公園保存蒸気 19633 久岐の浜広場
公園保存蒸気機関車のシリーズ、今回は九州は若松駅そばの久岐の浜広場に保存されている9600形の19633号機です。
北九州市若松区久岐の浜地区は洞海湾に面し、官営八幡製鉄所の設立以来、筑豊の石炭を背景に日本最大の石炭積出港として発展してきました。
駅横の久岐の浜広場に展示されている19633号機 2012/12/21
かつては石炭の積み出しで賑わったことを今にも伝える若松駅駅舎
若松駅はかつての栄華を偲ばせる広大なスペースの中に駅舎が建っていますが,この場所はかつては操車場だったようです。
操車場跡を示す碑も近くにありました。
拙blogにおいて9600形式が登場するのは今回が初めてかと思いますので、いつものようにその概要について触れておこうと思います。
国鉄9600形蒸気機関車は、国鉄の前身である鉄道院が1913年から製造した、日本で初めての本格的な国産貨物列車牽引用のテンダー式蒸気機関車であり、「キューロク」、「クンロク」と愛称され、四国を除く日本全国で長く使用されました。国鉄において最後まで稼動した蒸気機関車ともなりました。
9600形という形式名は、1912年度に12両が試作された2-8-0 (1D) 型過熱式テンダー機関車に最初は使用 (9600 - 9611)されましたが、本形式に明け渡すこととなり、落成後わずか3か月で9580形 (9580 - 9591) に改められました。従って、本形式は9600形の2代目となります。本来、二代目9600形は9580形の欠点を改良すべく設計されたものです。
狭軌鉄道向け機関車としては従来不可能と信じられてきた巨大なボイラーを、台枠の上に火室を載せてしまうことにより可能にしました。そのため出力は上がりましたが、ボイラー中心高さは当時の狭軌用蒸気機関車最高の2,591mmとなり、重心位置が非常に高く、小輪径の動輪もあって常用最高速度は65km/hと制限されました。
19633号、野外展示のため、だいぶ老朽化が目立ちます。
設計当初は8850形のように圧延鋼板を切り抜いた棒台枠を採用する予定でしたが、国内では製造することができず、やむなく従来どおりの軟鋼板製の板台枠式となりました。初期の製造車では、ピストンバルブをシュミット社から輸入し、軸バネも川崎造船所が輸入した貯蔵品を使用したため、厳密にいうと標榜したような純国産とはゆきませんでしたが、9618号機以降は看板どおりの純国産となり、設計も変更されました。外観上、運転台下部のラインが、S字形屈曲から乙字形屈曲に変更されたのが目立っています。
9600形の特徴としては、左右動輪のクランクピンの位相が、通常の右先行型に対し、逆の左先行型となっていることがあげられます。これは単なる設計上のミスに起因するようです。
一般的な9600形のテンダー(炭水車)は、台車が3軸固定式の水タンク13m³、燃料6t積載のものですが、最初に製造された9600 - 9617の18両については、小型の水タンク9m³、燃料2.5tで2軸固定式台車でした。これは、東海道本線(当時)山北駅 - 御殿場駅間、沼津駅 - 御殿場駅間の箱根越え区間の推進(補助機関車)用として設計されたためです。しかし、予定どおり箱根越え用に配置されたのは9610 - 9617の8両のみで、9600 - 9609の10両は神戸鉄道局に配置されました。その後に製造された9600形は前述のように3軸テンダーとして石炭と水の積載量を増加したため、2軸の小型テンダーでは、別運用を組まねばならないなど、運用に不都合が生じるようになっていました。
19633号機の解説 大正生まれの名機です。
メーカーは大半が川崎造船所(686両)ですが、汽車製造会社(69両)、国鉄小倉工場(15両)で製造されたものもあります。1913年を製造初年とし、1926年までの間に770両(9600 - 79669)。が量産されました。このほかに三菱大夕張鉄道、夕張鉄道、美唄鉄道の自社発注や、樺太庁鉄道、台湾総督府鉄道向けなどに断続的に同形機が生産され、最終製造年は1941年でした。樺太庁鉄道に納入された同形機5両 (D501 - 5) は、1943年の南樺太の内地編入にともない鉄道省籍となり、79670 - 79674に、樺太鉄道向けに製造された細部の異なる準同形機80形9両 (80 - 88) も、樺太庁鉄道を経て79680 - 79688(79675 - 79679は欠番)となっています。
製造当初は東海道本線などの幹線でも用いられましたが、より牽引力の強いD50形が1923年に、またD51形が1936年に出現すると主要幹線を追われ全国各地の亜幹線や支線に分散しました。出力の割には軸重が軽く運用線区を選ばないのが特長で、このため1937年に日中戦争が始まると、陸軍の要請により、鉄道省の工場で標準軌に改軌のうえ中国に送られました。製造両数の1/3弱にあたる251両が供出されています。
戦後は北海道・九州の石炭輸送路線や、米坂線・宮津線など、貨物輸送量が多かったり急勾配を抱えていたりするにもかかわらず、路盤の弱い路線を中心に使用されました。使い勝手の良さ、レールへの粘着力、列車の牽引力において決定的な代替能力を有する機関車がなかなか開発されなかったため、古い形式でありながら蒸気機関車の運用末期まで残りました。
最後に残ったのは追分機関区の入換用に使用されていた39679、49648、79602の3両で、1976年3月2日に最終仕業となりました。そのうち79602は3月25日まで有火予備で残っていました。これを最後に国鉄の蒸気機関車は保存用を除いてそのすべてが姿を消しました。実働63年、最初期の標準型国産蒸気機関車として登場し、日本の蒸気機関車の終焉を見届けた最も長命な蒸気機関車でした。
19633号機の履歴です。
19633 川崎重工兵庫工場=323 1917-11-00 S59.80t1DT(1067)
車歴;1917-11-00 製造→ 納入;国鉄;
19633→1917-11-12 使用開始[中管達1260];中部局→
1933-06-30 現在;中津川→1955-08-01 現在;若松→1972-12-26 休車→
1973-02-22 小倉工場廃車上申[小工機902]→
1973-03-04(3/14?)廃車[工車1664];若松→
1973-08-14 貸与[工車575]保存;福岡県北九州市「若松駅前公園」;19633
沖田祐作氏の機関車表で履歴を調べるとこの機関車は製造後、1955年に若松に転勤するまでの38年間は中津川にいたようで、九州勤務はその後の18年間だったようです。
若松駅には石炭運搬用のセム1000も展示されています。
そしてそばには洞海湾と1962年に完成した当時、東洋一の吊り橋といわれた若戸大橋の勇姿が
同橋の下には若松と戸畑を結ぶ渡船も営業していました。2012年には若戸トンネルも開通し、同地区の渋滞緩和に貢献しているようです。
今回の記事ではWikipediaの該当記事を参考に致しました。
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