2013 夏 新潟の旅 1 プロローグ
しばらく間が空きましたが、blogを再開します。
8月6日の夜、つくばを出発し、新宿より夜行バスで新潟へ、7日朝到着後、青春18切符を利用して初日は笹川流れの羽越本線桑川付近で列車撮影、2日目は越後線新潟~吉田間と、弥彦線、さらには新津へ、3日目は羽越本線を北上し、余目から陸羽西線を新庄まで、さらに戻って酒田まで行きました。4日目の午前中は新潟市内、信濃川の土手を歩き越後線の鉄橋で撮影、さらに新潟駅で「SLばんえつ物語号」の発車シーンを写した後、市内から東京に向かう高速バスで戻って来ました。
今回の旅では、置き換えの迫った485系、115系の各編成を冷房装置の違いなども考慮しながら撮影し、未乗だった越後線、弥彦線、陸羽西線の旅を楽しみ、1991年以来だった新庄では山形新幹線の終着駅の様子も撮影できました。
「1975年新潟の旅」シリーズで取り上げた形式を現在版としてフォロー出来ればと思い個別に記事にしてゆこうと思います。
一方、2013年7月27日の都電の旅の模様も忘れないうちに記事にしておこうと思いますので、こちらもアップします。
今まではキャノンEOS-40Dに70-200mmのレンズといった装備で出かけていましたが、これではスナップ撮影や広角撮影に難があったので、小さなデジカメとしてSONYのCyberShot DSC-WX170を購入し、サブ機として持って行くことにしました。
といったわけでまだ写真の整理も十分に出来ていないもので、まずは風景写真をアップしようと思います。
今回は新潟駅の現状をアップします。
前回新潟を訪問したのは2005年3月のことでしたが、上の写真の様に万代口に関しては似た外観を保っておりましたが、ホームは大きな変化を遂げようとしていました。
万代口という名称は、信濃川にかかる萬代橋に由来しており、万代口正面の通りが萬代橋に通じております。現在の萬代橋は3代目で、初代は新潟市内の信濃川に架けられた初めての橋で1886年に竣工しましたが1908年の新潟大火で焼け落ちました。
初代萬代橋の案内標識
二代目も1909年竣工の木造橋でしたが、交通量の増加に耐えるよう1929年に30m下流側に新たに竣工した3代目は鉄筋コンクリートアーチ橋となりました。
現在の3代目萬代橋 2013/8/10
萬代橋から見た新潟駅方向 8/9からの新潟祭りで警備の様子が見えます。
萬代橋の歴史によると1948年8月23日、現在の「新潟まつり」の前身にあたる「川開き」の2日目、信濃川では花火大会が開かれ、萬代橋周辺も大いに賑わったそうです。
午後8時55分頃、打ち上がり始めたスターマインを見ようと、観衆が一斉に下流側の欄干に殺到しました。欄干の空洞部には元々鉄柵が据え付けられていたが戦時下の金属供出によって撤去され、木柵に付け替えられていたため強度が低下しており、重みに耐えきれなくなった欄干は約40mに亘って落下、約100名の観衆が信濃川に転落して、死者11名、重軽傷者29名を出す大惨事となりました(万代橋事件)。
この事故以降、新潟まつりでの花火大会の際には、萬代橋など信濃川の橋梁上で立ち止まっての見物は禁止されており、この花火大会における橋梁歩道部の通行規制措置は新潟市全域で取られており、中には阿賀野川に架かるござれや阿賀橋と阿賀野川大橋のように、花火大会の開催中に歩道部を全面通行止とする例もあるとのことです。
1966年6月16日に発生した新潟地震においては昭和大橋の落橋した映像が象徴的に放映されるのをよく見ますが、萬代橋は耐震設計が功を奏して両岸部の地盤が約1.2m沈下し、取付部が破損したものの、橋梁部そのものは全体に約10cm沈降しただけで耐え抜いたそうです。
さて話を新潟駅に戻すと、現在、新潟駅は在来線部分の連続立体化工事の真っ最中です。
その一環として、在来線ホームのうち4号ホーム(6・7番線)は2012年11月3日新潟駅発の終電をもって廃止となり、11月4日未明から昼にかけて実施した仮設線切り替え工事の終了後、新たに1番線東側(新津・新発田方)を切り欠く形で設けられた頭端式の仮設ホームの供用を開始しました。この仮設ホームの番号は8・9番線で、最大7両編成の列車が発着可能です。
8,9番線のある仮設ホームから工事中の旧6,7番ホームを見たところ
1番線から新津方向に歩くと到達する仮設ホーム 旧6,7番線に続く8,9番線となっていますが、6,7番線の存在を知らないヒトには違和感のあるナンバリング
今回はここまでです。
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コメント
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クハ415-1901さん、新潟からお帰りなさい。おつかれさまでございました。
私は津軽に出かけていましたが、
入れ違いにクハ415-1901さんは新潟へお出かけだったのですね。
三日間の撮影ツアー・・・さぞ収穫があったことでしょうね。
クハ415-1901さんのライブラリーがまたまた充実したのではありませんか。
さて、きょう魅せていただいた新潟駅ですが、
私は1978年に新潟駅頭に降り立って以来ご無沙汰していますが、
あの特徴ある駅舎はよく記憶しています。
それに万代橋が出てくると、
私は美川健一の「新潟ブルース」の世界に入ってしまいます。
「霧が降る万代橋」
「青い灯がゆれる新潟駅」・・・旅情の世界にはまってしまい、
津軽から帰ったばかりなのに、私も出かけたくなりました。
またあすもブログにもおじゃましたいと思います。
おみやげ話をたくさん聞かせてくださいね。
投稿: やぶお | 2013年8月11日 (日) 19時31分
やぶおさま、おはようございます。
早速、新シリーズにコメントありがとうございます。
こちらも掲示板の方のやぶおさんの書き込みに対してコメントをしようと思っていたところです。
私も新潟市は2005年以来、8年ぶりでしたが、今回は信濃川に沿ってしばし歩くことで、その歴史の一端に触れた気になりました。
また今回の旅で感じたのは新潟地区(東は新発田から西は柏崎)に至る線路の複雑さでした。
写真の整理ので来たものから載せて行くつもりです。
投稿: B767-281(クハ415-1901) | 2013年8月12日 (月) 06時31分