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2013年10月24日 (木)

485系特急 「ひたち」 その1 ~1985年3月改正前まで

これまでにも何回か申しておりますが、私が、上野駅に列車撮影デビューをしたのは1972年10月のことで、ちょうどこの時は常磐線特急「ひたち」が485系電車で定期化された時でもありました。

今回はその485系時代の「ひたち」について触れようと思います。

485_481_0_7210_2
上野駅20番線ホームに入線した485系「ひたち」 1972/10 仙センの9連で仙台側のクハは0番台、クリーム色のスカートですね。 タイフォンは既にボンネットに移設されています。

まずは、常磐線の昼行優等列車の歴史を振り返って見ましょう。

1947年6月:上野駅 - 青森駅間を、常磐線・東北本線経由で走る急行207・208列車が運転開始されました。1944年12月に戦前の急行列車が全廃になって以来、2年半ぶりの優等列車の登場でした。

1950年11月:上野駅 - 青森駅間を常磐線・東北本線経由で運行していた急行201・202列車が「みちのく」と命名されました。同線初の「列車愛称」となりました。

1954年10月:上野駅 - 青森駅間を常磐線経由で運転していた、元連合軍専用列車であり、1952年から「特殊列車」と称する一部のみ日本人にも開放されていた列車が、完全に日本人に開放され、急行列車となり、「十和田」と命名。

1955年:上野駅 - 水戸駅間を運行する快速列車、「ときわ」・「つくばね」が運転開始。

1958年6月:「つくばね」は名称を「ときわ」に統合し、「ときわ」は準急列車に昇格。同時に平駅(現在のいわき駅)まで運転区間を延長。

 10月:上野駅 - 青森駅間を常磐線・東北本線経由で運行する特急列車「はつかり」が運転開始されました。登場時はスハ44系を主とした客車編成でした。

1959年9月:上野駅 - 仙台駅間を常磐線経由で運行する気動車急行「みやぎの」が運転開始。

1960年6月:水戸駅 - 仙台駅間を運行する準急「そうま」が運行開始。

 12月:特急「はつかり」はキハ80系気動車を使用し、初の気動車による特急列車となりました。

1963年10月:上野駅 - 平駅間を運行する全席座席指定制の電車準急列車として、「ひたち」が運転開始(この時点から今年10月は「ひたち」登場50周年となるのですね)。

1965年10月:「みちのく」が東北各地への多層立て気動車急行として1往復増発され2往復となりました。

1966年3月:「ときわ」「ひたち」「そうま」が急行列車に昇格。

1967年10月:「ひたち」が「ときわ」に統合。また「ときわ」の一部列車を東京駅乗り入れ開始(「ひたち」の名称は一旦ここで消えているのでしょうか)。

1968年10月:「そうま」の上り列車が上野駅まで乗り入れるようになり、「ときわ」の1往復を仙台発着の「そうま」に組み入れました。また特急「はつかり」は電車化され、東北本線経由(黒磯駅経由)に変更されました。「みちのく」の1往復(客車列車)を、急行「十和田」に統合、「みちのく」は気動車急行のみとなりました。

この頃、確か1966年の夏休み、家族で能代旅行した際に東北本線の急行列車は満員で、常磐線経由で仙台まで行くこととなり、上野を定期の「みちのく」より、1時間早い時間に出発する、臨時「みちのく」に乗車したのを憶えています。常磐線の非電化区間でC62(?)牽引の定期「みちのく」に道を譲ったのを憶えています。Netサーチで見つけたRail-ArtさまのBlogに、臨時みちのくの記事があり、大変懐かしく拝見しました。1965年夏の設定では臨時は定期に野辺地で抜かれるようですが、私が記憶している限りでは、1966年の場合、仙台の手前で抜かれていたようです。

1969年10月:上野駅 - 平駅間を運行する季節特急列車として、「ひたち」運転開始(列車番号:6001D・6002D)。秋田運転所に配置されたキハ81を先頭車とする7両編成、2編成を使用したもので、特急「いなほ」との共通運用でした。

←上野
DcDsDdDDDDc×2 所要2
いなほ(1)、ひたち(1)
 秋田9251740上野18102112平
 平645945上野13502200秋田

Dc×2 D×2 Ds×1 Dd×1

1970年 7月:特急「ひたち」に、上野発着の特急として初めて自由席2両を設置。 登場時は全席指定でしたが、短距離の利用者が多い点を考慮したため。

 10月:特急「ひたち」定期列車化。急行「みちのく」廃止。

1971年4月:「ひたち」の上り列車のみ東京駅に乗り入れ。

1972年3月:「そうま」の2往復を盛岡駅まで延長し、「もりおか」と名称を変更。急行「十和田」昼行1往復の格上げで上野駅 - 青森駅間に、特急「みちのく」が1往復運転開始。 なお、この格上げした「十和田(下り)・(上り)1号」は1968年10月まで客車急行「みちのく」を名乗っていた列車です。

 7月:夏「ひたち」51・52号が485系電車を使用して運転。

485_481_790929
0番台クロ481を上野寄りに連結した485系9連「ひたち」 1979/9/29 かつて仙台には0番台、50番台(サロから改造)、100番台のクロがいましたが、1975年5月から6月にかけて、1,2, 51~57番台が門ミフに転出したため、このころは3,4,5, 101~104が仙センで活躍していました。1979年はすでに絵幕の時代でしたが、ボンネット車のHMはまだ字幕のままでした。

仙台運転所配置の483/5系、9両編成、上野方にクロを組み込んだ編成4本を使用して運転で、「ひばり」、「あいづ」との共通運用でした。

←上野
TscM'MM'MTdM'MTM'MTc×12 所要11(臨時+1)
やまびこ(3)(臨時+2)、ひばり(6)、やまばと(3)(臨時+1)
 仙台6111011東京‥上野11001456仙台17052104上野‥尾久/2233600盛岡
 尾久‥上野10051432山形15402009上野‥尾久/2335534山形
 尾久‥上野7001304盛岡14002004上野‥東大宮
 東大宮‥上野6301024仙台12051604上野‥尾久
 尾久‥上野12001557仙台18052204上野‥東大宮
 東大宮‥上野8001157仙台13051704上野18302225仙台
 仙台8101204上野13001904盛岡2230600上野
 盛岡8001411東京16002210盛岡
 盛岡9001504上野17052133山形2220424上野
 山形7401209上野13051730山形
 山形10401509上野17002056仙台
 上野6301230盛岡15502204上野
 休

TscM'MM'MTdM'MTc×4 所要2(臨時+1)
ひばり(1)、あいづ(1)(臨時+1)、ひたち(臨時2)
 仙台7101104上野14051740会津若松19252258上野
 上野6251001会津若松10361409上野15001857仙台
 上野7171002平10221305上野13271610平17322213上野

T×2

<サハ481について> この頃、大ムコの485系は6M5Tの11連でサハは組み込まれておらず、サハが組み込まれていたのは仙センの12両編成のみでした。予備車2両も含めて-1~14が配置されていましたが、下記のように1972年10月に-1,2が大ムコに転出し、クハ489-51,52に改造されています。3-11は1975年6月に門ミフに転出し、「にちりん」で活躍しました。12-15は1984年から1985年にかけてクハ480に改造されて「くろしお」で活躍しました。

 10月:「ひたち」に485系電車を使用開始。電車特急となる。また、「ひたち」5往復に増発し、運転区間を東京駅・上野駅 - 平駅・原ノ町駅・仙台駅間に拡大。なお、平駅・原ノ町駅発着各2往復、仙台発着1往復。同時にエル特急に指定。この改正を前に、仙センからモハ485ユニット(59,60,61)、サシ481-29が盛アオへ、サハ481-1,2が大ムコへ転出しています(サハ489-51, 52に改造のため)。また12両編成グループが10本となり、9両編成グループが5本に増強されています。「ひたち」はすべて9両編成グループで運用されました。

←上野
TscM'MM'MTdM'MTM'MTc×10 所要9(臨時+1)
やまびこ(2)(臨時+2)、ひばり(6)、やまばと(3)(臨時+1)
 仙台6111011東京‥上野11001456仙台18052204上野‥尾久
 尾久‥上野10051432山形15402009上野‥尾久/2335534山形
 尾久‥上野7001304盛岡14002004上野‥東大宮
 東大宮‥上野6301024仙台12051604上野17052133山形2220424上野
 山形7401209上野13051730山形
 山形10401509上野‥東京16002210盛岡2250600上野
 盛岡8001411東京‥上野15001857仙台
 仙台7101104上野12001557仙台17052104上野‥東大宮/2233554盛岡
 東大宮‥上野8001157仙台13051704上野18302225仙台
 上野5551200盛岡15052114上野
 休

TscM'MM'MTdM'MTc×5 所要4
ひたち(5)、あいづ(1)(臨時+1)
 仙台6401125上野12001434平14571733上野18002146原ノ町
 原ノ町540934東京‥上野10001343原ノ町15401924上野20032246平
 平10471325上野14051740会津若松19252258上野
 上野6251001会津若松10361409上野16002041仙台

M'M×2 Tc×1 Tsc×1 T×2

1973年4月:「ひたち」の上り1号のみ実施されていた、東京駅乗り入れを中止。

 10月:「ひたち」を6往復に増発。このとき、これまで9両編成のみだった「ひたち」に12両編成組の運用が加わりました。

←上野
TscM'MM'MTdTM'MM'MTc×8 所要7
ひばり(4)、やまばと(3)(臨時+1)、ひたち(1)
 仙台9201319上野14001758仙台
 仙台11201518上野19002136平
 平7461020上野11001458仙台16202019上野‥尾久
 尾久‥上野10041432山形15432016上野‥東大宮/2348545山形
 東大宮‥上野7001058仙台12201621上野17042132山形2212442上野
 山形7431214上野13041741山形
 山形10431514上野16042003仙台
 休

TscTsM'MM'MTdTM'MM'MTc×2 所要2
ひばり(3)
 仙台7201119上野12001558仙台17202119上野‥東大宮
 東大宮‥上野8001158仙台13201719上野18002158仙台

TscM'MM'MTdM'MTc×5 所要4
ひたち(5)、あいづ(1)(臨時+1)
 仙台6401120上野12001431平15021733上野18002142原ノ町
 原ノ町540920上野10001338原ノ町15401920上野20032242平
 平10471323上野14041739会津若松18402215上野
 上野604937会津若松10361414上野16002041仙台

M'M×2 Tc×1 T×2 Ts×1 Tsc×1 Td×1

1975年3月:「ひたち」を8往復に増発。12両編成が5往復、9両編成が3往復となりました。

←上野
TscM'MM'MTdM'MTM'MTc×10 所要9 →1975.5より順次TcTsM'MM'MTdM'MM'MTc
ひばり(5)、やまばと(2)、ひたち(5)
 仙台11201518上野19002248原ノ町
 原ノ町540920上野10001338原ノ町15401920上野20032242平
 平7301006上野11001458仙台16202019上野‥尾久
 上野700936平10461324上野14001758仙台
 仙台10201418上野15001858仙台
 仙台9201319上野14001635平17101947上野‥東大宮
 東大宮‥上野7001058仙台12201621上野17042132山形
 山形7431214上野13041741山形
 山形10431514上野16042003仙台
 休

TscTsM'MM'MTdTM'MM'MTc×3 所要2
ひばり(3)
 1973.10~と同じ

TscM'MM'MTdM'MTc×3 所要3
ひたち(3)、あいづ(1)
 仙台6401120上野12001431平15011732上野18002143原ノ町
 原ノ町8381220上野14041739会津若松
 会津若松10361414上野16002041仙台

M'M×2 Tc×4 Ts×2 Td×1

この改正の後、仙台名物であった、クロ481-1, 2, 51, 52, 53, 54, 55, 56, 57とサハ481-3, 4, 5 , 6, 7, 8, 9, 10, 11 は門ミフ転出となり、代わりにクハ481-243, 244、サロ481-92, 93, 94, 95, 96. 97が門ミフより転入し、クハ481-316, 317, 328, 329, 330, 331, 338, 340およびサロ481-124, 125, 126が新製配置されました。こういった動きにより、クロを上野方につないだ12連の編成が、クハ+サロ編成に置き換えられました。

このころ、僅か2両、200番台クハが転入しているため、200番台用と300番台用の愛称字幕が用意されたのではないかと思われます。なかには、200番台用字幕を装着したと思われる300番台クハもあり、文字列が真ん中に寄ったパターンだったのが目撃されています。

1976年5月30日には200番台クハ481-243, -244が門ミフに戻っています。さらにサハ481-12,13,14,15が大ムコに転出しており、入れ替わりに大ムコから101, 102, 103が転入しています。さらに金サワから大ムコに16,17,18,19が転属しており、それを受けて大ムコから仙センに104, 105, 106, 107が転入しています。今回の仙センへのサハ481-100番台の集結は座席数の増強とのことで、以前特急「あいづ」の記事において記述しました。一方、大ムコへの0番台サハの集結は結果的にこのときに集結した車両が485系「くろしお」で誕生したクハ480の種車になりました。

1978年10月:「ひたち」を11往復に増発。また急行「そうま」は「ときわ」に編入され、愛称消滅。サロの位置が6号車に変わった12両編成、6往復と、9両編成5往復の体制となりました。

←上野
TcM'MM'MTsTdM'MM'MTc×15 所要12
ひばり(11)、ひたち(6)
 仙台‥岩切
 岩切‥仙台5581013上野11001335平14441722上野18002145原ノ町
 原ノ町535920上野10001343原ノ町15341921上野20302310平
 平7431020上野11001515仙台16582113上野‥東大宮
 東大宮‥上野7001115仙台12581713上野18002215仙台
 仙台9581413上野15001915仙台‥利府
 利府‥仙台13281743上野18302245仙台‥利府
 利府‥仙台11581613上野17002115仙台
 仙台6581113上野12001615仙台17582213上野‥東大宮
 東大宮‥上野700937平10441322上野14001635平17121950上野‥東大宮
 東大宮‥上野8001215仙台13581813上野19002315仙台
 仙台8581316上野14001815仙台‥利府
 利府‥仙台10581513上野16002015仙台

TscM'MTM'MM'MTc×6 所要4(臨時+1)
ひたち(5)、あいづ(1)、ひばり(臨時1.5)
 休
 仙台6351120上野12001435平15441820上野19002244原ノ町
 原ノ町8351218上野13031655会津若松
 会津若松10201410上野15001735平18142050上野‥東大宮
 東大宮‥上野9411215平12451519上野16002045仙台
 上野6001015仙台14251843上野/仙台18522310上野

Tc×2 T×1 Tsc×1 Td×2

485_481300_790505
上野を出発する絵幕の12連の「ひたち」 1979/5/5

1982年11月:東北新幹線本格開業により、仙台駅以北を結ぶ特急「みちのく」急行「もりおか」などの昼行特急列車・急行列車を全廃。急行「十和田」は夜行のみ存続。これにより、常磐線を運行する列車名は特急「ひたち」、急行「ときわ」の2種類のみとなりました。また、「みちのく」「もりおか」廃止を補完する形で、仙台発着の「ひたち」1往復、「ときわ」2往復を増発。「ひたち」はすべて12両編成となりました。

←上野
TcM'MM'MTsTM'MM'MTc×10 所要7(臨時+1)
ひたち(12)、ひばり(臨時1)
 休
 仙台6311120上野12001438平15401821上野19002244原ノ町
 原ノ町8311220上野13001757仙台
 仙台9251420上野15001735平18132050上野21102136大宮‥東大宮
 東大宮‥上野700941平10431320上野14001638平17101950上野‥東大宮
 東大宮‥上野9351215平12451520上野16002045仙台
 仙台‥相馬514920上野10001343原ノ町15341920上野20302310平
 平7401020上野11001335平14431721上野18002203相馬‥仙台
 仙台10201440上野14531914仙台/上野15432008仙台

M'M×28 Tc×5 Ts×3 Tsc×4 Td×15

この間に仙センから、「ひたち」用編成は勝田区に移管となり、1965年10月以来、約20年間続いた485系の仙センの配置は無くなりました。

1985年3月:急行「ときわ」が特急「ひたち」に統合されて定期列車の運転を終了、「ひたち」は下り24本、上り23本に増発し国鉄在来線特急列車での運行本数最多となりました。急行「十和田」を臨時列車に格下げ。

1985年3月は筑波研究学園都市で開催されたエキスポつくばの開幕も相まって常磐線関係は大きな変化がありました。まず、万博開催期間中の臨時駅として、現在、ひたち野うしく駅がある場所に「万博中央駅」が設置され、常磐線の415系はそれまでの小豆色の交直両用色からブルーとクリームに模様替えをしました。また特急「ひたち」も1975年3月の改正で大ムコから鹿カコに転属していたクハ481形の初期型ボンネット車が大挙して勝田電車区に転属して参りました。ダイヤ改正直後の週末、そういったことを知らずに常磐線に乗車して、絶対地元ではみられないと思っていた赤スカートの「ひたち」が走っているのを見た時はびっくりしました。

次回のこのシリーズは1985年の改正で大きく様変わりした特急「ひたち」について触れます。

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