485系特急 「ひたち」 その2 1985年3月改正から終焉まで
485系による特急「ひたち」の歴史を振り返るシリーズ、今回は1985年3月の改正以降、E653系の登場で485系の定期運用が消滅するまでの歴史です。
当時の牛久~荒川沖間(いや、正確には万博中央間、当時の臨時駅の様子はこちらに)、現在圏央道がクロスするあたりを通過する485系、赤スカート髭無しクハ先頭の「ひたち」 1985/4/29
1985年3月の改正前に「ひたち」用の485系は勝田電車区に移動しました。このときが、同区にとっては初の485系配置でした。その陣容は
モハ483/482 12,13, 14, 15
モハ485/484 1~20, 34~43, 47~64, 67~69, 71, 77
207/309, 208/310, 224/603
クハ481 1~20, 22, 24~26, 31, 32, 34, 36, 38, 40
サロ481 97, 100, 101, 114, 124~126, 129, 1054, 1501~1506 でした。
なんと言ってもこのときの最大の特徴はクハはすべてボンネットタイプであり、当初60Hz専用の481系のクハとして製造された赤スカートのクハ481もが戦列に加わっていることでしょう(12,14,17に関しては鹿カコ時代にスカートはクリーム色になっていたそうです)。
上野駅高架ホームで発車を待つ クハ481-17先頭の「ひたち」 1985/2/3の時点で運用に入っていた元赤スカート組の17番
既に何回か話題にしていますが、赤スカートのクハ481は1964年10月に「雷鳥」「しらさぎ」用に1~8が新製され、大ムコに配置されたのが始まりで、この8両はスカートは赤一色で後年付け加えられたヒゲもありませんでした。
1965年7,8月には山陽特急、特にED73に牽引されて博多まで乗り入れていた151系「つばめ」「はと」の置き換え用に9~18まで増備されました。この増備からクリーム色の帯がスカートに加えられ、ヒゲも付け加えられました。
これら18両と485系増備の際に追加配置された31~40のいわゆる初期ボンネット車グループは1975年3月の改正で揃って鹿カコに転属しました。1980年9月に31,32が門ミフに転属、1982年11月にも7, 12, 14, 17が門ミフへ、1984年2月には仙センから門ミフに転属していた20を含め、7,12が鹿カコに戻り、1984年12月の13,40が仙センに転出を契機に、初期のクハは仙セン(1, 2, 3, 4, 6, 8, 9, 12, 15, 18, 36)、門ミフ(33, 35, 37, 39)、勝田(5, 7, 10, 11, 16, 20, 34, 38)へと転出し、鹿カコのクハ481の配置はなくなり先頭車はクモハ485とクロ480のみとなりました。
同時期、門ミフからも仙センに14, 17, 19, 22、勝田に24, 31, 32が転出していました。最終的に仙センに転属した1, 2, 3, 6, 8, 12, 13, 14, 15, 17, 18, 19, 22, 25, 26, 36, 40も1985年3月14日に勝田に転属し、0番台クハの配置は上記のように勝田区の30両と門ミフの33, 35, 37, 39、大ムコの21, 23, 27, 28, 29, 30となりました。
興味深いのは元々大ムコ配置だった481系編成(60Hz)用の先頭車が東日本に集められ、元々仙セン配置だった19~30の483系編成(50Hz)用の先頭車が多くが大ムコに配置となったことです。
なんと言っても印象的だったのは勝田に転属してきた485系が門ミフ表記のまま運用されていたことです。 1985/2/3
<サロ481-1500番台>
北海道用の1500番台とは全く関係の無い番台で、485系への編入を予定して製造されたサロ181形1100番台を181系としての運用が終了した1982 - 1983年に盛岡・土崎・郡山の3工場で改造編入したグループです。 改造落成後は青森運転所に配置されていましたが、1985年の「ひたち」増発時に勝田電車区に転属しました。1989年から老朽車取替のため1両を除きクハ481形1100番台に改造され、残った1両(1506)も1997年にジョイフルトレイン(クロ484-5:ニューなのはな)の改造種車となって区分消滅しました。
サロ181-1101 - 1106→サロ481-1501 - 1506
亀有を通過するタイフォンがボディに移設された仙台タイプのクハ481を最後尾にした「ひたち」 1985/4/29
1985年3月:急行「ときわ」が特急「ひたち」に統合されて定期列車の運転を終了、「ひたち」は下り24本、上り23本に増発し国鉄在来線特急列車での運行本数最多となりました。急行「十和田」を臨時列車に格下げ。
←上野
TcM'MM'MTsM'MM'MTc×15 所要12(臨時+1)
ひたち(23.5)(臨時+2)
休
勝田‥水戸456…630平733-945仙台1042-1524上野1600-2044仙台
仙台741-1226上野1300-1643原ノ町1816-2220上野‥尾久
尾久‥上野700-949平1039-1325上野1400-1639平1710-1954上野2030-2310平‥草野
草野‥平604-910上野945-1119勝田1422-1555上野1630-1755水戸1900-2026上野‥尾久
尾久‥上野900-1252原ノ町1330-1718上野1800-2201相馬‥原ノ町
原ノ町‥相馬512-924上野1000-1202高萩-1245平1335-高萩1418-1620上野1700-1947平2200…2227勿来‥勝田
勝田607…728平839-1122上野1200-1446平1533-1822上野1900-2141平‥草野
草野‥平733-1020上野1100-1542仙台1641-2123上野‥尾久
尾久‥上野800-1013高萩-1057平1137-高萩1217-1425上野1500-1657高萩-1737平1810-高萩1850-2054上野2130-2255水戸
水戸830-955上野1030-1206勝田1622-1755上野1830-1956水戸
水戸930-1056上野1130-1300水戸1330-1459上野1530-1655水戸1730-1856上野1930-2100水戸2130-2256上野‥尾久
尾久‥上野730-1113原ノ町-1220仙台1420-原ノ町1530-1920上野2000-2153日立‥勝田
上野823-957水戸1524-1712上野
1986年11月1日:特急「ひたち」が26.5往復に増発。編成は485系9両編成に統一。 この増発で、号数が下り53号、上り52号までに達しました。それまで50番台の号数は在来線列車の場合、臨時列車に与えるのが国鉄の慣例になっていましたが、定期列車で初めて号数が50番台に達したため、国鉄最後となったこの改正より、臨時列車には(ほかの列車名を含め全て)80番台の号数を与えるように改めることとなりました。
1987/3/31 国鉄最後の日に上野駅で発車を待つ「ひたち」 このクハはこの時点でもスカートにタイフォンが残っていることから、38か40あたりかと思われます。
車両についてはクハ481形300番台が再度配置され、臨時の「鳥海」と共通運用となったほか、普通車座席を従来の回転クロスシート・簡易リクライニングシートから、フリーストップ式リクライニングシートへの交換がこれ以降進捗しました。
クハ481-300番台転入:311, 313, 315, 332, 333, 345 全て盛アオより
モハユニット転出: 3, 5, 7, 10 (福フチへ) 11, 12 (金サワへ)
サロ481転入: 1002, 1003, 1004, 1006, 1007, 1051, 1052, 1053 (秋アキより)
転出: 97(大ムコへ)、100, 101(鹿カコへ)、114, 124, 125(新カヌへ)
←上野
TcM'MTsM'MM'MTc×18 所要14(臨時+3)
ひたち(26.5)(臨時+3.5)、鳥海(臨時1)
休
勝田‥水戸455…629平733-943仙台1041-1515上野1600-2036仙台
仙台741-1214上野1300-1642原ノ町1829-2218上野‥尾久
尾久‥上野830-1001水戸1030-1153上野1530-1652水戸1730-1853上野1930-2052水戸
水戸552…726平842-1117上野1200-1435平1537-1817上野1900-2135平‥草野
草野‥平606-905上野930-1058勝田1422-1553上野1630-1752水戸1900-2023上野2100-2336平‥草野
草野‥平738-1014上野1100-1542仙台1641-2114上野‥尾久
尾久‥上野800-1050平1139-1420上野1500-1651高萩-1730平1810-高萩1850-2051上野‥尾久
尾久‥上野700-946平1041-1321上野1400-1633平1710-1950上野‥尾久
尾久‥上野730-1108原ノ町-1236仙台1413-原ノ町1530-1914上野2000-2158高萩
高萩749-950上野1030-1158勝田1522-1653上野1730-1851水戸
水戸747-914上野1000-1157高萩-1239平1339-高萩1421-1615上野1700-1938平2200…2327勝田
勝田922-1053上野1130-1258勝田1622-1753上野1830-2000勝田2122-2253上野‥尾久
尾久‥上野900-1241原ノ町1337-1714上野1800-2153相馬‥原ノ町
原ノ町‥相馬517-924上野2200-2352日立‥勝田
勝田1323-1454上野/上野1230-1358勝田/勝田1122-1254上野1330-1532高萩
勝田1222-1354上野1430-1556勝田‥水戸1715-1845上野
秋田628-1505上野1533-2353秋田
同じく国鉄最後の日、上野駅にて1986年11月の改正で勝田区に300番台が転入し、「ひたち」にもこの顔が復活
1989年3月11日:651系電車を投入。愛称を「スーパーひたち」として運転開始。 当初は1日7往復。なお、指定券発売時の区別等のため、485系の「ひたち」は号数が100番台に変更されました。.「ホームライナー土浦」が485系で運転開始。この改正に先立って、秋アキより、サハ481-108, 109が転入
←上野
TcM'MTsM'MM'MTc×8 所要6(臨時+2)
ひたち(9.5)(臨時+3)
水戸1405-1534上野1603-1739勝田/上野1811-1944勝田2024-2147上野2230-2357勝田
勝田‥水戸552…723平732-941仙台1049-1515上野1600-2019仙台
仙台751-1214上野1700-1929平‥草野
草野‥平746-1014上野1100-1519仙台1652-2116上野‥尾久
尾久‥上野900-1230原ノ町1345-1714上野2100-2327平‥草野
草野‥平614-905上野930-1127高萩1255-1454上野1530-1652水戸1730-1853上野1930-2055勝田
勝田1124-1254上野1330-1527高萩
高萩1629-1840上野
TcM'MTsM'MM'MTc×8 所要6 →1989.5より順次TcM'MTM'MTc
ひたち(13.5)、さわやかひたち(0.5)
勝田924-1054上野1130-1325高萩1454-1653上野1730-1925高萩
高萩707-917上野1300-1629原ノ町1837-2219上野2245…2342土浦‥尾久
尾久‥上野700-936平1051-1321上野1400-1624平1719-1950上野2030-2219日立‥水戸
水戸‥日立533-735上野830-1001水戸1030-1153上野1230-1353水戸1430-1553上野1630-1753水戸1900-2023上野‥尾久
尾久‥上野730-1057原ノ町-1202仙台1430-原ノ町1544-1914上野2000-2153高萩
高萩751-951上野1030-1153水戸1230-1354上野1430-1556勝田1624-1753上野1830-2000勝田
TcM'MTsM'MM'MTc×2
T×2
1990年3月10日:「ホームタウンひたち」、および「おはようライナー土浦」運転開始。 「おはようフレッシュひたち」等といった列車を運行する基礎となりました。また、651系の増備によりこの改正で「スーパーひたち」は15往復へ倍増、ほぼ1時間毎の運転となり、仙台駅まで運用区間を拡大しました。なお、この改正により北千住駅停車が終了しました。
その一方485系「ひたち」は平駅以北の運転がなくなり、同時にグリーン車の連結も中止されて7両編成に短縮されました。モノクラス化とボンネット型クハの老朽置き換えのため、サロ481形等を改造したサハ481形300番台(8両)及びクハ481形1100番台(8両)が編成に組み込まれました。
サロ481-126・129・1051・サロ183-1054・1051・サロ189-51 - 53
→サハ481-301 - 308
サロ481-1003・1004・1006・1501 - 1505
→クハ481-1101 - 1108
←上野
TcM'MTM'MTc×10 所要7(臨時+2)
ひたち(15)(臨時+4.5)、さわやかひたち(上1)、ホームタウンひたち(下1)
勝田934-1105上野1130-1253水戸1340-1505上野1530-1700勝田1934-2105上野2245…2342土浦
土浦555…704上野730-928高萩1105-1304上野1330-1458勝田1634-1805上野1830-2031高萩
高萩801-1004上野1030-1300平1429-1705上野1730-1858勝田
勝田1033-1205上野1230-1353水戸1440-1604上野1630-1758勝田2034-2205上野2230-2352水戸
水戸552…722平800-1025上野2100-2328平‥草野
草野‥平618-906上野930-1101勝田1234-1404上野1430-1627高萩1804-2005上野2030-2231高萩
高萩522-735上野830-1036高萩-1223原ノ町-1330仙台1407-原ノ町1513-高萩1705-1905上野1930-2057勝田
水戸915-1044上野/勝田1014-1143上野1306-1440勝田‥水戸1618-1741上野1806-1944勝田
上野630-804勝田-836高萩‥勝田1014-1143上野1306-1440勝田‥水戸1817-1943上野
TcM'MTsM'MM'MTc×7
TcM'MTc×1
M'M×1 Tc×1 Ts×1
1992年3月:上野駅 - 会津若松駅間の特急「あいづ」の受け持ちが秋田から勝田に移管となったため、「あいづ」への送り込みの列車に限り、485系「ひたち」のグリーン車が復活。
この頃から「ひたち」用485系に新色(濃淡のグレーに薄緑の帯)の車両が登場。
1993年12月1日:「あいづ」廃止により再び485系「ひたち」のグリーン車の連結は廃止されました。
1994年12月3日:臨時急行「十和田」廃止。
1997年10月1日:E653系電車による「フレッシュひたち」が運転開始。 「フレッシュひたち」には当初より、定義が曖昧になっていた「エル特急」の呼称は与えられませんでした。
また、この改正より号数の100番台使用を取りやめ、「スーパーひたち」「フレッシュひたち」「ひたち」をすべて合わせ、1号から順の付番に戻されました。
←上野
TcM'MTM'MTc×7 所要4
ひたち(5.5)(併結+1.5)、さわやかひたち(上1)(併結+0.5)、ホームタウンひたち(下2)
勝田549-728上野830-1006勝田1133-1304上野1330-1457勝田1633-1804上野1830-2028高萩
高萩515-728上野830-1006勝田1233-1404上野1430-1556勝田1633-1804上野1830-1957勝田2033-2204上野2230-2359勝田
勝田933-1104上野2245…2342土浦
土浦557…708上野730-931高萩1003-1204上野2200-2330勝田
TscM'sMsTsM'sMsc×1(ゆう)
リゾート「ゆう」ひたち(臨時1)
勝田‥上野1603-1842いわき‥勝田/勝田‥いわき1311-1548上野‥勝田
TcM'MTM'MTc×3
TcM'zMTc×1
1998年12月1日:485系電車の全車が、651系電車・E653系電車へ置き換えられたのに伴い、「ひたち」「さわやかひたち」「ホームタウンひたち」は名称上消滅。ホームライナー・おはようライナー土浦を「フレッシュひたち」へ格上げ。この結果、常磐線の特急列車は「スーパーひたち」「フレッシュひたち」の2系統となりました。
早いもので、常磐線特急「ひたち」から485系の運用が無くなって、15年の月日が過ぎようとしており、その後に登場したE653系も「フレッシュひたち」から去っています。今から思うと1992年から1994年の東京勤務時代、毎日のように見ていた485系「ひたち」の新塗装というかJR塗装も「いつか撮らなくては」と思っているうちに撮らずじまいで終わっており、きちんきちんとまめに記録することの大切さを身にしみて感じている今日この頃です。
2回にわたる485系「ひたち」の記事作成にあたり、「485系の動き 配置および編成・運用の移り変わり 一覧」のデータとWikipediaの記事を参考に致しました。
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クハ415-1901さん、こんにちは。
(ひたち)の485系アルバムを拝見しました。
実はひたちの全盛時代は、東北筋の特急電車の方に心を惹かれた私ですが、
今こうしてアルバムを拝見すると、
偕楽園の梅をあしらった愛称サインが愛らしいですね。
スカートに白帯を巻いてオシャレをした姿にうっとりです。
門ミフの表示に平行きの幕とは・・・ああ国鉄時代だなあと思います。
投稿: やぶお | 2013年11月 1日 (金) 19時45分
やぶお さま、こんばんは。
今晩もご訪問とコメントありがとうございます。
私も1985年の改正のことは今でも鮮烈に憶えています。
1983年につくばに就職したのですが、当時はまだ独身で週末には東京の実家に戻っておりました。
といっても車でつくば~東京を往復していました。
1985年3月は筑波万博の開幕で、常磐道も柏から南~首都高が繋がり、常磐線も万博中央駅がオープンし、さらに「ひたち」に降ってわいたようにボンネット車がバンバン走り出し、おまけに赤スカート車が走っているのですから何かお祭り騒ぎのように感じました。
国鉄時代もその後2年で終焉を迎えたわけですが、今から思えばローソクが消える前に明るく燃えると言った感じだったのかも知れませんね。
投稿: B767-281(クハ415-1901) | 2013年11月 1日 (金) 20時37分
こんにちは
485が勝田移管からひたち色がなる前の編成表が気になります。
クハ4811100やサハ481300の導入後の編成表が探してます。
投稿: | 2020年10月11日 (日) 10時17分
こちらもお名前の記載が無く残念です。
わたしもこの時代のひたち、もう一度編成表データなどからチェックしてみようと思います。
投稿: B767-281(クハ415-1901) | 2020年10月12日 (月) 05時46分
89年に7連化の編成表を探してます。
投稿: | 2021年1月15日 (金) 08時03分
塗装変更前の7連の編成表があると幸いです。
投稿: taka8222 | 2021年1月15日 (金) 08時04分
taka8222さま、おはようございます。
わたしも、古い編成表としては1979年、1986年、1993年は持っているのですが民営化直後のものが無いため,空白地帯があります。お役に立てず申し訳ありません
投稿: B767-281(クハ415-1901) | 2021年1月18日 (月) 05時32分