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2013年6月 8日 (土)

1975年 新潟の旅 10 183系1000番台 特急「あまぎ」「踊り子」

今回からは田町区配置された183系1000番台について触れます。老朽化した157系の置き換えのため投入されたこれらの車輌はまず「あまぎ」「白根」に投入されました。今回は特急「あまぎ」「踊り子」です。

1831000_2
東京駅12番線で出発を待つ183系1000番台「あまぎ」 

以前157系の記事でも書きましたが、東京から伊豆方面の列車の歴史を戦前から見てみると、私が知っている157系「あまぎ」は少なくとも4代目の「あまぎ」だったことが分かりました。

1928年4月:鉄道省は東京駅 - 熱海駅間に休日運転の準急列車を1往復新設しました。所要時間は2時間13分でした。1929年9月には1往復増発され、1930年10月にはさらに1往復が新設され 既存の2往復のうち1往復を毎日運転とし東京駅 - 小田原駅間を1時間20分、同熱海間を1時間45分で結びました。

1933年5月:三島駅(現在の下土狩駅)から分岐する駿豆鉄道線(現在の伊豆箱根鉄道駿豆線)の修善寺駅まで、東京方面から普通列車に併結されて来た鉄道省の客車が週末運行で乗入れるようになりました。

1934年12月:丹那トンネルの開通により、熱海駅 - 沼津駅間が開業。駿豆鉄道線の起点も新線上に新たに設けられた三島駅に変更。東京駅 - 熱海駅間を運行していた準急2往復のうち1往復は沼津駅まで運行区間を延ばすようになり、それとは別に東京駅 - 熱海駅・新宿駅 - 沼津駅間に下り土曜日・上り日曜日のみ運行される準急列車が設定されました。

1937年12月:7月に勃発した日中戦争の影響で「遊楽旅行」には次第に制限がかかるようになり、この時新宿駅 - 沼津駅間運行などの、一部の週末準急列車が廃止されました。
1938年12月:伊東線の熱海駅 - 伊東駅間が全通し、東京駅 - 熱海駅間を運行していた毎日運転の準急列車1往復が同駅まで延長運転され、東京駅 - 伊東駅間を2時間22分で結ばれました。

1940年10月:日中戦争の戦況が次第に泥沼化する中、準急列車の停車駅が増やされて定期列車のそれに関しては東京駅 - 国府津駅間では普通列車同様となりました。1942年11月には戦時陸運非常体制実施のため、東京駅 - 沼津駅間などの準急列車がすべて廃止されました。

1949年2月:東京駅 - 伊東駅間に下りのみ毎週土曜日運行の準急列車が1本設定されました。この準急列車は湘南準急と呼ばれました。
4月:湘南準急に、駿豆鉄道線修善寺発着の列車を併結するようになりました。
10月:上り列車が毎週日曜日に運転されるようになり、湘南準急に「いでゆ」と命名されました。
12月:「いでゆ」の姉妹列車として、東京駅 - 三島駅・伊東駅間に同じく週末(土曜下り・日曜上り)運転の「いこい」が設定されました。

1950年10月:東京駅 - 伊東駅・修善寺駅間に、週末準急「あまぎ」が設定されました。80系電車を使用し、優等列車への電車使用のさきがけとなりました。当時、駿豆鉄道線三島駅 - 修善寺駅間の架線電圧は600Vであり、同鉄道への乗入れに際しては、三島駅の国鉄線 - 駿豆線の渡り線に死電区間を設け、車両の方も特殊装備を施して対応したそうです。
11月:東京駅 - 伊東駅間に下りのみの客車週末準急「はつしま」が設定されました。なおこの時、「いこい」も修善寺駅まで運行されるようになりました。下り「あまぎ」は東京駅 - 熱海駅間を1時間29分、同伊東間を2時間3分で走破しましたが、これは「いこい」「いでゆ」より全区間の所要時間にしては30分早く、また東京駅 - 熱海駅間の所要時間は当時の最優等列車であった特急「はと」と同じであり、電車の速達性を見せ付けるものでした。

1951年3月:「いでゆ」「はつしま」は80系電車化され、同時に「いでゆ」は臨時列車ながら毎日運行されるようになりました。 ヘッドマークにはそのスピードをアピールする意味も込めて「湘南特急」の文字が書き込まれました。

1953年3月:「あまぎ」は「伊豆」に改称され、臨時ながら毎日運行になりました。

1954年10月:「いでゆ」「伊豆」は定期列車に格上げされました。「伊豆」「はつしま」は着席を確保するため、列車指定・枚数制限の準急券を販売するようになりました。同時に、新宿駅 - 熱海駅間に準急「あまぎ(二代目)」が設定されました。

1956年11月:東京駅 - 伊東駅・修善寺駅間に、土曜下り・日曜上り運転の準急を増発し、同列車は「たちばな」と命名されました。

1957年10月:「いでゆ」の5分先行する時刻で、不定期準急「十国」が東京駅 - 熱海駅間に設定されました。

1959年4月:「伊豆」「はつしま」は前述した列車指定の準急券販売制を発展させて、全車座席指定席となりました。またこの時、同じく列車指定の準急券販売が行われていた「いでゆ」「十国」「たちばな」も座席指定席制へ改められ、新たに全車座席指定制の不定期準急「おくいず」が東京駅 - 伊東駅間に、および土曜日に上りのみ伊東 - 東京間運行の準急(この列車には列車名はなし)が設定されました。そして「たちばな」は、伊東方面のみ毎日運転となりました。
4月10日・12日:4月10日に皇太子明仁親王(現在の今上天皇)と正田美智子(現在の皇后)との結婚式が催され、国鉄はそれを記念して東京駅 - 伊東駅間に臨時準急「ちよだ」を特急「こだま」用のモハ20系電車で運行しました。
6月:「伊豆」が、80系電車より性能・設備などですぐれる153系電車に置換えられました。以後「いこい」(客車列車)をのぞく、ほかの電車列車も順次153系電車へ改められて行きました。
9月:伊豆箱根鉄道駿豆線の架線電圧を600Vから1500Vに昇圧

1961年3月
:日光駅 - 伊東駅間に、それまで東京駅 - 日光駅間を運行していた準急「日光」を延長する形で、「湘南日光」を運転開始しました。この列車は季節により利用状況が異なるものと推定されたため、シーズンにより日光駅 - 東京駅間の「第2日光」、東京駅 - 伊東駅間の「臨時いでゆ」とに分けて運転されました。車両はすでに「日光」に投入されていた、特急列車並の設備を持った157系電車を使用しました。
10月:新宿駅 - 熱海駅間の「あまぎ」は廃止され、新たに「たちばな」が改称されて「あまぎ(三代目)」を名乗るようになりました。

1961年12月:伊豆急行線の開業により、「伊豆」のうち1往復と「おくいず」が伊豆急下田駅まで乗入れるようになりました。
1963年3月:「湘南日光」を165系電車に置換え。設備面では153系電車と同等となりました。
10月:それまで土・休日運転であった「おくいず」が定期列車に格上げされる。
12月:「あまぎ」が伊豆急下田駅乗入れ開始しました。

1964年10月1日:東京駅 - 大阪駅間の特急「ひびき」に使用されていた157系電車が、新幹線の開業による「ひびき」廃止で余剰となったため「伊豆」に転用。 「伊豆」は東京駅 - 伊豆急下田駅・修善寺駅間定期2往復の急行列車へ格上げとなりました。
「伊豆」の格上げに関して残った1往復半は「あまぎ」に組み込まれ、「あまぎ」は不定期2往復となりました。
東京オリンピック開催に伴う観光客誘致のため、東京駅 - 熱海駅間に151系電車による全車座席指定制臨時急行列車「オリンピア」が運行された。「オリンピア」は、湘南・伊豆方面へ向かう最初の急行列車となりました。

1965年10月:列車名の整理が行われて、「おくいず」は「あまぎ」に、「いこい」は「いでゆ」に統合されました。定期の準急は「いでゆ」から「あまぎ」に移り、「あまぎ」は定期5往復半体制となり、「いでゆ」は不定期準急となりました。

1966年3月:国鉄の料金制度改定に伴い、「あまぎ」「いでゆ」「湘南日光」は準急から急行に格上げされました。
 10月:平(現在のいわき駅) - 伊豆急下田駅間に、臨時急行「常磐伊豆」(土曜下り・日曜上り運転)を設定しました。1967年9月には「常磐伊豆」に修善寺行きも設定されました。平駅(現在のいわき駅) - 伊豆急下田駅・修善寺駅間の列車となりました。

1968年10月:再び列車名の整理が行われて、車両や定期・不定期問わず全車指定席の列車は「伊豆」に、自由席連結の列車は「おくいず」となり、「いでゆ」「あまぎ」を廃止しました。
1969年4月 「伊豆」は前年10月の改正で、153系電車と157系電車の両方が使用されるようになっていましたが、二等車のサービス格差が大きいため157系電車使用の列車を特急列車に格上げし、「あまぎ(四代目)」と命名。 この特急「あまぎ」は急行「伊豆」の格上げ定期2往復と季節・臨時各1往復の4往復としました。なお「あまぎ」の特急列車格上げに際しては、運行区間を東京駅 - 伊豆急下田駅間とし、うち定期・臨時それぞれ1往復は横浜駅 - 網代駅間をノンストップ(定期・季節各1往復は熱海駅にも停車)にすることで東京 - 伊豆急下田間を2時間30分台で結ぶダイヤにするなど速達性を重視することにしました。また、伊豆急行線内でも社線内特急料金を徴収することになりました。

1970年10月:末期は伊東行きのみの運転となっていた「湘南日光」が廃止。

1831000_3
こちらは新幹線ホームから撮影した183系1000番台「あまぎ」

1972年11月:「常磐伊豆」が廃止されました。

1976年3月
:「あまぎ」に使用される157系電車は老朽化したため、183系電車に置換えられました。これに合せて自由席車が連結されました。また「伊豆」にも自由席が連結されることとなったため、「おくいず」を「伊豆」に統合。

1981年3月:「伊豆」の車両が、老朽化した153系電車から順次新しく登場した185系電車に置換えられました。

1981年10月:特急「あまぎ」と急行「伊豆」を「踊り子」に統一し「エル特急」化、所要時間は平均2時間45 - 50分と「伊豆」と同じ停車駅を引き継ぎながら10分程度のスピードアップは図られたものの2時間30分台で走っていた「あまぎ」よりは劣るものとなりました。

1983年8月EF58形またはEF65形が牽引する81系和式客車による「お座敷踊り子」が運転されました。いわゆる旧型客車による最後の特急運用。

1985年3月:「踊り子」全列車を185系電車に統一。

<車輌>

1975年下期・1976年製造車
あまぎ」・「白根」置換え用に製造されたグループです。
戸閉装置がTK103形に改良されたほか、クハ183形ではCPが冷却風取入グリルからの融雪水浸入防止を図ったMH113B-C2000MAに変更されました。

MM' 1029-1033 東急 1034-1038 近車
Tc  1017-1020 東急 1021-1024 近車
Ts  1008         東急 1009, 1010 近車   
T's  1109, 1110  東急 1111-1112  近車 配置 田町電車区

1831000
田町区からの回送列車が12番線に進入

1975年12月に近車で落成した車輌が投入され、1976年1月には東急で落成した車輌も揃い1976年1月25日から特急「あまぎ」で運用が開始されました。編成はサロを2両組み込んだ6M4Tの10連でした。

←伊豆急下田、上野
TcM'MTsTsM'MM'MTc×2 所要2
あまぎ(3)(臨時+1)
 品川‥東京850-1129伊豆急下田1200-1435東京1450-1734伊豆急下田1751-2022東京‥品川
 品川‥東京800-1039伊豆急下田1122-1400東京1510-1803伊豆急下田1815-2050東京‥品川

1831000_790103_2
1978年10月の改正では「あまぎ」のHMも絵入りのものとなりました。 1979/1/3 保土ヶ谷

1831000_790103

保土ヶ谷を行く183系1000番台「あまぎ」

1981年10月1日

←伊豆急下田、上野
TcM'MTsTsM'MM'MTc×2 所要2
踊り子(3)
 品川‥東京8001046伊豆急下田11121359東京14301719伊豆急下田
 伊豆急下田8001045東京12001448伊豆急下田15091758東京‥品川
1831000_830429
「あまぎ」から「踊り子」へ名称は替わっても伊豆方面の特急として活躍した183系1000番台 1983/4/29 東京

185_811002_3
特急「踊り子」にも185系が投入されるようになり、1985年3月には185系に統一されました。 1981/10/2 東京

昨日の記事にありましたように、新潟運転所に配置された183系1000番台181系「とき」を補完するように登場しましたが、上越新幹線開業に伴う特急「とき」の廃止で登場後8年で最初の職場を追われることになりました。田町区配置の183系1000番台157系のリプレイス役として登場するものの、わずか10年程度で後進の185系に道を譲っています。

それでも現在に至るまで首都圏各地で修学旅行用とか波動輸送用にその姿を見ることができ、第一線での活躍はそれほど長くはなくとも、細く長く生きている電車だと感じています。ただその波動用車輌としての活躍も近い将来、185系が現在の特急運用から降りると185系に譲ることになるのでしょうか。

Wikipediaの記事、183系の動き 配置および編成・運用の移り変わり 一覧 のデータを参考に纏めました。

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