1975年 新潟の旅 13 その後の183/189系 その5 シルフィード=>NO.DO.KA
今回は189系サロの一部を利用して改造されたシルフィード (Sylphide)です。"Sylphide"あまり聞き慣れない英語ですが風の精シルフの女性形だそうです。
シルフィードとしての時代には遭遇していないため、今回はNO.DO.KAの写真しかご紹介出来ませんが、形態は165系から改造されたパノラマエクスプレスアルプスとよく似ています。 2004/2/26 長岡
JR東日本新潟支社では、国鉄時代から12系客車を改造した6両編成の和式(お座敷)客車(1985年にサロンカー「サロン佐渡」1両が追加されました)と、キハ28形・キハ58形気動車カーペット車を運用していました。1987年には欧風車両である「サロンエクスプレスアルカディア」の運行が開始されましたが、1988年3月30日に火災事故を起こし、使用不能となってしまいました。
当時、新潟支社のジョイフルトレインは、分割民営化以後に首都圏への乗り入れが増加していましたが、それまでのジョイフルトレインは一部を除いて客車か気動車でした。客車の場合は機関車の付け替えなどによる要員確保が必要となり、気動車の場合は機動性については申し分ないものの走行性能は電車と比べて低いほかブレーキ性能も異なるといった制約がありました。そこで、交直流電車をベースとし、非電化線区ではディーゼル機関車による牽引を可能にすることでこれらの問題を解決することにしました。そういった経緯で、1990年に登場したのがシルフィードです。
いずれの車両も、編成短縮化により余剰となっていたサロ189形を種車とした改造車名目ですが、車体は新製されており、種車からは一部の部品が流用されたにすぎません。また、制御装置や電動機、台車などの走行機器については、485系1000番台の予備品が使用されたことから、485系の形式番号が付与されました。ジョイフルトレインでは初めての交直流電車であり、形式は先頭車がクロ484形とクモロ485形、中間車はモロ484形となりました。改造は新津車両所が担当しました。この時点では全車両がグリーン車扱いでした。
1号車 クロ484-1(旧 サロ189-4) - 定員24人(展望車・電源車)
2号車 モロ484-1(旧 サロ189-3) - 定員30人
3号車 クモロ485-1(旧 サロ189-2) - 定員27人(展望車)
塗装デザインは、車体下半分を白、上半分をベージュとし、その境目に黄緑と紫(パープル)の帯を入れたものとしました。
この日は試運転だったのかと思いますが、長岡に一旦停車して南下して行きました。 2004/2/26
先頭部分は前面展望を考慮し、「パノラマエクスプレスアルプス」とほぼ同様の形状としました。冷房装置は、全車両とも通勤形電車に使用されているAU75F形集中式冷房装置を搭載しました。
集電装置(パンタグラフ)取り付け部分は、建築限界の小さいトンネルが存在する中央東線への乗り入れを考慮した低屋根構造(雨樋より上部をほぼフラット)としたほか、信越本線の横川駅 - 軽井沢駅間の通過対策(横軽対策)についても施工されました。また、日本海縦貫線の気象条件に対応して耐寒耐雪構造を強化しているほか、保安装置としては当初よりATS-P形を装備しました。編成両端の連結器は密着自動連結器としました。
客室内は、座席は45度刻みで360度回転が可能なリクライニングシートを2列-1列の配置で設置しました。1人がけ座席側の荷物棚は省略された代わりに、2人がけ座席側の荷物棚はハットラック式(蓋付)としました。
クロ484-1
1号車に連結される車両で、展望室があります。展望室はフリースペースとなっており、内側向きにソファーが並べられています。客室の座席は前後8列配置。2号車モロ484-1との間の貫通路は拡幅されています。
本車両の最大の特徴は、非電化線区での運行に対応した4VKT10.5形ディーゼル発電機関を搭載したことで、国鉄・JRの電車でディーゼル発電機関が搭載されるのはこれが初めてでした。出力は100kVAで3両分の給電能力を有します。また、本車両には190kVAの出力を有する電動発電機(MG)も搭載しているため、自重は46.5tと、電動車並みの車両重量となりました。
モロ484-1
2号車に連結される車両で、便所・洗面所・女性向けのドレッサー室を設けています。客室の座席は前後10列配置。自重は47.3t。
クモロ485-1
3号車に連結される車両で、クロ484-1同様にフリースペースとなった展望室を有しますが、本車両では車体中心線から外向きにソファーが並べられています。客室の座席は前後9列配置。自重は45.5t。
運用
上沼垂運転区(現・新潟車両センター)に配置され、1990年9月1日より営業運行を開始し、同年9月24日には早速磐越西線へDD51形ディーゼル機関車の牽引により非電化線区へ乗り入れ、さらに同年10月には交流電化区間にも入線するなど、車両の特徴を生かした団体専用列車を中心に運用されました。
なお、専用機関車として、DE10 1701が同色に変更されました。
二度目の遭遇は新宿でした。今回は団体臨時列車としての運用だったのかと思われます。 2010/4/3
2001年1月には、客室設備はそのままに普通車に格下げされ、次のように改番されました。
1号車 クハ484-701(旧クロ484-1) - 展望車・電源車
2号車 モハ484-701(旧モロ484-1)
3号車 クモハ485-701(旧クモロ485-1) - 展望車
同年10月には、カーペット車両に改装し、同時に愛称を「NO.DO.KA」(のどか)に変更しました。この際に、便所の増設と塗装デザインの変更を行ないました。なお、非電化線区用の発電機器類はそのまま残されました。その後も、団体専用列車を中心に運用されています。
Wikipediaの記事を参考に纏めました。
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