1975年 新潟の旅 19 JR東日本における末期の165/167/169系運用
165/167/169系の運用について、今回は本来の急行列車運用が廃止となった後の波動輸送に活躍した時代について触れてみたく思います。
湘南色に戻された新前橋区のS9編成による団体臨時列車 2003/5/7 大宮
1981年から老朽廃車が開始されていましたが、余剰車両の活用を目的に国鉄末期から一部の車両はジョイフルトレインへ改造されたほか、急行運用の減少から新潟・長野・松本・甲府地区・飯田線豊橋口・関西本線名古屋口・和歌山地区などでは、普通列車の運用に充当され夏期冷房化率向上に貢献しました。またJR発足後はJR東日本一部地域で車体カラーも変更され、イメージを一新しました。
しかしデッキ付き2扉構造により乗降時間を要すことから列車遅延の原因となるなど使い勝手が悪い結果、115系・E127系・119系・213系5000番台・105系などに置換えられ、営業運転範囲は徐々に狭まっていきました。
JR化後は165系に限らず急行形電車そのものが老朽化による廃車も多く、また「上尾事件」のように急行運用の間合いによる大都市圏の通勤・通学ラッシュ時への運用には適さないことから、早急な置換えが必須でした。このため同時期に製造された113系・115系が延命工事を多数施工したのと対照的に165/167/169系は廃車への道を歩んで行きました。
配置区所別に、見てゆくことに致します。
上沼垂運転区
分割民営化後は、1987年9月3日から休日・休前日・長期休暇期間中のみ運転される新宿 - 新潟 - 村上間の快速「ムーンライト」に投入されました。「ムーンライト」は1985年に開設された夜行高速バス東京 - 新潟線に対抗するため1986年以降14系客車で運転されていました。また同列車には廃車発生品のグリーン車用リクライニングシートへの交換や読書灯の設置などグレードアップ改造が施工された専用のM編成が充当されました。
M2編成
上沼垂区のM2+M1編成による快速「フェアウエイ」 2003/3/1 東大宮~蓮田
1988年3月のダイヤ改正で「とがくし」「南越後」を松本・小諸・長野 - 新潟間の「赤倉」へ統合。「ムーンライト」を定期列車化。
M3編成の快速「フェアウエイ」 2003/2/15 黒磯
1991年3月16日のダイヤ改正では「赤倉」の補完的列車として新潟 - 長野間越後線経由快速「やひこ」を設定。臨時列車扱いで「ムーンライト」に長岡で分割・併合する新井発着編成を設定。「やひこ」は1993年に、「ムーンライト」新井発着編成は1995年に廃止となりました。また「赤倉」は1997年9月30日で廃止。一方、「ムーンライト」は1996年3月16日のダイヤ改正で「ムーンライトえちご」に改称され、165系での運用は2003年3月まで実施されました。
最後まで残った定期運用に充当されていた「ムーンライトえちご」「フェアーウェイ」用M編成(3両編成x6本計18両)は老朽化に伴い2003年4月に485系に置換えられました。
新前橋電車区
モントレー色と呼ばれる3両のS編成11本計33両が配置され主に波動運用へ充当されていましたが、運用数の減少ならびに183系・189系の転入に伴い、2002年からは残存していたS9-11編成を湘南色への塗装変更を実施した上で多くのイベント急行列車で運用されました。イベント終了後(2003年6月29日以降)に全車廃車となり、長野総合車両所で解体されました。
新前橋区のS2編成 2003/5/5 大宮
S8編成 2003/5/7 大宮
長野総合車両所
信越急行廃止後は、残存した169系15両に松本運転所から転入したサハ165形5両を組込み4両編成x5本を組成。当初は急行「かもしか」運用に投入されましたが、1988年に快速「みすず」に格下げ。以後はローカル運用が主となり、信越本線小諸 - 長野・篠ノ井線・中央本線・飯田線飯田以北で運用されました。
1997年10月1日のしなの鉄道開業によりN31・N32・N35編成からサハ165形を抜いたMcM'Tc3両x3本計12両が譲渡されましたが、松本所から補完分同数となる車両が転入しました。
1998年12月のダイヤ改正でサハ165形が編成から外れ、保留車となりました(1999年中に廃車)。N33編成をしなの鉄道に譲渡。N31・N32・N35編成は三鷹電車区に転属。
松本電車区から3両編成4本が転入しました。
本改正では定期運用がなくなり、波動輸送に活躍しましたが、これらの運用も2000年には終了し、2001年までに全車廃車・解体となりました。
松本運転所
1986年急行運用全廃後はローカル運用主体となり、当初は165系・169系混在でしたが、後に169系3両編成x14本(A編成)計42両に整理されました。塗装も長野色(初代→2代)に塗り替えられ中央本線甲府 - 中津川・大糸線・篠ノ井線・と広域で運用されましたが、1996年にA2編成(クモハ169・モハ168-7+クハ169-4)が廃車、1997年10月の長野新幹線開通による改正で主に波動運用対応だったA12 - A14編成が長野総合車両所に転出、3両編成x10本計30両の配置となった。
1998年12月のJRダイヤ改正でE127系100番台に置換えられ、残存していた車両のうち6両が三鷹電車区に、12両が長野総合車両所に転属となり、残り12両は廃車され配置がなくなりました。
三鷹電車区
1986年に波動運用対応の165系が配置されてから何度か廃車・他区所からの転入で車両の置換えがあったものの、1999年以降は三鷹色に塗装された169系のM1 - M5編成・165系のM6編成の3両編成x5本計15両の布陣となりました。
東京近郊で運行されていた「こまちリレー号」(→「新幹線リレー号」→快速「むさしの」)・各種「ホリデー快速」・東京 - 大垣間増発夜行列車の最混雑時増結車などのほか、毎年8月15日に行われる諏訪湖花火大会で松本地区の115系や123系の代走として辰野支線(岡谷 - 辰野 - 塩尻)や大糸線の定期列車のみならず臨時列車にも投入されました。しかし「むさしの」は2002年12月に豊田電車区(現・豊田車両センター)の115系に、「ホリデー快速」も183・189系に置換えられた。その後は徐々に廃車され、2003年1月2日の臨時列車(169系6両編成)を最後に運用終了となりました。
田町電車区
国鉄時代から波動用として167系4両編成x9本を配置。後に全先頭車の前面強化とシールドビーム化・ATS-P取付・モハ166形のパンタグラフのPS21形への交換などを行いました。
その後は編成によって特化した改造を行っています。
H11編成
湘南色で先頭車の前面改造以外は原型を留めた編成。使用状況は後述のH19編成と同様で両編成と8両で運用されるケースが多々ありました。
H12 - 16編成
アコモデーション改善車座席をR51形簡易リクライニングシートに換装。塗装もアイボリーをベースに窓下をオレンジと赤、裾部を黄緑の帯という通称「田町色」変更されました。改造当初「はJR東日本ジョイフルトレイン」と表記しましたヘッドマークを先頭車の前面に掲出し、臨時快速「葉ッピーきよさと」などに投入されました。
H17・18編成
通称「メルヘン車」1988年に東京ディズニーランドへの行楽客輸送を目的とした快速「メルヘン」に投入するため廃車発生品のグリーン車用R24系リクライニングシートに交換した編成。後に田町色へ変更されましたが、1993年に臨時急行「しんせん・やまなし」運用で「パノラマエクスプレスアルプス」と併結で投入されることから準じた塗装となりました。 同列車ではパノラマエクスプレスアルプスがグリーン車。本系列が普通車として充当されました。
H19編成
湘南色。角形ヘッドライトとバケットタイプのボックスシートに改造。他編成のモハ167形と偶数向クハ167形ではトイレ・洗面所は撤去されたが本編成は残存。ボックスシート装備のためH11編成と共に主に神奈川県内 - 日光方面の修学旅行列車や臨時大垣夜行9375M・9372M)運用に投入されました。
最初見たときはなんでこんな改造をするのかと感じた角形のライトを付けた田町区のH19編成 2003/1/26 大崎
上述の臨時列車や波動輸送のほかに「ホリデー快速むさしの」「ホリデー快速ピクニック」「ホリデー快速河口湖」などの準定期とも呼べる運用も存在しました。
これらの運用にはアコモ改造車・メルヘン車が主に投入される一方で、座席定員が少ないため臨時大垣夜行には例外的に数回使用された程度でした。逆にH11・H19編成は臨時大垣夜行と神奈川県から日光への修学旅行運用が中心で、オフシーズンは田町区で留置されることの多い編成でした。
2003年春期臨時大垣夜行での運用を最後に、同年5月から9月にかけて老朽化のため同年内に全車廃車となりました。
幕張電車区
千葉局管内の急行列車廃止後は3両編成x5本計15両が配置されていましたが、1986年に和式電車「なのはな」へ6両、1990年に「シャトル・マイハマ」へ3両が改造された結果、165・169系3両編成x2本計6両が波動輸送対応で運用されました。
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振り返ってみると、国鉄の分割民営化で国鉄らしさというか、全国統一性が無くなり、ジョイフルトレインといった今から思えばバブル期の産物のような列車がどんどん走り出し、一方で国内出張や海外出張で航空の方に興味を持ちだし、それまでの「鉄道撮影旅行」から「空港訪問」に比重が移ったのが1987年から1988年頃でした。国内出張などで出かけた先では、鉄道車両も写しておりましたが、興味の対象は旅客機に移っておりました。
1990年代は私にとっては航空機趣味がメインの時代で、鉄道趣味に復帰したのはデジカメを手にした2001年の秋のことでした。
そんな経緯もあって、今回の165/167/169系の末期運用はまさにその時代と重なっており、廃止(車)される直前に、デジカメで写真で撮った写真が殆どです。思えば「浦島太郎状態」で撮った写真ばかりでした。
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コメント
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165系の末期の活躍アルバムですが、
Hゴムの塗色が黒になると、JR時代だなあと感じます。
ゴムの色が黒かグレーかでずいぶん印象が変わるので、
色の影響はすごいなあと思います。
ムーンライトえちご色、モントレー色・・・今見てもずいぶん奇抜だなあと思います。
投稿: やぶお | 2013年7月18日 (木) 20時08分
やぶおさま、引き続きこちらにもコメントありがとうございます。
本文にも書いたのですが、165系のあの塗装をデジカメ復帰して初めて見たときは、いったい何?と感じました。
ただ、やはり長続きする塗装とそうでない塗装はあるもので、結局残るのは国鉄時代のオーソドックスな塗装だったりしますね。
投稿: B767-281(クハ415-1901) | 2013年7月18日 (木) 20時49分