1975年 新潟の旅 9 181系 「とき」 その1
1975年秋の新潟旅行で思い出深いのは初めての特急「とき」の乗車であり、人生二度目の181系乗車でもありました。乗車区間は長岡から水上で、列車は上り「とき9号」2018Mの自由席でした。因みに最初の181系乗車は2012/10/26の記事で触れた、特急「はと1号」岡山~小郡間でした。
当時の特急「とき」は豪雪の上越区間を高速で走行する負担から1974年1月には181系の担当列車5本が運休に追い込まれる事態が発生し、国会でも問題となりました。開発中だった189系をもとに急遽開発された183系1000番台が1974年12月28日から投入され、13往復中3往復が置き換えられました。但し、当時の流れから食堂車は連結されませんでした。さらに1975年10月からはさらに4往復183系1000番台に置き換えられ、形勢は逆転していました。
今回からは数回に渡ってモハ20系~151系・161系~181系の歴史を振り返って見たいと思います。といっても電車特急「こだま」のデビューした1958年11月と言えば、まだ3歳になる少し前ですので、私自身記憶もないので、その時代の編成データや「とき」などで撮影した写真から振り返りたく思います。
今回は栄光の東海道特急時代です。
まず、1958年11月にビジネス特急「こだま」として、デビューしたときはTcMM'bTsの4連基本編成を背中合わせに繋げた8両編成でした。基本編成は田町電車区所属でビジネス特急からB編成として、川崎重工、近畿車輛、汽車会社の3社によるそれぞれ2編成が繫がれていました。デビュー当時は20系でしたが、1959年6月の車両称号規程改正により151系電車と改められました。CS12電動カム軸多段抵抗制御器により2両分8基のMT46A形主電動機を制御するMM'ユニット方式で、台車は101系などで使用されたDT21系を基本に枕バネを空気バネに改めたDT23・TR58形でした。
TcMM'bTsTsM'bMTc×3(20系) 所要3
こだま(2)
品川‥東京700-1350大阪1600-2250東京‥品川
品川‥東京1600-2320神戸‥宮原
宮原‥神戸630-1350東京‥品川
1958年暮れから1959年の正月や1959年の5月の連休や夏休みには予備編成のMM'bを5~6号車間に挿入した10両編成も走り、1959年12月からは、上記のように、昭和34年度本予算で製造されたモロ151・150-1・3・5とサハ150-1 - 6を組込んで順次編成変更が行われ暫定12両編成に増強されました。
三鷹を通過するチャンピオンマーク付きクハ181-3編成の特急「あずさ」 1975/3
1959年7月27日 - 31日に、B3・B4編成を使用して高速度試験が東海道本線金谷 - 藤枝間の上り線で行われ、31日に163km/hという当時の狭軌鉄道の世界最高速度が記録されました。その功績を讃えるため、この試験に使用されたクハ151-3・4の前頭部にチャンピオンマークが付けられていました。3のマークは1969年頃、塗りつぶされたようですが、関東転入後、復活し、4は1974年春に赤帯を入れられ、マークを取り外されたそうです。3は最後まで帯は入れられなかったそうです。
上野駅から御徒町方向へ引き上げる181系「とき」 1975/7
クハのライトケース下の空気取り入れ口が1つのタイプは1次車1~6の証です。鉄道ピクトリアル誌No766の佐藤 博氏による、181系先頭車45枚の肖像で判断すると連結器カバーの形態とデフロスターがないことから、クハ181-6と思われます。
1960年5月31日に昭和34年度1次債務で製造された増備車を組込んで6編成にする編成変更が行われ、翌6月1日から「つばめ」「はと」を電車化して本数が倍増しました。このとき、「はと」の名称は「つばめ」に吸収される形で一旦、消滅しました。
[2013/12/7追記]なお、この編成替えには吹田工場で新たに編成に加わるクロ+モロ+モロ+サロなどを背中合わせにした編成を準備して、田町に回送し、到着後、奇数側と偶数側に分けて、偶数側と在来編成の偶数ナンバーの編成を併結し、三角線で方向転換するといった方法で新編成をくみ上げたようです。Wikipediaにも書かれていますが、5月31日の一日で稼働中の編成に新たな車両を組み込み、さらに方向転換も行うため準備は周到になされたとのことです。なお、両端がクロの編成のお写真はやぶおさまの掲示板に掲載されています。
←神戸
TcMM'bMsM'sTsTsTTM'bMTc×6(151系) 所要5
こだま(2)、つばめ(2)
品川‥東京1630-2300大阪‥向日町
向日町‥神戸630-1330東京1430-2128神戸‥向日町
向日町‥大阪900-1530東京‥品川
品川‥東京700-1330大阪1430-2100東京‥品川
品川‥東京900-1530大阪1630-2300東京‥品川
客車特急で連結されていた1等展望車を廃止した代替として大阪方に「パーラーカー」クロ151形の連結、全室食堂車も組み込まれた12両編成となり、日本の電車特急としては空前絶後の豪華編成となりました。
上記の編成図で、斜体は方向転換された車輌を意味します。ゴシック体は今回、増備された車輌で、モハ151が10番台となっているのは乗務員室が乗客専務車掌室に変更されたため、新形式となったサロ150の意味は回送運転台未設置のため、サシ151には回送運転台が設置されました。編成名は特1~6編成になりました。151系の頃は、枝番も10番台とか、40番、50番台と後に較べると慎ましやかに付けられていました。
1961年10月のダイヤ改正で151系は、新たに東京 - 宇野・神戸の「富士」、東京 - 大阪の「はと」、東京 - 名古屋の「おおとり」、間合い運用となる大阪 - 宇野の「うずしお」にも充当されることになり、昭和35年度本予算で56両が増備され、編成は1等車1両が減車された11両編成で11本が揃えられました。この改正の話題はこれまでにも気動車特急の歴史で記述してきましたが、列車番号の後にMとかDを付けるようになったのはこの改正からだそうです。
←宇野
TscMsM'sTsTdM'bMTM'MTc×11(151系) 所要10
こだま(2)、富士(2)、つばめ(2)、はと(1)、おおとり(1)、うずしお(1)
品川‥東京1800-2215名古屋
名古屋745-1200東京1300-1930大阪‥向日町
向日町‥神戸730-1430東京1530-2230神戸‥向日町
向日町‥大阪900-1530東京1630-2300大阪‥向日町
向日町‥大阪700-1330東京1430-2100大阪‥向日町
向日町‥大阪1300-1930東京‥品川
品川‥東京900-1530大阪1630-2300東京‥品川
品川‥東京700-1330大阪1430-2100東京‥品川
品川‥東京800-1720宇野1910-2200大阪‥向日町
向日町‥大阪700-950宇野1240-2200東京‥品川
MsM's×1 M'M×1 M'bM×1 Ts×1(151系)
この時点から編成に組み込まれない予備車が登場しました。
モロ151-12+モロ150-12・モハ151-27+モハ150-12(近車)
モハ151-19+モハシ150-8(川車)
サロ150-6
サロ150は回送運転台は未設置でしたがこのとき改造して設置されました。
特急「とき」の編成に組み込まれて活躍するモロ181-12 上野
サロ150-11は当初より、回送運転台を設置
1962年6月には「つばめ」1往復が広島まで延長され、昭和36年度2次債務で11両編成1本(特12編成)が増備されました。
←広島、宇野、上野
TscMsM'sTsTdM'bMTM'MTc×12(151系) 所要11
こだま(2)、富士(2)、つばめ(2)、はと(1)、おおとり(1)、うずしお(1)
品川‥東京1800-2215名古屋
名古屋745-1200東京1300-1930大阪‥向日町
向日町‥神戸730-1430東京1530-2230神戸‥向日町
向日町‥大阪900-1530東京1630-2300大阪‥向日町
向日町大阪700-1330東京1430-2100大阪‥向日町
向日町‥大阪1300-1930東京‥品川
品川‥東京900-2010広島
広島945-2100東京‥品川
品川‥東京700-1330大阪1630-2300東京‥品川
品川‥東京800-1720宇野1910-2200大阪‥向日町
向日町‥大阪700-950宇野1240-2200東京‥品川
TcMsM'sTdM'MM'MTc×1(161系) 所要1
とき(1)
新潟830-1310上野1650-2130新潟
MsM's×1 M'M×1 M'bM×1 Ts×1(151系)
MsM's×1 M'M×1 Tc×1 Td×1(161系)
予備車 モロ151-12+モロ150-12・モハ151-27+モハ150-12・モハ151-19+モハシ150-8・サロ150-6 の7両
1963年8月には昭和37年度2次債務で製造されたサハ150形が1両増結され、再び12両編成となりました。これで151系としての増備は終了し、151両が田町区に配置されました。編成の内容をみると分かるように12両編成が11形式で構成され、唯一同じ形式のモハ151形式も0番台と10番台に分かれています。この反省から481系の新製の際は形式数を減らす努力がなされました。
←広島、宇野、上野
TscMsM'sTsTdM'bMTTM'MTc×12(151系)
こだま(2)、富士(2)、つばめ(2)、はと(1)、おおとり(1)、うずしお(1)
品川‥東京1800-2215名古屋
名古屋745-1200東京1300-1930大阪‥向日町
向日町‥神戸730-1430東京1530-2230神戸‥向日町
向日町‥大阪900-1530東京1630-2300大阪‥向日町
向日町大阪700-1330東京1430-2100大阪‥向日町
向日町‥大阪1300-1930東京‥品川
品川‥東京900-2010広島
広島945-2100東京‥品川
品川‥東京700-1330大阪1630-2300東京‥品川
品川‥東京800-1720宇野1911-2200大阪‥向日町
向日町‥大阪700-950宇野1240-2200東京‥品川
TcMsM'sTdM'MM'MTc×1(161系)
とき(1)
1962.6~と同じ
MsM's×1 M'M×1 M'bM×1 Ts×1(151系)
MsM's×1 M'M×1 Tc×1 Td×1(161系)
ここで形式と両数をおさらいすると、
クハ151 1~12
サロ151 1~6
モハ151 1~6、11~30
モハシ150 1~13
=======================以上がデビュー時の4形式
モロ151 1~13
モロ150 1~13
サハ150 1~24 (モハ150を基本に付随車化しているため150となっている)
=======================暫定12両化の際の3形式
クロ151 1~12
サロ150 1~6、11 (11は当初より、回送運転台設置のため区分)
モハ150 1~13
サシ151 1~12
=======================1960年の「つばめ」「はと」置き換えの際に登場した4形式
東海道新幹線開業直前の1964年4月24日、東海道本線草薙 - 静岡(当時)間を運転中の下り「第1富士」が踏切を横断中のダンプカーと衝突。この事故でクロ151-7が廃車となりました。新性能電車の廃車第一号となってしまいました。置き換えも決まっていたのでクロ151の新製は行わず、サロ150-3を種車に回送運転台側の12名分の客室を廃止して運転台を設置する工事を行い、クロ150-3として6月27日には落成し、7月1日より運用に投入されました。3ヵ月後には東海道新幹線開業と181系化改造のために運用から離脱。再度浜松工場に入場し運転室部分を残し新製した2等客室部分と接合する再改造が施工されクハ181-53となりました。
番号は不明ですが帯無し、長スカートで東海道・山陽での活躍の様子を残すクハ181 1974/9 上野
不鮮明な写真ですが、ボンネットの天窓も見えないことからこのクハも1~6のどれかかも知れません。<追記:1~6までのクハとして、当時の所属、長ナノか新ニイを考慮すると、クハ181-4である可能性が高いと思われます。>
1964年10月に東海道新幹線が開業し、151系は特6編成、特8編成と予備車を除いた編成が向日町に転属となり、田町区には30両が残されました。
Wikipediaの記事と鉄道ピクトリアル誌(2005年9月10月号 No765,766)の151・161・181系電車の記事を参考に纏めました。なお、列車時刻のデータに関しては「181系の動き 配置および編成・運用の移り変わり 田町」のデータを参考にさせて戴きました。
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