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2013年9月28日 (土)

西ベルリンの思い出 パンナムのA300 N202PA その1

西ベルリンのテーゲル空港で撮影した旅客機を振り返るシリーズ、今回からはPAN AMのA300です。

N202pa_cn_195_clipper_america_airbu
N202PA (cn 195) ''Clipper America'' Airbus A300B4-203 1989/6/25 TXL

撮影リストを調べたところ、N202PAの1機のみの撮影ですが、いつものようにA300とは、PAN AMのA300フリートは、などと話を展開する予定ですので、複数回に分けて行こうと思います。

まずAirbus A300型旅客機ですが、国際共同会社のエアバス・インダストリー社が1970年12月の会社設立後、最初に開発した旅客機で、300の数字は、座席数300席を意味しており、航続距離は3,000kmと設定され、1972年10月28日に初飛行しています。

コンセプト上の機体サイズは1966年アメリカン航空のFrank Kolkの構想にによるBoeing 727の置き換え用に250~300席ワイドボディの短中距離仕様のアメリカ大陸横断可能なもので、L-1011DC-10と実質的に同等であり、双発機としては後に登場するBoeing 777-200に近い大型機でした。しかし複合材製のファンブレードであるHyfilに起因する不具合によるロールス・ロイス製RB211の開発遅延の影響を受け、当初装着するエンジンとして想定していたRB207が開発実現の見込みが立たなくなったために、GE製 CF6-50エンジンの双発に改めることとなりました。それに伴って機体サイズを縮小することとなり、A300Bとして開発されました。

1972年10月28日に原型機のA300B1が初飛行を行いました。初の量産型のA300B2は、A300B1の胴体を2.65m延長したものであり、1973年6月28日に初飛行を行いました。

当初は10数機しか発注が無く、苦戦が続きました。当時はアメリカのマクドネル・ダグラスDC-10やロッキード L-1011 トライスター、ボーイング747が熾烈な販売競争を展開しており、新興のエアバスはそれらより販売開始が遅い上、初期導入のA300B2は航続距離が短く大西洋横断無着陸飛行が出来ないことなどから、ヨーロッパの航空会社でもエアバスを採用しようというところはほとんどありませんでした。

しかし、粘り強く売り込みを続け、当時のアメリカの4大航空会社の一つだったイースタン航空に無償で貸与すると、三発機のトライスターなどよりも燃費が良く効率的だとの判断が下り、採用に至ったため、アメリカでも売れ行きが伸びはじめ、アメリカン航空パンアメリカン航空などの他の大手航空会社も相次いで導入し、最終的に200機以上を売り上げることに成功しました。

また、ルフトハンザ航空イベリア航空スカンジナビア航空などのヨーロッパの航空会社や、東亜国内航空大韓航空、タイ国際航空などのアジアの航空会社にも導入され、国内線や近距離国際線を中心に運航されました。

1980年代に入り、派生形のA310のライバルとしてボーイングからセミワイドボディ双発機のBoeing 767が発売されたことや、より大型のBoeing 777の開発が開始されたことなどを受け、1990年代初頭に、A300の胴体を延長し、最新のテクノロジーを投入したA330が開発されました。その後販売の主力がA330に移ったことなどにより、2007年7月11日に最終号機がフェデックスに引き渡され、生産が終了しました。

技術的特徴

1960年代に計画が開始された超音速旅客機コンコルドから派生した、いくつかの最新の技術を使用しており、その注目点は、デ・ハビランド(後のBAEシステムズ)によって進歩した翼で卓越した経済的な性能の翼部分(リア・ローディング翼型、スーパークリティカル・ウィング)から構成されており、進歩した航空力学的に実効力のある飛行制御を組み合わせているそうです。構造は重量軽減のため、「金属鋼片」(メタル・ビレット)でできており、ウィンド・シアを「ウィンド・シア警報装置」により制御した最初の航空機でもあります。

真円形の胴体にBoeing 747用のLD3コンテナを並列に搭載可能な設計のため、他の機体と比較して、床下の貨物室が広く、旅客スペースは窓側と天井付近がやや狭くなりました。LD3コンテナの並列搭載が可能なことから、旅客型から貨物型へと改造された機体もかなりあります。

派生タイプ

A300B1
原型機。生産機数2機。最大離陸重量132,000kg及び220kNの推力を得られるゼネラル・エレクトリック製CF6-50A型エンジンを装備し旅客数259座席の設備でした。2機のうち1機(F-OCAZ)は航空会社に引き渡されず、エアバスの試験機として一生を過ごしました。

A300B2
初期量産型。227kN及び236kNの両方の推力を得られるゼネラル・エレクトリック製CF6型プラット・アンド・ホイットニー製JT9Dエンジンを使用。1974年5月にローンチカスタマーのエールフランス航空に引き渡されました。航続距離は1,850km(1,000NM)。日本では東亜国内航空1981年3月に初めて就航させました。同社が就航させた機体はすべて離着陸性能を向上させるため、主翼前縁下面のパネルが前方展開するクルーガーフラップを装備したA300B2Kでした。

B2 type内での細かな違い,最大離陸重量と着陸重量(燃料0の重量)でタイプが細分化されています。

A300B2-100: 137 Metric Ton MTOW
A300B2-200: 142 Metric Ton MTOW, with Krüger flaps.
A300B2-300: increased Maximum Landing Weight/Maximum Zero Fuel Weight

MTOW: Maximum Take Off Weight

A300B4
最大離陸重量を157トン(のちに165トン)へ増加した航続距離延長型。初期生産では主流はB2型からB4型へと移りました。B2/B4型の生産は総数248機となりました。航続距離4,070km(2,200NM)。

B4 type内での細かな違い

A300B4-100: 157.5 Metric Ton MTOW.
A300B4-200: 165 Metric Ton MTOW.

N202pa_cn_195_clipper_america_air_2
N202PA 1989/6/25 TXL

A300FFCC

最初の2名パイロット航空機。初めにガルーダ・インドネシア航空及びヴァリグ・ブラジル航空へ引き渡されました。

A300F4 貨物型(旅客型からの改造のみで新造はなし)

A300C4 貨客混載/転換型

A300 ZERO-G
各種改造によりパラポリック・トラジェクトリ(放物線飛行)を行い、マイクロ・グラビティー(微重力)状態を客室で再現できるようにした機体。(エアバス社の社有機であるA300の3号機を使用)

TYPE             エンジン                耐空証明取得
A300B2-1A        GE     CF6-50A             1974
A300B2-1C        GE     CF6-50C             1975
A300B2K-3C      GE     CF6-50CR           1976
A300B4-2C        GE     CF6-50C             1976
A300B4-103       GE     CF6-50C2           1979
A300B4-120       P&W JT9D-59A             1979
A300B2-203       GE     CF6-50C2            1980
A300B4-203       GE     CF6-50C2            1981
A300B4-220       P&W JT9D-59A              1981

A310のときと同様に、A300-600以降の派生型については別記事で触れる予定です。

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コメント

クハ415-1901さん、こんにちは。
飛行機にはまったく詳しくない私ですが、
パンアメリカン航空のジェット機は、なぜかむかしから知っています。
このごろあまり耳にしませんが。

1970年の修学旅行で羽田空港に立ち寄った際、
このパンナムのマークがデザインされた小型の青いバッグをおみやげに買いました。
私のお気に入りで、その後ずっと使い続けました。
日本航空より、パンナムのほうが憧れでした。

そうですね、あのころはパンナムのバックが,マジソンスクエアガーデンのバックとともにひとつの時代のシンボルのようでしたね。

確か寅さんの映画などでも空港のシーンではあのカバンを持った姿が映し出されて妙に懐かしさを感じたりします。

私が旅客機を写しだした頃は既にパンナムは日本から撤退していましたが冷戦下のベルリン線ではまだ飛んでおり、私も家族でハンブルグに往復した際にパンナム機に搭乗しました。

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