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2013年8月17日 (土)

都営まるごときっぷの旅 その8 都電の車輌 7000形

都電シリーズ、荒川線で活躍している現役車両、最後は7000形です。

7002_130803
7002号車 飛鳥山 2013/8/3

以前、お話ししたように7000形は唯一の吊り掛けモーター式車両で、東京都内を走る唯一の吊り掛けモーター式の車両でもあります。

A 登場から荒川線成立前まで

最初に登場したのは1954年でした。

大きく3つのグループに分けられ、軌間の異なった杉並線を除く各線に配備されました。扉の下に見通し窓があり、前面が二枚窓と言う点は共通でした。

1次グループ(7001 - 7030)

1954年に製造されたグループで、新造車と車体更新車があり、正面窓は運転台側が一段で、反対側は二段窓の二枚窓です。ボディは細かく分けると以下の3タイプに分かれます。

7001 - 7019
新造車で、台車はD18形を採用しました。それまでの都電のイメージを刷新する塗色と外見で登場しましたが、走行メカニズムはそれ以前と同じ直接制御でした。
前面二枚窓で、左側に運転台が寄っており、前扉との関係で当時の都電の運転士から運転台が狭いとの指摘があり、あまり評判が良くなかったことから、1965年以降に全車中央窓の大きい3枚窓(2000形に酷似)に改造されています。
大塚車庫や早稲田車庫などを中心に配置され、路線縮小後も転属して活躍していました。トップナンバーの7001を始めとしたほとんどの車両が、墨田・江東両区の路線が全廃される1972年まで使用されました。

7020
直角カルダン駆動を採用した高性能試作車として製造されました。間接制御車で、台車は東芝の試作台車TT-101形でした。その他の特殊車と同様に三田車庫に在籍し、1967年の同所廃止と運命を共にしました。

7021 - 7030
1000形と1100形の下回りを流用して新造車体を乗せた車体更新車で、元車の台車のD10形およびD16形を流用しています。目黒車庫や神明町車庫、さらには荒川車庫にも在籍していましたが、都電第1次廃止の1967年に余剰車として全車廃車になっています。7020とこのグループは前面窓は最後まで二枚窓でした。

7003_130803
かつては雑司ヶ谷といっていましたが、地下鉄の開通で都電雑司ヶ谷と名前を改めた電停です。 2013/8/3

2次グループ(7031 - 7050)
1955年に製造されました。台車はD20形です。このグループから間接制御車となり、
不評だった運転台の広さも拡張され、また正面窓は視界改善のためどちらも1枚(運転台側の窓がわずかに小さくなっています)となりました。また、車体の角がさらに丸みを帯びたデザインになっています。
1970年に7032 - 7034・7036 - 7042の10両が函館市交通局(函館市電)に譲渡されて1000形となりましたが、譲渡されなかった10両は錦糸堀車庫に集結して1972年まで活躍しました。

7013_130803
サンシャイン60を背にした7000形 2013/8/3 学習院下

3次グループ(7051 - 7093)
2次グループの約半年後となる1955年末から翌1956年にかけて製造されました。台車はD20A形です。正面窓が2次グループより天地方向に拡大されているのが大きな特徴です。なお、原型はZパンタでしたが、後にビューゲルに改造されています。

7015_130803
7000形にもかなりラッピング車がいますが、似合っているのとそうでないのとがいます。飛鳥山 2013/8/3

B 荒川線成立後

1974年、27・32系統を統合し荒川線に改称。更に、1978年のワンマン化に向け、1977年から31両全車をアルナ工機(現・アルナ車両)製の新造車体へ更新しました。
運転台マスコンなどの電装品、台車やブレーキなどの主要機器はすべて流用されました。 同時に車両番号は新たに付番され、7001 - 7031に揃えられました。よって現行の車両番号は2代目となります。なお、新番号は改造順ではなく旧番の若い順から付番されました。ホームの嵩上げによるステップ廃止と、車内への車椅子スペース設置といったバリアフリーへの対応が先進的と評価され、1978年鉄道友の会のローレル賞を受賞しました。

1985年から、7500形の車体更新に合わせた冷房化改造、及び塗装変更、LED式車内旅客案内表示器の新設、集電装置をビューゲルからパンタグラフに交換するなどの改造が行われました。

早めに老朽化した8両は、8500形への代替などで1999年までに廃車されました(6両は冷房改造前に廃車)。うち4両は1992年に非冷房車2両、2000年に冷房車2両が豊橋鉄道に譲渡され、モ3500形として使用されています。

2002年から、前面行先表示器の1枠化、車内旅客案内表示器と降車用ボタンの更新などを含めた再更新工事が施工されました。前面と側面の行先表示器は従来の幕式からLED式に交換されましたが、車両によって書体が異なっています。 また、7001、7019、7020、7022、7025の5両が集電装置をシングルアーム式パンタグラフへ交換されました。
しかし、2011年度8500形へのシングルアームパンタグラフ転用に伴い、追突事故により廃車となった7020を除く4両は再び菱形パンタグラフ(7500形の廃車による発生品)に戻されました。

2005年7022(旧7076)の塗装を車体更新時のものに復元。同時に除雪用ラッセルの取付対応工事も施されました。

7022_130803
唯一更新時の塗装で活躍中の7022号車 飛鳥山 2013/8/3

C 現状

現在も19両が在籍し、今なお荒川線で最多の車両数を占めています。1955年12月の新製配置以来荒川電車営業所を離れたことがない車両は7001(旧7055)が唯一です。

しかしながら、既に台車等は新製から50年以上経過しており、更新車体も新製から30年以上経過することから、徐々にではあるが廃車が進行しつつあります。

70202006年6月13日に梶原 - 栄町間で発生した追突事故で破損し、修復されぬまま休車となりました。破損部にブルーシートをかけられ、シングルアーム式パンタグラフと冷房装置(1基)が撤去された状態で荒川車庫内に留置されていましたが、2008年3月31日付で廃車されました。

2011年3月31日7004が廃車となりました。これは2012年度に計画されていた、「東京都交通局次期経営計画 ステップアップ2010」における7000形1両の廃車・新型車両への置換えを前倒ししたもので、同年3月13日をもって営業運転を終了した7500形最後の2両(75117512)と共に廃車したものです。

同年9月、廃車理由は不明ながら、7027が廃車されました。同月の75117512、7004の解体工場への搬出の際に併せて搬出・解体された模様です。

2012年12月28日から7008の前面の銀杏マークが青く塗られ、マークの中に「おつかれさま」と記載されました。その2日後に同車は営業運転を終了。2012年の大晦日をもって除籍されました。

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