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2013年6月30日 (日)

休日おでかけパスで小田原へ その1 伊豆箱根鉄道大雄山線 

29日土曜日は、先週の大宮での新幹線撮影で、「東海道・山陽新幹線も記録しておくか」ということになり、休日おでかけパスで小田原まで行ってきました。

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荒川沖から単純に小田原まで乗車すると片道で146.9kmありますから、運賃は2520円となり、パスでは途中乗り降り自由で往復で2600円ですから、ほぼ片道でモトがとれてしまうのですね。

今回の記事では新幹線の撮影の記録よりも先に初めて全線乗車した伊豆箱根鉄道大雄山線について触れたく思います。

伊豆箱根鉄道というと三島から修善寺までの駿豆線が有名ですが、大雄山線も路線総延長9.6kmの小規模な路線ですが伊豆箱根鉄道の路線です。小田原~大雄山間の運賃は片道270円、全線単線、13駅があります。乗車時間は21分です。

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扉の上に掲示してある路線図を写したものです。

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ターミナル小田原駅はJR小田原駅の南側に位置し、JRのホームからも列車の発着がよく見えます。2線で3ホームでした。
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5501編成 2005/8/21 以前から大雄山線のことが気になっておりました。

大雄山線には車輌検査を行う検車区が無いそうで、検査の際には上の写真の左方にあるJRとの連絡線を介して車輌を三島の駿豆線大場駅にある大場工場に入場させるそうですが、連絡線は架線が張られていないため、貨車を数両連結して控車の様にして大雄山線の車輌と連結するそうです。

緑町から井細田駅間にかけて半径100mのカーブが存在するため昔から20m車の入線は不可能で現在活躍している5000系も18m車です。私も昔は西武線沿線住人だったので、緑町付近の半径100mカーブ、ふと新宿線の高田馬場付近の山手線を潜るあたりのカーブを連想してしまいました。

5000系は駿豆線で活躍する3000系をモデルに7編成導入され、3連の編成ですが、第1編成(上の写真)のみが鋼製で、第2編成からはステンレス製軽量車体になりました。さらに第5編成からは中間車が転換式クロスシート、第6,7編成は排障器の設置やパンタグラフの変更があったそうです。

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5000系のモデルとされた駿豆線の3000系 2012/1/9 三島田町

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5000系 第5編成 2013/6/29 大雄山

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5000系 第6編成 2013/6/29 小田原

スカートが付くとイメージが大きく変化します。

途中、五百羅漢駅には大雄山線の保線支区がありました(別に見学したわけではありませんが)。さらに駅の北方には小田急線がオーバークロスしておりました。

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何が通過するか、待っていたら50000形VSEが通り過ぎて行きました。

再び、乗車して終点大雄山に到着、駅到着前に見えた黄色い車輌が気になったのでホーム端までいってみるとどうやら古い電車を改造して工事用の車輌にした様子。

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おでこにコデ165と貼ったこの電車、調べて見ると

1928年に鉄道省のモハ30166として川崎車輛で新製され、1960年に相模鉄道に譲渡されて2000系として使用された後、1976年に伊豆箱根鉄道に譲渡された車両である。1997年に工事用車両であったコデ66が老朽化したことから、代替車両として1996年に旅客営業を離れていたモハ165が改造され、「コデ165」となった(Wiikipediaより)。

とのことで、5000系が導入される以前に活躍していた151形181形などの改造生き残りのようですね。踏切まで行けば近くから写せそうなので行ってみました。165_130629_3_2
相模鉄道から譲渡とのことですが、私も小さい頃から西武の赤電には十分すぎるほどお世話になっているので、一瞬、懐かしの西武の151系かと思いましたがそうでは無かったようです。

そうこうしているうちに警報機が鳴り出し、電車が一本到着しました。

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大雄山駅に到着する第4編成 2013/6/29

大雄山駅の外観はこんな感じでした。

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さすがに足柄山が近いとあって金太郎の像もありました。

大雄山線が開通した経緯はこの看板で説明されていました。

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ちなみに天狗モニュメントは小田原駅の改札口の上に大きく掲出されてあります。
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というわけで、初めての大雄山線の旅を纏めてみました。

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2013年6月29日 (土)

1975年 新潟の旅 13 その後の183/189系 その6 リゾートエクスプレス ゆう

その後の183・189系シリーズ、ラストはリゾートエクスプレス「ゆう」です。

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2006/2/18 新川崎

JR東日本東京地域本社(現・東京支社)と水戸支社で共通使用するジョイフルトレインとして、1991年サロ183形・189形・481形を種車に4両が大井工場(現・東京総合車両センター)で、2両が大船工場(現・鎌倉車両センター)で改造されました。勝田電車区(現・勝田車両センター)に配置され、編成番号はK30となりました。また非電化区間への直通運用を考慮し50系客車の荷物車(マニ50 2186)から専用電源車への改造も施工されました。

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2009/1/24 鶯谷

種車から再用されたのは空気ブレーキ装置・電動発電機(MG)・空気圧縮機(CP)・連結器等の一部部品のみで、車体は同時期製造の651系電車をベースにした裾絞りタイプの普通鋼製が東急車輛製造で新製されました。履歴簿上は余剰グリーン車からの改造名義ですが事実上新製に近いです。制御装置などの走行機器に485系の廃車発生品が使用されたことと三電源対応車であることなどから485系の形式番号が付与されました。

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2011/10/1 大宮

側面窓には大型の連続窓が採用され、車両前面はセンターピラーの幅を広げた上で縦長の電照式ヘッドマークとしました。センターピラーの下には縦型2灯式の前照灯を設置し、その両側に尾灯兼用のLED標識灯を配しました。
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2011/2/6 栗橋~古河

パンタグラフはモロ484に1基搭載しましたが、中央東線などの狭小トンネル断面線区へ入線可能とするため取付部分の屋根を一段低くしたほか、信越本線横川 - 軽井沢間を通過するための通称「横軽対策」も施工されました。

MG・CPは重量均等化の見地からクロ484形・サロ485形に搭載されました。

外部塗色はフュージョンベージュをベースカラーとし、窓周りにフィロスブラウンを配し、窓上にアクセントとしてペパーミントグリーンのピンストライプが入りました。

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2008/7/30 黒磯

1号車・6号車。

乗務員室の後部にはフリースペースの展望室とし4人がけのソファーが配されました。この部分の側面に、高さ930mm・幅2240mmの大型窓がを配されました。

客室内は通路を片側に寄せた上で1人がけと2人がけを千鳥式の配置。座席は45度刻みで360度回転が可能なリクライニングシートとなっており、座席の向きを変更することによりさまざまなレイアウトを構成することが可能です。

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2005/6/18 南柏

2号車・3号車・5号車。

客室内は1人がけと2人がけの座席を2列-1列の配置としました。座席は1号車・6号車と同様としました。

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2013/3/2 ひたち野うしく~荒川沖

4号車。

本車両は定員外のフリースペースとして、フロアとドーム室で構成されています。フロア部分にはステージ、サービスカウンター、AVコントロール室が設置され、「走るディスコ」という演出を行ないました。壁面には合計10脚の折り畳み座席(ジャンプシート)が設置されています。
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2013/3/9 荒川沖~土浦

ドーム室はサービスカウンターの脇から階段を上るように設けられ、1人がけリクライニングシートを10脚配置しています。ドーム室の照明は足元のみ(フットライト)として、夜景の鑑賞に配慮しています。

ゆうマニ

大宮工場(現・大宮総合車両センター)で水郡線など非電化区間直通運転時用サービス電源供給用電源車としてマニ50 2186を改造しました。愛称は「ゆうマニ」。所属は水郡線営業所です。

外部塗色は「ゆう」編成と同一の配色としました。荷物室の半分はディーゼル発電機(三相交流270kVA/440V)を収容する機械室に転用し、機械室側は荷物扉を撤去して通風孔と採光窓を設けました。荷物室の荷重は8tに減少しましたが、車両番号の変更はありません。非電化区間では機関車の次位に本車を連結する運用方法をとるために連結器は電車・機関車のどちらとも連結できる双頭連結器に交換しました。

双頭連結器・電源供給設備の機能を活用できるため、配給輸送・廃車回送などの電車編成を機関車で牽引する際の控車としても頻繁に使用されています。

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再掲の写真ですが、ゆうマニ 2186 1991/11/1 水戸

増結用車両

「90年代観光振興行動計画(TAP90's)」に基づく「栃木・群馬観光立県推進地方会議」の視察団が利用する臨時列車「臨時特急ほのぼの号」が1995年5月12日に信越本線中軽井沢-高崎間で運転された際に、増3号車として長野総合車両所(現・長野総合車両センター)所属のサロ489-1051を「ゆう」と同色に塗り替え編成に組込まれました。

1998年に内装を和式化し引き続き常磐線系統を中心に各種の臨時列車・団体列車に使用されています。外観上の変化はなく4号車の定員外スペースは従前のままとされました。

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2008/7/31 長町

構成メンバーです。

<=上野                                           勝田=>          

クロ484-2    モロ484-3 モロ485-1  サロ485-1   モロ484-2 クモロ485-2

サロ183-1008 サロ189-8 サロ189-6 サロ481-1002 サロ189-7  サロ189-5

大船        大井     大船     大井       大井     大井

リゾートエクスプレス「ゆう」はいわば地元、勝田の車輌でもあるため、常磐線で写真を撮っているとよく遭遇する車輌です。今回は写真を時系列ではなく、南から北へ、東北本線、常磐線の順で並べてみましたが、一度たりとも待ち伏せして撮影をしてはいませんが、いろいろなところで見かける車輌だなと改めて感じました。

テキストはWikipediaの文章を参考に纏めました。

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2013年6月28日 (金)

1975年 新潟の旅 13 その後の183/189系 その5 シルフィード=>NO.DO.KA

今回は189系サロの一部を利用して改造されたシルフィード (Sylphide)です。"Sylphide"あまり聞き慣れない英語ですが風の精シルフの女性形だそうです。

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シルフィードとしての時代には遭遇していないため、今回はNO.DO.KAの写真しかご紹介出来ませんが、形態は165系から改造されたパノラマエクスプレスアルプスとよく似ています。 2004/2/26 長岡

JR東日本新潟支社では、国鉄時代から12系客車を改造した6両編成の和式(お座敷)客車1985年にサロンカー「サロン佐渡」1両が追加されました)と、キハ28形・キハ58形気動車カーペット車を運用していました。1987年には欧風車両である「サロンエクスプレスアルカディア」の運行が開始されましたが、1988年3月30日に火災事故を起こし、使用不能となってしまいました。

当時、新潟支社のジョイフルトレインは、分割民営化以後に首都圏への乗り入れが増加していましたが、それまでのジョイフルトレインは一部を除いて客車か気動車でした。客車の場合は機関車の付け替えなどによる要員確保が必要となり、気動車の場合は機動性については申し分ないものの走行性能は電車と比べて低いほかブレーキ性能も異なるといった制約がありました。そこで、交直流電車をベースとし、非電化線区ではディーゼル機関車による牽引を可能にすることでこれらの問題を解決することにしました。そういった経緯で、1990年に登場したのがシルフィードです。

いずれの車両も、編成短縮化により余剰となっていたサロ189形を種車とした改造車名目ですが、車体は新製されており、種車からは一部の部品が流用されたにすぎません。また、制御装置や電動機、台車などの走行機器については、485系1000番台の予備品が使用されたことから、485系の形式番号が付与されました。ジョイフルトレインでは初めての交直流電車であり、形式は先頭車がクロ484形とクモロ485形、中間車はモロ484形となりました。改造は新津車両所が担当しました。この時点では全車両がグリーン車扱いでした。

1号車 クロ484-1(旧 サロ189-4) - 定員24人(展望車・電源車)
2号車 モロ484-1(旧 サロ189-3) - 定員30人
3号車 クモロ485-1(旧 サロ189-2) - 定員27人(展望車)

塗装デザインは、車体下半分を白、上半分をベージュとし、その境目に黄緑と紫(パープル)の帯を入れたものとしました。

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この日は試運転だったのかと思いますが、長岡に一旦停車して南下して行きました。 2004/2/26

先頭部分は前面展望を考慮し、「パノラマエクスプレスアルプス」とほぼ同様の形状としました。冷房装置は、全車両とも通勤形電車に使用されているAU75F形集中式冷房装置を搭載しました。

集電装置(パンタグラフ)取り付け部分は、建築限界の小さいトンネルが存在する中央東線への乗り入れを考慮した低屋根構造(雨樋より上部をほぼフラット)としたほか、信越本線の横川駅 - 軽井沢駅間の通過対策(横軽対策)についても施工されました。また、日本海縦貫線の気象条件に対応して耐寒耐雪構造を強化しているほか、保安装置としては当初よりATS-P形を装備しました。編成両端の連結器は密着自動連結器としました。

客室内は、座席は45度刻みで360度回転が可能なリクライニングシートを2列-1列の配置で設置しました。1人がけ座席側の荷物棚は省略された代わりに、2人がけ座席側の荷物棚はハットラック式(蓋付)としました。

クロ484-1

1号車に連結される車両で、展望室があります。展望室はフリースペースとなっており、内側向きにソファーが並べられています。客室の座席は前後8列配置。2号車モロ484-1との間の貫通路は拡幅されています。

本車両の最大の特徴は、非電化線区での運行に対応した4VKT10.5形ディーゼル発電機関を搭載したことで、国鉄・JRの電車でディーゼル発電機関が搭載されるのはこれが初めてでした。出力は100kVAで3両分の給電能力を有します。また、本車両には190kVAの出力を有する電動発電機(MG)も搭載しているため、自重は46.5tと、電動車並みの車両重量となりました。

モロ484-1

2号車に連結される車両で、便所・洗面所・女性向けのドレッサー室を設けています。客室の座席は前後10列配置。自重は47.3t。

クモロ485-1

3号車に連結される車両で、クロ484-1同様にフリースペースとなった展望室を有しますが、本車両では車体中心線から外向きにソファーが並べられています。客室の座席は前後9列配置。自重は45.5t。

運用

上沼垂運転区(現・新潟車両センター)に配置され、1990年9月1日より営業運行を開始し、同年9月24日には早速磐越西線へDD51形ディーゼル機関車の牽引により非電化線区へ乗り入れ、さらに同年10月には交流電化区間にも入線するなど、車両の特徴を生かした団体専用列車を中心に運用されました。

なお、専用機関車として、DE10 1701が同色に変更されました。
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二度目の遭遇は新宿でした。今回は団体臨時列車としての運用だったのかと思われます。 2010/4/3

2001年1月には、客室設備はそのままに普通車に格下げされ、次のように改番されました。

1号車 クハ484-701(旧クロ484-1) - 展望車・電源車
2号車 モハ484-701(旧モロ484-1)
3号車 クモハ485-701(旧クモロ485-1) - 展望車

同年10月には、カーペット車両に改装し、同時に愛称を「NO.DO.KA」(のどか)に変更しました。この際に、便所の増設と塗装デザインの変更を行ないました。なお、非電化線区用の発電機器類はそのまま残されました。その後も、団体専用列車を中心に運用されています。

Wikipediaの記事を参考に纏めました。

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2013年6月27日 (木)

1975年 新潟の旅 13 その後の183/189系 その4 彩野

その後の183・189系シリーズ今回は、「彩野」と命名され活躍した編成です。

2001年12月E257系が特急「あずさ」「かいじ」に投入され、松本電車区(2002年3月23日 : 松本運転所のうち、車両検修部門が松本電車区に。)の183系は余剰となりました。

2003年1月6日、塗色はあずさ色でしたが、リニューアル工事はなされていなかったM12編成 (7両)からサロを除いた6両が抜き取られ、大宮工場で改造工事が実施されました。

工事内容はシートの換装、ラインデリアの変更、化粧板の張替、蛍光灯カバーへの装飾、そして外板の変更などでした。 シートは従来の灰・紫系のシックな簡易リクライニングシートから明緑色のノーマルなリクライニングシートへ変更、化粧板は客室内に木目調の茶色が、デッキ部も肌色とされ、蛍光灯カバーにはヨットやサルなどのポップなイラストシールが貼られ、外板は下半分こそ明るい灰色ですが、上側には日光の紅葉を意識した鮮やかな赤と黄色の帯が巻かれました。いわゆるグレードアップ改造は行われませんでしたが、国際的な観光都市である日光や、京葉線沿線など臨海副都心へのアクセス用の専用ジョイフルトレインとして生まれ変わりました。

こうして改造された編成に愛称が公募され、埼玉県を表す「彩(彩の国さいたま)」と栃木県の旧国名「下野国」からそれぞれ一字ずつとって、「彩野」と命名されました。

改造後の所属は小山電車区となり、Z45編成となりました。

<Z45編成時代の活躍>

2003年4月5日~
臨時快速「やすらぎの日光号
新宿~日光

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大宮を後にする「やすらぎの日光号」 2005/5/28

2003年4月末~
臨時快速「マリンビュー舞浜
小金井~東京

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大宮を後にする「マリンビュー舞浜号」 2003/5/5

2003年5月2日~
団体専用列車

2003年5月31日:大宮工場一般公開
体験乗車用の車両

2004年1月
快速鎌倉物語号
宇都宮~鎌倉間(武蔵野線経由、後に湘南新宿ライン経由)

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東所沢を通過する鎌倉物語号 2005/1/29

2004年2月

快速「湘南伊豆観梅号
大宮~熱海間(湘南新宿ライン経由)
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快速としか表示がありませんが、横浜を出発する「彩野」編成 2005/1/2

2004年3月
快速「熱海花博号
宇都宮~熱海間

2004年
臨時列車「日光ロマン

2005年11月
「やすらぎの日光」は2005年11月を以て運転終了

彩野Z45編成の最終運用は12月の本庄~上野間の団体専用列車でした。

2006年3月18日付で大宮総合車両センター車両検査科東大宮センターに転属。同日のダイヤ改正で運転を開始した東武鉄道との直通運転を行う特急「日光」「きぬがわ」用小山車両センター所属485系直通車両の予備車も兼ねることになり、大宮総合車両センターで東武鉄道ATS・列車無線などを装備しました。また、塗装を東武特急と同色に変更され、「彩野 AYANO」の文字(マーク)が消されましたが、JR東日本では引き続き公式に「『彩野』編成」としました。編成番号はOM201編成となりました。

<OM201編成としての活躍>

2007年4月28日~連休期間内、臨時の東武線直通特急「日光83・84号」横浜駅発着に充当。
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OM201編成による「日光」 2009/5/17 大宮

2007年5月14日~6月中旬
 東武線直通特急代走

2007年7月~ 臨時直通特急

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2008/8/2 大宮

2009年7月:「はちおうじ日光号」 その後も長期の連休中などに運行

以降週末の臨時直通特急やきぬがわ編成の代走が「彩野」の主な任務となりました。

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那須散策号 2006/6/10 大宮

2010年の暮に後継となる253系1000番台が登場。

2011年に入るとほとんどが「きぬがわ号」として運転。

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2011/1/15 川口

2011年3月:鬼怒川線への入線を終了。東武日光発着の「臨時日光号」として運用。

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2011/2/27 東鷲宮~栗橋

<廃車、解体へ>

2011年3月11日~:東日本大震災後の計画停電などもあり東武線~JR線直通特急は当分の間運休に。

2011年4月29日:485系による直通運転が再開。「彩野」は東大宮に留置。

2011年6月4日:代走再開

2011年6月27日:長野総合車両センターへ向けて回送されました。

2011年8月末:部分解体(部品取)が開始。 何度かの入れ替えを経た後、9月に入ってついに編成が解かれました。

2011年10月20日:解体開始、25日に完了。189系登場から36年、「彩野」と呼ばれてから8年の活躍に終止符を打ちました。

彩野編成の構成メンバー

     クハ189 モハ189・188  モハ189・188 クハ189
       2               45                   43           511  

今回の記事を纏めるにあたり、彩野編成の運行記録は「宮山 彩野のホームページ」の情報を参考にさせて戴きました。

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2013年6月26日 (水)

1975年 新潟の旅 13 その後の183/189系 その3 幕張電車区

再び、その後の183系1000番台、189系シリーズに戻ります。

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C1編成 サロ入り9連で中央ライナーなどに使用された編成ですが、すでに廃車済み 2003/5/5 西荻窪

今回は幕張電車区(現:幕張車両センター)です。幕張電車区は1972年7月の総武快速線開通時に開業しました。以前にも申しましたが、183系基本番台は電車区の開業時から配置され、しかも9両編成11本という大量の本数からのスタートでした。細かいことを言うと、1972年7月5日までは、落成納入された183系基本番台は津田沼電車区に仮置きされていたようです。

1982年11月の上越新幹線開業までは、183系は基本番台のみの配置でした。

1972年度 モハ33ユニット クハ22両 サロ11両      99両 「さざなみ」「わかしお」
1973年度 モハ43ユニット クハ29両 サロ15両     130両 「あずさ」
1974年度 モハ57ユニット クハ38両 サロ19両     171両 「しおさい」「あやめ」
1981年度 1974年度から同じ

1973年11月23日に内房線那古舟形~館山間で発生した踏切事故でクハ183-17が大破し、1974年2月12日付けで廃車になりました。新製後1年7ヶ月の在籍期間でした。この車輌の代替として昭和48年度第2次債務でクハが1両製造されました。
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C3編成 これもたまたま遭遇したものでC3編成を見たのはこの一回でした。 2007/12/31 三鷹

1982年11月
のダイヤ改正で、それまで特急「とき」に使用されていた183系1000番台が幕張区にも転入しました。

モハ183・182 1001,1002,1003, 1004,1006,1007,1008,1010, 1011,1012,1013,1017,1018, 1019,1020,1025,1026,1050, 1054,1056    20ユニット

クハ183 1501,1502, (1503,1504,1505,1506),1525, 1526,1527,1528,1529,1530, 1531,1532  14両
幕張配置のクハ1831000番台はATC装備の関係があり、1501、1502が転用を見越して1981年に製造され上沼垂に配置、1982年11月の改正前に ()内の4両が幕張区に新製配置、そして余剰となった1000番台クハにATC取り付け改造を施行し、+500の改番をして幕張区に転属となりました。

サロ183 1001,1002,1003,1004,1005,1006,1007  7両

これらの230両の車輌で9連24本、6連2本の編成が構成され、千葉管内の全ての特急を担当しました。幕張区の183・189系もこのときが両数的にはピークで、

1984~1985年度    207両 編成両数見直し、「あずさ」運用消滅
1986年度        194両
1987~1990年度     189両 「しおさい」のサロ連結廃止
1991~1992年度    185両  9両編成13本、6両編成11本
1993年度       180両 255系投入
1994年度       167両 255系特急増発
1995年度       142両
1996~1997年度   140両
1998~2000年度   128両 「さざなみ」「わかしお」サロ連結廃止 8両編成12本 6両編成4本
2001年度      120両
2002年度      202両 C編成4本、Tc2両転入
2003年度      168両
2004年度      128両 E257系500番台投入
2005年度       60両 183系運用消滅
2006~2007年度    48両 
2008年度       21両 ホームライナー運用消滅(C編成) 波動用  

183_c4_070107
C4編成 2007/1/7 市川

中央ライナー用のサロ組み込み9連のC1~C4編成もC1,3,4が2008年度にC2は2009年4月に廃車(写真は6/22の記事に)となりました。C4は4連化されて鉄道博物館の休憩所になっているようですが。

そして現在も活躍中なのが「あずさ」色のマリ31、マリ32編成です。31編成はそれまではM1, M4, M14のメンバーだった車輌から構成され、32編成はM15編成の一部でした。

183_31_120630_3
マリ31編成  2012/6/30 大宮
183_32_110923_2_2
マリ32編成  2011/9/23 東十条

さらに「あずさ」色の編成と言えば豊田区のM50編成がおります。

183_m50_100403
以前から「モモずきん」をおでこに付けていましたが、最近は2013/6/8の記事でも触れましたが、「モモずきん」無しの姿になっています。

M50編成に関しては「あさま」用非グレードアップ編成がオリジンで、幕張区とは接点はないと思いますが、現在残る「あずさ」色ということで今回載せました。

まだ紹介していないのは松本から小山に転属し、「彩野」として活躍、さらには東武連絡特急も務め、近年廃車になったOM201編成と「シルフィード=>NO.DO.KA」、「ゆう」に改造された車輌でこれらは後日紹介します。

2013年3月の改正で旧田町の185系、特にB編成と大宮の185系OM編成の運用統一がなされ、かつそこで余剰となった車輌が4,6連と今までなかった編成に組み換えられているとのことで、今回ご紹介した183・189系由来の生き残り編成の活躍が見られるのもあと僅かかも知れません。

最後に今回登場した編成の構成メンバーです。

      クハ183・189 モハ189・188 モハ189・188 サロ183or189 モハ189・188 クハ183・189   
C1編成        1011               13                  46             1115                 48             514
C3編成    512                16                  47               102                 11              13
C4編成    1009                31                  49             109                 35           1020

                  クハ183         モハ183・182   モハ183・182   クハ183
マリ31編成         1017                1025                   1015             1018
マリ32編成     1021                1034                    1004            1022

           クハ189    モハ189・188   モハ189・188   クハ189
M50編成       507                  44                       20                14   

今回も鉄道ピクトリアル誌No832の記事、編成表のページのデータ、183系の動き 配置および編成・運用の移り変わり 幕張 のデータを参考に纏めました。
  

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2013年6月25日 (火)

新旧「こまち」に逢いに大宮へ

183系、189系の話題の合間ですが、先週土曜日(6/22)に大宮駅の新幹線ホームで久しぶりに新幹線を写しましたので、今回はその話題を。

そもそもは7月20日でE3系R1編成が引退するというJR東日本秋田支社のアナウンスで、駅が混む前に撮っておこうというのが動機でした。もともと新幹線に関しては定期的に撮っておこうという気持ちは全くなく、これまでもあまり写真は撮っていなかったのですが、結構、知らず知らずのうちに車輌も替わっているので、「収めるべきものはきちんと収めておくか」ということで、大宮駅で入場券を購入し、新幹線ホームにあがってみました。

今回の狙いはE3系R1編成ですが、この春の改正でデビューしたE6系もまだ撮影していなかったので狙うこととしました。入場券の時間制限は2時間なので、その時間を有効に使うため事前にどの時間にどういった編成がやってくるかも下準備は致しました。

E3_r1_130622_0
8:39 運良くE5系を併結し、ふだんあまり使われていない16番線に入線してきたE3系 R1編成 2013/6/22 大宮

<田沢湖線と列車について>

秋田新幹線のルートとなった田沢湖線1989年まで能代に祖父がいた関係もあり、東京から車で能代に行く際にはよく併走したルートでした。

田沢湖線が全線開業したのは1966年10月20日のことで生橋線赤渕 - 田沢湖間 (18.1km) が完成し開業しました。それまで部分開業していた橋場線に生保内線を編入し田沢湖線と改称。大地沢・志度内の両信号場を新設しました。
田沢湖線の開業により盛岡駅 - 秋田駅間で運転を開始した急行「南八幡平」は後年、急行「たざわ」と改称され、1982年11月の東北新幹線開業、田沢湖線全線電化にともなって電車特急列車となり、エル特急に指定されました。1985年には青森駅まで運転区間が延長されています。

485_481300_830102
雪の秋田駅に到着する 485系特急「たざわ」 1983/1/2

1996年3月には秋田新幹線建設工事のため田沢湖線全線が一時運休となったため、運転区間を秋田駅 - 青森駅間に変更し、1997年3月の秋田新幹線開業によって「かもしか」に改称されて、廃止されました。

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新青森に接近する485系特急「かもしか」 2010/10/23

その特急「かもしか」も2010年12月4日の東北新幹線新青森駅延伸開業によるダイヤ改正で、秋田~青森間の特急「つがる」に統一され廃止されました。

<秋田新幹線について>

秋田新幹線は1997年3月22日、全国新幹線鉄道整備法に基づかない新在直通方式のミニ新幹線として開業しました。同法では「主たる区間を200km/h以上の高速度で走行できる幹線鉄道」を新幹線と定義しており、法律上は、盛岡駅 - 秋田駅間はあくまで在来線であって新幹線ではありません。東京 - 秋田間に「こまち」がE3系電車5両編成で運行開始。東北新幹線内は200系やE2系と連結して運行されました。

1998年:全列車が6両編成に増結。

1999年12月4日:東北新幹線内の連結相手が200系からE2系のみとなりました。

2001年9月16日:開業以来の利用者数が1,000万人に達する。

2002年12月1日:全列車を全席指定席化しました。

2006年1月5日:日本海側を中心とした大雪の影響で、開業以来初めての終日運休となりました。
2月11日 前日に発生した「こまち3号」の雪崩による抱き込みにともなう除雪作業の影響で、2度目の終日運休となりました。
3月11日:開業以来の利用者数が2,000万人に達しました。

2010年2月2日 新型車両E6系の投入が発表される。2013年の営業運転開始を目標に試運転がおこなわれる。車体構造上の理由による編成定員の減少を防ぐため、1編成中の車両数はE3系の6両に対し、1両増の7両に増やしました。

2011年 3月11日:東北地方太平洋沖地震が発生。地震直後から全線で運転を見合わせに。
3月18日:盛岡駅 - 秋田駅間で4往復のみで運転再開。
3月22日:盛岡駅 - 秋田駅間で5往復に増発。
4月7日:東北地方太平洋沖地震の余震発生により全線で再び運転を見合わせ。
4月9日:盛岡駅 - 秋田駅間で運転再開
4月29日:東北新幹線運転再開に合わせ秋田駅 - 東京駅間の全線で運転再開。
11月19日:「はやて」へのE5系投入に伴い、一部列車の東北新幹線内の併結相手車両がE5系に変更されました。

2013年3月2日:神宮寺駅 - 刈和野駅間で、下り「こまち25号」の先頭車両が脱線。乗客130名には負傷なし。この事故の影響で盛岡駅 - 秋田駅間で運転見合わせ。4日運行再開。
3月16日:E6系による「スーパーこまち」運行開始。

<新幹線車両のE3系について>

E3系については2013年1月2日の記事でも紹介しておりますので、今回は形式と編成の特徴についてのみ触れます。
形式は次の6形式です。

E311形 (M1sc) グリーン席を備える制御電動車。R・L編成11号車として使用されます。東京・秋田向き運転台、車掌室、分割併合装置、便所、洗面所、車椅子対応設備、多目的室、荷物置場(除く0番台)を備え、主変換装置、空気圧縮機などを搭載しています。

E322形 (M2c) 普通席を備える制御電動車。R編成16号車、L編成17号車として使用されます。山形・新庄・大曲向き運転台、荷物置場を備え、主変圧器、主変換装置などを搭載しています。

E325形 (M1) 普通席を備える中間電動車。便所、洗面所、公衆電話、荷物置場を備えます。 0番台 R編成15号車として使用されています。主変換装置、空気圧縮機、集電装置などを搭載しています。

E326形 (M2) 普通席を備える中間電動車。主変圧器、主変換装置、集電装置などを搭載しています。 0・1000・2000番台 R・L編成12号車として使用されています。車椅子対応設備を備えています。

E328形 (T2) 普通席を備える中間付随車。 0番台 R編成14号車として使用されています。荷物置場を備えています。

E329形 (T1) 普通席を備える中間付随車。R・L編成13号車として使用されています。便所、洗面所、公衆電話を備え、補助電源装置などを搭載しています。

秋田新幹線「こまち」に運用されるのはE3系0番台で、6両編成26本R1~R26(156両)が秋田車両センターに配置されています。

基本的には「こまち」用ですが、E2系との併結編成により盛岡発着の「はやて」や「やまびこ」・「なすの」でも使用されるようです。当初は「なすの」運用を除けば「こまち」のみの運用であり車体側面のロゴは「こまち」の横に「JR Akita Shinkansen」(試験運行時は「SERIES E3」も)と表記されていましたが、運用が拡大したためこの表記を消した車両もあるようです。

E3_r1_130622
R1編成は 1995年製造の量産先行車で落成時はS8編成として登場しました。
先頭車の前面形状が量産車と異なり、どちらかというと400系に近い形状となっています。 運転台窓下の前照灯の形態は量産型のR2編成以降とは大きく異なります。

E3_r11_130622
7:58 R11編成がE5系と併結で接近

R2 - R16編成は1997年の開業前に落成した量産車で当初は5両編成でしたが、翌年にE328形を連結して6両編成となりました。そのため、E329形とE328形(13号車と14号車)の連結部にはパンタグラフのないパンタカバーが存在します。 前照灯と後部標識灯は運転台窓下にまとめられました。

E3_r17e2_j12_111008_2
E2系と併結で大宮を出発するR17編成 2011/10/8 

R17編成は 1998年に落成した増備車です。以後落成した編成は当初より6両編成で組成されています。パンタカバーの数も2つとなり、運転室前面のワイパーは2本装備となっています(この写真では判別難しいですが)。

E3_r18_130622
8:22頃 R18編成、この写真ではワイパーの変化とパンタカバーの数の変化がよく分かります。

R18 - R26編成は 2002年から2005年にかけて落成した増備車です。連結面外幌の材質がポリウレタンから合成ゴムに変更され、同時にフットレストが装備され座席形状が座面スライド機能付きのもの(E257系と同じタイプ)に変更されました。またVVVFインバータ制御装置の素子もGTOサイリスタからIGBTに変更されました。

そして、引退して行くE3系に替わって続々と増備されて行くのがE6系です。

<E6系について>

JR東日本は、2000年に策定した中期経営構想「ニューフロンティア21」において示した「世界一の鉄道システムの構築」において、新幹線を最高速度360km/hで営業運転することを目標としました。その目標を実現するために2002年に「新幹線高速化推進プロジェクト」を社内に発足させ、新幹線高速試験電車「FASTECH 360」を開発し、2005年から地上設備も含めた各種試験を行いました。その結果、環境対策やコスト対効果を考慮すると最高速度320km/hが妥当と判断し、ミニ新幹線用車両としてE6系が開発されました。2013年3月16日のダイヤ改正から「スーパーこまち」の列車名で秋田新幹線の営業運転に投入されました。

量産先行車2010年6月に、仙台港に陸上げされました。同年7月9日には、新幹線総合車両センターで報道公開されました。営業運転開始まではS12編成を名乗りました。2012年11月より量産車が順次納入され、2013年3月16日に営業運転を開始しました。
最高速度は300km/hで、2013年度末からはフル規格新幹線区間での320km/h運転を予定しています。この頃までに、量産先行車も含めて24編成が投入される予定です。

新幹線区間では、E5系との併結を考慮して最高速度:320km/h・起動加速度1.71km/h/sですが、在来線区間では130km/h・2.0km/h/sです。7両編成で、電動車 (M) と付随車 (T) の構成(MT比)は5:2です。車体傾斜装置を採用することによって、新幹線区間における半径4,000mのカーブでも320km/hで走行できます。

車体の色は、上部を「茜色」、下部を「飛雲ホワイト」とし、その境目や車体側面に「アローシルバー」の帯を配しています。先頭形状は、E955形でテストされた「アローライン」を基にしており、ノーズの長さは約13mとなっています、E955形11号車と同じ長さで、E3系の約6mより延長されています。

先頭車両のノーズの長さによって編成定員が減少することを防ぐため、E3系の6両編成から7両編成へと、1編成中の車両数が増やされました。

架線からの単相交流25kVを主変圧器で降圧した上で、主変換装置で直流に整流、その後三相交流に変換して主電動機を制御するVVVFインバータ制御方式です。

編成全体は11号車から14号車の4両(M1sc+Tk+M1+M1)と15号車から17号車の3両(M1+T+M1c)の2ユニットで構成されており、電動車にはE5系用と共通化設計された主変換装置を、付随車に主変圧器と集電装置を搭載しました。

主電動機は300kwのMT207三相交流誘導電動機を搭載、駆動方式はWN平行カルタン駆動を採用しています。

編成を構成する形式は
E611形 (M1sc) グリーン席を備える制御電動車。11号車として使用。東京・秋田向き運転台・車椅子対応座席を備え、主変換装置・補助電源装置・電動空気圧縮機を搭載する。E2系やE5系との併結用に分割・併合装置が先頭に納められている。

E621形 (M1c) 普通席を備える制御電動車。17号車として使用。大曲向き運転台を備え、主変換装置・補助電源装置・電動空気圧縮機を搭載する。

E625形 (M1) 普通席を備える中間電動車。 0番台 13号車として使用。便所・洗面所を備え、主変換装置・電動空気圧縮機を搭載する。 100番台 14号車として使用。便所・洗面所を備え、主変換装置・蓄電池を搭載する。

E627形 (M1) 普通席を備える中間電動車。15号車として使用。主変換装置・電動空気圧縮機・蓄電池を搭載する。

E628形 (Tk) 普通席を備える中間付随車。12号車として使用。車掌室・便所・洗面所・車椅子対応設備・多目的室・車販準備室を備え、主変圧器・集電装置を搭載する。

E629形 (T) 普通席を備える中間付随車。16号車として使用。便所・洗面所・公衆電話を備え、主変圧器・集電装置を搭載する。

となっています。

E6_z5_130622
9:19 スーパーこまち7号 E6系が接近 併結相手ははやぶさ7号

E6_z3_130622
9:28 はやぶさ6号+スパーこまち6号が大宮を発車

僅か数分の間に下りと上りのE6+E5編成が大宮に停車しますので、おそらく両者は大宮の僅か北方で出会っているのでしょう。

といったわけで、既に大宮駅は旅行客以外に、消えゆくR1編成を撮影しようとする同業者の姿もチラホラ見ましたが、これから1ヶ月間、E1系や200系の引退時のようになって行くのでしょうか。

新幹線の写真を撮った後で、在来線の車輌の形をみると、えらく真四角で空気抵抗をもろに受けるように感じるのですから、人間の感覚というのは不思議です。

以上、Wikipediaの記事を参考に纏めました。

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2013年6月24日 (月)

1975年 新潟の旅 13 その後の183/189系 その2 松本運転所 後編

松本運転所で特急「あずさ」。「かいじ」で活躍した183系1000番台、189系にもその運用のための改造車が多数存在しました。

183_om101_080628
OM101編成 2008/6/28 新川崎

1)クハ183-1500番台
特急「とき」廃止にともなう房総地区転用に備えて、1982年3月から8月にかけて新津車両管理所(現・新津車両製作所)でクハ183形1000番台に1500番台と同様の機器室設置とATC搭載の改造を施工しました。定員が2名減って54名となり、車両番号を原番号+500の区分としました。1525・1528の2両は、1986年に幕張電車区から松本運転所に転属し、いわゆる「あずさ色」になりました。さらに1998年には長野総合車両所(現・長野総合車両センター)に再転属となり、旧「あさま色」に塗装を変更。またATCを京浜東北線・根岸線対応のATC-6形に換装し特急「はまかいじ」にも投入されました。機器室の隣の座席1脚を撤去して、定員はさらに2名少ない52名となりました。現在、N101編成の両先頭車として在籍していることは6月22日の記事で書いたとおりです。

2)サロ183形1050番台
1978年10月ダイヤ改正で特急「とき」は増発されましたが、新造コストを削減するためにグリーン車は余剰のサロ481形基本番台を編入することになり、新津車両管理所で改造施工されたのが当区分です。主に制御系統のみが変更されたため、485系の特徴であるドアステップも含め外観に変化はありません。
485系からの編入改造車は、485系が183系より床面が高く、客室窓が高い位置に設置されていたことにより、国鉄特急形電車の特徴である窓周りの赤色の塗装(赤2号)が編成を組む183系新製車と合わないなど、アンバランスな形態をしていました。
その後、グリーン車の連結両数削減によって余剰となり、1988年に新潟地区の485系用のグリーン車が不足したことから、2両がサロ481形に復元され、原番に復しました。

189_2

あくまで参考写真ですが、189系や183系1000番台に485系由来のサロが組み込まれているのではないかと思われるのがこの写真です。7両目のサロは台枠の高さが違うようです。

1989年、特急「ひたち」のモノクラス化にともなう中間付随車として、サロ183形1050番台のうち前節の改造にもれた2両が、座席を普通車用に交換して、サハ481形300番台に編入されました。

3)クハ182形
短編成化で余剰になった比較的経年の新しいサハ481形100番台に、長野工場でクハ183形1000番台に準じた運転台の取付改造を行いました。偶数向(新宿方)制御車。

後位側ドアには種車のステップが残存します。また1985年改造の0番台は後位出入台側の車販準備室を残しているが、1986年改造の100番台では座席定員確保のため撤去されています。また、側面行先表示器は183系と485系ではシステムが異なるため、種車のものは撤去し、0番台を除いて前位側出入台横に新設しました。

183_182102_050816_2
OM103編成に組み込まれたクハ182-102 2005/8/16 篭原

連結された大窓改造車と赤帯幅を揃えられていますが、183系オリジナル車の場合、窓の位置が帯の中心線より下側にあるのに対して、485系から改造車の場合はもともと窓の高さが高いため、窓下の帯の幅が広いことが特徴となっています。

4)クハ183形100番台
1985年と翌1986年サハ489形およびサハ481形100番台を183系の奇数向(松本方)先頭車に改造して登場した番台区分で、改造施工は103のみが大宮工場、他が長野工場です。 
サハ489形からの改造車の後位側は特徴的なドアステップが残存。サハ481形100番台からの改造車は、旅客定員の確保のため改造時に種車の車販準備室を撤去しました。また、行先表示器を前位側ドア横窓上に新設しています。高崎車両センターに2両在籍していたが、幕張車両センターからの転入車に置換えられて2005年に廃車となりました。

5)クハ183形150番台
1986年サハ489形から改造した番台区分で、運転台ブロックがクハ183形1000番台仕様ではなくクハ481形1000番台仕様であり、全長が21250mmと他車より250mm長いことと前頭部に回り込んだ赤帯のデザインがクハ481形相当である等の特徴がある。改造施工は幡生工場(現・下関総合車両所)。またCPも他の先頭車改造車が1000番台と同じく運転台ブロック内に搭載されているのに対しMGとともに床下搭載、MGも160kVAであるなどの相違点がありました。

151・152の2両のみの存在で、中央東線に投入されグレードアップ改造も施工されたが、E257系への置換えにより2003年に2両とも廃車されました。

6)サロ110形1300番台
余剰となったグリーン車(1000番台)を、1987年から1988年にかけて113系(横須賀線)用に転用改造したものです。

今回、写真を紹介しているOM101~103編成は、松本運転所から新前橋電車区に2002年12月のダイヤ改正後、転属した6連3本が2006年3月に大宮に再転属したクハ182-101,102や幕張区から高崎に転属したものから構成されています。

183_om103_110626_2
OM103編成 2011/6/26 大宮

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OM103+OM101併結による12両編成の初詣臨時列車 2011/1/15 さいたま新都心

今回登場した編成の構成メンバーです。

       クハ183 モハ183-182 モハ183-182 クハ183
OM101    1529          1042            1049           2-101
OM102         1505          1028            1045            1012
OM103         1527          1054            1032          2-102

<追記>OM103編成は2013年夏、大宮から長野に転属し、N104編成となりました。回送は7月30日に行われたそうです。

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2013年6月23日 (日)

1975年 新潟の旅 13 その後の183/189系 その2 松本運転所 前編

今回は松本運転所です。

183_h101_110521
修学旅行用に使用されるH101編成 8M2Tの強力編成でその姿は189系登場時の姿を思い起こさせてくれます(サロがないのが残念ですが) 2011/5/21 大宮

昨日の記事で記述しましたように、1986年11月1日に「あずさ」運用が長野運転所から松本運転所に移管され、183系1000番台車が大量に転入しました。もともと、これらの車輌は1982年11月までは特急「とき」で活躍していた車輌ですが、一方で先頭車不足を解消するためにサハ481、489からの改造車も含まれていました。

このときの移動の様子ですが、

1)1986年8月~10月 向日町運転所所属のサハ481-117, 103, 112, 104, 102がクハ182-101~105に改造されて転入

2)1986年9月 金沢運転所所属のサハ489-8, -6がクハ183-151, -152に改造されて転入

3)1986年10月 向日町運転所所属のサハ481-107, 105, 114, 102がクハ183-103~105に改造されて転入

4)1986年10月 幕張電車区からモハ183ユニット-1054, 1056 クハ183-1525, 1528 が転入

5)1986年11月 長野運転所から

モハ183ユニット
1001,1002,1003,1004,1005,1008,1009,1011,1012,1014, 1015,1017,1022,1023,1024,1025,1026,1027,1028,1029,1030,1031,1032,1033,1034
1035,1036,1037,1038,1039,1040,1041,1042,1043,1044,1045,1046,1047,1049,1050
1051,1052,1053,1055,1057

クハ183
101,102,1001,1002,1003,1004,1005,1006,1007,1008, 1009,1010,1011,1012,1013
1014,1017,1018,1019,1020,1021,1022,1023,1024

クハ182
1,2

サロ183
1008,1010,1051,1053,1054,1101,1102,1103,1104,1105,1106,1108,1109,1110,1111
1112,1113,1114,1115

モハ189ユニット
1,501,502,503,504,1516,1521,1548,1558

が転入しています。

サハ481-100については2013年2月8日の特急「あいづ」の記事で481系サハとしての歴史について記述しております。1986年11月の雷鳥の編成短縮化で余剰となり、先頭車改造の歴史を辿ることになりました。下の表に18両のうち15両の改造先のリストを示します。

481100
189_h102_090704_2
H102編成 2009/7/4 品川

これらの車輌からサロ1両入り6M3Tの9連が19本構成され、あずさ22.5往復、そしてアルプス1.5往復を担当するようになりました。

TcM'MM'MTsM'MTc×19 所要15(臨時+3)
あずさ(22.5)(臨時+5.5)、アルプス(1.5)
 休
 松本9311225新宿13001554松本16551951新宿21002246甲府
 甲府718927東京‥新宿10001249松本1411南小谷1658松本18322125新宿
 新宿9001159松本12321525新宿‥東京16401949松本
 松本10331325新宿14001654松本17412118千葉‥幕張
 幕張‥千葉6391024松本11331425新宿15301716甲府
 甲府813954新宿10301324松本14041703新宿2348448松本
 松本13341624新宿18002146信濃大町2239南小谷2247450新宿‥三鷹
 三鷹‥新宿9301117甲府12121355新宿14301618甲府17121855新宿‥三鷹
 三鷹‥新宿8301020甲府1138松本1255甲府14121555新宿16301813甲府19122055新宿‥三鷹
 三鷹‥新宿7001117南小谷15051925新宿20002259松本
 松本7321113千葉15101856松本19342225新宿2320538信濃森上552南小谷
 南小谷7061125新宿15001757松本
 松本625940東京‥新宿11001356松本15021755新宿‥三鷹
 三鷹‥新宿8001056松本1206白馬1308松本14331725新宿‥三鷹
 三鷹‥新宿12001456松本15371825新宿19002159松本
 新宿640951松本1053甲府12121355新宿14301618甲府1747松本18032118新宿
 新宿10071321松本14521755新宿18302141松本
 松本7571103新宿11251427松本19082215新宿/新宿13251514甲府17181908新宿19302119甲府

183_h81_070224_2
H81編成 2007/2/24 大船

1988年3月13日のダイヤ改正ではモハ189ユニット-1,501,503,1521が長野に戻されましたが、新たに特急「かいじ」が設定されました。8往復は4M2Tの6連、1往復は6M3Tの9連で運用されました。

←東京
TcM'MM'MTsM'MTc×14 所要11(臨時+1)
あずさ(17)(臨時+2)、かいじ(1)(臨時+1)、アルプス(1)
 休
 松本9391225新宿13001554松本16551949新宿21002358松本
 松本604927東京‥新宿10001250松本1409南小谷1702松本18322125新宿21502309小田原‥国府津
 国府津‥小田原615733新宿8001055松本白馬松本13371625新宿18002147信濃大町2240南小谷2247450新宿
 新宿7001035信濃大町1118南小谷1505信濃大町15471925新宿‥東京21432344甲府
 甲府812952新宿10301328松本14331725新宿18302128松本
 新宿640952松本10341325新宿14001651松本17402118千葉‥幕張
 幕張‥千葉6391024松本11401425新宿15001748松本19102218新宿
 松本7341113千葉-1302千倉1322-千葉15101855松本19362226新宿2320538信濃森上552南小谷
 南小谷706信濃大町7521125新宿12001452松本15361827新宿19002200松本
 松本632940東京‥新宿11001351松本15021755新宿18241940小田原‥湯河原(指定席グレードアップ車)
 湯河原‥小田原706824新宿9001158松本12351519新宿‥東京16401956松本(指定席グレードアップ車)
 千葉908新宿10041322松本15051825新宿1912千葉/新宿19302122甲府21462334新宿

TcM'MM'MTc×5 所要4(臨時+2)
あずさ(1)(臨時+0.5)、かいじ(8)(臨時+下1上3)
 松本9031157新宿12301407甲府1542松本1556甲府17201855新宿20002259松本(繁忙期はTcM'MM'MTsM'MTc)
 東京746950甲府/松本946甲府11161255新宿14301611甲府19172055新宿/甲府19002041新宿‥三鷹
 三鷹‥新宿8301016甲府1137松本1255甲府14161555新宿16301812甲府1934松本
 新宿8021115松本1359甲府15191657新宿17301912甲府20202155新宿(繁忙期はTcM'MM'MTsM'MTc)
 新宿9301110甲府1201上諏訪1226甲府13171455新宿15301712甲府1829松本
 松本806甲府9231056新宿11301312甲府16381825新宿/甲府17381925新宿

M'M×1 Ts×5

1988年12月の改正では余剰だった サロ183-1053がサロ481-112に改造され、新潟に転出しています。1989年3月の改正時にもサロ183-1051, 1054がサハ481-305, 304に再改造され勝田区に転出しています。

1990年12月にはサロ183-1008がクロ484-2(リゾートエクスプレスゆう1号車)に改造されて勝田区へ転出しました。

1992年3月の改正では特急「かいじ」の増強用に
モハ183ユニット-1, -2が幕張区から転入
サロ189-10、1505が長野から転入 しました。これらの車輌を6両編成に組み込み、

←東京
TcM'MM'MTsM'MTc×16 所要13(臨時+3)
あずさ(17)(臨時+1)、かいじ(6)、アルプス(1)
 休
 松本7421036新宿11001339松本15261806新宿20002250松本(指定席グレードアップ車)
 松本11581436新宿15001745松本18492136新宿22402345青梅
 青梅612727新宿9001154松本12501536新宿‥東京16441953松本(指定席グレードアップ車)
 松本632940東京‥新宿13001548松本17172051千葉‥幕張(指定席グレードアップ車)
 幕張‥千葉6391023松本10471336新宿14001639松本19422237新宿23002350高尾(指定席グレードアップ車)
 高尾633736新宿8001051松本1226南小谷1331松本15421836新宿19002151松本(指定席グレードアップ車)
 長野8511322千葉1408成田空港1427千葉15171945長野(指定席グレードアップ車)
 休
 松本605927東京‥新宿10001325信濃大町1412南小谷1503信濃大町15551936新宿‥東京21442345甲府
 甲府9271106新宿11301311甲府1437松本1607甲府17241906新宿19302115甲府
 国府津‥小田原614735新宿/横浜754新宿8301015甲府1135松本1303甲府14271606新宿16301812甲府20272206新宿2350533白馬552南小谷
 南小谷711信濃大町7531136新宿12001449松本1615南小谷1650松本18192106新宿2135横浜/新宿21272251小田原‥国府津
 甲府812953新宿10301324松本14421736新宿18002053松本2145信濃大町2238南小谷2244信濃大町2332447新宿
 新宿7001033信濃大町1116南小谷1148信濃大町12451636新宿18302123松本
 千葉9101321松本15281830新宿

TcM'MM'MTc×3 所要2
あずさ(1)(臨時+1)、かいじ(4)(臨時+0.5)
 松本9121206新宿12301412甲府19382125新宿
 松本1400甲府15251705新宿17301917甲府(繁忙期はTcM'MM'MTsM'MTc)
 甲府707907新宿9301116甲府1208上諏訪1237甲府13281506新宿15301712甲府1829松本19092225新宿
 新宿640945松本1104甲府12271407新宿14301611甲府18582036新宿21002354松本(甲府までと繁忙期はTcM'MM'MTsM'MTc)

M'M×1 Ts×1

といった運用になりました。

183_h61_051008
H61編成 2005/10/8 新秋津

1992年の改正では特急「あずさ」用の車輌のグレードアップが開始され、また1993年下期からは183系1000番台、189系のM'の第2パンタグラフの撤去が行われました。

1993年3月4月に幕張電車区に255系が投入されると、余剰となった183系基本番台5両((モハユニット-11,12、サロ-19)が松本に転属し、長野の保留車(サロ189-1516)と共に特急「かいじ」用6両編成2本に組み込み、全19編成が9連となりました。

1993年9月10月には松本にE351系特急電車2本が投入され、12月23日に営業運転開始、1995年12月から翌年1月にかけて2次車が投入され、1996年3月16日のダイヤ改正では183/189系は9両編成15本体制となりました。捻出された車輌は廃車となりました。

1997年10月1日の北陸新幹線部分開業(高崎~長野)で、特急「あさま」は廃止され、グレードアップ車を含む189系の一部が松本に転属しました。この転属で玉突きで幕張区にMM'8ユニットが転属、幕張区の6両編成のMM'ユニットと置き換えました。こういった動きのあとで松本の183系は9両編成14本、内8本がグレードアップ編成となりました。

2001年5月には松本にE257系が投入され12月1日のダイヤ改正から営業運転を開始しました。余剰となった183/189系のグレードアップ車のうち、MM'ユニットは幕張区へ転属、8両編成のMM'ユニットと差し替えられました。さらに急行電車の置き換えに、新前橋へ6両3本、小山へ6両1本、田町へ10両1本、8両2本、6両2本、豊田へ6両1本がそれぞれ転属し、松本運転所における183/189系の配置はなくなりました

2003年度に田町区の183/189系編成の組換えが行われ、10両2本(H101,H102)、8両1本(H81)、6両1本(H61)、4両1本(H41)となりました。

2013年3月のダイヤ改正で田町区は廃止されたため、これらの車輌は大宮センター所属となりました。

183_h41_070330_2
H41編成 2007/3/30 大宮 この編成は2007年6月に廃車になりました。

今回は写真の編成が説明の文章で登場するのに時間がかかりましたが、今も大宮所属で活躍するこれらの編成が生き残った経緯が初めて理解できました。

編成の構成メンバーです。

H101編成
クハ183 モハ189-188 モハ189-188 モハ189-188 モハ189-188 クハ189
  1023           25                  26                 30                 34           513

H102編成
クハ189 モハ189-188 モハ189-188 モハ189-188 モハ189-188 クハ189
  509         19                  21                 38                 41            11
H81編成
クハ189 モハ183-182 モハ183-182 モハ183-182 クハ189
    508          1013             1020              1018            10
H61編成
クハ189 モハ183-182 モハ183-182 クハ189
  504     1044             1047              8
H41編成
クハ189 モハ183-182 クハ189
  502          1053           12

183系1000番台に関係する改造車は明日以降の後編で。

Wikipedia,鉄道ピクトリアル誌No.832の記事を参考に纏めました。

<2013/9/17追記>

H102編成は2013年8月29日に大宮から長野に回送され、中間のモハ4両を抜いたうえで10両から6両に再編し、9/1に豊田に回送されました。編成から抜かれたモハ189-19、モハ188-19、モハ189-21、モハ188-21の4両は廃車となった模様です。なお新6両編成は、豊田に転属となり、M52編成と名乗るようです。

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2013年6月22日 (土)

1975年 新潟の旅 13 その後の183/189系 その1 長野運転所

これまでの記事で183系基本番台、1000番台、189系の登場からそのメインの仕事の節目までを列車別に見て参りました。

183系1000番台と189系は現在も、JR東日本に数編成ですが在籍し、活躍を続けております。全盛期から、今日に至るまでそれぞれの編成がどういった経緯を経て生き残ってきたのか、今回から数回に渡って見て行こうと思います。

まず最初は長野運転所(現:長野総合車両センター、長ナノ)の車両です。

おさらいになりますが長野運転所の183/189系の歴史は1975年7月に特急「あさま」に運用されていた181系189系に置き換えた時から始まりました。

1975年の夏を前に65両が投入され、181系8両編成に替わって10両編成の189系が運用され始めました。さらに1975年12月には特急「あずさ」置き換え用にさらに37両が増備され、102両体制が1977年度まで続き、1978年、1979年には12両化、増発などで増備があり、158両体制で1982年11月を迎えました。

1982年11月上越新幹線が開業し、新潟上沼垂に配置され、それまで特急「とき」に活躍していた183系1000番台が長野にも転属し、さらに485系からの改造車も加わり、「あさま」の増発に対応しました。その結果、257両体制となりました。

1985年3月のダイヤ改正では田町区で「あまぎ」「踊り子」「白根」などに活躍した183系1000番台が転入し、「あさま」の増発、編成体制の見直しが行われ、1985年度末には318両体制となりました。このときがピークで、1986年11月の改正で特急「あずさ」の担当を松本運転所に移管、183系1000番台が転出し、167両体制に、その後170両前後で推移しました。この間に1990年から高速バスとの対抗措置として指定席車両のグレードアップが実施され、11両編成7本が外部塗装の変更、座席部分の床を170mm嵩上げしてセミハイデッキ化、窓を100mm上方へ拡大、内窓キセをFRP製に変更、座席の交換 などが行われました(N201~N207編成)。

1997年10月1日の北陸新幹線・高崎-長野間の開業で信越本線横川~軽井沢間は1893年4月以来、104年間の鉄道の歴史の幕を降ろし、在来線特急「あさま」は廃止され、長野総合車輌所に配置されていた189系は一気に余剰となりました。

このときに、長野所属のままで「あずさ」塗色に変更、TcT’cの方向転換を行ってグレードアップ車11両編成を5編成再組成したほか、長野~直江津のローカル輸送「信越リレー妙向」、および波動用に6両編成が4本組成されました。実はこのとき行われたTcT'cの方向転換が2013年5月18日の記事で書いたH81編成のモハユニットとクハの関係が逆転していることに関係あるようですね。

2001年5月にE257系が松本運転所に投入され、12月1日のダイヤ改正から「あずさ」に使用され始めると、長野のグレードアップ編成は幕張電車区に転属や廃車が進み、波動用6両編成4本が残されました。このうちの1本は2005年8月に廃車となり、残った3本が今日も波動用に、活躍するN101~N103編成です。

189_n101_100718
快速「妙向」の運用に就くN101編成 2010/7/18 直江津 N101編成はリバイバル「あさま」運行のため、オリジナル特急色になっています。また偶数向きクハの飾り帯の位置が低いのもこの編成の特徴ですね。

183_n101_100717_1
N101編成 奇数向きクハ側 2010/7/17 直江津

N101~N103編成は、現在は普通・快速「妙高」、快速「おはようライナー」などで運用されています。
過去には、特急「みのり」で新潟駅までの運用実績もありました。N101編成は制御車に房総・総武特急で使用後、「あずさ」で運用されていたクハ183-1525・1528が組み込まれています。

183_n101_1831528_100717
         189系編成に183系のクハ、プチ違和感を感じなくもないのですが・・・

これは臨時特急「はまかいじ」を当センターで担当することになった際、京浜東北線・根岸線へ乗り入れることからATC-6形搭載の必要があったためで、元々東京地下駅乗り入れ用にATC機器室を装備していた同番台車が松本車両センターから転入したものです。臨時列車では、快速「ムーンライト信州」、特急「あずさ」などに使用されることが多く、豊田車両センター配置のあずさ色189系(M50編成)の検査時には「ホリデー快速富士山」の代走もあります。団体臨時列車に使用されることもあり、それらをあわせて頻繁に首都圏まで運用されています。

189_n102_130518_2
武蔵野線南流山を通過するN102編成 2013/5/18

183/189系の転用の歴史を振り返るときに転属先の運用に合わせた改造の歴史も忘れてはいけません。

1)サロ189形50番台 
1978年頃は国鉄の財政難で車両の新製は極力抑制されたため、特急「あさま」の増発にあたって、グリーン車は新製されずに、余剰気味だった485系のサロから改造で対応することになり、行われた改造です。CPの設置と横軽対策の施工以外は改造前と大きな変更はありません。1989年に全車がサハ481形300番台に格下げ改造のうえ勝田電車区へ転出しました。その後、E653系の投入に伴い2000年までに全車が廃車されています。

2)189系1500番台
1982年から1985年にかけて、上越新幹線開通で廃止になった「とき」に使用されていた183系1000番台に協調運転に関わる装備を追設したものです。183系1000番台は製造当初より横軽協調運転機能追設が考慮されていたため、引き通し線の追設と主制御器の交換のみで新製車との外観上の違いはほとんどありません。0番台の持つ側窓の開閉機構は備えられていません。クハ189-1516のみがグレードアップ改造され、最終的に幕張車両センターのC2編成に組み込まれていましたが、2009年に廃車されたことでこのグループは区分消滅しました。

189_c2_070102
既に鬼籍に入ってしまった幕張区のC2編成 グレードアップされた反対側の先頭車がクハ189-1516 2007/1/2 西荻窪

3)モハ189形・モハ188形500番台
1982年と1983年に施工された485系電動車ユニットの189系化改造による区分です。主な改造内容は交流関連機器の撤去ですが、車体は0番台に準じた構体へ新規載せ換えとしたため、他の485系編入改造車とは異なり外観上では0番台車とほとんど区別がつきませんでした。 501ユニットはグレードアップ車に改造されました。

4)クハ188形
1986年サハ481形100番台にクハ189形に準じた運転台を取付けて先頭車化改造した形式です。クハ189形とは異なり、直江津方が100番台、上野方が600番台に区分されました。先頭車改造と同時に種車にあった車内準備室を撤去したため、定員もクハ189形と同じ56名です。N103編成の両端先頭車として102・602の2両が在籍します。

189_n103_100719
N103編成 この編成の両側先頭車はサロ481-100形由来のクハ188形のため後位にステップが残っているのが特徴です。 2010/7/19 直江津

今回登場した編成の構成メンバーです。

長野総合車輌センター
              Tc            M         M'        M          M'       T'c
N101編成    183-1525  189-28 188-28  189-37  188-37 183-1528
N102編成    189-9       189-32 188-32  189-40  188-40 189-510
N103編成    188-102    189-33 188-33  189-39  188-39 188-602

幕張電車区
        Tc          M          M'         M          M'      T's           M         M'       T'c
C2編成   189-1516 189-51  188-51  189-23  188-23 189-112  189-50  189-50  189-1 
             (2009年4月廃車)  

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2013年6月21日 (金)

1975年 新潟の旅 12 183系基本番台 「そよかぜ」「新雪」

183系基本番台を使用した定期特急は昨日までの記事ですべて紹介しましたが、上信越方面の季節列車として使用された例として「そよかぜ」や「新雪」があります。

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西日暮里付近を通過する幕張区の183系による特急「そよかぜ51号」

Wikipediaによれば幕張電車区の183系が「そよかぜ」や「新雪」といった季節特急に使用されたのは「あずさ」に本格的に使用され始めた1973年10月以降だったそうです。1975年10月からは2013年6月14日の記事で触れましたように「あさま」の189系化に伴って「そよかぜ」も189系化されているので、183系の「そよかぜ」は1974年と1975年の二シーズンだけだったのでしょうか。

さらに幕張区の183系は通常6M3Tの9両編成で運用されており、碓氷峠通過はEF63重連に推進、もしくは抑速されての無動運転となりますから、新性能電車の両数制限8両を考慮すると編成の変更、減車の問題があったと思います。

そこで、実際にどうだったのか調べてみました。

1)うさぴょんのマル鉄回顧録における記述によりますと

元々157系が1シーズン使われた後、181系オンリーだった「そよかぜ」ですが、信越本線の181系撤退に伴って、幕張区の183系0番代が使用されるようになったようです。当時はまだ189系の両数が揃っていなかったための措置と思われますが、横軽非協調である183系0番代では8両以下に編成が制限されてしまうため、クハ+モハ+モハ+サロ+モハ+モハ+クハの7両編成に組み替えられて使用されていたようです。

2)芸文社のサイトにおける183系「そよかぜ」の記事によりますと

昭和48(1973)年に房総特急用183系0番代が、通常の編成からモハユニットを1つ抜き、グリーン車を増結し2両とした編成で、「そよかぜ」に投入された。 183系0番代は検査等による編成換えがあったにせよ、基本的な9両編成を崩すことはなかったが、グリーン車需要の高い信越線特急ならではのグリーン車2両連結は、「そよかぜ」のみで見られた編成である。

とのことで、サロの位置、両数等いろいろな情報が出て参りました。さらに1973年のシーズンから183系による特急「そよかぜ」は運転されていたようです。 

183_51_1
尾久もしくは東大宮から上野に回送される特急「そよかぜ」編成 西日暮里

私が撮影したこの冒頭写真の回送シーンでは編成両数の確認は難しいですが、後ろから2両目にサロの連結が確認できるので、サロの位置はいつも通り、3両目はサロには見えないので、単純に1ユニット抜きの4M3Tの7両編成ではなかったかと思われます。碓氷峠通過の場合、安定性を考慮して重い電動車を出来るだけ山麓側に連結していたと思いますので、サロの位置はそのままだったのではないでしょうか。

幕張区の車輌の配置と使用状況をもう一度見てみると
1972年7月~1973年9月 11本配置 10本使用
1973年10月~1975年2月 14本配置 13本使用 MM'x1 Tcx2 Tsx1
1975年3月~1982年10月 19本配置 16本使用

といった車輌状況だったようです。

もちろん、列車、シーズンによって編成の構成がちがった可能性も考えられます。

さて、夏から秋の「そよかぜ」に対して冬の季節列車の定番だったのが、上野から石打、長岡方面に向かった特急「新雪」でした。181系489系で運転されることもありましたが、私も偶然1回だけ上野駅で遭遇しました。

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1981年2月28日上野駅で偶然見かけた 183系 特急「新雪」 

1978年以降なのでHMは絵入りのものでしたが、色と灰色と黒を組み合わせたモノトーンの洒落たHMを掲出していました。

183系基本番台の場合、登場以来、6M3Tの9連で運用され続け、1982年11月の改正で「すいごう」が登場した際に初めて、モノクラスの4M2T編成が登場し、さらに1985年3月以降は4M2T編成にTcMM'かMM'Tcを増結する運用形態が採られるようになり、初めて貫通扉が威力を発揮するようになりました。と同時に、こういった編成を組成するためにクハの両渡り化改造工事も施行されました。

1986年11月に特急「あずさ」の運用から撤退した後、サロ183-1, 5, 8, 11, 15, 16, 17, 18がサロ110-300番台に改造されています。

さらに1993年にモハ183+モハ182-1・2・11・12とサロ183-19が松本運転所(現・松本車両センター)に転属したことがある以外は幕張からの移動もなく、老朽化に伴って他系列への置き換えが進められた結果、2006年をもって全車廃車となり、区分消滅しました。

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2013年6月20日 (木)

1975年 新潟の旅 12 183系基本番台 「あやめ」「すいごう」

183系基本番台を使用した特急、今回は昨日の「しおさい」と同じ時期にデビューした「あやめ」と1982年11月の改正でデビューした「すいごう」です。

183
デビューした頃の183系 特急「あやめ」 千葉 

カメラをもった豆鉄道ファンの坊やも今じゃすっかりおじさんかも知れません。車体についている白いものは順法闘争の跡かも知れません。

正直言って、特急「あやめ」が1975年3月のダイヤ改正でデビューした際、一体どこをどう走っている列車なのかと感じました。今でこそ、成田線で蒸気機関車などの運転もあり、訪問する機会も増えましたが、当時は成田線を地図で見ても、成田を中心に3方向から集まる線路構成で、非常にわかりにくく感じておりました。また鹿島神宮までの開業も1970年だったことを今回初めて知りました。

まずは例によって成田線関連の列車の歴史を見てみましょう。

1933年 - 1935年:5月・6月の日曜日に新緑列車として「水郷めぐり号」が両国駅 - 佐原駅を往復1人3円で運行されました。

1954年 - 終了日不明:水郷の釣り客を対象にした「銀麟号」が3 - 4月の日曜・休日に上野駅 - 水郷駅(常磐線我孫子駅経由)、両国駅 - 水郷駅間で運行されました。

1955年1月1日キハ10系を使用した臨時快速「成田号」が新宿駅 - 成田駅で7往復運行されました。

1955年4月17日:休日に臨時快速「房総の休日号」が新宿駅 - 成田駅 - 佐原駅 - 銚子電気鉄道外川駅間で運行されました。

1961年10月1日:準急「房総(犬吠)」の千葉駅以西増解結を解消。総武本線方面へ向かう列車を分離し、新宿駅・両国駅 - 銚子駅(総武本線成東駅経由)間を結ぶ準急「総武」を運行。成田線初の優等列車として佐倉駅で「総武」に分割併合する佐原駅始発・終着の臨時準急2往復の運行を開始。

1962年4月16日:佐原駅始発・終着の臨時準急を定期列車化。
10月1日:「総武」の列車名称を変更。佐倉駅以東総武本線経由の列車を「犬吠」とし、成田線経由列車を「水郷」としました。小見川駅始発・終着列車を2往復増発。

1966年3月5日:「水郷」を急行列車に昇格。

1970年10月1日鹿島線香取駅 - 鹿島神宮駅開業により、「水郷」5往復に鹿島神宮駅始発・終着列車を併結開始(佐原駅で増解結し、佐原駅 - 鹿島神宮駅間は普通列車として運行)。

1972年7月15日:「水郷」の鹿島神宮駅始発・終着の4往復を急行とし、「犬吠」と併結していた2往復をそれぞれ単独運行としました。

1975年3月10日:成田線成田駅以東の電化によるダイヤ改正により、東京駅 - 鹿島神宮駅間に、エル特急「あやめ」を4往復設定。「あやめ」の補完列車として新宿駅・両国駅 - 鹿島神宮駅間に急行列車「鹿島」を2往復(うち1往復は季節列車)を設定。急行「水郷」を電車化。両国駅 - 銚子駅間2往復の運行となりました。 急行列車は、153系または165系7両編成で運行。

1982年11月15日:ダイヤ改正により、急行「鹿島」1往復を特急「あやめ」に格上げ。「あやめ」は5往復となり、新宿駅・両国駅始発・終着列車が設定される。両国駅 - 佐原駅 - 銚子駅間の急行「水郷」を特急「すいごう」に格上げ。183系電車6両編成(グリーン車なし)で運行。

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新宿発着の183系特急「あやめ」 1983/2/26 市ヶ谷

1985年3月14日:ダイヤ改正により「すいごう」の上り列車1本を東京駅終着に変更。また、佐原駅 - 銚子駅間を普通列車に変更。「あやめ」の佐原駅 - 鹿島神宮駅間を普通列車に変更し、グリーン車の連結を中止、普通車のみの6両編成に短縮。

1986年:「すいごう」の下り列車1本の始発駅を東京駅に変更。

1988年3月13日:「すいごう」「あやめ」の両国駅始発・終着列車を廃止。「すいごう」は全列車東京駅始発・終着に変更。これにより、両国駅始発・終着の総武本線系統列車は消滅。

1991年3月19日:特急「成田エクスプレス」の運行開始に伴いスピードアップ。東京駅 - 佐原駅間の最速所要時間は、88分から80分に短縮されました。

1993年7月2日:利用客の減少により、以下のように変更。日中の「あやめ」2往復および「すいごう」1往復を廃止。これにより「あやめ」の新宿駅始発・終着列車の運行は終了し、「あやめ」は3往復、「すいごう」は1往復となりました。代替として、「エアポート成田」併結の快速列車を2往復設定。

1994年12月3日:「あやめ」2往復を廃止、1往復のみの運行となり、エル特急の指定が解除されました。

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東京地下駅にて183系特急「あやめ」 1979/5/19

2005年12月10日:ダイヤ改正により、「あやめ」1号を成田行きに変更し、土曜・休日運休とする。成田線経由東京駅→銚子駅間に、下り列車を1本増発(東京駅 - 佐倉駅間は「しおさい」15号と併結)。「あやめ」全列車をE257系500番台の運行とし、全車禁煙化。

2009年3月14日:ダイヤ改正により、「あやめ」1号の運行区間を東京駅 - 佐倉駅間に短縮して「しおさい」に統合。「あやめ」5号(旧7号)を5両編成に減車。

「すいごう」という名前の特急が走っているのは知っておりましたが、結局、狙って撮影しなかったため、撮り損なってしまいました。比較的近くを走っている特急といえども、きちんととっていないと撮り逃がしてしまうことがよくあるものです。

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2013年6月19日 (水)

1975年 新潟の旅 12 183系基本番台 「しおさい」

183系基本番台が使用された特急のシリーズ、房総特急に遅れること3年、1975年3月の改正からは「しおさい」「あやめ」に投入され、1982年11月からは「すいごう」にも投入されました。今回は「しおさい」について触れようと思います。

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1974年以降製造のクハによる183系 特急「しおさい」 錦糸町

1972年7月183系電車9両編成11本が新設の幕張電車区に配属され、房総特急の運用が開始されました。それまでの特急車輌の運用開始は、東海道特急は田町区の20系8両編成3本でスタート北陸特急は向日町区の481系11連3本でスタート東北特急は仙台運転所の483系10両編成3本でスタート山陽・九州の昼夜兼行特急も南福岡運転所の581系12連3本でスタート気動車特急でも「はつかり」は尾久のキハ81系9両編成2本でスタートと新形式の特急車両の運用開始にしてはいきなり大規模のスタートでした。

いつものように総武本線の列車の歴史を見てみましょう。

1958年7月10日:両国駅 - 銚子駅間に初の優等列車として準急列車「犬吠」が運転開始。車両は普通列車に運用されているキハ25形を使用。

(わかしおの記事でも出てきましたが)
 11月10日:両国駅 - 千葉駅間で房総東線(現在の外房線)経由安房鴨川行と房総西線(現在の内房線)経由館山行を併結した3階建て列車となり、列車名を「房総」に改めました。ただし、誤乗を防ぐ観点から銚子駅方面の列車には「房総(犬吠)」のように列車名のあとに括弧書きが入っていました。

1959年7月1日:「房総」を「京葉」に改称(括弧付けは継続)。総武本線・房総東線・房総西線の臨時準急列車を2往復増発し、新たに「房総」とする。新設された「房総」は新宿駅 - 銚子駅・(房総東線・房総西線経由)新宿駅・(房総西線・房総東線経由)新宿駅間準急列車(3層建て列車かつ循環列車)の名称となりました。系統別の括弧書きも踏襲しました。

1960年4月25日:「房総」が定期列車に格上げ。
11月21日:「京葉」を1往復増発。しかし増発分に関しては併結運転を実施するにも関わらずすべての方面へ向かう列車が、下りは「京葉1号」、上りは「京葉2号」と名乗りました。

1961年10月1日:「房総」の千葉駅以西での併結運転を中止。総武本線方面へ向かう列車を分離し、新宿駅・両国駅 - 銚子駅間に準急「総武」が運転開始。あわせて佐倉駅で分割併合する佐原駅発着の臨時準急を運転。成田線初の優等列車でもありました。「京葉」の括弧付け名称を2往復ともに廃止し、発車順にすべての方面へ向かう列車が「京葉1号」「京葉2号」となりました(上下それぞれに「京葉1号」が存在)。

1962年10月1日:準急は房総東・西線系統と総武本線系統の千葉駅以西での併結運転を中止。列車名の整理を行い、佐倉駅以東総武本線経由の準急は「犬吠」とし、「犬吠」は4往復の体制となる。なお、同年4月16日に定期列車化した成田線方面の準急は「水郷」と命名されました。

1963年10月1日:「犬吠」の2往復にキロ28形を連結。

1966年3月5日:走行距離が100kmを越える準急列車をすべて急行に格上げしたことで「犬吠」は急行列車に昇格。

1970年10月1日:「犬吠」は7往復体制となり、車両もキハ58系に揃えられました。

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キハ58もしくはキハ28で構成された編成で錦糸町に入線する急行「犬吠」 1974/9

1975年3月10日:総武本線の全線電化によるダイヤ改正により、急行「犬吠」を特急列車化し、「しおさい」として東京駅 - 銚子駅間で運転開始。5往復設定された。 車両は183系電車であったが、速度は急行「犬吠」より大幅に向上した訳でないのに料金値上げになったため、当初評判はあまり良くありませんでした。「犬吠」2往復が153系・165系に置き換えられました。

←東京、松本
TcTsM'MM'MM'MTc×19 所要16
わかしお(9)、さざなみ(9)、しおさい(5)、あやめ(4)、あずさ(5)
 津田沼‥東京730928館山10101209東京12301438千倉14571709東京‥津田沼
 津田沼‥東京14301637館山16571909東京19302128館山
 館山710909東京9301132館山12101409東京15301732館山18102009東京‥津田沼
 津田沼‥東京8301037千倉10571309東京13301532館山16101809東京‥津田沼
 津田沼‥東京700916安房鴨川10241239東京13001516安房鴨川16241839東京19002116安房鴨川
 安房鴨川724939東京10001216安房鴨川13241539東京16301832館山19102109東京‥津田沼
 津田沼‥東京8001017安房鴨川11241339東京14001616安房鴨川18242039東京‥津田沼
 津田沼‥東京9001116安房鴨川12241439東京16001816安房鴨川
 安房鴨川9241139東京12001416安房鴨川15241739東京‥津田沼
 津田沼‥東京715914銚子11281324東京13451541銚子16281824東京18452041銚子
 銚子758954東京10451244銚子13281524東京15451744銚子18282024東京‥津田沼
 津田沼‥東京645835鹿島神宮10351224東京12451432鹿島神宮15351724東京‥津田沼
 津田沼‥東京9451137鹿島神宮12351424東京16451832鹿島神宮19352124東京‥津田沼
 休
 津田沼‥新宿8001146松本1251白馬1423松本15401920新宿20002154甲府
 甲府735926新宿10001346松本14401820新宿19002246松本
 松本8001130新宿13001646松本17152052新宿‥津田沼
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市川を通過する絵入りHMの183系特急「しおさい」 1982/1/30

1982年11月15日
急行「犬吠」を廃止し、「しおさい」を増発。千葉鉄道管理局管轄各線から急行列車消滅。「しおさい」の新宿駅終着列車を設定。

←東京、松本
TcTsM'MM'MM'MTc×24 所要20
わかしお(12)、さざなみ(12)、しおさい(7)、あやめ(5)、あずさ(3)
 休
 津田沼‥東京645835鹿島神宮10351224東京12451433鹿島神宮15341721両国19182104鹿島神宮‥北鹿島
 北鹿島‥鹿島神宮800954東京19452145銚子
 銚子9251124東京11451346銚子14221624東京16451833鹿島神宮19352124東京‥津田沼
 津田沼‥東京9451136鹿島神宮12351438新宿‥津田沼
 津田沼‥東京700919安房鴨川10201239東京13001519安房鴨川16201839東京19002116安房鴨川
 安房鴨川720939東京10001219安房鴨川13201539東京16001819安房鴨川
 安房鴨川8201039東京11001319安房鴨川14201639東京‥津田沼
 津田沼‥東京12001419安房鴨川15201739東京18002019安房鴨川
 安房鴨川9201139東京12301433館山16051805両国‥津田沼
 津田沼‥東京630835館山9031109東京11301341千倉14541709東京17301935館山
 館山8031009東京10301235館山14031609東京‥津田沼
 津田沼‥東京715912銚子11241323東京13451545銚子16241824東京18452043銚子
 銚子8251024東京10451245銚子13251524東京15451743銚子18252038新宿‥津田沼
 津田沼‥東京8301041千倉11541408東京14301634館山18042009東京‥津田沼
 津田沼‥東京8001019安房鴨川11201339東京14001619安房鴨川17211939東京‥津田沼
 津田沼‥東京730934館山10041208東京13301542千倉16551909東京19302132館山
 館山705909東京9301131館山13031507東京15301733館山19072123新宿‥津田沼
 津田沼‥東京9001119安房鴨川12201439東京15001719安房鴨川18202100新宿‥津田沼
 津田沼‥新宿7001210南小谷13061825新宿19002243松本
 松本9471325新宿14001742松本18172145新宿‥津田沼

165_820211
この年11月のダイヤ改正で廃止された165系急行「犬吠」 1982/2/11  飯田橋

1985年3月14日:「しおさい」に両国駅発着を1往復設定。編成の見直しも行なわれ、通常期・多客期で編成の増減を行なうようになりました。183系登場後、13年にして初めて、貫通扉を使用した編成の解結が行われました。

←東京
TcTsM'MM'MM'MTc×9 所要7
わかしお(5)、さざなみ(8)、しおさい(3)
 休
 津田沼‥東京700912安房鴨川10211237東京13001512安房鴨川16231838東京19002112安房鴨川
 安房鴨川721938東京10001214安房鴨川13211539東京16001816安房鴨川
 安房鴨川9211136東京12301430館山16051807東京18452036銚子
 銚子8271023東京10451243銚子13271522東京15451739銚子18262038新宿21082148津田沼
 津田沼‥東京630830館山9051108東京11301341千倉14521708東京17301935館山
 館山705909東京9301130館山13061507東京15301730館山19052109東京21302159津田沼
 津田沼‥東京8301041千倉11501407東京14301634館山18102009東京‥津田沼

TcM'MM'MTc×9 所要7(臨時+1)
わかしお(4)、しおさい(4)、あやめ(5)(臨時+1)、すいごう(2)
 津田沼831903東京9151131安房鴨川12231438東京15001712安房鴨川18212038東京21002131津田沼
 津田沼‥東京8001016安房鴨川11181336東京14001616安房鴨川17221936東京‥津田沼
 津田沼‥東京715910銚子11271323東京13451543銚子16241819両国19482140銚子
 銚子9261122東京11451345銚子14261622東京‥津田沼
 津田沼‥東京645816佐原840鹿島神宮1023佐原10511222東京12451414佐原1439鹿島神宮1527佐原15521719両国19182045佐原2114鹿島神宮‥北鹿島
 北鹿島‥鹿島神宮742佐原821952東京‥両国14461617佐原1711銚子1723佐原18151945両国20372207佐原2257銚子
 銚子649佐原749927東京9451117佐原1143鹿島神宮1226佐原12521437新宿‥東京16451815佐原1839鹿島神宮1922佐原19522123東京‥津田沼
 東京8511032佐原1101鹿島神宮1345佐原14151549東京

TcM'M/M'MTc×6 所要4
わかしお(付属4)、しおさい(付属4)
 津田沼831903東京9151131安房鴨川12231438東京15001712安房鴨川18212038東京21002131津田沼
 津田沼‥東京8001016安房鴨川11181336東京14001616安房鴨川17221936東京‥津田沼
 津田沼‥東京715910銚子11271323東京13451543銚子16241819両国19482140銚子
 銚子9261122東京11451345銚子14261622東京‥津田沼

Ts×11

1994年12月3日:「しおさい」のグリーン車連結を中止。6M2T

1998年12月8日:成東駅 - 銚子駅間を普通列車として運転する列車を設定。

2002年12月1日:通勤時間帯に「おはようしおさい」「ホームタウンしおさい」の運転を開始。エル特急の呼称を廃止。

2004年10月16日:「おはようしおさい」「ホームタウンしおさい」の愛称を「しおさい」に統一。

2005年12月10日:「しおさい」全列車を255系とE257系500番台での運転に変更(255系5往復、E257系3往復)。全車禁煙化。255系運転列車ではグリーン車の設定が復活。午前中の東京行2本を統合し、上り1本を廃止。日中は、ほぼ2時間おきになるようにダイヤが組みなおされました。

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2013年6月18日 (火)

1975年 新潟の旅 12 183系基本番台 「あずさ」

183系基本番台1972年7月に「さざなみ」「わかしお」でデビューし、1973年10月から「あずさ」に投入されています。

183
新宿で出発を待つ幕張区の183系 今では信じられない新宿駅に貨車が並ぶ風景

ただ、1972年10月2日のダイヤ改正で「あずさ」が2往復増発された際に大ムコの181系の改造が間に合わなかったため、183系が代走で11月末までの2ヶ月間「あずさ」で活躍したそうです。このとき、あずさ下り6号、上り1号は甲府止まりで9両の内4両が自由席車でしたが、下り3、上り4号は新宿~松本間の列車で全車指定席となりました。183系の歴史において、定期で唯一、全車指定席で運転されたのはこの2ヶ月の代走期間のみだったそうです。

千マリ 183系 9連 1972.10.2~

←東京、松本
TcTsM'MM'MM'MTc×11 所要10
わかしお(7.5)、さざなみ(7)、あずさ(2)
 津田沼‥東京10301239千倉14571704東京17301944千倉‥館山
 館山‥千倉8201033東京‥新宿12221431館山17411953新宿‥津田沼
 津田沼‥新宿715942安房鴨川15451753東京19302128館山
 館山713909東京9351124館山13111503東京15301723館山18112004東京‥津田沼
 津田沼‥東京9001103安房鴨川12221420東京15001703安房鴨川18232025東京‥津田沼
 津田沼‥新宿7421033千倉16271839東京19002108安房鴨川
 安房鴨川719924東京10001213安房鴨川14081615東京17001909安房鴨川21312212館山
 館山719808安房鴨川7241055東京12031418安房鴨川/東京13401554安房鴨川17081919東京‥津田沼
 津田沼‥新宿10001343松本14401819新宿20002152甲府
 甲府735926新宿‥津田沼

1973年10月1日のダイヤ改正から、本格的に183系が「あずさ」の運用を担当するようになり、10往復中、5往復が長野の181系、5往復が幕張の183系となりました。

←東京、松本
TcTsM'MM'MM'MTc×14 所要13
わかしお(8.5)(臨時+0.5)、さざなみ(8)(臨時+0.5)、あずさ(5)
 津田沼‥東京10301239千倉14571704東京17301944千倉‥館山
 館山‥千倉8201033東京‥新宿12221431館山17411953新宿‥津田沼
 津田沼‥新宿715942安房鴨川15451753東京19302128館山
 館山713909東京9351124館山13111503東京15301723館山18112004東京‥津田沼
 津田沼‥東京9001103安房鴨川12221420東京15001703安房鴨川18232025東京‥津田沼
 津田沼‥新宿7421033千倉16271839東京19002108安房鴨川
 安房鴨川719924東京10001213安房鴨川14081615東京17001909安房鴨川21312212館山
 館山719808安房鴨川7241055東京12031418安房鴨川/東京13401554安房鴨川17081919東京‥津田沼
 津田沼‥東京8081005館山/東京14141609館山18482055新宿‥津田沼
 津田沼‥東京8381049安房鴨川/東京16021817安房鴨川18512110新宿‥津田沼
 津田沼‥新宿8001145松本1249白馬1412松本15401920新宿20002154甲府
 甲府735926新宿10001345松本14401820新宿19002246松本
 松本8001130新宿13001646松本17162052新宿‥津田沼

M'M×1 Tc×2 Ts×1

1832
新宿を出発する183系 特急「あずさ」

房総特急としては些か力を持て余し気味の6M3Tの9連にとって中央線の特急「あずさ」の担当はまさに持てる力をフルに発揮できる仕事であったようです。

183_770923_2
甲府で出発待ちをする183系 特急「あずさ」 1977/9/23 今の特急「かいじ」に該当する運用

1982年11月15日のダイヤ改正で上越新幹線の開業、特急「とき」の廃止で、新潟から183系1000番台が大量に転属し、「あずさ」の運用に投入されると幕張区の基本番台による「あずさ」の運用は3往復になりました。この改正の前には183系1000番台の転属に伴う改造等のため、183系基本番台は「とき」の代走も担当しています。

←東京、松本
TcTsM'MM'MM'MTc×24 所要20
わかしお(12)、さざなみ(12)、しおさい(7)、あやめ(5)、あずさ(3)
 休
 津田沼‥東京645835鹿島神宮10351224東京12451433鹿島神宮15341721両国19182104鹿島神宮‥北鹿島
 北鹿島‥鹿島神宮800954東京19452145銚子
 銚子9251124東京11451346銚子14221624東京16451833鹿島神宮19352124東京‥津田沼
 津田沼‥東京9451136鹿島神宮12351438新宿‥津田沼
 津田沼‥東京700919安房鴨川10201239東京13001519安房鴨川16201839東京19002116安房鴨川
 安房鴨川720939東京10001219安房鴨川13201539東京16001819安房鴨川
 安房鴨川8201039東京11001319安房鴨川14201639東京‥津田沼
 津田沼‥東京12001419安房鴨川15201739東京18002019安房鴨川
 安房鴨川9201139東京12301433館山16051805両国‥津田沼
 津田沼‥東京630835館山9031109東京11301341千倉14541709東京17301935館山
 館山8031009東京10301235館山14031609東京‥津田沼
 津田沼‥東京715912銚子11241323東京13451545銚子16241824東京18452043銚子
 銚子8251024東京10451245銚子13251524東京15451743銚子18252038新宿‥津田沼
 津田沼‥東京8301041千倉11541408東京14301634館山18042009東京‥津田沼
 津田沼‥東京8001019安房鴨川11201339東京14001619安房鴨川17211939東京‥津田沼
 津田沼‥東京730934館山10041208東京13301542千倉16551909東京19302132館山
 館山705909東京9301131館山13031507東京15301733館山19072123新宿‥津田沼
 津田沼‥東京9001119安房鴨川12201439東京15001719安房鴨川18202100新宿‥津田沼
 津田沼‥新宿7001210南小谷13061825新宿19002243松本
 松本9471325新宿14001742松本18172145新宿‥津田沼

TcM'MM'MTc×2 所要1
すいごう(2)
 銚子703922両国14451700銚子17321951両国20172231銚子

M'M×1 Ts×2

183_2
1978年のダイヤ改正で絵入りのHMが登場した特急「あずさ」 阿佐ヶ谷

1985年3月14日の改正で「あずさ」の定期運用から幕張車は撤退しました。しかし、その後も臨時特急として「あずさ」「かいじ」にしばしば投入されたようです。

鉄道ピクトリアル誌No832 の記事と183系の動き 配置および編成・運用の移り変わり 幕張  のデータを参考に纏めました。

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2013年6月17日 (月)

1975年 新潟の旅 12 183系基本番台 「わかしお」

183系基本番台を使用した特急列車、今回は「わかしお」です。

183
183系 特急「わかしお」 錦糸町

まずは、外房線の列車の歴史から見てみましょう。

昨日の「さざなみ」と同様に、外房線(当時の房総西線にも戦前から優等列車は設定されており、1935年 - 1940年の間、海水浴客などの利用を見込んで、臨時の快速列車(旧称:準急列車)には「」(うしお)などの列車愛称が付けられていたことがあったようです。

1952年 - 1954年:夏季臨時快速「黒潮」を新宿駅 - 安房鴨川駅間で休日のみ運転開始しました。

1958年11月10日:準急「犬吠」に、房総東線経由安房鴨川行き、房総西線経由館山行きの車両を併結し、多層建て列車になりました。同時に列車名を「房総」に変更。 しかし、誤乗を防ぐ観点から銚子行きの車両には「房総(犬吠)」、安房鴨川行きの車両には「房総(外房)」、館山行きの車両には「房総(内房)」と、列車名の後に各列車の系統を表す括弧書きが行われました。

1959年7月1日:「房総」を「京葉」に改称(括弧付けは継続)。総武本線・房総東線・房総西線の臨時準急列車を2往復増発し、新たに「房総」とし、新宿駅 - 銚子駅・(房総東線・房総西線経由)新宿駅・(房総西線・房総東線経由)新宿駅間準急列車(3層建て列車かつ循環列車)で運転。系統別の括弧書きも踏襲しました。 その運行系統は、2往復とも新宿駅を9両編成で発車し、千葉駅で3方向へ向かう列車に分割し、房総東線 - 房総西線経由の「房総(外房)」・房総東線 - 房総西線経由「房総(内房)」それぞれが房総半島を一周(途中ですれ違う)した後、千葉駅で再び銚子駅から来た上りの「房総(犬吠)」ともに3列車を併結して新宿駅へ戻るものでした。

1960年4月25日:「房総」を定期列車化。 夏季臨時列車として準急「千鳥」を新宿 - 安房鴨川間(下り1本)で運転。

1962年10月1日:準急は房総東・西線系統と総武本線系統の千葉駅以西での併結運転を中止。「房総」「京葉」の愛称を、房総東線系統列車は「外房」(がいぼう)、房総西線系統列車は「内房」(ないぼう)と改める。「外房」は4往復運転に。 「房総」の流れを引き継ぐ循環列車系統に関しては、両線の境となる安房鴨川駅で「外房」と「内房」の愛称を切り替えていました。

1963年4月28日:房総夏ダイヤの臨時準急の名称を房総西線は「黒潮」に統合する(下り4本、上り3本運転)。うち1往復には定期列車に先立ちキロ28形を連結。
10月1日:両国駅 - 安房鴨川駅間にキハ58系を使用して全車座席指定席の準急列車を新設。自由席のみの編成であった「外房」と区別をする必要があったため「くろしお」と名付けられる。キロ28形を「くろしお」と「外房」1往復に連結。 両国駅 - 千葉駅間では、同じ内容で房総西線に新設された両国駅 - 館山駅間運転の「さざなみ」と併結運転しました。

1964年:房総夏ダイヤの臨時準急の名称を再改称し「清澄」としました(3往復運転)。

1965年10月1日:「くろしお」に自由席を連結し、「外房」に統合。この時「外房」の読みを「そとぼう」に改めました。

1969年7月11日:房総西線 木更津駅 - 千倉駅間の電化により、「うち房」が電車化。「そと房」との千葉駅以西での併結運転と循環運転は廃止。

1972年7月15日:総武本線東京駅乗り入れ(総武快速線開業)と房総東線蘇我駅 - 安房鴨川駅間の電化により、.特急「わかしお」を東京駅 - 安房鴨川駅間で運転開始。総武本線・外房線経由とし、下り6本、上り5本(このほか季節列車3往復、そのうち1往復は八王子駅発着)設定。 下り「わかしお」9号は安房鴨川駅到着後、翌朝の上り「わかしお」2号となるまで、夜間留置のために館山駅まで往復することとなったが、これを回送列車ではなく普通列車として使用した。これが特急用車両の普通列車運用の初めとなりました。

1982年11月15日:「外房」など房総地区の急行列車を廃止し、「わかしお」に統合。新宿着・両国発着列車を設定。

1985年3月14日:新宿行きおよび両国駅発着の「わかしお」を全廃。

183820130
1974年以降のロットとわかるワイパーの改良型クハを先頭に市川を通過する183系 特急「わかしお」 1982/1/30

1991年3月16日:特急「成田エクスプレス」運行開始により、東京駅 - 蘇我駅間を京葉線経由に変更。蘇我駅にすべての特急が停車。東京発上総一ノ宮行き普通車全車自由席の「ホームタウンわかしお」が運転開始。途中の停車駅は蘇我駅・誉田駅・大網駅・茂原駅

1993年7月2日255系を投入し、「ビューわかしお」として運転開始(2往復)。同時に「わかしお」の一部列車を、勝浦駅 - 安房鴨川間で普通列車として運転。

2002年12月1日:エル特急の呼称を廃止。

2004年10月16日:E257系を投入して「わかしお」として運転開始。255系による列車を「ビューわかしお」、E257系による列車を「わかしお」に統一。これにより183系での運転は基本的になくなったが、車両運用の都合で同車両による代走運行も残る。

2005年12月10日:列車名を「わかしお」に統一して「ビューわかしお」を廃止。E257系10両編成列車を大幅増加し、255系の運用は大幅に減少。

Wikipediaの記事を参考に纏めました。

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2013年6月16日 (日)

1975年 新潟の旅 12 183系基本番台 「ささなみ」

1975年の新潟の旅の話題から、181系特急「とき」の話になり、そこから直流特急電車の話題になり、ついに183系基本番台の話題になってしまいました。今回は183系が最初に投入された内房線特急「さざなみ」について触れたく思います。

183
183系 特急「さざなみ」 浜金谷

まずは183系基本番台について

1972年7月15日、総武本線(快速線)の東京 - 錦糸町間開業、房総東線蘇我 - 安房鴨川間電化完成により、総武本線・房総東線(現・外房線)・房総西線(現・内房線)で運転されていた急行列車の一部が特急列車に格上げされ、東京地下駅に乗り入れるため、当時の運輸省通達で定められたA-A基準に基づいて設計され、房総地区での波動輸送への対応も考慮して製造されたグループです。

1972年にMM'ユニット(モハ183形・モハ182形)33組66両、クハ183形22両、サロ183形11両の99両が新規開設となった幕張電車区(現・幕張車両センター)に集中配置され、1973年 - 1975年に継続して増備され、最終的には9両編成(6M3T)19本と事故廃車代替1両にあたるMM'ユニット57組114両、クハ183形39両、サロ183形19両の総計172両が、日本車輌製造・東急車輛製造・近畿車輛・川崎重工業(現・川崎重工業車両カンパニー)で製造されました。第16回(1973年)鉄道友の会ブルーリボン賞も受賞しています。

波動輸送対応で冬期の山岳線区での運用を考慮し耐寒耐雪構造を採用し、狭小断面トンネルが存在する中央本線高尾以西への入線対応から運転席上の前灯が省略されました。
クハの貫通扉は当初は内房・外房特急の総武快速線内併結運転を計画されたことと、地下区間での緊急時脱出の観点からの設置でした。
末端区間で普通列車としての運用を考慮したため、1車両あたり普通車は客用扉を片側2か所としました。

183_2
183系 特急「さざなみ」 錦糸町

定員は、モハ2形式が68名。クハ183形が58名。サロ183形が48名。従来の特急形車両の基本を踏襲しながらも以下に示す機構が新規採用されています。
普通車の座席は従来の回転クロスシートから、R51系簡易リクライニングシートに変更となりました。私もこのタイプの座席、14系ハ座で経験しましたが、抑えておかなくては戻ってきてしまうリクライニングシートで長く乗っているとかえって疲れたように感じました。
冷房装置は、従来のAU12形からモハ183形は集中式のAU71A形1基、その他の車両は分散式のAU13E形5基を搭載しました。
トイレは循環式汚物処理装置を在来線車両では初めて全車に完全装備しました。
使用する列車が短距離列車主体であったため、食堂車は当初から計画されず、代わりに、グリーン車のサロ183形に車販準備室と車販コーナーが設けられました。

信越本線での運用も考慮され新造時から横軽対策が施工されました。東日本の直流電化区間全般での使用も視野に入れた汎用性の高い設計が採用されました。
台車はダイヤフラム式空気バネとウイングばね式軸箱支持のDT32E形を電動車に、TR69E形を付随車に採用しました。

MM'ユニットは、奇数形式のモハ183形に中央本線や上越線などの勾配線区での運用に対してノッチ戻し制御ならびに勾配抑速ブレーキを装備したCS15系制御装置を搭載し、MT54系主電動機(120kW)を制御する方式で歯車比は3.5と従来からの国鉄特急電車の標準的システムを踏襲しました。
クハ183形は、210KVAの電動発電機(MG)と容量2,000/minの電動空気圧縮機(CP)を床下に搭載しました。東京 - 錦糸町間の保安設備が車内信号方式を採用したため、ATC-5形を前位側客室扉後方に設置された機器室に搭載しました。

1972年製 昭和46年度第2次債務             1972.7改正内房外房特急

                        東急        日車       川重        近車
モハユニット        1-9         10-18      19-27      28-33
クハ         1-6         7-12       13-18      19-22
サロ         1-3         4-6         7-9          10,11

1973年製 昭和47年度第3次債務            1973.10 「あずさ」置き換え

モハユニット    41-43     34,35       36-40
クハ                    29,30      23,24       25-28
サロ                    15           12          13,14

1974年製 昭和48年度第2次債務            1975.3 総武特急電車化(先行)
モハユニット                 44-49
クハ                      31-34 
サロ                      16,17  

1975年製 昭和49年度第2次民有            1975.3 総武特急電車化と廃車補充
モハユニット         50-53                      54-57
クハ              35,36                       37-39
サロ              18             19                 

183_3
183系 特急「さざなみ」 千葉 ワイパーのスタイルから1974年製以降と思われます。

続いて 特急「さざなみ」について

1935年から1940年の間、内房線(かつての房総西線)には海水浴客などの利用を見込んで、臨時の快速列車に「漣」(さざなみ)といった愛称が付けられていたそうです。

1950年7月16日 - 8月20日:土・日曜日運転の臨時快速「汐風」が両国駅 - 館山駅間で運転開始されました。1951年夏にも運転されました。
1952年- 1953年夏:「汐風」の運転区間を新宿駅まで延長のうえ「夕凪」(土曜日運転)、「汐風」(日曜日運転)、両国発「さざなみ」(毎日運転)としました。

1953年に房総東・西線が「気動車モデル線区」に指定され、昭和28年度中までに千葉鉄道管理局管内に66両が配置されたことから、1954年夏には「汐風」(毎日運転)、「夕凪」(土曜日運転)が気動車での運転に。「さざなみ」は客車列車のままでした。

1963年4月28日:千葉駅移転改良により千葉駅でのスイッチバックを解消。 
 10月1日:両国駅 - 館山駅間に、キハ58系を使用して全車座席指定席の準急列車を新設。よって自由席のみの編成であった「内房」と名称の区別をする必要があったことから、「さざなみ」と名づけられる。キロ28形を「さざなみ」と「内房」1往復に連結。
「さざなみ」の愛称自体は以前からよく臨時列車の愛称として登場していましたが、この時定期列車に昇格した。また、両国駅 - 千葉駅間では、同じ内容で房総東線に新設された両国駅 - 館山駅間運転の「くろしお」と併結運転しました。

1964年:臨時快速は「さざなみ」から「かもめ」に改称。

1965年 房総夏ダイヤの臨時準急の名称を「汐風」に戻しました。1往復増発。
10月1日:「さざなみ」に自由席車両を連結し、「内房」に統合する。この時「内房」の読みも「うちぼう」へ改められました。

1970年:房総夏ダイヤでは臨時「うち房」のうち1往復を高尾駅発着で運転。臨時快速「さざなみ」を中野駅・両国駅・津田沼駅 - 館山駅・千倉駅間で運転。

1972年7月15日:総武本線東京駅乗り入れ(総武快速線開業)により、183系を導入し、特急「さざなみ」を運転開始(定期列車3往復・季節列車5往復)。
 外房線の蘇我駅 - 安房鴨川駅間の電化により、存続した急行列車4往復による循環運転を再開。先に内房線を走行し外房線に入るもの(左回り)を「なぎさ」、先に外房線を走行し内房線に入るもの(右回り)を「みさき」と命名しました(館山駅 - 安房鴨川駅間は普通列車)。これによって「うち房」が廃止。なお、これに先立つ5月27日に外房線大網駅のスイッチバックが解消されていたため、電化前とは違い循環運転後は前後が入れ替わることになりました。また、定期急行は車両が東京駅 - 錦糸町駅間で採用しているATC-5型非対応のため新規開業した東京駅に乗り入れできず、新宿駅もしくは両国駅発着となりました。
この年の房総夏ダイヤでは臨時特急「さざなみ」(下り1本/上り2本)、113系による臨時急行「みさき」「なぎさ」・101系などによる快速「青い海」(前年までの「さざなみ」を改称。下り15本/上り12本)を運転しています。

←東京
TcTsM'MM'MM'MTc×11 所要10
わかしお(8.5)、さざなみ(8)
 津田沼‥東京10301239千倉14571704東京17301944千倉‥館山
 館山‥千倉8201033東京‥新宿12201431館山17411953新宿‥津田沼
 津田沼‥新宿715942安房鴨川15451753東京19302128館山
 館山713909東京9351124館山13111503東京15301723館山18112004東京‥津田沼
 津田沼‥東京9001103安房鴨川12221420東京15001703安房鴨川18232025東京‥津田沼
 津田沼‥新宿7351033千倉16271839東京19002108安房鴨川
 安房鴨川719924東京10001213安房鴨川14081615東京17001909安房鴨川21312212館山
 館山719808安房鴨川7241055東京12031418安房鴨川/東京13401554安房鴨川17081919東京‥津田沼
 津田沼‥東京8081005館山18482057新宿‥津田沼
 津田沼‥東京8381049安房鴨川18512110新宿‥津田沼

183850224
1978.10の改正では絵入りマークが登場 1985/2/24 錦糸町

1975.3.10

←東京、松本
TcTsM'MM'MM'MTc×19 所要16
わかしお(9)、さざなみ(9)、しおさい(5)、あやめ(4)、あずさ(5)
 津田沼‥東京730928館山10101209東京12301438千倉14571709東京‥津田沼
 津田沼‥東京14301637館山16571909東京19302128館山
 館山710909東京9301132館山12101409東京15301732館山18102009東京‥津田沼
 津田沼‥東京8301037千倉10571309東京13301532館山16101809東京‥津田沼
 津田沼‥東京700916安房鴨川10241239東京13001516安房鴨川16241839東京19002116安房鴨川
 安房鴨川724939東京10001216安房鴨川13241539東京16301832館山19102109東京‥津田沼
 津田沼‥東京8001017安房鴨川11241339東京14001616安房鴨川18242039東京‥津田沼
 津田沼‥東京9001116安房鴨川12241439東京16001816安房鴨川
 安房鴨川9241139東京12001416安房鴨川15241739東京‥津田沼
 津田沼‥東京715914銚子11281324東京13451541銚子16281824東京18452041銚子
 銚子758954東京10451244銚子13281524東京15451744銚子18282024東京‥津田沼
 津田沼‥東京645835鹿島神宮10351224東京12451432鹿島神宮15351724東京‥津田沼
 津田沼‥東京9451137鹿島神宮12351424東京16451832鹿島神宮19352124東京‥津田沼
 休
 津田沼‥新宿8001146松本1251白馬1423松本15401920新宿20002154甲府
 甲府735926新宿10001346松本14401820新宿19002246松本
 松本8001130新宿13001646松本17152052新宿‥津田沼

1982年11月15日:急行「内房」など房総地区の急行列車全廃。代替として、「さざなみ」に両国駅発着列車を設定。

←東京、松本
TcTsM'MM'MM'MTc×24 所要20
わかしお(12)、さざなみ(12)、しおさい(7)、あやめ(5)、あずさ(3)
 休
 津田沼‥東京645835鹿島神宮10351224東京12451433鹿島神宮15341721両国19182104鹿島神宮‥北鹿島
 北鹿島‥鹿島神宮800954東京19452145銚子
 銚子9251124東京11451346銚子14221624東京16451833鹿島神宮19352124東京‥津田沼
 津田沼‥東京9451136鹿島神宮12351438新宿‥津田沼
 津田沼‥東京700919安房鴨川10201239東京13001519安房鴨川16201839東京19002116安房鴨川
 安房鴨川720939東京10001219安房鴨川13201539東京16001819安房鴨川
 安房鴨川8201039東京11001319安房鴨川14201639東京‥津田沼
 津田沼‥東京12001419安房鴨川15201739東京18002019安房鴨川
 安房鴨川9201139東京12301433館山16051805両国‥津田沼
 津田沼‥東京630835館山9031109東京11301341千倉14541709東京17301935館山
 館山8031009東京10301235館山14031609東京‥津田沼
 津田沼‥東京715912銚子11241323東京13451545銚子16241824東京18452043銚子
 銚子8251024東京10451245銚子13251524東京15451743銚子18252038新宿‥津田沼
 津田沼‥東京8301041千倉11541408東京14301634館山18042009東京‥津田沼
 津田沼‥東京8001019安房鴨川11201339東京14001619安房鴨川17211939東京‥津田沼
 津田沼‥東京730934館山10041208東京13301542千倉16551909東京19302132館山
 館山705909東京9301131館山13031507東京15301733館山19072123新宿‥津田沼
 津田沼‥東京9001119安房鴨川12201439東京15001719安房鴨川18202100新宿‥津田沼
 津田沼‥新宿7001210南小谷13061825新宿19002243松本
 松本9471325新宿14001742松本18172145新宿‥津田沼

TcM'MM'MTc×2 所要1
すいごう(2)
 銚子703922両国14451700銚子17321951両国20172231銚子

M'M×1 Ts×2

1985年3月14日:「さざなみ」の新宿駅・両国駅発着定期列車を全廃。

1987年:房総夏ダイヤでは「あずさ」(千葉駅 - 松本駅間・1往復)を千倉駅まで延長。この延長運転は1992年夏ダイヤまで実施されました。

1991年3月16日:「成田エクスプレス」の運転開始により、東京駅 - 蘇我駅間を京葉線経由に変更。

1993年7月2日:千倉駅発着列車の一部を255系による「ビューさざなみ」とする。同時に「ホームタウンさざなみ」「おはようさざなみ」として、君津駅発着の列車が運転開始。

1996年251系電車による臨時列車「デラックスビュー南房総」を新宿駅 - 千倉駅間で運転。
1998年:「さざなみ」の一部列車が、君津駅 - 館山駅間を普通列車として運転。なお、当初は上り、下りともに数本設定されていた。この年の夏をもって「房総夏ダイヤ」を終了。

2002年12月1日:エル特急の呼称を廃止。
2004年10月16日E257系を「さざなみ」に導入、183系の定期列車としての運行を終了。また「ホームタウンさざなみ」「おはようさざなみ」を廃止し、E257系による列車を「さざなみ」、255系による列車を「ビューさざなみ」に統一。

2005年12月10日:列車名を「さざなみ」に統一し、「ビューさざなみ」を廃止。

183850224_2
1985/2/24 錦糸町

Wikipediaの記事と183系の動き 配置および編成・運用の移り変わり 幕張のデータを参考に纏めました。

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2013年6月15日 (土)

1975年 新潟の旅 11 189系 特急「あずさ」

189系を使用した列車、今回は中央線の特急「あずさ」です。

189

再掲ですが、高尾を通過する189系「あずさ」

中央東線の列車に「あずさ」と命名された列車が登場するのは1966年181系特急「あずさ」が最初かと思っていましたがそうではなく、

1957年10月1日:新宿駅 - 松本駅間に臨時夜行準急を1本設定。

1960年1月1日:臨時夜行準急に「あずさ」の名称が与えられました。
 4月25日:「あずさ」は「白馬」に改称されて定期列車となり、「白馬」は2往復となりました。
 

これが最初だったのですね。

1965年12月:新宿駅 - 松本駅間に電車急行「かいじ」新設。

さらに、後年特急で登場する「かいじ」もここで登場しています。

1966年12月12日:新宿駅 - 松本駅間に特急「あずさ」を2往復新設。 運転初日、下り「第1あずさ」が甲府駅を出発してすぐに、農業用の機械と衝突する踏切事故を起こし、運転不能になりました。この事故の影響で、上り急行「アルプス」の編成の一部を切り離して松本駅まで運転、上り「第2あずさ」も165系で代走した。運転開始初日から急行形車両で代走する事態に陥った特急は珍しいそうです。

189_751200_2
八王子に進入する189系特急「あずさ」 1975/12

1969年:7月1日付で181系の運用移管が行われ、新潟運転所の配置となりました。

1971年4月:「あずさ」の大糸線信濃大町駅まで季節延長運転開始。

1972年3月15日:定期「あずさ」の大糸線への季節延長区間を、白馬駅まで延長。
10月2日:下りは最終の、上りは始発の「あずさ」として、初めて「かいじ」の源流ともいえる甲府発着の列車が1往復設定されました。
12月28日:臨時夜行特急「あずさ銀嶺」運転開始。

1973年10月1日:「あずさ」の一部に幕張電車区配置の183系電車0番台を使用開始。自由席が設置されてエル特急となる一方で、東京 - 上野間の東北回送線が廃止になった関係で「とき」と運用が分離され、新潟運転所から長野運転所に移管され、食堂車が廃止となりました。

1975年12月6日:「あずさ」に投入されていた181系電車の置換えで189系電車を使用開始。

←上野、東京
TcM'MM'MTsTsM'MTc×10 所要8(臨時+2) 189系
あさま(5)、そよかぜ(2)(臨時+1)、あずさ(5)
 長野18472153上野‥尾久
 尾久‥上野8341133長野12451553上野16342051直江津
 直江津7301152上野12341436中軽井沢-1523上田1811-中軽井沢18432055上野‥尾久
 尾久‥上野634839中軽井沢10451253上野13341633長野
 長野645950上野10341333長野15471855上野19342235長野
 長野‥松本10001330新宿14001739松本18152145新宿‥三鷹
 三鷹‥新宿6401021松本11001433新宿15001839松本19222252新宿‥三鷹
 三鷹‥新宿9001245松本13401712新宿18002144松本‥長野
 長野14461752上野20302342長野
 上野10071214中軽井沢15141723上野

Tc×2

189_750700_2
1975/12 置き換え間もない頃 新宿駅

1982年11月15日:「あずさ」の大糸線乗り入れを定期化し、運転区間を南小谷駅までに変更。上越新幹線開業により「とき」が廃止され、183系1000番台の一部が長野運転所に転属となり、「あずさ」に転用されました。

1983年7月5日:中央本線のルートが「大八回り」と呼ばれた辰野駅経由から塩嶺トンネルの開通によりみどり湖駅経由の新線に切り替わり、一部の列車を除いて「あずさ」など優等列車は新線を経由することになったため、スピードアップが図られました。

1985年3月14日:幕張電車区の183系基本番台が運用から撤退し、長野運転所の183系1000番台・189系が全列車を担当するようになりました。

←上野、東京
TcM'MM'MTsTsM'MM'MTc×6 所要4(臨時+4) 189系
あさま(5)(臨時+5.5)
 休
 長野8141113上野12001458長野16081915上野19332000大宮‥東大宮
 東大宮‥上野10001257長野15081815上野19002159長野
 長野616930上野11001518直江津
 直江津10221445上野15301825長野
 長野10081315上野14301736長野/上野16151917長野
 上野9101211長野12341545上野/上野13301635長野19112219上野
 長野13411648上野18112124長野
 上野7301026長野/上野10101351長野15161837上野

TcM'M[M'MTs]TsM'MM'MTc×9 所要7 189系
あさま(9)(臨時+1)
 長野8401159上野12261529長野19442243上野23132339大宮‥東大宮
 東大宮‥上野9001157長野1238妙高高原1322長野14081715上野18002213直江津
 直江津7531215上野13001554長野17112015上野20542118大宮‥東大宮
 東大宮‥上野8001054長野12101515上野16001855長野
 長野9401245上野14001657長野18092115上野21362202大宮‥東大宮
 東大宮‥上野7001122直江津15241946上野20132041大宮‥東大宮
 東大宮‥上野8301127長野13101615上野17001959長野

TcM'MM'MTsTsM'MM'MTc×6 所要4
あずさ(6)
 休
 長野‥松本7161025新宿11001402松本15231825新宿19002213松本
 松本8291125新宿13001603松本17352031新宿‥三鷹
 三鷹‥新宿9001212松本13221625新宿17001959松本
 松本11211425新宿15001809松本‥長野

TcM'MM'MTsM'MTc×7 所要4(臨時+1)
あずさ(6)(臨時+1)
 休
 長野‥聖高原633711松本10221325新宿14001703松本19282225新宿‥三鷹
 三鷹‥新宿7001130南小谷14491925新宿20002155甲府
 甲府732925新宿10001308松本1446南小谷1631松本18232125新宿‥三鷹
 三鷹‥新宿8001059松本1159白馬1300松本14211725新宿18002114松本‥長野
 新宿640952松本16421956新宿

Ts×1

1986年11月1日:急行列車「アルプス」昼行列車と「こまがね」・「みのぶ」・「かいじ」を廃止し、特急「あずさ」に格上げ。これにより、「あずさ」は改正前の12往復から22.5往復の大所帯となり、東京駅・総武本線千葉駅発着列車の運行開始。なお「アルプス」は夜行列車のみとなり、同時に183系電車に置換えられました。
運用移管が行われ、長野運転所配置車は松本運転所に転属。また全列車9両編成での運転となる。

1987年12月:「あずさ」に183系電車のグレードアップ仕様の車両を使用開始。車内チャイムは、あずさ、かいじ用のチャイムを数種類用意してあり、季節や駅によって異なるチャイムを流しました。

1988年3月13日:「あずさ」の甲府駅発着列車を「かいじ」に分離。

189
国分寺を通過する189系特急「あずさ」

1990年:「あずさ」の内房線直通がこの夏を最後に消滅。

1991年3月21日:成田空港駅開業により千葉駅発着の「あずさ」1往復を成田空港駅まで多客期の臨時列車として延長運転。列車名を「ウィングあずさ」として運転。1993年秋期まで運転されました。

1993年12月23日:「あずさ」2往復に振り子式車両のE351系電車を使用開始。 ただし当初、E351系は2編成のみの配属だったため、閑散期等は183系で代走していました。

189_2
阿佐ヶ谷付近を通過する189系12連特急「あずさ」

1994年12月3日:E351系による「スーパーあずさ」運行開始。 また、このときより「スーパーあずさ」は1号から、「あずさ」は51号から号数が割り当てられました。

1997年10月12日大月駅列車衝突事故によりE351系が破損し、翌年7月までスーパーあずさ用の車両が不足。スーパーあずさの一部列車が183系による代走となる。

2001年9月8日・9日・15日・16日:臨時特急列車「あずさ木曽」が東京駅(8時18分発) - 上松駅(12時46分着)間を183系9両編成で運転。 中央本線の特急列車として、また国鉄分割民営化後初の中央東西線間直通運転を行いました。
12月1日:「あずさ」の車両を183系・189系からE257系に置き換え開始。

2002年12月1日:このときのダイヤ改正により、JR東日本がエル特急の呼称を廃止し、「スーパーあずさ」「あずさ」もエル特急を解消。
7月の「かいじ」に続き「あずさ」の車両もすべてE257系に統一。これに伴いホーム有効長が10両の秋葉原駅は通過となりました。

2004年3月13日:「スーパーあずさ」「あずさ」の号数の振り方を区別せず、発車の早い順に通し番号としました。また「スーパーあずさ」の東京乗り入れ廃止。

2005年12月10日:「スーパーあずさ」11号・28号の松本駅 - 白馬駅間が臨時化し、多客時のみの運転となりました。同時に「あずさ」の全列車が立川駅に停車となりました。

2008年3月15日:一部時間帯を除き「スーパーあずさ」「あずさ」号が交互に運転されるようになりました。

2010年3月13日:「スーパーあずさ」の大糸線直通(信濃大町駅発着)を廃止、「スーパーあずさ」は全列車が新宿駅 - 松本駅間のみの運行となりました。

2013年3月16日:「スーパーあずさ」の東京乗り入れが再開されました。

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2013年6月14日 (金)

1975年 新潟の旅 11 189系 特急「そよかぜ」

189系が投入された列車、今回は上野~中軽井沢間の季節列車として活躍した特急「そよかぜ」です。

189
上野駅に入線した189系 特急「そよかぜ」

まずはその登場からの歴史を見てみます。

1968年7月20日:東京駅 - 中軽井沢駅間で季節特急「そよかぜ」が運転開始。 季節特急の「そよかぜ」には当初、運行前年にあたる1967年に横軽対策を施行した157系電車が使用されました。

1975年10月1日:「あさま」が189系化されたことで、この後の「そよかぜ」も189系が担当。

←上野
TcM'MM'MTsTsM'MTc×7 所要5(臨時+1) 189系
あさま(5)(臨時+1)、そよかぜ(2)
 長野18472153上野‥尾久
 尾久‥上野8341133長野12451553上野16342051直江津
 直江津7301152上野12341436中軽井沢18432055上野‥尾久
 尾久‥上野634839中軽井沢10451253上野13341633長野
 長野645950上野10341333長野15471855上野19342235長野
 長野14461752上野20302342長野

Tc×2

189_790929_ret
1978年10月改正後、HMは絵入りタイプに 上野駅での先輩181系「とき」とのツーショット

1978年10月2日:「そよかぜ」2往復のうち1往復が上田行きとして延長運転する日が設定されました。上田駅発着としては最初で最後の特急となりました。

←上野、東京
TcM'MM'MTsTsM'MM'MTc×12 所要10(臨時+2) 189系
あさま(8)(臨時+2)、そよかぜ(2)(臨時+1)、あずさ(5)
 長野19382300上野‥尾久
 尾久‥上野8161132長野12381600上野16462135直江津
 直江津7241200上野13461659長野18382200上野
 上野7161029長野11381500上野15461859長野
 長野7391100上野11461459長野16382000上野‥尾久
 尾久‥上野646906中軽井沢11001330上野14161635中軽井沢18042030上野‥尾久
 尾久‥上野9461259長野15381900上野19462259長野
 長野‥松本9551333新宿14001738松本18162145新宿‥三鷹
 三鷹‥新宿6401021松本11001433新宿15001839松本19222255新宿‥三鷹
 三鷹‥新宿9001246松本13401713新宿18002146松本‥長野
 上野10161237中軽井沢1307上田1434中軽井沢15051730上野/上野10161336長野14381800上野
 長野15001830上野20162343長野

Tc×2

1984年7月:横須賀線逗子駅 - 軽井沢駅間を運行する臨時特急列車として、「サロンエクスプレスそよかぜ」が運転されました。 この列車は従前の「グリーン軽井沢」を摸したもので、使用車両としては旧特別二等車群から、改造ながら新車然のジョイフルトレインである「サロンエクスプレス東京」を用いたことが特筆されました。
Ef62_40

EF62 40に牽引され、碓氷峠を登ってきた「サロンエクスプレスそよかぜ」 

1985年3月のダイヤ改正からは2013年1月25日の記事でも紹介しましたように489系9連による「そよかぜ」も運行されました。

1987年8月:「サロンエクスプレスそよかぜ」が廃止。

1997年:「そよかぜ」の運行区間が上野駅 - 上田駅間に変更。
189_3
こちらは兄弟分、183系1000番台「とき」とのツーショット

8月18日:「そよかぜ」が廃止。この後、長野新幹線開業まで運行が設定されることはなく、実質的にこの日が廃止日となりました。

Wikipedia の記事、「183系の動き 配置および編成・運用の移り変わり 長野」のデータを参考に纏めました。

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2013年6月13日 (木)

1975年 新潟の旅 11 189系 特急「あさま」

再び、1975年新潟の旅の話題に戻りますが、今回は183系1000番台の兄弟分といえる、189系です。特急「とき」の話題から、181系、183系1000番台、189系、さらには183系基本番台まで話が跳んで行くと思いますが、いつものことなので。

189_780306
EF63重連に抑速されながら碓氷峠を下る189系特急「あさま」 1978/3/6 熊の平

189系はエル特急「あさま」に使用されていた老朽化の著しい181系を置き換えるとともに、輸送力を増強するために183系1000番台登場からおよそ半年後の1975年6月に登場した系列です。クハ189形0番台(直江津方)、500番台(上野方)、モハ188形、モハ189形、サロ189形0番台(CPのみ)、100番台(MGとCP)の4形式計155両が製造され、新製配置はすべて長野運転所でした。以下にその年度毎の製造に関するデータを載せます。

189_2
昭和49年度第1次債務による1975年上期製造分が「あさま」置き換え用、同第3次債務による下期製造分が「あずさ」置き換え用、昭和52年度第2次債務による1978年、昭和53年度民有と昭和53年度第1次債務による1979年製造分は増発用名義ですが、当初は地上設備の関係から6M4Tの10両での運転をせざるを得なかったのが、問題が解決したため当初予定の12両で運転出来るようになり、一括製造を行い、MM'ユニットが14組28両大量追加になったそうです。
189_2
特急「あさま」は一足先に189系に置き換えられ上野駅では先輩181系とのツーショットも見られました。足元にはボンネット車用のHMが置いてありますが、これは恐らく489系用のものだったのではないかと思われます。

189_750700
189系の上野側のクハは500番台で、一般用KE70とEF63との協調用KE76の二個のジャンパ連結器が装備されていました。

車体構造で特徴的な点は客室窓の車端から2番目を開閉可能な構造(上昇式)にしたことで、停電もしくは冷房故障時対策とのことです。MG・CPの冷却風は183系1000番台では運転室床下から取り入れていましたが、運転室が負圧となって隙間風が入り込んだため、車側の取り入れ口を改良し、温風暖房機を取り付ける改良を行いました。

主制御器はEF63との協調運転時にカム軸が機関車からの指令により途中停止可能なCS15Gとし、誘導分流器は界磁分流率を変えて機関車とのノッチ合わせを可能としたIC58-MR130としました。台車は183系1000番台と同じDT32I,TR69Iですが、軸箱浸水防止のために息抜き管を追加し、雪かき器の強化、歯車箱加圧装置の改良などの変更がなされています。ブレーキ関連では直通予備ブレーキを設置し、抑速発電ブレーキが不能となった場合に動作する抑圧装置を偶数向きT'c車に設置した他、下り協調運転時の前方監視のため、奇数向きTc車運転台側面に車掌弁を設置しました。CPは上記のように、Tc、T'c、Ts、T's車に設置し、1編成4台体制として横軽間で空気バネをパンクさせた後の復元込め時間を短縮することとしました。

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1978年10月のダイヤ改正前後から189系特急「あさま」のHMも絵入りのものになりました。 尾久

車間の渡りは片渡りで、制御用KE70、協調用KE76、冷房用三相KE9、高圧用KE6を設置し、T'c車は両側にKE70を設置、1位側を一般制御用、2位側を機関車との協調用としました。

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南浦和 1982/1/3

<特急「あさま」の歴史>

信越本線の列車の歴史で、「あさま」と命名された列車が登場するのは1961年のことでした。
1961年3月1日:小諸駅 - 新潟駅間(小諸駅 - 長野駅間は普通列車)に設定された気動車準急列車が「あさま」と名付けられました。

1962年12月1日:上野駅 - 長野駅間(信越本線経由)の客車夜行準急列車の名称を「妙高」から「あさま」に改め、それまでの「あさま」は名古屋駅 - 新潟駅間の急行列車「赤倉」になりました。

1963年7月15日:碓氷峠がアプト式からEF63形電気機関車を補助機関車とした粘着運転方式に変更する事になり、この時単線で営業を開始しました。
10月1日:碓氷峠での粘着方式による複線運転が開始され、アプト式軌道区間は廃止。これに伴い、準急「あさま」が急行列車化され、「丸池」として運行区間が直江津駅発着(長野駅 - 直江津駅間は普通列車)になりました。

1966年10月1日:上野駅 - 長野駅間に特急「あさま」が2往復で運転開始。「あさま」に充当する車両は田町電車区(現在の田町車両センター)所属の181系電車が使用されました。
運行区間内に存在した信越本線の急勾配区間であった横川駅 - 軽井沢駅間(碓氷峠)では、EF63形を東京側に連結し電車は無動力にして坂を上り下りしていたので、編成両数に制限がかかり、特急列車の当時の平均的な編成が10 - 12両編成であったのに対し、「あさま」は食堂車の連結も省いた8両編成となりました。

1968年10月1日:ヨンサントオのダイヤ改正により、「あさま」が3往復に増発され、1往復は直江津駅まで運行区間を延長し、1往復は東京駅に乗り入れとなりました。

1969年7月:「あさま」に使用する181系電車の所管を田町から長野運転所に移管。

1972年 3月15日:ダイヤ改正により、「あさま」が5往復に増発(2往復は直江津まで運行)。
10月2日:「あさま」がエル特急になりました。

1973年4月1日:東北新幹線・上越新幹線建設工事に伴い「あさま」の東京駅乗り入れが中止され、上野駅発着になる。
10月1日:「あさま」の1往復に「白山」と共通運用の489系電車が運転開始。

1975年10月1日あさま」の181系は新製の189系電車に置き換えられました。 489系同様協調運転が可能で、全列車において最大12両編成での運行ができるようになり、輸送力増強が実現した。ただし、地上設備の関係で当初は10両編成。12両化されたのは1978年10月からとなりました。

1982年11月15日:「妙高」は昼行列車に関しては「あさま」に格上げされ、夜行1往復のみとなりました。使用車両を旧形客車から14系客車に変更。

1985年3月14日:ダイヤ改正により、「信州」「軽井沢」は「あさま」に格上げされて廃止され、「あさま」は15往復になりました。

1986年11月1日:「妙高」の運行区間が上野駅 - 長野駅間に短縮。また、使用車両を「あさま」と共同使用するため189系電車に変更。これによりグリーン車が再び連結されるようになりました。

1992年3月14日:「白山」が1往復に削減。 なお、「白山」のエル特急指定は「あさま」との等間隔運転の一角を成していたため解除されず、「1往復のエル特急」となったまま廃止まで運行されました。

1993年3月18日:「妙高」と臨時急行「越前」が廃止。ともに、上野駅 - 金沢駅間の「能登」に吸収されました。 このダイヤ改正で「あさま」1往復(23,36号)にJR西日本・金沢運転所の489系電車が間合い運用で運用されるようになりました。489系あさま」の写真は既に2013年1月25日付けの記事で紹介済みです。

1996年 - 1997年:品鶴線・山手貨物線経由横浜駅発着の臨時特急「マリンシティーあさま号」が運転されました。

廃止直前は、「あさま」は1日19往復が運転され、そのうち4往復は直江津駅発着となっていました(下り1本は長野駅から快速列車として運行)。夏季や冬季には臨時で妙高高原駅まで延長する列車も存在しました。

1997年10月1日:長野新幹線開業に伴い、特急「あさま」「白山」が廃止。

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2013年6月12日 (水)

2013/6/8 中央線四方津へ その2

定期列車の合間に臨時列車が通過する状態はまだまだ続き、

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9:32 485系 彩編成 快速〈いろどり山梨さくらんぼ号〉

続いてやって来たのは485系「彩(いろどり)」6両編成です。

JR東日本長野支社では14系客車改造のジョイフルトレイン「浪漫」を1995年から保有していましたが、老朽化の進行ならびに機関車牽引による運用効率の問題から廃車させることになり、代替の後継車両として485系電車から改造されたのが「彩」です。

今回は6号車が先頭ですが、イメージカラーとモチーフは6号車ときいろ(カーネーション)、5号車ふじいろ(長野県の特産品)、4号車びゃくぐん(信州の自然)、3号車ときいろ(リンゴ)、2号車こくちなし(カモシカ)、1号車ふじいろ(りんどう)となっているそうです。

快速「くびき野」で限定運用されていた新潟車両センター所属の4両編成T21・22編成から、T21編成の制御車を除いた6両を充当しました。余剰となったクハ481-333・1507は廃車・解体されました。2006年5月 - 12月の間に長野総合車両センターで改造され、制御車は北海道向け耐寒耐雪強化形の1500番台、中間電動車は本州向け耐寒耐雪強化形の1000番台をベースとします。「彩」では車体は流用とされ内装の改造が主とされました。
等級を「普通車」→「グリーン車」に変更しました。そのため「クハ・モハ」→「クロ・モロ」に変更となりましたが、車両番号は等級変更のみです。

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485系1500番台 特急「いしかり」 1975/10 札幌

しかしこの一見、怖い顔の電車が元は北海道用に投入されたクハ481-1503,1504とは想像しにくいものです。

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10:12 215系 NL4編成

215系10両編成による「ホリデー快速ビューやまなし号」も中央線の休日列車の常連となっています。湘南新宿ライン開業の頃は新宿以南の運用に入っており、何度か乗る機会がありましたが、今はその運用もなくなりもったいない気も致します。

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215系 NL3編成 2002/4/27 恵比寿

湘南新宿ライン開業の頃、新宿以南に入線していた215系

以前、常磐線で一両だけのクハ415-1901が通勤時の着席率向上に向けて試作され、それに続く形で215系が4編成製造されましたが、結局現在の首都圏の混雑状況では2階建て通勤車は乗降にかかる時間等の問題もあって本格使用には至らなかったのではないでしょうか。

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オランダ国鉄レギオランナー 2005/2/19 アムステルダム中央駅
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総二階建て電車 2005/2/19 アムステルダム中央駅

海外に目を向けるとオランダや

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フランスパリ近郊を行く総二階建て電車 Stade France St Denis 2009/9/19

フランスでは総二階建ての通勤車輌が定着しているようです。

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9:41  189系 H61編成

続いてやって来たのは宮オオのH61編成、旧田町区の183/189系の中では最も短い6両編成ですね。両端クハは189形で8と504ですが、中間のモハは183形-1044と-1047のユニットです。

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10:17 485系 華 お座敷さくらぼ号

宮ヤマのG6G7編成「華」です。さくらんぼ号のようですが、列車の塗色からイメージするサクランボはアメリカンチェリーのような気も致します。
12系お座敷客車「なごやか」の置き換え用として上沼垂で余剰になった485系0番台を種車として土崎工場で1997年に改造されました。車体は新製で床下機器等を再利用しています。

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10:28 115系 M4+M3編成 536M

そして本日の課題だったM4編成が536Mの下り側に連結されてやって来ました。まずは無事、課題が達成出来て一安心。

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115系 M4+M3編成 高尾

同編成は高尾到着後、一旦南側電留線に入線するのを5月18日に目撃してましたので帰りに高尾駅で電留線で休息する姿を写しておきました。

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2013年6月11日 (火)

2013/6/8 中央線四方津へ その1

2013/5/18に引き続き、中央線高尾以西に出かけて参りました。

今回のターゲットは前回宿題となっていたスカ色115系M4編成の捕獲です。といってもM4編成が3連x2のどちら側に入っているのか、果たして今日は運用に入っているのかなどは全く予備調査なしの撮影行です。どこで撮影するかいろいろ考えたのですが、結局、四方津駅上り方の跨線橋付近から撮影することにしました。

527M甲府行きで8:41に四方津駅に到着し、駅東方の撮影ポイントに向かうと既に来られている方が数名おられました。

中央線のこの時間帯、特に下りは定期列車の合間を縫って臨時の行楽列車が多数運転されており、ひっきりなしに列車がやって来ます。

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8:52 E351系S1+S21編成によるスーパーあずさ5号 5M

<E351系について>

1993年12月23日に特急「あずさ」(現・「スーパーあずさ」)として営業運転を開始した車輌で、この形式からJR東日本では新幹線を含む新製車両の形式称号に「E」を付けることになったのですね。1994年通商産業省(現・経済産業省)グッドデザイン商品(現・日本産業デザイン振興会グッドデザイン賞)に選定されています。

制御つき自然振り子装置を採用し、曲線区間でのスピードアップを可能とし、最高速度は130km/h、新宿 - 松本間の最速列車は2時間25分で、山岳路線の列車でありながらも表定速度は90km/hを超えています。

振り子の有無と最高速度の違いにより所要時間に差が生じたことで、E351系使用列車は「スーパーあずさ」とし、183・189系使用列車を「あずさ」として、列車名を使用車両ごとに区別しました。製造は日本車輌製造・日立製作所です。

基本編成8両(松本寄り:S1-S5)、付属編成4両(新宿寄り:S21-S25)が各5本、計60両が松本車両センターに在籍し、最初に落成した2本は量産先行車で、当初は0番台(基本番台)を称しましたが、量産車登場後に車両番号に1000を加えて区別されました。1995年度に落成した3本は量産車で、車両番号は量産先行車の続番(3 - 5)が与えられました。

この車輌の最大の特徴はパンタグラフの支持方式で、軽量なシングルアーム式のPS31A形を搭載し、パンタグラフを載せる台は車体を貫通した支持台で台車枠と直結しています。曲線区間で車体が傾斜してもパンタグラフと架線の位置関係は変わらないため、従来の地上架線設備のままで架線に確実に追従することが可能となっています。

振子装置は曲線通過時の車体傾斜をコンピュータ制御する「制御付自然振子式」を採用しています。台車自体の傾斜機構は381系電車と同様のコロ式ですが、曲線通過時の遠心力のみを車体傾斜に用いる「自然振子方式」の同系列に比べ、「振り遅れ」、「揺り戻し」が抑えられ、乗り心地を改善しています。車体傾斜の制御は、車上のコンピュータにあらかじめ路線の情報を入力し、ATS 地上子の位置情報を利用して適切な位置で傾斜を行うものです。車体の傾斜角度は約5度で、半径400mの曲線で本則+25km/hの走行が可能です。振子装置は八王子 - 大糸線信濃大町間で使用し、新宿 - 八王子間および信濃大町 - 南小谷間では、振子機能を停止し、車体を固定して走行します。後に大糸線内では振子機能は使用しなくなりました。

台車は量産先行車はDT62形(電動車)TR247形(付随車)、量産車はDT62A形(電動車)TR247A形(付随車)で、いずれも枕バネに空気バネを用いたボルスタレス台車で、制御付自然振子装置を装着しました。床面高さを下げるため車輪径を小さくし、810mmとしました。蛇行動を抑え高速走行時の安定性を確保するため、ヨーダンパも装着されています。基礎ブレーキ装置にはディスクブレーキを使用しました。

ブレーキ装置は、列車密度の少ない区間での回生失効を考慮し、回生・発電ブレンディングブレーキ併用電気指令式空気ブレーキを採用しています。量産先行車の落成時は発電ブレーキは装備されておらず、量産化改造の際に追加されました。量産先行車では、電動車の床下スペースに余裕がないことから、バックアップ抵抗器は隣接する付随車に搭載しました。

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9:03 宮オオ 185系 7連 B5編成 「はまかいじ号」 9061M

続いて9:03に通過していったのは横浜から横浜線を経由してやって来る185系「はまかいじ」号でした。

1996年4月27日に運転開始された横浜~松本間の臨時列車で、当初は183系、189系で運転され、1998年頃から松本まで運転されるようになり、近年は京浜東北線通過の関係でD-ATCを装備した大宮の185系D3~D5編成が限定的に運用されています。

これまで185系は田町と大宮に分散配置されていましたが、3月の改正で大宮に一本化されました。また、C7編成のサハ185-7は長野総合車輌センターに配給回送され、湘南カラーだったOM03編成はグリーン車を除いてB編成と同じ塗色となって出場しています。今後185系の動きは目が離せないでしょうね。

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9:14 2083レ EH200-5 牽引

EH200はJR貨物が2001年から製作しており、中央本線・篠ノ井線などの勾配線区で使用されてきた EF64形基本番台の取替えおよびEF64形重連運転解消を目的として開発されました。粘着性能と牽引力を確保するため、EH500形と同じ2車体連結の8軸駆動(H級)とし、これまでEF64形を重連としていた運用に単機で充当可能です。愛称は一般公募により「ECO POWER ブルーサンダー」と命名されました。

制御装置は、IGBT素子を使用した3レベルVVVFインバータ制御装置を搭載し、EH500形で実績のある高速トルク制御(ベクトル制御)や、1台のインバータで1台の主電動機を個別に制御する 1C1M 方式を採用しました。これにより、25 ‰ 勾配上で 1,100 t の引き出しが可能となりました。補助電源装置異常時には、主回路インバータの1基をCVCF(定電圧定周波数)制御することでバックアップとしています。

1時間定格出力565kWのFTM4かご形三相誘導電動機を吊り掛け式で8基搭載し、機関車全体で4,520kWの1時間定格出力を確保していますが、本形式は短時間最大定格出力を 5,120 kWと設定することでEF64形の重連相当の性能を確保しています。

量産機は勾配対策の問題(空転)が判明し、2004年3月落成の5号機で製造が一時中断されましたが、CPU変更・砂箱増設等の対策が施され、2004年12月に製造が再開され現在901、1~24の25両が活躍しています。

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9:20 豊田車輌センター所属 189系 M50編成 ホリデー快速河口湖1号

以前とどこか違うなと思ったのは、山梨デスティネーションキャンペーンキャラクターの「モモずきん」のラッピングが無くなったことですね。

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「モモずきん」が付いていた頃のM50編成 2010/4/3 西荻窪

M50編成としての登場は2002年12月でした。編成は長モトの余剰車組換えによるモノクラス、オール小窓の6両編成です。なおラッピングの変化についてはこちらに詳述されています。

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9:25 下り1455Mでやって来たスカ色115系はM10+M6 編成

四方津の中線は上り下りの通過待ちに利用されており、今回は下り1455Mが特急「あずさ7号」を待避するために入線してきました。同編成は大月で折り返すため、1458Mで10:08に四方津に戻ってきます。

続きは明日の記事で。

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2013年6月10日 (月)

2013/6/8 金太郎 完全捕獲

2013/6/8に、東京タ~泉間の2095レにEH500(金太郎)で唯一未撮影だった80号機が投入されることが予測されたのでその撮影を兼ねて、武蔵野線から中央線方面に遠征しました。中央線関係のことは後日の記事で触れることにして今回はEH500の撮影について触れます。

以下の表は、これまでの901号機から、81号機までの製造年度、初めて撮影した時、場所、そしてもっとも最近に撮影した時、場所を示しています。

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注<踏切の所在地>
妙向寺踏切: 常磐線 ひたち野うしく~荒川沖間
猪子踏切:  常磐線 牛久~ひたち野うしく間
中通り踏切: 東北本線 栗橋~古河間
千刈踏切 奥羽本線 青森~新青森間
* は撮影が一回しかない機関車

EH500形は1997年に試作機901号機が登場し、量産機は1999年から登場しています。10号機が登場するまでは1,2号機は一次形、3~9号機は二次形といった10号機以降とは異なったスタイルで登場したことも話題となりました。細かく言うと10~14号機の5両も前照灯を囲む枠の幅がそれ以降のタイプとは異なって広く、俗に2.5次形と言われるようですが。

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私が最初にEH500を写したのは2002/12/29で3086レを牽いて大宮を通過する場面でした。その時点では20号機まで出場していましたが、デジタルカメラの時代になっており、是非この機関車は全機捕獲を目指そうと心に決めました。新造機が登場する度に追いかけっこの連続で、10年以上が過ぎ、上記の表のように製造年度中に全部捕獲するのは年を追うごとに大変になって行きましたが、運用情報やネットでの番号情報の充実により、今回も無事完全捕獲することが出来ました。

さて80号機の投入が予測された2095レですが、今回は越谷レイクタウンで狙うことにしました。これまでの同列車の撮影に関しては、吉川美南藤代での撮影をそれぞれ記事にしております。

2095レの時刻は平日は6:25に越谷貨物ターミナルに到着し、6:52発車しますが土曜日は6:41に到着し、6:49に発車します(参考:Jtrain50 の首都圏貨物列車詳細時刻表)。日曜日は越谷ターミナル止まりとなります。

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EF81 82 2009/6/7
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EF510-511 2011/1/8

2008年3月15日の越谷レイクタウン駅開業以来、これまでもこの場所では多くの列車を撮影してきて、幸いにも一度も被られることはなかったのですが・・・

実はこの3分の早い出発が問題で、越谷レイクタウン6:52発の武蔵野線上り電車<664E>府中本町行きがゆっくりと上り坂を上ってくる2095レに被ってくれるのですね。その前の電車が6:42、後が大宮行きの6:57なのですが、見事にヒットしてくれます。

なんとかズームを一杯にのばして400mmで撮ったのがこの写真です。

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EH500-80号機牽引 2095列車 越谷レイクタウン 2013/6/8

かといって205系が通過した後では遅すぎました。

ということで、越谷レイクタウンでの土曜日の2095レ狙いは避けた方が宜しいようです。

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EH500-80 号機牽引 2094列車 妙向寺踏切 2013/6/8

幸い、2095レの返しの2094レが荒川沖を17:40頃、通過するので夕方もう一度撮影のチャンスはありました。

実は昨日の金太郎撮影にはもう一つ失敗談があり、隅田川~土浦を往復する2097レ~2092レにこれまで一回しか遭遇していない74号機が投入されておりました。東浦和15:30通過の74レを撮影してから新松戸、あるいは馬橋で16:06頃通過の2092レを狙えるかと思ったのですが、こちらは見事に失敗しました。15:37東浦和発の武蔵野線1519E海浜幕張行きは新松戸に16:02に到着しますが、到着後2分くらいでカメラを出す前に2092レが通過して行きました。

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EF64 1010号機牽引 74列車 2013/6/8 東浦和

この3月の改正以来、常磐線貨物にもEH500が投入されたおかげでこれまでは未撮影機を追って遠征しなくてならなかったのが近場で撮れるようになり随分楽になりました。

2013年5月4日の記事で書きましたが、常磐線運用に現時点でまだ投入されていない(日曜日の越谷タまでの2095レは除く)のは22, 33, 58の3機となりました。気になるのは58号機で2013年5月4日の記事でも書きましたが、4月以降、6月になってもまだ走行記録が出てきません。以前、901号機が長期休車状態にありましたが、今は58号機がそうなのでしょうか。

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2013年6月 9日 (日)

1975年 新潟の旅 10 183系1000番台 特急「白根」

今回は田町区に投入された183系1000番台の「白根」での活躍です。

1831000
田町区から出区し、東京~上野の連絡線を通って上野にむかう183系1000番台 

まずは、上野から吾妻線方面への列車の歴史を見てみましょう。

1960年6月1日:臨時準急列車として「草津」が上野駅 - 長野原駅(現在の長野原草津口駅)間で運転開始。 運行当初は80系電車を使用し電化されていない長野原線内ではC11形蒸気機関車またはC58形蒸気機関車に牽引されていました。

1961年10月1日:名称を「くさつ」に変更し、毎日運転になりました。また、臨時列車として気動車準急列車の「上越いで湯」「草津いで湯」が運行されました。

1962年6月10日:「くさつ」が定期列車化され、「草津」に名称を変更。気動車で運転されるようになりました。 7月:ダイヤ改正により2往復は「草津」、1往復は「草津いでゆ」の3往復体制になりました。

1966年:「草津」が急行列車化。

1971年3月7日:長野原 - 大前間の延伸開業により、路線名を「吾妻線」に改称。「草津」の運行区間を万座・鹿沢口駅まで延長。1日5往復、うち1往復は吾妻線内を快速列車とした。
4月20日:吾妻線初の特急列車として、臨時特急「白根」が157系電車により運転開始。

1975年12月:「白根」の使用車種を183系電車に変更。

<車輌の配置運用>

1975年12月26日

田町区に新製配置された183系1000番台、近畿車輛からのロットで早くも運用が開始されています。編成は4M3Tの7連でした。

←上野
TcM'MTsM'MTc×2 所要臨時1
白根(臨時2)
 上野707930万座・鹿沢口10031224上野13071530万座・鹿沢口17001923上野

M'M×1 Ts×2

1978年10月1日

白根に関しては時間が1時間ほど繰り上がりました。

TcM'MTsM'MTc×2 所要臨時1
白根(臨時2)
 上野608838万座・鹿沢口10001233上野13161554万座・鹿沢口16541933上野

Ts×1

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秋の吾妻線を行く183系1000番台 HMも沿線風景とよくマッチしているようです。

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袋倉 1979/8/5

1982年3月: 新前橋電車区に新製配置された185系電車が草津号の一部で運用を開始。

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185系200番台 新幹線リレー号塗装が投入された当初は急行運用でHMも急行と表示されていました。 万座鹿沢口 1982/5/2

1982年11月15日:ダイヤ改正により「白根」が「草津」の一部を吸収し定期列車化。急行「草津」1往復、特急「白根」4往復体制となる(朝の上り「白根」2号と夜の下り「白根」7号は吾妻線内快速列車)。草津号は165系電車、白根号は185系電車での運行となりました。

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「白根」のHMを付けて走る185系200番台 第三吾妻川橋梁 1984/5/6
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185系特急「白根」 1984/5/6 祖母島

1985年3月14日:急行「草津」、特急「白根」をエル特急「新特急草津」に統一。 「新特急草津」は4往復体制、上り2号と下り7号は吾妻線内快速列車。

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新特急「草津」として運用されるようになった185系200番台 1985/5/5 袋倉

1985年3月 田町区に配置されていた183系1000番台のうち、サロ183-1009以外は長野運転所に転出しました。サロ183-1009は1987/3にサロ110-1304に改造されました。

こういった経緯を経て、田町区の183系1000番台は東海道方面も北方面も185系にその職譲る形で183系基本番台がこれまで担当してきた房総特急や中央線特急「あずさ」に活路を見いだしていったのですね。

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2013年6月 8日 (土)

1975年 新潟の旅 10 183系1000番台 特急「あまぎ」「踊り子」

今回からは田町区配置された183系1000番台について触れます。老朽化した157系の置き換えのため投入されたこれらの車輌はまず「あまぎ」「白根」に投入されました。今回は特急「あまぎ」「踊り子」です。

1831000_2
東京駅12番線で出発を待つ183系1000番台「あまぎ」 

以前157系の記事でも書きましたが、東京から伊豆方面の列車の歴史を戦前から見てみると、私が知っている157系「あまぎ」は少なくとも4代目の「あまぎ」だったことが分かりました。

1928年4月:鉄道省は東京駅 - 熱海駅間に休日運転の準急列車を1往復新設しました。所要時間は2時間13分でした。1929年9月には1往復増発され、1930年10月にはさらに1往復が新設され 既存の2往復のうち1往復を毎日運転とし東京駅 - 小田原駅間を1時間20分、同熱海間を1時間45分で結びました。

1933年5月:三島駅(現在の下土狩駅)から分岐する駿豆鉄道線(現在の伊豆箱根鉄道駿豆線)の修善寺駅まで、東京方面から普通列車に併結されて来た鉄道省の客車が週末運行で乗入れるようになりました。

1934年12月:丹那トンネルの開通により、熱海駅 - 沼津駅間が開業。駿豆鉄道線の起点も新線上に新たに設けられた三島駅に変更。東京駅 - 熱海駅間を運行していた準急2往復のうち1往復は沼津駅まで運行区間を延ばすようになり、それとは別に東京駅 - 熱海駅・新宿駅 - 沼津駅間に下り土曜日・上り日曜日のみ運行される準急列車が設定されました。

1937年12月:7月に勃発した日中戦争の影響で「遊楽旅行」には次第に制限がかかるようになり、この時新宿駅 - 沼津駅間運行などの、一部の週末準急列車が廃止されました。
1938年12月:伊東線の熱海駅 - 伊東駅間が全通し、東京駅 - 熱海駅間を運行していた毎日運転の準急列車1往復が同駅まで延長運転され、東京駅 - 伊東駅間を2時間22分で結ばれました。

1940年10月:日中戦争の戦況が次第に泥沼化する中、準急列車の停車駅が増やされて定期列車のそれに関しては東京駅 - 国府津駅間では普通列車同様となりました。1942年11月には戦時陸運非常体制実施のため、東京駅 - 沼津駅間などの準急列車がすべて廃止されました。

1949年2月:東京駅 - 伊東駅間に下りのみ毎週土曜日運行の準急列車が1本設定されました。この準急列車は湘南準急と呼ばれました。
4月:湘南準急に、駿豆鉄道線修善寺発着の列車を併結するようになりました。
10月:上り列車が毎週日曜日に運転されるようになり、湘南準急に「いでゆ」と命名されました。
12月:「いでゆ」の姉妹列車として、東京駅 - 三島駅・伊東駅間に同じく週末(土曜下り・日曜上り)運転の「いこい」が設定されました。

1950年10月:東京駅 - 伊東駅・修善寺駅間に、週末準急「あまぎ」が設定されました。80系電車を使用し、優等列車への電車使用のさきがけとなりました。当時、駿豆鉄道線三島駅 - 修善寺駅間の架線電圧は600Vであり、同鉄道への乗入れに際しては、三島駅の国鉄線 - 駿豆線の渡り線に死電区間を設け、車両の方も特殊装備を施して対応したそうです。
11月:東京駅 - 伊東駅間に下りのみの客車週末準急「はつしま」が設定されました。なおこの時、「いこい」も修善寺駅まで運行されるようになりました。下り「あまぎ」は東京駅 - 熱海駅間を1時間29分、同伊東間を2時間3分で走破しましたが、これは「いこい」「いでゆ」より全区間の所要時間にしては30分早く、また東京駅 - 熱海駅間の所要時間は当時の最優等列車であった特急「はと」と同じであり、電車の速達性を見せ付けるものでした。

1951年3月:「いでゆ」「はつしま」は80系電車化され、同時に「いでゆ」は臨時列車ながら毎日運行されるようになりました。 ヘッドマークにはそのスピードをアピールする意味も込めて「湘南特急」の文字が書き込まれました。

1953年3月:「あまぎ」は「伊豆」に改称され、臨時ながら毎日運行になりました。

1954年10月:「いでゆ」「伊豆」は定期列車に格上げされました。「伊豆」「はつしま」は着席を確保するため、列車指定・枚数制限の準急券を販売するようになりました。同時に、新宿駅 - 熱海駅間に準急「あまぎ(二代目)」が設定されました。

1956年11月:東京駅 - 伊東駅・修善寺駅間に、土曜下り・日曜上り運転の準急を増発し、同列車は「たちばな」と命名されました。

1957年10月:「いでゆ」の5分先行する時刻で、不定期準急「十国」が東京駅 - 熱海駅間に設定されました。

1959年4月:「伊豆」「はつしま」は前述した列車指定の準急券販売制を発展させて、全車座席指定席となりました。またこの時、同じく列車指定の準急券販売が行われていた「いでゆ」「十国」「たちばな」も座席指定席制へ改められ、新たに全車座席指定制の不定期準急「おくいず」が東京駅 - 伊東駅間に、および土曜日に上りのみ伊東 - 東京間運行の準急(この列車には列車名はなし)が設定されました。そして「たちばな」は、伊東方面のみ毎日運転となりました。
4月10日・12日:4月10日に皇太子明仁親王(現在の今上天皇)と正田美智子(現在の皇后)との結婚式が催され、国鉄はそれを記念して東京駅 - 伊東駅間に臨時準急「ちよだ」を特急「こだま」用のモハ20系電車で運行しました。
6月:「伊豆」が、80系電車より性能・設備などですぐれる153系電車に置換えられました。以後「いこい」(客車列車)をのぞく、ほかの電車列車も順次153系電車へ改められて行きました。
9月:伊豆箱根鉄道駿豆線の架線電圧を600Vから1500Vに昇圧

1961年3月
:日光駅 - 伊東駅間に、それまで東京駅 - 日光駅間を運行していた準急「日光」を延長する形で、「湘南日光」を運転開始しました。この列車は季節により利用状況が異なるものと推定されたため、シーズンにより日光駅 - 東京駅間の「第2日光」、東京駅 - 伊東駅間の「臨時いでゆ」とに分けて運転されました。車両はすでに「日光」に投入されていた、特急列車並の設備を持った157系電車を使用しました。
10月:新宿駅 - 熱海駅間の「あまぎ」は廃止され、新たに「たちばな」が改称されて「あまぎ(三代目)」を名乗るようになりました。

1961年12月:伊豆急行線の開業により、「伊豆」のうち1往復と「おくいず」が伊豆急下田駅まで乗入れるようになりました。
1963年3月:「湘南日光」を165系電車に置換え。設備面では153系電車と同等となりました。
10月:それまで土・休日運転であった「おくいず」が定期列車に格上げされる。
12月:「あまぎ」が伊豆急下田駅乗入れ開始しました。

1964年10月1日:東京駅 - 大阪駅間の特急「ひびき」に使用されていた157系電車が、新幹線の開業による「ひびき」廃止で余剰となったため「伊豆」に転用。 「伊豆」は東京駅 - 伊豆急下田駅・修善寺駅間定期2往復の急行列車へ格上げとなりました。
「伊豆」の格上げに関して残った1往復半は「あまぎ」に組み込まれ、「あまぎ」は不定期2往復となりました。
東京オリンピック開催に伴う観光客誘致のため、東京駅 - 熱海駅間に151系電車による全車座席指定制臨時急行列車「オリンピア」が運行された。「オリンピア」は、湘南・伊豆方面へ向かう最初の急行列車となりました。

1965年10月:列車名の整理が行われて、「おくいず」は「あまぎ」に、「いこい」は「いでゆ」に統合されました。定期の準急は「いでゆ」から「あまぎ」に移り、「あまぎ」は定期5往復半体制となり、「いでゆ」は不定期準急となりました。

1966年3月:国鉄の料金制度改定に伴い、「あまぎ」「いでゆ」「湘南日光」は準急から急行に格上げされました。
 10月:平(現在のいわき駅) - 伊豆急下田駅間に、臨時急行「常磐伊豆」(土曜下り・日曜上り運転)を設定しました。1967年9月には「常磐伊豆」に修善寺行きも設定されました。平駅(現在のいわき駅) - 伊豆急下田駅・修善寺駅間の列車となりました。

1968年10月:再び列車名の整理が行われて、車両や定期・不定期問わず全車指定席の列車は「伊豆」に、自由席連結の列車は「おくいず」となり、「いでゆ」「あまぎ」を廃止しました。
1969年4月 「伊豆」は前年10月の改正で、153系電車と157系電車の両方が使用されるようになっていましたが、二等車のサービス格差が大きいため157系電車使用の列車を特急列車に格上げし、「あまぎ(四代目)」と命名。 この特急「あまぎ」は急行「伊豆」の格上げ定期2往復と季節・臨時各1往復の4往復としました。なお「あまぎ」の特急列車格上げに際しては、運行区間を東京駅 - 伊豆急下田駅間とし、うち定期・臨時それぞれ1往復は横浜駅 - 網代駅間をノンストップ(定期・季節各1往復は熱海駅にも停車)にすることで東京 - 伊豆急下田間を2時間30分台で結ぶダイヤにするなど速達性を重視することにしました。また、伊豆急行線内でも社線内特急料金を徴収することになりました。

1970年10月:末期は伊東行きのみの運転となっていた「湘南日光」が廃止。

1831000_3
こちらは新幹線ホームから撮影した183系1000番台「あまぎ」

1972年11月:「常磐伊豆」が廃止されました。

1976年3月
:「あまぎ」に使用される157系電車は老朽化したため、183系電車に置換えられました。これに合せて自由席車が連結されました。また「伊豆」にも自由席が連結されることとなったため、「おくいず」を「伊豆」に統合。

1981年3月:「伊豆」の車両が、老朽化した153系電車から順次新しく登場した185系電車に置換えられました。

1981年10月:特急「あまぎ」と急行「伊豆」を「踊り子」に統一し「エル特急」化、所要時間は平均2時間45 - 50分と「伊豆」と同じ停車駅を引き継ぎながら10分程度のスピードアップは図られたものの2時間30分台で走っていた「あまぎ」よりは劣るものとなりました。

1983年8月EF58形またはEF65形が牽引する81系和式客車による「お座敷踊り子」が運転されました。いわゆる旧型客車による最後の特急運用。

1985年3月:「踊り子」全列車を185系電車に統一。

<車輌>

1975年下期・1976年製造車
あまぎ」・「白根」置換え用に製造されたグループです。
戸閉装置がTK103形に改良されたほか、クハ183形ではCPが冷却風取入グリルからの融雪水浸入防止を図ったMH113B-C2000MAに変更されました。

MM' 1029-1033 東急 1034-1038 近車
Tc  1017-1020 東急 1021-1024 近車
Ts  1008         東急 1009, 1010 近車   
T's  1109, 1110  東急 1111-1112  近車 配置 田町電車区

1831000
田町区からの回送列車が12番線に進入

1975年12月に近車で落成した車輌が投入され、1976年1月には東急で落成した車輌も揃い1976年1月25日から特急「あまぎ」で運用が開始されました。編成はサロを2両組み込んだ6M4Tの10連でした。

←伊豆急下田、上野
TcM'MTsTsM'MM'MTc×2 所要2
あまぎ(3)(臨時+1)
 品川‥東京850-1129伊豆急下田1200-1435東京1450-1734伊豆急下田1751-2022東京‥品川
 品川‥東京800-1039伊豆急下田1122-1400東京1510-1803伊豆急下田1815-2050東京‥品川

1831000_790103_2
1978年10月の改正では「あまぎ」のHMも絵入りのものとなりました。 1979/1/3 保土ヶ谷

1831000_790103

保土ヶ谷を行く183系1000番台「あまぎ」

1981年10月1日

←伊豆急下田、上野
TcM'MTsTsM'MM'MTc×2 所要2
踊り子(3)
 品川‥東京8001046伊豆急下田11121359東京14301719伊豆急下田
 伊豆急下田8001045東京12001448伊豆急下田15091758東京‥品川
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「あまぎ」から「踊り子」へ名称は替わっても伊豆方面の特急として活躍した183系1000番台 1983/4/29 東京

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特急「踊り子」にも185系が投入されるようになり、1985年3月には185系に統一されました。 1981/10/2 東京

昨日の記事にありましたように、新潟運転所に配置された183系1000番台181系「とき」を補完するように登場しましたが、上越新幹線開業に伴う特急「とき」の廃止で登場後8年で最初の職場を追われることになりました。田町区配置の183系1000番台157系のリプレイス役として登場するものの、わずか10年程度で後進の185系に道を譲っています。

それでも現在に至るまで首都圏各地で修学旅行用とか波動輸送用にその姿を見ることができ、第一線での活躍はそれほど長くはなくとも、細く長く生きている電車だと感じています。ただその波動用車輌としての活躍も近い将来、185系が現在の特急運用から降りると185系に譲ることになるのでしょうか。

Wikipediaの記事、183系の動き 配置および編成・運用の移り変わり 一覧 のデータを参考に纏めました。

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2013年6月 7日 (金)

1975年 新潟の旅 10 183系1000番台 とき 

これまで、151系、161系、181系の登場時からその終焉まで活躍を見てきましたが、今回は1974年12月、豪雪に苦しむ181系「とき」の後継・補完役として登場した183系1000番台です。

1831000_4
上野駅高架ホームで出発を待つ183系1000番台「とき」 

183系電車は、国鉄が設計・製造した直流特急形電車であり、1972年7月に東京地下駅に乗り入れる房総特急のために登場した系列でした。それまでに登場した181系、485系、583系に較べると、運用区間は短く、自由席設定に対応した両デッキ仕様になっており、食堂車の設定もなしと登場時の評価は決して芳しくありませんでした。いうなればそれまでの重厚な特急のイメージを破るものでしたが、その後は房総各線に留まらず中央線、上越線にも活躍の範囲を広げて行きました。

183系1000番台登場のきっかけは豪雪に苦しむ上越特急「とき」の安定した運行の確保でした。当時既に設計中であった189系の基本設計を踏襲しつつ、711系における耐寒耐雪の実績を取り入れ、設計から登場まで9ヶ月という極めて余裕のないスケジュールの中で、登場しました。主制御器は当時の485系と同じCS15Fとしました。

1831000_3
181系「とき」の指定席のようだった上野駅7,8番ホームに新顔が現れたという感じでした。

形式間に共通している基本番台からの変更点は台車で、耐雪強化構造となったDT32I・TR69I形を採用しました。ちなみに基本番台の台車はダイヤフラム式空気バネとウイングばね式軸箱支持のDT32E形を電動車に、TR69E形を付随車に採用しました。基礎ブレーキはDT32E形が片押し式の踏面式で、TR69E形は1軸当たり2枚装備するディスク方式でした。

クハ183形
寒冷時における運転台へのすきま風防止のため先頭部の貫通路と貫通扉を廃止し、0番台では省略された運転台の後方監視窓を設置しました。ATCは未搭載、運転台の拡張とMG冷却風道用の雪切室を設けたために定員は逆に減少して56名となりました。客室窓周りの赤塗装は従来乗務員室扉前位でクロスさせて下部前灯部分にかかるデザインでしたが、本区分番台では乗務員室扉はベージュ塗装として塗り分け位置を変更しました。 前灯周位の塗り分けも翼をイメージした形状になり、同じく貫通扉を有しない485系300番台や同1000番台などと比較してやや『つり目』風とでも言うべきデザインに変更となりました。

MM'ユニット
パンタグラフ搭載車が、モハ183形からモハ182形に変更されました。

サロ183形
クハ183形のMG・CPトラブル発生時でもサービス電源と圧縮空気の確保のため3MG・CP化されMG・CPを搭載する1100番台と未搭載の1000番台に区分されました。

1831000

鶯谷 485系クハとちがって屋根上の前照灯が無いのはなにか物足りない感じが今でもします。中央線通過のためやむを得ないのですが。

<製造について>

上記の4形式で総数181両が6次に分かれて製造されました。今回は新潟運転所上沼垂支所配置の車輌についてのみ記述します。

1974年製造車とき」緊急置換え用に製造されたグループです。
トイレの汚物処理装置が暫定工事で落成したために水タンクが本来の700ℓから1000ℓに増量されています。

MM' 1001-1006 日車 1007-1012 近車
Tc  1001-1004 日車 1005-1008 近車
Ts  1001,1002  日車 1003          近車   
T's  1101, 1102  日車 1103         近車      

1975年上期製造車とき」第2次置換え用に製造されたグループです。
モハ2形式は、主電動機冷却風取入口がワンタッチで夏冬切換できるものに改良されました。クハ183形は、運転台下横にあるMG・CPの冷却風取入グリルの形状が改良されました。

MM' 1013-1020 東急 1021-1028 近車
Tc  1009-1012 東急 1013-1016 近車
Ts  1004,1005  東急 1006, 1007 近車   
T's  1104, 1105  東急 1006-1108  近車 

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1975年の旅行で長岡で撮影した183系1000番台「とき」 

1978年製造車 1978年10月のダイヤ改正で「とき」増発と第3次181系置換え用に製造されたグループです。この改正で「とき」は14往復になりました。
普通車の簡易リクライニングシートが、ロック機構のあるR51BNに改善されました。
モハ182形の冷房装置が、AU71B形に改良されました。
サロ183形1000番台は、逼迫する国鉄財政事情から新造されず、サロ481形改造の1050番台が充当されました。

MM' 1039-1042 東急 1043-1048 日車 1049-1058 川重
Tc  1025, 1026 東急 1027, 1028 日車 1029-1032 川重
Ts     
T's  1113         東急 1114, 1115  日車 1116, 1117 川重 

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1978年のダイヤ改正前からHMは絵入りタイプに 1982/1/3 南浦和

1981年製造車 クハ183-1501・1502の2両のみで、1982年11月のダイヤ改正で、上越新幹線開業により「とき」が廃止され、捻出された183系によって房総各線は急行を全廃して特急列車の増発が行われることになりました。その際に必要となるATCを装備した制御車の転用改造を実施するための予備車として製造されたもので、新造時からATC-5形を装備しています。非貫通形のクハ183形1000番台車をベースとして製造されましたが、座席1脚分のスペースをATC機器室に充当したため、ベースとなったクハ183形1000番台よりも定員は2名少ない54名となりました。

Tc 1501, 1502 日車 

<運用について>

新潟運転所上沼垂支所には1974年12月28日から配置され、8M4Tの12両編成でそれまですべて181系で運転されていた「とき」13往復中3往復をまず置き換えました。

←東京
TcM'MM'MTsTsM'MM'MTc×3 所要2
とき(3)
 上沼垂‥新潟6501048上野11381530新潟16502049上野‥東大宮
 東大宮‥上野7381133新潟12501648上野18082203新潟‥上沼垂

Tc×2

1975年10月には7往復を占めるまでになりました。

←東京
TcM'MM'MTsTsM'MM'MTc×7 所要5(臨時+1)
とき(7)(臨時+1)
 上沼垂‥新潟6501049上野11381530新潟16502049上野‥東大宮
 東大宮‥上野7381133新潟12501649上野18082205新潟‥上沼垂
 上沼垂‥新潟8501249上野13381731新潟18502248上野‥東大宮
 東大宮‥上野6381037新潟11501550上野16382033新潟‥上沼垂
 上沼垂‥新潟10501449上野15381935新潟‥上沼垂
 新潟12201624上野19032317新潟

Tc×2 Ts×1

さらに増発を重ね、1978年10月改正では14往復中10往復を担当。

←東京
TcM'MM'MTsTsM'MM'MTc×12 所要9(臨時+2)
とき(11)(臨時+2)
 休
 上沼垂‥新潟6181033上野13191733新潟18482303上野‥東大宮
 東大宮‥上野9491400新潟14481903上野‥東大宮
 東大宮‥上野6491102新潟12481703上野18192309新潟‥上沼垂
 上沼垂‥新潟8581309上野13491800新潟‥上沼垂
 上沼垂‥新潟7481203上野12491700新潟‥上沼垂
 上沼垂‥新潟6481103上野11491600新潟17482203上野
 上野8491300新潟16482103上野‥東大宮
 東大宮‥上野10491500新潟15482003上野‥東大宮
 東大宮‥上野7491200新潟13481803上野19192330新潟‥上沼垂
 新潟818-1233上野/上野1216-1629新潟
 新潟1209-1633上野1849-2309新潟

上越新幹線開業直前には、181系充当「とき」4往復のうち1往復が183系に振替となり11往復が183系で運転されましたが、9月からは新幹線の開通を待たずに検査期限が切れた181系が多発したために幕張所属車を含めて全列車が183系で運用されることもありました。

←東京
TcM'MM'MTsTsM'MM'MTc×12 所要9
とき(11)
 休
 上沼垂‥新潟8581309上野13491800新潟18482303上野‥東大宮
 東大宮‥上野9491400新潟14481903上野‥東大宮
 東大宮‥上野6491102新潟12481703上野18192309新潟‥上沼垂
 上沼垂‥新潟9481403上野14491900新潟‥上沼垂
 上沼垂‥新潟7481203上野12491700新潟‥上沼垂
 上沼垂‥新潟6181033上野11491600新潟17482203上野
 上野8491300新潟16482103上野‥東大宮
 東大宮‥上野10491500新潟15482003上野‥東大宮
 東大宮‥上野7491200新潟13481803上野19192330新潟‥上沼垂

Tc×2

1982年11月15日の上越新幹線開業で「とき」は全廃されたため新潟所属車は、全車長野運転所と幕張電車区に転属しました。

一説には同時期伯備線・山陰本線の伯耆大山~知井宮間の電化開業が迫っており、特急「やくも」の電車化に183系1000番台が転用が検討されたそうです。しかし地元出雲市が新車を導入するために、一致団結して誘致活動をおこなったこと、伯備線に183系を導入してもスピードアップが望めないこと、上越新幹線の開業時期が中山トンネル出水事故の影響で6月から11月に延期されたことなどもあって、当初の予定通り381系が導入されたとのことです。

Wikipediaの記事、183系の動き 配置および編成・運用の移り変わり 一覧 のデータを参考に纏めました。

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2013年6月 6日 (木)

1975年 新潟の旅 9 181系 「とき」 その5

1975年12月の特急「あずさ」の189系化以降、181系は新潟に集結し、特急「とき」で最後の活躍をしていました。

1974年5月24日、新潟駅構内の上越新幹線工事の関係で新潟運転所上沼垂支所が上沼垂信号所そばに開設され、気動車を除く、新潟運転所所属の電車、客車が転属しました。同所は1986年11月1日、上沼垂運転区として独立し、表記も新カヌとなりました。2004年4月1日には、新潟車輌センターになり、略号も20年ぶりに新ニイに戻りました。

1978年10月のダイヤ改正では体質改善と183系1000番台との編成統一がなされ、モロやサハ、サシが廃止されました。以前、485系1000番台の記事489系の記事でも記述しましたが、このときの編成の体質改善の大きな要素は3MG化でした。

181_1811000_801115
485系ベースのサロを組み込み鶯谷を通過する末期の181系特急「とき」編成 1980/11/15

1)車齢の若かった100番台のモロユニット(101~103)は普通車に格下げ改造され200番台のモハユニット(201~203)になりました。

2)長野の保留車、サロ180-101に整備改造と改番を行い、サロ180-1001として復帰させました。

3)他に必要なサロに関しては、鹿カコに所属していたサロ481-26, 27, 28を改造してサロ180-1051, 1052, 1053とし、上越新幹線開業後は485系へのコンバートを前提にサロ181-1100番台6両(1101~1106)を新製しました。これら485系をベースとする付随車は台枠の高さが181に較べて高く、編成に組み込まれると明らかに段違いとなり、編成美は損なわれることになりました。

4)サロ181-1001, 1051, 1052の3両は「とき」運用終了後、サロ110-301,302, 303に再改造されています。

5)サロ181-1100番台6両は「とき」運用終了後、サロ481-1501~1506に再改造され、さらに運転台を取り付けてクロハ481-1501 (今は亡き勝田区K40)、クハ485-703 (リゾートやまどり)、クハ481-1106、クハ484-703 (リゾートやまどり)、クハ481-1108、クロ484-5(ニューなのはな)などに改造されています。

こういった動きで181系の配置両数は64両となり、運用は「とき」14往復中、4往復でした。

手元に1979年4月時点での新潟運転所の181系編成データがあります。

<=新潟                                                                           上野=>
       12    11    10     9      8     7     6       5    4      3     2     1
       Tc    M     M'    M     M'    Ts    T's    M   M'     M    M'    T'c
       45    201  201   42    42  1106 1101 111 111   29   202  0-4
      102   114  114  104  104  1053 1102 106 106  110  110  105
      103   109  109  113  113  1052 1104 102 102  101  101  0-5
      106   203  203   41    41  1051 1105 103 103  107  107  104
     バラ
   Tc         101          109
      M+M'   43-115     108-108   112-112
       Ts     0-1001
       T's      1103
       Td        43             101
       T'c       107
     工場入場車
  M+M'  105-105
   T'c    108

1979年1月モハ181-202は踏切事故に遭遇し炎上し使用不能となりました。その後の対応で、この事故でユニットの相手を失ったモハ180-202は、廃車前提の休車になっていた1962年製造の比較的状態の良かったモハ181-29と新たにユニットを組み運用に復帰しました。モハ181-29は、151系生え抜き最後の1両として1982年の運用終了まで使用されました。一方、同車とユニットを組んでいたモハ180-13と事故車のモハ181-202は、1979年2月20日付で廃車となりました。よって、4月時点での181系の総数は62両となりました(181系における事故廃車はクロ151-7モハ181-202の2両でした)。

この改正で印象深いのは特急などの~号の数字が下り奇数、上り偶数方式になったことと、HMのイラスト化でした。1978年8月頃から、183系1000番台のHMに絵入りマークが登場し、181系ボンネットのHMが絵入りになったのは1979年1月頃からでした。

181_790505_2
181_790505_3
尾久を通過する181系特急「とき」 1979/5/5 あの頃、181系のHMが絵文字化されたのを見て、「じきに廃止されるのになぁ」と正直感じました。

最末期の181系運用は

 上沼垂‥新潟10481503上野15492000新潟
              新潟9481403上野14491900新潟      ‥上沼垂
 上沼垂‥新潟11481603上野16492100新潟    ‥上沼垂

と、いずれも新潟を午前に出て、昼過ぎから午後にかけて上野で折り返すパターンでしたのでこういった写真を撮っていたのだと思います。

1982年11月15日、東北新幹線本格開業と上越新幹線開業のダイヤ改正で特急「とき」は全廃となり、181系も営業運転を終了することになりました。1958年のデビュー以来、24年の活躍に終止符が打たれました。

181_820103
南浦和を行く181系特急「とき」編成 1982/1/3
181_790505_5
489系化された「はくたか」と上野駅高架ホームで並んだ181系「とき」、この頃はクハ180が上野方先頭のケースもよく見られましたが、この編成は100番台のクハでした。 1979/5/5

今回もWikipediaの記事、181系の動き 配置および編成・運用の移り変わり 新潟 のデータ、そしてJRR発行「国鉄電車編成表」のデータを参考に纏めました。

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2013年6月 5日 (水)

1975年 新潟の旅 9 181系 「とき」 その4

1973年5月26日、山陽本線で唯一181系で運転していた「しおじ1/4号」が485系に置き換えられ、山陽路での181系の歴史は終わりました。東海道特急としてのデビューから14年半でした。これ以降、181系は新潟、長野に集結し、「とき」「あさま」「あずさ」の定期運用の他、「そよかぜ」「新雪」などで活躍しますが、151系として製造されたメンバーの活躍はあまり長いものではありませんでした。

181_751100
1975.11の新潟旅行、長岡駅で撮影した181系特急「とき」 1975/11/3
181_751100_2_2
同列車の後追い撮影
1973年10月の改正では13往復まで成長した181系「とき」もわずか2年で、すっかり信用をなくすような形で後輩、183系1000番台にとって替わられ、6往復まで減少しておりました。

ここでまず151系のメンバーとして製造された先頭車、改造先頭車の活躍について纏めてみようと思います。

クハ151

1  向日町 1968.3 田町へ 1969.7 新潟へ 1973.9 長野へ 1976.1 廃車 (保存川重)
2  向日町 1968.7 田町へ 1969.7 新潟へ 1973.9 長野へ 1975.11 廃車
3  向日町 1972.2 長野へ                      1975.11 廃車
4  向日町 1972.3 新潟へ                      1975.5 廃車
5  向日町 1972.9 長野へ                      1975.11 廃車
6  田町   1969.7  新潟へ                      1975.11 廃車
7  向日町 1972.3 新潟へ                      1975.8 廃車
8  田町   1969.7  新潟へ                      1975.11 廃車
9  向日町 1972.9 新潟へ                      1975.8 廃車
10 向日町 1972.10 新潟へ                      1975.8 廃車
11 向日町 1973.9 長野へ                       1976.1 廃車
12 向日町 1972.11 新潟へ                      1975.8 廃車

クハ151-1~6は1958年、7~11は1961年、12は1962年製ですが、いずれも1976年1月までに廃車となっています。クハ181-3,5,7,11は終生赤帯は巻かなかったとのことです。

クロ151


1 向日町 1966.5 クロ181-1 1966.12 クロハ181-1 1973.9 クハ180-53 長野 1976.1 廃車
2 向日町 1965.12 クロ181-2 1967.2 クロハ181-2 1973.10 クハ180-54 長野 1975.11 廃車
3 向日町 1966.1 クロ181-3 1967.3 クロハ181-3 1972.3 クハ180-52 長野 1975.11 廃車
4 向日町 1965.9 クロ181-4 1966.12 クロハ181-4 1972.3 クハ181-62 新潟 1978.6 廃車
5 向日町 1966.6 クロ181-5 1966.11 クロハ181-5 1973.9 クハ180-55 長野 1975.11 廃車
6 田町 1965,3 クハ181-56 1969.7 新潟 1975.8 廃車
7 1964.9.8 4.24の草薙事故で事故廃車
8 向日町 1965.8 クロ181-8 1966.10 クロハ181-8 1972.10 クハ181-63 新潟 1979.2 廃車
9 向日町 1966.8 クロ181-9 1967.3 クロハ181-9 1973.1 クハ181-64 長野 1978.6 廃車
10 向日町 1965.11 クロ181-10 1967.1 クロハ181-10 1972.11 クハ181-65 新潟 1978.9 廃車
11 向日町 1966.7 クロ181-11 1968.9 クハ181-61 田町 1969.7 新潟 1978.7 廃車
12 向日町 1966.4 クロ181-12 1969.3 クハ180-51 田町 1969.7 長野 1976.1 廃車

クロハ181形は1966年度にクロ181形の開放室を定員32名の2等客室に改造し誕生した形式で、向日町に転属した10編成のうち、特11,12編成以外のクロが改造されました。

クロ150-3

田町 1965.3 クハ181-53 1969.7 新潟 1975.11 廃車

クハ181-71

サハ180-1 1968.12 田町 1969.7 新潟 1975.8 廃車

クハ181-72

サハ180-13 1968.12 田町 1969.7 新潟 1975.11 廃車

といった改造遍歴を辿り、どの車輌も1979年までに廃車になっています。

続いて161系由来と181系新製クハの履歴です。

クハ181-40番台の履歴

41 1965.6 田町 1969.7 新潟 1975.11 廃車
42 1965.5 田町 1969.7 新潟 1976.5    廃車
43 1965.5 田町 1969.7 新潟 1976.5  廃車
44 1965.1 田町 1969.7 新潟 1978.7  廃車
45 1965.1 田町 1969.7 新潟 1986.3  廃車 保存 鉄道博物館 大宮

クハ181-100番台の履歴

101 1966.6 田町 1969.7 長野 1975.6 新潟 198311 廃車
102 1966.6 田町 1969.7 新潟          1982.12 廃車
103 1966.8 田町 1969.7 新潟          1982.12 廃車
104 1966.8 田町 1969.7 長野 1975.6 新潟 1983.3  廃車
105 1966.8 田町 1969.7 長野 1975.6 新潟 1983.11 廃車
106 1966.8 田町 1969.7 新潟          1983.11 廃車
107 1966.9 田町 1969.7 長野 1975.7 新潟 1983.11 廃車
108 1966.9 田町 1969.7 新潟          1982.12 廃車
109 1969.6 長野          1975.6 新潟 1984. 1 クハ481-501に改造 1993.11 廃車     

クハ180-0番台の履歴

1 1966.6 田町 1969.7 長野 1975.11 廃車
2 1966.6 田町 1969.7 長野 1975.11 廃車
3 1966.6 田町 1969.7 長野 1975.11 廃車
4 1966.6  田町 1969.7 長野 1975.6 新潟 1982.9 廃車
5 1969.6 長野          1975.7  新潟 1984.1 クハ481-502に改造 1991.8 廃車

1969年7月に181系は田町区から運用移管されて長野と新潟に分かれましたが、新潟、長野間での移動は1973年9月に「あずさ」の運用移管の関係でクハ181-1,2が新潟から長野へ転属したケースと、1975年6月から7月にかけて長野の181系が189系に置き換えられる際に、クハ181-101, 104, 105, 107, 109、クハ180-4,5が新潟に転属したケースのみです。
クハの番号を判別する際にどの列車を担当しているかも重要な判断基準となります。例えばチャンピオンマーク付きのクハ181ー3、-4の2両は1972年に両者、関東に転属していますが、3は長野、4は新潟に配属されたため、「あさま」「あずさ」と「とき」に担当が分かれていました。

1973年10月のダイヤ改正で、「とき」13往復、「あずさ」10往復(181系は5往復)、「あさま」5往復まで成長しましたが、このときが関東における181系の活躍のピークでもありました。この改正後の冬シーズンから181系は大雪に悩まされ、1974年12月にはついに183系1000番台によって3往復が置換となり、1975年10月には7往復が置換されます。このとき、181系「とき」の編成は183系1000番台に合わせて12両編成となりました。

1975年7月には碓氷峠の連結制限解消のため、169系489系で培ってきた方式を直流特急車両にも取り込んだ189系がデビューし、「あさま」が置き換えられました。「あさま」の置き換えで捻出された比較的車齢の若い181系が新潟に転属となり、151系からのメンバーが廃車となりました。クハ180に関しては、1~4が1966年製、5が1969年製でしたが、4は5とともに新潟に転属し、その後「とき」で活躍しました。4,5は片渡り構造であったので、長野工場で両渡りに改造して新潟に転属しました。

181_1804
「あさま」編成用に登場したクハ180でしたが、「あさま」が189系化された後は、-4と-5が新潟に転属し、「とき」で活躍しました。
181_1804_2_2
クハ180-4のサイドビュー スカートは短く、クハ181に較べてセットバックされており、そこにEF63連結用のテコなどが装備されています。

1975年12月には「あずさ」も189系で置き換えられ、長野には保留車のサロ180-101だけが残され、108両が新潟集中配置となりました。

181_1805
ミスショットですが、「とき」で活躍するクハ180-5 ボンネットサイド下の空気取り入れ口が縦スリットになっています。485_481500_860219_3_2
後年、クハ180-5は改造されてクハ481-502となりましたが、出自の違いは隠しようがなく、車体の段差を含め、普通の人が見ても「あの電車、ヘン!」だったのではないでしょうか。1986/2/19 小倉

Wikipediaの記事と鉄道ピクトリアル誌(2005年9月10月号 No765,766)の151・161・181系電車の記事を参考に纏めました。

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2013年6月 4日 (火)

1975年 新潟の旅 9 181系 「とき」 その3

今回は東海道新幹線開業前後の151系、161系の動きと181系への改造、そして181系としての新造車について触れたく思います。

181_7
クハ181-102 ボンネットの天蓋は1つ、スカートのタイフォンの穴は小判形の典型的な181系新製のクハ 上野

1962年頃から、新幹線開業後の151系の転用について検討が開始され、10編成は山陽本線で新幹線に接続する特急として運用することにし、30両は上越特急増発用に充てることになりました。151系、161系を出力増強し、さらに151系は耐寒耐雪装備を施し、181系として統一することに致しました。出力増大改造は田町に残った30両のうち、長期休車の2両を除いた28両から開始され、長期休車だったサロ151-6が1968年11月、サロ150-2が1969年6月に181系化されて、全ての151系が181系に生まれ変わりました。大井工場で早期に改造が終了した編成はステンレスナンバーを白く塗って区別したそうです(白ナンバー車)。

151系の形式のまま、181系になる場合は原番号のまま。
161系は原番号+40
モハシ150からモハ180は、+50  (56,58,59)
クロ150-3はクハ181-53 (特8編成)
クロ151-6はクハ181-56 (特6編成)

改造工事は大井工場、浜松工場で行われ、その内容は、151系では主電動機をMT46A(100kW)からMT54(120kW)に交換、制御方式をCS12AからCS15Aに交換し、ノッチ戻し、勾配抑速ブレーキの取り付け、耐寒耐雪装備、161系ではMT46BからMT54、CS12CからCS15Aノッチ戻し取り付けとなりました。

1964年10月改正で151系が担当した山陽特急は「つばめ」「はと」新大阪~博多、「しおじ」新大阪~下関、「うずしお」大阪~宇野、「ゆうなぎ」新大阪~宇野でした。

←博多、宇野
TscMsM'sTsTdM'bMTTM'MTc×10(151系) 所要8
つばめ(1)、はと(1)、しおじ(1)、うずしお(1)、ゆうなぎ(1)
 向日町‥新大阪13302245博多‥雑餉隈
 雑餉隈‥博多7101630新大阪‥向日町
 向日町‥新大阪12202130博多‥雑餉隈
 雑餉隈‥博多8451812新大阪‥向日町
 向日町‥新大阪15202320下関
 下関6301435新大阪‥向日町
 向日町‥大阪700950宇野12401535新大阪‥向日町
 向日町‥新大阪14201720宇野19112200大阪‥向日町

山陽区間には瀬野~八本松が存在し、1962年6月の改正から151系「つばめ」が広島まで乗り入れていましたが、上り列車はEF61の補機としての助けを借りていました。さらに「つばめ」「はと」の博多まで延長運転に際して、関門区間はEF30+サヤ420+151系、門司~博多間はED73+サヤ420+151系で運転されるようになり、6編成(特1・4・5・7・9・11編成)に対応改造がなされました。これらの編成は1964年4月から松任工場に入場し、改造後はステンレスナンバーを赤く塗って区別したそうです(赤ナンバー車)。

九州乗り入れ改造の内容は、補機駆動電源帰線の引き通し、クハ・クロへのブレーキ管、元空気ダメ引き通し管の延長・ジャンパ栓増設、二重施錠方式のPS16Eパンタグラフへの交換でした。

1965年3月20日の改正では181系改造済み編成の投入もあって、特急「とき」が一往復増発され、編成も7号車にサハ180を増結して10両編成となりました。

←上野
TcMsM'sTdM'MTM'MTc×4(151系改,161系,181系) 所要3
とき(2)
 品川‥上野16452130新潟
 新潟8301315上野‥品川
 品川‥上野7501235新潟15152000上野‥品川

Ts×2(151系)
MsM's×1 M'M×1 Tc×1 Td×1(151系改,161系,181系)

1965年10月1日の改正では特急「つばめ」「はと」の博多乗り入れを取りやめ、新大阪~広島間に「しおかぜ」を2往復新設し、「つばめ」は増備された481系により、名古屋~熊本間の運転となりました。さらに、新大阪~下関間の「しおじ」も増発されました。

←下関、宇野
TscMsM'sTsTdM'bMTTM'MTc×10(151系,181系) 所要8
しおじ(2)、しおかぜ(2)、うずしお(1)、ゆうなぎ(1)
 向日町‥新大阪17302200広島
 広島8051240新大阪15302310下関
 下関7001440新大阪‥向日町
 向日町‥大阪8501140宇野12451540新大阪‥向日町
 向日町‥新大阪14301726宇野18352124大阪‥向日町
 向日町‥新大阪12302010下関
 下関10001742新大阪‥向日町
 向日町‥新大阪9301356広島16102041新大阪‥向日町

1965年12月からは山陽特急の1等車の乗車効率が30%と芳しくなかったため、一部の編成の4号車のサロを一両減車し、11両編成化がなされました。大ムコの151系についても1965年から181系化改造工事が始まり、1966年10月のダイヤ改正までに終了しました。

一方、「とき」の編成の7号車サハ180は1966年3月25日の改正から編成内でのMGの負担を均衡化するために方向転換して4号車に連結されるようになりました。

特急「とき」の編成

Tc+Ms+M's+T+Td+M'+M+M'+M+Tc     東チタ 

1966年7月には碓氷峠の複線化が完成し、長野運転所も開設され、10月1日長野~直江津間電化完成に伴うダイヤ改正が実施され、上野~長野間に電車特急「あさま」が2往復設定されました。同時に「とき」も1往復増発され、3往復となりました。「あさま」は碓氷峠通過の制約から8両の短編成となり、サシの連結は見送られ、従来からのサシでの制御線のクロスが不可能となったため、偶数向き専用クハとしてクハ180が登場しました。この改正に伴う所要増に対応するために181系として45両の新製車が、モロ、モハ、クハ、サシが100番台として(クハ180は除く)登場しました。

←上野、松本
TcMsM'sTTdM'MM'MTc×7 所要6
とき(3)、あずさ(2)
 品川‥上野16452130新潟
 新潟8001244上野‥新宿16202018松本
 松本8001155新宿‥品川
 品川‥新宿8001157松本15101908新宿‥品川
 品川‥上野8051250新潟13401825上野‥品川
 品川‥上野11451630新潟17352220上野‥品川

TcM'MM'MTsTsTc×3 所要3
あさま(2)
 品川‥上野13301700長野
 長野7451120上野‥品川
 品川‥上野9301300長野14351810上野‥品川

Ts×2(151系)
MsM's×1 M'M×1 Tc×1 Ts×1 Td×1

181_181_b「あさま」が189系に置き換えられたのは私が写真を撮りだしてまもなくだったため、こんな写真しか撮っていません。
181_180_3
クハ180の「あさま」もこの一枚だけでした。 尾久 
これらの写真から「あさま」には2種類のHMがあったことは分かります。

特急「あさま」の編成

T'c+M'+M+M'+M+T's+T's+Tc 東チタ

モロ181・180   101-103 (横軽対策は施工せず)
モハ181・180  101-112
クハ181     101-108
クハ180      1-4 (補機連結のため、自連カバー、取り付けボルトは省略)
サロ180     101
サシ181     101-103 (カーテンからベネシャンブラインドへ)

161系を基本としていますが、横軽対策(空気バネのパンク装置、非常ブレーキ吐出弁絞り追加、台枠と連結器の強化、連結器緩衝装置の容量増加)、中央線山用対策(屋根上前照灯、予備笛、ウインカーランプ撤去、パンタグラフ折りたたみ高さの抑制)が施されました。歯車比は151系と同じ3.5になりました。主制御器はCS15B、台車はDT32C,TR69Cとなりました。また従来からあった後方列車保護のための前灯に赤色フィルターの設置もなくなりました。このときに製造されたサシのうち、102,103の2両は1972年にサシ489形に改造されました。

181_181101
クハ181-101 181系として発注され、川崎重工で落成しました 上野

さらに、この改正に備えて大ムコからサロ181 5両、サロ180 5両が田町に戻り、サロ181 3両はサハ181形に改造されました。この時点で山陽特急は全編成181系、11両編成となりました。

1966年10月時点での山陽特急の編成

Tsc+Ms+M's+Td+M'b+M+T'+T'+M'+M+Tc  大ムコ

1号車のパーラーカーは乗車率が芳しくないため、解放室をハザに改造しクロハに改造する工事が1967年春までにクロ181-11,12の2両を残して施行されました。この2両を含む編成は1967年4月以降、「うずしお」「ゆうなぎ」に限定運用されたそうです。

1966年12月12日、中央東線の線路容量増加工事(大月~勝沼間の複線化やスイッチバックの解消)が終了し、時刻改正が行われ、新宿~松本間に特急「あずさ」2往復が新設されました。編成は特急「とき」と共通となり、上野~東京~品川~新宿と回送運用が生じ、号車番号は逆向きとなるため、編成札の入替を行いました。

特急「あずさ:の」編成

Tc+M+M'+M+M'+Td+T+M's+Ms+Tc   東チタ

1967年9月には新清水トンネルの開通など、上越線の全線複線電化が完成し、同年10月1日のダイヤ改正では、特急「とき」もスピードアップが実現し、さらに「とき」1往復が東京駅に乗り入れるようになりました。

1968年10月、いわゆるヨンサントウのダイヤ改正では、軌道強化工事が完了し、最高速度が120km/hに向上し、運転時分も短縮され、山陽路では「しおじ」「うずしお」それぞれ3往復担当の運用減となり、特1,特2編成が田町区に再転属となりました。この改正からパーラーカーをクロハ181に統一することとなり、貴賓車予備で残されていたクロ181-11,12は特1,特2編成と差し替えられ、それぞれクハ180-51、クハ181-61に改造されました。特1編成に組み込まれていたサハ180-1サハ180-13は関東では先頭車の不足が予見されていたため、100番台と同様の運転台を設置し、クハ181-71,72となりました。大ムコの181系11両編成に関してもMG付加の均衡化から、7号車のサハを方向転換して4号車に連結するように編成変更が行われました。

←下関、宇野
ThscMsM'sTTdM'bMTM'MTc×7 所要6(臨時+1)
しおじ(3)(臨時+1)、うずしお(3)
 向日町‥新大阪17352025宇野
 宇野8401132新大阪13351629宇野18352132大阪‥向日町
 向日町‥大阪8501134宇野12291522新大阪17282154広島
 広島8151242新大阪15282246下関
 下関7251442新大阪‥向日町
 向日町‥新大阪10281450広島16152045新大阪‥向日町
 大阪9201335広島14201848新大阪

ThscMsM'sTTdM'bMTM'MTc×1
M'b×1 Tsc×1 T×1

特急「とき」はこの改正で2往復増発され、5往復となり、「あさま」も直江津までの1往復が増発されました。「あずさ」も季節特急が1往復増発されました。これらの増発は「しおじ」を583系で置き換えることで、181系23両を大ムコから東チタに転属させ、予備車の1両を加えて可能となりました。

←上野、松本
TcMsM'sTTdM'MM'MTc×9 所要7
とき(5)、あずさ(3)(臨時+1)
 品川‥新宿8001142松本12351617新宿17002047松本
 松本8001145新宿13001642松本18002144新宿‥品川
 品川‥新宿9551347松本15051845新宿‥品川
 品川‥上野10001400新潟15001905上野‥尾久
 尾久‥上野8051205新潟13001705上野‥東京18002202新潟
 新潟10001405上野15051905新潟
 新潟8001207東京‥上野13051705新潟18002205上野‥品川

TcM'MM'MTsTsTc×3 所要2(臨時+1)
あさま(3)、そよかぜ(臨時2)
 品川‥上野8401145長野12401550上野‥東京16402105直江津
 直江津7301201東京‥上野13301635長野18052118上野‥品川
 東京720935中軽井沢10251247東京13301550中軽井沢16401901東京

Ts×2(151系)
MsM's×1 M×1 Ts×1 Td×1

1969年7月1日、田町区の運用移管が行われ、新潟運転所に「とき」「あずさ」用94両、長野運転所に「あさま」用32両が転出しました。一方、昭和43年度第4次債務でモハ181・180、クハ181、クハ180、サロ180の5形式8両が、新製増備されました。これは季節臨時列車「そよかぜ」2往復への投入を目的としたもので、これらの車輌は長野区に配置されました。

モハ181・180 113-114
モハ180 単独 115 
(単独製造の理由は2013/5/8の記事で記述したようにモハシの改造で遊ぶモハ181を有効利用するため)
クハ181  109 
クハ180   5 
サロ180  101

今回の2両のクハはタイフォンカバーが中折れ式シャッターに、ボンネット空気取り入れ口縦型スリットにといった形態的変化を示しました。

1969年10月の改正では、「しおじ」4往復と、「うずしお」2往復に担当を変更し、特4編成からモハ181-4とモハシ180-4のユニットを外し、これらのうちモハ181-4は長野に転属し、同時期に新製されたモハ180-115と新規にユニットを組みました。この時点で大ムコの配置は7編成と予備車9両の86両体制となりました。

←下関、宇野
ThscMsM'sTTdM'bMTM'MTc×7 所要5(臨時+1)
しおじ(4)(臨時+1)、うずしお(2)
 休
 向日町‥大阪8501134宇野12291522新大阪1728045下関
 下関5401312新大阪15282248下関
 下関7001422新大阪16282054広島
 広島7101140新大阪13351629宇野18352132大阪‥向日町
 向日町‥新大阪10281450広島16152045新大阪‥向日町
 大阪9021312広島15241950新大阪

M'sMs×1 M'b×1 M'M×1 Thsc×1 Td×1 T×1 Tc×1

1970年10月1日の改正で山陽特急のビュッフェの営業は廃止となり、モハシ180形はモハ180形50番台に改造されることとなりました。一方で「とき」は6往復に増発、「あずさ」も4往復になりました。

1972年3月15日の新幹線岡山開業の改正では、大ムコから181系15両が新ニイに転属し、大ムコの181系は5編成(特5,9, 10, 11,12)と予備車(M-3, M'-53, Tsch-9, T'-19)休車(M'b-11)となりました。「うずしお」が廃止され、「はと」3往復は復活しましたが、「しおじ」1往復の体制となりました。

←下関
ThscMsM'sTTdM'MTM'MTc×5 所要4(臨時+1)
しおじ(1)(臨時+1)、はと(3)
 下関5301238新大阪16302335下関
 下関11351630岡山17352230下関
 下関7351230岡山15352030下関
 下関6351130岡山12351730下関
 大阪7431205広島13191744新大阪

M'b×1 M'M×1 Thsc×1 T×1

一方で「とき」は7往復、「あさま」は2往復増発され5往復、489系12両編成による「白山」も登場となりました。「あずさ」もこれまで季節列車だった列車が定期に格上げされました。長野運転所での増発に対して、サロ2両組み込みのための車輌が底をつくことになり、初めてモロが長野に配置されたのもこの頃です。

←上野、松本
TcMsM'sTTdM'MM'MTc×10 所要8(臨時+2)
とき(7)(臨時+2)、あずさ(4)
 休
 上野600956新潟10401439上野16302021新潟
 新潟8401239上野13301723新潟18402239上野‥三鷹
 三鷹‥新宿8001137松本1246白馬1351松本15051843新宿‥尾久
 尾久‥上野7301123新潟12401639上野18052156新潟
 新潟6401046東京‥上野11301523新潟16402039上野‥三鷹
 三鷹‥新宿9301306松本13401711新宿17452125松本
 松本8001128新宿12501630松本17052035新宿‥東大宮
 東大宮‥上野9301323新潟14401839上野‥東京19252323新潟
 新潟9401339上野15301924新潟
 新潟17402144上野

MsM's×1 M'M×1 Tc×1 T×1 Td×1

←上野
TcM'MM'MTsTsTc×5   TcM'MTTM'sMsTc×1 所要5(臨時+1)
あさま(5)(臨時+3)、そよかぜ(2)
 長野18302135上野‥尾久
 尾久‥上野8251124長野12301536上野‥東京16202039直江津
 直江津7151141東京12251433中軽井沢18302052東京‥尾久/中軽井沢17311942上野
 尾久‥東京730938中軽井沢10281241東京‥上野13251624長野/上野7371038長野11281442上野
 長野6501006東京‥上野11251424長野15301836上野‥東京19202227長野
 長野9251235上野13331658長野19162252上野2357418長野-520関山

M'sMs×1 Tc×1 T×1

同年10月の改正では「はと」が485系に一部置き換えられ、1973年5月には「しおじ」1往復も置き換えられ山陽路での181系活躍は終わりました

181_1815_7207_a
1972年3月のダイヤ改正で忽然と復活した181系「はと」 クロハ181-2 1972/7 岡山

山陽路で使用されていたクロハ181は関東に転属後、1973年までにクハ181もしくはクハ180に改造されました。オリジナルのクハに較べると車体長が500mm短かったそうです。一方、モハシ180はクモヤ190-1に改造された11を除いて、モハ180に改造となり、番号は原番号+50のルールが守られました。

181_63_5
オリジナルはクロ151-8、クロハに改造後、特9編成で山陽路で1972年3月以降も活躍しましたか、1972.10月に長野工場で改造を受け、クハ181-63として活躍の場を関東に見いだしました。 上野 このクハのスカートは少し後退して取り付けられているのが特徴でした。

一方、この時期、大ムコの181系の改造を待つ形で「とき」「あずさ」は小刻みな増発を繰り返し、1973年10月には「とき」13往復、「あずさ」10往復まで増発がなされました。但し、「あずさ」の5往復は幕張区の183系が担当しました。

1973年4月からは新幹線工事のため東京駅第7ホームが使用できなくなり、東京発着がなくなりました。回送線も使用できなくなることから、181系の「あずさ」の担当は長野になりました。編成は10両編成でしたが、「とき」とは違って食堂車は不連結となり、こちらの10両編成もサロとモロをグリーン車とする2種類が誕生しました。

←上野
TcM'MM'MTsTsTc×5 TcM'MTTM'sMsTc×1 所要5(臨時+1)
あさま(5)(臨時+2)、そよかぜ(2)
 長野18302135上野‥尾久
 尾久‥上野8251124長野12301536上野16252039直江津
 直江津7151134上野12321433中軽井沢18302045上野‥尾久/中軽井沢17061926上野
 尾久‥上野735938中軽井沢10281235上野13251624長野
 長野650957上野11251424長野15301836上野19252225長野
 長野11261453上野15251843長野19372254上野2357448妙高高原

181_181109_750000_b
スカートのタイフォンの穴にシャッターが付いたクハ181-109(ラストナンバー)を先頭にした特急「あずさ」 1975/3 三鷹

クハ181-109は最初長野に配置され「あさま」「そよかぜ」でさらに「あずさ」で活躍した後、長野の181系が189系で置き換えられると新潟に転属し「とき」で最後まで活躍しました。さらにクハ481-501に改造され、九州内特急の先頭車でも活躍しました。廃車されたのは1993年でした。

181_180_750000_b
逆側のエンドはクハ180でしかもボンネットの天蓋から、クロ、もしくはクロハから改造のクハ180-50番代でした。 1975/3 三鷹

1958年11月からの151系の歴史を追っかけて来て、ここら辺で漸く自分のリアルタイムの記憶と一致して来た気がします。

Wikipediaの記事と鉄道ピクトリアル誌(2005年9月10月号 No765,766)の151・161・181系電車の記事を参考に纏めました。さらに各改正における編成、時刻データは181系の動き 配置および編成・運用の移り変わり 一覧 のデータを参考に致しました。

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2013年6月 3日 (月)

1975年 新潟の旅 9 181系 「とき」 その2

1964年10月東海道新幹線の開業で、東海道特急の座を追われた151系は、山陽路での活躍のため、大半が向日町に転属しました。一方、今回の主題である、上越特急「とき」は1962年6月10日の長岡~新潟間の電化に備えて計画されました。当初は151系の共通運用による投入が考えられましたが、勾配区間である上越線に151系が投入できるかどうか1961年6月に性能試験を行ってみた結果、151系では電動機が過熱してアウト、157系はokという結論が出ました。157系は当時、準急仕様で冷房装置の取り付け、耐寒耐雪改造、食堂車の新造が必要となるため、地元の要望も考慮し、「こだま」の車体に157系の走行性能を組み合わせ、あわせて耐寒耐雪構造を付加した新形式ということになり、中京地区の修学旅行用電車159系 の次の系列番号と言うことで161系となりました。

181
西日暮里を行く特急「とき」 

クハ181のボンネットの天蓋の形は形態判別基準になっており、写真のクハのような2つタイプは、1960年新製のクハ181-7~12、161系改造のクハ181-41~43、クロやクロハから改造のクハ181-53、56、61~65に共通に見られました。

昭和36年度第2次債務で161系は新製されました。形式は151系に較べて単純化され、
モロ161、160、モハ161、160、クハ161、サシ161の6形式、編成は新潟寄りから、Tc+M+M'+M+M'+Td+M's+Ms+Tc の6M3Tとし、サシで制御線はクロスされました。

車両数は1編成と予備車6両(モロユニット1,モハユニット1、クハ1、サシ1)で、メーカーは汽車と近車となりました。昭和39年度早期債務でも161系3両(クハ2両、サシ1両)が発注されましたが、この3両は181系として落成しました。

走行装置は主電動機MT46B、歯数比を4.21(151系は3.50)とし、主幹制御器はCS12Cとなりました。台車は強化形のDT23CとTR58Bとなりました。
181_18143
特急「とき」編成に組み込まれたサシ181-43 上野

「とき」181系編成の食堂車廃止が噂された頃、撮影したものですが、この43は、昭和39年度早期債務で161系として発注され、181系として落成した3両のうちの一両です。

161系は151系との区別のため、クハのボンネットに赤帯を巻きました。これは雪中での視認性向上を目的としたものでした。後年、山陽路から転属したクハにも巻かれましたが、耐寒耐雪改造のシンボル的な意味があったそうです。昭和39年度早期債務で発注され、181系として落成したクハ181-44, 45は赤帯が太めに塗られたことと、ボンネットの天窓が大型の1つタイプになりました。

161系は田町区に配属となり、上野を16:50に出発、4時間40分の走行で21:30に新潟到着、滞泊した後、翌日の8:30に新潟を出発して、12:10に上野に戻る運用でした。161系時代の「とき」の話題でよく取り上げられるのが、1963年のサンパチ豪雪で1月24日発の下りが20時間10分遅れで到着し、そのまま運休となり、2月17日まで運休となったこと、1964年4月24日に発生した「第1富士」の草薙事故で被災したクロ以外の車輌が復帰し、サロ改造のクロ150-3が投入されるまでの間、クハ161が東海道運用に投入されたため、予備車なしの状態を解消するために157系と161系混結の「とき」が走ったこと、さらに1964年6月19日の新潟地震では、上野到着寸前であったため、下り列車は運休となり、そのまま田町滞泊となったことなどです。その後、「とき」編成は逗子に疎開しましたが、新潟で165系編成が大量に被災したため、6月20~23日には急行への使用も行われたようです。同年7月9日には「第2こだま」が沼津~原間で踏切事故を起こし、クロ151-1が破損したため、14日に復旧するまで再びクハ161が投入されたそうです。
181_8
上野駅高架7番ホームで出発待ちする特急「とき3号」2005M 1975/3 当時のダイヤでは毎時38分が「とき」の出発時刻でした(17時台、18時台発以外)。このクハも天蓋が2枚のタイプで番号は不明ですが、161系オリジナルタイプかも知れません。

161系は東海道新幹線の開業と共に新製後3年で181系に出力増大改造されることになり、全車40番台に編入されました。

Wikipediaの記事と鉄道ピクトリアル誌(2005年9月10月号 No765,766)の151・161・181系電車の記事を参考に纏めました。

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2013年6月 2日 (日)

1975年 新潟の旅 9 181系 「とき」 その1

1975年秋の新潟旅行で思い出深いのは初めての特急「とき」の乗車であり、人生二度目の181系乗車でもありました。乗車区間は長岡から水上で、列車は上り「とき9号」2018Mの自由席でした。因みに最初の181系乗車は2012/10/26の記事で触れた、特急「はと1号」岡山~小郡間でした。

当時の特急「とき」は豪雪の上越区間を高速で走行する負担から1974年1月には181系の担当列車5本が運休に追い込まれる事態が発生し、国会でも問題となりました。開発中だった189系をもとに急遽開発された183系1000番台1974年12月28日から投入され、13往復中3往復が置き換えられました。但し、当時の流れから食堂車は連結されませんでした。さらに1975年10月からはさらに4往復183系1000番台に置き換えられ、形勢は逆転していました。

今回からは数回に渡ってモハ20系~151系・161系~181系の歴史を振り返って見たいと思います。といっても電車特急「こだま」のデビューした1958年11月と言えば、まだ3歳になる少し前ですので、私自身記憶もないので、その時代の編成データや「とき」などで撮影した写真から振り返りたく思います。

今回は栄光の東海道特急時代です。

195811_1_151_5
まず、1958年11月にビジネス特急「こだま」として、デビューしたときはTcMM'bTsの4連基本編成を背中合わせに繋げた8両編成でした。基本編成は田町電車区所属でビジネス特急からB編成として、川崎重工、近畿車輛、汽車会社の3社によるそれぞれ2編成が繫がれていました。デビュー当時は20系でしたが、1959年6月の車両称号規程改正により151系電車と改められました。CS12電動カム軸多段抵抗制御器により2両分8基のMT46A形主電動機を制御するMM'ユニット方式で、台車は101系などで使用されたDT21系を基本に枕バネを空気バネに改めたDT23・TR58形でした。

TcMM'bTsTsM'bMTc×3(20系) 所要3
こだま(2)
 品川‥東京7001350大阪16002250東京‥品川
 品川‥東京16002320神戸‥宮原
 宮原‥神戸6301350東京‥品川

195911_2_151
1958年暮れから1959年の正月や1959年の5月の連休や夏休みには予備編成のMM'bを5~6号車間に挿入した10両編成も走り、1959年12月からは、上記のように、昭和34年度本予算で製造されたモロ151・150-1・3・5とサハ150-1 - 6を組込んで順次編成変更が行われ暫定12両編成に増強されました。

181_1813_750000_b_2

三鷹を通過するチャンピオンマーク付きクハ181-3編成の特急「あずさ」 1975/3

1959年7月27日 - 31日に、B3・B4編成を使用して高速度試験が東海道本線金谷 - 藤枝間の上り線で行われ、31日に163km/hという当時の狭軌鉄道の世界最高速度が記録されました。その功績を讃えるため、この試験に使用されたクハ151-3・4の前頭部にチャンピオンマークが付けられていました。3のマークは1969年頃、塗りつぶされたようですが、関東転入後、復活し、4は1974年春に赤帯を入れられ、マークを取り外されたそうです。3は最後まで帯は入れられなかったそうです。

181_9_2
上野駅から御徒町方向へ引き上げる181系「とき」 1975/7
クハのライトケース下の空気取り入れ口が1つのタイプは1次車1~6の証です。鉄道ピクトリアル誌No766の佐藤 博氏による、181系先頭車45枚の肖像で判断すると連結器カバーの形態とデフロスターがないことから、クハ181-6と思われます。

196006_3_151
1960年5月31日に昭和34年度1次債務で製造された増備車を組込んで6編成にする編成変更が行われ、翌6月1日から「つばめ」「はと」を電車化して本数が倍増しました。このとき、「はと」の名称は「つばめ」に吸収される形で一旦、消滅しました。

[2013/12/7追記]なお、この編成替えには吹田工場で新たに編成に加わるクロ+モロ+モロ+サロなどを背中合わせにした編成を準備して、田町に回送し、到着後、奇数側と偶数側に分けて、偶数側と在来編成の偶数ナンバーの編成を併結し、三角線で方向転換するといった方法で新編成をくみ上げたようです。Wikipediaにも書かれていますが、5月31日の一日で稼働中の編成に新たな車両を組み込み、さらに方向転換も行うため準備は周到になされたとのことです。なお、両端がクロの編成のお写真はやぶおさまの掲示板に掲載されています。

←神戸
TcMM'bMsM'sTsTsTTM'bMTc×6(151系) 所要5
こだま(2)、つばめ(2)
 品川‥東京16302300大阪‥向日町
 向日町‥神戸6301330東京14302128神戸‥向日町
 向日町‥大阪9001530東京‥品川
 品川‥東京7001330大阪14302100東京‥品川
 品川‥東京9001530大阪16302300東京‥品川

客車特急で連結されていた1等展望車を廃止した代替として大阪方に「パーラーカー」クロ151形の連結、全室食堂車も組み込まれた12両編成となり、日本の電車特急としては空前絶後の豪華編成となりました。
上記の編成図で、斜体は方向転換された車輌を意味します。ゴシック体は今回、増備された車輌で、モハ151が10番台となっているのは乗務員室が乗客専務車掌室に変更されたため、新形式となったサロ150の意味は回送運転台未設置のため、サシ151には回送運転台が設置されました。編成名は特1~6編成になりました。151系の頃は、枝番も10番台とか、40番、50番台と後に較べると慎ましやかに付けられていました。

196111_4_151
1961年10月のダイヤ改正で151系は、新たに東京 - 宇野・神戸の「富士」、東京 - 大阪の「はと」、東京 - 名古屋の「おおとり」、間合い運用となる大阪 - 宇野の「うずしお」にも充当されることになり、昭和35年度本予算で56両が増備され、編成は1等車1両が減車された11両編成で11本が揃えられました。この改正の話題はこれまでにも気動車特急の歴史で記述してきましたが、列車番号の後にMとかDを付けるようになったのはこの改正からだそうです。

←宇野
TscMsM'sTsTdM'bMTM'MTc×11(151系) 所要10
こだま(2)、富士(2)、つばめ(2)、はと(1)、おおとり(1)、うずしお(1)
 品川‥東京18002215名古屋
 名古屋7451200東京13001930大阪‥向日町
 向日町‥神戸7301430東京15302230神戸‥向日町
 向日町‥大阪9001530東京16302300大阪‥向日町
 向日町‥大阪7001330東京14302100大阪‥向日町
 向日町‥大阪13001930東京‥品川
 品川‥東京9001530大阪16302300東京‥品川
 品川‥東京7001330大阪14302100東京‥品川
 品川‥東京8001720宇野19102200大阪‥向日町
 向日町‥大阪700950宇野12402200東京‥品川

MsM's×1 M'M×1 M'bM×1 Ts×1(151系)

この時点から編成に組み込まれない予備車が登場しました。
モロ151-12+モロ150-12・モハ151-27+モハ150-12(近車)
モハ151-19+モハシ150-8(川車)
サロ150-6 
サロ150は回送運転台は未設置でしたがこのとき改造して設置されました。

181_18118012
特急「とき」の編成に組み込まれて活躍するモロ181-12 上野

196201_5_151
サロ150-11は当初より、回送運転台を設置

1962年6月には「つばめ」1往復が広島まで延長され、昭和36年度2次債務で11両編成1本(特12編成)が増備されました。

←広島、宇野、上野
TscMsM'sTsTdM'bMTM'MTc×12(151系) 所要11
こだま(2)、富士(2)、つばめ(2)、はと(1)、おおとり(1)、うずしお(1)
 品川‥東京18002215名古屋
 名古屋7451200東京13001930大阪‥向日町
 向日町‥神戸7301430東京15302230神戸‥向日町
 向日町‥大阪9001530東京16302300大阪‥向日町
 向日町大阪7001330東京14302100大阪‥向日町
 向日町‥大阪13001930東京‥品川
 品川‥東京9002010広島
 広島9452100東京‥品川
 品川‥東京7001330大阪16302300東京‥品川
 品川‥東京8001720宇野19102200大阪‥向日町
 向日町‥大阪700950宇野12402200東京‥品川

TcMsM'sTdM'MM'MTc×1(161系) 所要1
とき(1)
 新潟8301310上野16502130新潟

MsM's×1 M'M×1 M'bM×1 Ts×1(151系)
MsM's×1 M'M×1 Tc×1 Td×1(161系)

196308_6_151_2
予備車 モロ151-12+モロ150-12・モハ151-27+モハ150-12・モハ151-19+モハシ150-8・サロ150-6 の7両

1963年8月には昭和37年度2次債務で製造されたサハ150形が1両増結され、再び12両編成となりました。これで151系としての増備は終了し、151両が田町区に配置されました。編成の内容をみると分かるように12両編成が11形式で構成され、唯一同じ形式のモハ151形式も0番台と10番台に分かれています。この反省から481系の新製の際は形式数を減らす努力がなされました。

←広島、宇野、上野
TscMsM'sTsTdM'bMTTM'MTc×12(151系)
こだま(2)、富士(2)、つばめ(2)、はと(1)、おおとり(1)、うずしお(1)
 品川‥東京18002215名古屋
 名古屋7451200東京13001930大阪‥向日町
 向日町‥神戸7301430東京15302230神戸‥向日町
 向日町‥大阪9001530東京16302300大阪‥向日町
 向日町大阪7001330東京14302100大阪‥向日町
 向日町‥大阪13001930東京‥品川
 品川‥東京9002010広島
 広島9452100東京‥品川
 品川‥東京7001330大阪16302300東京‥品川
 品川‥東京8001720宇野19112200大阪‥向日町
 向日町‥大阪700950宇野12402200東京‥品川

TcMsM'sTdM'MM'MTc×1(161系)
とき(1)
 1962.6~と同じ

MsM's×1 M'M×1 M'bM×1 Ts×1(151系)
MsM's×1 M'M×1 Tc×1 Td×1(161系)

ここで形式と両数をおさらいすると、

クハ151 1~12
サロ151 1~6
モハ151 1~6、11~30
モハシ150 1~13
=======================以上がデビュー時の4形式
モロ151 1~13
モロ150 1~13
サハ150 1~24   (モハ150を基本に付随車化しているため150となっている)
=======================暫定12両化の際の3形式
クロ151 1~12
サロ150 1~6、11  (11は当初より、回送運転台設置のため区分)
モハ150 1~13
サシ151  1~12
=======================1960年の「つばめ」「はと」置き換えの際に登場した4形式

東海道新幹線開業直前の1964年4月24日、東海道本線草薙 - 静岡(当時)間を運転中の下り「第1富士」が踏切を横断中のダンプカーと衝突。この事故でクロ151-7が廃車となりました。新性能電車の廃車第一号となってしまいました。置き換えも決まっていたのでクロ151の新製は行わず、サロ150-3を種車に回送運転台側の12名分の客室を廃止して運転台を設置する工事を行い、クロ150-3として6月27日には落成し、7月1日より運用に投入されました。3ヵ月後には東海道新幹線開業と181系化改造のために運用から離脱。再度浜松工場に入場し運転室部分を残し新製した2等客室部分と接合する再改造が施工されクハ181-53となりました。
181_740900_2
番号は不明ですが帯無し、長スカートで東海道・山陽での活躍の様子を残すクハ181 1974/9 上野
不鮮明な写真ですが、ボンネットの天窓も見えないことからこのクハも1~6のどれかかも知れません。<追記:1~6までのクハとして、当時の所属、長ナノか新ニイを考慮すると、クハ181-4である可能性が高いと思われます。>

1964年10月に東海道新幹線が開業し、151系は特6編成、特8編成と予備車を除いた編成が向日町に転属となり、田町区には30両が残されました。

Wikipediaの記事と鉄道ピクトリアル誌(2005年9月10月号 No765,766)の151・161・181系電車の記事を参考に纏めました。なお、列車時刻のデータに関しては「181系の動き 配置および編成・運用の移り変わり 田町」のデータを参考にさせて戴きました。

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2013年6月 1日 (土)

1975年 新潟の旅 8 115系 他の改造車達

現在も新潟地区で活躍する115系で、改造で登場した車輌のなかで、まだ紹介していないものを今回は纏めて紹介します。

最初はクハ115-600番台です。

登場の経緯は二通りあり、最初はクハ111形300番台を種車に1983年に岡山地区の短編成化用に偶数(下り)向き固定使用の6両が改造されました。改造工事は主幹制御器の交換と戸閉装置の交換による扉の半自動化程度で、グローブ型通風器や床下の空気圧縮機(使用停止)など種車の特徴を残しています。国鉄分割民営化時には全車がJR西日本に承継されました。

1994年には冷房改造済みの3両が追加改造され、下のサハ115形改造グループの続番となる620 - 622が付番されました。 1996年に603・606、1997年に602、1999年に601、2002年に620・621、2012年に604・605・622が廃車され、本グループは消滅しました。

クハ111-365・373・379・380・381・397 → クハ115-601 - 606
クハ111-5415・5431・5436 → クハ115-620 - 622

二番目は1984年のダイヤ改正で115系の編成短縮が全国規模でおこなわれ、特に偶数向きのクハの不足が顕著となりました。一方で中央東線の編成短縮により、サハ115が大量に余剰となり、そのうち0番台車をクハ化して偶数向きクハとして充当しました。

サハ115-6 - 8・1 - 4・9・13 - 16 → クハ115-607 - 619

新潟地区では、L4編成の村上や長岡向きのクハとして活躍しています。生憎、写真は撮っていません。

       クハ115   モハ115   モハ114   クハ115
L4   1502           128             114             613    

同様のクハは小山、静岡、広島、下関にも配置されました。下関(広セキ)のG01、G02編成に組み込まれたクハ115-605、622の写真は撮っていました。

115_g01_040904
G01編成 クハ111-268+モハ115-1114+モハ114-1198+クハ115-605 2004/9/3 広島

115_g02_040903
G02編成 クハ111-139+モハ115-320+モハ114-320+クハ115-622 2004/9/24 広島

続いては1500番台・1600番台です。クモハとクハが存在します。

まず、クモハ115-1500番台ですが、モハ115形1000番台・モハ114形1000番台に新造車に準じた運転台ユニットを接合し、先頭車化した車両です。伯備線・大糸線などの短編成化用として1983年から1986年にかけてクモハ115-1501 - 1551が、新潟地区の2両編成化用として1986年から1987年にかけてクモハ114-1501 - 1506に改造施工されました。JR化後はJR東日本が1992年にかけてクモハ115-1552 - 1566・クモハ114-1507 - 1520の追加改造を実施しました。

番号の関係は

モハ114-1085・1074・1060・1063・1084・1110・1016・1050・1049・1009・1181・1182・1179・1054・1066・1079・1088・1136・1056・1069 → クモハ114-1501 - 1520

モハ115-1033・1035・1037・1039・1041・1043・1047・1054・1056・1060・1085・1087・1089・1092・1101・1106・1110・1112・1016・1096 - 1099・1003・1005・1010・1012 - 1014・1026・1021・1017・1018・1025・1048・1045・1052・1062・1064・1090・1091・1094・1107・1108・1116 - 1118・1120・1122 - 1124・1040・1049・1095・1008・1019・1022・1027・1072・1015・1020・1001・1073・1125・1126・1009 → クモハ115-1501 - 1566 となっています。

新潟地区では3連のN編成N18, N19, N29, N30, N31, N32に、2連のS編成S2~S12編成に組み込まれています。S編成の相手方はクモハ114-1500番台です。

115_n18_050325
115系 N18編成 2005/3/25 新潟
115_n19_100717_2
115系 N19編成 2010/7/17 青海川

115_s07_100717
115系 S7編成 2010/7/17 柏崎

続いてクハ115-1500番台と1600番台です。

1983年からサハ115形1000番台を改造した番台区分で、偶数向きに連結されています。種車の関係でトイレは未設置です。1992年までに13両改造されましたが新潟ではL4, L9, L10、長野ではC8編成に組み込まれています。

サハ115-1012・1014・1011・1013・1015・1017・1020・1026・1005・1018・1001・1027・1028 → クハ115-1501 - 1513

1600番台は1500番台と同じく1983年に登場したサハ115形1000番台からの改造車ですが、1500番台と異なり奇数向きに連結され、固定使用とトイレ設置による独特の窓配置が特徴な車輌です。1601の1両が新潟車両センターに在籍し、N26編成に組み込まれています。

サハ115-1009 → クハ115-1601

115_c08_070329
長ナノ C08編成 クハ115-1512+モハ115-1011+モハ114-1042+モハ115-1076+モハ114-1140+クハ115-1005 甲斐大和 2007/3/29

115系の改造編成といっても東日本で見られる編成は殆どオリジナルタイプの運転台を設置した車輌なので、福知山線、岡山近郊、さらには広島、下関で見られる115系とは思えない顔の電車に較べれば、あまり改造したという感じがしません。それでもこうやって新造番台とは異なる番台の由来、履歴を纏めておくのは大事だと思い、今回纏めてみました。

Wikipediaの記事と鉄道ピクトリアル誌No820(2009年7月号)の「特集:115系電車」の記事を参考に纏めました。

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