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2013年9月 4日 (水)

2013 夏 新潟の旅 10 陸羽西線新庄 そして酒田へ

この夏の新潟の旅では、青春18切符を出来るだけ利用して、遠乗りをするということで、未乗であった陸羽西線にも乗ってみました。

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早朝の新潟駅1番線で出発準備をする村上行き快速電車 E127系6連V6編成他 手前のホームには弥彦線カラーの115系Y3編成 2013/8/9

新潟を朝4時56分に出発する村上行きの快速3921M に乗車し、終点村上へ。この列車、E127系3組の6連の運用ですが、特急「いなほ」並の停車駅の少なさで、豊栄、新発田、中条、坂町、村上しか停まらず、56分で村上に到着しました。因みに特急「いなほ」の場合は停車駅は同じですが、所要時間は46分から52分となっています。村上駅で5時56分発酒田行き821Dに接続しますが、なんと821Dが停車している同一ホーム2番線に入線します。村上に入線する際に通常よりもかなり速度を下げて入線するのは何でだろうと思っていましたが、到着して訳が分かりました。

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まだ夜の明けきらない村上に1時間弱で到着 2013/8/9

村上からはキハ40系3連で編成された「全て電化区間を走る気動車」で羽越本線を北上します。乗車したのは8月9日で秋田県から岩手県にかけて集中豪雨となり、土砂崩れ等で犠牲者も出た日で、北上するにつれて梅雨空のような空模様となりました。車窓を見ると村上を出て三瀬辺りまでの1時間15分は海岸まで岩山がせまり、海岸縁の狭い平地の上を線路が北上する感じで、特に桑川~今川辺りの笹川流れは絶景でした。新潟と山形の県境は鼠ヶ関の手前で越えますが、最近は平成の大合併で鼠ヶ関も鶴岡市の一部なんですね。鼠ヶ関は白河関、勿来関とともに奥羽三関と呼ばれ東北地方の玄関ですね。

三瀬を過ぎると線路は内陸に入り、穀倉地帯を通過し、鶴岡に到着します。鶴岡には親戚もいるのですが、今回は列車の時間の関係でパスして引き続き北上します。鶴岡は平成の大合併で東北地方で最大の面積の市となり、人口も山形県で2位となったそうですね。江戸時代は庄内藩酒井氏の城下町でした。3分停車した後、鶴岡を出発すると3つ目の駅が陸羽西線の分岐駅である余目です。ここで陸羽西線の新庄行き152Dに乗り換えです。この列車、酒田発の列車だったようですが、余目で下りの821Dと接続し、3分停車で発車しました。陸羽西線の気動車キハ110系には奥の細道ラインの愛称と独特の塗装がなされています。130809_3
余目駅の駅名標、ホーム毎に駅名標の標示方式が異なっていました。 2013/8/9

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酒田発の152D が余目駅の陸羽西線ホームで羽越本線の下り客を迎えて発車します。 2013/8/9

余目からの陸羽西線は最上川に沿って上ることになりますが、狩川辺りまでは平地を走りますが、清川、高屋、古口、津谷と最上川渓谷沿いを走り、こちらも絶景路線です。秋の紅葉の季節は素晴らしい色彩の展開が見られると思います。余目~新庄間では古口のみに交換設備があり、他の駅は行き違いの出来ない構造でした。途中、古口で列車交換のため3分間停車し、52分で新庄に到着しました。

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高屋付近のスノーシェッドを通過 2013/8/9

<陸羽西線>

1913年に新庄 - 古口間が酒田線として開業したのが始まりです。酒田を目指して小刻みに延長を繰り返し、翌1914年に全通しました。開業当時は、羽越本線が酒田まで伸びておらず、酒田線が、酒田で最初の鉄道路線でした。1917年には、陸羽東線の全通に伴って新庄 - 酒田間が陸羽西線に改称されました。

以降は、酒田から秋田方面へ、余目から分岐して村上方面へと路線が延長され、1923年には新庄 - 羽後岩谷間・余目 - 鼠ヶ関間及び酒田 - 最上川(現在の酒田港)間の貨物支線が陸羽西線を名乗りました。

1924年に秋田から羽越北線が羽後岩谷まで延伸されると、陸羽西線の羽後岩谷 - 鼠ヶ関間及び貨物支線が羽越北線に編入され、羽越線に改称され、陸羽西線は現在の区間となりました。

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酒田から152Dで新庄までやって来た編成がそのまま陸羽東線の列車となって小牛田へ 2013/8/9 新庄

新庄は訪れるのは1991年11月以来、22年ぶりですが、前回はクルマで来ているので鉄道駅として利用したのは初めてです。なんといってもユニークなのが”エ”の字の様な構成のプラットホームで、1999年12月4日の山形新幹線新庄延長で現在のような構造になりました。奥羽本線のレールが山形側(南)は標準軌、秋田側(北)は狭軌となるため、その境目にホームを渡してバリアフリーで乗り換え可能にしています。5番線だけは陸羽東線の接続の関係から狭軌線路が繋がっています。南からの山形線には山形新幹線のE3系1000、2000番台だけでなく、719系5000番台701系5000番台も活躍していました。一方、北側の奥羽本線には701系基本番台が活躍していました。

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山形線で各停などで活躍中の719系5000番台 2013/8/9 新庄

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719系が発車した後には、E3系2000番台が停車中でした。 2013/8/9 新庄

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標準軌の台車を装備した701系5000番台 2013/8/9 新庄

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秋田方面には狭軌の線路が敷かれたホームが 2013/8/9 新庄

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秋田方面から到着した701系N33編成 2013/8/9 新庄

かつては貨物も扱っていたようで駅北側には煉瓦造りの機関庫や転車台などもありました。新庄の駅前を散策した後、10時14分発の157Dで陸羽西線を戻り、酒田に向かうこととしました。

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秋田方向を眺めると煉瓦造りと思われる機関庫が 2013/8/9 新庄

酒田には11時18分に到着しましたが、多くの乗客はそのまま秋田方面に向かうようでした。新庄同様、酒田でも駅周辺を散策し、軽い昼食を摂って12時10分発の鶴岡行きで余目まで行くことにしました。これは時刻表を調べたところ、下りの「きらきらうえつ」の到着時刻がその後の村上行きの発車時刻とほぼ同じ時刻であることが分かったために、「きらきらうえつ」を撮影するのならば酒田より、余目の方が良いと判断したためでした。

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酒田以北の各停に使用されている701系100番台編成 2013/8/9 酒田

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酒田駅の秋田より電留線には首都圏で運用を外れた211系の疎開留置が見られました 2013.8/9

酒田を発車後、砂越を過ぎると最上川の橋梁を渡ります。ここで2005年12月25日夕刻、上り特急「いなほ14号」2014Mが突風に煽られて脱線し、3両が転覆し、先頭車両に乗っていた5名が死亡、32名が重軽傷を負うという「JR羽越本線脱線事故」が発生しました。列車からも見える線路脇の一角に慰霊の園が設置され、祭壇に花が生けられておりました。

余目で「きらきらうえつ」下り「いなほ3号」を撮影した後、13時11分発の826Dに乗車し、朝来た線路をひたすら南下します。カタンコトンと単調な音からいつの間にか眠りの世界に引き込まれ、気づいたら15時4分、村上に到着していました。村上からは3分の接続15時7分発の940Mで新潟へ戻りました。

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