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2013年9月30日 (月)

休日おでかけ切符で高崎線沿線へ その1 深谷編

本来なら、新潟の旅シリーズEF510の順番ですが、2013年9月28日土曜日は高崎線沿線の保存蒸気機関車取材の一環で、深谷、熊谷、行田、鴻巣を旅しましたので、その記録を纏めようと思います。目的はなんであれ、初めて行く土地をぶらぶら散策し、いろいろなものを観ること、発表するためにいろいろと調べることは将来何か役に立つ気もします。

常磐線で上野まで出て、高崎線快速アーバンでまずは深谷に向かいました。快速アーバンは1989年3月11日のダイヤ改正で登場し、登場時の停車駅は上野駅 - 赤羽駅 - 浦和駅 - 大宮駅 - 上尾駅 - 桶川駅 - 鴻巣駅 - 熊谷駅 - 深谷駅 - 本庄駅 - 新町駅 - 高崎駅 - 新前橋駅 - 前橋駅でした。

高崎線はこれまでに何回も乗車していますが、熊谷以外、途中駅での下車経験は殆ど無く、深谷駅で降りるのも初めてでした。目的は駅の南約2km、ちょうと上越新幹線の高架のそばに位置する仙元山公園に静態保存されているD51 885号機を観ることです。

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深谷駅の上り線ホームの駅名標 2013/9/28

深谷といえば、「深谷ねぎ」が有名ですが、我々の年代だと「荒船清十郎の急行停車」を思い出します。1966年のことだったのですね。

さて深谷駅に降りて最初に驚いたのは駅舎です。

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秋晴れの青空に映える赤煉瓦風の深谷駅舎

ご覧のような東京駅赤煉瓦駅舎を少し小さくした駅舎が橋上駅構造の上に建てられています。「ミニ東京駅」と呼ばれているそうで、大正時代に竣工した東京駅・丸の内口駅舎の建築時、深谷に所在する日本煉瓦製造で製造された煉瓦が70キロ以上離れた東京駅まで鉄道輸送されて使われたという史実に因んでのことなのだそうです。

ただし、この深谷駅舎自体はレンガ構造ではなく、コンクリート壁面の一面にレンガ風のタイルを貼った構造です。

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今回、駅の北側には行きませんでしたが、南側は唐沢川が流れ、川に沿って桜並木が存在します.桜が満開の頃はさぞ綺麗なのではと思います。来春にでも訪問したく思います。また架かっている橋も一つ一つ意匠が凝らしてあるように感じました。

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唐沢川にそって瀧宮神社があります。秩父山地に降った雨が荒川を流れ、櫛引台地に浸透した水が湧き水となって台地の北端であるこのあたりで地上に現れているそうです。大昔から人々が生活を営む場所だったそうで、住居跡や多くの土器が掘り出されているそうです。その湧き水を龍に因んで「瀧の宮」と称して神社を祀ったのが始まりだそうです(瀧宮神社のWEBサイトの記述から抜粋)。

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神社の前を通り、線路に直角に南下する道(県道62号線:深谷寄居線)を2km弱歩くと、仙元山公園の北西側の入り口に到着します。

ここは標高98mの「丘陵型ミニ森林公園・仙元山」の北西側の入口で山頂に続く長い階段があります。

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山頂には浅間神社があります。

創建年代は不詳ですが、南北朝時代にはすでに存在したようで、御祭神は、天孫「ニニギの尊」の妻で、海幸彦と山幸彦の母の「木花開耶姫命」であり、ほかに6柱の神が祀られています。
 古くから安産の神として、近在ばかりか相当遠くの人たちの厚い信仰を集めて、安産講の組織も存在したと言われ、また、養蚕守護の御利益もあったといわれています(深谷市総合体育館/深谷ビッグタートル案内のWEBサイトから抜粋)。

来た方向とは違う方向に,新幹線の高架線の方向に山を下ると、昌福寺の墓地があり、そこには曼珠沙華(彼岸花)の群生がありました。

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お彼岸からは一週間過ぎていますが,この季節に咲く曼珠沙華をみると何か独特の気分になります。

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仙元山公園の南の端にある昌福寺

創建は室町時代中期の深谷城主「上杉房憲公」で、江戸時代には寺領20石を拝領していた名刹です。ご本尊はお釈迦様で、永平寺・道元禅師と草持寺・蛍山禅師を宗祖に仰ぐ曹洞宗の禅寺であり、開山は御嶽永源寺3世・漱恕全芳禅師で、もともと上杉家父祖の冥福を祈るため創建され、「人見山」と号されています(深谷市総合体育館/深谷ビッグタートル案内のWEBサイトから抜粋)。

実はこの頃になるといつもなら見えるはずの黒い物体の姿が見えないのに若干の焦りさえ感じ始めていました。なにせ駅から2km以上歩き、標高98mとはいえ、山越えまでしてやって来てお目当ての黒い物体を観ないで帰るわけにはいけないと感じていたからです(笑)。

その黒い物体方は公園内に綺麗に整備されて展示されていました。そのことは公園保存蒸気シリーズで紹介するとして、無事観察を終えて,今度は東側の道を北上して駅まで戻りました。

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駅までの道すがら、宅地造成もかなり進んでいましたがまだ畑地として残っている場所もあり、そこにはご当地名産の「深谷ねぎ」が栽培されていました。

Wikipediaによると「深谷ねぎ」がはじまったのは明治以降の100年のことで、現在は深谷市のみならず妻沼、本庄、上里でも生産され「深谷ねぎ」として出荷されているそうです。特に利根川右岸に広がる妻沼低地は肥沃な沖積地で耕土が深く、加えて冬の日照期間が長いためにじっくり生長するなど、地質・地形・気候面でねぎ栽培に適しているとのことです。

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