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2013年7月26日 (金)

1975年 新潟の旅 21 485系 新潟車輌センター その3 K編成

今回は、485系K編成です。

485_k1_101003
鶯谷を通過するK1編成 2010/10/3

首都圏乗り入れ用にATS-Pが装備された編成です。この夏も運転される快速「ムーンライトえちご」用の車輌です。

     Tc      M485M'484 M485M'484    Thsc481 
K1    346      1088     1057        1028    
K2    347      1042     1021        1030

1993.10.26AO クロハ化改造(Thsc1028←Tc1019)
1993.11.06AO クロハ化改造(Thsc1030←Tc1041)

K編成について書くことはあまりないので、今回、K編成の中でもクハ481形300番台に注目したく思います。

485_k1_111008
K1編成 クロハ481-1028 2011/10/8 尾久

485_k1_481346_101229_2
K1編成 クハ481-346 2010/12/29 尾久

イカロス出版社のイカロスMOOKシリーズ「形式485系 ISBN978-4-86320-682-3」中の485/489系全形式の履歴表データによると、クハ481形300番台で現在も改造されず、現役で活躍しているのはT17編成の-332、仙台のG55G58編成に組み込まれている-334、K1、K2編成の-346, -347, T16, T14編成の-351, -352の6両だけです(-345勝田区K40編成の廃車で鬼籍に入りました)。

クハ481-300番台-200番台の貫通タイプのマイナーチェンジ版として1974年春に登場し、1976年までに54両が製造されました。製造は日立、東急、川重の3社が担当しました。それまでの-200番台が将来の分割併合を考慮して貫通構造になったのに対して、分割併合用の所定数は達していること、貫通扉の存在で発生する隙間風による運転室の居住性の改善を目指して非貫通方式で製造されました。

200番台との違いは

・車体長を250mm延長し0・100番台と同じ連結面車体長が21,250mmとなり、 同時に運転室床上スペースが余ったため助士席下部へCPを移設。
・200番台で廃止された運転室後部の後方確認用小窓を復活。
・列車名表示器は大型の長方形で側面方向幕連動の電動式となりました。

485_k2_060409_2
K2編成による快速「フェアウエイ」 2006/4/9 自治医大~石橋

54両の履歴を調べてみると最初の配置との関係が深いことが分かります。

1)大ムコ配置
  301, 302, 304               => 1996.3 183系クハ、クロに改造

2)金サワ配置
  303, 306, 310, 319, 320, 323, 326, 344   => 改造無し 廃車
  305, 308, 318, 321, 322, 324, 343,         => 183系クハ、クロに改造
     307, 325, 327                                   => クロ481-2300番台に改造       

3)仙セン配置
   309, 312, 328, 329, 341, 353, 354   => クロハ481に改造(九州用)
     314, 316, 331, 338, 339, 340      => 183系クハ、クロに改造
     317, 330                  => 改造無し 廃車

4)盛アオ配置
  311, 313, 315, 333, 337, 345       => 改造無し 廃車
    332, 334, 346, 347, 351, 352       => 未だ現役
    335, 336                   => 183系クハ、クロに改造
    342, 350                   => クハ481-3000に改造 現役
    348                    => クロハ481に改造(土崎:たさわ) クハ481-3348 現役
    349                    => クハ485-701に改造 (きらきらうえつ)

485_k2_4811030_050323
K2編成のクロハ481-1030 2005/3/23 新潟

大ムコ初期配置の車輌は特急「北近畿」にむけて1995年に3両ともクロ・クハ183形に改造されています。

金サワ初期配置の車輌の場合、
1986年11月から12月にかけ305, 318, 321, 322, 323, 3431996年3月308が大ムコに転出し、323は改造されずに大ムコで終生活躍しました。それ以外はいずれも1996年3月クロ・クハ183形に改造されています。
金サワに残った307, 325, 327の3両は1990年の「かがやき」「きらめき」へのグリーン車連結に際して吹田工場で改造されました。彼らは2003年に京都総合運転所へ転属し、「雷鳥」で運用された後、2009年クロ183-2707 - 2709に再改造されました。

仙セン初期配置車の場合、東北新幹線開業に伴う運用喪失で
1982年9月から11月にかけて動きが生じ、309, 312, 354が門ミフに314, 316が大ムコに転出しました。

1984年11月から翌年2月にかけて、317, 328, 329, 330, 331, 339, 341, 353が門ミフに転出しました。

3091986年11月に福知山に転出し、クロハ481-301に改造されますが1989年に現番号309に復元しました。以降は2003年に廃車になるまで金サワに所属しました。
3121987年12月にクロハ481形改造を受けました。
314, 316は長らく原型で活躍しましたが、1995年にクハ183形改造を受けています。
3171986年に福知山に転属するものの改造は受けず、金サワ、京キトと移動し、そのまま廃車されました。
328, 329, 341, 3531987年に小倉工場で改造されクロハ481形になりました。
330はその後大分に転属しましたが原型のまま2000年3月に廃車となりました。
3313391987年に福知山に転属し、1990年にクハ183形に改造されました。
354はクロハ481-302に改造され、さらに1990年にクロハ183形に再改造されましまた。

485_k2_050323
E127系と並んだK2編成による特急「北越」 2005/3/23 新潟

盛アオ初期配置車の場合、クハ481形の配置はまず1972年6月の100番台から始まり、同年8月から200番台が新製配置されると、100番台は大ムコに転出し、1973年4月には200番台だけとなり、1974年4月から1975年3月までは1500番台が一時札幌から貸し出され、1975年5月頃から300番台が配置され始め、200番台初期車は秋田に転出し、1978年8月には1000番台が大量に配置となり、1980年10月には1500番台が正式に配置となり、1982年11月の東北新幹線開業では1000番台がすべて秋田に転出しています。

そういった集団的な動きのあとで、個別の動きが始まるのは、1985年3月の改正です。335が大ムコ、336が門ミフ、337が金サワに転出しました。

3351995年にクハ183形に改造され、
3361987年3月に福知山に転属後、1991年3月にクハ183形に改造され、
3372006年3月に廃車されるまで終生、金沢で活躍しました。

1986年10月には311, 313, 315, 332, 333, 345が勝田に転属しました。

3113152000年3月廃車になるまで、3132001年3月廃車になるまで勝田区で活躍しました。
3321997年3月3331998年3月に上沼垂に転属、3332006年5月「彩」を組成する段階で廃車となりましたが、332は未だ現役です。
3451993年8月に仙センに転属、2003年3月に勝田に戻り、K40編成の一員でしたが2013年1月に廃車となりました。

1987年7月346, 347, 348, 349, 350が秋田に転出、350翌年3月に青森に戻りました。

346,3471992年7月に青森に戻り、2003年1月上沼垂へ、現在も現役。
3481989年2月、クロハ481-303に改造、2000年3月上沼垂に転属し、クハ481-3348に再改造、未だ現役。
3491992年6月勝田へ転属、1998年10月上沼垂に転属、2001年11月「きらきらうえつ」に改造
3501999年3月、3000番台に改造。2006年3月、新潟に転出。未だ現役。

1992年7月351, 352が秋田へ転出しました。

351, 3521997年3月に上沼垂に転属し、未だに現役。

1997年6月342が上沼垂に転出、2001年3月、3000番台改造。

2002年11月334が仙台に転出。2005年12月から2009年2月まで小山に配置されるも再び仙台にもどり、G55G58編成で活躍中。

2003年1月から3月にかけて、346,347が上沼垂に転出。未だ現役。この時をもって、盛アオのクハ481形300番台配置はなくなりました。

485_k2_100717_2

K2編成による特急「北越」 2010/7/17 青海川

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クハ481形300番台のメインの製造時期は国鉄485系として大きな移動があった1975年3月のダイヤ改正以降でした。485系としての仕事のピークを過ぎた時期から製造、配置であったため、どの車輌の履歴を見てもそれほど大きな動きがないことが分かります。

また、配置区別に見た場合、おなじ東北地区でも仙セン配置の車輌が、門ミフや大ムコに転属して、九州内特急の短編成化や「北近畿」の改造種車として183系化されているのに較べると、盛アオ配置の車輌は後のJR東日本内の移動がメインであり、かつ残存率も高いのが顕著であると思います。また、原型のまま老朽化で廃車された車輌(16両)よりも、短編成化によるクロクロハ化、さらに183系化でオリジナルから改造された車輌が圧倒的に多いのもこの番台の特徴かと思います。これも生まれた時期というか、485系が背負った宿命のように感じます。

以上、「485系の動き 配置および編成・運用の移り変わり 一覧」のサイトのデータを参考に纏めました。

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