1975年 新潟の旅 15 185系200番台 その5 新特急「なすの」
185系200番台が投入された「新幹線リレー号」から、「新特急」を見て参りましたが、今回はそのラストとして「新特急なすの」とその後の東北本線直流区間の特急列車です。
「新特急なすの」の唯一の写真です。 1985/2/24 日暮里
といったわけで、今回は写真的には185系200番台の登場時よりも、旧田町のB1~B7編成をメインにご紹介致します。
「なすの」といえば現在は東北新幹線の列車名となっていますが、その歴史を見てみると
1959年:多客期に上野駅 - 黒磯駅間を特別準急電車「日光形」157系で運行される不定期準急列車「なすの」が運転開始。
1963年:「なすの」の使用車両が157系から急行形165系に変更されました。
1966年:不定期運行ながらも「なすの」は急行列車に格上げとなりました。
1968年:「しもつけ」が「なすの」に名称変更。「なすの」定期列車となりました。同時に下り1本に115系電車、上り1本に455系・457系電車が充当され、455系・457系電車の上り1本が白河駅始発になりました。
1985年:「なすの」が特急列車に格上げされ、「新特急なすの」に名称変更。185系電車(200番台)を使用。
1990年:「新特急なすの」の東京側始発・終着駅を新宿駅に変更。通勤ライナーに近い運行となりました。
1995年:ダイヤ改正で、東北新幹線東京駅 - 那須塩原駅間で運転されていた「あおば」を分離し、近距離新幹線「なすの」となりました。また、在来線特急の名称を「おはようとちぎ」・「ホームタウンとちぎ」(2002年11月までは列車名に「新特急」を冠する)に変更。
といったように157系から始まって、165系からなんと交直両用の455,457系も使用されて185系200番台の特急となっているのですね。
当時田町区のB1編成による「おはようとちぎ」 2003/4/19 黒磯
「新特急」はそれ以前の特急列車とは異なり、自由席を中心にし、定期券所持客も特急券を別途購入することにより利用することが可能になりました。また、50km以内の特急料金についても自由席については当時の急行券と同額として、東北・上越新幹線との差別化を図りました。
B2編成による「おはようとちぎ」 2006/4/9 自治医大~石橋
これは新特急が、急行列車の特急への格上げというより、ダイヤ上は従来の急行と同格の列車に特急形車両を充当しただけのものという位置づけの種別であったことに加え、新特急に運用される185系電車が従来の165系電車をはじめとする急行形車両の内装をボックスシートから転換クロスシートに変えた程度であり、新型車両とはいえ従来ならば急行料金が適用可能と考えられていたからです。
B3編成による「おはようとちぎ」 2006/3/25 間々田~小山
1981年より伊豆方面の特急「踊り子」に185系を運用していたこともあり、急行列車として存続させることができず、特急料金の適用となることによる実質的な値上げを緩和するために講じられた措置でもありました。また、沿線自治体から「特急を停車させて欲しい」との要望が多かったため、これに応える存在でもありました。
B4編成による「おはようとちぎ」 2006/3/12 黒磯
「新特急なすの」の場合は、当時停車駅が類似した快速「ラビット」との差別化が図れず利用客が伸び悩みました。のちに、1往復を残して快速「ラビット」に格下げされました。
B5編成による「おはようとちぎ」 2006/7/9 新白岡
朝に運行された列車は上り「おはようとちぎ」、夕方に運行された列車は下り「ホームタウンとちぎ」であり、通勤ライナーに近い朝上り・夕方下りの運転体制を取っていました。
B6編成による「おはようとちぎ」 2010/11/6 大宮
2008年3月15日のダイヤ改定で新宿駅発古河駅行きの「ホームライナー古河5号」が廃止されたのに伴い、同列車の帰り便として設定されていた宇都宮駅発新宿駅行き特急「おはようとちぎ2号」が廃止されました。「ホームライナー古河5号」および特急「おはようとちぎ2号」の廃止によって空いた車両の運用枠は、別路線の通勤ライナーに充当されました。なお、この廃止は利用者低迷によるものではなく、他路線通勤混雑の緩和を目的とするものでした。廃止当時、両列車とも利用率は好調でした。
B7編成による「おはようとちぎ」 2010/6/17 栗橋~古河
2010年12月4日のダイヤ改正で「おはようとちぎ」「ホームタウンとちぎ」の運転が12月3日に終了となりました。廃止理由は利用者減とされていますが、高崎線特急「あかぎ」に比較し運行本数が1往復に限定されていた特急「おはようとちぎ」「ホームタウンとちぎ」の利用状況は順調であり、土曜休日の「おはようとちぎ」を中心に立ち客が出るほど混雑していたとのことです。
そして田町車両センターも2013年3月16日のダイヤ改正で車両配置がなくなり、東京総合車両センターの下部組織として、東京総合車両センター田町センターに改組されました。
185系編成も3月のC7編成におけるサハ185-7の長野配給以来、大きく変貌をとげており、田町配属の車両は全て大宮に転属となり、7連のB編成とOM編成の運用上の区別はなくなりました、さらに編成の改組が行われ、
1)OM編成のサロ連結位置の変更
2)OM-03編成の塗り替え (サロ以外) 田町リニューアル色へ
3)4連、6連、8連化
B2 サロを抜き、B7モハユニット(-231)を挿入 8連に
OM-03、B3、B6 サロ抜き 6連に
B7 サロ抜き、1モハユニット抜きで4連に
C7 サハ抜き 4連に
といった変化が見られ、4連、6連、8連の編成はこれまでの183・189系編成に代わって波動用に使用されるのではと思われます。
テキストはWikipediaの記事を参考に纏めました。
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