躍した長岡区、東新潟区のEF15です。

 

ネットでEF15をサーチすると「デンチュウの鉄道ページ」に大変素晴らしいEF15の特集ページがあります。

 

上越線、信越本線の電化と電気機関車の歴史を見てみると旧形電気の最終タイプである貨物型のEF15や旅客型のEF58が登場する前には東海道線の全線電化で上越路に活躍の場を移した旅客用EF57や貨物用EF12、EF13が活躍していました。

 

1956年頃の高崎・上越線関連の機関車の配置はデンチュウさまのページのデータによりますと

 

EF12
   高崎 1-7、10-17
   長岡 8
 
EF13
   長岡 1、2、3
   水上 4、6、11、12、14、24
 
EF15
   長岡 16-19、25-29、31-33、53、54、100、123、128
   
        高崎 30、47-52、68
 
EF16
   水上 20、21、22 (増備途中)
 
EF53
   高崎 1-15
 
EF55
   高崎 1、2
 
EF57
   高崎 1
 
EF58
   高崎 35-41、97
   長岡 42-47

 

だったようです。

 

今回はEF12形について簡単に触れようと思います。

 

<EF12形電気機関車について>

1941年から日本国有鉄道の前身である鉄道省が製造した貨物用直流電気機関車でEF10形の改良増備車として、主電動機を従来標準のMT28から新開発のMT39へ変更して出力アップを図った形式です。設計時期が近く、同様にEF56形の主電動機をMT28から新設計のMT38へ変更したEF57形の貨物機版とも言えます。1941年から1944年にかけて17両が日立製作所・日本車輌製造・汽車製造・三菱重工業で製造されました。
 1941年中に完成した1-8号機は性能はもとより出来栄えも優れ、省形電気機関車中最優秀と称えられましたが、1942年後半以降完成の9-17号機は一部機器や銅材の省略、木材等代用材の使用増加、動輪上重量維持のためコンクリートの死重搭載、車体外板の薄板化に表面ひずみ修整の省略などが実施されており、竣工時期が後になるほど出来栄え、信頼性は落ちてゆきました。 それでも戦後間もない時期は、追って投入された戦時設計として更に構造や工作が簡略化されたEF13形や、新設計の主電動機を搭載する新形式であるEF15形の初期車に比べると高い稼働率を誇り、運転・保守双方からの評判も高かったようです。

 

車体は同時期製造のEF10 34以降とほぼ同一の全溶接構造箱形デッキ付きで、外観上の相違点はナンバープレート以外にはほぼ皆無だったそうです。

 

新製当初は東海道本線の軍事列車に使用されていましたが、戦時色が強くなるにつれて貨物輸送の軸を太平洋側から日本海側に移すことになったことと、上越線水上・石打間で使用されていたEF10形の主電動機故障続発や交換設備の増強もあって、EF10形と入れ替わりで同線に転じました。しかし後期製造機は資材不足から故障や不具合も少なからず発生し、必ずしも定格出力が出せない車両も存在しました。

東海道時代は国府津機関区・沼津機関区に所属し、1942年からは1150t列車を牽引、翌1943年からは1200t列車を牽引。1944 - 1947年に大部分が水上機関区に転属。さらに1947年の上越線全線電化に伴って全機が高崎第二機関区に集結。上越線では1952年から使用機関車の客貨分離後に伴い上り列車が1250t列車化されました。その後、1958年の東北本線宇都宮電化に伴って全機宇都宮機関区と新鶴見機関区などに転じましたが、宇都宮所属機は1960年代後半、両毛線・吾妻線の電化により高崎第二機関区に戻りました。

最晩年は山手貨物線・上越線・両毛線・吾妻線等で使用され、特に吾妻線では軌道条件の制約からEF15形が入線不能であったため、長らく専用されました。

 

Ef12_1_800405
最晩年、吾妻線の貨物列車を牽引して羽根尾駅に到着したEF12 1号機
Ef12_1_4
羽根尾駅で入れ換えに従事するEF12 1号機

吾妻線の軌道強化が完了し、EF15形の同線への入線が可能となった後は老朽化もあって淘汰が進み、1982年に1・5号機が廃車されたのを最後に形式消滅となりました。

 

再び、デンチュウさまのページのEF15の1975年当時の運用データによると

 

 東新潟  信越本線(直江津-上沼垂)、白新線、越後石山-新潟操、羽越本線(新津-坂町)、上沼垂-沼垂、上越線、高崎線(大宮操まで)
  

長岡   信越本線(直江津-上沼垂)、羽越本線(新津-坂町)、越後石山-新潟操
              新潟操-上沼垂-沼垂、上越線、高崎操-大宮操、大宮操-田端操、大宮操-越ヶ谷
  

高崎第二 高崎操-新潟操、渋川-金島、高崎操-大宮操、大宮操-田端操、大宮操-越ヶ谷、赤羽線、
       田端操-大崎-新鶴見操、新鶴見操-尻手-塩浜、浜川崎-扇町、新鶴見操-高島-根岸
  

 

現在、日本海縦貫線の一部となっている上沼垂~直江津間に運用されていたEF15は東新潟区の所属機と長岡区の所属機でした。

 

1975年当時の両区の所属機のリストは

 

東新潟  37、39、49、55、57、108、113、114、115、119、       
      121、127、128、134、135、141-143、145、146、        
       155、159、163、164   
長岡   1-3、6、15、20、53、63、67、75-77、85-87、90、       
        98、100、101、110、118、129-133、137、140、        
       149-152、156、175、191

そして柏崎で写した写真ですが、

 

Ef15_751103

 

EF81 0番台最終ロットの増備で淘汰された新潟のEF15 柏崎付近 1975/11/3

 

かつてEF81の記事で使ったこの一枚と、

 

Ef15_159_751103
EF15 159号機牽引の貨物列車 1975/11/3 柏崎付近

 

の2枚です。

 

上の写真は3線区間ですが、一番手前の線路は越後線の線路かも知れません。下の写真はEF62貨物列車の写真でもご紹介した場所ですが、駅東方の跨線橋から撮ったものと思われますが、38年の月日の経過で当時、どうやって現場まで行ったか記憶が全くありません。

 

これらの日本海縦貫線で活躍していたEF15もEF81の記事で書きましたが、1979年4月から9月にかけてかけて落成したEF81の最終ロットによって淘汰されました。あれから30余年、今度はそのEF81が後継機によって徐々にその数を減らしています。

 

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2013年5月12日 (日)

1975年 新潟の旅 4 EF62形電気機関車 3 山を降りた山男たち

信越本線の本務機としてEF63とともに頑張っていたEF62形電気機関車にも転機が訪れました。

信越線、碓氷峠経由の貨物列車の廃止

碓氷峠越えは、粘着運転への切り替えが行われても相変わらず信越本線最大のボトルネックであり、貨物列車重量は400tに制限され、横川や軽井沢では編成の組み替えが必要なほどでした。このため、関東・北陸間の貨物列車については、非効率な信越本線経由が避けられ、遠回りだが緩勾配で格段に輸送条件の良い上越線経由ルートが一般化しました。
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信越本線経由の急行「越前」を牽引して上野で出発準備するEF62 32号機 同列車は20:51に上野を出発し、信越本線経由で福井に7:12に到着するダイヤでした。

1984年2月のダイヤ改正では対長野県向けの貨物列車も中央本線・篠ノ井線経由に統一されることとなり、碓氷峠越え区間を含む信越本線安中 - 小諸間の貨物輸送は廃止されました。碓氷峠通過がなければ、信越本線での貨物列車牽引にはEF65形やEF64形などの一般的な構造で速度も高い機関車を用いることができるため、特殊機のEF62は余剰化しました。

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上野発のイベント列車を牽引する23号機

EF58に代わって荷物列車の牽引に

1980年代前半、東海道・山陽本線で荷物列車牽引に運用されていたEF58形は老朽化が進み故障も多発し、代替機関車が必要となっていました。

荷物列車は乗務員用の暖房熱源供給が必要で、暖房用ボイラーか電気暖房用交流電源を必要としました。当時の国鉄直流機関車では、SG搭載のEF61形は絶対数が不足する上に駆動系統のトラブルも多く、東海道・山陽線主力車のEF65形は暖房供給装置を搭載していないため冬期の運用に難がありました。一部に電気暖房電源搭載車のあるEF64形は運用線区の関係から転用できる余剰車がありませんでした。

当時の国鉄の財政状況では新造機関車などおよびもつかず、EF81形の進出で多数が休車となっていた交流機EF70形を直流化改造し代替車に充てる計画も浮上しましたが、碓氷峠での貨物列車廃止に伴い、電気暖房用電源を搭載した本形式に余剰車が発生することが判明したため、費用節約の観点から転用されることになりました。

この結果、1984年4・13 - 34・36 - 38の計26両が下関運転所(現・下関総合車両所運用検修センター)に転属し、汐留 - 下関間の荷物列車運用に投入されました。この際、荷物車の入換を行う際に邪魔になる電気暖房用KE3形ジャンパ連結器の移設などの小改造が行われました。

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京都駅に到着したEF62牽引の小荷物列車 1984/12/5 暖房が電暖方式に替わり、SGの煙も見られなくなりました。

しかし、本形式は諸元上の最高速度こそ100km/hですが、現実には山岳路線での牽引力重視設計で、定格速度が39.0km/hに設定された低速機であり、平坦区間主体の東海道・山陽本線汐留 - 下関間1,000km超の長距離で連続高速運転を行うことは、本来想定外でした。

この性能特性で、従来、定格速度68.0km/hの高速機関車EF58形で運行していたダイヤを代替するのは無理があり、過負荷を強いられた荷物列車牽引充当機は主電動機フラッシュオーバーなどの故障が続発、暖房供給装置類を持たないEF65形を代走させる事態にまで陥りました。
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碓氷鉄道文化村に保存されているラストナンバー54号機  2005/8/16

この不適合問題に歯車比変更や車両置き換えなどの抜本的対策がなされることもなく、転用からわずか3年も経過しない1986年11月のダイヤ改正で国鉄の荷物列車自体が廃止されることになったため、東海道・山陽本線に転じた本形式は余剰となり、1987年4月の国鉄分割民営化までにすべて廃車されました。また、篠ノ井機関区に所属する本形式も同時期に廃車となっています。

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2013年5月11日 (土)

1975年 新潟の旅 4 EF62形電気機関車 2 碓氷峠とEF62

柏崎で偶然、遭遇したことからEF62の話題に入りましたが、EF62といえば碓氷峠を含む信越線直通用に開発された機関車です。

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横川付近の国道18号併走区間を行くEF62 8牽引貨物列車 1981/4/12

BSフジで放映された鉄道伝説でも紹介されていましたが、信越本線横川 - 軽井沢間の碓氷峠区間は、最大66.7‰という急勾配を控える難所でした。官設鉄道として開業した明治時代から、補助レール(ラックレール)に機関車の歯車を噛み合わせて昇降するアプト式が採用されていました。このため同区間はいち早く電化され、1912年には電気機関車が導入されましたが、長らく単線のまま過密ダイヤを強いられてきました。

1960年代初頭の時点で、アプト式電気機関車ED42形1933年 - 1947年製造)が活躍していましたが、アプト式の制約で1両僅か510kWの低出力だったED42形を合計4両連ねても、通過できる列車の重量は360t止まりであり、極めて速度が遅いために単線の過密ダイヤの中でこれ以上の増発は困難でした。
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碓氷峠鉄道文化村で保存中のED42 1号機 2005/8/16
小さい頃、親に買って貰った鉄道模型(Oゲージ)の機関車がこのED42でした。

日本が経済成長して行くうえで、東京と長野県東信・北信を結ぶメインルートである信越本線の輸送力不足は非常に深刻な問題になっていました。

粘着運転への移行

国鉄本社は1956年高崎鉄道管理局が出した「碓氷白書」、(内容は碓氷峠区間が輸送のボトルネックとなっており、アプト式鉄道の施設旧式化・老朽化も著しい実態が指摘され、アプト式の解消や複線化などの抜本的な対策が早急に必要であることを訴えたものでした。)に対応し、翌1957年から同区間の改良策検討に取りかかり以下の2案の比較検討を行いました。

急勾配の現在線に並行した「腹付け線増」で複線化
緩勾配 (25‰) の迂回線建設

結果は費用や工事期間の制約から現在線案が選択され、アプト式を廃止して通常レールの摩擦力のみによって走行する「粘着運転」化の上で牽引機関車を前後の区間から直通させる方針を計画しました。

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横川機関区で休むEF62 21号機 第1次量産形 
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同じく横川機関区にて EF62 32号機 こちらは第2次量産形

このため碓氷峠区間を除いて非電化だった信越本線は、1962年に高崎 - 横川間、続いて1963年には軽井沢 - 長野間の電化が行われました。碓氷峠の電化方式も第三軌条方式600Vから通常の架空電車線方式1,500Vに変更することになりました。
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軽井沢で僚友 EF63と休む EF62 18号機 

粘着運転化にあたり、特殊装備を多数搭載したEF63形が開発されましたが、同形式はあくまでも碓氷峠区間専用の補助機関車で牽引力・ブレーキ力に重点を置いた特殊形式であり、信越本線の前後区間を直通できる本務機関車として開発されたのがEF62形です。碓氷峠ではEF63形の補助を受けて通過することを前提とした上で、降坂時にはEF63形と直接連結されて協調運転を可能な構造としました。

開発は1960年から開始され、1962年5月にEF62形ならびにEF63形各1両の先行試作車が完成しました。

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同じく碓氷峠鉄道文化村に保存されるEF62 1号機 登場時の茶色塗装で 2005/8/16

碓氷峠通過用の機構的特徴

主抵抗器は、66.7‰もの急勾配における起動抵抗や制動中の負荷抵抗が膨大なものであることから、冷却効果の高い専用のものを開発しています。さらに、強制通風式とすることで小型化を図っています。

重連運転時の総括制御ならびにEF63形との協調運転に対応するため先行試作車ならびに1次量産車ではKE63形、2次量産車ではKE77A形のジャンパ連結器2基ならびに元空気ダメ管・釣り合い管を装備しました。

MT52系直流直巻電動機 (425kW) 、歯車比1:4.44としたスペックは、協調運転を考慮した結果、EF63形と共通となりましたが、両形式は重量と機器類の差によって全く異なった性能の機関車となりました。

軸重移動補償

EF63の特殊な台車構造による機械的軸重移動補償に対して、EF62では電気的軸重移動補償が採用されました。

力行中の軸重のアンバランスによる空転の発生を抑えるために、進行方向前方から見て
第1軸・第4軸:61%
第2軸・第5軸:78%
第3軸・第6軸:100%

となるように電流を制限しているそうです。

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サロンエクスプレス東京を牽引して碓氷峠を登って来たEF62 40号機

ちょうど、この記事を書いていて1975年10月28日に碓氷峠で回送中だったEF62 2両(12号機と35号機) EF63 2両(5号機と9号機)の暴走・脱線・転落事故が起きていたことを思い出しました。事故のことは当時、ニュースで知り、急勾配の恐ろしさをまじまじと実感させる事故でした。

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2013年5月10日 (金)

1975年 新潟の旅 4 EF62形電気機関車 1 柏崎にて

1975年11月3日、3連休の中日は自由行動で、水上から、長岡、柏崎へと向かいました。

柏崎で撮影している写真と、手元にある当時の時刻表(1974.12版)から推察するところ、水上8:14発の721Mで長岡(10:19着)まで行き。長岡からは10:52発の1330Mで柏崎(11:39着)に向かったものと思われます。上越線721Mは高崎発7:10で、長岡から引き続き437Mとして新潟(12:26着)まで運転される長距離普通電車でした。

あれから38年経ちますが、現在の上越線でも高崎7:10の723Mは水上に8:13に到着し、水上8:24発の1731Mに乗れば長岡に10:18に到着します。長岡から10:35発の435M に乗れば新潟には11:53に到着します。一方、宮内で10:24発の直江津行き1334Mに乗れば、柏崎に11:04に到着します。38年の経過でスピードアップはされているものの、普通列車の基本的なスジが同じなのには驚かされます。

柏崎駅では、1330Mを追い抜く11:45着の下り特急「はくたか」(3001M)とを撮影していました。同年3月のダイヤ改正で0番台クハの485系は鹿カコに転属しており、大ムコの485系クハの大半は-100番台でしたが、関東で大ムコの485系を見ることができる貴重な列車でした。

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さらに13:43発の下り特急「北越2号」も写していました。

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どちらも2013/1/26の記事 と 2013/1/23の記事 でそれぞれ掲載済みの写真ですが、柏崎のホームの様子が分かります。

また、特急「北越2号」の後ろには今回のテーマであるEF62の姿も見えます。

実はここまで書いていたところで、手元にあった1975年交友社発行の「電気機関車 快走」の中に各線のダイヤグラムのページがあり、信越本線のページに当時の長岡~柏崎間の乗車列車が赤で示されていました。その結果、1330Mで柏崎にやってきて、1335Mで長岡に戻ったことが確認できました。なにせ、40年近く経つと記憶もだいぶ怪しくなってきます。

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1975.3.10改正の信越本線の当時のダイヤグラム 交友社発行の電気機関車 快走から

<EF62形について>

信越本線の碓氷峠越え区間に直通する列車の牽引用に開発され、1962年に先行試作車の1が完成し、その後1963年から1969年にかけて量産車53両の合計54両が製造されました。

重連運転も考慮した結果F級の新系列電気機関車としては初めての貫通式運転台を採用しました。運転台窓はパノラミックウィンドウであり、先行するEF60形・EF61形同様にやや傾斜していますが、正面貫通扉を垂直に配置する関係で、幕板が庇状にやや突き出した体裁であり、窓回りに凹みが生じています。運転席正面ガラスにはデフロスタが取り付けられ、幕板両側に2灯のシールドビーム式前照灯が設置されました。

軽量化のため、側梁を強化することで中梁を廃止し、側面裾部が車体両端部分より一段下がった形態です。塗色は当初、茶色(ぶどう色2号)一色でしたが、のち青15号を基調に前面腰部をクリーム1号とする直流機標準塗色となりました。

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信越本線の下り8583レ貨物列車を牽引中、特急待避のためなどで柏崎で休憩するEF62 47号機         1975/11/3 柏崎

機器、走行性能

通常運用される全動軸のF形機関車は軸重16t・総重量96t以内に制約されています。EF62の開発においても、各種粘着試験の結果から総重量を92tとすることを目標としたため、各部分の軽量化に特段の配慮がなされました。

機器は協調運転を考慮し、EF63と共通のものとなっています。電動カム軸制御の自動進段式抵抗制御器 (CS16) による抵抗制御方式でバーニア制御器 (CS17) も装備しました。ノッチを細分化することでトルク変動を小さくし、空転防止に寄与しています。また下り坂での安定したブレーキ力確保のため発電ブレーキも装備しました。また、転換制御器も電動カム軸制御方式 (CS18) となっています。

唯一の3軸台車

国鉄の1960年代以降の電気機関車としては異例な3軸ボギー台車 (DT124) を採用し、Co - Co軸配置としました。これはトータルの重量の点で3軸台車にする方が軽量に仕上がったためだそうですが、中間軸の横圧が大きく、曲線部で軌道への負担が大きくなる弊害が出たため、横圧を軽減させるために輪軸を6 - 25mm横動できるようになっていました。

DT124形台車は、通常のセンターピンでは台車回転中心にある第2軸と干渉するという構造的な問題をクリアするため、台車回転中心部分の車体両側に設けられた車体足と台車を結ぶ引張棒ならびに台車第1軸と第2軸との間に置かれたリンク機構によって台車の回転許容と位置決めを行う仮想心皿方式を採用しています。また、牽引力については、この引張棒と車体足を介して台車から車体に伝えられています。

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EF62に逢ったのはこのときが最初だったと思います。中学生の頃、「世界の鉄道'69」(朝日新聞社刊:年刊で69年版の特集は日本の電気機関車)でEF62がC-Cの軸配置であることは承知していました。特徴的なC型台車の写真も撮影しておりました。

電動発電機

出力320kVAの電動発電機 (MG) を搭載し、これによって客車の電気暖房を可能としました。MGの電源は、直流1,500Vを単相交流1,440Vに変換して用いています。直流用電気機関車で交流電源式の電気暖房仕様となったのはEF62が最初だそうです。これもまた軽量化に伴う重量制限を理由とした措置でした。なお同時に碓氷峠を通過する旧形客車についても原則電気暖房追設の工事が施工されました。

FRPの多用

屋根全域にわたってさらなる軽量化のためFRPが採用されています。また、成型色を明灰色として外光を透過させ、代わりに明かり窓の省略を狙ったともいわれます。一方、FRP製の屋根板では重量物であるパンタグラフを支えることができないため、左右の側板の間を鋼製の梁でつなぎ、その梁にパンタグラフを搭載する構造としていました。

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EF62 47号機牽引の8583レ貨物列車 1975/11/3 柏崎駅東方の跨線橋から

この写真からEF62の特徴的な屋根の構造、パンタグラフの設置の様子が分かります。

EF62の形態について詳しく研究されているサイト を拝見するとこの47号機の写真からもいろいろなことが分かります。まず、47号機は29号機以降の第2次形であること。円板省略式の内ばめ大型テールライトタイプですね。配置クハ篠ノ井機関区です。助手席側水切り延長はなされており、デフロスターもしっかり付いています。スノウプラウのステップは網状です。

次回以降、EF62の柏崎以外での写真を紹介致します。

以上、Wikipediaの記事を参考に纏めました。

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2013年5月 9日 (木)

1975年 新潟の旅 3 EF16 国境の峠越えの補機

水上駅では予想外の出会いもありましたが、本命のEF16にも逢うことができました。

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EF15本務機貨物の前に前補機として活躍するEF16 31号機 1975/11/2 水上

以前、真鶴~湯河原間の記事でEF15について触れたとき、EF15からEF16の改造について書きました。

EF16形は板谷峠の補機としてEF15形に回生ブレーキを追設し、従来の踏面ブレーキの使用頻度を大幅に下げることとした形式です。

最初はEF15形として活躍していましたが、改造でEF16と名乗るようになりました。番号の対応は以前の記事で示したように、EF15の1~8・20~23号機がEF16 1~12号機となりました。

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EF65 1030号機を本務機とする貨物列車の補機を務める元福米タイプのEF16 11号機 1975/11/2 水上  装備は上越仕様になっていたようですが、厳めしいつらら切り付きのスタイルは福米スタイルを踏襲していました。

一方、1955年から1957年にかけて、上越線水上 - 石打間の急勾配区間(20‰の勾配)として新たなグループ(EF15形16~19・24~28・31~33の12両)が改造されました。こちらは回生ブレーキの性能が33‰対応である奥羽本線用のものと異なっていることや、将来の福米形増備を考慮したことから番号を20から付して区別しました。

配置は水上機関区が中心で、少数が長岡第二機関区(のち長岡運転所)にも配置され、ともに補機運用として使用されました。また奥羽本線用であった11・12も、装備を上越仕様に変更して長岡第二機関区に配置され、14両体制となりました。

1980年以降、EF64形の新区分番台であるEF64形1000番台に置き換えられ、1982年までに全車廃車になりました。

以上、Wikipediaの記事を参考に纏めました。

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2013年5月 8日 (水)

1975年 新潟の旅 2 191系事業用車@水上駅

1975年秋の新潟の旅、11月2日の夕方、まずは当夜の宿泊予定地、谷川温泉に向かうため、上野からの急行で水上駅に到着するとまだ明るさが残っておりました。

この機会に上越国境越えの補機として活躍するEF16の姿も撮っておきたかったので、駅の裏手へ回ってみました。

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2009/9/5に訪問した際に撮影した水上駅の越後湯沢方面の風景

この写真で言えば画面左側の引き込み線だったと思いますが、そこに試験車であるクモヤ191+クモヤ190の2連が停まっておりました。

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水上駅北側の電留線で偶然見かけた191系 電気検測用電車 1975/11/2

手前がクモハ190で種車のモハシ180の窓配置をよく残しております。

<191系 事業用車>

1973年5月に小倉工場(現・小倉総合車両センター)で、余剰休車となっていた181系電車サハ180-5・モハシ180-11)を種車とした改造により、誕生しました。架線と信号回路の同時検測を行う電気検測用電車です。

外観・構造

測定用機器搭載のため、台枠・側構体および屋根は大幅な補強・改造が施工されました。床面高さを床下機器の関係から181系電車時代の1,110mmから125mm高くした国鉄新性能電車標準の1,235mmとしました。

前面形状は当時製造されていた183系電車に準じた高運転台・非貫通構造を採用しましたが、種車となった中間車の台枠をそのまま利用したため、183系のように丸みがなく平面的な前面となっています。側面は一部が埋められていますが、種車の窓や扉は多くが再利用されました。

車体塗装は583系電車113系電車横須賀線色と同じ配色で、青15号地に前面および側面の上部と腰下部にはクリーム1号の警戒色としました。なお、後年に警戒色は黄5号に改められました。

形式・検測

Mzc車クモヤ191-1とMzc'車クモヤ190-1のMM'ユニット方式により構成され、電車線路の集電性能・架線の磨耗状態・信号設備の電気的機能を走行しながら自動で行います。

クモヤ191-1

種車はサハ180-5で、ATSなど信号設備関係の検査を行います。屋根上には集電用のPS16C形パンタグラフ2基とAU12形分散式冷房装置を4基搭載。床下には主に主制御器・主抵抗器・断流器箱・信号測定用車上子・給水装置を搭載。台車は種車の付随車から電動車に変更となったため新製のDT32E形に交換。室内割付は1・3位側を廊下とし、前から整備室・会議室・測定室・電源室を設置。トイレ・洗面所は種車のものをそのまま流用。

クモヤ190-1

種車はモハシ180-11で架線とその周辺などの電力関係の検査を行います。屋根上には硬点ならびに高さ測定用PS910形・偏位/わたり/支障物検測用PS909形のパンタグラフそれぞれ1基ずつ計2基の搭載と工業用テレビ付き観測台および照明装置などを設置。室内には屋根上が前述の設備のため搭載不可となったためにAU41形床置式冷房装置を1・3位側廊下両端に2基ずつ計4基搭載したほか、前位側より磨耗測定用油圧ユニット及び測定装置・観測台・各種測定機器・高圧室を設置。床下は種車の水タンクを撤去し、70kVA電動発電機(MG)・電動空気圧縮機(CP)・信号回路測定用の車上子を新設。台車は種車のDT23Z形を床面高さ向上に対応した改造を施工の上で装着。

運用

田町電車区に配置され、主に首都圏の通勤路線及び新潟地区の路線の検測に投入されました。その後、山手線や京浜東北線でATC検測が可能な193系が製造されたため、1983年2月に廃車されました。

<種車について>

サハ180-51958年11月、8両編成でスタートした151系(開始時は20系)編成に1959年12月、早期に落成したモロユニットを大阪側基本編成に、そして6両のサハを2両ずつ東京側の基本編成に挿入して暫定の12両編成を組成したときの1両です。当初はB5編成、1960年の「つばめ」「はと」の151系化後は特5編成の一員として活躍しました。特5編成は1972年3月の改正後も「はと」「しおじ」として活躍しており、私も1972年7月に特5編成の「はと」に乗車しています。

モハシ180-11はもともとモハシ150-11として、昭和35年度本予算にて1961年8月に落成した車輌です。1961年10月のダイヤ改正で、東京~名古屋間の特急「おおとり」の新設など東海道電車特急8往復化に向け、151系をそれまでの12両編成 6本 体制から11両編成 11本と予備車7両に増強させるために増備された車輌のなかの一両でした。
当初はモハ151-25とユニットを組んでいました。

時代はだいぶ下って1969年の夏を前に157系で運転されていた特急「そよかぜ」を181系化するために昭和43年度第4次債務で181系最後の新製が行われました。モハに関しては敢えてユニット単位での新製は行わず、モハ181 2両、モハ180 3両の新製が行われました。なぜ、このような製造をしたのかといえば、当時山陽本線の特急において181系の半室ビュッフェ車であるモハシの連結が停止されており、モハシをモハに改造する工事が進められていました。そのためにモハシの工事の間に相方のモハ181の休車を避けるため、モハ180を単独で新製したそうです。このとき新製されたモハ180-115モハ181-4と組むことになり、それまでの相方のモハシ180-4が休車となり、改造工事が始まりました。モハシ180-4も1971年にモハ180-54となり、モハシ180-11の相手方のモハ181-25と新たにユニットを組むこととなり、玉突きでモハシ180-11が余剰休車となりました。そういった経緯からモハシ180-11がクモヤ190-1の種車に抜擢されそうです。

一方でこのときに新製されたモハ180-115は最初の相方がモハ181-4 (1958年製造)、1975.7にはそのモハ181-4が老朽化廃車となり、相方がモハ181-23に代わり、その相方も3年後の1978.6には老朽化で廃車となり、最終的にはモハ181-43と組んだそうです。11歳年上の姉さん女房から始まって、2回伴侶を換えた車両となりました。

以上、『鉄道ピクトリアル』2005年9・10月号 No.765・766 特集:151・161・181系電車 I・IIの記事とWikipediaの記事を参考に纏めました。

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2013年5月 7日 (火)

2013/5/5 東京貨物ターミナル 一般公開 後編

東京貨物ターミナル公開イベントの続編です。

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HD300という機関車が数年前に登場していたことは知っていましたが、実物を見たのは今回が初めてでした。

<HD300-901について>

2010年に製造されたハイブリッド機関車で、試作機にあたる901号が、2012年鉄道友の会ローレル賞を受賞しています。
DE10形ディーゼル機関車など、国鉄から承継された機関車の老朽化が進行しており、これらの車両を置き換えるため開発されました。また近年の環境問題に対しての取り組みとして、排出ガスを削減する新しいシステムによる車両の導入が検討され、ハイブリッドシステムを採用した車両の導入が検討され、JR貨物の長期経営計画に基づき、計画が進められています。

ディーゼル発電機を動力源とする電気式ディーゼル機関車と蓄電池(リチウムイオンバッテリー)を動力源とする蓄電池機関車の2つの要素を兼ね備えた、日本初のハイブリッド機関車です。具体的には「シリーズ・ハイブリッド」と呼ばれる、状況に応じて駆動力となるモーターの動力源についてディーゼル発電と蓄電池の両者を切り替える機構を備えています。これにより、ディーゼルエンジンを直接駆動力に用いるDE10形に比べて排出ガスでは30% - 40%、騒音を10デシベルと大幅に削減できるそうです。また、回生ブレーキの搭載により、排出ガスを削減することを目指しています。そのため、形式記号の頭文字にディーゼル機関車を指す「D」や蓄電池機関車を指す「A」ではなく、ハイブリッド (Hybrid) 方式の機関車であることを表す「H」を初採用し、動軸数4であることを表す「D」と組み合わせた「HD」となっています。

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側面には大きくHybridの表示が。

構造と機能

車体はセミセンターキャブタイプで、前位側から主変換機モジュール、蓄電池モジュール、運転室モジュール、発電モジュールと、車体を4ブロックに分割したモジュール構造とし、保守の簡略化を目指しています。

主電動機には、全密閉構造の永久磁石同期電動機を機関車として初採用し、センサレスベクトル制御(速度検出センサーなしに、予め設定したモーターの特性定数(抵抗値等)や電圧・電流からモーターの回転速度(すべり)を推定し、出力すべき電圧をベクトル演算で決定する制御方式)により駆動されます。 主電動機の仕様・諸元は、相数:3相、極数:6極、定格:連続出力62kW/電流90A、一時間出力80kW/電流117A、電圧440V、回転数550rpm、周波数27.5Hz、最高使用回転数1,244rpm(回送時3,040rpm)、重量1,246kgです。

リチウムイオンバッテリーは、ジーエス・ユアサコーポレーション製のLIM30H型を搭載し、電池構成は3並列、公称電圧750V、エネルギー容量は67kWhです。 寒冷地における経年劣化でも起動できるだけの出力容量を確保し、回生エネルギーを吸収可能な容量としました。またバッテリーは複数のバンクで構成し、異常時はバンク開放して走行継続可能となるような冗長性を持ちます。

エンジン発電機におけるディーゼル発電機は、エンジン出力は騒音や有害排出ガス低減のため、既存の50万台実績のある産業用325HPのエンジンを転用し275HPで使用しています。 エンジンの仕様は、定格出力325HP(242kW)-1,800rpm(エンジンラジエータ10HP含む)、定格回転数は1,600rpm、最高回転数は1,800rpmです。 主発電機の仕様は、軸直結駆動形、自己通風冷却方式の定格出力:170kW(一定)、定格電圧AC(線間)440Vです。

運用等について

2010年3月、試作機HD300-901が東芝府中事業所で落成し、3月25日に公開されました。2011年に入り1月下旬からは札幌貨物ターミナル駅構内で寒冷地試験が行われました。

その後も道内の別地域や東京貨物ターミナル駅、南松本駅等で試験走行を行い、様々な条件下における車両の性能の情報を収集しています。

試作機である901号機は、2011年7月11日から入換機として東京貨物ターミナル駅で運用を開始しました。

2012年1月には量産型1号機となるHD300-1が東芝府中事業所で落成、甲種輸送され、2012年2月8日より、東京貨物ターミナル駅構内で使用開始しました。量産車は警戒色塗装が施されている前面の排障器の幅が試作車より広まり、後部標識灯が前照灯下部にまとめられ、連結器灯にカバーが設けられる等の形状の差異が見られます。

2012年度以降についても、量産車を順次投入して、老朽化したDE10形機関車を置き換えていく予定としていますが、具体的な新製両数や投入駅については未定とのことです。また同車の成績を踏まえ、本線用ハイブリッド式機関車の開発を進めることが長期経営計画に明記されています。

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逆エンド側からの撮影です。
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世界初の貨物電車 Super Rail Cargo (SRC) 登場したのは2002年ですから、もう11年なんですね。 もっと便数が増えるのかと思っていましたが、依然一往復ですね。

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こういったシーンは一般公開でないと見ることが出来ないと思います。

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EF210-146号機、吹田機関区所属機ですが、同じ桃太郎でも関東ではお目にかかれるチャンスが少ない機関車ですね。

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反対側の21番ホームにはEF210-170号機を先頭にコンテナ編成が展示されていました。

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懐かしい国鉄色のコンテナを始め、カラフルなコンテナ搭載のコキが連結されていました。

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新鶴見までは来ているものの、東京ターミナルには乗り入れていないEH500,ミニチュアで会場を走っていました。

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会場の真ん中辺りには水陸両用車の展示が。

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懐かしの国鉄バス塗装のボンネットバスも走っていました。タイプはいすずTSD40改ですか。江戸東京たてもの園の動画に登場する車輌ですね。

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国鉄時代からの貨物輸送の歴史についてお勉強

あとは巨大なフォークリフトの展示や東京湾岸警察署によるパトカーの展示、大井消防署による消防車、はしご車の展示がありました。

天候にも恵まれ大盛況のイベントだったと思います。

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2013年5月 6日 (月)

2013/5/5 東京貨物ターミナル 一般公開 前編

<当初は新潟旅行の記事を書く予定でしたが、東京貨物ターミナルの一般公開に参加しましたのでそちらを先に書きます。>

昨日は、東京貨物ターミナル駅開業40周年を記念した初めての一般公開が開催されましたので行って参りました。

東京貨物ターミナル駅は2004年8月に一度、訪問したことがありましたが、陸橋から機関車溜まりに停車中のEF66やEF200、あるいは入れ換え中のDE10などを写しておりましたが、すっきりした写真が撮りにくかったので以後、足が遠ざかっておりました。

今回は、一般公開で中に入れると言うことで、4月のアナウンス以来、首を長くして待っておりました。

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駅入り口の表示 2013/5/5

東京モノレール流通センター駅から約10分程度、海方向に環状7号線に沿って歩くとの左側にこの表示が見えてきます。

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鉄道関係のイベントでは必ずと言って良いほど目にするアーチ型ゲート

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荷役ホーム案内図によるとふだんは16番ホームと21番ホームの間のスペースが今回のイベント会場となっていました。

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最大のお目当ては展示された機関車達で、手前から EF651001, EF66 27, EF210-6, EF210-102, EF66 104, EF66 110の4機横並び、EF65 2057, HD301-901 そして一本手前の線路にEF210-146 さらにSRC そして反対側の21番線にEF210-170とコンテナ編成でした。

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EF65 1001 パンタ下げの状態でしたが、あの頃のままの美しい姿で今も残されているのは感動ものでした。

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反対側のエンド、新鶴見の区名札もきちんと挿入されて展示されていました。

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こちらは連休前に吹田で故障から復活し、試運転の後、吹田~下関往復、5/2の5066レで故障以来久しぶりに関東入りし、もしやこのイベントで展示されるのではと噂はありましたが、その通り元気な姿を見せてくれました。

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ものすごい数のカメラマンがEF66基本番台の中でも最後に残った原型をよく保った形で残され、かつ現役の27号機の写真を撮っていました。

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反対側のエンドには東京貨物ターミナル40周年記念HMが装着されていました。

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EF210の基本番台 (6号機)と100番台(102号機)、EF66100番台の前期タイプ(104号機)と後期タイプ(110号機)が並べて展示されていました。

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EF210の違いは機構的には1C2Mか1C1Mかの違いですが、外観的にはパンタも両者とも同じタイプなので差はあまりありません。

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一方、EF66の方はライトケース、腰回りの帯等の違いが明白です。

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EF65 2両目は現役の2057号機 試運転のHM付きで

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反対側はいつもの姿といった感じでした。

残りは明日の記事で紹介致します。

<2013/5/6 追記>

EF66110号機に関して、5/3朝、鶴見で撮影をしていたら、7:22頃EF66108号機がEF66110号機を牽引して東京ターミナル方面に向かって行きました。無動回送にしては方向が逆だなと思っていたのですが、110号機は5076レのスジで吹田から回送されたようですね。

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2013年5月 5日 (日)

1975年 新潟の旅 1 プロローグ

今回は大学時代のクラブ活動で水上を起点に新潟地方を訪問した時の話題です。

大学の教養化学部秋の親睦旅行として谷川温泉にある大学の寮、谷川寮に泊まることになり、まずは11月1日の土曜日、現地集合で水上まで高崎、上越線経由で向かいました。
2日は自由行動で、谷川岳に登山する者、周辺を散策する者、いろいろいましたが私は水上から電車でさらに北上し、長岡、柏崎まで旅しました。長岡からの帰路は181系特急「とき」にも乗車しました。3日に水上から急行で東京に戻りました。

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               アルバムに残っていた当時の急行券

あの時の旅行の収穫は新潟地区で活躍する旧国や信越本線柏崎周辺での列車撮影でしたが、その後も2004年2月に長岡、2005年3月に新潟、2009年9月や2010年5月の連休には115系やD51498の撮影で水上周辺を訪問し、2010年7月には直江津と柏崎に旅する機会があり、その際に撮影した車輌も今回のシリーズで紹介する予定です。

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1975年の旅行の際は写真を撮っていませんでしたが、2010年に撮影した水上駅前、あの当時と変わらない行楽地の雰囲気がありました。

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駅舎も近代的な建物に変わりました。

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駅名標もこういった観光地をアピールするものになっていました。 2009/9/5

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2013年5月 4日 (土)

安中貨物とEH500

2013年2月初旬頃から田端運転所の交直両用機によるJR貨物の委託業務は3月の改正で終わり、常磐線貨物運用から田端の交直流機が撤退するのではという噂を撮影に出かけると耳にするようになりました。鉄道雑誌などにもその噂は記事として書かれていましたが、まさかそれが現実のものになるとは3月16日を迎えるまでにわかには信じがたいものでした。

EH500が常磐線貨物を牽引した歴史を辿って見ると、2010年3月のダイヤ改正で東北から常磐線経由で南下してくる貨物運用(90レで水戸に到着後、翌晩に91レで北上)、さらに同年12月には90レ、91レを水戸で田端機に引き継がずそのまま首都圏まで牽引するようになっていました。

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2010/12/23 大幅遅延して午後1時過ぎに妙向寺踏切を通過したため撮影できた27号機牽引の90レ

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さらにそれに先だって2010年2月頃には水戸区にEH500-22が研修のため貸し出され、そのために常磐線を単機で回送される姿も写しておりました。 2010/2/16 猪子踏切(牛久~ひたち野うしく)

そういった過去の入線経験を踏まえて、今回のダイヤ改正でA109運用4088レで新鶴見に到着した機関車が2095レ/2094レで泉まで往復(A110)、A117運用6090レで隅田川に到着した機関車が翌日2097レ/2094レで土浦まで往復(A118)、A145運用6096レで隅田川に到着した機関車が5781レ~5388レの安中貨物を担当(A146)といったように運用が組まれています。但し、A110,A118は日曜日は運休となります。

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2013/3/17 EH500として初の5388レを牽引する55号機

EH500はこれまでに901号機を嚆矢に1号機から81号機まで落成しており、45~50、67~72の12両は門司機関区に配属されているので、仙台には70両が配置されていますが、4月27日の5871レ、翌日の5388レには試作機901号機が投入されました。同機も昨年夏頃までは長いこと仙台で休車状態にあって、再起できるのかと思っていましたが、元気に復帰しています。

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901号機牽引の5781レ 2013/4/27 撮影場所はこの3月の改正で開業した湘南新宿ライン浦和駅

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翌4/28の5388レ 妙向寺踏切

EH500が常磐線貨物に投入されて1ヶ月半が過ぎましたが、これまでの安中貨物、2095レ、2097レの機関車の番号を見てみると、70両のうち、5/3現在まだ投入されていないのは11, 17, 22, 24, 27, 32, 33, 41, 43, 58, 63, 74, 75, 77の14両のようです。このうち58号機だけが4月に走行実績がないので検査中なのかと思われ、他はたまたま運用上回って来ていないものと思われます。

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6号機牽引の安中貨物 2013/4/20

EH500の場合、901、1と2、3~9は10以降の通称三次タイプとは異なった顔で生まれており、バラエティの豊富なことも魅力のひとつです。さらにエンドの向きが替わることでパンタによるイメージが大きく変化することも魅力です。

個人的には5/3に偶然にも3075レを牽引する81号機を撮影できたので、今のところ未撮影機は80号機のみですが、是非、安中貨物でもEH500仙台所属全機を制覇したく思っております。

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2013年5月 3日 (金)

安中貨物とEF510-500

田端運転所に配属となったEF510-500番台が安中貨物にデビューしたのは2010年12月3日のことでした。この頃は先日のカシオペア塗装機の話題でもお話ししたように、2097レで北上した機関車が5388レで南下する運用で、私も12月2日に2097レをEF510-501が牽引する姿は撮影しました。

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当時、翌日の安中貨物に繋がる2097レの運用に入ったEF510-501号機 2010/12/2 二十三夜尊前踏切

田端運転所の拘りか、ことEF510-500番台の新規運用に関しては2010年6月25日の「カシオペア」の初運用、7月14日の「北斗星」の初運用も501号機が投入され、常磐線のコンテナ貨物の初運用は510号機でしたが、安中貨物はやはり501号機が初担当となりました。

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土浦名物、蓮田の横を通り過ぎる510号機カシオペア塗装の安中貨物 2010/12/12

常磐線の貨物列車の釜番(運用される機関車の番号)は沿線の熱心なファンの皆さまが書き込んでいる掲示板があるために、現時点では2010年12月以降、今日に至るまでの牽引した機関車の番号を知ることができます。

今回この記事を作成するにあたり、掲示板情報をもとに2010年12月3日から、EH500に担当が引き継がれる2013年3月16日までのEF510-500による牽引データを全部集めて解析してみました。

この間に安中貨物に関係する変化と言えば

2011年2月20日頃には、機関車の運用行路パターンが変更となり、田端操で5371レに入った機関車が安中まで行き、さらに折り返しで泉、いわきまで北上、翌日の5388レで田端操まで担当する方式に変更となっています。ですので、5388レ基準でデータを整理しました。

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雨の我孫子を通過する503号機牽引の安中貨物 2011/2/12

2011年3月11日の東日本大震災の後、安中貨物の運転が再開されたのは6月3日の5371レからで、その前に安中貨物の筋を利用した機関車の回送が行われています。

2010年12月のEF81からEF510-500への担当変更当初、恐らく「北斗星」や「カシオペア」牽引中にタイヤフラットのトラブルが頻発し、戦線離脱する機関車が続出し、安中貨物においてEF81による代走が頻繁に行われました。特に2010年12月は28日の運転日数のうち、15日がEF81による運転、2011年1月は28日の運転日数のうち、EF510-500の運転は9日留まっています。こういった代走は2月、3月と続きましたが、震災による運休から再開した後はEF510-500による運転が続きました。再びEF81に代走の機会が回って来たのは2012年の2月、3月でした。因みに、2011年の代走時と2012年の代走時ではEF81のメンバーも変化しており、2011年にはEF81 80, 81, 87, 88, 95, 97, 98, 99, 133が参加していましたが、2012年にはEF81 80, 81, 95,97,98,133となっていました。

あと、夏場になると運休や単機による走行が増え、2012年夏は節電のため、7月9日から9月5日まで長期間の運休が設定されました。

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馬橋を通過する505号機牽引の安中貨物 2011/2/5

一方、501~515号機の15両の機関車が区別されることなく投入されていますが、月単位で投入実績をみると、15両が平均的に担当すれば月2回程度の担当となりますが、ひと月の間に15両全てが担当したのは2012年4月と5月だけで、あとの月はどれか1両ないし2両が担当しないために他の機関車が4回担当するような結果になっていました。それでも全期間を通じて、それぞれの個体の担当回数を調べて見ると特定の個体が多い、少ないといったことはなかったようです。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

2010/12/3~2013/3/16   総日数 835日          
5388レの運転日数          664日 (79.5%)         
EF510-500の運転日数       596日   (89.8%)    
EF81による代走日数         68日
個体別担当日数
EF510-501 37
       502  41
              503  33
              504  42
              505 37
              506 35
              507 41
              508 39
              509 40
              510 48
              511 41
              512 44
              513 44
              514 36
              515 34
              不明  4

表 EF510-500 担当期間における安中貨物列車運転データ
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

昨年の夏などに何気なく「北斗星」へ投入される機関車の番号を見ていると501から順序よく番号順に投入されることが何度があり、田端運転所の拘りを感じたこともありました。

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北浦和~与野間の武蔵野線大宮支線の地上出口付近を行く508号機牽引の安中貨物 20110/7/3

15両という両数はファンにとって、なにかまとまったセットを作るには手頃な数で、私も「北斗星」「カシオペア」「安中貨物」「コンテナ貨物」の全15機60通りに続いて、昨年11月4日の記事でご紹介した「安中貨物同一地点撮影」さらには「2095レ同一地点撮影」なども実行中でしたが、予想外に早かった15両による活躍の終焉にひたすら驚かされているところです。

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大宮を通過する509号機牽引の安中貨物 2011/6/18

すでにJR貨物への売却、除籍等の手続きも進んでいるという情報もありますが、富山で活躍する9両、田端に残る6両、それぞれ離ればなれになっても頑張って欲しいものです。

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2013年5月 2日 (木)

安中貨物とEF81 その3

田端運転所のEF81による安中貨物、今回は通称「カシ釜」ことカシオペア専用機塗装のEF81が牽引した安中貨物です。

EF510-500番台の田端運転所配置で、それまでカシオペアを牽引して上野と青森を往復していたEF81 3機(79号機、92号機、99号機、当初は89号機がその任にありましたが、2007年12月頃の故障による離脱で99号機が継ぎました)もその任を解かれ、常磐線の貨物列車を牽引するようになりました。

2010年3月のダイヤ改正による常磐線貨物運用では、以下のように貨物列車が設定されておりました。90番台の貨物列車は水戸でED75と継走される貨物列車です。

A21運用:田端操~隅田川~2097レ~泉~いわき
A22運用:いわき~泉~5388レ~田端操~5781レ~安中~5782レ~泉~いわき
A23運用:いわき~泉~2092レ~隅田川~田端操
A24運用:田端操~隅田川~越谷タ~1657レ~水戸
A25運用:水戸~1656レ~越谷タ、
A26運用:越谷タ~93レ~水戸
A27運用:水戸~96レ~田端操
A28運用:田端操~97レ~水戸~94レ~梶ヶ谷~新鶴見
A29運用:新鶴見~2095レ~泉~2094レ~新鶴見
A30運用:新鶴見~梶ヶ谷~95レ~水戸~90レ~隅田川~田端操
A31運用:田端操~隅田川~79レ~越谷タ~91レ~水戸
A32運用:水戸~92レ~隅田川~田端

(A21~A23運用は後日、A28~A30運用に番号がかわったと記憶しています)

カシオペア塗色の機関車は7月10日79号機が1657レに投入されたのを皮切りに、7月14日には92号機が2097レに投入されました。そのまま安中貨物運用に入るかと思うと、翌日の安中貨物は運休でした。その後、99号機7月19日の97レに投入され、元カシオペア専用機は頻繁に常磐線コンテナ貨物列車に投入されてゆきました。しかし安中貨物運用への投入は11月20日に同運用に続く2097レにに79号機が投入されるまでありませんでした。

そんな経緯を経て、初めて元カシオペア専用機が安中貨物を牽引した11月21日の写真が以下のものです。

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妙向寺踏切を通過する79号機牽引の安中貨物 2010/11/21

同日の2097レには92号機が入り、順当に22日は92号機牽引の安中貨物が実現しました。

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牛久~ひたち野うしく間の猪子踏切を行く92号機牽引の安中貨物 2010/11/22

さらに22日には95号機が2097レに入り、23日には最後に残った99号機が2097レを担当し、順当に24日の安中貨物を牽引しました。

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ひたち野うしく~荒川沖間の二十三夜尊前踏切を通過する99号機牽引の安中貨物 2010/11/24

さらにその後、連日のように92、79、133、99、92、133、81、95と続き、12月2日の2097レにはEF510-501号機が投入され(正確に言うと常磐線貨物への投入は12月1日の97レから)、以降EF510-500の時代となりました(その後、EF510-500番台のトラブルでEF81が代走することも何回かありましたが)。まさしく閉店前の大売り出しというか、蝋燭が消える前に明るく光るといった感を持たせてくれる「色物総出演」でした。

因みに荒川沖付近の交流区間では既に両方のパンタグラフを上げて走行していますが、これは安中貨物の場合、藤代の中線停車などがなくノンストップで直流区間に進入するためかと思われます。それではどこで両パンタ上げを行っているのか調べて見ると石岡における特急電車待避の際に片パンから両パン上げにしていることが分かりました。

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特急列車待避のため石岡駅の側線に進入する99号機牽引の安中貨物 2011/1/8
この時点ではパンタは交流区間モードです。

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石岡停車中に両パンタ上げモードになります。

99号機に関しては赤2号塗装時代に安中貨物を牽引する姿も撮影していました。
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大宮駅を通過する99号機牽引の安中貨物 5781レ 2007/4/14

EF510-500の田端配属後、同機のトラブルで2011年冬にはEF81が安中貨物牽引に復活し、カシオペア塗装機では99号機が数度その任にあたりましたが、79号機と92号機は2010年12月に任を解かれ尾久に留置される姿が目撃されました。

Ef81_92_101229_3
85号機などともに尾久に留置される92号機 すでにナンバープレートは外されていました。 2010/12/29

Blog記事の情報では79号機は2011/6/2に58号機とともに秋田に廃車回送され、Youtubeの情報では92号機は2012/1/15に85号機と廃車回送になり、さらにネット記事の情報では99号機も2011/8/25に検査入場のEF651104号機とともに廃車回送されています。

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2013年5月 1日 (水)

安中貨物とEF81 その2 

田端運転所のEF81はJR東日本の所属機ですが、委託業務としてJR貨物の運用を受け持っていました。さらにEF81には、赤2号の塗装機以外にカシオペア塗装、北斗星塗装、レインボー塗装(95号機)、北斗星塗装の元お召し機(81号機)などが存在しましたが、EF510-500番台が導入されるまでは安中貨物は昨日の写真のように、もっぱら赤2号塗装の機関車(貨物機)が牽引していました。

EF81 81号機や95号機、さらには北斗星塗装の牽引機(通称、星釜)はこれらの貨物塗装機と一緒にしばしば安中貨物運用を担当することもありましたが、EF510-500が2010年夏に田端に配属になり、6月25日からカシオペア運用に投入されると、それまで殆ど、特急以外の運用を担当していなかったEF81のカシオペア専用機(79、92,99号機)が常磐線コンテナ貨物列車にも投入されました。しかし安中貨物にはなぜか同時には投入されませんでした。

2010年も残すところあと40日程度になった11月の下旬、79号機を筆頭にカシオペア専用機が安中貨物に投入されるようになり、その姿を記録することが出来ました。今回と次回の2回に分けて、その田端の”色物”的EF81による安中貨物牽引写真を紹介致します。なお、EF510-500が常磐線貨物に本格投入された2010/12/1以降も同機の故障による代走等でEF81が安中貨物に投入されることがしばしばありました。

まずは元お召し機、81号機が牽引する安中貨物です。

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土浦駅を通過する安中貨物 2006/2/8

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ひたち野うしく~荒川沖間の妙向寺踏切を通過する安中貨物 2010/12/19
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佐貫~牛久間を通過する安中貨物 2010/3/10

EF81 81号機の履歴です。

日立製作所水戸工場=10200-2         1973-09-07 E100.8tBBB(1067)
車歴;1973-09-07 製造→ 納入;国鉄;EF8181→
配属;関西支社→1973-09-07 配置;富山二→1979-05-29 内郷→
1984-02-01 田端→1987-04-01JR 東日本;EF8181→配置;田端運転所→
2003-04-01 現在;田端運転所→2008-04-01 現在;田端運転所

1985年に2度にわたり,昭和天皇の国際科学博覧会(つくば博)ご見学用のお召し列車運転に際し,本務機に指定されました。車体側面フィルタ下部へのシルバーの帯を入れていましたが、赤2号に塗装が替えられた際に帯は消されたそうです。

続いて、元レインボー専用機として有名な95号機牽引の安中貨物です。

Ef81_95_101113
荒川沖~土浦間を通過する安中貨物 2010/11/13

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ひたち野うしく~荒川沖間の妙向寺踏切を通過する安中貨物 2010/12/2

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佐貫~牛久間の銅像山踏切を通過する安中貨物 2010/3/27

Ef81_95_101123_3
佐貫駅に進入する安中貨物 2010/11/23

EF81 95号機の履歴です。

日立製作所水戸工場=10220-2         1974-03-08 E100.8tBBB(1067)
車歴;1974-03-08 製造→ 納入;国鉄;EF8195→
配属;関西支社→1974-03-08 配置;富山二→1980-10-21 田端→
1987-04-01JR 東日本;EF8195→ 配置;田端運転所→2003-04-01 現在;田端運転所

さらに田端唯一の庇付き機として人気の133号機牽引の安中貨物です。

Ef81_133_100314
荒川沖~土浦間を行く安中貨物 2010/3/14
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ひたち野うしく~荒川沖間の妙向寺踏切を通過する安中貨物  2010/12/23

最後に133号機の履歴です。

日立製作所水戸工場=10450-4         1976-09-07 E100.8tBBB(1067)
車歴;1976-09-07 製造→ 納入;国鉄;EF81133→
配属;東北支社→1976-09-07 配置;酒田→
1985-03-14 長岡→1987-04-01JR 貨物;EF81133→ 配置;富山機関区? →
JR 東日本;長岡運転所→1994-11-19 田端運転所→2008-04-01 現在;田端運転所

機関車の履歴データは沖田祐作氏の著作による機関車表からの引用しました。

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