1975年 新潟の旅 11 189系 特急「あさま」
再び、1975年新潟の旅の話題に戻りますが、今回は183系1000番台の兄弟分といえる、189系です。特急「とき」の話題から、181系、183系1000番台、189系、さらには183系基本番台まで話が跳んで行くと思いますが、いつものことなので。
EF63重連に抑速されながら碓氷峠を下る189系特急「あさま」 1978/3/6 熊の平
189系はエル特急「あさま」に使用されていた老朽化の著しい181系を置き換えるとともに、輸送力を増強するために183系1000番台登場からおよそ半年後の1975年6月に登場した系列です。クハ189形0番台(直江津方)、500番台(上野方)、モハ188形、モハ189形、サロ189形0番台(CPのみ)、100番台(MGとCP)の4形式計155両が製造され、新製配置はすべて長野運転所でした。以下にその年度毎の製造に関するデータを載せます。
昭和49年度第1次債務による1975年上期製造分が「あさま」置き換え用、同第3次債務による下期製造分が「あずさ」置き換え用、昭和52年度第2次債務による1978年、昭和53年度民有と昭和53年度第1次債務による1979年製造分は増発用名義ですが、当初は地上設備の関係から6M4Tの10両での運転をせざるを得なかったのが、問題が解決したため当初予定の12両で運転出来るようになり、一括製造を行い、MM'ユニットが14組28両大量追加になったそうです。
特急「あさま」は一足先に189系に置き換えられ上野駅では先輩181系とのツーショットも見られました。足元にはボンネット車用のHMが置いてありますが、これは恐らく489系用のものだったのではないかと思われます。
189系の上野側のクハは500番台で、一般用KE70とEF63との協調用KE76の二個のジャンパ連結器が装備されていました。
車体構造で特徴的な点は客室窓の車端から2番目を開閉可能な構造(上昇式)にしたことで、停電もしくは冷房故障時対策とのことです。MG・CPの冷却風は183系1000番台では運転室床下から取り入れていましたが、運転室が負圧となって隙間風が入り込んだため、車側の取り入れ口を改良し、温風暖房機を取り付ける改良を行いました。
主制御器はEF63との協調運転時にカム軸が機関車からの指令により途中停止可能なCS15Gとし、誘導分流器は界磁分流率を変えて機関車とのノッチ合わせを可能としたIC58-MR130としました。台車は183系1000番台と同じDT32I,TR69Iですが、軸箱浸水防止のために息抜き管を追加し、雪かき器の強化、歯車箱加圧装置の改良などの変更がなされています。ブレーキ関連では直通予備ブレーキを設置し、抑速発電ブレーキが不能となった場合に動作する抑圧装置を偶数向きT'c車に設置した他、下り協調運転時の前方監視のため、奇数向きTc車運転台側面に車掌弁を設置しました。CPは上記のように、Tc、T'c、Ts、T's車に設置し、1編成4台体制として横軽間で空気バネをパンクさせた後の復元込め時間を短縮することとしました。
1978年10月のダイヤ改正前後から189系特急「あさま」のHMも絵入りのものになりました。 尾久
車間の渡りは片渡りで、制御用KE70、協調用KE76、冷房用三相KE9、高圧用KE6を設置し、T'c車は両側にKE70を設置、1位側を一般制御用、2位側を機関車との協調用としました。
南浦和 1982/1/3
<特急「あさま」の歴史>
信越本線の列車の歴史で、「あさま」と命名された列車が登場するのは1961年のことでした。
1961年3月1日:小諸駅 - 新潟駅間(小諸駅 - 長野駅間は普通列車)に設定された気動車準急列車が「あさま」と名付けられました。
1962年12月1日:上野駅 - 長野駅間(信越本線経由)の客車夜行準急列車の名称を「妙高」から「あさま」に改め、それまでの「あさま」は名古屋駅 - 新潟駅間の急行列車「赤倉」になりました。
1963年7月15日:碓氷峠がアプト式からEF63形電気機関車を補助機関車とした粘着運転方式に変更する事になり、この時単線で営業を開始しました。
10月1日:碓氷峠での粘着方式による複線運転が開始され、アプト式軌道区間は廃止。これに伴い、準急「あさま」が急行列車化され、「丸池」として運行区間が直江津駅発着(長野駅 - 直江津駅間は普通列車)になりました。
1966年10月1日:上野駅 - 長野駅間に特急「あさま」が2往復で運転開始。「あさま」に充当する車両は田町電車区(現在の田町車両センター)所属の181系電車が使用されました。
運行区間内に存在した信越本線の急勾配区間であった横川駅 - 軽井沢駅間(碓氷峠)では、EF63形を東京側に連結し電車は無動力にして坂を上り下りしていたので、編成両数に制限がかかり、特急列車の当時の平均的な編成が10 - 12両編成であったのに対し、「あさま」は食堂車の連結も省いた8両編成となりました。
1968年10月1日:ヨンサントオのダイヤ改正により、「あさま」が3往復に増発され、1往復は直江津駅まで運行区間を延長し、1往復は東京駅に乗り入れとなりました。
1969年7月:「あさま」に使用する181系電車の所管を田町から長野運転所に移管。
1972年 3月15日:ダイヤ改正により、「あさま」が5往復に増発(2往復は直江津まで運行)。
10月2日:「あさま」がエル特急になりました。
1973年4月1日:東北新幹線・上越新幹線建設工事に伴い「あさま」の東京駅乗り入れが中止され、上野駅発着になる。
10月1日:「あさま」の1往復に「白山」と共通運用の489系電車が運転開始。
1975年10月1日 「あさま」の181系は新製の189系電車に置き換えられました。 489系同様協調運転が可能で、全列車において最大12両編成での運行ができるようになり、輸送力増強が実現した。ただし、地上設備の関係で当初は10両編成。12両化されたのは1978年10月からとなりました。
1982年11月15日:「妙高」は昼行列車に関しては「あさま」に格上げされ、夜行1往復のみとなりました。使用車両を旧形客車から14系客車に変更。
1985年3月14日:ダイヤ改正により、「信州」「軽井沢」は「あさま」に格上げされて廃止され、「あさま」は15往復になりました。
1986年11月1日:「妙高」の運行区間が上野駅 - 長野駅間に短縮。また、使用車両を「あさま」と共同使用するため189系電車に変更。これによりグリーン車が再び連結されるようになりました。
1992年3月14日:「白山」が1往復に削減。 なお、「白山」のエル特急指定は「あさま」との等間隔運転の一角を成していたため解除されず、「1往復のエル特急」となったまま廃止まで運行されました。
1993年3月18日:「妙高」と臨時急行「越前」が廃止。ともに、上野駅 - 金沢駅間の「能登」に吸収されました。 このダイヤ改正で「あさま」1往復(23,36号)にJR西日本・金沢運転所の489系電車が間合い運用で運用されるようになりました。489系「あさま」の写真は既に2013年1月25日付けの記事で紹介済みです。
1996年 - 1997年:品鶴線・山手貨物線経由横浜駅発着の臨時特急「マリンシティーあさま号」が運転されました。
廃止直前は、「あさま」は1日19往復が運転され、そのうち4往復は直江津駅発着となっていました(下り1本は長野駅から快速列車として運行)。夏季や冬季には臨時で妙高高原駅まで延長する列車も存在しました。
1997年10月1日:長野新幹線開業に伴い、特急「あさま」「白山」が廃止。
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