西武鉄道 赤電の時代 クハ1411形 狭幅窓タイプ
新たに幼少期からお世話になってきた西武鉄道の話題もシリーズに加えようと思います。
西武鉄道との関係は私が3歳のとき(1959年)から始まりました。父親の職場が東村山となり、西千葉から北多摩郡東村山町に引っ越したからです。当時は多摩湖線の八坂が最寄り駅でした。西武鉄道の前身である、武蔵野鉄道が1912年の設立、川越鉄道が1892年の設立ということで西武鉄道100年の記念出版誌も発行されましたが、私もその54年間に関わっていることになります。
幼稚園は萩山で、2年保育の年少組だった1960年4月から八坂~萩山間、晴れている日は線路に沿って水道道路を歩き,雨の日は電車に乗っていたように思います。当時の西武線はまだ赤電といわれる塗装になる前で、黄色と茶色の2色の塗装の2両編成でした。
小学校1年の1962年9月1日 上水線小川 - 萩山間の営業が開始され、上水線から新宿線へ直通運転開始されました。上水線の電化はそれ以前の1954年10月12日に小川 - 玉川上水間で開業しており、萩山で多摩湖線と上水線の電車の分割併合が行われていたのを見てました。当時はまだ行き先表示は鉄製の行き先を書いたサボを貫通扉下部に差し込む方式でしたから、萩山では分割併合の度にサボの交換が行われていました。
小学校2年の2学期(1963年)から,国立の小学校に通うようになり、小川駅まで歩き、国分寺線で国分寺へ、さらに中央線で国立まで通っていました。当時は国分寺から下河原線が出ており、武蔵野線は未開業で、まさに国分寺と立川の間だから国立と命名されたのが納得できる時代でした。国分寺駅では西武線との貨物のやりとり、あるいは中央線貨物の入れ換えにまだ蒸気機関車が活躍していたのを憶えています。そして国分寺線では川崎造船製造の151系が活躍していました。沿線には中央鉄道学園や鉄道技術研究所もありましたから、かなり珍しい車両も時々目にすることがありました。確か通い出してすぐだったと思いますが、それまでモハ-クハだったのがクモハ-クハに代わったのにある日気づいて驚きました。
1964年12月に父親の異動で杉並区清水町に引っ越すことになり、中央線荻窪が最寄り駅となり、一時西武線とは離れましたが、1973年に南大泉に住むようになってからは新宿線武蔵関、東伏見、あるいは池袋線保谷を使い分けるようになりましたので、1983年4月に社会人としてつくばに移り住むまでは高校の後半から大学、大学院の9年間、西武線との関係は続きました。
西武線を写真に記録しはじめたのは国鉄車輌を記録しはじめた1972年より、若干後ですが、赤電と101系に冷房車が登場してきて、さらに701系の冷房改造車が登場する少し前でした。1974年頃だと思います。
つくばの住人になってからも実家や家内の実家(一橋学園)に行く際には必ずと言っていいほど,西武線の写真は撮っておりますので、西武線の記録はコンスタントに続いているのでは思います。
今回、ご紹介するのは私の記録としてはもっとも古いと思われるクハ1411形です。
武蔵関~東伏見間を行くクハ1411形(おそらく1437)先頭の西武新宿線6両編成 1974年頃
クハ1411形は国鉄モハ40形・60形を出自とする20m級車体の戦災被災車6両とこれに準じて1954年より、国鉄より払い下げを受けた木造車の台枠を流用し、新製したグループで1959年までに設計変更を加えられつつ39両が新製され、延べ45両の陣容となりました。
形態は国鉄払い下げ車の6両(半流線形の3両と切り妻形の3両)、1954年5月と9月に落成した9両で切り妻スタイルの鋼体化車(初期)といわれるグループ、そして1955年9月以降に落成した前面貫通扉幅が800mmに拡幅され、連結面側の妻面が切妻構造に変更されたタイプで鋼体化車(後期)と言われるグループの3つに分けられました。
今回、写真を紹介したのは、鋼体化車(初期)グループの貫通扉幅が狭いタイプで、奇数番号(新宿線の西武新宿向き)で当時の新宿線在籍車からクハ1437と判断したのだと思います。既にサボ方式から行き先表示幕方式に代わっています。
クハ1411形の最大の特徴は1/3室程度の運転室で、残りの2/3のスペースは直径7cm程度の金属製の棒が横に渡してあり、客室と区別されていたことです。鉄棒の太さよりはかなり太めでしたが、子供にとっては逆上がりの練習にちょうどよい高さの横棒だったように思います。
上の写真ではクモハ451形との2連ですが、中央線の101系を意識してか両開き扉のクモハ451形と片開き扉、1/3室運転台のクハ1411形のコンビはかなり珍奇なスタイルでありました。
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コメント
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B767さん、こんにちは(^^)お邪魔致します。1411系の狭幅窓タイプですか…狭幅窓タイプってあったんですね。451系とペアだったのはよく覚えています。
投稿: マスダっち1971 | 2014年3月28日 (金) 16時41分
マスダっち1971 さま、こちらにもありがとうございます。
その昔は何両かいたと思いますが,私が写真撮り始めた頃は,かなり廃車も進んであと数編成と言ったところでした。
投稿: B767-281(クハ415-1901) | 2014年3月28日 (金) 20時54分
B767さん……こんにちは(^^)この1411系の狭幅窓タイプは、351系とペアの2両固定は組んでいました⁉︎ちと気になりましてね。今年も色々ありがとうございました。来年もよろしくお願いいたします。良いお年をお迎えください。
投稿: マスダっち1971 | 2015年12月30日 (水) 16時20分
マスダっち1971さま、おはようございます。
わたしも今でははっきりとは憶えていませんが、クハ1411形の狭窓タイプは351系とも451形ともペアを組んでいたように思います。
投稿: B767-281(クハ415-1901) | 2015年12月31日 (木) 04時56分
私は1411が好きで、昭和40年台は4~5本待てば新宿方に1411+451が付属した編成が来るので、選んで乗ってました。
ブログでご紹介された乗務員区画の金属製の横棒のほか、木の床の防腐剤油の匂いと、ドアコックが鍵付きだったことが印象に残っています。
貴重な1411のお写真を拝見でき、感激しております。
投稿: 制限55 | 2022年8月13日 (土) 00時38分
制限55 さま
そしてこちらにもコメントありがとうございます。
今となってはクハ1411形について語ることのできる方もあまり多くはないかもしれません。そういった中できちんと思い出に残されている点、さすがですね。
投稿: B767-281(クハ415-1901) | 2022年8月15日 (月) 04時14分