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2013年9月25日 (水)

西武鉄道 赤電の時代 クモハ351形 新宿線

西武鉄道の赤電シリーズ、今回はクモハ351形です。

 

351
詳しい撮影時期は不明ですが、武蔵関を出発する351系4連 まだサボを使用中です。ベンチレーターはグローブ式に交換されています。

 

この車両は西武鉄道としては戦後初となる新造車両で、当初は501系501~519編成として1954~1956年にかけて製造されました。車体長は両端のモハが17m、サハが20mの4両編成でした。増備された521編成以降は20m車体で統一されたため、501~519編成についても20m級車体のモハが製造され、編成の統一が図られました。

置き換えに先立ち、501~520のモハは411~430と改番され、さらに411形2代目が製造される際に351~370に再度改番され落ち着きました。

改称・改番と前後して、主要機器をモハ501 - 520(2代)へ提供するため、主電動機はMT15系に、台車はTR14Aにそれぞれ換装されています。これらはモハ311形等から転用、もしくは自社ストック品を活用したものでした。その他の機器については変化はなく、制御器は国鉄制式の電空カム軸式CS5と界磁接触器CS9との組み合わせ、電動空気圧縮機 (CP)および電動発電機 (MG)といった補機類も自車に搭載し、電気的にはモハのみの単独走行も可能な仕様でした。なお、車体関連の仕様には手を加えられず、モハ501形当時と同一でした。

 

351_2
クハ1411形との2両編成に701系4両編成を併結した新宿線の電車 武蔵関~東伏見間

改番直後は依然として従来からの編成相手であるサハ1501形と編成され、モハ411形(Mc)-サハ1501形(T)-サハ1501形(T)-モハ411形(Mc)の4両編成で運用されたものの、モハ501 - 520(2代)が落成すると順次それらにサハ1501形を提供し、編成相手をクハ1411形へ変更しました。

351_2_2
こちらはクモハ351形2両がサハ1411形2両を挟んだ4両編成の新宿線電車 同区間

351形と2両編成になったクハ1411形は1411 - 1430の20両で、本系列と末尾を揃えて編成されました。そのうちクハ1411 - 1420・1425・1426の12両は本系列と編成されるに当たって運転台を撤去してサハ化され、411 - 419・425編成(いずれも初代)は501系当時と同様に4両編成になりました。1964年1月に制御電動車の形式記号がモハからクモハに変更になりました。

クモハ357 - 360の4両は1964年に主電動機を三菱電機MB-146Cに換装され、歯車比も2.32(=58:25)に変更されました。なお、同主電動機は故障が少なかったことから検修サイドから好評を博し、後年クモハ353 - 356に搭載されたほか、同一機種がE31形電気機関車の新製に際して絶縁強化・コイル巻き直しといった出力強化改造を施した上で流用されています。

その後、落成後15年前後を経過した頃から木部を中心に痛みが見られたことから、1968年からクハ(サハ)1411形ともども修繕工事が順次施工されました。改造内容は以下の通りです。

屋根板の修繕・表面仕上げをキャンバス張りからビニール張りに変更
ベンチレーターをガーランド形からグローブ形に交換
木製雨樋の金属化
乗務員扉の鋼製化
側窓枠のアルミサッシ化
重量均等化のため、CPおよびMGをクハ(サハ)へ移設

その他、車内送風機の扇風機化、先頭車前面窓内側に行先表示幕の新設、ATSの整備および列車無線の搭載等が実施されました。

17m級の小型車体であることから、101系の増備に伴って本線系統の運用から徐々に撤退し、多摩川線等支線区へ転用されました。

次回の記事では多摩湖線での活躍をご紹介します。

今回の記事ではWikipediaの該当記事を参考に致しました。

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コメント

クハ415-1901さん、西武電車アルバム赤電シリーズを拝見しました。
今回のクモハ351型ですが、
国鉄80系電車のデザインを受け継いでいるとはいえ、
80系よりもやさしい顔つきに好感がもてます。
前パンの姿も小型車らしいきびきび感も伝わってきます。

それにしても西武鉄道沿線は緑が豊富ですね。
沿線の緑と赤電がよくマッチしていると思います。

やぶおさん、今晩もご訪問とコメントをありがとうございます。

351形の顔がそのまま、後日紹介予定の501形、551形、601系と受け継がれ、
さらに正面2枚窓の流れで701系、801系、101系へと繋がって行くのですね。

西武の一時代を築いた形式群の端緒となったのが351形ではないかと思われます。

特にこの武蔵関~東伏見あたりは水辺と樹木が重なって今でもそのままの風景が残っていると思います。

B767さん、おはようございます(^^)お邪魔致します。351系…2両固定編成ありましたね〜〜‼︎1411系とのMIXがあったとは。この2両固定編成は、主に増結用かな⁇4両固定編成もありましたありました‼︎この頃だと、351系の2両固定編成と4両固定編成は、新宿線・池袋線の両方で走っていたかも知れませんな。

マスダっち1971さま、こんばんは。

いつもコメントありがとうございます。

鉄道ピクトリアル誌No716に載っていた西武の配置表(1975年6月2日現在)によりますと

保谷に351系2連 2本 4連1本
上石神井に 4連 2本 南入曽に3連 1本
北多磨に 2連 2本 4連 2本 と配置されていたようです。
2連の相手は全てクハ1411形ですね。 ですから池袋線、新宿線、多摩川線で活躍していたようです。

B767さん、おはようございます(^^)お邪魔致します。1975年6月当時の南入曽に配置されていた3両固定編成の351系 1本は…主に多摩湖線用ですね。保谷に配置されていて、小手指は無配置だったんですね。351系は当時は多摩川線でも走っていましたね。

マスダっち1971さま、こんばんは。

そうですね、351系の3連と言えば多摩湖線ですね。
しかし1975年当時はまだ一本だったのですね。

小手指の配置車輌は501系、701系の4連、451系、551系の6連、あとは101系、5000系ですね。

多摩川線はこの頃は噂に聞くだけで未だ訪問したことはありませんでした。

中央線の車窓からは電車の姿を眺めていたのですが。

沿線で赤電を眺めていた幼少のころを思いだし感激して拝見しております。
当時の、新宿線の351系に乗ったときのお話です。
吊掛車、できれば半鋼製車に乗りたくて数本やりすごすことが多かったです。
6連のとき、4両の基本編成より2両の付属編成のほうが古いのが通例のため、付属の乗車位置で待ちます。

(付属編成の吊掛・半鋼製車に乗れた例)
1710,710,709,1709+1434,455

でも、基本編成が半鋼製351系、付属編成は吊掛けですが半鋼製でないこともあり、慌てて基本編成の乗車位置に走ったりして、これも今では笑い話です。
366,1426,1425,365+472,1471

制限55さま、こちらにもありがとうございます。
昔から西武線には池袋線と新宿線の2本線がありますが、赤電時代の車種的にも湘南系の顔の351系、501系、551系などは池袋線が多く、新宿線は451系やそれ以前の3枚窓の車両が多かったように記憶しています。
その流れは今の2000系の時代にも通じていますね。

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