西武鉄道 赤電の時代 クモハ351形 多摩湖線
西武鉄道の赤電時代を懐かしむシリーズ、今回はクモハ351形の晩年、多摩湖線時代の活躍の様子です。
国分寺~一橋学園間の本町信号所をゆく351形3連 1980/5/18
本町信号所は1966年に小平学園駅と一橋大学駅の統合により、国分寺~一橋学園間で朝夕のラッシュ時に一駅のみの区間列車設定されるようになり、列車交換場所が必要となって設置されました。しかし、2013年3月16日のダイヤ改正で一橋学園駅発着の区間列車が消滅したため、定期ダイヤでの交換は消滅しました。
1973年6月、355編成のサハ1415・1416が編成から外され、代わりにサハ1311形サハ1336を組み込んで3両編成化され、多摩湖線専用編成となりました。さらに1976年7月から8月にかけて、351・353編成も中間サハを編成から外してサハ1311形1313・1314を組み込んで3両編成化の上多摩湖線へ転用され、同線区で運用されていた311系・371系を淘汰しました。
小平駅待避線で休む351形3連 1980/5/24
なお、本系列は1968年頃からの修繕工事によってCPおよびMGを撤去していたことから、編成替えに際してサハ1313・1314・1336の各車には新たにMG(日立製作所HG-534-Mrb, 出力12kVA)とCP(MH16B-AK3, 容量990l/min)2基が搭載されました。
しかし、他編成についてはこのような転用改造を施工されることなく、1976年のクモハ358を皮切りに廃車が開始されました。淘汰の途上においては中間サハを廃車して固定編成を解消し、451系の編成替えに伴って余剰となったクハ1411形と新たに編成された車両も2編成(クモハ357-クハ1448・クハ1447-クモハ360)存在しましたが、最終的には前述351 - 355編成以外は1980年までに全車廃車となりました。
残存した351 - 355編成は、多摩湖線国分寺駅が構造上ホーム有効長の延長が不可能であり、17m車3両編成の入線が限界であったという特殊性から、他の20m級車体の吊り掛け駆動車各系列が大量に廃車となる中にあって、多摩湖線専用編成として運用を継続しました。1979年には低圧電源の交流化・床のロンリューム化・車内壁面のアルミデコラ化が施工されています。
所沢付近にて 1981/3
また、1985年4月のダイヤ改正より、西武ライオンズ球場(現・西武ドーム)におけるプロ野球公式戦開催日には国分寺 - 西武遊園地間に臨時の準急列車が運行されました。同運用は主に本系列によって運行されたため、本系列のみならず吊り掛け駆動の「赤電」による久々の優等列車運用として注目を集めました。
因みにこの頃の西武ライオンズは1982年の広岡監督の最初のシーズンで前期優勝を果たし、後期優勝の日本ハムを,当時は江夏豊投手が抑えで活躍していましたが、大田卓司選手の活躍等で3勝1敗でプレーオフを制し、19年ぶりのリーグ優勝を達成、日本シリーズでも審判にボールが当たるといったラッキーなハプニングにも味方され、中日ドラゴンズを4勝2敗で破り、チームとして24年ぶり、西武としては初の日本一を達成しておりました。
1983年は序盤から首位を独走、86勝40敗4分の圧倒的な成績で2年連続リーグ優勝、日本シリーズも4勝3敗で勝利し、広岡監督の「これで漸く全国区になれました」の言葉も出て、2年連続日本一を達成しました。
1984年のシーズンはベテラン選手の衰えもあり、3位(優勝は阪急ブレーブス)に終わり、シーズン終了後、田淵幸一選手が引退しました。
1985年は後に楽天の初代監督となった田尾安志選手の中日からの加入、秋山幸二外野手、渡辺久信(現監督)、工藤公康投手などの活躍でリーグ優勝はしましたが、日本シリーズではバース、掛布、岡田の強力打線に圧倒され2勝4敗で阪神タイガースに敗れ、シーズン終了後、広岡監督が辞任、森昌彦ヘッドコーチが監督に就任しました。この後、森祇晶監督の1994年まで9シーズンは8度のリーグ優勝、6度の日本一と黄金時代が到来しました。
1983年4月からはつくばに移り住んでおり、それ以前は駅にライオンズの試合経過を示すスコアボードが表示され、勝ったときはいつまでも残っていましたが,負けた試合ではすぐに消されていたので大本営発表(実際に経験はしていませんが)みたいだなと思っていました。
萩山駅に到着する351形3連 1980/8/12
野球の話に脱線しましたが、大型車入線の障壁となっていた多摩湖線国分寺駅の新ホーム完成に伴って20m車の4両編成が入線可能となると、必然的に351形3両編成の存在意義は失われました。1990年6月には全編成に引退記念のヘッドマークが装着され、新ホーム利用開始前日の6月23日に行われたさよなら運転を最後に運用を離脱し、30日付で全車廃車となって形式消滅しました。
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コメント
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先日に引き続いてクモハ351形のアルバムを拝見しました。
さすがに3両となるとローカルっぽく見えますね。
でも中間車が運転台なしですから、
中小私鉄とは一ランク上の風格でしょうか。
先日のお写真でははっきり確認できなかったのですが、
この351形も80系電車同様、鼻筋が通っていて、
端正な顔つきですね。
投稿: やぶお | 2013年9月29日 (日) 08時14分
やぶおさん、こんにちは。
今回も早速コメントをありがとうございます。
351形、他の吊り掛け式の車両がどんどん廃車となっていったこの頃、この3連化措置のおかげでこの3編成だけは随分延命できたと思います。
それなりにシールビームライト改造もされたのですね。
投稿: B767-281(クハ415-1901) | 2013年9月29日 (日) 11時45分
貴重なクモハ351のページを拝見し、感激しております。
1980/5/18と5/24に355編成を撮ら
れてますね。更新直前の貴重な画像です。351と353編成は1979年に更新されたのに対し、355編成の更新は翌年でした。
私も1980/6/7(土)に木製床の油の匂いを満喫したのが最後で、8月にはロンリュームの床に衝撃を覚えました。3編成とも1990年の廃車まで、乗務員室内だけは木製床だったのが印象的でした。
私は録音派だったのでクモハ454,479, クハ1444,1450, クモハ354といった吊り掛け車の音を保存していますが、貴重な1燈式のクモハ355, 356の画像を拝見できたこと、心から感謝いたします
投稿: 制限55 | 2021年5月 5日 (水) 09時02分
制限55さま、はじめまして。
丁寧なコメントありがとうございます。
私も幼稚園時代が八坂、萩山あたりから始まっているので西武線が最も古くから知る私鉄となっています。
1980年頃と言えば大学院時代でしたが当時は赤電の末期、701系などの冷房改造が盛んな時期でしたが、やみくもに写真を撮っていたように思えます。今のように情報の無い時代でしたので更新などについても知る由がありませんでした。
これからも宜しくお願い致します。
投稿: B767-281(クハ415-1901) | 2021年5月 6日 (木) 04時19分