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2013年8月 3日 (土)

1975年 新潟の旅 23 碓氷峠の補機 EF63 その4

EF63形電気機関車、今回は第三次車です。

Ef63_24_000000
169系を推進して、熊の平を通過する24号機重連

番号    メーカー     予算           製造年   廃車

22, 23             昭和49年度第1次債務  1974年   

     川崎重工業                                                        1997年
     富士電機         

24, 25           昭和50年度第2次債務    1976年

1974年と1976年に増備されたグループです。

形態的にはナンバープレートがブロック式に、尾灯が外ハメ式に変更されました。これは同時期に製造された電気機関車、例えばEF65形1000番台ED76形EF81形でも見られた変化です。
水切り形状も再度変更されました。碓氷峠を通過する気動車運用は無くなったため、気動車用ジャンパ連結器は未装備となりました。
24・25は、1975年5・9が脱線大破事故で廃車となったため、補充代替として1976年に急遽製造された。22・23の主電動機送風機は20と同じ試作型送風機、24・25は21と同じ音域の低い送風機が装備されていました。

Ef63_24
尾灯の形がそれまでと異なる24号機 189系特急「あさま」のエスコート仕業に

<信越線軽井沢 - 横川間回送機関車脱線転落事故>

上り線で、単行機関車列車(回送列車)列車番号単5462列車(4両編成、EF63 5, 9+EF62 12, 35)が下り勾配でブレーキが利かなくなり、スピードが超過したため、脱線転落した事故。乗務員3名が重軽傷を負いました。

事故がおきたのは、1975年10月28日の午前6時16分ごろです。信越線上り線第一トンネル内で暴走し、出口付近で脱線した後、転覆・転落しました。

この区間は、最大66.7‰R350の急勾配、右カーブのため、下り勾配を走行するEF63は、抑速ブレーキを作動させながら、列車が過速度で暴走しないように下りて来ます。最高速度は旅客列車40km/h, 貨物列車25km/hに制限されており、機関車の回送列車である当該列車は貨物列車と同じ扱いで25km/hの制限によって走ることになっていました。ところが何らかの原因でこの過速度検知装置 (OSR) が正常に作動しなかったものと見られ(機関士が誤って旅客列車側にスイッチを入れていたとの説もあります)、制限速度を大幅に超過して坂を下り、トンネル内壁に傷をつけるなど暴走した後に脱線・転覆しました。

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489系上り特急「白山1号」をエスコートして熊の平のトンネルから出てきた25号機他重連

この事故の際、機関士は最終手段である電機子短絡スイッチによるブレーキも使用していましたが、それでも下り坂で暴走する列車を止めることはできなかったとのことです。急勾配の恐ろしさを関係者に知らしめた事故でありました。
この事故により、EF63全車両に設置されている過速度検知装置 (OSR) をより強固なものに変更する検討がなされましたが、過密ダイヤをさばくには横川駅付近の緩勾配区間を速やかに通過することが求められました(この付近ではOSRを切って運転される)ため、強制的な速度制限機能の付加は見送られました。

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引退後も短距離走行ではあるものの動いている25号機 2005/8/16 碓氷峠鉄道文化村

ちょうど、私が1975年11月の水上、柏崎方面の旅行に出かける、一週間前の出来事でした。

1970年代から80年代にかけての碓氷峠での撮影は両親が遺した北軽井沢にある別荘への往復で立ち寄った際に撮影したものですが、両親の没後、行くことも殆どなくまた碓氷峠自身が廃線となった今日ではますます足が遠のいてしまいました。

碓氷峠鉄道文化村や地元自治体に碓氷峠の鉄道復活の動きがあるというニュースも聞いていますが、観光鉄道として復活できれば嬉しいものの、そこにいたる道のりは結構険しいのかなとも感じます。

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コメント

こんばんは。
碓氷峠のお写真、懐かしく拝見しました。
ここが信越本線の隘路になっていたのだとは思いますが、車窓の変化や駅での一休みの時間などの旅の余裕を含めて、失うのは本当に惜しい鉄道の風景でした。
普通列車も機関車にエスコートされて急勾配を昇り降りしていましたね。最末期に訪ねたことがあり、その時には3両編成の115系に重連の機関車が付いているのを見て、この峠の厳しさを知りました。
今は、鉄道の展示があるそうですが、横川駅に設けられた車止めを見ていると、どうにも寂しく、そこへ旅しようとの気持ちにはならなくなってしまいます。鉄道はやはり見せ物ではなく、現役の社会インフラであって欲しいと思ってしまいます。
今後とも、宜しくお願い致します。
風旅記: http://kazetabiki.blog41.fc2.com/

風旅記さま、おはようございます。

お久しぶりです。
最近、昔の鉄道雑誌、書籍を見返していて、便利にはなっているけれど、多様性がなくなり、鉄道旅の面白みが無くなってしまったと思いますね。

イベントなどでは再現できない、日常の風景の喪失は残念ですね。

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