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2013年6月 7日 (金)

1975年 新潟の旅 10 183系1000番台 とき 

これまで、151系、161系、181系の登場時からその終焉まで活躍を見てきましたが、今回は1974年12月、豪雪に苦しむ181系「とき」の後継・補完役として登場した183系1000番台です。

1831000_4
上野駅高架ホームで出発を待つ183系1000番台「とき」 

183系電車は、国鉄が設計・製造した直流特急形電車であり、1972年7月に東京地下駅に乗り入れる房総特急のために登場した系列でした。それまでに登場した181系、485系、583系に較べると、運用区間は短く、自由席設定に対応した両デッキ仕様になっており、食堂車の設定もなしと登場時の評価は決して芳しくありませんでした。いうなればそれまでの重厚な特急のイメージを破るものでしたが、その後は房総各線に留まらず中央線、上越線にも活躍の範囲を広げて行きました。

183系1000番台登場のきっかけは豪雪に苦しむ上越特急「とき」の安定した運行の確保でした。当時既に設計中であった189系の基本設計を踏襲しつつ、711系における耐寒耐雪の実績を取り入れ、設計から登場まで9ヶ月という極めて余裕のないスケジュールの中で、登場しました。主制御器は当時の485系と同じCS15Fとしました。

1831000_3
181系「とき」の指定席のようだった上野駅7,8番ホームに新顔が現れたという感じでした。

形式間に共通している基本番台からの変更点は台車で、耐雪強化構造となったDT32I・TR69I形を採用しました。ちなみに基本番台の台車はダイヤフラム式空気バネとウイングばね式軸箱支持のDT32E形を電動車に、TR69E形を付随車に採用しました。基礎ブレーキはDT32E形が片押し式の踏面式で、TR69E形は1軸当たり2枚装備するディスク方式でした。

クハ183形
寒冷時における運転台へのすきま風防止のため先頭部の貫通路と貫通扉を廃止し、0番台では省略された運転台の後方監視窓を設置しました。ATCは未搭載、運転台の拡張とMG冷却風道用の雪切室を設けたために定員は逆に減少して56名となりました。客室窓周りの赤塗装は従来乗務員室扉前位でクロスさせて下部前灯部分にかかるデザインでしたが、本区分番台では乗務員室扉はベージュ塗装として塗り分け位置を変更しました。 前灯周位の塗り分けも翼をイメージした形状になり、同じく貫通扉を有しない485系300番台や同1000番台などと比較してやや『つり目』風とでも言うべきデザインに変更となりました。

MM'ユニット
パンタグラフ搭載車が、モハ183形からモハ182形に変更されました。

サロ183形
クハ183形のMG・CPトラブル発生時でもサービス電源と圧縮空気の確保のため3MG・CP化されMG・CPを搭載する1100番台と未搭載の1000番台に区分されました。

1831000

鶯谷 485系クハとちがって屋根上の前照灯が無いのはなにか物足りない感じが今でもします。中央線通過のためやむを得ないのですが。

<製造について>

上記の4形式で総数181両が6次に分かれて製造されました。今回は新潟運転所上沼垂支所配置の車輌についてのみ記述します。

1974年製造車とき」緊急置換え用に製造されたグループです。
トイレの汚物処理装置が暫定工事で落成したために水タンクが本来の700ℓから1000ℓに増量されています。

MM' 1001-1006 日車 1007-1012 近車
Tc  1001-1004 日車 1005-1008 近車
Ts  1001,1002  日車 1003          近車   
T's  1101, 1102  日車 1103         近車      

1975年上期製造車とき」第2次置換え用に製造されたグループです。
モハ2形式は、主電動機冷却風取入口がワンタッチで夏冬切換できるものに改良されました。クハ183形は、運転台下横にあるMG・CPの冷却風取入グリルの形状が改良されました。

MM' 1013-1020 東急 1021-1028 近車
Tc  1009-1012 東急 1013-1016 近車
Ts  1004,1005  東急 1006, 1007 近車   
T's  1104, 1105  東急 1006-1108  近車 

1831000_751103
1975年の旅行で長岡で撮影した183系1000番台「とき」 

1978年製造車 1978年10月のダイヤ改正で「とき」増発と第3次181系置換え用に製造されたグループです。この改正で「とき」は14往復になりました。
普通車の簡易リクライニングシートが、ロック機構のあるR51BNに改善されました。
モハ182形の冷房装置が、AU71B形に改良されました。
サロ183形1000番台は、逼迫する国鉄財政事情から新造されず、サロ481形改造の1050番台が充当されました。

MM' 1039-1042 東急 1043-1048 日車 1049-1058 川重
Tc  1025, 1026 東急 1027, 1028 日車 1029-1032 川重
Ts     
T's  1113         東急 1114, 1115  日車 1116, 1117 川重 

1831000_820130
1978年のダイヤ改正前からHMは絵入りタイプに 1982/1/3 南浦和

1981年製造車 クハ183-1501・1502の2両のみで、1982年11月のダイヤ改正で、上越新幹線開業により「とき」が廃止され、捻出された183系によって房総各線は急行を全廃して特急列車の増発が行われることになりました。その際に必要となるATCを装備した制御車の転用改造を実施するための予備車として製造されたもので、新造時からATC-5形を装備しています。非貫通形のクハ183形1000番台車をベースとして製造されましたが、座席1脚分のスペースをATC機器室に充当したため、ベースとなったクハ183形1000番台よりも定員は2名少ない54名となりました。

Tc 1501, 1502 日車 

<運用について>

新潟運転所上沼垂支所には1974年12月28日から配置され、8M4Tの12両編成でそれまですべて181系で運転されていた「とき」13往復中3往復をまず置き換えました。

←東京
TcM'MM'MTsTsM'MM'MTc×3 所要2
とき(3)
 上沼垂‥新潟6501048上野11381530新潟16502049上野‥東大宮
 東大宮‥上野7381133新潟12501648上野18082203新潟‥上沼垂

Tc×2

1975年10月には7往復を占めるまでになりました。

←東京
TcM'MM'MTsTsM'MM'MTc×7 所要5(臨時+1)
とき(7)(臨時+1)
 上沼垂‥新潟6501049上野11381530新潟16502049上野‥東大宮
 東大宮‥上野7381133新潟12501649上野18082205新潟‥上沼垂
 上沼垂‥新潟8501249上野13381731新潟18502248上野‥東大宮
 東大宮‥上野6381037新潟11501550上野16382033新潟‥上沼垂
 上沼垂‥新潟10501449上野15381935新潟‥上沼垂
 新潟12201624上野19032317新潟

Tc×2 Ts×1

さらに増発を重ね、1978年10月改正では14往復中10往復を担当。

←東京
TcM'MM'MTsTsM'MM'MTc×12 所要9(臨時+2)
とき(11)(臨時+2)
 休
 上沼垂‥新潟6181033上野13191733新潟18482303上野‥東大宮
 東大宮‥上野9491400新潟14481903上野‥東大宮
 東大宮‥上野6491102新潟12481703上野18192309新潟‥上沼垂
 上沼垂‥新潟8581309上野13491800新潟‥上沼垂
 上沼垂‥新潟7481203上野12491700新潟‥上沼垂
 上沼垂‥新潟6481103上野11491600新潟17482203上野
 上野8491300新潟16482103上野‥東大宮
 東大宮‥上野10491500新潟15482003上野‥東大宮
 東大宮‥上野7491200新潟13481803上野19192330新潟‥上沼垂
 新潟818-1233上野/上野1216-1629新潟
 新潟1209-1633上野1849-2309新潟

上越新幹線開業直前には、181系充当「とき」4往復のうち1往復が183系に振替となり11往復が183系で運転されましたが、9月からは新幹線の開通を待たずに検査期限が切れた181系が多発したために幕張所属車を含めて全列車が183系で運用されることもありました。

←東京
TcM'MM'MTsTsM'MM'MTc×12 所要9
とき(11)
 休
 上沼垂‥新潟8581309上野13491800新潟18482303上野‥東大宮
 東大宮‥上野9491400新潟14481903上野‥東大宮
 東大宮‥上野6491102新潟12481703上野18192309新潟‥上沼垂
 上沼垂‥新潟9481403上野14491900新潟‥上沼垂
 上沼垂‥新潟7481203上野12491700新潟‥上沼垂
 上沼垂‥新潟6181033上野11491600新潟17482203上野
 上野8491300新潟16482103上野‥東大宮
 東大宮‥上野10491500新潟15482003上野‥東大宮
 東大宮‥上野7491200新潟13481803上野19192330新潟‥上沼垂

Tc×2

1982年11月15日の上越新幹線開業で「とき」は全廃されたため新潟所属車は、全車長野運転所と幕張電車区に転属しました。

一説には同時期伯備線・山陰本線の伯耆大山~知井宮間の電化開業が迫っており、特急「やくも」の電車化に183系1000番台が転用が検討されたそうです。しかし地元出雲市が新車を導入するために、一致団結して誘致活動をおこなったこと、伯備線に183系を導入してもスピードアップが望めないこと、上越新幹線の開業時期が中山トンネル出水事故の影響で6月から11月に延期されたことなどもあって、当初の予定通り381系が導入されたとのことです。

Wikipediaの記事、183系の動き 配置および編成・運用の移り変わり 一覧 のデータを参考に纏めました。

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コメント

B767-281(クハ415-1901)様

お久しぶりです。この183系電車の登場は、ある意味革命的でありました。我々客車世代、ひいては客車列車旅行世代やその時代の機関士たちの苦労が一気に減った革新的な車両だったと思います。機関車のような特殊な操作はなく、また全車冷暖房装置完全装備の車両だったこともあり、航続距離が長距離であっても快適に運転・乗車できるようになったのは、大きな進歩でした。客車列車の旅情は合理化の為廃止されビジネス特急へと走りましたが、客車時代の寒さ蒸し暑さはこの183系電車はなく、また何と言っても軽やかな足は重たい旧客の雰囲気を完全に拭い去ったものとお見受けしました。旅行を快適なものとし、乗務員達への配慮もこなす。ハイスペックエクスプレスカーなのが183系でした。この183系スタイルの特急は今でも受け継がれ、格安特急へ走る先駆けてだったともお見受けします。とにかくすごかったです。

西条さま、おはようございます。

わたしも小学生の頃は一家の夏の帰省で奇数学年は萩へ、偶数学年は能代へと東京、上野からそれぞれ客車急行で旅をした経験がありますので、長距離客車と電車特急、急行の違いが良く分かります。
今では当たり前となった客室の冷房も客車の時代は無くて当たり前、終着駅での機回しも機関車牽引列車を知らない世代にはピンとこないかと思います。一方で電車特急全盛時代になるとなんでこんな列車が特急を名乗っているのかという列車が出てきたのも事実でした。

B767-281(クハ415-1901)様

151系や485系初期車世代の特急は当時乗れる人が限られてて、多くの人は乗れなかったのでそれを大衆化する為にL特急が出てきたわけですが、L特急含め特急を名乗っていいものかという意見が出そうな列車という物も中には存在しました。ですが当時の国鉄はやはり急行を排して特急を作る方式で格安特急を増やし、お金がない人も特急を乗れるようにとして言った結果詰まる話が変な特急を産んだんだと思います。急行列車の多くは可哀想だと思います。

西条さま、おはようございます。

仰る通り、L特急が登場する前の特急、急行、準急、普通(鈍行)の多段階方式から、急行・準急が消え、別料金が必要な優等列車といえば特急となってしまいましたね。昔を知る人が見れば、「あんな特急、昔の急行や準急と停車駅、所要時間もおなじじゃないか」というわけですね。
昔は急行列車には急行券不要で乗れる周遊券という切符もありましたが、今はそれもないですね。
国鉄が作り出したL特急以降の特急に「つばめ」や「はと」の時代の特急のイメージを求めるのも無理があったのかもしれませんが。

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