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2013年7月31日 (水)

1975年 新潟の旅 23 碓氷峠の補機 EF63 その1 

5月5日から続けて参りました「1975年 新潟の旅」シリーズ、最後のトピックは碓氷峠の補機EF63です。

2013年5月11日の記事で書きましたように、1963年の碓氷新線の開通に向けてEF62EF63の試作機が用意され、試運転に投入されました。

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軽井沢方に1号機を繫いだEF63の重連 軽井沢

主電動機はEF70形交流電気機関車に続きMT52形直流直巻電動機が直流電気機関車として初搭載されました。制御方式は従来の単位スイッチ方式に代わる電動カム軸方式のCS16形自動進段式抵抗制御器とCS17形バーニア制御器が搭載されました。ノッチを細分化することでトルク変動を小さくし、空転防止に貢献させ、他にCS18形電動カム軸式転換制御器も搭載されました。

台車はEF62形の3軸ボギー台車(軸配置Co - Co)と異なり2軸ボギー台車(軸配置Bo - Bo - Bo)としましたが、電磁吸着ブレーキなどの特殊装置を持つことから本形式専用設計としました。DT125形両端用台車は国鉄ED72形電気機関車のDT119A形をベースとした逆ハリンク機構を採用。DT126形中間用台車もDT125形同様の機能を備えていますが、正確な速度検知用に直径115mmの遊輪を装備しました。

急勾配を通過する列車の補助という運転特性上、安全性の確保や通常は行わない電車との連結運転を行うために数多くの特殊装備があります。これらの装備品のため運転整備重量は、EF60形以降の新性能直流電気機関車では最大となる108tとされました。また軽井沢方台車の軸重も国鉄車両としては最大の19tとなりました。ちなみに勾配上での軸重移動を考慮したため中間台車は18t、横川方台車は17tとアンバランスな構造を採用しました。

<急勾配運転に備えた各種保安装置>

抑速ブレーキ

主電動機の電流が抵抗器に流れ発電ブレーキとなるため屋根上にある抵抗器から熱が発生します。急勾配区間の抑速ブレーキとして電機子転換方式の発電ブレーキを装備している。急勾配区間で発電ブレーキを使用すると、抵抗器から大量の熱を発するため、側面の通風フィルターが他の機関車より大きいのが特徴です。その後、電機子転換方式による発電ブレーキはEF64形にも採用されました。

電磁吸着ブレーキ(レールブレーキ)

急勾配上で停車する際、電磁石をレールに接触させ、電気を流すことにより、磁力による強い力で機関車を停止させる。このブレーキは自動車で用いられている駐車用ブレーキのような物であり、通常の減速用には用いられません。

空気ブレーキ装置

空気ブレーキ装置はEF58形EF60形などの多くの機関車に搭載実績のあるEL14AS形自動空気ブレーキ装置を採用しました。本線上で停電した場合には、車両に搭載された大容量蓄電池で空気圧縮機(CP)の動作も可能です。

その他のブレーキ設備

空気ブレーキをかけた後、空気が漏れてもブレーキが緩まないようにする機械式ブレーキゆるめ防止装置を備えました(カム式ブレーキ装置)。また、転動時に主電動機の回路を短絡させ、非常に強力な電気ブレーキを作動させる「電機子短絡スイッチ」と呼ばれる非常スイッチも装備しましたが、これは主電動機を破壊するため、逸走を停止させる方法が他にない場合の最終手段として用いられます。

過速度検知装置 (OSR)

下り勾配通過時、速度を正確に測定し、速度が出過ぎると警報を鳴らしたり、非常ブレーキをかけたりする装置。

<電車と連結運転のための装備>

双頭型両用連結器

電車の密着連結器にも対応できるよう、双頭連結器を装備しました。連結運転時に機関車から電車の基礎ブレーキ装置を操作できるように、機関車のブレーキ管(BP)が連結器を介して電車のブレーキ管に接続されました。
Ef63
EF63補機同士の連結部 軽井沢方の連結器は電車との連結を考慮した双頭タイプ

各種ジャンパ連結器

多様な形式と連結する必要から対応する多様なジャンパ連結器を装備しました。この中には電車・気動車列車の運転士との連絡回線が含まれました。 EF63の機関士は常に麓(横川)側に乗務しているため下り(軽井沢行)列車は信号と前方の安全確認を押し上げ対象列車の運転士が担当するためです。

協調運転装置

EF63と同調して力行・抑速動作ができる協調運転機能を追設した電車(169系・189系・489系)が開発され、協調運転時の最大編成両数は12両に増強されました。電車側にも設置されたKE70形ジャンパ連結器を通じて力行・ブレーキなどの各種制御をEF63から行うとともに機関士と連絡が可能となった。EF63側では編成中全車協調運転対応車であることの確認・電動車の状態・横軽スイッチ(協調運転設定スイッチ)の確認が可能となりました。力行指令時には自車の主電動機を駆動させ、ブレーキ指令時には自車の発電ブレーキによる抑速ブレーキを使用し必要な力の一部を負担します。 電車側ではブレーキハンドルの抜き取りとマスコンキーのOFFをする必要がありました。万が一電車側でマスコンスイッチを投入した場合には制御信号が交錯するため非常ブレーキが作用するようになっており、非常制動操作は運転席に増設された車掌弁によるもののみとしました。
定格速度の違いから、電車側では並列段を使わず特急車両では直列制御3段目以降最終段まで常に70%、169系で直列最終段以降50%までの弱界磁制御を行い同調させました。

列車無線

EF62形と協調運転を行う関係上,EF63には当初から150kHz帯の誘導無線が装備されていましたが、この方式はトンネル区間を中心に雑音が問題となり、また横川機関区や駅との連絡を可能とするためEF63形とEF62形には1975年から沿線に敷設した専用の漏洩同軸ケーブルを使うUHF400MHz帯の列車無線を装備、第2エンド運転室側面と屋上にアンテナを設置しました。この無線には1980年代に入り異常時に他列車への連絡を可能とする防護無線の機能を追加、1990年以降は山岳区間での通信を確実にするために軽井沢側は運転席前に、横川側は助手席前に通称C'アンテナと呼ばれる八木アンテナ製のコーリニアアレイアンテナが取り付けられました。

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先行試作機 1号機について

製造:東芝
予算:昭和36年度第3次債務
製造年:1962年
廃車年:1986年(余剰廃車)

試験の結果、量産機から内部機器配置を変更したほか、中間台車の外側に装備されていた速度検知用遊輪が分岐器通過時に浮き上がるといった不具合を起こしたことから1963年に各部を量産機に合わせる統一改造を実施しました。それ以降にも連結器交換などの追加改造が行われています。外観上は前面窓上部のツララ切りが未装備でスカートや屋上機器の形状なども量産機とは異なっているほか、1972年に非常用蓄電池搬入口が量産車と同一形状に改造されるまでは側面通風フィルターの形状と配置が両側面とも左右対称でした。

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退役後は登場時の塗色に戻されて碓氷峠鉄道文化村で展示される1号機 2005/8/16

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2013年7月30日 (火)

青春18切符で日光線小旅行 その3

今回は鹿沼駅そばでの撮影と鹿沼市内ぶらぶら散策です。

鹿沼駅で下車して、宇都宮からの下り電車で見付けたポイントに向かうことに致しました。

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鹿沼駅から線路沿いに文挟方向に10分程度あるいた場所ですが、かなり先まで見通せる直線区間で線路が懸垂(カテナリー)曲線のように(上下に)弧を描いているのが特徴です。電車に乗っていると緩いジェットコースターの線路を走ってる様な感じでゆっくり下って再び上ってくる感じです。

上の写真のダンプカーが走っている道から線路端に上がってみるとこんな感じです。

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文挟方向を見た写真

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鹿沼方向を見た写真 最初の俯瞰写真は跨線橋の上から撮ったものです。

ここは撮影ポイントとしては有名ならしいことは足元の草原に空き缶などが大量に落ちていることで分かりました。

恐らくここで日光線の写真を撮った人間が列車を待つ間に、空き缶などをポイ捨てした結果だと思いますが、こういった場所で平気でポイ捨てを行う行為は自分たちの首を絞める行為であり、自分が出したゴミは責任を持って持ち帰るのがマナーだと思います。

さて、炎天下で待つこと20分程度で、上り下りの電車がやって来ました。

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まずは上り846MのY1編成

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続いて鹿沼で交換した845MのY10編成です。後追いです。

この2本を撮影して撤収しました。

鹿沼駅まで戻り、街の様子を見て行くことにしました。

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JR鹿沼駅は市の中心から北東にあり、さらに街の中心の西南部には東武日光線の新鹿沼駅があります。JR駅で入手できる市の観光案内のパンフレットにも地図が載っているのでそれを参考に東武線の新鹿沼駅まで歩いてみることに致しました。

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JR鹿沼駅舎 駅の前には今市駅にもあった案内表示が

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駅の横には秋のお祭り(雨乞いの儀式が起源といわれる)に使われる彫刻入りの屋台が収納されていると思われる大きな蔵がありました。

今市と同じように鹿沼は黒川の畔の、山岳信仰の舞台として歴史に登場する。深山巴の宿で、古代より修験者達が二荒山へ向かう宗教の道であったと同時に、足尾の鉱物を運ぶ金属の道の宿でもありました。

明治以降は日光線の開通ともに「木工のまち」として発展したようです。サツキや鹿沼土でも有名です。 

JR鹿沼駅から黒川を渡り、街の中心部にまず向かいました。

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駅前からの道をしばらく歩くと黒川にかかる府中橋の袂に着きます。

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ヤマメ、イワナ、アユなどが釣れるのでしょうか、釣りを楽しむ人々の姿も見えました。奥の建物は川上澄生美術館と市の図書館だそうです。

この黒川は東北本線黒川橋梁の黒川とはまったく関係がなく、日光から流れてきています。この橋を渡ると旧市街に入った感じで、橋の前後に昭和を感じさせる街道沿いの商店といった趣のあるお店が並んでいます。

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昔の街道沿いの商店といった感じの店舗

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昔はどの商店街にもありましたが、いまでは殆ど見かけなくなった魚屋さん

こういったタイプの個人商店が多く残る街並みで、コンビニエンスストアは全くないわけではありませんでしたが、数は極めて少ないようでした。

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こういった寿司屋も今では殆ど見かけなくなりました。

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街の中心部仲町屋台公園 この近くに観光の中心である、まちの駅(新・鹿沼宿)もありました。

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懐かしい昭和の風景を楽しみながら市の南西にある東武鉄道の新鹿沼駅前までやって来ました。

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18切符の旅なのでできるだけJR線を使いたかったのですが、JR鹿沼駅まで引き返す気力は残っていなかったので、とりあえず栃木まで東武線に乗車し、そこから両毛線に乗り換えることにしました。

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         改札口には松尾芭蕉の木彫の像がお出迎え

松尾芭蕉(1644~1694)は伊賀の国の出身で、有名な「おくのほそ道」は45歳のときからのもので600里(2400km)に及ぶものであり、当時の年齢からすれば大変な健脚であることから、もしかしたら隠密だったのではともいわれておりますが、日光辺りを通ったのは旅の最初の頃、元禄2年(1689年)4月1日(旧暦)のことだったそうです。

さて、新鹿沼駅ではちょうど253系が鬼怒川方面に出発して行き、

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253系 OM-N02編成 2013/7/27 新鹿沼

そして、区間快速浅草行きがやって来ましたので、乗車しました。

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6176を先頭にした6050系 2013/7/27 新鹿沼 
6000系の車体更新ではなく、1988年に製造された7本(6173F~6179F)の内の1本 

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2013年7月29日 (月)

青春18切符で日光線小旅行 その2

日光線での撮影にあたり、どこら辺が好撮影ポイントなのか,出かける前にいろいろと調べてみると、今市~日光間などの日光連山や杉並木を背景に電車の写真が写せる場所があげられておりました。

そこでまず今市駅で降りて,線路に沿って日光方面に向かうことにしました。この区間、地図上ではJR日光線と東武日光線がほぼ並行に約600mの間隔で並走していますがJR線では今市文化会館を過ぎた日光よりの直線区間、空気の澄んだ秋から冬には雪を戴いた日光連山の男体山、大真名子山、小真名子山、帝釈山、女峰山を背景に日光線の電車が写せそうです。

今の季節は緑一色の水田を背景にといった感じでした。

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205系600番台 Y10編成 2013/7/27 今市~日光

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線路端に咲いていたユリ 

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線路に近づいて今度は下野大沢で交換してきた下り電車835Mを撮影

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後追いですが、この構図で冬には冠雪した日光連山を背景に写せそうです。秋から冬に再訪したいものです。

この時間帯になると電車の頻度は1時間に上下各一本程度になるので、駅まで戻りがてら街の中をぶらぶらと歩いてみました。

今市は今は日光市の一部になっていますが、2006年3月までは単独の市でした。江戸時代には、日光街道や会津西街道、日光例幣使街道今市宿の宿場町として繁栄した場所であり、街を歩いてもその頃からの伝統が感じられます。

私が住んでいるつくば市などはそこら中にコンビニエンスストアがありますが、ここでは私が歩いた範囲では一件もありませんでした。逆に昔ながらの商店街や、個人商店が多く残っており、街は昭和の風景をたっぷりと残しておりました。コンビニがなかったので、食料の調達にはちょっと不自由しましたが(笑)。

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ちょっと気の利いたミニ時計台 

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ちょっと横町を覗くと床屋さん、居酒屋、うなぎやなどが立ち並ぶ風景が

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そしてJR今市駅もレトロ情緒漂う駅舎で

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ホームの屋根も一昔前はよく見られた構造

因みにこの駅の開業は1890年6月1日とのこと

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ホームの案内表示も日光線7駅、共通のスタイルのようで、

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駅名標も凝った字体でした。

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2013年7月28日 (日)

青春18切符で日光線小旅行 その1

この夏の青春18切符の有効期間は例年通り7月20日から9月10日まですが、私は7月27日に購入して、さっそく一回目の小旅行に出かけて来ました。

3月の改正で日光線の107系が引退し、205系改造の600番台が投入されましたので、その撮影が主目的でした。

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レトロ調塗色に変更された107系 2011/11/3 日光

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107系 登場時の塗色 2003/4/19 黒磯

荒川沖を6:08に出発する常磐線上野発の初電1321Mで友部へ、友部では3分の接続で小山行き730Mへ、さらに小山では5分接続で上野からやってくる3521M快速ラビッドへ、実はこの列車、荒川沖発上り初電1320Mで上野経由で宇都宮に向かう場合も同じ電車に乗ることになるのですが、8:18に宇都宮に到着、ここでも5分接続で日光行き833Mに。

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水戸線内、結城駅で交換した415系1500番台K542編成 2013/7/27

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小山駅では中線に停車中の8051レEF65 2087牽引を追い抜き 2013/7/27

日光線は2011年11月に日光から今市まで乗車しているのですが、宇都宮から乗車するのは初めてでしたので、撮影ポイント探しも兼ねて,前方注視としました。

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日光線停車駅 車内広告から 宇都宮も含めて7駅あります。文挟は「ふばさみ」と読むそうです。

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乗車したのは205系Y10編成で小豆色帯の車両でした。JR日光線は宇都宮から雀宮方向に東北本線と並行してしばらく南下し、右に分岐してゆきます。

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最初の停車駅 鶴田で早速、上り電車と交換 小豆色帯編成でした。 2013/7/27

日光線向け車両のラインカラー帯は107系レトロ調塗色車と同様のクラシックルビーブラウン・ゴールド・クリームの3色を配するほか、車体側面には107系と同じ沿線名所をモチーフにしたエンブレムステッカーを貼り付けています(下の写真)。

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                   日光駅、男体山と中禅寺湖をあしらった日光線のステッカー

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次の鹿沼駅でも交換 今度は湘南色の帯のY7編成でした。 2013/7/17

前面・側面の方向幕は、日光線関係のコマが茶色地に107系と同様のレトロ調フォント、宇都宮線関係のコマが緑地に通常フォントとなっています。

鹿沼を出たところで築堤の上をしばらく走り、下り坂から上り坂に直線で変化してゆく場所を発見、あとで撮影することに。

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文挟では交換なし。 この辺から線路は杉林の中を走る感じに 日光杉並木でしょうか。

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下野大沢で3度目の交換 今度も湘南色帯のY1編成

土曜の朝のラッシュ時間は4編成が投入されているようでしたが、日中は2編成の運用となり、今回は乗車中のY10編成とY1編成でした。

205系600番台は2M2Tの4両編成x12本計48両が小山車両センターに配置される計画で、このうち4本16両が日光線向け、8本32両が宇都宮線向けとされ、宇都宮線向けは日光線でも運用されるそうです。

クハ205・204形は、前面運行番号表示器をLED化し 、4両編成2本での併結運用を考慮して電気連結器を追設しました。保安装置はATS-P形に加えATS-SN形を搭載しました。また、クハ205形は、後位4位側に車椅子対応の大形洋式トイレを新設し、向かいの3位側に車椅子スペースを設置しました。

車内は大きな変更ありませんが、座席モケットと側窓カーテンの交換が実施されました。また、寒冷地での運用を考慮して客用ドアレール下部へレールヒーターを設置、客室暖房器の容量を1基あたり750Wから1,000Wのものへ交換・増強しました。客用ドアの半自動対応として、車内外ドア横への開閉スイッチ新設ならびに室外側にドアチャイムを新設しました。

走行機器類に大きな変更はありませんが、空気圧縮機には耐寒対策を実施、付帯する除湿装置にはヒータの追加がされました。さらに、蓄電池の取り替えなどが実施されました。モハ205形のパンタグラフはシングルアーム式(PS33F形)に交換し、併せて霜取り用第2パンタグラフを増設しました。よって、中央東線入線可能を示す「◆」マークも貼られました。600番台の起動加速度は1.7km/h/s、減速度は3.6km/h/sとされています。

ブレーキ装置は、日光線内の25‰勾配区間を走行することから抑速ブレーキと耐雪ブレーキの追加、主抵抗器の容量増大が実施されました。同様の勾配対策として、電動車には車輪の空転防止用噴射式増粘着装置「セラジェット」(酸化アルミニウムの粉末を噴射)を搭載しました。

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今回、上の写真と同じ場所で205系600番台を 2013/7/27

次回以降はは今市,鹿沼付近での撮影と市内ぶらぶら散策の記事を載せる予定です。

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2013年7月27日 (土)

1975年 新潟の旅 22 E127系 0番台

E653系の「いなほ」投入とともに新型電車E129系の投入が報じられましたが,今回はE127系について触れようと思います。

E127_v02_050323_2
V2編成 2005/3/23 新潟

新潟地区や長野地区におけるローカル運用では急行列車の運用から外れた165系・169系が普通列車として使用されていましたが、これらの車両は老朽化が激しく、また2扉のデッキ付きの構造であるために乗降に時間がかかり、列車遅延の原因となっていました。そこで急行形車両の取り替えを目的に1995年E127系が設計・製造されました。

両地区ではセミクロスシートの近郊形115系も運用されていますが、新潟地区で使用するE127系0番台では、乗客が増加している新潟都市圏でのラッシュ対応と、2両基本編成によるワンマン運転を考慮し、敢えてロングシートを採用しました。また、基本編成がクロスシート3両の165系をロングシート2両の本系列に置き換えることで、所要車両数削減による導入・固定経費減少を図る狙いもありました。

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V4編成 2005/3/25 越後石山 右の線路は新潟貨物ターミナルに続く

主回路制御にはGTO素子のVVVFインバータを採用し、主電動機は定格出力120kWのMT71型です。電動台車はDT61A、付随台車はTR246Aです。ブレーキシステムは電気指令式空気ブレーキ、回生ブレーキ、抑速ブレーキに加え、列車密度の低い路線での使用を考慮し、発電ブレーキを併用しています。発電ブレーキ使用時に必要となる抵抗器は制御電動車の屋根上に搭載されています。

車体はステンレス製でドアチャイム装備の両開き式片側3扉(ボタン式半自動機能装備)であり、ワンマン運転対応として運転台は半室構造とされ、ワンマン設定器、運賃箱、整理券発行機、運賃表示器、自動放送装置、ドア締切表示器、ミラーが設置されています。冷房装置は集中式を各車に1基搭載しました。

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V8編成 ラッピング電車 2005/3/25 新潟

1995年5月8日に新潟近郊区間で営業運転を開始しました。当初は全編成が同年3月に導入される予定でしたが、阪神・淡路大震災の影響で一部車両(川崎重工業兵庫工場製)の納入が遅延したため運転開始時期がずれ込んだそうです。

車体帯の色は緑と黄緑の2色で、新潟支社で運用されている115系「2次新潟色」に準じています。座席配置はロングシートでモケットは一般座席は黄緑色で優先座席は赤色と黒色を採用。パンタグラフはJR東日本の直流電車では採用事例の少ない下枠交差式のPS30形とされました。客用扉間の4枚の窓のうち中間2枚は701系と異なり大型の1段下降窓です。

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2連3本による6両編成 2005/3/24 田上

現在、2両編成13本(26両・「V編成」)が新潟車両センターに在籍し、新潟近郊区間を中心に運用されています。ワンマン運転は白新線・羽越本線新潟駅 - 新発田駅 - 村上駅間・越後線の新潟駅 - 吉田駅間・信越本線の新潟駅 - 新津駅間の一部列車で実施されています。またほとんどが普通列車で運用されていますが、早朝の一本のみ白新線・羽越本線で快速運用が存在します。

登場当初は全席ロングシートの居住性を考慮して新潟近郊区間に限定された運用でしたが、その後朝夕のラッシュ時間帯の一部列車で長岡方面への列車にも充当されるようになり、混雑緩和に一役買っています。

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V3編成 2005/3/23 新津

V3編成は2008年9月に起きた越後線内での踏切事故に伴う列車火災事故のためクモハE127-3が焼損しました。なお、他の事故車両であるV7・V9編成は長野総合車両センターにて修復されています。

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2013年7月26日 (金)

1975年 新潟の旅 21 485系 新潟車輌センター その3 K編成

今回は、485系K編成です。

485_k1_101003
鶯谷を通過するK1編成 2010/10/3

首都圏乗り入れ用にATS-Pが装備された編成です。この夏も運転される快速「ムーンライトえちご」用の車輌です。

     Tc      M485M'484 M485M'484    Thsc481 
K1    346      1088     1057        1028    
K2    347      1042     1021        1030

1993.10.26AO クロハ化改造(Thsc1028←Tc1019)
1993.11.06AO クロハ化改造(Thsc1030←Tc1041)

K編成について書くことはあまりないので、今回、K編成の中でもクハ481形300番台に注目したく思います。

485_k1_111008
K1編成 クロハ481-1028 2011/10/8 尾久

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K1編成 クハ481-346 2010/12/29 尾久

イカロス出版社のイカロスMOOKシリーズ「形式485系 ISBN978-4-86320-682-3」中の485/489系全形式の履歴表データによると、クハ481形300番台で現在も改造されず、現役で活躍しているのはT17編成の-332、仙台のG55G58編成に組み込まれている-334、K1、K2編成の-346, -347, T16, T14編成の-351, -352の6両だけです(-345勝田区K40編成の廃車で鬼籍に入りました)。

クハ481-300番台-200番台の貫通タイプのマイナーチェンジ版として1974年春に登場し、1976年までに54両が製造されました。製造は日立、東急、川重の3社が担当しました。それまでの-200番台が将来の分割併合を考慮して貫通構造になったのに対して、分割併合用の所定数は達していること、貫通扉の存在で発生する隙間風による運転室の居住性の改善を目指して非貫通方式で製造されました。

200番台との違いは

・車体長を250mm延長し0・100番台と同じ連結面車体長が21,250mmとなり、 同時に運転室床上スペースが余ったため助士席下部へCPを移設。
・200番台で廃止された運転室後部の後方確認用小窓を復活。
・列車名表示器は大型の長方形で側面方向幕連動の電動式となりました。

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K2編成による快速「フェアウエイ」 2006/4/9 自治医大~石橋

54両の履歴を調べてみると最初の配置との関係が深いことが分かります。

1)大ムコ配置
  301, 302, 304               => 1996.3 183系クハ、クロに改造

2)金サワ配置
  303, 306, 310, 319, 320, 323, 326, 344   => 改造無し 廃車
  305, 308, 318, 321, 322, 324, 343,         => 183系クハ、クロに改造
     307, 325, 327                                   => クロ481-2300番台に改造       

3)仙セン配置
   309, 312, 328, 329, 341, 353, 354   => クロハ481に改造(九州用)
     314, 316, 331, 338, 339, 340      => 183系クハ、クロに改造
     317, 330                  => 改造無し 廃車

4)盛アオ配置
  311, 313, 315, 333, 337, 345       => 改造無し 廃車
    332, 334, 346, 347, 351, 352       => 未だ現役
    335, 336                   => 183系クハ、クロに改造
    342, 350                   => クハ481-3000に改造 現役
    348                    => クロハ481に改造(土崎:たさわ) クハ481-3348 現役
    349                    => クハ485-701に改造 (きらきらうえつ)

485_k2_4811030_050323
K2編成のクロハ481-1030 2005/3/23 新潟

大ムコ初期配置の車輌は特急「北近畿」にむけて1995年に3両ともクロ・クハ183形に改造されています。

金サワ初期配置の車輌の場合、
1986年11月から12月にかけ305, 318, 321, 322, 323, 3431996年3月308が大ムコに転出し、323は改造されずに大ムコで終生活躍しました。それ以外はいずれも1996年3月クロ・クハ183形に改造されています。
金サワに残った307, 325, 327の3両は1990年の「かがやき」「きらめき」へのグリーン車連結に際して吹田工場で改造されました。彼らは2003年に京都総合運転所へ転属し、「雷鳥」で運用された後、2009年クロ183-2707 - 2709に再改造されました。

仙セン初期配置車の場合、東北新幹線開業に伴う運用喪失で
1982年9月から11月にかけて動きが生じ、309, 312, 354が門ミフに314, 316が大ムコに転出しました。

1984年11月から翌年2月にかけて、317, 328, 329, 330, 331, 339, 341, 353が門ミフに転出しました。

3091986年11月に福知山に転出し、クロハ481-301に改造されますが1989年に現番号309に復元しました。以降は2003年に廃車になるまで金サワに所属しました。
3121987年12月にクロハ481形改造を受けました。
314, 316は長らく原型で活躍しましたが、1995年にクハ183形改造を受けています。
3171986年に福知山に転属するものの改造は受けず、金サワ、京キトと移動し、そのまま廃車されました。
328, 329, 341, 3531987年に小倉工場で改造されクロハ481形になりました。
330はその後大分に転属しましたが原型のまま2000年3月に廃車となりました。
3313391987年に福知山に転属し、1990年にクハ183形に改造されました。
354はクロハ481-302に改造され、さらに1990年にクロハ183形に再改造されましまた。

485_k2_050323
E127系と並んだK2編成による特急「北越」 2005/3/23 新潟

盛アオ初期配置車の場合、クハ481形の配置はまず1972年6月の100番台から始まり、同年8月から200番台が新製配置されると、100番台は大ムコに転出し、1973年4月には200番台だけとなり、1974年4月から1975年3月までは1500番台が一時札幌から貸し出され、1975年5月頃から300番台が配置され始め、200番台初期車は秋田に転出し、1978年8月には1000番台が大量に配置となり、1980年10月には1500番台が正式に配置となり、1982年11月の東北新幹線開業では1000番台がすべて秋田に転出しています。

そういった集団的な動きのあとで、個別の動きが始まるのは、1985年3月の改正です。335が大ムコ、336が門ミフ、337が金サワに転出しました。

3351995年にクハ183形に改造され、
3361987年3月に福知山に転属後、1991年3月にクハ183形に改造され、
3372006年3月に廃車されるまで終生、金沢で活躍しました。

1986年10月には311, 313, 315, 332, 333, 345が勝田に転属しました。

3113152000年3月廃車になるまで、3132001年3月廃車になるまで勝田区で活躍しました。
3321997年3月3331998年3月に上沼垂に転属、3332006年5月「彩」を組成する段階で廃車となりましたが、332は未だ現役です。
3451993年8月に仙センに転属、2003年3月に勝田に戻り、K40編成の一員でしたが2013年1月に廃車となりました。

1987年7月346, 347, 348, 349, 350が秋田に転出、350翌年3月に青森に戻りました。

346,3471992年7月に青森に戻り、2003年1月上沼垂へ、現在も現役。
3481989年2月、クロハ481-303に改造、2000年3月上沼垂に転属し、クハ481-3348に再改造、未だ現役。
3491992年6月勝田へ転属、1998年10月上沼垂に転属、2001年11月「きらきらうえつ」に改造
3501999年3月、3000番台に改造。2006年3月、新潟に転出。未だ現役。

1992年7月351, 352が秋田へ転出しました。

351, 3521997年3月に上沼垂に転属し、未だに現役。

1997年6月342が上沼垂に転出、2001年3月、3000番台改造。

2002年11月334が仙台に転出。2005年12月から2009年2月まで小山に配置されるも再び仙台にもどり、G55G58編成で活躍中。

2003年1月から3月にかけて、346,347が上沼垂に転出。未だ現役。この時をもって、盛アオのクハ481形300番台配置はなくなりました。

485_k2_100717_2

K2編成による特急「北越」 2010/7/17 青海川

**************************************

クハ481形300番台のメインの製造時期は国鉄485系として大きな移動があった1975年3月のダイヤ改正以降でした。485系としての仕事のピークを過ぎた時期から製造、配置であったため、どの車輌の履歴を見てもそれほど大きな動きがないことが分かります。

また、配置区別に見た場合、おなじ東北地区でも仙セン配置の車輌が、門ミフや大ムコに転属して、九州内特急の短編成化や「北近畿」の改造種車として183系化されているのに較べると、盛アオ配置の車輌は後のJR東日本内の移動がメインであり、かつ残存率も高いのが顕著であると思います。また、原型のまま老朽化で廃車された車輌(16両)よりも、短編成化によるクロクロハ化、さらに183系化でオリジナルから改造された車輌が圧倒的に多いのもこの番台の特徴かと思います。これも生まれた時期というか、485系が背負った宿命のように感じます。

以上、「485系の動き 配置および編成・運用の移り変わり 一覧」のサイトのデータを参考に纏めました。

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2013年7月25日 (木)

1975年 新潟の旅 21 485系 新潟車輌センター その2 T編成

昨日の記事で、新潟車両センターの485系のこれまでの歴史を見て参りました。

今回はT編成に注目しましょう。

485_t11_050323_2
485_t11_4811009_050323
             T11編成による特急「いなほ」 2005/3/25 新潟

6連8本が配置されており、運用範囲は金沢~新潟、新潟~酒田・秋田、新井~新潟です。特急「いなほ」「北越」、快速「くびき野」に投入されています。塗装はT11~17は白地に青帯と水色帯の上沼垂色、T18 はK編成の予備的意味から国鉄色です。

       Tc  M485M'484 M485M'484 Thsc481    備考
T11    1029   1061     1085    1009
T12    1027   1016     1015    1026
T13    1025   1064     1041    1025 
T14     352   1012     1043    1018
T15    1007   1036     1052    1022 
T16     351   1020     1045    1011 ※快速くびき野用
T17     332   1010     1083    1023 ※快速くびき野用
T18    1508   1074     1082    1029  ATS-P装備

1986.10.30TZ クロハ化改造(Thsc1009←Tc1014)
1988.11.11TZ クロハ化改造(Thsc1026←Tc1038)
1988.11.29TZ クロハ化改造(Thsc1025←Tc1028)
1998.02.19TZ クロハ化改造(Thsc1018←Tc1033)
1989.03.10TZ クロハ化改造(Thsc1022←Tc1042)
1987.11.16TZ クロハ化改造(Thsc1011←Tc1003)
1988.10.05TZ クロハ化改造(Thsc1023←Tc1002)
1993.11.26TZ クロハ化改造(Thsc1029←Tc1035)

485_t13_110529
T12編成はまだ出逢っていませんので、T13編成による特急「北越」 2011/5/29 高岡

485_t14_080905
T14編成による特急「北越」 2008/9/5 金沢

485_t15_100717_1
T15編成による特急「北越」 2010/7/17 青海川

485_t16_4811011_100718_2
直江津のホーム横の電留線で夜を明かしたT16編成 クロハ481-1011他 2010/7/17

485_t17_100718
こちらは直江津駅西側の電留線に出入りするT17編成 2010/7/18

4851500_t18_060312
快速「フェアウエイ」運用で黒磯までやって来たT18編成 上沼垂色時代 2006/3/12

T18編成はATS-Pを装備していることと、4つ目のクハ481-1508が組み込まれていることが特徴ですが、同車は北海道時代に電化の最北端踏破を経験し、さらに1982年1985年の広域転配で鹿児島運転所への牽引車運用に投入されたことで電化区間の最南端への到来実績を持つ電車としてはおそらく唯一の車輌です。

2013年3月改正のダイヤでは、601から610までの仕業が組まれており、KRT共通となっています(2013/7/20の記事参照)。

運用行路を辿ると、10日のサイクルのうち、前半は酒田、秋田滞泊がメインで、中盤は金沢滞泊となり、終盤は上沼垂滞泊となるパターンです。

わたしもこの夏のうちに一度新潟から羽越線方面で撮影を行おうと考えております。実はまだ、「ムーンライトえちご」も見たことが無いもので。

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2013年7月24日 (水)

1975年 新潟の旅 21 485系 新潟車輌センター その1 R編成

終焉が間近に迫った新潟車輌センターの485系について、ここ数日、列車側から見て参りましたが、現在のR編成、T編成、K編成の構成について車輌の側からみてみようと思います。

4853000_r21_110528_2
R21編成による特急「北越」 2011/5/28 高岡

1986年11月1日のダイヤ改正前に「白鳥」・「雷鳥」・「北越」を担当するため全国から485系が集められ9連8本が上沼垂運転区に配置されました。

1)金サワから サハ489-5=>改造 クハ481-753
2)盛アオから クハ481-1502, 1503, 1504, 1505, 1507
3)秋アキから モハ485,484-1007, 1010, 1011, 1012, 1013, 1020, 1024, 1069, 1078
4)水カツから サロ481-114, 124, 125
5)大ムコから 
モハ485-65,66,83,85,86,87,138,149,1501,1502,1503,1504,1505,1506,1507
モハ484-65,66,83,85,86,87,241,251,1501,1502,1503,1504,1505,1506,1507
クハ481-21,23,27,28,29,30,102,258,260,261
サロ481-38,104,105,106,107

クハの顔だけでも0番台、100番台のボンネットタイプ、200番台の貫通タイプ、改造の非貫通、1500番台の非貫通4つ目タイプが揃っていたことがわかります。

<クハ481-701,751~753>

北陸特急の増発・短編成化および福知山線・山陰本線城崎電化による「北近畿」新設に伴い、サハ489形にクハ481形300番台に準じた運転台を取付て制御車化改造を施工したグループです。

701

1985年に松任工場で後期型車を種車にして改造。新製車同様に210KVAMGを床下にCPを運転台下に搭載しました。
屋根上のAU13E形分散式冷房装置搭載位置や、運転室側面窓の後ろがやや間延びしている点、トイレと洗面所の位置が逆であることが新製車と異なりました。分割民営化時にはJR西日本に承継されましたが、2011年に廃車となりました。
サハ489-11→クハ481-701 

751 - 753

1986年に幡生車両所(現・下関総合車両所)で改造されましたが、701との相違点が発生したための番台区分されました。
MG出力が160KVA。CPも床下搭載としたため助手席下側の機器室搬入口はありません。
種車の関係で751・752は冷房装置がAU12形を搭載しました。
分割民営化時には、751・752がJR西日本に承継され1991年183系に再改造。753がJR東日本に承継され2001年にジョイフルトレイン「きらきらうえつ」に再改造されました。
サハ489-202・203・5→クハ481-751 - 753

753の写真はありませんが、701は特急「しらさぎ」で活躍する姿を撮影していました。

4853000_r22_110529
R22編成による特急「北越」 2011/5/29 高岡

JR化後の1988年以降、アコモ改善工事が始まり、窓やシートピッチ拡大、セミハイデッカー化などと同時に“北越色”への塗装変更も行なわれました(変更は工事有無とは関係なく、全車に施工)。

1988年3月13日の改正では183系のサロに改造されたものの余剰化していたサロ183-1052、-1053がサロ481-98、-122に長野で改造復帰し、転入しました。

1989年3月11日の改正では勝田区より、モハユニット-14, 20, 57、クハ481-22,25、サロ481-1056が転入しましが、1990年3月までにモハユニット-57は廃車、-14, 20、クハ481-22,25は勝田に戻りました。

1990年3月10日の改正ではサロ189-2, -3, -4が転入し、クモロ485-1、モロ484-1、クロ484-1に改造されシルフィード編成が誕生しました。

1991年3月16日の改正では勝田から転入したサロ481-1056が勝田へ戻りました。

1994年12月3日の改正後にはサロ481-38,104が廃車となっています。

1995年12月1日の改正では、秋田から
モハユニット -1030, 1052, 1085, 1086
クロハ481     -1009, 1022
クハ481    -1007, 1029  が転入しています。

1996年、田沢湖線の新幹線化工事に伴い、南秋田運転所から6連が転属して「いなほ」・「北越」も受け持つようになりました。

モハユニット -1033, 1040, 1054, 1060   => 改造 3033, 3040, 3060
クモハ485+モハ484 -1001+1017, 1009+1076
クロハ481       -1005, 1006, 1023 =>改造1005→3026, 1006→3034
クハ481         -1037
サロ481         -107  => 改造 3107

1996年3月に秋田よりさらに転入
モハユニット    -1015,1016,1034,1036,1039,1041,1043,1045,1050,1061,1075,1084
クロハ481         -1008,1010,1011,1018,1025,1026, 1027
クハ481       -51,352,1005,1025,1027,1043, 1506

1996年8月に長野より 
サロ489      -1051, 1052  
(このサロ489形は防弾ガラス装備のVIP仕様車ということで長らく上沼垂で休車状態でいましたが、2010年10月に廃車されています)

1996年9月  
モハユニット -87, 149-251
クハ481       -21, 28        小山に転出    => 」に改造

1997年、北越急行開業に伴って「はくたか」(越後湯沢~金沢)用3000番代化工事を9連2本(R1,2編成)に施工、後に6連にも実施されました。 このダイヤ改正で「白鳥」(大阪~青森)をJR西日本(向日町所)へ移管しました。

クハ481-1005 青森へ転出
クハ481-342  青森から
クモハ485-1001, 1009 モハ484-1017, 1076     幕張へ転出  
                              =>「ニューなのはな」に改造
モハユニット -1083    クハ481-332, 1011 が勝田から転入

モハユニット -1030, 1054, 1086
クハ481    -1011, 1017
サロ481    -106                         3000番台改造

1998年12月8日の改正の前に
モハユニット -1018, 1044
クハ481    -333, 349                  が勝田から転入

1999年12月4日の改正を前に
モハユニット -65, 66, 83, 85
クハ481    -23, 27, 29, 102        が廃車に

2000年1月
モハユニット -86, 138
クハ481     -30
サロ481    -98               が廃車に

2000年1月から9月
にかけて

モハユニット -1037, 1065, 1066, 1070
クロハ481 - 303, 1001, 1004, 1024が秋田で3000番台改造後、転入
さらに
モハユニット -1039, 1075
クロハ481 -1027, 1043           が3000番台改造

2001年1月にはシルフィード編成が再改造されてNO.DO.KA編成

モハユニット -1018, 1044
クロハ481 -1010
クハ481-1506                           が3000番台改造

2001年3月
改正では、大阪~金沢=「雷鳥」、金沢~新潟=「北越」、新潟~青森=「いなほ」と系統分割により名称が整理され、「白鳥」と新潟直通「雷鳥」が廃止されました。

モハユニット -1034, 1050, 1078
クロハ481 -1008
クハ481 -342               が3000番台改造

モハユニット -1063, 1501, 1502, 1504, 1506, 1507
クハ481    -258, 260, 261
サロ481    -105, 112, 114, 124, 125              が廃車

モハユニット -1078
クハ481    -349, 753 が
クハ485-701+モハ485-701+モハ484-702+クハ484-702 編成に改造
                          「きらきらうえつ」編成

2002年4月
モハユニット -1503, 1505               が廃車

2002年12月
モハユニット -1011, 1013
クハ481   -1504, 1505           が勝田へ転出  K60編成」に改造

2003年1月~3月
モハユニット -1021, 1042, 1057, 1088
クロハ481    -1028, 1030
クハ481   -346, 347          が青森より転入

モハユニット -1069, 1084        が廃車に
 

2003年3月31日からは、165系に代わって夜行快速「ムーンライトえちご」(新宿~新潟)を、青森から転属したK編成が受け持つようになりました。

2005年3月改正で「はくたか」全列車が681/683系に統一されることとなり、R1,2編成が6連化(クハ→クロハ化改造の上、R26,27編成に変更。余剰車は廃車)されました。

2006年3月
モハユニット -3056
クロハ481  -3020
クハ481  -3350        が青森より転入
クハ481  -3026,3037      がクロハ化改造

2006年5月
モハユニット -1007, 1024
クハ481       -1502, 1503      が長野へ転出 =>」へ改造

クハ481    -333, 1507        が廃車に

2007年3月
モハユニット -3018,3044
クロハ481 -3010
クハ481 -3506              R24編成 事故廃車

2008~2010年度でAU13E冷房装置をAU112に交換する改造が行われ、R編成は全車、T編成はクロハのグリーン車側2基に対して完了しました(T17,18編成は除く)。

2008年10月
サロ481 -3106, 3107            が廃車に

2010年3月13日改正で JR西日本が担当していた夜行急行「能登」(上野~金沢)が臨時化されたのに伴い、JR東日本が車両を受け持つ形となり、交直流対応の485系が抜擢され、「ムーンライトえちご」は幕張または大宮の183系が充当されるようになりました。

2010年10月
サロ489 -1051, 1052           が廃車に

2010年12月改正では青森直通「いなほ」が秋田で系統分割されて秋田以北の乗り入れがなくなりました。

2012年3月17日改正以後、「能登」の設定がなくなったため、「ムーンライトえちご」に485系K編成が再登板しています。

4853000_r23_110529_3
R23編成による特急「北越」 2011/5/29 高岡

今回はR編成について見て行きましょう。

1996年から2001年にかけて、JR東日本が1000番台車を中心に行ったリニューアル改造車です。

・外板塗装の変更。
・側窓の下辺を台枠から845mmとし、窓の大型化と窓ガラスの内側取付ユニット化。
・モハ484形の遮断器を空気式(ABB)から真空式(VCB)に換装。
・化粧板の張替。
・出入台照明のダウンライト化。
・貫通引戸と側引戸をハニカム構造で軽量化を図った物に交換。扉ストッパーのキャッチャ式化。電気式となるパルサーチの検知方式を採用し、客室仕切戸を自動化。
・出入台と運転室の床敷物をノンスリップタイプに交換。
・各車両の仕切戸と妻引戸上部に電光表示の室内案内情報装置・号車番号・案内装置・禁煙表示装置の設置。
・行先表示器・前面列車名表示器のLED化。
・トイレを真空吸引式洋式に交換。従来の洗面所を撤去し、ユニット式になる・男子トイレと小スペース用洗面所を新設した。
・車内放送のオルゴールにクラシック音楽を採用。

4853000_r25_050326_2
R25編成による特急「北越」 2005/3/26 三条

室内に関しては

・グリーン車 新幹線200系電車と同様の荷棚、カーテンキセを含めたFRPカバーへの交換。
クロハ481形は4列のまま新型シートに交換、サロ481形は種車が3列シートのグレードアップ車のためモケット張替を施工。
・普通車シートピッチは910mmのままフリーストップリクライニングと座面のスライドが可能な物に交換。
・荷棚も新タイプへ変更。
・喫煙車への空気清浄機の取付。
・一部車両に車椅子対応座席の設置などのバリアフリー化
モハ485形の一部車両への車販準備室と電話室の設置。

改造で大きく変わったのは先頭車のクハ・クロハ481形で、
・従来の運転台屋根部分をすべて撤去し、新しい屋根構体に載せ換えて前面ガラスを1枚の大型ガラス化。
・前面にFRP製マスクを取付け、愛称表示機をLED化。
・スカート部へのカバー取付。
・前灯・尾灯の配置を変更。
補助電源はMGからSIVに、CPも静音床下搭載タイプの2,500l/minへ増大した・物に換装。

改造は、土崎工場(現・秋田総合車両センター)と青森運転所東派出所で施工されました。9両編成2本・6両編成12本と増結用MM'ユニット3組6両の96両が改造され、青森運転所と上沼垂運転区に配置されました。

2005年12月25日に発生したJR羽越本線脱線事故により大破し、物的証拠として山形県警察に押収されたR24編成は、捜査の終了により全車2007年3月31日付で、本区分番台初の廃車となりました。

新潟車両センターには6両のR編成7本と増結用MM'ユニット1組2両の44両が配置され、「北越」「いなほ」を中心に運用されています。

681_4853000_r27_100718
681系と並んだR27編成 特急「北越」 2010/7/18 直江津

←新潟
金沢/秋田→

   Tc  M485M'484 M485M'484 Thsc481 備考
R21 3018   3037    3070     3024   
R22 3348   3065    3066     3004   
R23 3043   3075    3039     3027   
R24 3506   3018    3044     3010   2007.03.31事故廃車
R25 3342   3034    3050     3008   
R26 3034    3033    3060     3026  
           ※元はくたか用R1。車椅子対応設備などはMM'3060に。
R27 3011    3030    3054     3037  
           ※元はくたか用R2。車椅子対応設備などはMM'3054に。
   
R28 3350   3040    3056     3020   
 

増結用ユニット - - 3086 -  

クハ481-1000 ~ クロハ481-1000改造 ~ クロハ481-3000改造
   1004                       1024                             3024
       1032                       1004                             3004
       1040                       1027                             3027
       1001                       1010                             3010
       1008                       1008                             3008
       1038                       1026                             3026
       1037                       1037                             3037
       1501                       1020                             3020      

485_4813020_110528_2ex1501
R28編成のクロハ481-3020の種車は”あの”クハ481-1501 2011/5/28 高岡

今回は上沼垂区の485系の歴史を追っかけてみましたが、ここに一時在籍した車両から、現在も活躍するジョイフルトレインが多数輩出されていることを知り,驚きました。言うなれば485系最後の現役としての活躍の場であり、同時に第二の人生への入口的な役割もあったのですね。

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2013年7月23日 (火)

1975年 新潟の旅 21 485系 快速「フェアウエイ」

7月18日の記事165系を使用した快速「フェアウエイ」を特集しましたが、今回は165系を引き継いだ485系による快速「フェアウエイ」です。

485_k1_081228
K1編成による快速「フェアウエイ」 2008/12/28 小金井~自治医大

2003年4月に上沼垂運転区の485系が「ムーンライトえちご」「フェアーウェイ」の運用を担当するようになりました。

これらの列車は首都圏乗り入れが可能なK1・K2編成(6両編成:国鉄特急色)が投入されています。 K編成が検査などで使用できない場合は、ATS-Pと車内減光装置を装備したT18編成(国鉄特急色、2008年4月までは上沼垂色)が投入されますが、T18編成も投入できない場合は3000番台(リニューアル車)のR26・R27編成が投入されます。この場合、「いなほ」・「北越」とも共通運用となります。

485_t18_060312
国鉄色になる前のT18編成による快速「フェアウエイ」 2006/3/12 黒磯

485系交直流電車への置換えに伴い交流区間への直通が可能となり、2003年以降は、夏の観光シーズン及び冬のスキーシーズンを中心に日数を限定のうえで郡山・会津若松まで延長運転されるようになりました。

485_k1_030419
黒磯に到着したK1編成 2003/4/19 165系からの置き換え直後

1号車の新宿方は半室グリーン席、2007年3月18日以降は全席禁煙となっています。
K編成の場合、6号車のみ内装が1 - 5号車と異なり、デッキ部がピンク色で座席モケットは赤(エンジ色)です。これは6号車が「ムーンライトえちご」・「らくらくトレイン村上」ではレディースカー(女性専用指定席)となっているためで、「ムーンライトえちご」の間合い運用で土曜日・休日を中心に運転される「フェアーウェイ」と折り返しとなる村上→新潟の快速列車では一般開放されています。
首都圏のホーム高さにあわせるために、ドアステップは埋められていますが、外観の変更はありません。

485_k2_060325
K2編成による快速「フェアウエイ」 2006/3/25 野木

2009年11月29日を最後に運転を行っておらず事実上廃止と考えられています。

485_k2_060409
K2編成による快速「フェアウエイ」 2006/4/9 自治医大~石橋

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2013年7月22日 (月)

1975年 新潟の旅 21 485系 快速「くびき野」

新潟地区に残る485系を使用した列車、今回は快速「くびき野」です。

485_t16_100717
上沼垂色のT16編成による快速「くびき野」 2010/7/17 直江津

北陸新幹線(長野新幹線)が開業した1997年10月1日のダイヤ改正では、長野駅で新幹線と接続する列車として長野駅・高田駅 - 新潟駅間の特急「みのり」が3往復、長野駅 - 直江津間間の快速「信越リレー妙高」が8往復設定されました。

上沼垂電車区 485系

ThscM'MM'MTc×10 所要9(臨時+1)
いなほ(7)(臨時+1.5)、北越(1)、みのり(3)
 上沼垂‥新潟18182027酒田
 酒田710906新潟10121222酒田13241530新潟16392022金沢
 金沢6451026新潟13281542酒田16551901新潟20202112長岡‥上沼垂
 上沼垂‥新潟8551513青森
 青森10581722新潟19482138高田‥直江津
 直江津‥高田714905新潟12101554秋田17432115新潟2203010酒田
 新潟9011130酒田12011408新潟18102103長野
 長野9121207新潟17141927酒田
 酒田547752新潟8431142長野17442038新潟‥上沼垂
 新潟11081320酒田13531602新潟

しかし首都圏と新潟県を行き来するには上越新幹線や北越急行ほくほく線などの利用が一般的で「みのり」や「信越リレー妙高」の利用は低迷し、本数減や運行区間の短縮を繰り返しました。「みのり」は運行末期には高田駅以北のみでの運行となり、同時期には「信越リレー妙高」は3往復にまで減少しており、当初の役割だった長野駅での新幹線との接続機能は衰退し、新潟県や長野県の中での都市間輸送の役割が強くなっていきました。

485_t18_050323
国鉄色に変更される前のT18編成による快速「くびき野」 2005/3/23 東三条

2000年12月2日

ThscM'MTc×3 所要3
いなほ(2)、みのり(1)
 上沼垂‥新潟19312125高田‥直江津
 直江津‥高田712906新潟20012214酒田
 酒田700904新潟10421248酒田14111617新潟‥上沼垂

2001年3月3日

TcM'MTc×2 所要2
いなほ(2)(臨時+1)、みのり(1)
 直江津‥高田712907新潟13351433村上/村上14241520新潟21472353酒田
 酒田700904新潟10421248酒田14111617新潟19312127高田‥直江津

2002年12月1日のダイヤ改正では、廃止された「みのり」の代替として快速「くびき野」が運行開始し、「信越リレー妙高」は「妙高」に列車名を変更していました。なお「妙高」はほとんどが普通列車としての運行になったが、指定席が連結されているため固有の列車名が設定されています。

TcM'MTc×2 所要2
くびき野(3)
 直江津‥新井700915新潟17071928新井19331957直江津
 直江津845910新井9241139新潟14381649新井17071927新潟19552217新井‥直江津

485_t21_050324
2006年5月中旬まで快速「くびき野」に投入されていたT21編成。 2005/3/24 前川

2013年6月12日の記事でも触れましたが、同編成とT22編成は長野総合車両センターへ転出しT21編成の先頭車2両のクハ481-333・1507が廃車となり、残った6両で編成を組成し、長野支社の14系客車によるジョイフルトレイン「浪漫」に代わる団体用車両「」に改造されました。

<運行状況>

新井駅 - 新潟駅間に1日3往復が運行されおり、6号の直江津駅→新井駅間は普通列車として運行されています。

直江津駅 - 新潟駅間では停車駅を特急列車並みに絞り込んでおり、特急「北越」の停車駅および宮内駅にしか停車せず、この区間の所要時間は特急より10分程度遅いのみです。停車駅が1駅差であるが所要時間が10分程度違うのは、特急の120km/h運転に対し快速は通常100km/hに制限されているためです。

<使用車両>

新潟車両センター所属の485系電車(主にT16・17編成)により運行されています。1号車は半室普通車指定席・半室グリーン車指定席となっています。
くびき野3号」への送り込み及び「くびき野4号」からの送り出しとなる直江津駅 - 新井駅間の普通列車(1328M・1351M)と共通運用となっています。ただし同列車の1号車は締切扱いとなっています。
検査・運用の都合上R編成やK編成、およびT16・17以外のT編成が使用されることがあります。直江津駅 - 新井駅において、115系電車(新ニイ)や183·189系電車(長ナノ)が使用される場合があります。

485_t13_t17_100717
普通表示の485系T17編成 2010/7/17 直江津

2010年12月2日~


ThscM'MM'MTc×2 所要2
くびき野(3)
 直江津‥新井655918新潟17041925新井19301955直江津
 直江津837903新井9371205新潟14001623新井17011929新潟19562222新井‥直江津

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2013年7月21日 (日)

1975年 新潟の旅 21 特急「北越」 上越新幹線開業後

今回は現在、特急「いなほ」と共通運用されている特急「北越」について触れます。

485_481300
485系 クハ481-300番台をラストにした特急「北越」 芦原温泉

特急「北越」の上越新幹線開業までの歴史は、2013年1月23日の記事で特集しましたので、今回は1982年11月の上越新幹線開業から見てゆこうと思います。

1982年11月15日:上越新幹線開業に伴うダイヤ改正により、2往復の「はくたか」が廃止され、残り区間が「北越」となり、3往復に。1,2,4,5号を金サワの489系が担当、3,6号を大ムコの485系が担当しました。

金沢運転所 489系

←大阪、金沢
TcM'MM'MTsTdM'MM'MTc×10 所要7(臨時+2) 489系
白山(3)(臨時+1)、北越(2)、雷鳥(1)(臨時+1)
 休
 金沢7341434上野16002254金沢
 金沢10281734上野‥尾久
 尾久‥上野9001549金沢16472057新潟
 新潟8551314金沢15332234上野‥尾久
 尾久‥上野14002046金沢
 金沢535951新潟14002125大阪‥宮原
 宮原‥大阪7351454新潟17482204金沢
 金沢8551634上野/上野10341745金沢
 富山944-金沢10301355大阪16412011金沢-2100富山

向日町運転所

←大阪
TcM'MTsTsTdM'MTM'MTc×16 所要12(臨時+1)
雷鳥(13)(臨時+1)、北越(1)
 休
 向日町‥大阪7051106富山12201625大阪18052207富山
 富山10201425大阪16052006富山
 富山6481055大阪13051706富山18202225大阪‥宮原
 宮原‥大阪9051314富山14501855大阪‥向日町
 向日町‥大阪10051321金沢13411752新潟18532306金沢‥南福井
 南福井‥金沢8071125大阪13251638金沢17372055大阪‥向日町
 向日町‥大阪11351854新潟‥上沼垂
 上沼垂‥新潟10001725大阪‥向日町
 向日町‥大阪8051206富山12501655大阪19052308富山
 富山9201325大阪15051908富山
 富山527925大阪11051506富山16202025大阪‥向日町
 向日町‥大阪10351357金沢14371755大阪‥向日町
 大阪8321243富山15501956大阪

1985年3月14日:福井駅 - 青森駅間の「白鳥」1往復の運転区間が福井駅 - 新潟駅間に短縮されて「北越」に統合。「北越」は1往復増発されて、5往復になりました。

金沢運転所 489系

TcM'MTsM'MTc×13 所要10(臨時+2)
加越(8)、しらさぎ(2)(臨時+1)、北越(4)(臨時+1)
 休
 金沢9501303名古屋14101807富山
 富山540838米原10291234金沢13351546米原16291835金沢
 金沢10051216米原14001604金沢17051916米原19512247富山
 富山601708糸魚川738849富山11311532名古屋16101920金沢
 金沢11371346米原15001704金沢18492100米原21372344金沢
 金沢8231036米原12291435金沢16422042新潟‥上沼垂
 上沼垂‥新潟10001358金沢15361746米原18292034金沢
 金沢553952新潟17002155福井‥南福井
 南福井‥福井7421242新潟15121916金沢‥森本
 森本‥金沢13551752新潟19352344金沢
 金沢9471319長岡15011824金沢
 金沢13521713名古屋17332057金沢

T×5 Ts×9 Td×20

向日町運転所

←大阪
TcM'MTsTM'MM'MTc×16 所要13(臨時+2)
雷鳥(11)(臨時+2.5)、白鳥(1)、北越(1)
 休
 向日町‥大阪11351845新潟
 新潟9051612大阪18052158富山
 富山9251322大阪15052209新潟‥上沼垂
 上沼垂‥新潟8141522大阪17052058富山
 富山524922大阪11051411金沢16121922大阪‥向日町
 向日町‥大阪10302351青森
 青森4501812大阪‥向日町
 向日町‥大阪10051311金沢14421752大阪19052301富山
 富山10251422大阪16051959富山
 富山6491052大阪13051658富山18252222大阪‥宮原
 宮原‥大阪9051300富山14551852大阪‥向日町
 向日町‥大阪7351438新潟16102011金沢‥南福井
 南福井‥金沢7351142新潟13152022大阪‥向日町
 金沢6501031大阪16302032富山
 富山953-金沢10421352大阪15251848金沢19462305大阪

Ts×7 Td×14 T×2

1986年11月1日: ダイヤ改正を前に向日町、青森、秋田、勝田からの車両が転属し、上沼垂運転区の485系が特急「白鳥」「雷鳥」「北越」および「いなほ」の運用の一部を受け持つようになりました。向日町の「北越」の運用が上沼垂に移管されました。

上沼垂運転区 485系

←大阪、青森
TcM'MTsM'MM'MTc×8 所要6(臨時+2)
白鳥(1)、雷鳥(2)、北越(1)(臨時+1)、いなほ(臨時1)
 休
 上沼垂‥新潟9041556大阪‥宮原
 宮原‥大阪10402340青森
 青森4501801大阪‥宮原
 宮原‥大阪7501437新潟17002045金沢
 金沢7441142新潟13152005大阪‥向日町
 向日町‥大阪11501844新潟‥上沼垂
 新潟11191402酒田15031742新潟
 上沼垂‥長岡8411128金沢16331742長岡‥上沼垂

金沢運転所

←米原、金沢、上野
TcM'MTsM'MM'MTc×10 所要7(臨時+2) 489系
しらさぎ(4)(臨時+3)、白山(2)、北越(1)
 休
 金沢11151745上野‥東大宮
 東大宮‥上野9301558金沢16462042新潟‥上沼垂
 上沼垂‥新潟10001349金沢15112138上野22372304大宮‥東大宮
 東大宮‥長野9471249/東大宮‥上野15302148金沢
 金沢‥富山7001101名古屋12151607富山17022059名古屋‥神領
 神領‥名古屋10151406富山15371929名古屋‥神領
 神領‥名古屋8151208富山13371729名古屋18152208富山‥金沢
 金沢624952名古屋10181341金沢15091828名古屋
 名古屋8461200金沢13231651名古屋17092026金沢

TcM'MTsM'MTc×11 所要8(臨時+2)
加越(8)、北越(4)(臨時+2)、白鳥(臨時1)
 休
 金沢8241034米原12221422金沢15231727米原18202021金沢
 金沢12211426米原14491651金沢19022109米原21462350金沢
 金沢9291134米原13481545金沢16541859米原19492242富山
 富山532826米原10231223金沢13211527米原16201822金沢‥森本
 森本‥金沢14051752新潟19352335金沢
 金沢601952新潟16102054福井‥南福井
 南福井‥福井8021242新潟15121904金沢
 金沢11551542新潟18432230金沢
 金沢6381003長岡11401451金沢15351847長岡19152228金沢
 金沢10512155青森‥金沢/金沢‥青森10332228金沢

Td×9

1988年3月13日:「北越」の編成は米原方にクロを組み込む編成に変わりました。そのためにクロ480-1001~1004サロ489形1000番台から改造されました。10021991年に特急「かがやき」用にクロ480-2301に再改造されました。

サロ489-1002・1005・1008・1010→クロ480-1001 - 1004

金沢運転所

TscM'MM'MTc×4 所要4
北越(4)
 金沢605951新潟16002037福井‥南福井
 南福井‥福井8091248新潟14001744金沢‥森本
 森本‥金沢15041851新潟19252319金沢
 金沢12011543新潟18002146金沢


1991年3月16日:「北越」の1往復が長岡発着になりました。

485_k2_110528_2
国鉄色の485系 K2編成による特急「北越」 2011/5/28 高岡

1992年3月14日:「北越」の下り1本が長岡駅 → 新潟駅間は普通列車に、上り1本が新潟駅 → 長岡駅間は快速列車になりました。

1994年12月3日:「北越」の1往復が長岡駅発着になりました。

1997年3月22日:北越急行ほくほく線開業によるダイヤ改正により、上越新幹線に接続するほくほく線経由の特急「はくたか」が運転開始されました。「北越」の一部も「はくたか」に統合されたため、「北越」は金沢駅 - 新潟駅間の2往復になりました。

金沢運転所

←米原、金沢、上野

TscM'MM'MTc×3 所要3
北越(1)(臨時+0.5)、加越(1)、雷鳥(臨時0.5)
 金沢15281907新潟
 新潟9521331金沢14501818新潟
 金沢701902米原‥福井14231631大阪‥米原20202219金沢

上沼垂運転区

←大阪、青森
TcM'MTsM'MM'MTc×2 所要1(指定日+1) (グレードアップ車/3000台)
北越(1)(指定日のみ)、はくたか(1)
 上沼垂‥新潟17122051金沢(指定日のみ)
 金沢10351320越後湯沢14381734金沢
 金沢613955新潟‥上沼垂(指定日のみ)

ThscM'MM'MTc×10 所要8(臨時+3)
いなほ(8)(臨時+3)、北越(1)、みのり(1)
 上沼垂‥新潟18202033酒田
 酒田651846新潟10291239酒田13281534新潟17061916酒田
 酒田547752新潟8551513青森
 青森10231655新潟19312122高田‥直江津
 直江津‥高田714909新潟12231608秋田17432115新潟21442353酒田
 酒田11231333新潟17122051金沢
 金沢613955新潟14191627酒田17021907新潟19522209酒田
 酒田8331041新潟20212113長岡‥上沼垂
 新潟11081318酒田13411554新潟
 新潟13291542酒田16071832新潟
 酒田9081130新潟14461711酒田

TscM'sMsc×1(シルフィード)
M'Mc×2 Ts×2

485_t13_100717
485系 T13編成による 特急「北越」 2010/7/17 直江津

2001年3月3日:「雷鳥」「サンダーバード」の運転区間の見直しにより、大阪駅 - 新潟駅間の「雷鳥」2往復と「白鳥」が廃止。これに伴い、「北越」は金沢駅 - 新潟駅間で5往復になりました。

この改正で「北越」の運用はすべて上沼垂区に集約されました。

←金沢、青森
TcM'MTsM'MM'MTc×2 所要1(指定日+1) (3000台)
北越(1)(指定日のみ)、はくたか(1)
 上沼垂‥新潟17542137金沢(指定日のみ)
 金沢13121615越後湯沢16411939金沢
 金沢6381024新潟‥上沼垂(指定日のみ)

ThscM'MM'MTc×13 所要10(臨時+2) (1000台/3000台)
いなほ(6)(臨時+3)、北越(5)
 上沼垂‥新潟20012214酒田
 酒田546752新潟9021238秋田13111720新潟18142027酒田
 新潟9071130酒田12231435新潟15411915金沢
 金沢11071437新潟17542137金沢
 金沢6381024新潟13011638金沢19002238新潟‥上沼垂
 上沼垂‥新潟10531432金沢17012042新潟‥上沼垂
 上沼垂‥新潟7501121金沢12221602新潟20232117長岡‥上沼垂
 上沼垂‥新潟16552259青森
 青森6111217新潟14191630酒田18262059新潟
 酒田8161023新潟12251603秋田16272001新潟‥上沼垂
 新潟11121340酒田16081844新潟
 酒田11211342新潟16101835酒田

2004年10月23日 - 11月28日:新潟県中越地震の影響により「北越」の全列車が全区間運休(1往復については12月12日まで)。
2007年7月16日 - 9月12日:新潟県中越沖地震の影響により「北越」の全列車が全区間運休。

4853000_r21_110528
485系3000番台 R21編成による特急「北越」 2011/5/28 高岡

今回は特急「北越」の上越新幹線開業後、今日に至るまでの変化について触れましたが、実はこの間に485系はほくほく線開業時の改正で大きな改造を経ています。それについては後日、編成別の記事で触れたく思います。

485系の編成、配置、運用データは「485系の動き 配置および編成・運用の移り変わり 一覧」のサイトの情報を参考にさせて戴きました。またテキストはWikipediaの文章を参考にまとめました。

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2013年7月20日 (土)

1975年 新潟の旅 20 485系特急「いなほ」 その2

今回は、1982年11月の上越新幹線開業後から今日に至る特急「いなほ」の歴史です。

1982年11月の上越新幹線大宮開業で、上野~青森間の特急「いなほ」は特急「鳥海」と名前を代え、一往復存続しましたが、特急「いなほ」は羽越線・奥羽本線(北線)の特急となりました。

485_481300_830102
雪の秋田駅に停車中の485系クハ481-300番台ラストの特急「鳥海」 1983/1/2

青森運転所 485系

←上野、新潟
TcM'MM'MTsTdM'MM'MTc×6 所要4
白鳥(1)、鳥海(1)
 休
 青森4501825大阪‥向日町
 向日町‥大阪9552351青森
 青森7561834上野‥尾久
 尾久‥上野10302113青森

TcM'MM'MTsM'MTc×11 所要8
白鳥(1)、いなほ(5)、はつかり(3)
 休
 青森9552159福井‥南福井
 南福井‥福井5481803青森
 青森453715盛岡8301105青森13021940新潟‥上沼垂
 上沼垂‥新潟7201124秋田13461740新潟19052306秋田
 秋田8291230新潟15151920秋田
 秋田534939新潟12051613秋田17202122新潟
 新潟9051550青森
 青森7401015盛岡11301405青森14401715盛岡18302105青森

M'M×9 Td×16

1985年3月14日:東北・上越新幹線上野駅開業に伴うダイヤ改正に伴い、「鳥海」の定期運行を廃止し、上野駅 - 秋田駅間の臨時列車となりました。車両は秋田運転区の485系7両編成に変更されました。「いなほ」1往復酒田駅発着列車の運行が開始。6往復体制となりました。 なお、これ以後「いなほ」の運行区間は羽越本線内が中心となりました。車両は青森運転所の485系6両編成に変更されました。

←盛岡、新潟
TcM'MM'MTc×15 所要12(臨時+1)
いなほ(6)(臨時+1)、はつかり(7)(臨時+0.5)、つばさ(1)、むつ(1)
 休
 青森10101640新潟18152212秋田
 秋田544940新潟11131518秋田17022056新潟
 新潟8521534青森18582153秋田
 秋田9301326新潟15271928秋田
 秋田14521840新潟20142246酒田
 酒田620840新潟1012-1410秋田
 秋田840-1230新潟13271724秋田
 秋田8061101青森14532057山形
 山形7151320青森15301803盛岡18362110青森
 青森632900盛岡10311305青森1358弘前1539青森16301903盛岡1931-2207青森
 盛岡9311157青森13301600盛岡20352306青森
 青森8291102盛岡14311702青森17332002盛岡
 盛岡8231057青森11331403盛岡17312005青森

Ts×3 Td×17

485_481_1500_830807
485_481_1500_830807_2
この2枚の写真は2012年11月16日の記事で紹介した奥羽本線二ツ井~前山間の藤琴川橋梁付近の君待ち坂からの俯瞰です。1983/8/7に同地を訪問し、坂の中腹から特急「鳥海」を狙ったところ、クハ481-1500番台をラストにした編成の写真を撮ることが出来ました。

1986年11月1日:「いなほ」2往復が酒田駅までの運行となりました。また、季節列車1往復を設定しました。

1988年3月13日:「いなほ」1往復を増発。季節列車を定期列車化し、8往復体制となりました。7月:新潟駅 - 村上駅間の臨時快速列車「胎内」を運行開始。

1991年3月16日:「いなほ」1往復の新潟駅 - 酒田駅間の途中停車駅を村上駅・鶴岡駅のみにした通称「スーパーいなほ」を設定。上越新幹線の速達列車と接続することで所要時間を短縮しました。また、通過となった新発田駅・中条駅・坂町駅への利用客対策として新潟駅 - 村上駅間の快速列車「せなみ」2往復運行開始しました。

←盛岡、新潟
TcM'MM'MThsc×4 所要3(青函対応)
はつかり(5)
 青森732953盛岡10451454函館15301952盛岡20432258青森
 青森527742盛岡8191245函館13331751盛岡18412314函館
 函館7421152盛岡12401454青森18131848蟹田18551937青森

TcM'MM'MThsc×8 所要6(臨時+1)
いなほ(7)、はつかり(3)(臨時+1.5)
 青森547625蟹田638726青森10281641新潟18172024酒田2216秋田
 秋田652酒田8341043新潟12111423酒田15281732新潟21282333酒田
 酒田739948新潟10461420秋田17432111新潟‥上沼垂
 上沼垂‥新潟9241251秋田15361900新潟19272134酒田
 酒田556800新潟8431456青森16391855盛岡19402156青森
 青森603656蟹田707759青森8371054盛岡11471401青森14321648盛岡17452005青森
 青森‥盛岡13471622青森/青森11201353盛岡‥青森17241948盛岡‥青森

TcM'zMTc×1

<クロハ481形1000番台>

この改正前の1986年から1993年にかけて、「いなほ」用編成は新潟方にクロハ481形1000番台を連結した編成になりました。クロハ481形1000番台は、土崎工場と青森運転所でクハ481形1000・1500番台から改造されました。

投入編成により、若干違いがあり、

1001 - 1009
たざわ」用グループでグリーン室定員12名、普通室定員は44名の偶数向き片渡り構造。同形式としては最初に誕生したグループ。最初期落成車はクロハ480形とされたが、僅かな期間でクロハ481形式に改められました。1009は新潟車両センター転属後に定員を「いなほ」用に合わせた変更が施工されました。

1010 - 1021・1028 - 1030
はつかり」用グループでグリーン室定員16名、普通室定員36名の奇数向き片渡り構造。1011・1018・1028 - 1030は「いなほ」用として新潟車両センターへ転属した際に偶数向き方向転換改造が施工されました。

1022 - 1027
いなほ」用グループで客室定員は「はつかり」用と同じですが、偶数向き片渡り構造となりました。

485_4811000_911112
485_4811000_911112_2
編成もクロハを新潟側先頭にした6連となり、往時の貫禄が無くなってしまった485系編成の特急「いなほ」 1991/11/12 青森

1993年3月18日:快速「せなみ」を格上げし、村上駅発着の「いなほ」2往復を運行開始。

1995年12月1日:「いなほ」村上駅発着列車を1往復酒田駅まで延長、1往復廃止し、「いなほ」7往復に減便。

1997年3月22日:秋田新幹線開業により、酒田駅 - 秋田駅間の運行は半分に削減されました。この頃から「いなほ」は新潟駅 - 酒田駅間の列車が中心となり、利用客のターゲットを秋田周辺から山形県庄内地方・新潟県下越地方に絞られました。

4853000_r21_050324

この改正で、いなほの担当が青森から上沼垂に移管されました。

←大阪、青森
TcM'MTsM'MM'MTc×6 所要4 (指定席グレードアップ車)
雷鳥(3)
 休
 上沼垂‥新潟1516-2147大阪‥宮原
 宮原‥大阪812-1441新潟‥上沼垂
 上沼垂‥新潟733-1406大阪1712-1959金沢
 金沢814-1107大阪1612-2232新潟‥上沼垂

TcM'MTsM'MM'MTc×2 所要1(指定日+1) (グレードアップ車/3000台)
北越(1)(指定日のみ)、はくたか(1)
 上沼垂‥新潟1712-2051金沢(指定日のみ)
 金沢1035-1320越後湯沢1438-1734金沢
 金沢613-955新潟‥上沼垂(指定日のみ)

ThscM'MM'MTc×10 所要8(臨時+3)
いなほ(8)(臨時+3)、北越(1)、みのり(1)
 上沼垂‥新潟1820-2033酒田
 酒田651-846新潟1029-1239酒田1328-1534新潟1706-1916酒田
 酒田547-752新潟855-1513青森
 青森1023-1655新潟1931-2122高田‥直江津
 直江津‥高田714-909新潟1223-1608秋田1743-2115新潟2144-2353酒田
 酒田1123-1333新潟1712-2051金沢
 金沢613-955新潟1419-1627酒田1702-1907新潟19522209酒田
 酒田8331041新潟2021…2113長岡‥上沼垂
 新潟1108-1318酒田1341-1554新潟
新潟1329-1542酒田1607-1832新潟
酒田908-1130新潟1446-1711酒田

TscM'sMsc×1(シルフィード)
M'Mc×2 Ts×2

2001年3月3日:大阪駅 - 青森駅間の特急「白鳥」が廃止。それぞれ「雷鳥」「北越」「いなほ」に系統分離されました。同時に、大阪駅 - 新潟駅間運行の「雷鳥」も廃止されたため、新潟駅 - 青森駅間の「いなほ」が日本の在来線で最長の定期昼行特急列車(458.8km)となりました。

←金沢、青森
TcM'MTsM'MM'MTc×2 所要1(指定日+1) (3000台)
北越(1)(指定日のみ)、はくたか(1)
 上沼垂‥新潟17542137金沢(指定日のみ)
 金沢13121615越後湯沢16411939金沢
 金沢6381024新潟‥上沼垂(指定日のみ)

ThscM'MM'MTc×13 所要10(臨時+2) (1000台/3000台)
いなほ(6)(臨時+3)、北越(5)
 上沼垂‥新潟20012214酒田
 酒田546752新潟9021238秋田13111720新潟18142027酒田
 新潟907-1130酒田12231435新潟15411915金沢
 金沢11071437新潟17542137金沢
 金沢6381024新潟13011638金沢19002238新潟‥上沼垂
 上沼垂‥新潟10531432金沢17012042新潟‥上沼垂
 上沼垂‥新潟7501121金沢12221602新潟20232117長岡‥上沼垂
 上沼垂‥新潟16552259青森
 青森6111217新潟14191630酒田1826-2059新潟
 酒田8161023新潟12251603秋田16272001新潟‥上沼垂
 新潟1112-1340酒田1608-1844新潟
 酒田1121-1342新潟1610-1835酒田

TcM'MTc×2 所要2
いなほ(2)(臨時+1)、みのり(1)
 直江津‥高田712907新潟1335-1433村上/村上1424-1520新潟21472353酒田
 酒田700904新潟10421248酒田14111617新潟19312127高田‥直江津

TcM'MM'MTc×1
TcM'Mc×1(NODOKA)
M'M×11 Tc×5 Ts×7

2002年12月1日:「エル特急」指定を廃止し、前面ヘッドマークに配されていたLマークが黒く塗りつぶされました。

485_t14_050325_2
2005年12月25日:秋田発新潟行の「いなほ」14号が羽越本線の第2最上川橋梁通過直後に突風に煽られて、脱線転覆事故が発生。

2008年3月15日:ダイヤ改正で「いなほ」新潟発の終発が繰り上げられました。

485_t18_101024_2
485_t18_101024_3
国鉄色に戻されたT18編成による特急「いなほ」 2010/10/24 青森千刈踏切

この編成の新潟側先頭車はクハ481-1508

2010年12月4日:東北新幹線八戸駅 - 新青森駅間延伸開業に伴うダイヤ改正で秋田駅 - 青森駅間を「つがる」に分離。これによって、日本の在来線定期昼行特急列車において最長距離を走行する列車は「しなの」16号(長野駅→大阪駅間444.1km)になりました。

現行(2013/3/16)の485系運用

←金沢、青森
ThscM'MM'MTc×13 所要10 (1000台/3000台)
いなほ(7)、北越(5)
 上沼垂‥新潟21002301直江津
 直江津615830新潟10581307酒田15521806新潟18492058酒田
 酒田8541101新潟12291610秋田16342009新潟21142328酒田
 酒田542749新潟8261204秋田13001632新潟17291944酒田
 酒田644852新潟15331914秋田
 秋田9101257新潟18132154金沢
 金沢10341419新潟15191859金沢
 金沢6381018新潟13021641金沢18542233新潟‥上沼垂
 上沼垂‥新潟7551131金沢13371720新潟20032057村上21182212新潟‥上沼垂
 上沼垂‥新潟10121353金沢16482028新潟‥上沼垂
   
ThscM'MM'MTc×2 所要臨時2
ムーンライトえちご(臨時1)
 新潟2338510新宿
 新宿2310451新潟

ThscM'MM'MTc×2 所要2
くびき野(3)
 2010.12~と同じ

TcM'Mc×1(NODOKA)
TcM'MTc×1(きらきらうえつ)
 新潟10141251酒田…1331象潟1524…酒田16111832新潟

M'M×1

E653系車輌の改造工事の進行状況にもよりますが、この秋、9月28日に予定されているダイヤ改正以降、特急「いなほ」をはじめとするこれまで485系で運用されてきた列車が順次、E653系に置き換えられて行くのでしょう。

485系の編成、配置、運用データは「485系の動き 配置および編成・運用の移り変わり 一覧」のサイトの情報を参考にさせて戴きました。またテキストはWikipediaの文章を参考にまとめました。

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2013年7月19日 (金)

1975年 新潟の旅 20 485系特急「いなほ」 その1

振り返れば5月5日から、この新潟シリーズを続けて参りましたが、今回からは今JR東日本で最もHOTな話題と思われる、485系特急「いなほ」について触れようと思います。この秋に装いも新たにしたE653系に置き換えられる485系特急「いなほ」が登場したのは1972年10月2日のダイヤ改正でした。

以前、申しましたが私の上野駅デビューは1972年10月のことで、確か8日だったと思いますが、そのとき初めて鉄道車輌撮影目的でカメラを持って駅へ出かけました。高校2年でした。尤も、その年の夏休みには母の実家があった山口県萩に出かけており、その際に鉄道撮影を行っているので、厳密には10月が初めての鉄道撮影ではないのですが。

1972年10月2日のダイヤ改正といえば、日本海縦貫線、最後まで残った白新線・羽越本線全線の電化が完成し、全線が電化された改正でした。特急「白鳥」が登場以来のキハ82系から485系化され、ヨンサントウで特急「はつかり」を追われ、特急「つばさ」、「いなほ」、「ひたち」で活躍していたキハ81形一族が東北から、和歌山の地に活躍の場を移したのもこの改正でした。キハ81形DC特急「いなほ」には間に合いませんでしたが、485系電車特急「いなほ」の歴史は私の鉄道写真趣味歴とほぼ重なることになります。因みに同改正ではダイヤがパターン化した特急を「エル特急」と呼ぶようになり、東海道新幹線「ひかり」が初めて米原に停車するようになり、北海道では札幌を起点とする初めての特急「オホーツク 」が新設されました。

485_481200_2
上野駅地平ホームで僚友の特急「やまびこ」と並んだ特急「いなほ」

1972年当時485系の顔であるクハ481のスタイルは、ボンネットタイプの0番台、100番台、貫通タイプの200番台、非貫通タイプの300番台と続々と新しい顔が出てきており、それぞれの特急がどの顔で来るかが撮影の興味の的でもありました。

青森運転所(盛アオ)の運用だった特急「いなほ」や「やまびこ」の場合、1972年6月頃から、1973年1月頃までは100番台(ボンネットスタイル)が配置されたものの、短期間で大ムコに転出してしまったため、以降は300番台が新製配置される1975年5月頃までは200番台オンリーの時代が続きました。

485_481200_edit
自動解結装置装着のクハ481-200番台を先頭に大宮に進入する特急「いなほ」 

そういった単調な盛アオの200番台クハの中で異彩を放っていたのが、自動解結装置を装着したクハ481で、203、204,207、208の4両が在籍しました。1972年8月から9月にかけて盛アオに新製配置された車両です。

話はずれてしまいますが、この4両のその後を追ってみると、

1975年9月には特急「つばさ」の電車化で秋田運転所に転属し、
1976年4月485系1000番台が配置されると南福岡電車区(門ミフ)に転属となり、
1985年3月には日根野電車区(天ヒネ)に転属し、特急「くろしお」の運用に就いています。1986年秋には204が福知山運転所へ、それ以外は南福岡に戻っています。204クロハ481-214に改造後、クロハ183-801に再改造され、B41編成の先頭車として「北近畿」で活躍しました。踏切事故の名残で貫通扉は固定されました。
門ミフに戻った3両は2071988年2月に鹿児島に転属、203,2082000年3月に廃車になるまで門ミフで働き続けました。
2071994年7月に大分車両センターに転属、2000年3月に大分で廃車となっています。

私も「ひばり」「やまびこ」「はつかり」さらに九州に転じたあとの「にちりん」「かもめ」で撮影しております。

まずは、特急「いなほ」登場前後の羽越本線を中心とした列車の歴史を見て行こうと思います。

1962年3月10日:新潟駅 - 秋田駅間を運行する準急列車として、「羽越」が運行を開始しました。キハ58系気動車が使用され、蒸気機関車が牽引する急行列車よりも速かったそうです。 この列車が設定される前は、羽越本線を通過する優等列車としては、大阪駅 - 青森駅間を運行する特別急行列車「白鳥」、急行列車「日本海」と、上野駅発着の夜行急行列車「羽黒」がありましたが、羽越本線のみを運行する列車としては初めての設定でした。

1963年4月20日:金沢駅 - 秋田駅間を運行する急行列車「しらゆき」が運行開始。

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奥羽北線内の前山~二ツ井間を「きたかみ」と併結して南下するキハ58系上り急行「しらゆき」 1981/3 

当時よくあった多層建て急行で下り「しらゆき」の場合は、金沢~糸魚川間は急行「白馬2号」を併結、秋田~青森は急行「きたかみ1号」を併結していました。

1965年10月1日:「羽越」の運行区間を上野駅まで延長し、列車名を「鳥海」に変更しました。

1968年10月1日:「ヨンサントオ」と称されるダイヤ改正に伴い、新潟駅 - 秋田駅間を運行する急行列車として「羽越」が再び設定されました。ただし、運行時間は新潟駅朝発・夕方着と当時のダイヤ上では空白となっていた時間帯に運行されました。従来「羽黒」と称された羽越本線経由上野駅 - 秋田駅間運行の夜行列車の名称を「鳥海」に統合。従前昼行列車で運行していた「鳥海」は上り下りとも「鳥海1号」と称されました。

1969年10月1日:上野駅 - 秋田駅間を高崎線・上越線・信越本線・羽越本線(水原駅経由)経由で運行する特別急行列車として「いなほ」1往復が運転を開始。これと引き替えに従来同区間を運行していた気動車急行「鳥海1号」は季節列車となりました。 「いなほ」にはキハ80系気動車が使用されました。所要時間は上野駅 - 秋田駅間が8時間10分、秋田駅 - 上野駅間が8時間15分、酒田駅 - 上野駅間が6時間44分で、それまでの急行利用に比べ1時間半以上も短縮されました。上越線特急「とき」および奥羽本線特急「つばさ」の輸送補助の名目で設定されましたが、それまで羽越本線内を運行する特別急行列車は大阪方面のみの設定であり、沿線の新潟県下越地方や山形県庄内地方、秋田県南部と東京を直通する特別急行列車は初めてでした。

秋田運転所 キハ80系気動車 7両編成

←上野
DcDsDdDDDDc×2 所要2
いなほ(1)、ひたち(1)
 秋田9251740上野18102112平
 平645945上野13502200秋田

Dc×2 D×2 Ds×1 Dd×1

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長岡で逢った上野行き上り特急「いなほ2号」2044M 1975/11/3

この頃はすでに盛アオにクハ481形300番台が新製配置されており、特急「いなほ」にも新顔が見られる様になっていました。

1972年10月2日:羽越本線電化に伴うダイヤ改正により、「いなほ」に485系電車を導入。また、青森駅までの1往復が増発され、「いなほ」計2往復となりました。季節列車として運行していた気動車急行「鳥海1号」は「いなほ」に格上げされ消滅しました。夜行の「鳥海」は存続しました。急行「羽越」が1往復増発され2往復体制となりました。 「いなほ」の485系は青森運転所の12両編成を使用し、一部の「やまびこ」や一部の「ひばり」と共通運用されました。そのため、「はつかり」への485系投入までは青森駅発着の「いなほ」で青森運転所の入出庫を行っていました。

485_481200
青森発の上り「いなほ1号」と顔を揃えたED75牽引の東北本線寝台特急「ゆうづる」 1975年夏北海道から夜行便の青函連絡船で青森に着いたときに見た光景でした。この「いなほ」運用が1973年4月に「はつかり」に485系が投入されるまでは東北特急に盛アオの485系が入るための運用だったのですね。

青森運転所 485系電車12両編成

TcTsM'MM'MTdM'MM'MTc×8 所要7
いなほ(2)、やまびこ(1)、ひばり(4)
 青森7301739上野‥東大宮
 東大宮‥上野9001257仙台14051804上野‥東京18552254仙台
 仙台8101204上野13001904盛岡
 盛岡9001504上野17002056仙台
 仙台9101309上野14302203秋田
 秋田6101339上野14001758仙台18502244上野‥東大宮
 東大宮‥上野10302035青森
 休

M'M×2 Tc×4 Ts×1

1978年の改正ではこれまで通過駅としていた余目駅を停車駅に加えました(2・5号の1往復)。

秋田運転所 485系電車12両編成

←上野
TcM'MM'MTsTdM'MM'MTc×12 所要9
つばさ(3)、やまばと(3)、いなほ(1)
 休
 秋田13502139上野‥尾久
 尾久‥上野8031555秋田
 秋田6411433上野15192303秋田
 秋田11481940上野‥尾久
 尾久‥上野10331516山形17552240上野‥東大宮
 東大宮‥上野12031955秋田
 秋田8201610上野17032146山形
 山形9551439上野15332016山形
 山形7551240上野13302122秋田

1979年7月1日:ダイヤ改正に伴い、「いなほ」秋田駅発着列車を1往復増発し、「いなほ」上野駅 - 秋田駅2往復・上野駅 - 青森駅1往復の3往復体制となりました。「羽越」の下り列車に坂町駅まで「あさひ」が連結され、多層建て列車として運行されました。上越新幹線の開業に先立ち、1982年7月以降いなほ3・4号食堂車営業休止に伴いサシ481形の連結がなくなり11両編成となりました。

485_4811500_820328
485系1500番台をラストに上野に向かう特急「いなほ」 1982/3/28 二ツ井~前山

北海道に渡り、特急「いしかり」に投入された485系1500番台も耐寒耐雪装備の点で問題ありとなり、1980年10月に青森に転属しました。特急「はつかり」「やまびこ」「ひばり」などの運用を担当するようになり、特急「いなほ」でもその姿を見ることができました。

秋田運転所

TcM'MM'MTsTdM'MM'MTc×14 所要11
つばさ(3)、やまばと(3)、いなほ(2)
 休
 秋田13502139上野‥尾久
 尾久‥上野8031555秋田
 秋田6411433上野15192303秋田
 秋田11481940上野‥尾久
 尾久‥上野10331516山形17552240上野‥東大宮
 東大宮‥上野12031955秋田
 秋田8201610上野17032146山形
 山形9551439上野15332016山形
 山形7551240上野13302122秋田
 秋田13512133上野‥尾久
 尾久‥上野7191502秋田

Tc×2

1982年11月15日:上越新幹線開業に伴うダイヤ改正に伴い、急行「羽越」が廃止。急行「しらゆき」が特急列車に昇格し、「白鳥」1号・4号となりました。「いなほ」が、気動車急行「羽越」2往復と大阪駅 - 青森駅間を運行していた急行「きたぐに」の新潟駅 - 青森駅間を吸収、新潟駅 - 秋田駅・青森駅間5往復体制となり、エル特急に指定されました。これにより、上越新幹線接続列車として1往復を除き新潟駅発着に変更されました。 車両は青森運転所の485系9両編成で、福井駅発着の「白鳥」1号・4号と一部の「はつかり」と共通運用がくまれました。上越新幹線の始発駅が大宮駅であることから、上野駅 - 青森駅間(水原駅経由)1往復のみ、特急「鳥海」として存続させることとなり、 車両は従前の「いなほ」3号・4号同様、青森運転所の485系12両編成で、大阪駅発着の「白鳥」2号・3号と共通運用が組まれました。

青森運転所 485系電車 12両編成

←上野、新潟
TcM'MM'MTsTdM'MM'MTc×6 所要4
白鳥(1)、鳥海(1)
 休
 青森4501825大阪‥向日町
 向日町‥大阪9552351青森
 青森7561834上野‥尾久
 尾久‥上野10302113青森

同 9両編成

TcM'MM'MTsM'MTc×11 所要8
白鳥(1)、いなほ(5)、はつかり(3)
 休
 青森9552159福井‥南福井
 南福井‥福井5481803青森
 青森453715盛岡8301105青森13021940新潟‥上沼垂
 上沼垂‥新潟7201124秋田13461740新潟19052306秋田
 秋田8291230新潟15151920秋田
 秋田534939新潟12051613秋田17202122新潟
 新潟9051550青森
 青森7401015盛岡11301405青森14401715盛岡18302105青森

M'M×9 Td×16

485_481200_3
上越新幹線開業後も乗り換えの便などを考慮して、1往復存置された青森までの特急「いなほ」でしたが、愛称は「鳥海」と変更されました。

ということで、特急「いなほ」の上野~青森間の列車は「鳥海」として存続しましたが、上越新幹線の開業で特急「いなほ」は新幹線に連絡する羽越線特急に性格を変えました。

続きは明日の記事で。

尚、485系の編成、配置、運用データはいつものように「485系の動き 配置および編成・運用の移り変わり 一覧」のサイトの情報を参考にさせて戴きました。またテキストはWikipediaの文章を参考にまとめました。

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2013年7月18日 (木)

1975年 新潟の旅 19 JR東日本における末期の165/167/169系運用

165/167/169系の運用について、今回は本来の急行列車運用が廃止となった後の波動輸送に活躍した時代について触れてみたく思います。

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湘南色に戻された新前橋区のS9編成による団体臨時列車 2003/5/7 大宮

1981年から老朽廃車が開始されていましたが、余剰車両の活用を目的に国鉄末期から一部の車両はジョイフルトレインへ改造されたほか、急行運用の減少から新潟・長野・松本・甲府地区・飯田線豊橋口・関西本線名古屋口・和歌山地区などでは、普通列車の運用に充当され夏期冷房化率向上に貢献しました。またJR発足後はJR東日本一部地域で車体カラーも変更され、イメージを一新しました。

しかしデッキ付き2扉構造により乗降時間を要すことから列車遅延の原因となるなど使い勝手が悪い結果、115系・E127系・119系・213系5000番台・105系などに置換えられ、営業運転範囲は徐々に狭まっていきました。

JR化後は165系に限らず急行形電車そのものが老朽化による廃車も多く、また「上尾事件」のように急行運用の間合いによる大都市圏の通勤・通学ラッシュ時への運用には適さないことから、早急な置換えが必須でした。このため同時期に製造された113系・115系が延命工事を多数施工したのと対照的に165/167/169系は廃車への道を歩んで行きました。

配置区所別に、見てゆくことに致します。

上沼垂運転区

分割民営化後は、1987年9月3日から休日・休前日・長期休暇期間中のみ運転される新宿 - 新潟 - 村上間の快速「ムーンライト」に投入されました。「ムーンライト」は1985年に開設された夜行高速バス東京 - 新潟線に対抗するため1986年以降14系客車で運転されていました。また同列車には廃車発生品のグリーン車用リクライニングシートへの交換や読書灯の設置などグレードアップ改造が施工された専用のM編成が充当されました。
165_m2_030301
M2編成

165_m1_030301
上沼垂区のM2+M1編成による快速「フェアウエイ」 2003/3/1 東大宮~蓮田

1988年3月のダイヤ改正で「とがくし」「南越後」を松本・小諸・長野 - 新潟間の「赤倉」へ統合。「ムーンライト」を定期列車化。

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M3編成の快速「フェアウエイ」 2003/2/15 黒磯

1991年3月16日のダイヤ改正では「赤倉」の補完的列車として新潟 - 長野間越後線経由快速「やひこ」を設定。臨時列車扱いで「ムーンライト」に長岡で分割・併合する新井発着編成を設定。「やひこ」は1993年に、「ムーンライト」新井発着編成は1995年に廃止となりました。また「赤倉」は1997年9月30日で廃止。一方、「ムーンライト」は1996年3月16日のダイヤ改正で「ムーンライトえちご」に改称され、165系での運用は2003年3月まで実施されました。

最後まで残った定期運用に充当されていた「ムーンライトえちご」「フェアーウェイ」用M編成(3両編成x6本計18両)は老朽化に伴い2003年4月485系に置換えられました。

新前橋電車区

モントレー色と呼ばれる3両のS編成11本計33両が配置され主に波動運用へ充当されていましたが、運用数の減少ならびに183系・189系の転入に伴い、2002年からは残存していたS9-11編成を湘南色への塗装変更を実施した上で多くのイベント急行列車で運用されました。イベント終了後(2003年6月29日以降)に全車廃車となり、長野総合車両所で解体されました。

165_s2_030505
新前橋区のS2編成 2003/5/5 大宮

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S8編成 2003/5/7 大宮

長野総合車両所

信越急行廃止後は、残存した169系15両に松本運転所から転入したサハ165形5両を組込み4両編成x5本を組成。当初は急行「かもしか」運用に投入されましたが、1988年に快速「みすず」に格下げ。以後はローカル運用が主となり、信越本線小諸 - 長野・篠ノ井線・中央本線・飯田線飯田以北で運用されました。

1997年10月1日のしなの鉄道開業によりN31・N32・N35編成からサハ165形を抜いたMcM'Tc3両x3本計12両が譲渡されましたが、松本所から補完分同数となる車両が転入しました。

1998年12月のダイヤ改正でサハ165形が編成から外れ、保留車となりました(1999年中に廃車)。N33編成をしなの鉄道に譲渡。N31・N32・N35編成は三鷹電車区に転属。
松本電車区から3両編成4本が転入しました。

本改正では定期運用がなくなり、波動輸送に活躍しましたが、これらの運用も2000年には終了し、2001年までに全車廃車・解体となりました。

松本運転所

1986年急行運用全廃後はローカル運用主体となり、当初は165系・169系混在でしたが、後に169系3両編成x14本(A編成)計42両に整理されました。塗装も長野色(初代→2代)に塗り替えられ中央本線甲府 - 中津川・大糸線・篠ノ井線・と広域で運用されましたが、1996年A2編成(クモハ169・モハ168-7+クハ169-4)が廃車、1997年10月の長野新幹線開通による改正で主に波動運用対応だったA12 - A14編成が長野総合車両所に転出、3両編成x10本計30両の配置となった。

1998年12月のJRダイヤ改正でE127系100番台に置換えられ、残存していた車両のうち6両が三鷹電車区に、12両が長野総合車両所に転属となり、残り12両は廃車され配置がなくなりました。

三鷹電車区

1986年に波動運用対応の165系が配置されてから何度か廃車・他区所からの転入で車両の置換えがあったものの、1999年以降は三鷹色に塗装された169系のM1 - M5編成・165系のM6編成の3両編成x5本計15両の布陣となりました。

東京近郊で運行されていた「こまちリレー号」(→「新幹線リレー号」→快速「むさしの」)・各種「ホリデー快速」・東京 - 大垣間増発夜行列車の最混雑時増結車などのほか、毎年8月15日に行われる諏訪湖花火大会で松本地区の115系や123系の代走として辰野支線(岡谷 - 辰野 - 塩尻)や大糸線の定期列車のみならず臨時列車にも投入されました。しかし「むさしの」は2002年12月に豊田電車区(現・豊田車両センター)の115系に、「ホリデー快速」も183・189系に置換えられた。その後は徐々に廃車され、2003年1月2日の臨時列車(169系6両編成)を最後に運用終了となりました。

田町電車区

国鉄時代から波動用として167系4両編成x9本を配置。後に全先頭車の前面強化とシールドビーム化・ATS-P取付・モハ166形のパンタグラフのPS21形への交換などを行いました。

その後は編成によって特化した改造を行っています。

H11編成
湘南色で先頭車の前面改造以外は原型を留めた編成。使用状況は後述のH19編成と同様で両編成と8両で運用されるケースが多々ありました。
H12 - 16編成
アコモデーション改善車座席をR51形簡易リクライニングシートに換装。塗装もアイボリーをベースに窓下をオレンジと赤、裾部を黄緑の帯という通称「田町色」変更されました。改造当初「はJR東日本ジョイフルトレイン」と表記しましたヘッドマークを先頭車の前面に掲出し、臨時快速「葉ッピーきよさと」などに投入されました。
H17・18編成
通称「メルヘン車」1988年に東京ディズニーランドへの行楽客輸送を目的とした快速「メルヘン」に投入するため廃車発生品のグリーン車用R24系リクライニングシートに交換した編成。後に田町色へ変更されましたが、1993年に臨時急行「しんせん・やまなし」運用で「パノラマエクスプレスアルプス」と併結で投入されることから準じた塗装となりました。 同列車ではパノラマエクスプレスアルプスがグリーン車。本系列が普通車として充当されました。
H19編成
湘南色。角形ヘッドライトとバケットタイプのボックスシートに改造。他編成のモハ167形と偶数向クハ167形ではトイレ・洗面所は撤去されたが本編成は残存。ボックスシート装備のためH11編成と共に主に神奈川県内 - 日光方面の修学旅行列車や臨時大垣夜行9375M・9372M)運用に投入されました。

165_h19_030126
最初見たときはなんでこんな改造をするのかと感じた角形のライトを付けた田町区のH19編成 2003/1/26 大崎

上述の臨時列車や波動輸送のほかに「ホリデー快速むさしの」「ホリデー快速ピクニック」「ホリデー快速河口湖」などの準定期とも呼べる運用も存在しました。
これらの運用にはアコモ改造車・メルヘン車が主に投入される一方で、座席定員が少ないため臨時大垣夜行には例外的に数回使用された程度でした。逆にH11・H19編成は臨時大垣夜行と神奈川県から日光への修学旅行運用が中心で、オフシーズンは田町区で留置されることの多い編成でした。
2003年春期臨時大垣夜行での運用を最後に、同年5月から9月にかけて老朽化のため同年内に全車廃車となりました。

幕張電車区

千葉局管内の急行列車廃止後は3両編成x5本計15両が配置されていましたが、1986年に和式電車「なのはな」へ6両、1990年に「シャトル・マイハマ」へ3両が改造された結果、165・169系3両編成x2本計6両が波動輸送対応で運用されました。

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振り返ってみると、国鉄の分割民営化で国鉄らしさというか、全国統一性が無くなり、ジョイフルトレインといった今から思えばバブル期の産物のような列車がどんどん走り出し、一方で国内出張や海外出張で航空の方に興味を持ちだし、それまでの「鉄道撮影旅行」から「空港訪問」に比重が移ったのが1987年から1988年頃でした。国内出張などで出かけた先では、鉄道車両も写しておりましたが、興味の対象は旅客機に移っておりました。

1990年代は私にとっては航空機趣味がメインの時代で、鉄道趣味に復帰したのはデジカメを手にした2001年の秋のことでした。

そんな経緯もあって、今回の165/167/169系の末期運用はまさにその時代と重なっており、廃止(車)される直前に、デジカメで写真で撮った写真が殆どです。思えば「浦島太郎状態」で撮った写真ばかりでした。

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2013年7月17日 (水)

1975年 新潟の旅 18 修学旅行用 167系

かつては修学旅行専用の車両がありました。弊Blogにおいても155系159系について触れて参りましたが、165系の修学旅行電車バージョンとして登場した167系についてもこの機会に触れたく思います。

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東京駅に到着した臨時列車 167系
167系が修学旅行専用列車「わこうど」と同じダイヤで走る臨時急行「長州」でも活躍していたのは知っていましたが、「長州」の東京発は20:19、着は5:45だったので、この列車ではないと思います。

167系165系をベースにした修学旅行型電車であり、155・159系同様に乗降頻度が少ないことからドア幅を狭め、大型の脱着可能な折り畳み式テーブルを備えました。また、155・159系の編成を前提にモハ167・166形ユニットの中間電動車とクハ167形制御車のみの構成としました。しかし季節列車等一般の列車にも投入することを想定して、室内設備については原型となった165系との相違点は少なく、低屋根構造はパンタグラフ部のみでした。

167_3
品川にて

1965年度に関東地区(対京阪神)増発用、1966年度に山口・広島両県からの要請による山陽地域用として、MM'ユニット15組30両と制御車22両の計52両全車が汽車製造で製造されました。

モハ167形
モハ166形とユニットを組む2等電動車 (M) で主制御器を搭載。定員は84名。基本的な構造はモハ165形と同様ですが側扉が700mmに変更されたため窓配置が異なります。

モハ166形
モハ167形とユニットを組む2等電動車 (M') でMG・CP・パンタグラフを搭載。定員は84名。基本的な構造はモハ164形800番台と同様ですが窓配置が異なります。CPは1 - 4がMH80A-C1000形2基、5 - 15がMH113A-C2000M形1基搭載。10 - 15は冷房化時にトイレと物置を撤去して乗務員室を設置しました。国鉄ではパンタグラフ部低屋根構造車両を慣例として800番台に区分していましたが、本形式は全車が低屋根車に該当するため特に区分せず155・159系同様0番台としていました。

クハ167形
2等制御車 (Tc) で定員は76名。クハ155・159形同様客室には速度計と電池式時計が設置されましたが一般転用時に撤去されました。冷房化時に田町車は偶数車にのみ冷房電源用MGを搭載。宮原車は偶数向クハ165形MG搭載車に統一することで本形式は奇数向に統一されました。

167_1
品川にて

1974年に修学旅行用列車の新幹線移行に伴い、波動輸送を中心にした運用に転用されました。定期急行列車での運用は、1981年10月から1985年3月までごてんば」2往復に田町区所属車が投入されたのが唯一でした。

当初の塗色はカナリアイエローとライトスカーレットの修学旅行色でしたが、1978年9月の車両塗装に関する規定の改定で修学旅行色が廃止されたため1979年以降は湘南色に変更されました。

一方で1978年初夏から1981年にかけて、モハ167形がAU13EN形分散式6基、クハ167形が同形5基、モハ166形がAU72形集中式を搭載する冷房化改造工事が施工されました。このため1981年中頃までは修学旅行色の冷房車も存在しました。
冷房改造と同時に出入台部飲料水タンクと洗面台の撤去、宮原所属車はモハ166形を除く各車の物置を洗面所に改造する工事も施工しました。

1982年にクハ167-2が事故廃車となったため当時神領電車区で休車中だったクハ165-3を翌1983年に転属させて代車として編成に組み込みました。その後は転属・廃車もなく分割民営化時にはJR東日本には35両が、JR西日本には16両が承継されました。

167_2
品川にて

配置

所属      クハ167     モハユニット
田町       1-8                  1-4       JR東日本へ  
下関=>田町  9-18        5-9              JR東日本へ
下関=>宮原  19-22                10-15            JR西日本へ

クハ167-2は1982年9月14日14時17分頃、伊豆急行線川奈駅構内にて下田発伊東行回送電車として走行中、川奈駅構内でポイント故障により脱線。事故車は1984年3月19日付けで廃車になるまで伊豆高原車庫に留置。代替えに神領車両区で廃車予定だったクハ165-3を転属(国鉄JR事故廃車一覧のサイトより)。

あの頃、EF58牽引の小荷物列車などの撮影目的で何気なく品川で撮影しているとどこからとなく現れるのが167系だったように思います。修学旅行用の塗装を纏い目立ったスタイルをしている割には、定期的な仕業ではないため、どこか影が薄くふだんは忘れられがちな存在だったように記憶しています。

神田万世橋に鉄道博物館があった頃、167系のモックアップが展示されており、大宮移転後も引き続き展示はあるようなので、今度行った際には見てみようと思います。

以前、155系の記事を纏めた際に、修学旅行用専用電車「ひので」の歴史を書きましたが、今回は日本における修学旅行用列車の歴史について纏めておこうと思います。

1950年:日本ツーリストが運行を開始していた修学旅行専用列車はほかの旅行社も協賛しての共同運行となり、次第に時刻・車両が固定されてゆき「修学旅行集約輸送臨時列車」の起源となりました。

1958年6月1 - 29日: 80系電車を使って、品川 - 京都に「集約臨」を運転。下りは品川8時40分発で京都15時40分着、上りは京都発19時50分で品川5時20分着と上りでも当時の夜行急行列車なみの速度、下りに至っては当時の特急列車「つばめ」・「はと」に匹敵する速度で走りました。なおこの実績が、のちの155系電車を生み出す契機ともなりました。

1959年4月20日: 新製された日本初の修学旅行専用電車である155系電車を使用して、品川 - 京都に関東地区用修学旅行列車として「ひので」が、品川 - 京都・大阪・神戸に関西地区用修学旅行列車とした「きぼう」が「集約臨」として運転を開始しました。また「ひので」は下り昼行・上り夜行、「きぼう」は下り夜行・上り昼行の時刻で運転されました。

1960年4月20日: 品川 - 大垣で中京地区用修学旅行列車「こまどり」が、153系急行形電車で運転開始。「こまどり」は、運行距離が短かったことから上下とも昼行列車となりました。「こまどり」の運転されない時期には、同列車のダイヤで臨時準急列車「ながら」が設定されました。
6月 「東京へ来たのであるから東京駅を見て帰るべきだ」という意見が出た事により、下り「きぼう」の始発駅を東京に変更。

1961年3月:こまどり」用の159系電車が落成し、153系に代わって投入されました。同系列は、のちに東海地方 - 関西地方・山陽地方間に設定された修学旅行列車「わかあゆ」にも投入されました。
1962年4月9日: 非電化地区からの修学旅行列車用に気動車のキハ58系800番台が登場。この日から東北地区 - 上野で「おもいで」が運転を開始。

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キハ58 800番台の修学旅行用車輌を組み込んだ上野発の気動車急行 電車版のカナリアイエロー(黄5号)をキハ58の「クリーム4号」の代わりに塗装したもので、異彩を放っていました。因みにキハ58は19両、キハ28は13両製造されました。

キハ58の修学旅行用車両を目撃したのは2回あり、このときが最初でした。

1963年4月10日: キハ58系800番台を使用して北九州地区 - 京都の修学旅行列車「とびうめ」が運転を開始。また「きぼう」は兵庫県中部地域からの利便を図るため、明石発着となる。

1965年10月1日: 混雑する「ひので」・「きぼう」の混雑緩和を図るため関東地区用の「わかくさ」が品川 - 京都に、関西地区用の「わかば」が東京(下り)・品川(上り) - 明石に1往復ずつ設定されました。

1966年4月9日: 東京 - 下関に165系急行形電車を修学旅行用に設計変更した167系電車が「わかくさ」「わこうど」で運転開始。それまでの修学旅行列車が普通列車の扱いであったのに対し、「わこうど」は長距離で往復とも夜行となるため急行列車の扱いとなりました。「わこうど」は山陽地方からの高校生の東京への修学旅行用列車として設定されたが関西地方からほどの需要が見込めないため下関 - 京都で中学生用の列車「友情」、下関 - 広島で小学生用の列車「なかよし」としてもそれぞれ運用されました。さらに3列車ともが運転されない時期には、「わこうど」のダイヤで臨時急行列車「長州」として運転されていました。

1966年11月 :中部地区から広島・山口方面へ「わかあゆ」(豊橋 - 下関)を田町区の167系電車で運転開始。1967年秋期からは159系電車で運転。

1967年10月1日: 「ひので」・「きぼう」・「わかくさ」・「わかば」も、急行列車の扱いとなりました。

1970年3月16日: 東海道新幹線に修学旅行列車を初設定。
1971年 3月1日 新幹線に「集約臨」が設定される事となり前年から新幹線の特急料金に関しても「学生5割引・引率教職員2割引」の割り引きが適用される事となったため、以後新幹線を使用できる地域の修学旅行列車は1972年春ごろまでをめどに順次移行となりました。
10月16日 この日の大阪発をもって「きぼう」廃止。総計約180万人の利用があったとされます。
10月26日 この日の品川発をもって「ひので」廃止。総計約240万人の利用があったとされます。

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もう一回は郡山駅で1976/1/2に目撃しました。

1975年の配置表では郡山(キハ28:811-813, キハ58: 817-819)と山形(キハ28:805-810、キハ58:809-816)に配置があり、急行「いいで」「ざおう」などで上野に入線していたものと思われます。なお、キハ28(801-804)とキハ58(801-808)は直方配置でした。情報はきはゆに資料室のものを参考にさせて戴きました。

1973年4月おもいで」廃止。以後は、特急など定期列車を利用するか随時臨時列車を設定する方式に変更。東京まで879往復し、約53万5000人の利用があったとされます。
6月23日わかくさ」・「わかば」を臨時列車に格下げ。
10月1日こまどり」、臨時列車に格下げ。ここまでに総計約152万人を輸送したとされます。

1974年4月21日: この日の記念行事をもって、「とびうめ」廃止。関西へ約22万4000人、九州内相互間で約14万7000人、総約37万1000人の利用があったとされます。

1975年3月10日: 山陽新幹線の博多駅までの全線開業をもって、「わこうど」・「友情」・「なかよし」廃止。市販の時刻表に掲載されていた修学旅行列車は消滅。 「こまどり」は臨時列車ながら、1975年以降も使用車両は159系から153系や165系の使用へ変化しつつも存続しました。おもに新幹線駅の利用が不便な大垣 - 尾張一宮・大府 - 岡崎の中学生に利用されましたが、東海道新幹線三河安城開業で西三河地区の中学生の修学旅行が新幹線へ急速に転移したことから平成初期に消滅しました。また、この1970年代後半に行われた東海道新幹線の午前運休日には、上りのみ「こまどり」のダイヤ設定をそのまま使って臨時急行列車「東海」が運転されました。

以上、テキストはWikipediaの記事を参考に纏めました。

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2013年7月16日 (火)

1975年 新潟の旅 17 碓氷峠を越えるために 169系

165系の話題に続いて、碓氷峠協調運転版として登場した169系について触れましょう。

1963年10月1日横川 - 軽井沢間の碓氷峠は粘着方式による複線運転となり、同時に長野までの電化が完成しました。それに伴い新前橋電車区の165系
上野 - 長野急行「信州」4往復(「丸池」を統合)
急行「信州いでゆ」(全車指定席列車)1往復
急行「とがくし」(夜行)1往復
上野 - 長野・長野電鉄 湯田中急行「志賀」2往復
上野 - 中軽井沢準急「軽井沢」2往復中1往復 に投入されました。

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           急行「妙向」としてEF63重連と協調しながら碓氷峠を登る169系

さらに1965年10月1日の直江津電化で上野 - 直江津間の「妙高」2往復にも投入。一方、「軽井沢」は80系電車運転分が廃止され1往復になりました。
軽井沢」は翌1966年3月5日に急行列車に格上げされました。

特急「あさま」が181系で運転開始された1966年10月1日のダイヤ改正では「軽井沢」を除き運用を長野運転所に移管。新造車と新前橋からの転入車で運用に充当。「信州いでゆ」は「信州」に統合。不定期客車列車で運転されていた「高原」を165系化。

長野配置車は上述した新前橋区の「軽井沢」専用編成と共通の編成が組成されましたが、碓氷峠はEF63形による牽引・推進運転のため連結両数が8両に制限されました。このため慢性的な混雑が顕著になっており、一部列車は高崎以南で長野方に3両増結する対策が採られましたが、信越本線そのものの抜本的な輸送量増強に対応ができないため、1967年EF63形と協調運転を可能にし12両編成まで碓氷峠を通過できる165系900番台を試作することになりました。これが派生形式169系誕生のきっかけとなりました。

169系が165系と異なる点は以下の通りです。

①協調運転用の機器としてSRB8形界磁接触器を新たに設置したこと
②制御装置をCS15C形に協調運転対応装置を搭載したCS15D形に変更したこと
③抵抗器を容量増大したMR52C形に変更したこと
④協調運転時に下り軽井沢方先頭車となるクハ169形にEF63形との連絡装置・非常制動時に衝撃を抑える特殊構造の非常弁・主幹制御器への防護回路等を搭載したこと
⑤協調制御用にKE70形ジャンパ連結器を搭載したこと

の5点で、車体構造・車内設備・性能は165系と同一であり、EF63形との協調運転は不可能になるものの165・169系との混結運転は可能でした。

1967年に試作車である165系900番台を新前橋電車区に配置され、試験の結果翌1968年 - 1969年169系として量産車の製造が開始されました。

量産新製車はMcM'ユニット27組54両Tc27両の計81両で、3形式とも1968年製車は冷房準備車として落成しました。1969年製車は落成時からの冷房車となりました。

クモハ169形
モハ168形とユニットを組む2等制御電動車 (Mc) で主制御器・主抵抗器を搭載していました。定員76名。1 - 27の量産車27両と901 - 904の試作車4両、合計31両が製造されました。試作車の冷房装置は0番台のAU13E形5基とは異なりAU12S形を6基搭載しました(クハ169形も同じ)。

モハ168形
クモハ169形とユニットを組む2等中間電動車 (M') で定員84名。電動発電機(MG)・MH113A-C2000M形空気圧縮機(CP)・パンタグラフを搭載しました。0番台は通常屋根構造なのに対し、900番台は当初モハ164形800番台同様パンタグラフ部が低屋根構造とされ、AU12S形5基搭載の冷房準備車で製造されました。冷房化の際には0番台同様AU72形1基搭載ならびに通常屋根化工事も同時施工されました。

クハ169形
2等制御車 (Tc) で定員76名。冷房化時に110KVA冷房電源用MGを搭載しました。

その他はすべて他形式からの改造車で、長野運転所(現・長野総合車両センター)残留のサロ165形から改造されたサロ169形19両、サハシ153形から改造されたサハシ169形10両を加えた110両が長野運転所に配置されました。

サロ169形
1等付随車 (Ts) で定員48名。1968年サロ165形19両から長野工場で改造されました。改造工程低減のため169系投入前から長野運転所所属の信越急行で運用されていた横軽対策施工車が改造種車とされました。冷房装置は全車AU12S形6基を搭載しました。特急格上げやグリーン車利用率低下により1982年より廃車が始まり、1985年3月のダイヤ改正で運用を失い1985年に形式消滅しました。

サハシ169形
2等・ビュフェ合造付随車 (Tb) で客室部の定員は36名。1968年に宮原電車区所属で余剰車となっていたサハシ153形10両から改造されました。基本構造はサハシ165形50番台に準じますが、CPは碓氷峠通過時にパンクさせた空気バネへの圧縮空気再供給を迅速に行うため残されました。改造日程の都合上サハシ165-53 - 55と同様に2回にわけて編入改造が行われました。 第1次改造ジャンパ連結器の交換と横軽対策などの169系化を郡山工場(現・郡山総合車両センター)・松任工場(現・金沢総合車両所)で施工。第2次改造耐寒耐雪構造への変更とビュフェ部改造を長野工場で施工。ビュフェ部は元AU12形4基で冷房を装備し客室は非冷房でしたが、翌1969年に客室側をAU13E形2基で冷房化改造が施工されました。1978年10月のダイヤ改正で運用を失い同年中に廃車。唯一残った5は松本運転所に転出しましたが、1979年に廃車となり形式消滅しました。

試作車は1968年の量産化改造で169系900番台へ改番編入し、引き続き新前橋区配置で同区の165系と共通運用されましたが、1984年 - 1985年にかけてクモハ・クハ169形クハ455形に、モハ168形サハ165形100番台に改造され区分消滅しました。ただしクモハ169・モハ168・クハ169の3形式新造量産車は、アクシデントで廃車となったクモハ169-9・モハ168-5を除き余剰老朽による廃車が1996年から開始されました。

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急行「妙向」 熊の平にて

<運用>

1967年165系900番台を新前橋電車区に配置し、横川 - 軽井沢間区間で試運転を行ったところ良好な結果を残したため翌1968年169系量産車として長野運転所に投入されることになり、1968年10月1日のダイヤ改正で
軽井沢」を除き、従来165系で運用されて急行を169系電車に置換え、
ビュフェ込みの9両もしくは12両編成で運転。
方面別愛称の整理統合。
長野・湯田中発着列車:「信州」7往復(「高原」「志賀」を統合)1往復は不定期。1往復は土休日のみ運転。2往復は季節列車扱いで長野 - 田口(現・妙高高原間延長運転を設定しました。
直江津発着列車:「妙高」定期2往復・不定期1往復・夜行客車列車1往復(「丸池」「とがくし」を統合)
軽井沢」を季節列車に格下げ。

1969年10月1日のダイヤ改正において「信州」2往復の延長運転区間を定期化。列車名も「妙高」に変更され、「信州」5往復(定期4往復・不定期1往復)・「妙高」6往復(定期4往復・不定期1往復・夜行客車列車1往復)となりました。
2往復設定されていた「信州」湯田中編成を「志賀」に改称。

1972年3月15日のダイヤ改正において「軽井沢」はサロ165形を1両減車の7両編成に変更。新前橋電車区165系基本編成に統一。
489系増備車の落成を待って、11月25日から「妙高」1往復を特急「白山」に格上げし発展的解消。「妙高」5往復(うち客車夜行1往復)に減便。
「信州」は季節列車の定期化ならびに1往復増発により6往復。うち1往復で長野 - 妙高高原間の季節延長運転を実施。

1975年3月10日のダイヤ改正において首都圏側の間合い運用で下り最終「あかぎ」と翌早朝の上り普通列車に充当。「信州」1往復で軽井沢 - 長野間が普通列車運転。長野 - 妙高高原間の季節延長が終了。

1978年10月のダイヤ改正において1976年11月末にビュフェの営業を休止していたサハシ169形を基本編成から外し11両編成化(改正前から編成変更を実施)。「信州」1往復減の5往復。「志賀」1往復を不定期列車化。

1982年11月15日の改正においてサロ169形1両減車の10両編成に短縮。「妙高」は客車夜行1往復のみとなり169系列車は全廃。「志賀」全廃により長野電鉄への乗り入れを中止。
「信州」4往復に減便。うち3往復は軽井沢 - 長野間で普通列車もしくは快速列車による運転。新特急格上げのため間合い運用の「あかぎ」充当が終了。
大量発生した余剰車は松本運転所に転出。
松本所への転出は、1978年の8両から開始。1988年にまでMcM'ユニットとTcは、廃車になったクモハ169-9・モハ168-5を除き一度は必ず松本への転入が実施されました。
その後は、長野に出戻った車両・松本で廃車になった車両・三鷹電車区に転属した車両などに分かれました。松本運転所転属のモハ168形は、中央東線狭小トンネル対策としてパンタグラフはPS23形に交換されました。

1985年3月14日改正において「信州」全廃。客車運転の夜行「妙高」を169系普通車のみの9両編成に置換え(長野 - 直江津間は普通列車)。

1986年11月1日ダイヤ改正で「妙高」は189系による運転に移行。信越本線急行での169系定期運用は終了しました。長野所属車は「かもしか」用に転用されたが、ローカル列車もしくは波動輸送用としての運用活動が主となりました。

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軽井沢を発車して碓氷峠を下る臨時列車 1984/5/3

JRからは2003年に系列消滅。しなの鉄道に3両編成x4本計12両が譲渡されましたが、2013年3月16日のダイヤ改定で定期運用を終了。週末を中心とした臨時列車運用も同年4月29日限りで運用を終了しました。

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2013年7月15日 (月)

1975年 新潟の旅 16 千葉管内の165系

165系の活躍、183系と同様に房総方面での活躍にも触れたく思います。
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      気動車急行に続く電車版循環急行として登場した急行「みさき」 千葉

房総地区での165系の活躍は、1969年7月11日房総西線(現・内房線)木更津 - 千倉電化に伴い、最終増備車44両が津田沼電車区に配置されたことに始まりました。

基本編成グリーン車付き7両+付属編成3両の10両編成を組成し、急行「うち房」で運転を開始しました。房総地区は季節による乗客数が大きく異なることから、当初より付属編成は多客期のみの連結とする方針が採られました。

1971年7月1日には安房鴨川まで電化区間が延長され、「うち房」も運転本数が下り7本・上り9本(うち2往復は季節列車)となり、従来の館山・千倉発着から一部列車の運転が延長されました。

1972年7月15日のダイヤ改正で総武快速線東京地下 - 錦糸町間が開業し、房総東線(同日から外房線に改称)蘇我 - 安房鴨川間も電化され、従来の「うち房」「そと房」は廃止されました。
房総半島一周の循環急行「みさき」(新宿・両国→勝浦→館山→両国・新宿)「なぎさ」(新宿・両国→館山→勝浦→両国・新宿)それぞれ2本ずつ計4本が設定されました(両列車とも勝浦 - 館山間は普通列車)。
165系44両は津田沼区から新規開設された幕張電車区に転属しました。(追記:165系急行のHMの外枠が赤いのは千葉管内の伝統で外房線系統は赤、内房線系統は青、総武本線系統は黄色、成田線系統は緑を受け継いでいるようで、気動車急行、165系急行、113系行き先表示、211系時代の線名表示まで受け継がれました。2014/9/21)

1975年3月10日のダイヤ改正で「みさき」「なぎさ」は廃止され、新宿・両国 - 館山間「内房」新宿・両国 - 安房鴨川間「外房」各3往復に再編されました。

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市川を通過する急行「内房」 「みさき」「なぎさ」が短命でその後に再び内房、外房が登場しましたが、千葉管内の急行はHMを掲出しており、写真の撮りがいがありました。1982/1/30

1974年10月26日に完成した北総3線電化に対応し、それぞれの路線を経由する急行列車にも165系が投入されました。
総武本線佐倉 - 銚子間:「犬吠」成田線成田 - 松岸間:「水郷」鹿島線:「鹿島」(新設)運用増に対応する153系37両(サロ165形を含む)下関運転所と田町電車区からが転入し165系と共通運用化が実施されました。

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新宿まで来ていた急行「犬吠」 

1982年11月15日のダイヤ改正でこれまでの急行は特急格上げとなり、総武・房総急行は全廃となりました。
運行末期にはヘッドマークの一部撤去や車両転配の関係でグリーン車を外さした普通車のみ6両での運転も実施されました。

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183系化された特急「すいごう」は撮り逃がしましたが、165系の急行「水郷」は錦糸町で撮影していました。

ダイヤ改正後の幕張電車区所属車は首都圏波動用の12両を残し新潟・新前橋・豊橋などに転出しましたが、1986年には169系が松本運転所から転入して総数は15両となりました。

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2013年7月14日 (日)

1975年 新潟の旅 16 中央東線方面の165系

今回は中央東線の165系です。

小学校は国立だった関係で昭和30年代後半から40年代前半にかけて中央線国立~荻窪間は毎日お世話になる路線でした。そんなわけで181系あずさ」、165系アルプス」、115系ヤマゲタ、その前のEF13牽引客車列車は毎日のように見る列車でした。

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阿佐ヶ谷付近を通過する急行「アルプス」「こまがね」用12両編成の165系

新宿側から、(クモハ165+モハ164+サロ165+サロ165+サハシ165+(クモハ165+モハ164+クハ165)+クモハ165+モハ164+クハ165)+クハ165)の編成であることが分かります。

<中央東線対首都圏運用>

Wikipediaの記述によれば、中央東線における165系の運用は1963年4月28日から5月26日までの休日に新前橋電車区所属の波動用4両2編成で運転した新宿 - 甲府間下り臨時準急「かいじ」と上り臨時普通列車が、中央東線における最初の運用だったそうです。定期運用は1964年の上諏訪電化時に三鷹電車区にへ新製配置された11両により、新宿 - 上諏訪間の急行「たてしな」で開始されたそうです。

1965年の松本電化で「たてしな」は「アルプス」に吸収され発展的解消。さらに一部列車の愛称整理を実施。
松本運転所へ新製車53両と三鷹区から転属の11両、新潟所から転属の5両、153系からの改造車2両(サハシ165 50番台)の計71両が投入されました。
同年7月に3往復をキハ58系気動車から置換えました。
10月のダイヤ改正で計11往復を設定しました。
編成もビュフェを組み込んだ基本8両・付属4両の12両編成となり12月からビュフェの営業が開始されました。

1966年3月には売店車サハ164形の運用を開始。

1968年10月1日のダイヤ改正で、列車愛称の統一を実施。
松本発着ならびに大糸線直通:「アルプス
甲府発着:「かいじ
富士急行直通:「かわぐち
飯田線直通:「こまがね

「アルプス」11往復中9往復、「こまがね」3往復中2往復、「かいじ」5往復、「かわぐち」6往復中5往復に投入されました。

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国分寺を通過する急行「アルプス」用12両編成 松本寄りにクハが2両繋がっているのが分かります。

1972年10月改正からは新宿から身延への季節急行「みのぶ」が運転を開始しました。
「みのぶ」は甲府まで「アルプス」に併結運転でしたが、甲府駅の構内配線の関係から通常松本方に連結する付属編成を下り列車は新宿方の連結としました。

1973年10月1日から岡谷発着の季節列車「たてしな」1往復が設定され「みのぶ」併結列車も変更となりました。

1975年3月のダイヤ改正ではキハ58系で残存されていた「アルプス」2往復、「こまがね」「かわぐち」それぞれ1往復が165系化されました。これに伴い下関運転所・大垣電車区・新潟運転所などから増発用車両が転入しました。

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荻窪を通過するキハ65を最後尾に繋げた急行「アルプス」 当時富士急行が導入した両運転台のキハ58もアルプスの編成に繋がって新宿まで来ていたの見た憶えがあります。

転入車のうちモハ164形0番台・500番台は狭小トンネル対策としてパンタグラフのPS23形への交換と避雷器移設工事を施工。非冷房車は同時に冷房化改造工事を施工。
その一方前年にはサハ164形サハシ165形とのトレードという形で新潟運転所に転出していましたが、1978年の大垣電車区への転出を経て1979年と1980年に2両とも松本運転所に出戻り転入をしています。

1978年からは信越線急行の減便・廃止に伴い169系が長野運転所から狭小トンネル対策を施工した上で転入。

松本運転所基本編成の5号車は、サハシ165形(ビュフェ)サハ164形(売店)の2種類が存在しましたが、ビュフェ営業は1976年11月限りで休止となりました。しかし、1・2号車の冷房装置をはじめとするサービス電源の供給をサハシ165形もしくはサハ164形のMGから行っていたため編成から外すことができない問題を抱えていました。
対応策として1982年3月185系200番台の投入により新前橋区の165系に余剰車が発生したためにクハ165形11両を転入させ、サハシ165形9両とサハ164形2両と差し替えました。

しかし、編成変更から8ヵ月後の1982年11月15日のダイヤ改正では基本編成からサロ165形が1両減車となり基本編成7両+付属編成4両の11両編成となりました。さらに1985年3月のダイヤ改正で「かいじ」「かわぐち」の全列車を含む一部列車が季節列車への格下げと夜行「アルプス」へのクモニ83形連結の中止。1986年11月1日のダイヤ改正で中央東線昼行急行が全廃された。残存した定期夜行「アルプス」は183・189系に車種変更。松本所属の本系列は波動輸送ならびに松本地区ローカル列車に転用されたほか、McM'Tcx11編成33両が紀勢本線に残存する客車列車置換え用として日根野電車区(現・吹田総合車両所日根野支所)に転出しました。

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こちらは冒頭の12両編成に対してクハが1両少ない11両編成の急行「かいじ」「かわぐち」用編成 阿佐ヶ谷

私自身、中学時代は杉並区の中学に通学し、高校で荻窪、もしくは西武線で高田馬場から東横線と通学するようになり、大学、大学院までは電車通学で中央線との接点がありましたが、1983年に就職してつくばに住むようになり、中央線165系の終焉期はそれに気付かず過ごしてしまった感があります。昔は当たり前のように走っていた車両がいつの間にか消えて行くのはしばしばあることとは言え、急行電車の消え方は異常にはやかったように感じます。

テキストはWikipediaの記事を参考に纏めました。

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2013年7月13日 (土)

1975年 新潟の旅 16 上信越・新潟方面の165系

これまで1975年11月の谷川温泉、柏崎旅行に関係した車輌を、いろいろと見て参りましたが、やはり忘れてはいけないのが、急行用の165系です。

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上野駅地平ホーム 1982/2/1 表示は急行となっていますが、564Mというのは宇都宮~上野の165系使用の普通列車

当blogにおいてこれまで急行用車輌は東海道・山陽系の153系、北陸系の475系等を取り上げて参りましたが、まだ165系については、東海道線の急行「ごてんば」で一度触れただけで本格的には取り上げていませんので、今回取り上げようかと思います。

165系は国鉄初の直流急行形新性能電車として開発された153系電車の構造を踏襲し、勾配・寒冷路線向けとして開発され、1963年3月から営業運転に投入されました。

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高架ホーム9番線で特急「白山」と並ぶ165系急行 1979/5/5

1960年代前半、信越本線長岡 - 新潟間・高崎 - 長野間、中央東線電化により首都圏から直通する長距離連続電化区間が完成し、電車による急行列車を運転することが計画されました。しかしいずれも連続急勾配が介在し、寒冷・多雪な気候条件の路線であり、平坦・温暖区間向けに設計された153系電車では、これらの路線には出力や耐寒能力不足で不適でした。このため勾配・寒冷路線での運用に耐える性能を備える直流急行形電車とされたのが165系です。

車体構造はほぼ153系を踏襲していますが、以下のような改良が行われています。
主電動機は従来標準であったMT46形に代えて、1962年に日立製作所が設計・開発したMT54形を国鉄新性能電車として初めて搭載しました。

主制御器は「自動ノッチ戻し機構」と山岳区間での走行も考慮した勾配抑速ブレーキを搭載したCS15形制御装置を採用し、主抵抗器の容量も153系などに比べ増強されました。
寒冷地・積雪地での運用に備えて耐寒耐雪装備を施工しました。
台車はダイアフラム形の横剛性を生かしたまま揺枕吊を廃止し、451系・471系以降国鉄特急・急行形電車の標準となったインダイレクトマウント式空気バネのDT32(電動車)・TR69(付随車)を装着し、高速安定性や乗心地を改善しました。

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尾久を通過する165系急行 1979/5/5

<形式>

クモハ165形
モハ164形とユニットを組む2等制御電動車 (Mc) で、主制御器・主抵抗器を搭載。勾配線区で使用される特質上電動車比を高める必要から、基幹形式の一つとして1963年から1970年にかけて製造されました。定員76名。451・471系では電動車ユニットを両方向に使用可能としたため両渡り構造としましたが、本系列では奇数向き(東海道本線基準で上り東京方)に固定を原則とした片渡り構造となりました。
1 - 141:当初は非冷房でしたが、1968年の利用債増備車の123 - 125はAU13E形分散式冷房装置搭載の準備工事仕様、1968年4次債務負担以降増備車の126 - は新製時から冷房で落成しました。
901 - 904:900番台は碓氷峠協調運転用169系の試作車。

モハ165形
モハ164形とユニットを組む2等中間電動車 (M) で定員84名。地方線区や支線直通運用で容易な短編成組成要求もあり、需要は小さく21両が製造されたのみでした。1963年 - 1965年製造の1 - 17は波動用名義でした。当初は非冷房で後に冷房改造を施工。1969年増備車の18 - 21は新製時からAU13形6基搭載で落成しました。

モハ164形
クモハ・モハ165形とユニットを組む2等中間電動車 (M') で定員84名。電動発電機 (MG) や空気圧縮機 (CP)、パンタグラフを搭載しました。1963年から1970年にかけて166両が製造されました。
1 - 84:普通屋根車で当初は非冷房。後にAU72形集中式冷房装置を搭載。81 - は新造時から冷房車で落成。搭載されるCPは初期がMH80A-C1000形2基、1965年度第2次民有車両以降増備車69- ・836- がMH113A-C2000M形1基に変更。
501 - 514:500番台。山陽準急増結運用で分割・併合を容易にするため、デッキとトイレの配置を入れ替え回送運転台を装備した区分。後位妻面の小窓・後部標識灯・デッキ屋根上部前照灯と大型通風器が特徴です。全車クモハ165形とユニットを組みました。
801 - 864:800番台。中央本線・篠ノ井線・身延線の建築限界(狭小トンネル)対策として、パンタグラフ取付部を180mm切り下げた低屋根構造とした区分。低屋根部車内天井ファンデリア(換気扇)とパンタグラフ脇換気用ルーバーを設置。846 - 848は冷房準備車、849 - は新製時からの冷房車でファンデリア(非冷房車は冷房搭載時に撤去)と換気用ルーバーも当初より未設置。
901 - 904:900番台は碓氷峠協調運転用169系の試作車。

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南浦和を通過する長大編成の165系 1982/1/3

クハ165形
2等制御車 (Tc) で定員76名。1963年から1970年にかけて210両が製造されました。当初はクモハ165形が片渡りとされたのに対して両渡り構造とされましたが、後の冷房改造により冷房用三相交流電源引通しを追設し片渡り構造となったため多くが偶数向き(東海道本線基準で下り神戸方)に固定されました。
1 - 206156 - 190がAU13E搭載準備仕様、191 - は新製冷房車で落成。
901 - 904:900番台は碓氷峠協調運転用169系の試作車。

サロ165形
1等付随車 (Ts) で、定員48名。1963年 - 1969年134両が製造された。外観的には、台車を除き特徴的な二連式大型下降窓や回送運転台の装備などサロ152形を踏襲しました。1 - 28が非冷房で、29がAU12S搭載準備仕様、30 - 129が新製時からAU12S形6基搭載で、房総地区電化用最終増備車の130 - 134はAU13E形5基で落成。

サハ164形
1966年10月のダイヤ改正で増発された中央東線急行用に2両のみ製造された定員56名の2等付随車 (Tk) 。後位寄り車端に売店と物資積卸口を設置。自車給電用5kVAMGを搭載。本系列最初のサハであったが特殊仕様の為偶数形式とされました。1970年に売店も含めAU13E形6基で冷房化改造され、MGを冷房電源用110kVAに換装。1983年に2両とも廃車され形式消滅。

サハ165形
車体構造・車内設備はモハ165形と同一となる定員84名の付随車 (T) 。全車新製時からAU13E形分散式冷房装置6基と冷房電源用110kVA MGを搭載して落成。1969年10月のダイヤ改正で山陽本線不定期急行の定期列車化用として10両が、1970年に呉線電化による増発用として1両の計11両が製造されました。

サハシ165形
1963年12両が製造された2等・ビュフェ合造付随車 (Tb) 。2等客室部の定員は36名。サハシ451形に準拠し、車体中央部設置された幅700mmの客用扉を境に前位寄りが2等客室で後位寄りがビュフェとしました。トイレ・洗面所は未設置。ビュフェは電子レンジを標準装備。サハシ153形の「寿司コーナー」に対して「そばコーナー」とし、車内販売用業務用控室を出入台寄りに設置。冷房は新製時からビュフェ部分にAU12形4基が搭載され側窓も固定式としましたが、1969年 - 1972年に客室にもAU13E形2基を搭載しました。
松本運転所(現・松本車両センター)所属車両は、冷房改造時にMGを従来の40kVAから110kVAの物に交換しました。1978年から余剰廃車が開始され、1983年に形式消滅。

クハ164形
この車輌については実物を1975年1月2日の名古屋旅行で目撃しており、そのときの記事に記載しました。

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王子を通過する165系 1981/12/20

<運用について>

上越線(水上以北)・信越本線(新潟口)(新潟鉄道管理局 新潟運転所⇒JR東日本新潟支社 上沼垂運転区)

対首都圏運用

1963年に新潟運転所に新製配置され、同年3月26日から上越線の急行下り「弥彦」・上り「佐渡」で8両もしくは11両編成で運用開始されました。6月には夜行の「越後」にも投入され、サハシ165形を2両連結の13両編成に増強されました。

その後もクハ165形1両増結の14両編成での運転なども行われましたが、東海道本線の急行に比べてビュフェ車の利用率が低かったことや中央東線急行への連結が決定したことから1965年10月改正でサハシ165形の連結は1両になりましたが、クハ165形1両が増結されたため依然13両編成で運転されました。

1968年10月のダイヤ改正では愛称整理が行われ「佐渡」に統一。翌1969年には定期5往復・季節2往復に増発され、編成が一部変更されました。1970年10月2日のダイヤ改正では、「佐渡」の季節1往復が特急「とき」定期1往復に格上げされました。

1972年10月1日の改正では「佐渡」1往復が「とき」に格上げ、余剰編成は運転区間を直江津まで延長と165系化の上で「よねやま」に投入。

本改正では下関運転所からサハ165形が転入し、一部の中間封じ込みとなっていたクハ165形を置換えました。後に松本運転所からのサハ164形(1974 - 1978年在籍)、回送運転台付のモハ164形500番台などの転入もありました。

1973年10月1日改正で「佐渡」は季節列車が廃止され定期4往復に減便。また利用率低下と「とき」増発に伴う食堂従業員確保のたビュフェの営業が休止。サハシ165形1978年6月に編成から外され、「佐渡」「よねやま」は12両編成となりました。

新潟地区ローカル運用

1965年には越後湯沢 - 新潟間に準急「ゆざわ」が、「佐渡」用の付属編成を使用して運転を開始。翌1966年3月5日に急行格上げが行われましたが、1972年3月15日のダイヤ改正で廃止となりました。

1970年10月2日改正それまでキハ58系で運転されていた上田 - 新潟間の「よねやま」2往復を本系列で電車化を実施。1972年3月15日のダイヤ改正で「よねやま」が上野 - 長岡 - 柏崎間の気動車急行の愛称に変更され、従来の上田までの列車は「とがくし」と改称。2往復中1往復には、サロ165形の連結が開始されました。1973年10月1日改正で2往復ともグリーン車連結の7両編成に統一されました。しかし、1977年11月1日のダイヤ改正ではサロ165形サハ165形に置換えられモノクラス化されました。

東北本線・日光線・両毛線・高崎線・上越線(水上以南)・長野原→吾妻線(東京鉄道管理局 田町電車区・高崎鉄道管理局 新前橋電車区)

東北本線系統での運用は、田町電車区所属車が1963年3月25日から「湘南日光」「なすの」で、4月25日から「中禅寺」で開始されました。
3列車とも157系電車からの置換えでした。157系は同年4月から充当されていた東海道線特急「ひびき」の定期列車化と冷房化改造工事により東北本線系統運用では「日光」充当車を除き捻出させる必要が発生。そのため3列車にはMcM'Tcx5編成計15両を投入しました。

同年10月1日には新前橋電車区から6両が転入。しかし1966年10月1日付で運用をすべて新前橋区に移管しました。
これらの車両とは別に当初新前橋区に配置されていた波動輸送用モハ165形組み込み4両編成x5本も1964年10月1日に田町区に転入。このグループは東北本線運用にも投入されましたが、1975年に神領電車区に転出しました。
1968年に運転開始された急行「ごてんば」は、1973年まで新前橋区よりMcM'Tcx2本借り受け名義での運用でした。

一方、新前橋区でも1963年3月から投入開始されており、10月1日より「あかぎ」「苗場」など80系電車で運転されていた上越線準急列車の置換えと信越急行への充当がスタートしました。その後も徐々に置換えを拡大。1966年にまで80系使用の列車をすべて置換えると共に、同年10月1日で長野運転所に「軽井沢」を除く信越急行を移管。田町電車区から東北本線黒磯以南運用が移管されました。

1968年10月1日のダイヤ改正では同一方面列車の愛称統一が行われましたが、新前橋区ではそれ以降、以下の急行列車を担当しています。
ゆけむり」上野 - 水上・石打
草津」上野 - 長野原・万座・鹿沢口(万座・鹿沢口延長は1971年
伊香保」上野 - 渋川(1972年以降の運転)
あかぎ」上野 - 高崎 - 新前橋・前橋・桐生
わたらせ」上野 - 小山 - 桐生・前橋・高崎
なすの」上野 - 宇都宮・黒磯
日光」上野 - 日光
湘南日光」伊東 - 日光(1970年まで)
軽井沢」上野 - 中軽井沢
ごてんば」東京 - 御殿場(1973年まで田町電車区へ貸し渡しでの運用)

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183系1000番台特急「とき」と顔を揃えた165系 1975/11/1 上野

最盛期には基本編成15本・付属編成29本を巧みに組み合わせ、3両から最大15両編成で上野を中心として急行列車から普通電車まで複雑かつ幅広い運用を行っていました。
新前橋区の車両運用で両毛線に関する運用は特段の注意が要求されました。同線は小山口からも高崎口からも方向転換せずダイレクトに入れるため、線内に「わたらせ」で入った編成と「あかぎ」で入った編成は逆向きとなる。そのため折り返しの際には入線した経路で戻すことが鉄則とされました。

しかし1973年に発生した上尾事件がきっかけとなり、朝夕ラッシュ時間帯の通勤列車運用は以後減少しました。

1982年の東北・上越新幹線大宮暫定開業によるダイヤ改正では「日光」が全廃。一部急行列車での運転本数削減。新幹線リレー号用として新造投入された185系電車200番台により状態の悪い一部初期車を置換え廃車。余剰となったクハ165形11両が松本運転所に転出。冷房用MGの関係で編成から外すことのできなかったサハシ165形・サハ164形を置換え等がなされました。

この結果、一部の列車で165系+185系の併結運用も実施されました。

続いて1985年3月14日のダイヤ改正では185系電車の一部が田町電車区に転属、新前橋残留車により本系列で運転されていた定期急行列車を新特急に格上げ全廃させ置換え、165系は、他区所転出車・廃車・残留車に分別されました。

以後はローカル運用、もしくは臨時急行列車・団体列車などの波動輸送で運用されましたが、後にS編成3両x11本計33両に整理され「モントレー色」と呼ばれる独自塗装に変更されました。

信越本線(長野鉄道管理局 長野運転所・高崎鉄道管理局 新前橋電車区)

1963年10月1日をもって横川 - 軽井沢間の碓氷峠は粘着方式による複線運転となり、同時に長野までの電化が完成しました。それに伴い新前橋電車区の165系が以下の列車に投入されました。
上野 - 長野急行「信州」4往復(「丸池」を統合)
急行「信州いでゆ」(全車指定席列車)1往復
急行「とがくし」(夜行)1往復
上野 - 長野・長野電鉄 湯田中急行「志賀」2往復
上野 - 中軽井沢準急「軽井沢」2往復中1往復

1965年10月1日の直江津電化で上野 - 直江津間の「妙高」2往復にも投入。一方、「軽井沢」は80系電車運転分が廃止され1往復になりました。
「軽井沢」は翌1966年3月5日に急行列車に格上げ。

特急「あさま」が181系で運転開始された1966年10月1日のダイヤ改正では
「軽井沢」を除き運用を長野運転所に移管。新造車と新前橋からの転入車で運用に充当。「信州いでゆ」は「信州」に統合。不定期客車列車で運転されていた「高原」を165系化。

長野配置車は上述した新前橋区の「軽井沢」専用編成と共通の編成が組成されましたが、碓氷峠はEF63形による牽引・推進運転のため連結両数が8両に制限されました。このため慢性的な混雑が顕著になっており、一部列車は高崎以南で長野方に3両増結する対策が採られたが、信越本線そのものの抜本的な輸送量増強に対応ができないため、1967年にEF63形と協調運転を可能にし12両編成まで碓氷峠を通過できる165系900番台を試作することになりました。

以上が、165系時代の上信越、新潟方面の急行の様相で、今回先に181系特急や185系新特急の歴史を見ているので、これらの列車が置き換えられていったことが分かります。

テキストはWikipediaの記事を参考に纏めました。

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2013年7月12日 (金)

1975年 新潟の旅 15 185系200番台 その5 新特急「なすの」

185系200番台が投入された「新幹線リレー号」から、「新特急」を見て参りましたが、今回はそのラストとして「新特急なすの」とその後の東北本線直流区間の特急列車です。

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「新特急なすの」の唯一の写真です。 1985/2/24 日暮里

といったわけで、今回は写真的には185系200番台の登場時よりも、旧田町のB1~B7編成をメインにご紹介致します。

なすの」といえば現在は東北新幹線の列車名となっていますが、その歴史を見てみると

1959年:多客期に上野駅 - 黒磯駅間を特別準急電車「日光形」157系で運行される不定期準急列車「なすの」が運転開始。

1963年:「なすの」の使用車両が157系から急行形165系に変更されました。

1966年:不定期運行ながらも「なすの」は急行列車に格上げとなりました。

1968年:「しもつけ」が「なすの」に名称変更。「なすの」定期列車となりました。同時に下り1本に115系電車、上り1本に455系・457系電車が充当され、455系・457系電車の上り1本が白河駅始発になりました。

1985年:「なすの」が特急列車に格上げされ、「新特急なすの」に名称変更。185系電車(200番台)を使用。

1990年:「新特急なすの」の東京側始発・終着駅を新宿駅に変更。通勤ライナーに近い運行となりました。

1995年:ダイヤ改正で、東北新幹線東京駅 - 那須塩原駅間で運転されていた「あおば」を分離し、近距離新幹線「なすの」となりました。また、在来線特急の名称を「おはようとちぎ」・「ホームタウンとちぎ」(2002年11月までは列車名に「新特急」を冠する)に変更。

といったように157系から始まって、165系からなんと交直両用の455,457系も使用されて185系200番台の特急となっているのですね。

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当時田町区のB1編成による「おはようとちぎ」 2003/4/19 黒磯

新特急」はそれ以前の特急列車とは異なり、自由席を中心にし、定期券所持客も特急券を別途購入することにより利用することが可能になりました。また、50km以内の特急料金についても自由席については当時の急行券と同額として、東北・上越新幹線との差別化を図りました。

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B2編成による「おはようとちぎ」 2006/4/9 自治医大~石橋

これは新特急が、急行列車の特急への格上げというより、ダイヤ上は従来の急行と同格の列車に特急形車両を充当しただけのものという位置づけの種別であったことに加え、新特急に運用される185系電車が従来の165系電車をはじめとする急行形車両の内装をボックスシートから転換クロスシートに変えた程度であり、新型車両とはいえ従来ならば急行料金が適用可能と考えられていたからです。

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B3編成による「おはようとちぎ」 2006/3/25 間々田~小山

1981年より伊豆方面の特急「踊り子」に185系を運用していたこともあり、急行列車として存続させることができず、特急料金の適用となることによる実質的な値上げを緩和するために講じられた措置でもありました。また、沿線自治体から「特急を停車させて欲しい」との要望が多かったため、これに応える存在でもありました。

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B4編成による「おはようとちぎ」 2006/3/12 黒磯

「新特急なすの」の場合は、当時停車駅が類似した快速「ラビット」との差別化が図れず利用客が伸び悩みました。のちに、1往復を残して快速「ラビット」に格下げされました。

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B5編成による「おはようとちぎ」 2006/7/9 新白岡

朝に運行された列車は上り「おはようとちぎ」、夕方に運行された列車は下り「ホームタウンとちぎ」であり、通勤ライナーに近い朝上り・夕方下りの運転体制を取っていました。

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B6編成による「おはようとちぎ」 2010/11/6 大宮

2008年3月15日のダイヤ改定で新宿駅発古河駅行きの「ホームライナー古河5号」が廃止されたのに伴い、同列車の帰り便として設定されていた宇都宮駅発新宿駅行き特急「おはようとちぎ2号」が廃止されました。「ホームライナー古河5号」および特急「おはようとちぎ2号」の廃止によって空いた車両の運用枠は、別路線の通勤ライナーに充当されました。なお、この廃止は利用者低迷によるものではなく、他路線通勤混雑の緩和を目的とするものでした。廃止当時、両列車とも利用率は好調でした。

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B7編成による「おはようとちぎ」 2010/6/17 栗橋~古河

2010年12月4日のダイヤ改正で「おはようとちぎ」「ホームタウンとちぎ」の運転が12月3日に終了となりました。廃止理由は利用者減とされていますが、高崎線特急「あかぎ」に比較し運行本数が1往復に限定されていた特急「おはようとちぎ」「ホームタウンとちぎ」の利用状況は順調であり、土曜休日の「おはようとちぎ」を中心に立ち客が出るほど混雑していたとのことです。

そして田町車両センターも2013年3月16日のダイヤ改正で車両配置がなくなり、東京総合車両センターの下部組織として、東京総合車両センター田町センターに改組されました。

185系編成も3月のC7編成におけるサハ185-7の長野配給以来、大きく変貌をとげており、田町配属の車両は全て大宮に転属となり、7連のB編成とOM編成の運用上の区別はなくなりました、さらに編成の改組が行われ、

1)OM編成のサロ連結位置の変更  

2)OM-03編成の塗り替え (サロ以外) 田町リニューアル色へ

3)4連、6連、8連化

B2 サロを抜き、B7モハユニット(-231)を挿入  8連に

OM-03、B3、B6 サロ抜き 6連に

B7 サロ抜き、1モハユニット抜きで4連に

C7 サハ抜き 4連に

といった変化が見られ、4連、6連、8連の編成はこれまでの183・189系編成に代わって波動用に使用されるのではと思われます。

テキストはWikipediaの記事を参考に纏めました。

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2013年7月11日 (木)

1975年 新潟の旅 15 185系200番台 その4 新特急「谷川」「水上」

185系200番台を使用した1980年代からの新特急、今回は「谷川」「水上」について触れようと思います。

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1985/2/3 上野 
なにやら急行なのか、特急なのかよく分からない列車が登場したものだと感じておりましたが、やがてこの名称は新幹線列車の名称に。

新特急谷川」は上越線の観光地、水上を拠点とする谷川岳、谷川温泉などに観光客を運ぶ目的で設定された優等列車をルーツとしており、その歴史は

1957年:上野駅 - 石打駅間に臨時準急列車として「ゆけむり」の運行を開始。
1958年:臨時準急「奥利根」が上野駅 - 越後湯沢駅間で運転開始。
1959年:「ゆけむり」の名称を「みくに」に変更。
1960年:毎日運行の臨時準急列車「ゆのさと」の運行開始。
1961年:「奥利根」の新宿駅 - 水上駅間を中央本線・八高線・上越線経由とし、従来の高崎線経由列車を「苗場」に名称変更。臨時準急列車「上越いでゆ」が上野駅 - 水上駅間で運転開始。
1962年:「上越いでゆ」が廃止。
1964年:準急「みなかみ」が上野駅 - 水上駅間で運転開始。八高線経由の「奥利根」は運行を週末に限定し名称を「みくに」に変更。 上野駅 - 長野原駅間を運行する「草津」と増解結するため、気動車で運転されていました。
1965年:上野駅 - 水上駅・石打駅間の準急「みなかみ」「苗場」「奥利根」を「奥利根」に統一。八高線経由の「みくに」は廃止。
1966年:「奥利根」が急行列車化。
1968年:上野駅 - 水上駅・石打駅間の急行「奥利根」を「ゆけむり」に変更。下り7本、上り6本を運行。
1982年:ダイヤ改正で急行「ゆけむり」の一部を格上げし、特急「谷川」とする。設定当時は下り4本、上り5本。なお、185系電車200番台が不足しているため、急行「ゆけむり」は3往復存続。
1985年:急行「ゆけむり」を廃止し、「谷川」に統合。「谷川」はエル特急化され、「新特急谷川」と称し5往復体制となりました。

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1997年上越新幹線東京駅 - 高崎駅・越後湯沢駅間の列車を「たにがわ」とし、「新特急谷川」は「新特急水上」に変更。
2002年:エル特急および新特急呼称廃止のため、特急「水上」に変更。

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新前橋のS221編成時代の特急「水上」 2002/9/10 東十条

2004年10月16日:全列車が特急「草津」と新前橋駅にて増解結を実施。また、1往復が臨時特急「リゾート水上」に格下げされました。
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OM-05編成による特急「水上」 2009/9/5  岩本

2010年12月:利用客減少により、定期運行を廃止し臨時列車化(土休日のみ運転に変更)。
2012年2月:土休日の運転を廃止。以後は季節運行となり、「草津」との併結は廃止。

となっています。

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OM-03編成 湘南カラーによる特急「水上」 2010/10/3 鶯谷

テキストはWikipediaの記事を参考に纏めました。

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2013年7月10日 (水)

1975年 新潟の旅 15 185系200番台 その3 新特急「草津」

185系200番台を使用した列車、今回は「草津」です。

まず、165系を置き換えた直後は、個別のHMではなく、「急行」の表示で、急行列車の運用を担当していました。

Wikipediaの記事では

200番台は1982年3月10日から165系の運用に投入が開始され、急行「あかぎ」で運用を開始、増備とともに急行「ゆけむり」「草津」「軽井沢」や普通列車で運用された。また、この年の8月16日には特急「白根」4号・5号に200番台が運用されたが、これが200番台では初の特急運用となった。

と書かれていますが、まさにこの頃の姿です。

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大宮を出発する185系200番台 「急行」 1982/3/25 

時期的にはまだ新幹線リレー号の運用に就く前です。

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こちらは吾妻線を行く185系200番台 急行表示の「草津」 1982/5/2

続いて「草津」と命名された列車の歴史です。以前、「白根」の歴史を見たときに出て参りましたが、

1960年6月1日:臨時準急列車として「草津」が上野駅 - 長野原駅(現在の長野原草津口駅)間で運転開始。 運行当初は80系電車を使用し、電化されていない長野原線内ではC11形蒸気機関車またはC58形蒸気機関車に牽引されていました。

1961年10月1日:名称をひらがな書きの「くさつ」に変更し、毎日運転になりました。また、臨時列車として気動車準急列車の「上越いで湯」「草津いで湯」が運行されました。

1962年6月10日:「くさつ」が定期列車化され、「草津」に名称を変更。気動車で運転されるようになりました。 7月:ダイヤ改正により2往復は「草津」、1往復は「草津いでゆ」の3往復体制になりました。

1966年:「草津」が急行列車化。
1967年:長野原線の電化により「草津」「草津いで湯」を電車化し、長野原線の急行列車を「草津」に統一。この改正から165系電車に車種変更。定期・不定期列車を含めて6往復で、定期列車の1往復は長野原線内は普通列車として運転。

1971年 3月7日:長野原 - 大前間の延伸開業により、路線名を「吾妻線」に改称。「草津」の運行区間を万座・鹿沢口駅まで延長。1日5往復、うち1往復は吾妻線内を快速列車としました。

1982年3月:新前橋電車区に新製配置された185系電車が「草津」の一部で運用を開始しました。

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袋倉付近を行く185系200番台 「草津」 1985/5/4

1982年11月15日:ダイヤ改正により「白根」が「草津」の一部を吸収し定期列車化。急行「草津」1往復、特急「白根」4往復体制となる(朝の上り「白根」2号と夜の下り「白根」7号は吾妻線内快速列車)。「草津」は165系電車、「白根」は185系電車での運行となりました。

1985年3月14日:急行「草津」、特急「白根」をエル特急「新特急草津」に統一。 「新特急草津」は4往復体制、上り2号と下り7号は吾妻線内快速列車。

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国鉄最後の日に上野駅地平ホームにて 

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新前橋区S225編成時代の185系200番台 特急「草津」 2002/9/10 東十条

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湘南カラー時代のOM-03編成と併結で大宮に到着する157系似特急カラーのOM-08編成「草津」  2012/3/10

2002年:エル特急、新特急の名称廃止。特急「草津」となる。

土休日の31号・32号を除く列車は2010年12月4日のダイヤ改正で「水上」の定期運転が廃止されるまでは上野駅 - 新前橋駅間で特急「水上」と併結した14両編成で運転されており、その後も上野駅 - 新前橋駅間で14両編成による運行が行われ、いずれの場合も新前橋駅で増解結が行われていました。2012年3月17日のダイヤ改正で「草津」の14両編成の運用が廃止されました。

テキストはWikipediaの記事を参考に纏めました。

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2013年7月 9日 (火)

1975年 新潟の旅 15 185系200番台 その2 新特急「あかぎ」

185系200番台を使用した新特急「あかぎ」について今回の記事では触れます。

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日暮里を通過する「あかぎ」  1983/1/28

まずは「あかぎ」という名称の列車の歴史から見てみましょう。

1950年:上野駅 - 桐生駅・小山駅間を高崎線・両毛線経由で運転する快速「はるな」「あかぎ」が、上野駅 - 桐生駅・高崎駅間を小山駅経由で運転する「おおとね」「わたらせ」が運転開始されました。

1960年:「あかぎ」が上野駅 - 前橋駅間で80系を使用した準急列車(毎日運転の臨時列車)になりました。「はるな」「おおとね」が廃止され「わたらせ」は無名の快速列車になりました。

1961年:準急「あかぎ」が定期列車化。

1966年:「あかぎ」「はるな」「わたらせ」が急行列車になりました。「はるな」の上野駅 - 前橋駅間が「あかぎ」に統合され、「あかぎ」は2往復になりました。

1967年:「あかぎ」が下り4本・上り2本になりました。

1968年:「あかぎ」に165系を投入。桐生駅・小山駅まで普通列車として延長される列車を運転。 1970年代には、「あかぎ」の一部で115系電車(近郊形電車)を使用するものも設定されました。

1982年11月15日:上越新幹線開業に伴うダイヤ改正により、小山駅乗り入れ列車を急行「はるな」とし、185系による特急「あかぎ」と分離。なお、特急「あかぎ」桐生駅発の上り列車も運行されました。なお、いずれも前橋駅 - 桐生駅・小山駅間は普通列車として運行されました。

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上野駅地平ホームでの185系200番台 「あかぎ」

1985年3月14日:上越新幹線上野駅乗り入れに伴うダイヤ改正により、急行「はるな」が廃止。「あかぎ」はエル特急「新特急あかぎ」になりました。「わたらせ」は廃止され、小山経由の両毛線直通列車は消滅。

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1987/3/31 国鉄最後の日に新特急「あかぎ」 上野

1989年3月11日:「新特急あかぎ」桐生駅発の上り列車が廃止。全列車上野駅 - 前橋駅間の運転になりました。

1993年3月18日:新宿駅 → 高崎駅間で特急「新特急ホームタウン高崎」が運転開始。 平日下り列車のみ運転され、ホームライナーと同等の運行形態の列車でした。休日についても、新宿駅 - 高崎駅間で運転する「新特急あかぎ」21号・22号が設定されました。

1994年12月3日:「新特急あかぎ」21号・22号が「新特急ウィークエンドあかぎ」になりました。
1995年12月1日:「新特急あかぎ」の下り1本が平日のみの運行となりました。さらに、新前橋車の185系のリニューアルに従い、ヘッドマークのデザインが変更されました(田町車185系は旧デザインのままでした)。

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リニューアル後のS212編成他による14連の「あかぎ」 2002/9/10 東十条

1997年10月1日:朝の上り列車1本を新宿駅に乗り入れ開始し、平日は「新特急さわやかあかぎ」、休日は「新特急ウィークエンドあかぎ」になりました。「新特急谷川」が「新特急水上」に改称されたことにより、新前橋車のヘッドマークデザインが再び変更されました(田町車はそのまま)。
1998年12月8日:新特急愛称の再編に伴い、「新特急水上」の上り列車1本を「新特急あかぎ」変更。
2002年12月1日エル特急および新特急の名称が廃止され、特急「あかぎ」「ウィークエンドあかぎ」となりました。同時に「新特急ホームタウン高崎」「新特急さわやかあかぎ」が「あかぎ」に統一されました。田町車のヘッドマークデザインは変わりませんでしたが、L表示が無くなり、新特急から特急表示になりました。

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当時の田町区のA7編成による特急「あかぎ」 HMはウイークエンド時代からの流れでOM編成とは別のタイプのものを掲出  2012/4/15 大宮

2010年12月4日:一部編成変更、土休日の上下3本の運転を取りやめ。「ウィークエンドあかぎ」が廃止され、「あかぎ」に統一されました。

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OM-01編成による特急「あかぎ」 2012/6/17 大宮

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157系に似た特急色に塗り替えられる前のOM-08編成による特急「あかぎ」 2011/6/28 さいたま新都心

2012年3月17日:上り渋川始発が廃止。一部編成変更。

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この春の入場で湘南カラーから、グリーン車を除いて田町リニューアルカラーに変更されてしまったOM-03編成による特急「あかぎ」 2012/1/7 大宮

テキストはWikipediaの記事を参考に纏めました。

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2013年7月 8日 (月)

1975年 新潟の旅 15 185系200番台 その1 新幹線リレー号

前回までの記事で上越、長野新幹線について触れましたが、今回は165系を置き換えるために登場した185系200番台の活躍した列車として、新幹線リレー号です。

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上野駅での新幹線リレー号 1984/4/30

Wikipediaによりますと、「新幹線リレー号」と言われた列車は以下の4種類が存在したそうです。

1.1982年から1985年まで上野 - 大宮間を東北本線経由で運行していた東北新幹線・上越新幹線連絡列車。
2.1995年10月22日・25日・29日に、上越新幹線・高崎駅‐越後湯沢駅間運休に伴い、同区間を上越線経由で運行していた臨時特急列車。
3.1998年から2001年まで、八王子・府中本町 - 大宮間を中央本線・武蔵野線経由で運行していた快速列車。
4.2011年東北地方太平洋沖地震発生後の東北新幹線復旧期間中に福島 - 仙台間を東北本線経由で運転していた東北新幹線連絡列車。

今回の記事では1について触れたく思います。

1982年6月23日の東北新幹線大宮 - 盛岡間暫定開業に際して大宮 - 上野間の輸送を行うために運行された専用列車であり、当初は同年11月15日に予定された上越新幹線開業までの暫定ダイヤであったことから、所定の185系200番台のみならず急行列車用455系・457系電車・普通列車用115系電車による運行もありましたが、上越新幹線開業後は185系200番台による14両編成の限定運用となりました。

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東十条を通過する新幹線リレー号 1982/9/5

営業上は新幹線列車の延長とされ上野 - 大宮間は無停車としたほか、両駅ともに発着ホームを限定した上でホームへの通路も一般の通路とは区分しました。新幹線特急券を所持していない場合は乗車できませんでした。新幹線用を除く定期券での乗車も不可であり、このためホームにおいて乗車時に新幹線特急券を確認・回収する形で一般乗客と利用者を分離していました。
列車編成中に連結してあるグリーン車は「シルバーカー」の名称で新幹線特急グリーン券を有しているものないしは体が不自由な乗客への「優先席」とした上で普通車扱いとしていました。当時としては珍しい「リレーガール」と愛称の付いた女性客室乗務員が乗務し主にシルバーカー利用客の案内や体が不自由な乗客に対して乗降などの介助にあたりました。

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川口を行く新幹線リレー号 スカイブルーの京浜東北線103系も今は歴史の中の一コマ 1982/9/5

運行時分は定期列車のダイヤパターンに準じ29分程度で運行されましたが、本区間は東北本線・高崎線の普通列車または京浜東北線による輸送も視野に入っており、当時の時刻表の東北新幹線・上越新幹線の欄には接続列車の時刻として本列車以外にも上述列車も乗換標準時間内に収まれば「接続列車」として収録されていました。ただし新幹線の臨時列車に接続する列車は設定されていませんでした。

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わずか3年の間でしたが、185系の活躍の歴史の1ページとなった新幹線リレー号 1983/1/28 日暮里 

<185系200番台>

東海道本線系では153系の老朽化の置き換えとして185系0番台が投入されましたが、高崎線では165系の置き換え用として1981年末から185系63両製造することになりました。

165系の運用を考慮し、耐寒耐雪装備や横軽対策が施されることになり、200番台として区分されることになりました。200番台は1982年3月10日から165系の運用に投入が開始され、急行「あかぎ」で運用を開始、増備とともに急行「ゆけむり」「草津」「軽井沢」や普通列車で運用されました。また、この年の8月16日には特急「白根」4号・5号に200番台が運用されましたが、これが200番台では初の特急運用となりました。

1980年12月には東北・上越新幹線の建設にあたって上野~大宮間で用地買収が難航したため、「1982年春に大宮暫定開業」が決定されました。その暫定開業用連絡列車として185系が運用される方針が決まり、当初、会計検査院は猛反対したそうですが、新幹線開通後は近距離特急で運用と言うことで理解を得て、49両(7編成分)の追加新製が認められたそうです。

1982年6月23日の東北新幹線開業と同時に、185系200番台を使用した「新幹線リレー号」の運行が開始され、この時点では、「やまびこ」4往復と「あおば」6往復が設定されており、各列車に接続する運行体制でした。

同年11月15日の上越新幹線開業からは、新幹線リレー号は28往復に増発され、。また、この時から特急「谷川」・「白根」・「あかぎ」や、一部の普通列車にも運用が開始されました。普通列車運用では、高崎から軽井沢・中軽井沢までの信越本線普通列車運用に投入され、碓氷峠を越えていたことも特筆されます。この冬には、特急「谷川」が石打まで延長運転されるとともに、スキー客向けの臨時特急「新雪」にも185系200番台が運用されました。翌1983年の夏には、特急「そよかぜ」のうち51号・52号が185系200番台で運用されました。

1985年3月14日に、東北・上越新幹線が上野まで延伸開業したことに伴い、「新幹線リレー号」は廃止されることになりました。これに伴い、それまで「新幹線リレー号」に使用されていた185系は、上野発着の急行の特急格上げに使用されることになりました。この時に、東北本線・高崎線の特急のうち、首都圏近郊を運行範囲とする特急については「新特急」を冠する愛称に変更され、高崎線系統では「新特急谷川」「新特急草津」「新特急あかぎ」、東北本線系統では「新特急なすの」の運行が開始されました。

また、余剰となった200番台のうち4編成は新前橋電車区から田町電車区に転属となり、それまで「踊り子」の一部に使用されていた183系を置き換えました。置き換えられた183系は長野運転所へ転属しました。このときに田町電車区に転属した4編成のうち、1編成は転属前に斜めストライプ塗装に変更されましたが、その他の3編成は横帯1本の塗装のままで使用され、順次0番台と同様の斜めストライプに変更されました。これによって、「踊り子」は全列車が185系によって運行されることになりました。

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リレー号廃止後の転属に備えて斜めストライプの塗装に代わった200番台編成がリレー号で活躍 1985/2/3 上野

1988年3月13日のダイヤ改正では、「新特急なすの」のうち4往復が廃止されたことに伴い「踊り子」増発用に転用されることになり、1988年3月11日付で7両編成×1編成が新前橋電車区から田町電車区へ転属しました。

1990年3月10日のダイヤ改正では、「湘南新宿ライナー」の増発が行われ、田町電車区の185系B編成が運用されるようになりました。東北本線の「新特急なすの」が1往復を除いて快速列車に格下げとなったため、7両編成×2編成が新前橋電車区から田町電車区へ転属しました。

このようにして7両編成7本が田町区に転属となり、2013年3月までB編成群を形成していました。

明日の記事では既にご紹介した「白根」以外の185系200番台による新特急をご紹介致します。

テキストはWikipediaの記事を参考に纏めました。

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2013年7月 7日 (日)

1975年 新潟の旅 14 長野新幹線

今回は長野新幹線です。

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E2系 N1編成 東北・上越系のJ編成とは編成両数と帯の色(J編成はつつじピンク、N編成は真紅)の違いで判別が可能です。 N1編成は1995年6月に試作車として落成したS6編成が1996年12月に車両番号等の変更を、1997年9月に量産化改造を行ったものです。2013/6/22 大宮

長野新幹線は先日の記事中に出てきた整備新幹線5路線のうちの一本として当初は高崎~軽井沢間フル規格、軽井沢~長野間はミニ新幹線として1989年に着工されましたが、1991年の長野オリンピック開催(1998年)決定により、急遽、軽井沢~長野間もフル規格に変更となりました。また、新幹線の開業によって並行在来線の信越本線、横川~軽井沢間は廃止、軽井沢~篠ノ井間はしなの鉄道に経営分離されました。これも初めてのケースでした。

軽井沢駅 - 佐久平駅間(軽井沢駅から約5kmの地点)に新幹線として初めて異周波数の電源を突き合わせたき電区分所(切替セクション)が設けられ、50Hz(東京電力)/60Hz(中部電力)の周波数切換を行っています。

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181系、189系から続く現代の特急「あさま」の姿 E2系 N2編成 2011/10/8 大宮

2014年度中には金沢まで開業する予定ですが、その時点で法令通り「北陸新幹線」で統一するか、JR東日本管内で引き続き「長野」という呼称を併記したり、通称を加えるかについては、2013年3月時点では公式の発表はなされていません。

東京駅 - 長野駅間(一部列車は東京駅 - 軽井沢駅間)に「あさま」号が運転されており、車両はE2系N編成が使用されます。多客期にはE4系による「Maxあさま」も運転されます。Maxあさまは軽井沢駅 - 東京駅間上りのみの運転。

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E2系 N21編成 2011/10/8 大宮
N21編成はJ1編成として登場し、量産改造後N21編成となりました。現在のJ編成も10両化される前はN編成と同じ真紅の帯を巻いていたとのことで、N21編成は登場時から同じスタイルを維持しているのですね。

E2系 N編成はN1~N13, N21の14本が在籍します。

E2系の座席周りのインテリア、サニタリースペースに関しては、座席探訪のサイトの情報が大変参考になると思います。

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E4系 P51編成 軽井沢まで乗り入れ可能 2011/10/8 大宮

E4系のうち、P51・P52編成は30‰の急勾配区間走行に対応し、軽井沢駅まで入線可能です。P81・P82編成はこれに加えて、軽井沢駅 - 佐久平駅間の電源周波数切り替え装置(60Hz対応)を搭載し、長野駅まで入線可能となっています。ただし、関連機器はすべて50Hzでの使用を考慮しているため、長時間の運転や頻繁に入線することはほぼ不可能で、あくまで緊急時に長野駅に乗り入れるためとされています。

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E4系 P82編成 長野まで乗り入れ可能 2013/6/22 大宮

以上、1982年に開業した上越新幹線と1997年に開業した長野新幹線について、Wikipediaの記事を参考にしながら纏めました。新潟の旅シリーズは次回は新幹線が大宮開業だった時点で上野と大宮を結んだ185系200番台による「新幹線リレー号」や上越、両毛、草津方面の「新特急」について触れ、さらにJR東日本として最後の485系特急活躍の場となった特急「いなほ」について触れようと思います。

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2013年7月 6日 (土)

1975年 新潟の旅 14 上越新幹線 その4 E4系

上越新幹線で活躍する新幹線車両、今回はE4系です。

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E4系 P3編成 2011/10/8 大宮

E4系200系の老朽取替とE1系導入後も増え続ける旅客需要に対応するために製造された車輌で、E1系と同様に全車2階建車両で「Max」の愛称が与えられています。1997年12月20日に東北新幹線で営業運転を開始しました。

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                         Maxのロゴ

車体はE1系では普通鋼製でしたが、E4系は車内販売ワゴン用の昇降機の設置など重量増分を補うため大型押し出し型材によるアルミ合金製です。トンネル微気圧波現象および高速走行時の騒音対策で先頭車両の前頭部はE1系よりロングノーズになりました(ノーズ長E1系:9.4メートル、E4系:11.5メートル)。

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E4系 P7編成 2013/6/22 大宮 「かものはし」とか「巨大イカ」とか呼ばれているようですが、2編成16両で走る姿はまさに「万里の長城」 2013/6/22 大宮

E1系同様、2階建車両で床下に各種機器を配置することが困難であるため、床下機器は水タンク、空気圧縮機、主電動機電動送風機にとどめ、主変圧器、主変換装置、補助電源装置は車端部の床上に搭載しました。機器室は室内とは気密壁によって仕切り、気密外としています。

4両(T+M1+M2+T)で1ユニットを構成し、M1車に主変換装置・補助電源装置を、M2車に主変圧器・主変換装置を搭載しました。主回路制御には可変電圧可変周波数制御(VVVF制御)が採用されました。主変換装置 (CI9)は、IGBT素子を使用した3レベルコンバータ+3レベルインバータで構成されています。E1系に対して編成中の電動車の絶対数が減少しているため(E1系:6両、E4系:4両)、故障などの非常時に冗長性を持たせることを目的に、モーター制御を従来の1両単位での制御から台車単位での制御に変更しました。

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E4系 P11編成 8連を1本もしくは併結で走らせることで変化する需要に対応 2011/10/8 大宮

主変圧器(TM209)は強制風冷式を採用し、4,150kVAの容量を備えます。主電動機(MT206)はかご形三相誘導電動機を採用し、E1系よりも連続定格出力を増強した420kWとしました。これによって、編成でのMT比が1:1でありながらも、起動加速度1.65km/h/sとし、E1系より向上させました。電動空気圧縮機はMH1128-C1200Eを採用しました。

最高速度は240km/h。8両編成で定員は817人。2本連結した16両の定員は1,634人で高速鉄道車両としては世界最大級です。E1系の12両編成から8両編成としたのは需要の関係により必ずしも12両編成で運行する必要がないことがあり、逆に輸送需要の多い時間帯の列車については2本連結した16両編成として、需要の多寡に応じた運用を可能とするのと、東北新幹線の場合、「つばさ」・「こまち」といったミニ新幹線車両を併結する場合にプラットホーム有効長などの地上設備が新幹線車両の標準である25m級車両16両分であることから、併結相手の車両運用についても冗長性を持たせるためです。

8両編成中の電動車1.5両(3台車分)をカットした状態で(2.5M5.5Tの状態)、25パーミル上り勾配での起動を可能としています。

東北新幹線・上越新幹線専用のP1 - P22編成と、長野新幹線の一部区間または全線への乗り入れが可能なP51・P52編成、P81・P82編成があり、26編成すべてがデジタルATCに対応しています。

新製時は全ての編成が仙台総合車両所(現在の新幹線総合車両センター)に配置されていました。

1999年4月29日:山形新幹線「つばさ」との併結運転を開始しました。

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E4系 P18編成 E3系 「つばさ」との併結シーン 2011/10/8  大宮 すでに過去のものに

2001年5月7日:上越新幹線での営業運転を開始しました。
 7月22日:長野新幹線の臨時列車「Maxあさま」として、東京駅 - 軽井沢駅間での営業運転を開始しました、

2003年9月15日:長野新幹線東京駅 - 軽井沢駅間における、臨時列車の営業運転から撤退しました。

2005年12月10日:東北新幹線仙台駅以北での定期運用を終了しました。

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E4系 P3編成 2003/1/28 盛岡 盛岡でこの姿が見られたのも今では過去の話に

2012年3月17日:上越新幹線越後湯沢駅以北で16両編成での営業運転を開始、東北新幹線大宮駅以北で16両編成での営業運転が消滅。
 9月28日:東北新幹線大宮駅以北での定期運用を終了。同時に、山形新幹線「つばさ」との併結も終了し、E5系の増備に伴い、東北新幹線大宮駅以北での運用は2012年9月28日をもって終了しました。

2013年4月現在はP1 - P22・P51・P52・P81・P82編成の全編成が新潟新幹線車両センターに配置されており、上越新幹線の「Maxとき」、「Maxたにがわ」にのみ使用されています。

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E4系 P7編成 2005/7/5 東京 このユニークなスタイルの電車が新幹線上から消えるのもそんなに遠い話ではないようです。 2005/7/5 東京

E4系Maxのインテリア、サニタリースペースについては座席探訪のサイトの情報が役に立つと思います。

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2013年7月 5日 (金)

1975年 新潟の旅 14 上越新幹線 その3 E2系

上越新幹線で活躍する車輌、今回はE2系です。

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E2系 J8編成 2013/6/22 大宮

E2系1995年の製造当初より、JR東日本の新幹線標準型車両として位置づけられており、1997年3月22日に東北新幹線で「こまち」と連結する速達「やまびこ」で営業運転を開始しました。同年10月1日、長野新幹線開業に伴い「あさま」での営業運転も開始しました。200系の置き換えも念頭において増備されて来ました。

あさま」用のN編成に関しては長野新幹線の記事で触れますので、今回は東北、上越用J編成について触れようと思います。

2013年3月現在、東北新幹線「やまびこ」・「なすの」の大半の列車(10両編成と16・17両編成の1 - 10号車)、東北新幹線「はやて」(東京駅 - 盛岡駅間)・上越新幹線「とき」・「たにがわ」で運用されています。

大きな特長としては、J編成の両先頭車とグリーン車にフルアクティブサスペンションを搭載したことが挙げられます。これにより振動の少ない快適な乗り心地を実現しています。両先頭車が付随車であり、それ以外の車両(すべての中間車)は電動車となっています。

高速運転時の騒音・環境対策として、トンネル進入時の微気圧波低減のため先頭車両形状の最適化が行われました。車体はアルミニウム合金製で、0番台では、シングルスキン構造を主体に側構体にダブルスキン構造が用いられ、1000番台車両は、全面的にダブルスキン構造を採用しました。

また、パンタグラフから発する騒音低減のためパンタカバーの採用やパンタグラフ自体の改良、プラグドアの採用(0番台車両のみ)などで車体表面を極力平滑化することにより空力音を低減しました。

架線からの単相交流25kVを主変圧器で降圧した上で、主変換装置で単相交流から直流、さらに三相交流へと変換して交流電源とし、その交流電源で主電動機を駆動します。

主電動機に1時間定格出力300kWのMT205形誘導電動機を電動車1両に4基搭載し、この電動機をVVVFインバータにより制御しています。なお、常用ブレーキは電動車の回生ブレーキで付随車のブレーキ力も負担する遅れ込め制御が採用されたことから、付随車には100系・300系・700系電車で採用された渦電流式ディスクブレーキは装備されていません。

M1+M2ユニットを採用し、M1車(E215形・E225形)には主変換装置・補助電源装置・空気圧縮機が、M2車(E226形)には主変圧器・主変換装置・集電装置が搭載される。床下の平滑化による騒音の低減と着雪障害の防止のため、床下機器機器類を収納する簡易ふさぎ板が設けられています。

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E3系を併結して大宮に進入するE2系 J11編成 2011/10/8
Wikipediaを参考に纏めたテキストでは準備工事となっていますが、J11編成は分割併合可のようですね。

現在までに登場時からの0番台(基本番台)とモデルチェンジした1000番台が存在します。

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E2系 J15編成 0番台J編成としては最終の編成 2011/10/8 大宮

0番台 (J50番台未満の編成とN編成を構成しています。)

主変圧器(TM206A)は強制風冷式を採用し、2,875kVAの容量を備え、制御素子は、日立製作所・東芝/シーメンス (SIBAS32) 製のGTOサイリスタ素子、もしくは三菱電機製のIGBT素子を搭載しました。なお、2002年に増備された0番台J編成の7・8号車は、その組み込まれた編成に合わせた制御装置を搭載しています。

1000番台

変圧器(TM210)は強制風冷式を採用し、2,900kVAの容量を備え、制御素子は、東芝製・日立製・三菱製のIGBT素子を搭載しました。

東北新幹線「はやて」での使用が主であるので、周波数切替え装置は省略されました。編成中に4台搭載された補助電源(単相交流50Hz 440V)は、主変圧器から直接給電することにより、機器の簡素化と軽量化を図っています。また、基本的に各ユニットごとに独立しており、故障などの異常時のみ隣のユニットから給電するようにしています。ただし、この場合は負荷軽減のため冷房装置などが一部カットされます。

1000番台(J52編成以降)の増備とともにJ編成10両化が行われました。10両化に伴い増備され、7・8号車に組み込まれたE225形100番台、E226形400番台は外観と車内は1000番台と同様ですが、制御機器などの基本仕様は0番台と共通となっており50/60Hz対応となっています。また、客用ドアの開閉時には告知アナウンスが流れるなど、他の号車とは異なる部分があります。

2005年のJ69編成を最後に増備が一旦終了していましたが、東北新幹線の新青森駅延伸開業を控えた2010年に再開され、J70 - J75編成が製造されました。

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側窓が大きい1000番台から構成されるJ52編成 2011/10/8 大宮

なおJ編成は0番台と1000番台で大きく仕様が異なりますが、0番台と1000番台それぞれの中においても仕様が異なります。

0番台においてはJ2 - J6編成の東京寄り先頭車E223形に分割併合装置は装備していませんが、J7 - J15編成では準備工事済みなので前頭カバーの形状が異なります。またJ2 - J10編成とJ11 - J15編成で台車など足回りが異なります。

1000番台においては、J51編成のみ、両先頭車に分割併合装置が搭載されています。J51 - J53編成ではユニット間の特高圧渡りに直線ジョイントを採用しているが、J54編成以降は4 - 5号車間に傾斜ケーブルヘッドが設置され、緊急時に特高圧引通し回路を切断することが容易になっています。さらに、J70編成以降は車内案内表示器の大型フルカラーLED化、グリーン車の全席と普通車の窓際・最前・最後部に電源コンセントを設置、最前・最後部のテーブルを拡大、読書灯の設置、防犯カメラの設置、車掌と通話可能な非常通報装置の導入、ドア開閉表示灯の点滅機能の追加など、E3系2000番台やE5系に準じた設備に変更されています。

上越新幹線(高崎駅以北)における運用

投入開始

1998年12月から2004年3月までは上越新幹線にもE2系が投入されており、そのうち2002年12月以前はN編成8両編成またはJ編成8両編成(「あさま型車両」で運転と案内)が、その後はJ編成10両編成が使用されました。運転を開始したころはE2系は「ニューあさひ」とも呼ばれ、速達タイプの「あさひ」→「とき」を中心に「たにがわ」にも使用されていました。当時の上越新幹線は環境対策の関係で高崎駅以北(新潟駅方面)で最高速度210km/h以上で運転できる列車の本数に制限があったため、その性能を生かしきれないダイヤで運転される列車にも使用されていました。

200系の記事でも記述しましたが、E2系が投入される以前、高崎駅以北において200系高速対応車(F90 - F93編成)が速達「あさひ」下り列車の上毛高原駅 - 浦佐駅間の下り勾配区間で275km/h運転を実施していましたが、E2系は全速度域での加減速性能が200系より優れるため、最高速度240km/hであっても東京駅 - 新潟駅間の所要時間は200系高速対応車より若干短縮されていました。

上越新幹線からの撤退・運用再開

JR東日本は新幹線の線区別に使用車両を統一する方針であり、少数のE2系を投入することで運用が複雑になることから2004年3月をもって高崎駅以北での運用を終了しました。このため最速達タイプ列車も200系やE4系を使用することに伴いE2系に比べて加速性能が劣ることから東京 - 新潟間をノンストップに変更し所要時間をE2系運行時と同じにしました。

2011年春から東北新幹線にE5系が順次導入されることに伴い、東北新幹線で余剰となるE2系の上越新幹線での活用が検討されていました。その後、2012年11月16日付けのプレスリリースにおいて、2013年1月26日から「とき」4往復・「たにがわ」3往復を200系から本系列に置き換え、最高速度240km/hでの営業運転開始が正式に発表されました。上越新幹線の高崎駅以北では約9年ぶりのE2系復活となった。

2013年3月16日のダイヤ改正より、上越新幹線における最速達タイプ列車がE2系への使用車両変更に伴い再び大宮停車に変更されました。

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E2系 J61編成 2011/10/8 大宮

東北新幹線における高速化実施について

JR東日本では、2010年末までにE954形「FASTECH 360 S」をベースに設計したE2系の次世代車両(E5系)を導入し、東北新幹線大宮駅 - 宇都宮駅間の最高速度を240km/hから275km/hに、宇都宮駅 - 盛岡駅間の最高速度を275km/hから300km/hに向上させることを2007年11月6日発表しました。そして、2012年末にはE955形「FASTECH 360 Z」をベースに設計したE3系の次世代車両 E6系も加わり320km/hを目指すことになりました。

2013年3月16日のダイヤ改正では新青森駅発着の定期列車がE5系に統一され、盛岡駅以北におけるE2系の定期運用は終了しました。

E2系J編成の座席周り、インテリア、サニタリースペースに関しては座席探訪サイトの情報が役に立つと思います。

E2系ベースの車両の中国進出

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CRH2 2009/10/18 上海

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2009/10/16 上海駅

2004年、中華人民共和国鉄道部は第6次在来線スピードアップで最高速度200km/hで運用する車両として、フランスのアルストム社からのペンドリーノベースの車両 (CRH5) とカナダのボンバルディア社からの車両 (CRH1) のほか、日本の川崎重工業など6社による企業連合からE2系ベースの車両を60編成(うち完成品3編成、部品6編成分と一部精密部品。残りは現地生産)を納入することを決定しました。300km/h走行対応準備車。中国向けのE2系は、CRH2と呼称されています。日本の新幹線ベースの車両の国外進出としては、台湾高速鉄道の700T型に次ぐものであり、2006年3月1日に、第一陣となる車両が神戸港から輸出されました。2006年7月31日より青島の四方機車車輛にて国産化が開始されました。なお中国国内で生産された物については中国にて国家科学技術進歩一等賞を受賞しており、「自国の技術」として国際特許を申請したというニュースは我が国でも物議を醸したのは記憶に新しいことです。

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中国版新幹線 CRH2 2011/8/2  北京城東南角楼

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2013年7月 4日 (木)

1975年 新潟の旅 14 上越新幹線 その2 E1系

上越新幹線で活躍した車輌として、今回はE1系について触れようと思います。

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初めてE1系を撮影したのは廃止が迫った2011年10月のことでした。それまでも東京駅等で目撃はしており、デビュー当時の塗装は憶えていますが、記録することなくリニューアルされてしまいました。 2011/10/8 大宮

E1系の開発が開始されたのは東北・上越新幹線が開業して10年が過ぎた、1990年代初頭のことでした。通勤・通学輸送をはじめとする需要増加に対応するべく、速度よりも大量輸送(1編成の座席定員は1,235名)に重きを置いた車輌が必要と考えられたからです。

そのため、全車両が2階建車両とされ、自由席として使用される車両の1 - 4号車の2階座席は車内販売を行わないことを前提に通路幅を極限まで切り詰めることにより、横3+3配列構造を実現しました。Multi Amenity Expressを略したMaxという車両愛称が与えられましたが、試運転の時点ではこの愛称が決まっておらず、暫定的にDouble Decker Shinkansenを略したDDSと形式称号である「E1」が表記されたロゴステッカーが車体側面に貼付されていました。

設計時点では600系の形式番号を付与する予定でしたが、JR東日本が新幹線の車両番号付番方法を変更したため、東日本旅客鉄道株式会社の英文社名表記East Japan Railway CompanyのEast(東)の頭文字を取って「E1系」の形式称号を付与することになりました。そのため、600系は欠番となりました。

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2012/9/21 浮間舟渡

編成記号は「M」でM1 - M6の12両編成6本(72両)が製造され、1994年7月15日から2012年まで営業運転を行いました。

車体は普通鋼製で、JR東日本の新幹線車両の中では1両あたりの重量および編成重量が最も重くなっています。現在のところ最後の普通鋼製新幹線電車でもあります。

2階建車両で床下に各種機器を配置することが困難であるため、床下機器は水タンク、空気圧縮機、主電動機電動送風機にとどめ、主変圧器、主変換装置、補助電源装置は車端部の床上に搭載しました。機器室は室内とは気密壁によって仕切り、気密外としました。

メカ的には4両(T+M1+M2+T)で1ユニットを構成し、M1車に主変換装置・補助電源装置を、M2車に主変圧器・主変換装置を搭載しました。主回路制御にはJR東日本の新幹線電車では初めて可変電圧可変周波数制御(VVVF制御)が採用されました。主変換装置 (CI2)は、GTOサイリスタ素子を使用した2レベルコンバータ+2レベルインバータで構成されています。

側面の行先表示機はLEDを採用し、表示は列車種別・指定席/自由席と行先を交互に表示する方式となりました。この方式はこれ以後のJR東日本の新幹線車両の標準ともなりました。

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2012/9/21 浮間舟渡

1994年の営業開始時点では仙台総合車両所(現在の新幹線総合車両センター)に配置され、東北新幹線では東京駅 - 盛岡駅間の「Maxやまびこ」2往復および那須塩原駅 - 東京駅間の「Maxあおば」上り1本、上越新幹線では東京駅 - 新潟駅間の「Maxあさひ」2往復および高崎駅 - 東京駅間の「Maxとき」上り1本に運用されました。なお、東北新幹線運用は毎週水・木曜日は車両検査のため全列車が運休し、200系が代走しました(M3編成が増備された翌1995年3月に解消しました)。

その後、東北新幹線では途中駅において分割・併合を行う列車が増えたことから、全車2階建車両ですが他系列などとの相互連結を考慮して8両編成としたE4系を投入し、1998年12月8日のダイヤ改正からは東京駅 - 仙台駅間の「Maxやまびこ」1往復のみとなり、同時に仙台駅 - 盛岡駅間で定期運用から撤退。そして1999年12月4日のダイヤ改正をもって東北新幹線大宮駅以北でのE1系の運用は消滅し、全編成が新潟新幹線第一運転所(現在の新潟新幹線車両センター)に転属しました。

リニューアル

E1系のデビューから10年近くが経過し、内装の陳腐化が目立ち始めたことなどから、2003年度から2006年度にかけて内外装のリニューアルが施工されました。車体塗装はE2系、E4系と同様白と青の2色を中心に境目に「朱鷺(とき)色」と称されるピンクの帯を配したものに変更されました。あわせてロゴにも朱鷺のイラストが加えられました。

座席は、グリーン車はE2系1000番台のもの、普通車はE4系のものに交換されています。自由席車(1 - 4号車)2階部分の3人掛け座席のうち中央の座席の背もたれ部分にくり抜かれていた肘掛けの代用品も廃止となりました。

東北新幹線および上越新幹線のデジタルATC (DS-ATC) 採用に伴って、全編成に対してDS-ATCへの改造も実施されました。

2011年12月16日付のJR東日本プレスリリースにおいて、2012年3月17日のダイヤ改正で東北新幹線向けにE5系が増備され、それによって運用の余裕が出たE4系で運用を置き換えることが発表されました。これに伴い、越後湯沢駅 - 新潟駅間(ガーラ湯沢駅を除く)ではホームの延長工事が実施され、上越新幹線全区間にてE4系2本連結(16両編成)での運転が開始されることとなりました。

2012年4月、M1・M2の2編成が廃車となり、残るM3 - M6の4編成は引き続き上越新幹線の「Maxとき」(4往復のみ)および「Maxたにがわ」(2往復のみ)で運用されていました。

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2011/10/8 大宮

2012年7月6日、JR東日本の同日付のプレスリリースで、2012年9月29日のダイヤ改正をもって上越新幹線内のE1系運行列車をE4系2本併結(16両編成)に置き換え、E1系による全ての定期運用を終了するが発表されました。下り定期運行最終列車は「Maxとき343号」、上り定期運行最終列車は「Maxとき348号」でした。

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2013年7月 3日 (水)

1975年 新潟の旅 14 上越新幹線 その1 200系

1975年新潟の旅シリーズ、これまでは1982年の上越新幹線開業で活躍の場を追われた183系1000番台1997年の長野(北陸)新幹線開業で追われた189系について触れてきましたが、今回から数回に渡って、上越、北陸(長野)新幹線について触れて行きたく思います。

自分自身の乗車体験として、上越新幹線は1983年頃、秋田からの帰りに新潟~東京間で一度、2005年に新潟出張の際に上野~越後湯沢間で一度乗ったのみで、長野新幹線に至っては乗ったことすらまだありません。在来線の碓氷峠越えの経験は結構あるのですが。

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2007年5月リバイバルカラーとして登場時の塗装に戻されて活躍した200系 K47編成 2011/10/8 大宮

<上越新幹線について>

上越新幹線は全国新幹線鉄道整備法に基づく新幹線鉄道として初めて『全国新幹線鉄道整備法第四条第一項の規定による建設を開始すべき新幹線鉄道の路線を定める基本計画』(1971年運輸省告示)に盛り込まれた3線のうちの一つです(残り2線は東北新幹線と成田新幹線でした)。

余談ですが、よく耳にした整備新幹線とは全国新幹線鉄道整備法(昭和45年法律第71号)第7条に基づき、日本政府が1973年11月13日に整備計画を決定した以下の5線の新幹線のことです。

北海道新幹線:青森市 - 札幌市 360km
東北新幹線:盛岡市 - 青森市 179km・開業済み
北陸新幹線:東京都 - 大阪市(長野市・富山市付近経由) 600km
九州新幹線 鹿児島ルート:福岡市 - 鹿児島市 257km・開業済み
        長崎ルート(西九州ルート):福岡市 - 長崎市 118km

1971年に基本計画の決定・整備計画の決定を経て着工。起点は元々の計画では新宿が起点でしたが、変更されました。当初は、5 - 6年ほどで全線開業の予定だったが、折からのオイルショックの影響で建設費が高騰するなど、計画は大きく乱れました。

1973年4月26日から、戸田市・さいたま市(当時は与野市・浦和市)などで非常に大規模な反対運動が発生しています。工事地内への居座り行動・デモ行進・国鉄説明会打ち切りなどが実施され、東北・上越新幹線の騒音対策や埼京線の快速停車駅数など地元の要望が実現化するきっかけとなりました。

1979年3月20日には建設工事中だった大清水トンネルの保登野沢工区で火災が起き、16名の死者を出しました。そして、中山トンネル工事中に2回の異常出水事故が発生しました。迂回のトンネルを掘るなど工事は難航し、東北新幹線開業よりも5か月遅れの1982年11月15日の開業となりました。

上野 - 大宮間 (27.7km)開業(1985年3月14日)、東京 - 上野間の開業(1991年6月20日)に伴い順次運転区間を延長しました。

線籍上は東京~大宮間は東北新幹線で、越後湯沢 - ガーラ湯沢間は、冬期間のみ営業する区間で、新幹線車両しか乗り入れませんが、線籍上は上越線の支線で在来線扱いとなっています。

最高速度は全線で240km/h、大半の区間が直線主体の線形であるため、最高速度での走行が可能です。ただし、高崎 - 上毛高原間の「中山トンネル」については建設時に異常湧水などに悩まされる難工事となり、結果的に当初計画から大きく迂回するルートに変更せざるを得なくなり、その関係で急曲線が介在する線形となったため、同トンネル付近では160km/hの速度制限を受けます。

路線データ

路線距離(実キロ):269.5km(営業キロは303.6km)
駅数:10(起終点駅含む、このうち上越新幹線単独駅は2駅)
電化区間:全線(交流25,000V・50Hz)
保安装置:ATC(DS-ATC)
運転指令所:JR東日本新幹線運行本部 総合指令室
列車運行管理システム:新幹線総合システム(COSMOS)
構造種別延長割合 路盤 1%、橋梁 11%、高架橋 49%、トンネル 39%

列車名の変遷

1982年の開業当初は東海道・山陽新幹線に倣って、「ひかり」に相当する速達タイプを「あさひ」、「こだま」に相当する各駅停車タイプを「とき」としていました。

1997年10月1日、JR東日本は、北陸新幹線(長野新幹線)の開業に合わせて東北・上越両新幹線の列車名を運行区間別とする愛称の再編を行いました。東京 - 新潟間の列車はすべて「あさひ」、東京 - 高崎・越後湯沢間の列車はすべて「たにがわ」とし、「とき」の愛称は東北新幹線の「あおば」と共に一旦消滅しました。

しかし、長野新幹線「あさま」と「あさひ」は一文字違いで紛らわしく、誤乗も発生したため「あさひ」の愛称は2002年12月1日のダイヤ改正で廃止され、「とき」の名称が5年ぶりに復活しました。新幹線の列車名が復活したのはこれまでのところ唯一のケースだそうです。

「とき」、「Maxとき」

現在のパターンでは東京 - 新潟間、越後湯沢・長岡 - 新潟間で運行される上越新幹線の主力列車です。最速達列車で、途中大宮のみ停車する列車もあれば、全区間各駅に停車するタイプも存在します(号数はすべて300号代)。「Maxとき」はE4系にて運転されます。

「たにがわ」「Maxたにがわ」

「たにがわ」・「Maxたにがわ」は、東京 - 高崎・越後湯沢間で運行される近距離列車で、各駅に停車します。使用車両は、「たにがわ」がE2系、「Maxたにがわ」がE4系で運転されます。

営業運転に使われた車輌、今回は200系です。

200系1982年の東北新幹線および上越新幹線の開業に合わせて、962形試験車を基本として量産化され1980年に発表されました。100系1985年登場)よりも発表が早いにもかかわらず系列・形式番号が200系と大きいのは、200系の登場当時の付番体系が、東北・上越新幹線系統の車両の百の位には偶数を、東海道・山陽新幹線系統の車両の百の位には奇数を与えるようなものだったためだそうです。

系列番号が定められた新幹線電車は200系が最初で、後に0系と呼ばれることとなる東海道新幹線の新幹線車両にはその当時は系列番号がつけられておらず、単に「新幹線電車」が正式名称でした。同系列は200系の登場により初めて「0系」と命名されました。

200系の総生産両数は700両でした。

落成時の営業最高速度に従って番台が区分されました。具体的には、1980年から製造された0番台は営業最高速度が210km/hであるのに対し、1983年以降に製造された1000・1500・2000番台では、いずれも240km/hとなっています。 なお、0番台の中にも240km/hおよび275km/hの走行対応が可能なように改造された車両が存在しました。

デザインは0系から派生したもので、0系との違いは、車体下部まで一体のボディーマウント構造とし、機器をボディー内に配置することで耐雪・耐寒性を向上させたことです。0系と同様に普通鋼製車体のままこの構造を採用すると重量が過大となることから、200系の車体はアルミ合金製となりました。200系は、951形を設計のベースとし、各種金属素材を組み合わせることで構体重量7.5t(0系比3tの軽量化)を実現しました。ただし後年登場した2階建て車両(248形・249形)は、製造コストや電動機非搭載の観点から普通鋼製となりました。

電動機を冷却する際に、外気とともに取り込んだ雪を分離するために、雪切り室が設けられました。先頭部のスカートはスノープラウと一体化した形状であり、豪雪地帯を走ることから、線路面上に積雪があっても支障なく走行出来るよう設計され、確認試験も行われました。

車体塗装は、クリーム色をベースに窓の部分に緑14号の帯を配しました。この色使いは寒冷地を走行するため雪解けの新芽のイメージから選んだとされています。登場時には「緑の疾風(みどりのはやて)」の愛称がありました。

<編成の種類>

E編成

12両編成、0系タイプの前面形状。東北・上越新幹線開業開始と同時に投入された編成です。210km/h走行対応。開業直後に仙台第一新幹線運転所と新潟新幹線第一運転所にそれぞれ18編成ずつの計36編成(E1 - E36編成)が配置されました。

1980年から製造された0番台のE1 - E36編成と、1983年に製造された1000番台のE37 - E39編成で構成されます。1000番台のE37 - E39編成はすぐにF1 - F3編成に改名されました。E37 - E39編成は落成時に既に後のF編成に準拠した性能を持っていました。

F編成登場後は240km/h対応ATC改造や特高圧引通しといった対応工事を施したうえで車両番号そのままにF編成化されたり、短編成化されてG編成を組成しました。1993年9月にF編成組み換え改造が完了したことに伴い消滅しました。

F編成

1983年11月にデビュー。12両編成、0系タイプの前面形状でしたが、一部(F5, F8, F40編成)はK編成用の先頭車両捻出のために100系タイプ(先頭車化改造の200番台)に置換されました。240km/h走行対応。6 - 10次車グループの1000番台・2000番台で構成されました。
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東海道新幹線の100系のような顔をもった1500番台先頭車のF5編成  2003/2/11 小山

1985年にはF4 - F21編成が増備されました。これは両先頭車の構造が改良され、1500番台を名乗りました。中間車は1000番台のまま変化はありませんでした。また、同時にE編成7本 (E30 - E36) に240km/h対応を施してF編成 (F51, F52, F61 - F65) に繰り入れられました。F61 - F65編成は当初ATC改造のみだったため、高圧引き通し工事終了後にF53 - F57編成に改番されました。このあともE編成からF編成への改造が進み、最終的にはF1 - F21, F30 - F43, F51 - F59編成までになりました。

100系タイプの2000番台先頭車がF52,F58編成に組み込まれ、F42編成にはピンストライプが入った100系タイプの200番台先頭車が組み込まれました。

主に東京駅 - 盛岡駅間の「やまびこ」で使われていましたが、H編成とともに2004年3月13日のダイヤ改正で定期運用を終了しました。

F80編成

12両編成、0系タイプの前面形状。240km/h走行対応。F17編成を改造して付番されたものです。車両番号に変化はありません。

1998年2月の長野オリンピックの臨時輸送用に、長野新幹線乗り入れのための発電ブレーキ容量増大・電源周波数50Hz/60Hz切り替え装置を搭載しました。また、市販の時刻表においては「200系車両で運転」の注釈がありました。電源周波数切り替え装置は臨時輸送終了後に撤去されています。

2004年6月18日付けで廃車となり、200系による長野新幹線乗り入れ可能車両は消滅しました。

F90番台編成

12両編成、0系タイプの前面形状。上越新幹線下り上毛高原駅 - 浦佐駅間で275km/h走行に対応するためにF54, F59, F14, F16編成を改造して付番されたものです。車両番号には変化はありません。

F90 - F93編成の4編成が在籍していました。
ATCの240信号を275に読み替えるトランスポンダ搭載
72%弱め界磁回路の追加 概ね、210km/h以上の速度で弱め界磁制御が行われました

275km/hからの7ノッチフルブレーキによる抵抗器の温度上昇を防ぐため、ブレーキカム軸進段停止装置の追加
ブレーキ距離確保のために、ブレーキパターンを変更
222形運転台の計器板をデジタル化、信号「240」の「245」読み替え 275km/h運転を実施するのは下り列車のみなので、その時の運転台となる222形のみ実施

6, 8号車のパンタグラフを撤去し、通常時では4, 10号車のパンタグラフのみで対応
パンタグラフ数の減少に伴い、集電容量向上のためにパンタグラフの導線を交換
騒音低減のためにパンタグラフと特高圧引き通し線部分にカバーを装着 
騒音低減のため、運転台側窓を平滑化
台車車輪検査の厳格化 車輪径は通常は910mmであり、磨耗などで850mmまで減少されると交換となりましたがF90番台編成は880mm以下での交換となりました。

発電ブレーキの容量増加
基礎ブレーキディスク圧力の向上とブレーキディスクとライニングの材質の変更(鋳鉄 → 鍛鉄)
空転・滑走検知装置の出力調整の変更

1997年3月22日500系が山陽新幹線で最高300km/hでの営業運転を開始するまで、日本の営業列車としては最高速の275km/hでの運転を行っていました。ATCの信号現示が200系F90番台編成の場合は「275」、300系の場合は「270」であることから1992年に営業運転を開始した300系より速かったと言われています。なお、この275km/h運転時には越後湯沢駅に停車することができませんでした。

275km/h運転は1999年12月4日まで続けられました。2002年にまず、F90, F92編成が廃車され、同年に東北新幹線開通20周年記念として「想い出のあおば号」がF93編成によって運行されました。その後、残ったF91, F93編成も2004年に廃車となり、200系での275km/h走行編成は消滅しました。

G編成

上越新幹線の「とき」(当時は各駅停車タイプ)や東北新幹線の各駅停車タイプの「あおば」(1997年に消滅)の利用率の状況から、E編成の一部を10両編成に減車した編成です、後に8両編成に短縮されました。全車0系タイプの前面形状。

H編成

1990年代の東北新幹線のフラッグシップ車両として、「スーパーやまびこ」の通称で親しまれた東京駅 - 盛岡駅間の速達「やまびこ」を中心に使用された編成です。

100系タイプのシャープな前面形状の先頭車両(H3, H4が2000番台、他は先頭車化改造の200番台)・100系に似た側面の緑のピンストライプ塗装・2階建て車両を2両組み込んだ16両の長編成が特徴で、F43, F57, F52, F58, F42, F55編成を元としたH1 - H6までの6編成が組成されていました。ただしMM'ユニットの構成上、2階建て車両が100系(8・9号車)とは異なり9・10号車となっていました。245km/h走行対応。

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200系 H1編成 2005/2/11 小山

東北新幹線の歴史上では現在まで唯一の貫通16両編成ですが、当時最長12両編成対応だった上越新幹線に入線することはできませんでした。2階建て車両にはグリーン席・普通個室およびカフェテリアが備えられていました。

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221-201を最後尾にした往年の東北新幹線フラッグシップ編成 H1 2005/2/11 小山

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         100系を模したピンストライプ塗装とトップナンバーの車体番号

K編成

10両編成。2013年まで唯一残存していた編成であり、すべての先頭車が0系タイプの前面形状。240km/h走行対応。400系およびE3系併結用連結器および自動解結装置搭載。秋田新幹線との連結運用は1999年12月4日まで、 山形新幹線についても2001年9月20日までK編成による連結運用が設定されていました。

<車体更新>

1990年代後半に入ると多くの車両が耐用年数とされる15年を迎えていましたが、経済情勢もあって全ての200系を短期間で置き換えるのは困難でした。そのため、1999年から2002年にかけて、E2系への置き換えと並行してK編成の一部(K21・K25・K26・K41 - K44・K46 - K49・K51編成)について10年程度の使用を考慮した延命工事が施工されました。

普通車座席をE4系と同等な回転可能なものに、グリーン車座席をE2系と同等なものに交換

天井パネル・照明グローブ・腰板・床敷物などの内装を大きく変更
客室妻部に情報案内装置を設置
窓ガラスのグリーンガラス化と窓キセがロールカーテン内蔵のFRP製に変更
便所が洋式・和式併設にされ、洗面所および便所手洗浄器をセンサー式に変更
運転台周りのガラスを滑らかな曲面形状のものに変更
骨組など力のかかる部分の補強
台車枠および枠ばりをすべて新品に交換
信頼性維持のためプリント基板など劣化した電子部品の交換
車体塗装はE2系に良く似た「飛雲ホワイト」と「紫苑ブルー」のツートーンを基調に、境界部に「200系を表す」緑色の帯が入るカラーリングに変更
行先表示板を発光ダイオード使用のものに変更

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リニューアル塗装の200系 K21編成 この編成は2012/1/26に廃車になりましたが、編成内には初期車が組み込まれており、リニューアルを受けつつ30年近く運用されていたそうです。

<新潟県中越地震による影響>

2004年10月23日17時56分頃に発生した新潟県中越地震では、新潟・群馬県内で7本の列車が被災し、うち2本は運転を再開しましたが4本は停電などで動けなくなりました。中でも東京発新潟行のとき325号(200系K25編成・10両編成。2005年3月25日廃車)は時速約200kmで走行中、長岡駅の手前約5km、滝谷トンネル先の地点で10両中8両が脱線しました。1964年10月1日の東海道新幹線開業以来、日本国内の新幹線史上初の営業運転中の脱線事故となりました。

地震発生当時、同列車は長岡駅への停車のため、約 200 km/h に減速して走行中でしたが、早期地震検知警報システム「ユレダス」による非常ブレーキが作動し、脱線地点から約 1.6 km 新潟寄り、長岡駅の東京寄り約 5 km の地点で停車しました。

7,6号車を除く8両が脱線したものの、軌道を大きく逸脱せず、逸脱した車両も上下線の間にある豪雪地帯特有の排雪溝にはまり込んだまま滑走したおかげで、横転や転覆、高架橋からの転落を免れました。温暖地などの排雪溝が無い普通のスラブ軌道や、東海道新幹線などのバラスト軌道でなかったことが幸いしたとも言えます。また、先頭の10号車の台車の部品と脱線した車輪がレールを挟み込む形になったため大きく逸脱しなかったこと、脱線地点がトンネルや高架橋の支柱などに被害が生じた区間ではなく、ほぼ直線であったこと、対向列車がなく二次事故が起きなかったことなどの幸運が重なり、乗客乗員155人に対し、死者・負傷者は1人も出ませんでした。さらに、新幹線200系電車がボディーマウント構造であることが、先頭車(10号車)の台車部品と脱線した車輪がレールを挟み込んだ形で停止することに貢献したという指摘もあります。

被害は最小限に食い止められましたが、脱線箇所が高架上であった上に、この事故の原因となった新潟県中越地震は余震が多発したため、脱線車両の撤去作業が難航し、11月18日になってようやく事故車両は撤去されました。脱線車両は損傷がひどく、2005年3月25日を以って全車廃車となりました。この事故によって、廃車予定だったK31編成が廃車されず、しばらく代走することになり、その後代替としてE2系J69編成が製造されました。

なお、事故車両は事故の歴史展示館に、事故の資料として保存されることになっているそうです。

この地震の影響で浦佐 - 長岡間の高架橋・トンネルなどの設備が損壊し、越後湯沢 - 新潟間が不通となりました。このため、10月31日から不通区間に代行バスを運行する一方、応急補強工事(トンネル5本の復旧作業、高架橋の耐震補強工事)が実施されました。長岡以北の区間については、EAST i を送り込めないため、京浜急行電鉄から借用した軌道検測車を陸送して軌道状態を点検した後に運行を再開しました。地盤が隆起した魚沼トンネルと妙見トンネルについては、いったん軌道を撤去したうえで岩盤を削るなど新線敷設と同様の工事が行われましたが、年末年始の帰省ラッシュに間に合わせる形で2004年12月28日に全線で運行を再開しました。

復旧後も当面は越後湯沢 - 燕三条間で70-110km/hの徐行運転を実施する区間があるため、通常ダイヤを基準に越後湯沢以北で15分前後の遅着(下り)・早発(上り)させる特別ダイヤが編成されました。なお、2005年1月22日には通常ダイヤとのずれが5分前後に緩和され、3月1日からは通常のダイヤに戻っています。また、その他の道路交通も寸断されたため、羽田空港と新潟空港を結ぶ航空便も臨時開設されました。

200系は東北新幹線E5系の増備で余剰となったE2系・E4系への置き換えにより、2013年3月15日をもって定期運用を終了しました。

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2013年7月 2日 (火)

休日おでかけパスで小田原へ その2 新幹線を撮影 N700系編

小田原での新幹線撮影、今回は現代の主力であるN700系です。

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小田原を通過するN700系 Z7編成下り列車

N700系には東海道・山陽新幹線用の0番台・1000番台・3000番台、山陽・九州新幹線用の7000番台・8000番台があります。0番台・3000番台は300系500系を置き換える次期主力車種として、2007年7月1日のダイヤ改正から営業運転を開始し、7000・8000番台は2011年3月12日の九州新幹線博多駅 - 新八代駅間延長開業、山陽・九州新幹線の直通運転開始と同時に営業運転を開始し、改良型のN700Aと呼称される1000番台は2013年2月8日から営業運転を開始しました。東海道新幹線では0系から数えると、100系、300系、700系、N700系と五代目になるのですね。

個人的な印象ですが、700系の外観がカモノハシに似ているとするならば、N700系の外観は1950年代のクラッシックカーかなと感じております。

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                       N700系のロゴ

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小田原駅を通過し、小峰トンネルに入って行くZ14編成

開発当初は700Nと称しN700系は通称でしたが、2004年5月28日にN700系が正式な形式称号に決定した、と発表されました。数字の前に表記される N は new や next などの意味を込めた、と説明されています。

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Z23編成

編成記号は、JR東海所有の16両編成がZ、N700Aの16両編成がG、JR西日本所属車は16両編成がN、8両編成がS、JR九州所属車(8両編成)がRで、車両番号はZ編成が0番台、G編成が1000番台、N編成が3000番台、S編成が7000番台、R編成が8000番台に区分されています。

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上り列車の接近 Z67編成

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上り列車 Z18編成の通過 後追い

2007年7月1日のダイヤ改正までに6編成96両(Z編成5本〈Z1 - Z5〉・N編成1本〈N1〉)が落成し、営業運転を開始しました。

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「こだま」運用で小田原に停車するZ53編成

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小田原に停車する上り列車の入線 Z16編成

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同列車の発車 後追いシーン
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JR西日本のN700系 N7編成 700系B編成のような独自のロゴは無いようですね。 2009/3/21 大高

<N700系1000番台 N700A>

2011年5月、JR東海は700系の老朽取り替え車として、改良型となるN700系1000番台(通称「N700A」、「A」はAdvancedの略)を投入することを発表し、2012年8月21日に落成第1編成が公開されました。現行の0・3000番台をベースとしており、外観もほぼ同じですが、安全性・定時制の確保、環境性能・乗り心地の観点からいくつもの改善が行われています。

・空圧油圧変換式ディスクブレーキの車輪と車軸のブレーキディスクのボルト締結を内周締結式から中央締結式に変更することで、制動距離を削減。
・台車振動検知システムの採用。
・定速走行装置を搭載。
・従来はグリーン車だけに採用されていた吸音床構造を普通車にも採用。さらに、グリーン車の内壁には新たに制振パネルを搭載することで、さらなる静音化を図っています。
・座席の背もたれのヘッドレストの改良。
・トイレや洗面室の電灯をLED照明に変更するなどの省電力化。などです。

外観上の区別のため、車体横にはAdvancedの「A」をあしらったロゴマークが刻まれています。

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5月に田町で偶然見かけたN700A編成 2013/5/5

2012年度に6編成、2013年度に7編成の計13編成を製作して700系を置き換える計画です。さらに2014年度から2016年度末にかけ毎年度6編成ずつ、計18編成を追加投入する計画です。新たにトイレ便座に温水洗浄機能を加えとのことです。これにより2016年度末にはN700Aが31編成、0番台が80編成となり、JR東海の新幹線車両全体の8割以上がN700系およびN700Aとなる予定です。

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今年度製造されたN700A G7編成の通過

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N700A G7編成 サイドのロゴと編成番号以外にN700系とは見分けはつかないようで。

営業運転開始は2013年2月8日。一番列車は、「のぞみ203号(G3編成)」と、「のぞみ208号(G2編成)」で、東京駅と新大阪駅において、それぞれ出発式が行われました。なお、N700Aは限定運用ではなく、N700系と共通運用を行っています。当初は東海道区間のみの運用でしたが、2013年3月16日ダイヤ改正より山陽新幹線への乗り入れも開始されました。JR西日本も、平成25年12月頃にN700A(N700系4000番台)を1編成投入する予定とのこと。

小田原駅で撮影をして、通過する列車の撮影をする上でのベストポジションはホーム中央付近かなと思いました。ただこの場所は小田原に停車する上り列車が入線している場合は撮影出来ません。入場券の有効時間2時間と、小田原停車列車による撮影不可能な時間を考慮すると、通過列車を狙えるチャンスというのは思ったよりも少ないと言うことが今回の実地体験で分かりました。

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小峰トンネル内ですれ違う新幹線列車

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         新幹線ホームからは小田原城の天守閣も見えます。

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駅北口には北条早雲公の像もあり、新幹線ホームから真っ正面に見えます。

以上、小田原駅での新幹線その他の写真をご紹介致しました。

東海道新幹線の場合、東北、上越系等に較べると現在はバリエーションという意味では少ないので、今度は「黄色い電車」の走るのを狙って撮影に行こうかと思います。

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2013年7月 1日 (月)

休日おでかけパスで小田原へ その2 新幹線を撮影 700系編

小田原への旅、今回は本来の目的だった新幹線撮影です。

小田原駅新幹線ホームが東海道新幹線の好撮影地であることは以前から知ってはいたのですが、なかなか訪れることができずにおりました。今回が初体験です。もっとも東海道新幹線の東京、名古屋、京都、新大阪以外の駅で撮影をするのは1976年3月、浜松駅で0系を写して以来かもしれません。

上り、下りの対面式ホームの間に本線と発着(待避)線といった構造ですが、東京側からみて、左にカーブしているため、編成全体を写すのであれば、アウト側の上りホームが良いことがすぐ分かりました。

停車するのは「こだま」と一部の「ひかり」で「のぞみ」は通過線を270km/h近いスピードで通過します。名古屋よりには小峰トンネルがあり、トンネルの出入りを絡めた撮影も出来ます。

今回は既に引退した車輌も出始めている700系です。

まずは、「こだま」の発着シーンから。

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上り「こだま」の700系B11編成の入線シーンです。

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こちらはC50編成の出発、後追いシーンです。

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700系が登場したのは1999年とのことで、既に14年が経過し、今はメインが「こだま」運用というのですから新幹線の世界の車輌のターンオーバーの速さには驚かされます。700系登場時には300系の改良型ということでN300という「仮称」があったそうですが、採用はされなかったとのことです。

3つの編成グループがあり、JR東海のC編成、JR西日本のB編成とE編成(レイルスター)です。C1編成が試作車で9000番台、量産形が0番台、B編成が3000番台、E編成が7000番台を名乗り、C編成はC1(当初はC0)~C60、B編成はB1~B14まで、E編成はE1~E15まで新製され、C編成のC11~C18はJR東海からJR西日本に移籍し、N700Aの登場でC4を皮切りにC1,C2,C3,C5が既に廃車されています。300系が既に引退しているのですから、700系が引退というのも時代の流れなんですね。C編成は主に、最高速度の遅かった0系100系の置き換えのため増備され、B編成は西日本の100系(グランドひかり)の置き換えのための増備でした。

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既に鬼籍に入ってしまった在りし日のC3編成 名古屋 2008/9/6

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700系 レイルスター E15編成 2005/7/8 新大阪

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700系下り列車の入線シーンです。C12編成
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後ろが切れてしまったショットですが、B7編成下り列車の入線。 サイドのロゴでB編成と分かります。

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C12編成下り列車の出発、後追いシーンです。

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こちらは上り東京行き列車、C22編成の出発シーンです。ホームのカーブのため、先頭部は切れてしまいました。

700系「ひかり」運用かと思いますが、小田原を通過する列車は存在し、

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このように通過線を通過して行く編成(C52)もありました。これは上りホームの端付近で写したものですが、どうしても標識が車体に被ってしまいます。

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同列車の後追いシーンです。

といったわけで、今回は700系の撮影記録をご紹介致しました。

ついこの前デビューしたと思っていた独特のカモノハシの形状をした700系も今後、N700Aが増備されると数を減らして行くのでしょうか。

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