1975年 新潟の旅 9 181系 「とき」 その5
1975年12月の特急「あずさ」の189系化以降、181系は新潟に集結し、特急「とき」で最後の活躍をしていました。
1974年5月24日、新潟駅構内の上越新幹線工事の関係で新潟運転所上沼垂支所が上沼垂信号所そばに開設され、気動車を除く、新潟運転所所属の電車、客車が転属しました。同所は1986年11月1日、上沼垂運転区として独立し、表記も新カヌとなりました。2004年4月1日には、新潟車輌センターになり、略号も20年ぶりに新ニイに戻りました。
1978年10月のダイヤ改正では体質改善と183系1000番台との編成統一がなされ、モロやサハ、サシが廃止されました。以前、485系1000番台の記事や489系の記事でも記述しましたが、このときの編成の体質改善の大きな要素は3MG化でした。
485系ベースのサロを組み込み鶯谷を通過する末期の181系特急「とき」編成 1980/11/15
1)車齢の若かった100番台のモロユニット(101~103)は普通車に格下げ改造され200番台のモハユニット(201~203)になりました。
2)長野の保留車、サロ180-101に整備改造と改番を行い、サロ180-1001として復帰させました。
3)他に必要なサロに関しては、鹿カコに所属していたサロ481-26, 27, 28を改造してサロ180-1051, 1052, 1053とし、上越新幹線開業後は485系へのコンバートを前提にサロ181-1100番台6両(1101~1106)を新製しました。これら485系をベースとする付随車は台枠の高さが181に較べて高く、編成に組み込まれると明らかに段違いとなり、編成美は損なわれることになりました。
4)サロ181-1001, 1051, 1052の3両は「とき」運用終了後、サロ110-301,302, 303に再改造されています。
5)サロ181-1100番台6両は「とき」運用終了後、サロ481-1501~1506に再改造され、さらに運転台を取り付けてクロハ481-1501 (今は亡き勝田区K40)、クハ485-703 (リゾートやまどり)、クハ481-1106、クハ484-703 (リゾートやまどり)、クハ481-1108、クロ484-5(ニューなのはな)などに改造されています。
こういった動きで181系の配置両数は64両となり、運用は「とき」14往復中、4往復でした。
手元に1979年4月時点での新潟運転所の181系編成データがあります。
<=新潟 上野=>
12 11 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1
Tc M M' M M' Ts T's M M' M M' T'c
45 201 201 42 42 1106 1101 111 111 29 202 0-4
102 114 114 104 104 1053 1102 106 106 110 110 105
103 109 109 113 113 1052 1104 102 102 101 101 0-5
106 203 203 41 41 1051 1105 103 103 107 107 104
バラ
Tc 101 109
M+M' 43-115 108-108 112-112
Ts 0-1001
T's 1103
Td 43 101
T'c 107
工場入場車
M+M' 105-105
T'c 108
1979年1月、モハ181-202は踏切事故に遭遇し炎上し使用不能となりました。その後の対応で、この事故でユニットの相手を失ったモハ180-202は、廃車前提の休車になっていた1962年製造の比較的状態の良かったモハ181-29と新たにユニットを組み運用に復帰しました。モハ181-29は、151系生え抜き最後の1両として1982年の運用終了まで使用されました。一方、同車とユニットを組んでいたモハ180-13と事故車のモハ181-202は、1979年2月20日付で廃車となりました。よって、4月時点での181系の総数は62両となりました(181系における事故廃車はクロ151-7とモハ181-202の2両でした)。
この改正で印象深いのは特急などの~号の数字が下り奇数、上り偶数方式になったことと、HMのイラスト化でした。1978年8月頃から、183系1000番台のHMに絵入りマークが登場し、181系ボンネットのHMが絵入りになったのは1979年1月頃からでした。
尾久を通過する181系特急「とき」 1979/5/5 あの頃、181系のHMが絵文字化されたのを見て、「じきに廃止されるのになぁ」と正直感じました。
最末期の181系運用は
上沼垂‥新潟1048-1503上野1549-2000新潟
新潟948-1403上野1449-1900新潟 ‥上沼垂
上沼垂‥新潟1148-1603上野1649-2100新潟 ‥上沼垂
と、いずれも新潟を午前に出て、昼過ぎから午後にかけて上野で折り返すパターンでしたのでこういった写真を撮っていたのだと思います。
1982年11月15日、東北新幹線本格開業と上越新幹線開業のダイヤ改正で特急「とき」は全廃となり、181系も営業運転を終了することになりました。1958年のデビュー以来、24年の活躍に終止符が打たれました。
南浦和を行く181系特急「とき」編成 1982/1/3
489系化された「はくたか」と上野駅高架ホームで並んだ181系「とき」、この頃はクハ180が上野方先頭のケースもよく見られましたが、この編成は100番台のクハでした。 1979/5/5
今回もWikipediaの記事、181系の動き 配置および編成・運用の移り変わり 新潟 のデータ、そしてJRR発行「国鉄電車編成表」のデータを参考に纏めました。
にほんブログ村 最後まで読んで戴きありがとうございます。
上のリンクをクリックされると面白い鉄道記事満載のブログ村に飛ぶことができます。
« 1975年 新潟の旅 9 181系 「とき」 その4 | トップページ | 1975年 新潟の旅 10 183系1000番台 とき »
「電車481/483/485/489系」カテゴリの記事
- 381系以来となったアルミ車体の振り子式電車特急 885系 その2 2次車としてソニック用編成の登場(2023.05.29)
- 登場から35年が経過したJR九州の783系 その3 老朽廃車の開始へ(2023.05.11)
- 2022年夏 名古屋遠征 特急「しらさぎ」 その誕生から485/9系使用終焉まで(2022.09.21)
- 2018年晩夏 長野県内の保存蒸機を見て歩く旅 61 日光戦争から東武直通へ(2020.12.21)
- 下関総合車両所一般公開 鉄道ふれあいフェスタ 2016 その6 HM展示 8 いそかぜ(2017.06.10)
「電車151/161/181系」カテゴリの記事
- 東京総合車両センター公開 その3 首都圏直流電車の主電動機 part2 MT46(2015.11.07)
- 九州に渡った485系 鹿児島運転所 その1(2014.02.19)
- 1975年 新潟の旅 11 189系 特急「そよかぜ」(2013.06.14)
- 1975年 新潟の旅 11 189系 特急「あさま」(2013.06.13)
- 1975年 新潟の旅 9 181系 「とき」 その5(2013.06.06)
コメント
« 1975年 新潟の旅 9 181系 「とき」 その4 | トップページ | 1975年 新潟の旅 10 183系1000番台 とき »
クハ415-1901さん、こんにちは。
ときアルバムを拝見しています。
181系の流麗なボンネットいいですね。
181系の最後の砦だった(とき)・・・
食堂車も連結した本格編成はやはり壮観ですね。
新幹線になってからの(とき)より、
在来線時代の(とき)のほうがはるかに光っていたと感じる私です。
投稿: やぶお | 2013年6月 6日 (木) 21時18分
やぶお さま、おはようございます。
これまで181系の写真は撮ってはいるものの、番号をきちんと記録していたわけではなく漫然とフォルダーに入れていた状態だったのですが、Blogという形で発表するにあたってそれぞれがどういう時期にどういった経緯でここに写っているのかを考える機会が与えられ、いろいろなことが分かって来ました。
例えば文中にも記述したボンネットの天蓋の形や、それぞれのクハの配置状況から車体番号の可能性が狭められることも分かりました。
そういった意味で発表すると言うことの重要性とそこから開けてくる新たな展望について得るものが大きいなと感じている次第です。
投稿: B767-281(クハ415-1901) | 2013年6月 7日 (金) 06時15分
B767-281さん初めまして、アニメ版両津勘吉です(*^_^*)
151系から継承されたこのボンネットスタイルは当時としては斬新な形状でしたね!
このボンネット車両は現在でもまだまだ現役で活躍しているのでしょうか?
投稿: アニメ版両津勘吉 | 2016年9月 6日 (火) 16時36分
アニメ版両津勘吉さま、はじめまして。
3点もコメントありがとうございます。
私も151系から登場したこのボンネットスタイル、歴史に残る名作だと思います。
クハ151から、クハ181、さらに485系、489系と受け継がれてゆきましたが、営業運転から離れてもう10年くらいでしょうか。籍としてはクハ489-1が昨年2月まで残っていたようですが、今は完全に鬼籍に入ったようです。
投稿: B767-281(クハ415-1901) | 2016年9月 7日 (水) 06時23分
485系への編入を前提としたサロ181-1100。1980-81年にはサロ481-1~6が廃車となっていることやその後も短編成化でサロは余剰化しつつあったことを考えると485系仕様のサロを新製する必要があったのか疑問に感じてしまうところです。もしかしてそういった時代の変化まで読めなかったのでしょうか?。
投稿: kaipan | 2024年5月23日 (木) 13時05分
kaipanさま、こちらにもありがとうございます。
そうですね、時代の流れからすると少し変な話ですが、この頃の181系「とき」は故障頻発でかなりボロボロだったように思います。せめてもサロだけは新しくして485系にコンバートすればよいということで予算がついたのではないかと想像します。
投稿: B767-281(クハ415-1901) | 2024年5月24日 (金) 04時26分