2013 夏 新潟の旅 8 弥彦線
今回は弥彦線です。
吉田駅で交換する弥彦線カラーの115系 この日はY1とY3が運用に入っていました。 2013/8/8
弥彦線は、越後線とともに私鉄の越後鉄道により建設された鉄道路線です。西吉田 - 弥彦間は、越後一の宮である彌彦神社への参詣鉄道として1916年に、西吉田 - 一ノ木戸(東三条)間は、現在の越後線と信越本線を連絡する目的で1922年から1925年にかけて開業し、さらに南方の越後長沢に延長されました。いずれは福島県まで路線を延ばす計画の下、建設が進められましたが、越後長沢駅まで開業した時点で国有化され計画は消滅しました(長沢から先、南蒲原郡森町村まで免許を取得していましたが1927年失効したそうです)。
弥彦駅に停車中のY3編成 直接吊架式のシンプルな架線に注目です。 2013/8/8
このうち、通称「弥彦東線」と呼ばれていた東三条 - 越後長沢間は、沿線の人口密度が低かった上、終点の越後長沢駅も当時の長沢村(のちの下田村、現在は三条市域)の中心地から若干離れていたこともあり、太平洋戦争以前の段階から利用客数は低迷。太平洋戦争中は不要不急線となり、軌道が撤去され営業休止に追い込まれています。戦後に営業を再開するものの同区間は、通学客以外は乗客も少なく赤字続きであり、またこの区間に並行する県道(のちの国道289号)を経由する越後交通の路線バスが運行されていることもあって、1968年にいわゆる赤字83線に指定されました。弥彦線のうち弥彦駅から東三条駅までの区間(弥彦西線)は1984年に電化されたものの、東線は廃線が決まっていたことから電化されず、西線の電化後は毎日新潟から気動車を回送して運行が継続され、翌1985年に廃止されました。
弥彦東線は廃止後、廃線跡が国道289号のバイパス道路として整備され、現在越後交通は旧東線に並行する形で下記の路線バスを運行しています。
燕駅前 - 燕三条駅三条口 - 東三条駅前 - 大崎 - 大浦 - 長沢駅跡 - 八木ヶ鼻温泉 - 笠堀ダム(遅場)
クモハ114-504の運転台 2013/5/25の記事で触れていますようにこの車両はもともと岡山・広島管内で使用されていた115系モハユニットに運転台ブロックを付ける形で2連化したものですが、現在まで当初懸念された走行中の運転台脱落事故は起きていないとのことです(笑)。 2013/8/8
この路線はJR東日本の路線として2つの特徴を有しています。ひとつは架線に低コストの直接吊架式が採用されていることで、そのために最高速度が85km/hに制限されていることです。これは1984年に電化された当時、国鉄が慢性的な赤字に陥っていたため越後線共々コストダウンを求められていたことに依るそうです。もう一つは2005年に自動化されるまで非自動閉塞方式(スタフ閉塞式)で運行していたことで、これはJRグループの電化路線としては最後まで残った非自動閉塞区間でした。
運転室周辺の様子 ワンマン化のため運賃箱や料金表が装備されています。
もともと非冷房だった車両に後付けでエアコンを設置しているのでJR東日本特有のAU712方式の冷房装置となっています。ドアは開けるのは手動のため、混雑時なども片方のドアのみが開いた状態で乗り降りが進むため結構渋滞していたりします。 東三条 2013/8/8
AU712冷房装置、室内の様子 2本のダクトが通された天井の様子は、103系の最初の試作冷房車が登場したときの雰囲気を彷彿させます。
弥彦線で活躍する115系Y編成は、吉田で越後線に入り、越後線電車として新潟まで来て新潟車両センターに入出しているため、新潟駅で姿を見ることが出来ます。
早朝の運用で弥彦線の仕業に向かうY3編成 2013/8/9 新潟
越後一の宮である弥彦神社のメイン駅である弥彦駅の駅舎 外観も建物内部も神社の建物を模して造られておりました。生憎今回は改修工事でマスクされていましたが。 2013/8/8
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