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2013年10月 1日 (火)

休日おでかけ切符で高崎線沿線へ その2 熊谷編

深谷に続いて今回は熊谷です。

埼玉県の地図を見ると熊谷は高崎から高崎線に沿う形で流れてきた利根川と秩父山地から流れ出し、秩父鉄道に沿って流れてきた荒川が最も接近する場所です。

先日の深谷付近の台地と湧水の話題もありましたが、熊谷付近が行田、鴻巣付近にかけて古墳が多いのもふたつの川に挟まれた水の便の良さと肥沃な大地(沖積平野)に由来するのではと思います。現に熊谷市はWikipediaによると国内で水のおいしい町32のひとつに入るそうです。

さらに熊谷市を全国的に有名にしているのは夏の最高気温で2009年8月16日14時42分に多治見市と並んで当時の観測史上最高の40.9度を観測したことです。今年その記録が四万十市によって塗り替えられましたが。よくこの気温の高さを盆地のせいでと思っている方が多いようですが、熊谷は地形上、盆地ではありません。

今回、熊谷を訪れた理由は駅南口から歩いて5分ほどのところにある荒川公園に静態保存されているD51140号機に逢うためでした。機関車に関する話題は公園保存蒸気のシリーズで取り上げる予定で、今回は荒川公園の慰霊塔に関して触れたく思います。

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荒川公園(熊谷市)の慰霊塔 2013/9/28

この慰霊塔は太平洋戦争で戦死された方々や熊谷で空襲等で亡くなられた方々の霊を慰めるために1962年に建立されたものだそうです。特に終戦の日の一日前の1945年8月14日の熊谷大空襲では多くの方々が犠牲になったそうです。

当時の状況が詳述されている総務省の一般戦災WEBサイトの文章を引用しますと

午後11時30分頃、房総半島の南方より侵入してきた数十機のB29は、空襲警報下(当夜は警戒警報出ず)の熊谷を襲った。最初の2機は偵察のためか、市街地上空を北方へ去り、すぐ引き返して来たとおもうと、すでに佐谷田、久下方面は火に包まれていた。そして高度3000~5000メートルの上空から、昼をあざむく照明弾とともに、夕立雨のように落下する無数の油脂焼夷弾とエレクトロン焼夷弾によって、市街地は瞬時にして火の海と化した。火に焼かれる者、傷つき倒れる者、逃げまどう人たち、子を探す親、父母を求める子どもなど、阿鼻叫喚(あびきょうかん)の地獄であった。
当時のアメリカ軍は、熊谷市は、中島飛行機株式会社の飛行機部品(機体及びエンジン)製造の中心地の一つとして考えており、また中島製品の最も重要な分配センターの一つと考えていた。そのことが、熊谷市が空襲を受けた理由のひとつと考えられる。また、軍の施設として、埼玉県所沢市に次ぐ第二の操縦教育の学校となる熊谷飛行学校があった。当初は操縦教育を行っていたが、本土決戦が近づくにつれ飛行部隊として編成換えが行われ、特攻隊操縦者の養成の任務を受けた。敗戦後は米軍の進駐が行われ、米軍が基地から撤退した現在では、航空自衛隊熊谷基地となっている。

多くの消防団員、警防団員は、我が家の焼けるのを見棄て、家族の行方も求めず、全力を尽くして消火につとめ、市民の避難誘導に当たったのである。市街地の3分の2を焼き尽し、死者266名の多きを出した火は、翌15日午後5時ごろようやく消えたが、余燼(よじん)はなお数日にわたってくすぶっていた。街は一面の焼け野原となり、多くの犠牲者が星川に、防空壕の中に、道路や溝に焼け死んでいた。特に星川付近は100名近い焼死者が重なっており、悲惨の極みであった。

そして皮肉にも空襲を受けた翌日終戦となり、埼玉県下唯一の「戦災指定都市」の指定を受けた。あと1日早く戦争が終わっていれば多くの死傷者を出さずに済んだのではないだろうか。

『熊谷市史 通史編』、『新編埼玉県史 資料編20』、『戦前戦中戦後の熊谷の様子』・『戦前戦中戦後の熊谷の様子』

とのことです。現在でも地球上でこういった戦闘が絶えず続き、多くの一般市民の尊い命が失われていますが、なんで人間はこんな愚かな殺戮を繰り返すのでしょうか。それにしても終戦のわずか一日前にこんな事態が起こっていたとは・・・

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秩父鉄道熊谷駅構内で休むデキ201号機 

公園で黒い物体を観察し、写真に収めた後、駅に向かうと茶色の秩父鉄道のクラシックスタイルの電機の姿があります。番号を確認するとデキ201号でした。確か、2010年頃12系客車とおなじダークグリーンに塗装されていたと思いますが、化粧直しをしたのでしょうか。おそらくこの機関車、広瀬川原の基地からSLパレオエクスプレスのエスコート役を務めて熊谷駅までやってきたのではないでしょうか。

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SLパレオエクスプレスを熊谷までエスコートする旧塗装時代のデキ201 2010/4/25 ひろせ野鳥の森~大麻生

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熊谷駅横の電留線で休息する7001編成 他

一方、駅方向を見ると旧東急の8500系(7000系)や軽量ステンレス車の8090系(7500系)の姿もありました。先日、国鉄101系由来の1000系がこの秋で引退の報道がありましたが、秩父鉄道の車輌も徐々に入れ替わっているようです。私も、高校時代(1971.4~1974.3)に唯一、東急との接点があり、毎日渋谷から東横線を利用していました。あの頃は、まだ青蛙5000系も健在で、本線には8000系そして地下鉄日比谷線乗り入れに7000系が活躍しており、7000系や京王井の頭線3000系のパイオニア台車をキラキラ光らせながら走る姿は当時の西武線とはだいぶ違うなあと感じていました。また、東横線では当時、既に自動改札機が導入されていました。

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行田市に向かうためホームで待っていると1010編成が入線してきました。 塗装は違えど101系の姿を今によく残す編成です。

今回、次の目的地である行田市の公園に向かうため秩父鉄道に乗車することにしました。秩父鉄道も、C58363の撮影や、広瀬川原基地公開のイベントなどで数回乗車していますが、今回は熊谷から行田市までの乗車となりました。ホームで待っていると入線してきたのは1000系のオリジナル塗装1210の編成で、昔、中央線で毎日101系の快速電車に乗っていた頃を思い出してしまいました。101系の先頭車両の運転台の後で前方を眺めているとヒューヒューという風切り音が聞こえてきますが、あれはまさに昔のままですね。

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客室と乗務員室の仕切りの様子 1960年製以前の車両は窓が大きく、試作車では窓が大きい上にHゴムではなくアルミサッシだったと記憶しています。

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運転台の様子 機器はいろいろ追加されていますが、基本的には101系時代の雰囲気をよく残しています。

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天井の扇風機は国鉄時代のまま、JNRマークが残っています。

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アコーディオンドアは新聞輸送などのための秩父鉄道のオリジナルでしょうか?

秩父鉄道の熊谷以西は上武鉄道が開業し、羽生~熊谷間は北武鉄道によって開業されました。1901年、上武鉄道が熊谷~寄居間を開業し、1921年北武鉄道が羽生~行田(市)間を開業しています。1922年8月に行田~熊谷間が開業し、同年9月には秩父鉄道が北武鉄道を合併しています。三峰口まで開業したのが1930年です。

熊谷から2つ目の行田市まで、運賃は300円、若干高いかな、でもこの区間(熊谷~持田)は秩父鉄道で最長区間であり、新駅の設置が検討されているので無理もないかなと思いつつ、行田市駅のレトロな雰囲気を味わいつつ、行田市民プール横に保存されているC5726を観るために足を進めました。

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コメント

クハ415-1901さん、熊谷・深谷アルバムを拝見しました。
やはり目に留まるのは秩父鉄道です。
あの101系の国鉄色は勇退してしまったのでしょうね。
その結果私の撮影意欲は少々下がりましたが、
ご紹介の機関車が色とりどりで興味を惹きました。

熊谷・深谷は2010年の春と冬に立て続けに2度訪れています。
前者は友人とクルマで、
後者は鉄道で出張の帰りに立ち寄っています。

クハ415-1901さんのお写真では彼岸花に目を見張りましたが、
春に行ったときは道中ハナミズキが満開でした。
またお話の深谷ネギが、焼くと甘くてたいへん美味でした。

やぶおさん、こんばんは。

今晩も、早速コメントありがとうございます。

>熊谷・深谷は2010年の春と冬に立て続けに2度訪れています。
前者は友人とクルマで、
後者は鉄道で出張の帰りに立ち寄っています。

そうでしたか、わたしも今回訪れて非常に魅力的な場所で、ぜひ春の桜の咲く頃に再訪してみようと思っています。明日は、このシリーズの最終回で行田と鴻巣です。
珍しい名前の食べ物の話題も出てきます(笑)。

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