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2013年8月31日 (土)

西ベルリンの思い出 パンナムのB727 N4733

1988年10月から1989年10月までの1年間の留学中、西ベルリンの空の玄関であるテーゲル空港(Flughafen Tegel)にはよく出かけました。

理由は大きく2つあります。ひとつ目は今でもそうかと思いますが、ドイツは敬虔なキリスト教の国で日曜日が安息日ということが社会的によく守られているため、土曜日の午後から日曜日にかけてはデパートをはじめ多くの店が休業となります。そのため、日曜は朝から街は人影も少なく買い物などで街に出ても閉まっているケースが多く、空港はそういったときでも郵便局や売店などが開いている唯一の場所だったからです。

ふたつ目は西ベルリンの特殊性で周りを東ドイツに囲まれているため西ドイツ本土に出かける際も、フランス、イギリスなどの隣国に出かける際も空路がメインの交通手段でした。因みに西ベルリン滞在中の1年で、テーゲル空港以外から西ベルリンを離れたのは、クリスマスにウィーン・ザルツブルグに行った際に、西ベルリンからバスで壁を通過し、東ベルリンのシェーネフェルト空港発、プラハ経由のウィーン行き(オーストリア航空)に搭乗したときと、ハンブルクまでAutobahnを運転して往復したときの2回のみでした。壁崩壊後は1992年にベルリンを再訪したときはテンペルホーフ空港から、ベルギーのブリュッセルまで飛び、2009年にベルリンを訪問した際にはICEでハンブルク日帰り往復を敢行しました。

今回からちょくちょく行ったテーゲル空港で撮影した旅客機を取り上げて行こうと思います。最初はパンアメリカン航空B727です。1985年頃から登場したビルボード塗装です。

N4733_cn_19453_506_clipper_charger_
N4733 Clipper Charger Boeing B727-235  (cn 19453/506) 1989/6/25 Tegel (TXL)

1988年から1989年にかけてテーゲル空港で撮影したPan NamのB727N4733, N4746, N4748, N4751, N4752, N4754の6機でした。これから1記事につき1機ずつ紹介して行き、同時にいろいろなエピソードを織り交ぜて行こうと思います。今回はN4733のB727-200で、B727としては1832のラインナンバーが付与されている中で、506という比較的初期の-200タイプの機体です。

日本人にとってパンナムほど、華やかなりし頃、高値の華だった頃の国際線を想記させる航空会社はないのではないかと思います。

まずはその歴史を見てみましょう。

民間航空が各国で盛んになってきた1927年に設立され、最初はカリブ海路線ならびに南アメリカを結ぶ国際線を運航し、その後1930年代には路線網をヨーロッパやアジア太平洋地域をはじめとした世界各国へ拡大しました。

経営者であるファン・トリップ会長の強力なリーダーシップとアメリカ政府の庇護の元、国際航空の黎明期である1930年代から、第二次世界大戦や冷戦期を挟み、海外旅行の大衆化、低価格化が進んだ1980年代にかけて名実ともにアメリカのフラッグ・キャリアとして世界中に広範な路線網を広げて行きました。

国内線をほとんど持たなかったものの、アメリカのみならず世界の航空業界内での影響力も大きく、アメリカ初のジェット旅客機であるボーイング707や、世界最初の超大型ジェット旅客機であるボーイング747といったボーイングを代表する機材の開発を後押しした他、世界一周路線の運航やビジネスクラスの導入、系列ホテルチェーン「インターコンチネンタルホテル」の世界的展開など、後に他の航空会社が後追いして取り入れたビジネスモデルを率先して取り入れました。

しかし、1960年代後半頃より世界的に海外旅行が大衆化し価格競争が激化する中、高コストの経営体質を改善できなかったことや、1970年代にジミー・カーター政権下で導入された航空自由化政策「ディレギュレーション」の施行、その後の国内航空会社の買収の悪影響により次第に経営が悪化し、1991年12月4日に会社破産し消滅しました。

1927年: 「Pan American Airways」設立。同年にフロリダ州キー・ウェスト〜キューバ共和国ハバナ便を開設。その後、アメリカ政府の補助金でアルゼンチンやブラジル行き飛行艇便を開設。

1935年: サンフランシスコ〜ホノルル〜マニラ〜香港の世界最初の太平洋横断航空便を開設。

1937年: 世界最初の大西洋横断航空便を開設。

1950年: 「Pan American World Airways」に社名変更。

1958年: アメリカ初のジェット旅客機・ボーイング707がニューヨーク〜パリ線に就航。

1963年: マンハッタン島のパンナムビル(現在のメットライフビル)竣工。

1970年: ボーイング747「ジャンボジェット」超大型ジェット旅客機をニューヨーク-ロンドン線に就航。

1976年: ボーイング747SPにより東京-ニューヨーク直行便を開始。

1977年: スペイン領カナリア諸島でKLM機とジャンボ機同士の正面衝突事故。当時史上最悪の死亡者を出した航空機事故となる。

1980年: ナショナル航空を吸収合併し国内線を強化。

1985年: 太平洋路線と機材、従業員などをユナイテッド航空へ売却。これにより日本線も撤退。

1988年: イギリス上空でパンナム機爆破事件が起きる。

1989年: 西ベルリンと西ドイツ国内を結ぶ路線をルフトハンザ航空に売却

1991年: 12月4日に破産し運航停止。その後ロンドンへの路線と中南米路線をユナイテッド航空へ譲渡。他のヨーロッパ路線はデルタ航空へ、マイアミ国際空港のターミナルをアメリカン航空へ譲渡。

N4733_cn_19453_506_clipper_charge_2
N4733 1989/6/25 Berlin Tegel (TXL)

その歴史が示すように全盛期のパンナムは世界一周路線も運航し、世界を代表する航空会社でした。西側連合国の占領地とはいえ、実質的には西ドイツ国内線の西ベルリン線(ハンブルグ、ケルン・ボン、デュッセルドルフ、フランクフルト、ミュンヒェンと西ベルリン)を運航できたのもアメリカ政府との絶大なる関係があったからだと思います。

N47331968年に製造されたB727-200シリーズで、初飛行は1968年1月5日。-35のカスタマーコードが示すように最初はナショナル航空にデリバーされた機体です(同年1月19日)。ナショナル航空時代は"Alice"の愛称が与えられていました。1980年のナショナル航空買収でそのままパンナムの所属になり、ヨーロッパ域内運用に投入され、"Clipper Charger"の愛称が与えられました。19世紀に発達した大型帆船を意味する「クリッパー」の呼称は、パンアメリカン航空自身のコールサインやビジネスクラスの祖といわれる「クリッパー・クラス」にもその名を残すこととなりました。1990年代初頭に退役し、マイアミにストアされていましたが、1993年3月に解体されました。

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