保存中の都電7500形 1 都電おもいで広場 7504 池之端児童遊園 7506
今回は都電シリーズで7500形です。既に引退してはいますが、その車体はかなり保存されており、保存場所を訪問してその姿を撮影しておりますので、その写真と共にupdateしたく思います。本記事では荒川線荒川車庫に隣接して設置されている「都電おもいで広場」の7504号と旧池之端七軒町電停跡に設置された「池之端児童遊園」の7506号について触れます。
「都電おもいで広場」に展示・公開されている7504号車 2013/8/17
まず7500形の登場の経緯、特徴、運用などから参りましょう。
1956年度から1957年度にかけて合計131両が製造された8000形の後、1959年に事業収支が赤字に転落、交通局と首都整備局の間で路線廃止に関する議論が続いていたこともあり、都電では新造車の投入が途絶えていました。
8000形は耐用年数を10 - 12年程度として構造を徹底的に簡素化・軽量化して設計されたためすぐに老朽化が始まり、その乗り心地についても簡略化した構造の台車が原因で発生するビビリ振動の大きさ故に不評でした。わたしも憶えていますが、ギシギシとした車輪の回転音は、玉電のペコちゃんこと、200形でも感じましたが、決して快適な乗り心地ではありませんでした。そういった状況と今後の残存区間における車両を考慮して、1962年度に都電として5年ぶりの新車投入が決定され、8000形とは異なる設計コンセプトに従い、以下の20両が製造されました。
7501 - 7510 日本車輛製造本店製
7511 - 7520 新潟鐵工所製
なお、7511 - 7520は都電としては最初で最後の新潟鐵工所への発注車です。
形式称号としては既に8000形が存在していたので、数字が逆戻りする形となりました。これは本形式が性能は7000形に、スタイルは8000形に準ずることから間をとって7500形と命名されたとされます。
1962年12月までに竣工し、20両全車が渋谷駅前をターミナルとする6・9・10系統を担当する青山営業所(青山車庫)へ集中配置されました。
1963年には都電唯一の狭軌線区であった杉並線の廃止が実施されて経年の浅い同線所属車の改軌・転属が実施され、さらに1967年以降は都の財政再建計画により路線網そのものの廃止が本格化したため、都電の車両新造は本形式20両のあと、1990年の8500形8501まで実に28年に渡って途絶えることとなりました。
おもいで広場で都電の線路に並行に配置されている7504号車 2013/8/17
都電おもいで広場の案内 2013/8/17
<車体>
8000形と、その前世代にあたる7000形を折衷した構造の全金属製車体で構成されており、基本構造はバスの車体を参考に行き過ぎた工作の簡易化が目立った8000形や2500形ではなく、7000形や2000形に近いオーソドックスな構成とされ、車体の最大寸法は長さ12,500mm、高さ3,550mm、幅2,203mmで全長は8000形と同一ですが全幅は6000形以来の都電一般車の標準値(2,210mm)より若干狭くなりました。
側面の窓配置はD(1)4(1)D4(D:客用扉、(1):戸袋窓、数字:窓数)の左右非対称配置で7000形より8000形に近いレイアウトです。ただし、車体中央付近の客用扉の戸袋窓と反対側に隣接する車掌台の窓幅が他のほとんどの側窓と同じ860mm幅となり、また最後尾の客用窓幅が900mmであるため、車掌台の窓幅を狭くして他の側窓幅を統一した8000形とは異なった印象を与えます。
側窓は横引きサッシを備える車掌台と、上下ともHゴム支持の固定窓とした戸袋窓を除く全てが、上段をHゴム支持の固定窓(バス窓)とし、下段を保護棒1本付きで上昇式のアルミサッシとしています。客用扉は運転台に隣接する車端部のものが825mm幅、車体中央のものが920mm幅の片引戸で、ここでも車端部に細長い戸袋窓を置いて連接扉としていた7000形の凝った構成ではなく8000形の簡潔な構成が踏襲されています。
また、妻面も8000形に準じた大型の方向幕を中央の幕板部に取り付け、中央を900mm幅の上段固定・下段上昇式窓、両端をそれぞれ380mm幅の固定窓とした3枚窓構成とされています。ただし、自動車用のシールドビームを用いた前照灯、および同じく自動車用部品を流用した尾灯を組み合わせた灯具を左右の腰板部に振り分けて装着した2灯構成とし、空いた腰板中央部に上方から系統板の抜き差しを可能とした行灯式の系統表示板を設置することで、7000形とも8000形とも異なる新しいデザインとしました。
定員は96名、座席定員は26名で、8000形2次車に準じました。座席は全てロングシートです。
天井には蛍光灯の他、扇風機が等間隔に4基設置されているが、暖房装置は設置されていません。
車体塗色は新造時点での都電標準色であった、カナリアイエローに窓下赤帯ですが、基本色の黄色味が従来よりも強くなっていました。このことは私も今でもはっきり憶えており、7500形はその濃い色が特徴でした。
<主電動機>
端子電圧600V時1時間定格出力60kWの日本車輛製造NE-60Aを各台車の内側軸に吊り掛け式で1基ずつ、合計2基装架しました。歯数比は59:14、定格速度は26.5km/hです。
<制御器>
路面電車としては大出力の主電動機を搭載することもあり、間接非自動制御式の日本車輛製造NC-533を搭載しました。
<台車>
7000形初期車に装着された交通局形式D-18と同系の鋳鋼製側枠を備える軸ばね式2軸ボギー台車です、住友金属工業FS80(交通局形式D-23)を装着しました。この台車は枕ばねをコイルばねに用い、設計当時の路面電車用としては標準的な構造のスイングハンガー式揺れ枕機構を備えました。軸距は1,400mm、車輪径は660mmです。
<ブレーキ>
従来通り、簡潔なSM-3直通ブレーキを搭載しました。
<集電装置>
集電装置として都電で標準のビューゲルを1基、屋根上中央に設置しました。
<運用>
1.新造から荒川線存続決定まで
新造当初、全車が青山車庫に配置され、同車庫が担当する6・9・10系統で使用されました。1968年9月29日の9・10系統廃止で青山車庫が閉鎖されると、経年が浅かった7501 - 7510は荒川区の27・32系統(後の荒川線)を担当する荒川車庫へ、7511 - 7520は江東区の柳島車庫へそれぞれ転属しました。その後、1972年11月11日に沿線住民の反対を押し切る形で江東地区の路線が全て廃止され、柳島車庫が閉鎖される際に7517・7519を除く8両が荒川車庫へ転属し、18両が荒川車庫に集結しました。本来は除外された2両も転属予定でしたが、両車両は車庫の閉鎖前に出庫線で追突事故を起こしたため、補修用部品取り車として1972年11月15日付で廃車されています。
2.ワンマン対応改造
荒川線の存続決定後、経営合理化のために同線でのワンマン運転実施が決定されました。ワンマン化は1977年10月と1978年4月の2回に分けて段階的に実施されることとなり、この時点で荒川車庫に在籍していた7509と7514を除く16両と、7000形31両がワンマン運転対応に改造されることになりました。7500形は車齢16年で経年が浅かったことから既存車体の改造での対応となりました。
この改造工事対象外となった7509・7514については荒川線が完全ワンマン運転化された後の1978年4月27日付で除籍されました。7514はそのまま荒川車庫で保存され、7509は車体を解体の上で台車・機器が軌間が同じ都営地下鉄新宿線大島車両検修場の車両移動機に流用されました。
3.車体更新
車齢22年を迎えた1984年から1987年にかけて、7502・7504・7508の3両を除く本形式13両に対して都電初となる冷房装置の搭載を伴う車体更新が施工されました。
池之端児童遊園に保存される7506号車 更新された車体の保存車 2013/8/17
同所はかつて池之端七軒町という電停があり、私も親に連れられて上野動物園に来たときにモノレールから専用軌道を走る都電の姿を見ており、大学も近かったので暇なときに廃線跡を訪ねて歩いたのを憶えています。
新車体の設計製作はアルナ工機(現・アルナ車両)が担当し、窓配置はD(1)3(1)D3と若干窓幅を拡幅して側窓数を減らしました。
おもいで広場の7504号とこの7506号のサイドビューを見較べることで更新による変化が分かります。
この新車体は7000形の新車体に類似しています。角ばったデザインとなりましたが、旧車体のイメージを踏襲して妻面が3面折妻かつ3枚窓構成となり、前照灯と尾灯も7000形新車体は横並びなのに対し、本形式は縦並びとされました。また、屋根は冷房ダクトを設置したため、旧車体より高くなりました。これに合わせて正面行先表示器が大型化され、外部塗装は都バスなどと共通のアイボリー地に黄緑の新色に変更されました。
更新直後も集電装置はビューゲルでしたが、これは旧車体のものではなく、屋根の高さが変わったのに併せて新調されたものでした。しかし、冷房装置との干渉や離線対策のために比較的早期にパンタグラフに変更されました。
更新されなかった3両のうち7502と7508は1986年3月31日付で廃車となりました。また、7504は朝ラッシュ時専用車両の「学園号」として運用されていましたが、1998年頃に運用から離脱し、2001年12月10日付で廃車されました。
おもいで広場に展示される7504号車「学園号」の説明板
更新された13両は、7000形と異なり、車体更新時に車両番号の整理が行われることはありませんでいた。そのため、欠番が生じたままでした。
4.営業運転の終了
車齢45年が経過し、かつ老朽化が進行していることから、2008年2月に7506が、同年3月に7507が8800形に置き換えられる形で廃車となりました。2009年度は4月に7515、6月に7513、7月に7503が、2010年3月に7501・7516・7518の3両がそれぞれ廃車になりました。
2010年度は11月に7505と7510が運用を離脱し、12月には7520が休車になりました。最後まで残った7511・7512も2011年3月13日限りで運用を離脱。なお、両車とも2011年3月31日付けで除籍されており、この時点で形式消滅しました。
池之端児童遊園の特徴は都電とスカイツリーのコラボが撮影可能なことです。バス通りの反対側から7506号を見ると背後にスカイツリーの姿が。 2013/8/17
以上、Wikipediaの記事を参考に、自らの経験も若干加えてテキストを作成致しました。
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