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2013年6月 4日 (火)

1975年 新潟の旅 9 181系 「とき」 その3

今回は東海道新幹線開業前後の151系、161系の動きと181系への改造、そして181系としての新造車について触れたく思います。

181_7
クハ181-102 ボンネットの天蓋は1つ、スカートのタイフォンの穴は小判形の典型的な181系新製のクハ 上野

1962年頃から、新幹線開業後の151系の転用について検討が開始され、10編成は山陽本線で新幹線に接続する特急として運用することにし、30両は上越特急増発用に充てることになりました。151系、161系を出力増強し、さらに151系は耐寒耐雪装備を施し、181系として統一することに致しました。出力増大改造は田町に残った30両のうち、長期休車の2両を除いた28両から開始され、長期休車だったサロ151-6が1968年11月、サロ150-2が1969年6月に181系化されて、全ての151系が181系に生まれ変わりました。大井工場で早期に改造が終了した編成はステンレスナンバーを白く塗って区別したそうです(白ナンバー車)。

151系の形式のまま、181系になる場合は原番号のまま。
161系は原番号+40
モハシ150からモハ180は、+50  (56,58,59)
クロ150-3はクハ181-53 (特8編成)
クロ151-6はクハ181-56 (特6編成)

改造工事は大井工場、浜松工場で行われ、その内容は、151系では主電動機をMT46A(100kW)からMT54(120kW)に交換、制御方式をCS12AからCS15Aに交換し、ノッチ戻し、勾配抑速ブレーキの取り付け、耐寒耐雪装備、161系ではMT46BからMT54、CS12CからCS15Aノッチ戻し取り付けとなりました。

1964年10月改正で151系が担当した山陽特急は「つばめ」「はと」新大阪~博多、「しおじ」新大阪~下関、「うずしお」大阪~宇野、「ゆうなぎ」新大阪~宇野でした。

←博多、宇野
TscMsM'sTsTdM'bMTTM'MTc×10(151系) 所要8
つばめ(1)、はと(1)、しおじ(1)、うずしお(1)、ゆうなぎ(1)
 向日町‥新大阪13302245博多‥雑餉隈
 雑餉隈‥博多7101630新大阪‥向日町
 向日町‥新大阪12202130博多‥雑餉隈
 雑餉隈‥博多8451812新大阪‥向日町
 向日町‥新大阪15202320下関
 下関6301435新大阪‥向日町
 向日町‥大阪700950宇野12401535新大阪‥向日町
 向日町‥新大阪14201720宇野19112200大阪‥向日町

山陽区間には瀬野~八本松が存在し、1962年6月の改正から151系「つばめ」が広島まで乗り入れていましたが、上り列車はEF61の補機としての助けを借りていました。さらに「つばめ」「はと」の博多まで延長運転に際して、関門区間はEF30+サヤ420+151系、門司~博多間はED73+サヤ420+151系で運転されるようになり、6編成(特1・4・5・7・9・11編成)に対応改造がなされました。これらの編成は1964年4月から松任工場に入場し、改造後はステンレスナンバーを赤く塗って区別したそうです(赤ナンバー車)。

九州乗り入れ改造の内容は、補機駆動電源帰線の引き通し、クハ・クロへのブレーキ管、元空気ダメ引き通し管の延長・ジャンパ栓増設、二重施錠方式のPS16Eパンタグラフへの交換でした。

1965年3月20日の改正では181系改造済み編成の投入もあって、特急「とき」が一往復増発され、編成も7号車にサハ180を増結して10両編成となりました。

←上野
TcMsM'sTdM'MTM'MTc×4(151系改,161系,181系) 所要3
とき(2)
 品川‥上野16452130新潟
 新潟8301315上野‥品川
 品川‥上野7501235新潟15152000上野‥品川

Ts×2(151系)
MsM's×1 M'M×1 Tc×1 Td×1(151系改,161系,181系)

1965年10月1日の改正では特急「つばめ」「はと」の博多乗り入れを取りやめ、新大阪~広島間に「しおかぜ」を2往復新設し、「つばめ」は増備された481系により、名古屋~熊本間の運転となりました。さらに、新大阪~下関間の「しおじ」も増発されました。

←下関、宇野
TscMsM'sTsTdM'bMTTM'MTc×10(151系,181系) 所要8
しおじ(2)、しおかぜ(2)、うずしお(1)、ゆうなぎ(1)
 向日町‥新大阪17302200広島
 広島8051240新大阪15302310下関
 下関7001440新大阪‥向日町
 向日町‥大阪8501140宇野12451540新大阪‥向日町
 向日町‥新大阪14301726宇野18352124大阪‥向日町
 向日町‥新大阪12302010下関
 下関10001742新大阪‥向日町
 向日町‥新大阪9301356広島16102041新大阪‥向日町

1965年12月からは山陽特急の1等車の乗車効率が30%と芳しくなかったため、一部の編成の4号車のサロを一両減車し、11両編成化がなされました。大ムコの151系についても1965年から181系化改造工事が始まり、1966年10月のダイヤ改正までに終了しました。

一方、「とき」の編成の7号車サハ180は1966年3月25日の改正から編成内でのMGの負担を均衡化するために方向転換して4号車に連結されるようになりました。

特急「とき」の編成

Tc+Ms+M's+T+Td+M'+M+M'+M+Tc     東チタ 

1966年7月には碓氷峠の複線化が完成し、長野運転所も開設され、10月1日長野~直江津間電化完成に伴うダイヤ改正が実施され、上野~長野間に電車特急「あさま」が2往復設定されました。同時に「とき」も1往復増発され、3往復となりました。「あさま」は碓氷峠通過の制約から8両の短編成となり、サシの連結は見送られ、従来からのサシでの制御線のクロスが不可能となったため、偶数向き専用クハとしてクハ180が登場しました。この改正に伴う所要増に対応するために181系として45両の新製車が、モロ、モハ、クハ、サシが100番台として(クハ180は除く)登場しました。

←上野、松本
TcMsM'sTTdM'MM'MTc×7 所要6
とき(3)、あずさ(2)
 品川‥上野16452130新潟
 新潟8001244上野‥新宿16202018松本
 松本8001155新宿‥品川
 品川‥新宿8001157松本15101908新宿‥品川
 品川‥上野8051250新潟13401825上野‥品川
 品川‥上野11451630新潟17352220上野‥品川

TcM'MM'MTsTsTc×3 所要3
あさま(2)
 品川‥上野13301700長野
 長野7451120上野‥品川
 品川‥上野9301300長野14351810上野‥品川

Ts×2(151系)
MsM's×1 M'M×1 Tc×1 Ts×1 Td×1

181_181_b「あさま」が189系に置き換えられたのは私が写真を撮りだしてまもなくだったため、こんな写真しか撮っていません。
181_180_3
クハ180の「あさま」もこの一枚だけでした。 尾久 
これらの写真から「あさま」には2種類のHMがあったことは分かります。

特急「あさま」の編成

T'c+M'+M+M'+M+T's+T's+Tc 東チタ

モロ181・180   101-103 (横軽対策は施工せず)
モハ181・180  101-112
クハ181     101-108
クハ180      1-4 (補機連結のため、自連カバー、取り付けボルトは省略)
サロ180     101
サシ181     101-103 (カーテンからベネシャンブラインドへ)

161系を基本としていますが、横軽対策(空気バネのパンク装置、非常ブレーキ吐出弁絞り追加、台枠と連結器の強化、連結器緩衝装置の容量増加)、中央線山用対策(屋根上前照灯、予備笛、ウインカーランプ撤去、パンタグラフ折りたたみ高さの抑制)が施されました。歯車比は151系と同じ3.5になりました。主制御器はCS15B、台車はDT32C,TR69Cとなりました。また従来からあった後方列車保護のための前灯に赤色フィルターの設置もなくなりました。このときに製造されたサシのうち、102,103の2両は1972年にサシ489形に改造されました。

181_181101
クハ181-101 181系として発注され、川崎重工で落成しました 上野

さらに、この改正に備えて大ムコからサロ181 5両、サロ180 5両が田町に戻り、サロ181 3両はサハ181形に改造されました。この時点で山陽特急は全編成181系、11両編成となりました。

1966年10月時点での山陽特急の編成

Tsc+Ms+M's+Td+M'b+M+T'+T'+M'+M+Tc  大ムコ

1号車のパーラーカーは乗車率が芳しくないため、解放室をハザに改造しクロハに改造する工事が1967年春までにクロ181-11,12の2両を残して施行されました。この2両を含む編成は1967年4月以降、「うずしお」「ゆうなぎ」に限定運用されたそうです。

1966年12月12日、中央東線の線路容量増加工事(大月~勝沼間の複線化やスイッチバックの解消)が終了し、時刻改正が行われ、新宿~松本間に特急「あずさ」2往復が新設されました。編成は特急「とき」と共通となり、上野~東京~品川~新宿と回送運用が生じ、号車番号は逆向きとなるため、編成札の入替を行いました。

特急「あずさ:の」編成

Tc+M+M'+M+M'+Td+T+M's+Ms+Tc   東チタ

1967年9月には新清水トンネルの開通など、上越線の全線複線電化が完成し、同年10月1日のダイヤ改正では、特急「とき」もスピードアップが実現し、さらに「とき」1往復が東京駅に乗り入れるようになりました。

1968年10月、いわゆるヨンサントウのダイヤ改正では、軌道強化工事が完了し、最高速度が120km/hに向上し、運転時分も短縮され、山陽路では「しおじ」「うずしお」それぞれ3往復担当の運用減となり、特1,特2編成が田町区に再転属となりました。この改正からパーラーカーをクロハ181に統一することとなり、貴賓車予備で残されていたクロ181-11,12は特1,特2編成と差し替えられ、それぞれクハ180-51、クハ181-61に改造されました。特1編成に組み込まれていたサハ180-1サハ180-13は関東では先頭車の不足が予見されていたため、100番台と同様の運転台を設置し、クハ181-71,72となりました。大ムコの181系11両編成に関してもMG付加の均衡化から、7号車のサハを方向転換して4号車に連結するように編成変更が行われました。

←下関、宇野
ThscMsM'sTTdM'bMTM'MTc×7 所要6(臨時+1)
しおじ(3)(臨時+1)、うずしお(3)
 向日町‥新大阪17352025宇野
 宇野8401132新大阪13351629宇野18352132大阪‥向日町
 向日町‥大阪8501134宇野12291522新大阪17282154広島
 広島8151242新大阪15282246下関
 下関7251442新大阪‥向日町
 向日町‥新大阪10281450広島16152045新大阪‥向日町
 大阪9201335広島14201848新大阪

ThscMsM'sTTdM'bMTM'MTc×1
M'b×1 Tsc×1 T×1

特急「とき」はこの改正で2往復増発され、5往復となり、「あさま」も直江津までの1往復が増発されました。「あずさ」も季節特急が1往復増発されました。これらの増発は「しおじ」を583系で置き換えることで、181系23両を大ムコから東チタに転属させ、予備車の1両を加えて可能となりました。

←上野、松本
TcMsM'sTTdM'MM'MTc×9 所要7
とき(5)、あずさ(3)(臨時+1)
 品川‥新宿8001142松本12351617新宿17002047松本
 松本8001145新宿13001642松本18002144新宿‥品川
 品川‥新宿9551347松本15051845新宿‥品川
 品川‥上野10001400新潟15001905上野‥尾久
 尾久‥上野8051205新潟13001705上野‥東京18002202新潟
 新潟10001405上野15051905新潟
 新潟8001207東京‥上野13051705新潟18002205上野‥品川

TcM'MM'MTsTsTc×3 所要2(臨時+1)
あさま(3)、そよかぜ(臨時2)
 品川‥上野8401145長野12401550上野‥東京16402105直江津
 直江津7301201東京‥上野13301635長野18052118上野‥品川
 東京720935中軽井沢10251247東京13301550中軽井沢16401901東京

Ts×2(151系)
MsM's×1 M×1 Ts×1 Td×1

1969年7月1日、田町区の運用移管が行われ、新潟運転所に「とき」「あずさ」用94両、長野運転所に「あさま」用32両が転出しました。一方、昭和43年度第4次債務でモハ181・180、クハ181、クハ180、サロ180の5形式8両が、新製増備されました。これは季節臨時列車「そよかぜ」2往復への投入を目的としたもので、これらの車輌は長野区に配置されました。

モハ181・180 113-114
モハ180 単独 115 
(単独製造の理由は2013/5/8の記事で記述したようにモハシの改造で遊ぶモハ181を有効利用するため)
クハ181  109 
クハ180   5 
サロ180  101

今回の2両のクハはタイフォンカバーが中折れ式シャッターに、ボンネット空気取り入れ口縦型スリットにといった形態的変化を示しました。

1969年10月の改正では、「しおじ」4往復と、「うずしお」2往復に担当を変更し、特4編成からモハ181-4とモハシ180-4のユニットを外し、これらのうちモハ181-4は長野に転属し、同時期に新製されたモハ180-115と新規にユニットを組みました。この時点で大ムコの配置は7編成と予備車9両の86両体制となりました。

←下関、宇野
ThscMsM'sTTdM'bMTM'MTc×7 所要5(臨時+1)
しおじ(4)(臨時+1)、うずしお(2)
 休
 向日町‥大阪8501134宇野12291522新大阪1728045下関
 下関5401312新大阪15282248下関
 下関7001422新大阪16282054広島
 広島7101140新大阪13351629宇野18352132大阪‥向日町
 向日町‥新大阪10281450広島16152045新大阪‥向日町
 大阪9021312広島15241950新大阪

M'sMs×1 M'b×1 M'M×1 Thsc×1 Td×1 T×1 Tc×1

1970年10月1日の改正で山陽特急のビュッフェの営業は廃止となり、モハシ180形はモハ180形50番台に改造されることとなりました。一方で「とき」は6往復に増発、「あずさ」も4往復になりました。

1972年3月15日の新幹線岡山開業の改正では、大ムコから181系15両が新ニイに転属し、大ムコの181系は5編成(特5,9, 10, 11,12)と予備車(M-3, M'-53, Tsch-9, T'-19)休車(M'b-11)となりました。「うずしお」が廃止され、「はと」3往復は復活しましたが、「しおじ」1往復の体制となりました。

←下関
ThscMsM'sTTdM'MTM'MTc×5 所要4(臨時+1)
しおじ(1)(臨時+1)、はと(3)
 下関5301238新大阪16302335下関
 下関11351630岡山17352230下関
 下関7351230岡山15352030下関
 下関6351130岡山12351730下関
 大阪7431205広島13191744新大阪

M'b×1 M'M×1 Thsc×1 T×1

一方で「とき」は7往復、「あさま」は2往復増発され5往復、489系12両編成による「白山」も登場となりました。「あずさ」もこれまで季節列車だった列車が定期に格上げされました。長野運転所での増発に対して、サロ2両組み込みのための車輌が底をつくことになり、初めてモロが長野に配置されたのもこの頃です。

←上野、松本
TcMsM'sTTdM'MM'MTc×10 所要8(臨時+2)
とき(7)(臨時+2)、あずさ(4)
 休
 上野600956新潟10401439上野16302021新潟
 新潟8401239上野13301723新潟18402239上野‥三鷹
 三鷹‥新宿8001137松本1246白馬1351松本15051843新宿‥尾久
 尾久‥上野7301123新潟12401639上野18052156新潟
 新潟6401046東京‥上野11301523新潟16402039上野‥三鷹
 三鷹‥新宿9301306松本13401711新宿17452125松本
 松本8001128新宿12501630松本17052035新宿‥東大宮
 東大宮‥上野9301323新潟14401839上野‥東京19252323新潟
 新潟9401339上野15301924新潟
 新潟17402144上野

MsM's×1 M'M×1 Tc×1 T×1 Td×1

←上野
TcM'MM'MTsTsTc×5   TcM'MTTM'sMsTc×1 所要5(臨時+1)
あさま(5)(臨時+3)、そよかぜ(2)
 長野18302135上野‥尾久
 尾久‥上野8251124長野12301536上野‥東京16202039直江津
 直江津7151141東京12251433中軽井沢18302052東京‥尾久/中軽井沢17311942上野
 尾久‥東京730938中軽井沢10281241東京‥上野13251624長野/上野7371038長野11281442上野
 長野6501006東京‥上野11251424長野15301836上野‥東京19202227長野
 長野9251235上野13331658長野19162252上野2357418長野-520関山

M'sMs×1 Tc×1 T×1

同年10月の改正では「はと」が485系に一部置き換えられ、1973年5月には「しおじ」1往復も置き換えられ山陽路での181系活躍は終わりました

181_1815_7207_a
1972年3月のダイヤ改正で忽然と復活した181系「はと」 クロハ181-2 1972/7 岡山

山陽路で使用されていたクロハ181は関東に転属後、1973年までにクハ181もしくはクハ180に改造されました。オリジナルのクハに較べると車体長が500mm短かったそうです。一方、モハシ180はクモヤ190-1に改造された11を除いて、モハ180に改造となり、番号は原番号+50のルールが守られました。

181_63_5
オリジナルはクロ151-8、クロハに改造後、特9編成で山陽路で1972年3月以降も活躍しましたか、1972.10月に長野工場で改造を受け、クハ181-63として活躍の場を関東に見いだしました。 上野 このクハのスカートは少し後退して取り付けられているのが特徴でした。

一方、この時期、大ムコの181系の改造を待つ形で「とき」「あずさ」は小刻みな増発を繰り返し、1973年10月には「とき」13往復、「あずさ」10往復まで増発がなされました。但し、「あずさ」の5往復は幕張区の183系が担当しました。

1973年4月からは新幹線工事のため東京駅第7ホームが使用できなくなり、東京発着がなくなりました。回送線も使用できなくなることから、181系の「あずさ」の担当は長野になりました。編成は10両編成でしたが、「とき」とは違って食堂車は不連結となり、こちらの10両編成もサロとモロをグリーン車とする2種類が誕生しました。

←上野
TcM'MM'MTsTsTc×5 TcM'MTTM'sMsTc×1 所要5(臨時+1)
あさま(5)(臨時+2)、そよかぜ(2)
 長野18302135上野‥尾久
 尾久‥上野8251124長野12301536上野16252039直江津
 直江津7151134上野12321433中軽井沢18302045上野‥尾久/中軽井沢17061926上野
 尾久‥上野735938中軽井沢10281235上野13251624長野
 長野650957上野11251424長野15301836上野19252225長野
 長野11261453上野15251843長野19372254上野2357448妙高高原

181_181109_750000_b
スカートのタイフォンの穴にシャッターが付いたクハ181-109(ラストナンバー)を先頭にした特急「あずさ」 1975/3 三鷹

クハ181-109は最初長野に配置され「あさま」「そよかぜ」でさらに「あずさ」で活躍した後、長野の181系が189系で置き換えられると新潟に転属し「とき」で最後まで活躍しました。さらにクハ481-501に改造され、九州内特急の先頭車でも活躍しました。廃車されたのは1993年でした。

181_180_750000_b
逆側のエンドはクハ180でしかもボンネットの天蓋から、クロ、もしくはクロハから改造のクハ180-50番代でした。 1975/3 三鷹

1958年11月からの151系の歴史を追っかけて来て、ここら辺で漸く自分のリアルタイムの記憶と一致して来た気がします。

Wikipediaの記事と鉄道ピクトリアル誌(2005年9月10月号 No765,766)の151・161・181系電車の記事を参考に纏めました。さらに各改正における編成、時刻データは181系の動き 配置および編成・運用の移り変わり 一覧 のデータを参考に致しました。

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