485系特急 「ひたち」 その1 ~1985年3月改正前まで
これまでにも何回か申しておりますが、私が、上野駅に列車撮影デビューをしたのは1972年10月のことで、ちょうどこの時は常磐線特急「ひたち」が485系電車で定期化された時でもありました。
今回はその485系時代の「ひたち」について触れようと思います。
上野駅20番線ホームに入線した485系「ひたち」 1972/10 仙センの9連で仙台側のクハは0番台、クリーム色のスカートですね。 タイフォンは既にボンネットに移設されています。
まずは、常磐線の昼行優等列車の歴史を振り返って見ましょう。
1947年6月:上野駅 - 青森駅間を、常磐線・東北本線経由で走る急行207・208列車が運転開始されました。1944年12月に戦前の急行列車が全廃になって以来、2年半ぶりの優等列車の登場でした。
1950年11月:上野駅 - 青森駅間を常磐線・東北本線経由で運行していた急行201・202列車が「みちのく」と命名されました。同線初の「列車愛称」となりました。
1954年10月:上野駅 - 青森駅間を常磐線経由で運転していた、元連合軍専用列車であり、1952年から「特殊列車」と称する一部のみ日本人にも開放されていた列車が、完全に日本人に開放され、急行列車となり、「十和田」と命名。
1955年:上野駅 - 水戸駅間を運行する快速列車、「ときわ」・「つくばね」が運転開始。
1958年6月:「つくばね」は名称を「ときわ」に統合し、「ときわ」は準急列車に昇格。同時に平駅(現在のいわき駅)まで運転区間を延長。
10月:上野駅 - 青森駅間を常磐線・東北本線経由で運行する特急列車「はつかり」が運転開始されました。登場時はスハ44系を主とした客車編成でした。
1959年9月:上野駅 - 仙台駅間を常磐線経由で運行する気動車急行「みやぎの」が運転開始。
1960年6月:水戸駅 - 仙台駅間を運行する準急「そうま」が運行開始。
12月:特急「はつかり」はキハ80系気動車を使用し、初の気動車による特急列車となりました。
1963年10月:上野駅 - 平駅間を運行する全席座席指定制の電車準急列車として、「ひたち」が運転開始(この時点から今年10月は「ひたち」登場50周年となるのですね)。
1965年10月:「みちのく」が東北各地への多層立て気動車急行として1往復増発され2往復となりました。
1966年3月:「ときわ」「ひたち」「そうま」が急行列車に昇格。
1967年10月:「ひたち」が「ときわ」に統合。また「ときわ」の一部列車を東京駅乗り入れ開始(「ひたち」の名称は一旦ここで消えているのでしょうか)。
1968年10月:「そうま」の上り列車が上野駅まで乗り入れるようになり、「ときわ」の1往復を仙台発着の「そうま」に組み入れました。また特急「はつかり」は電車化され、東北本線経由(黒磯駅経由)に変更されました。「みちのく」の1往復(客車列車)を、急行「十和田」に統合、「みちのく」は気動車急行のみとなりました。
この頃、確か1966年の夏休み、家族で能代旅行した際に東北本線の急行列車は満員で、常磐線経由で仙台まで行くこととなり、上野を定期の「みちのく」より、1時間早い時間に出発する、臨時「みちのく」に乗車したのを憶えています。常磐線の非電化区間でC62(?)牽引の定期「みちのく」に道を譲ったのを憶えています。Netサーチで見つけたRail-ArtさまのBlogに、臨時みちのくの記事があり、大変懐かしく拝見しました。1965年夏の設定では臨時は定期に野辺地で抜かれるようですが、私が記憶している限りでは、1966年の場合、仙台の手前で抜かれていたようです。
1969年10月:上野駅 - 平駅間を運行する季節特急列車として、「ひたち」運転開始(列車番号:6001D・6002D)。秋田運転所に配置されたキハ81を先頭車とする7両編成、2編成を使用したもので、特急「いなほ」との共通運用でした。
←上野
DcDsDdDDDDc×2 所要2
いなほ(1)、ひたち(1)
秋田925-1740上野1810-2112平
平645-945上野1350-2200秋田
Dc×2 D×2 Ds×1 Dd×1
1970年 7月:特急「ひたち」に、上野発着の特急として初めて自由席2両を設置。 登場時は全席指定でしたが、短距離の利用者が多い点を考慮したため。
10月:特急「ひたち」定期列車化。急行「みちのく」廃止。
1971年4月:「ひたち」の上り列車のみ東京駅に乗り入れ。
1972年3月:「そうま」の2往復を盛岡駅まで延長し、「もりおか」と名称を変更。急行「十和田」昼行1往復の格上げで上野駅 - 青森駅間に、特急「みちのく」が1往復運転開始。 なお、この格上げした「十和田(下り)・(上り)1号」は1968年10月まで客車急行「みちのく」を名乗っていた列車です。
7月:夏「ひたち」51・52号が485系電車を使用して運転。
0番台クロ481を上野寄りに連結した485系9連「ひたち」 1979/9/29 かつて仙台には0番台、50番台(サロから改造)、100番台のクロがいましたが、1975年5月から6月にかけて、1,2, 51~57番台が門ミフに転出したため、このころは3,4,5, 101~104が仙センで活躍していました。1979年はすでに絵幕の時代でしたが、ボンネット車のHMはまだ字幕のままでした。
仙台運転所配置の483/5系、9両編成、上野方にクロを組み込んだ編成4本を使用して運転で、「ひばり」、「あいづ」との共通運用でした。
←上野
TscM'MM'MTdM'MTM'MTc×12 所要11(臨時+1)
やまびこ(3)(臨時+2)、ひばり(6)、やまばと(3)(臨時+1)
仙台611-1011東京‥上野1100-1456仙台1705-2104上野‥尾久/2233-600盛岡
尾久‥上野1005-1432山形1540-2009上野‥尾久/2335-534山形
尾久‥上野700-1304盛岡1400-2004上野‥東大宮
東大宮‥上野630-1024仙台1205-1604上野‥尾久
尾久‥上野1200-1557仙台1805-2204上野‥東大宮
東大宮‥上野800-1157仙台1305-1704上野1830-2225仙台
仙台810-1204上野1300-1904盛岡2230-600上野
盛岡800-1411東京1600-2210盛岡
盛岡900-1504上野1705-2133山形2220-424上野
山形740-1209上野1305-1730山形
山形1040-1509上野1700-2056仙台
上野630-1230盛岡1550-2204上野
休
TscM'MM'MTdM'MTc×4 所要2(臨時+1)
ひばり(1)、あいづ(1)(臨時+1)、ひたち(臨時2)
仙台710-1104上野1405-1740会津若松1925-2258上野
上野625-1001会津若松1036-1409上野1500-1857仙台
上野717-1002平1022-1305上野1327-1610平1732-2213上野
T×2
<サハ481について> この頃、大ムコの485系は6M5Tの11連でサハは組み込まれておらず、サハが組み込まれていたのは仙センの12両編成のみでした。予備車2両も含めて-1~14が配置されていましたが、下記のように1972年10月に-1,2が大ムコに転出し、クハ489-51,52に改造されています。3-11は1975年6月に門ミフに転出し、「にちりん」で活躍しました。12-15は1984年から1985年にかけてクハ480に改造されて「くろしお」で活躍しました。
10月:「ひたち」に485系電車を使用開始。電車特急となる。また、「ひたち」5往復に増発し、運転区間を東京駅・上野駅 - 平駅・原ノ町駅・仙台駅間に拡大。なお、平駅・原ノ町駅発着各2往復、仙台発着1往復。同時にエル特急に指定。この改正を前に、仙センからモハ485ユニット(59,60,61)、サシ481-29が盛アオへ、サハ481-1,2が大ムコへ転出しています(サハ489-51, 52に改造のため)。また12両編成グループが10本となり、9両編成グループが5本に増強されています。「ひたち」はすべて9両編成グループで運用されました。
←上野
TscM'MM'MTdM'MTM'MTc×10 所要9(臨時+1)
やまびこ(2)(臨時+2)、ひばり(6)、やまばと(3)(臨時+1)
仙台611-1011東京‥上野1100-1456仙台1805-2204上野‥尾久
尾久‥上野1005-1432山形1540-2009上野‥尾久/2335-534山形
尾久‥上野700-1304盛岡1400-2004上野‥東大宮
東大宮‥上野630-1024仙台1205-1604上野1705-2133山形2220-424上野
山形740-1209上野1305-1730山形
山形1040-1509上野‥東京1600-2210盛岡2250-600上野
盛岡800-1411東京‥上野1500-1857仙台
仙台710-1104上野1200-1557仙台1705-2104上野‥東大宮/2233-554盛岡
東大宮‥上野800-1157仙台1305-1704上野1830-2225仙台
上野555-1200盛岡1505-2114上野
休
TscM'MM'MTdM'MTc×5 所要4
ひたち(5)、あいづ(1)(臨時+1)
仙台640-1125上野1200-1434平1457-1733上野1800-2146原ノ町
原ノ町540-934東京‥上野1000-1343原ノ町1540-1924上野2003-2246平
平1047-1325上野1405-1740会津若松1925-2258上野
上野625-1001会津若松1036-1409上野1600-2041仙台
M'M×2 Tc×1 Tsc×1 T×2
1973年4月:「ひたち」の上り1号のみ実施されていた、東京駅乗り入れを中止。
10月:「ひたち」を6往復に増発。このとき、これまで9両編成のみだった「ひたち」に12両編成組の運用が加わりました。
←上野
TscM'MM'MTdTM'MM'MTc×8 所要7
ひばり(4)、やまばと(3)(臨時+1)、ひたち(1)
仙台920-1319上野1400-1758仙台
仙台1120-1518上野1900-2136平
平746-1020上野1100-1458仙台1620-2019上野‥尾久
尾久‥上野1004-1432山形1543-2016上野‥東大宮/2348-545山形
東大宮‥上野700-1058仙台1220-1621上野1704-2132山形2212-442上野
山形743-1214上野1304-1741山形
山形1043-1514上野1604-2003仙台
休
TscTsM'MM'MTdTM'MM'MTc×2 所要2
ひばり(3)
仙台720-1119上野1200-1558仙台1720-2119上野‥東大宮
東大宮‥上野800-1158仙台1320-1719上野1800-2158仙台
TscM'MM'MTdM'MTc×5 所要4
ひたち(5)、あいづ(1)(臨時+1)
仙台640-1120上野1200-1431平1502-1733上野1800-2142原ノ町
原ノ町540-920上野1000-1338原ノ町1540-1920上野2003-2242平
平1047-1323上野1404-1739会津若松1840-2215上野
上野604-937会津若松1036-1414上野1600-2041仙台
M'M×2 Tc×1 T×2 Ts×1 Tsc×1 Td×1
1975年3月:「ひたち」を8往復に増発。12両編成が5往復、9両編成が3往復となりました。
←上野
TscM'MM'MTdM'MTM'MTc×10 所要9 →1975.5より順次TcTsM'MM'MTdM'MM'MTc
ひばり(5)、やまばと(2)、ひたち(5)
仙台1120-1518上野1900-2248原ノ町
原ノ町540-920上野1000-1338原ノ町1540-1920上野2003-2242平
平730-1006上野1100-1458仙台1620-2019上野‥尾久
上野700-936平1046-1324上野1400-1758仙台
仙台1020-1418上野1500-1858仙台
仙台920-1319上野1400-1635平1710-1947上野‥東大宮
東大宮‥上野700-1058仙台1220-1621上野1704-2132山形
山形743-1214上野1304-1741山形
山形1043-1514上野1604-2003仙台
休
TscTsM'MM'MTdTM'MM'MTc×3 所要2
ひばり(3)
1973.10~と同じ
TscM'MM'MTdM'MTc×3 所要3
ひたち(3)、あいづ(1)
仙台640-1120上野1200-1431平1501-1732上野1800-2143原ノ町
原ノ町838-1220上野1404-1739会津若松
会津若松1036-1414上野1600-2041仙台
M'M×2 Tc×4 Ts×2 Td×1
この改正の後、仙台名物であった、クロ481-1, 2, 51, 52, 53, 54, 55, 56, 57とサハ481-3, 4, 5 , 6, 7, 8, 9, 10, 11 は門ミフ転出となり、代わりにクハ481-243, 244、サロ481-92, 93, 94, 95, 96. 97が門ミフより転入し、クハ481-316, 317, 328, 329, 330, 331, 338, 340およびサロ481-124, 125, 126が新製配置されました。こういった動きにより、クロを上野方につないだ12連の編成が、クハ+サロ編成に置き換えられました。
このころ、僅か2両、200番台クハが転入しているため、200番台用と300番台用の愛称字幕が用意されたのではないかと思われます。なかには、200番台用字幕を装着したと思われる300番台クハもあり、文字列が真ん中に寄ったパターンだったのが目撃されています。
1976年5月30日には200番台クハ481-243, -244が門ミフに戻っています。さらにサハ481-12,13,14,15が大ムコに転出しており、入れ替わりに大ムコから101, 102, 103が転入しています。さらに金サワから大ムコに16,17,18,19が転属しており、それを受けて大ムコから仙センに104, 105, 106, 107が転入しています。今回の仙センへのサハ481-100番台の集結は座席数の増強とのことで、以前特急「あいづ」の記事において記述しました。一方、大ムコへの0番台サハの集結は結果的にこのときに集結した車両が485系「くろしお」で誕生したクハ480の種車になりました。
1978年10月:「ひたち」を11往復に増発。また急行「そうま」は「ときわ」に編入され、愛称消滅。サロの位置が6号車に変わった12両編成、6往復と、9両編成5往復の体制となりました。
←上野
TcM'MM'MTsTdM'MM'MTc×15 所要12
ひばり(11)、ひたち(6)
仙台‥岩切
岩切‥仙台558-1013上野1100-1335平1444-1722上野1800-2145原ノ町
原ノ町535-920上野1000-1343原ノ町1534-1921上野2030-2310平
平743-1020上野1100-1515仙台1658-2113上野‥東大宮
東大宮‥上野700-1115仙台1258-1713上野1800-2215仙台
仙台958-1413上野1500-1915仙台‥利府
利府‥仙台1328-1743上野1830-2245仙台‥利府
利府‥仙台1158-1613上野1700-2115仙台
仙台658-1113上野1200-1615仙台1758-2213上野‥東大宮
東大宮‥上野700-937平1044-1322上野1400-1635平1712-1950上野‥東大宮
東大宮‥上野800-1215仙台1358-1813上野1900-2315仙台
仙台858-1316上野1400-1815仙台‥利府
利府‥仙台1058-1513上野1600-2015仙台
TscM'MTM'MM'MTc×6 所要4(臨時+1)
ひたち(5)、あいづ(1)、ひばり(臨時1.5)
休
仙台635-1120上野1200-1435平1544-1820上野1900-2244原ノ町
原ノ町835-1218上野1303-1655会津若松
会津若松1020-1410上野1500-1735平1814-2050上野‥東大宮
東大宮‥上野941-1215平1245-1519上野1600-2045仙台
上野600-1015仙台1425-1843上野/仙台1852-2310上野
Tc×2 T×1 Tsc×1 Td×2
上野を出発する絵幕の12連の「ひたち」 1979/5/5
1982年11月:東北新幹線本格開業により、仙台駅以北を結ぶ特急「みちのく」急行「もりおか」などの昼行特急列車・急行列車を全廃。急行「十和田」は夜行のみ存続。これにより、常磐線を運行する列車名は特急「ひたち」、急行「ときわ」の2種類のみとなりました。また、「みちのく」「もりおか」廃止を補完する形で、仙台発着の「ひたち」1往復、「ときわ」2往復を増発。「ひたち」はすべて12両編成となりました。
←上野
TcM'MM'MTsTM'MM'MTc×10 所要7(臨時+1)
ひたち(12)、ひばり(臨時1)
休
仙台631-1120上野1200-1438平1540-1821上野1900-2244原ノ町
原ノ町831-1220上野1300-1757仙台
仙台925-1420上野1500-1735平1813-2050上野2110…2136大宮‥東大宮
東大宮‥上野700-941平1043-1320上野1400-1638平1710-1950上野‥東大宮
東大宮‥上野935-1215平1245-1520上野1600-2045仙台
仙台‥相馬514-920上野1000-1343原ノ町1534-1920上野2030-2310平
平740-1020上野1100-1335平1443-1721上野1800-2203相馬‥仙台
仙台1020-1440上野1453-1914仙台/上野1543-2008仙台
M'M×28 Tc×5 Ts×3 Tsc×4 Td×15
この間に仙センから、「ひたち」用編成は勝田区に移管となり、1965年10月以来、約20年間続いた485系の仙センの配置は無くなりました。
1985年3月:急行「ときわ」が特急「ひたち」に統合されて定期列車の運転を終了、「ひたち」は下り24本、上り23本に増発し国鉄在来線特急列車での運行本数最多となりました。急行「十和田」を臨時列車に格下げ。
1985年3月は筑波研究学園都市で開催されたエキスポつくばの開幕も相まって常磐線関係は大きな変化がありました。まず、万博開催期間中の臨時駅として、現在、ひたち野うしく駅がある場所に「万博中央駅」が設置され、常磐線の415系はそれまでの小豆色の交直両用色からブルーとクリームに模様替えをしました。また特急「ひたち」も1975年3月の改正で大ムコから鹿カコに転属していたクハ481形の初期型ボンネット車が大挙して勝田電車区に転属して参りました。ダイヤ改正直後の週末、そういったことを知らずに常磐線に乗車して、絶対地元ではみられないと思っていた赤スカートの「ひたち」が走っているのを見た時はびっくりしました。
次回のこのシリーズは1985年の改正で大きく様変わりした特急「ひたち」について触れます。
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