« 西武鉄道 赤電の時代 551系 その1 | トップページ | 2013 夏 新潟の旅 13 EF510 基本番台 10号機 »

2013年10月29日 (火)

485系特急 「ひたち」 その2 1985年3月改正から終焉まで

485系による特急「ひたち」の歴史を振り返るシリーズ、今回は1985年3月の改正以降、E653系の登場で485系の定期運用が消滅するまでの歴史です。

485_4810_850429_2
当時の牛久~荒川沖間(いや、正確には万博中央間、当時の臨時駅の様子はこちらに)、現在圏央道がクロスするあたりを通過する485系、赤スカート髭無しクハ先頭の「ひたち」 1985/4/29

1985年3月の改正前に「ひたち」用の485系は勝田電車区に移動しました。このときが、同区にとっては初の485系配置でした。その陣容は

モハ483/482   12,13, 14, 15
モハ485/484   1~20, 34~43, 47~64, 67~69, 71, 77
                     207/309, 208/310, 224/603
クハ481        1~20, 22, 24~26, 31, 32, 34, 36, 38, 40
サロ481           97, 100, 101, 114, 124~126, 129, 1054, 1501~1506 でした。

なんと言ってもこのときの最大の特徴はクハはすべてボンネットタイプであり、当初60Hz専用の481系のクハとして製造された赤スカートのクハ481もが戦列に加わっていることでしょう(12,14,17に関しては鹿カコ時代にスカートはクリーム色になっていたそうです)。

485_48117_850203
上野駅高架ホームで発車を待つ クハ481-17先頭の「ひたち」 1985/2/3の時点で運用に入っていた元赤スカート組の17番

既に何回か話題にしていますが、赤スカートのクハ481は1964年10月に「雷鳥」「しらさぎ」用に1~8が新製され、大ムコに配置されたのが始まりで、この8両はスカートは赤一色で後年付け加えられたヒゲもありませんでした。

1965年7,8月には山陽特急、特にED73に牽引されて博多まで乗り入れていた151系つばめ」「はと」の置き換え用に9~18まで増備されました。この増備からクリーム色の帯がスカートに加えられ、ヒゲも付け加えられました。

これら18両と485系増備の際に追加配置された31~40のいわゆる初期ボンネット車グループは1975年3月の改正で揃って鹿カコに転属しました。1980年9月に31,32が門ミフに転属、1982年11月にも7, 12, 14, 17が門ミフへ、1984年2月には仙センから門ミフに転属していた20を含め、7,12が鹿カコに戻り、1984年12月の13,40が仙センに転出を契機に、初期のクハは仙セン(1, 2, 3, 4, 6, 8, 9, 12, 15, 18, 36)、門ミフ(33, 35, 37, 39)、勝田(5, 7, 10, 11, 16, 20, 34, 38)へと転出し、鹿カコのクハ481の配置はなくなり先頭車はクモハ485とクロ480のみとなりました。

同時期、門ミフからも仙センに14, 17, 19, 22、勝田に24, 31, 32が転出していました。最終的に仙センに転属した1, 2, 3, 6, 8, 12, 13, 14, 15, 17, 18, 19, 22, 25, 26, 36, 40も1985年3月14日に勝田に転属し、0番台クハの配置は上記のように勝田区の30両と門ミフの33, 35, 37, 39、大ムコの21, 23, 27, 28, 29, 30となりました。

興味深いのは元々大ムコ配置だった481系編成(60Hz)用の先頭車が東日本に集められ、元々仙セン配置だった19~30の483系編成(50Hz)用の先頭車が多くが大ムコに配置となったことです。

485_850203_5
なんと言っても印象的だったのは勝田に転属してきた485系が門ミフ表記のまま運用されていたことです。 1985/2/3

<サロ481-1500番台>
北海道用の1500番台とは全く関係の無い番台で、485系への編入を予定して製造されたサロ181形1100番台181系としての運用が終了した1982 - 1983年に盛岡・土崎・郡山の3工場で改造編入したグループです。 改造落成後は青森運転所に配置されていましたが、1985年の「ひたち」増発時に勝田電車区に転属しました。1989年から老朽車取替のため1両を除きクハ481形1100番台に改造され、残った1両(1506)も1997年にジョイフルトレイン(クロ484-5:ニューなのはな)の改造種車となって区分消滅しました。
サロ181-1101 - 1106→サロ481-1501 - 1506

485_4810_850429_3
亀有を通過するタイフォンがボディに移設された仙台タイプのクハ481を最後尾にした「ひたち」 1985/4/29

1985年3月:急行「ときわ」が特急「ひたち」に統合されて定期列車の運転を終了、「ひたち」は下り24本、上り23本に増発し国鉄在来線特急列車での運行本数最多となりました。急行「十和田」を臨時列車に格下げ。

←上野
TcM'MM'MTsM'MM'MTc×15 所要12(臨時+1)
ひたち(23.5)(臨時+2)
 休
 勝田‥水戸456630平733945仙台10421524上野16002044仙台
 仙台7411226上野13001643原ノ町18162220上野‥尾久
 尾久‥上野700949平10391325上野14001639平17101954上野20302310平‥草野
 草野‥平604910上野9451119勝田14221555上野16301755水戸19002026上野‥尾久
 尾久‥上野9001252原ノ町13301718上野18002201相馬‥原ノ町
 原ノ町‥相馬512924上野10001202高萩1245平1335高萩14181620上野17001947平22002227勿来‥勝田
 勝田607728平8391122上野12001446平15331822上野19002141平‥草野
 草野‥平7331020上野11001542仙台16412123上野‥尾久
 尾久‥上野8001013高萩1057平1137高萩12171425上野15001657高萩1737平1810高萩18502054上野21302255水戸
 水戸830955上野10301206勝田16221755上野18301956水戸
 水戸9301056上野11301300水戸13301459上野15301655水戸17301856上野19302100水戸21302256上野‥尾久
 尾久‥上野7301113原ノ町1220仙台1420原ノ町15301920上野20002153日立‥勝田
 上野823957水戸15241712上野

1986年11月1日:特急「ひたち」が26.5往復に増発。編成は485系9両編成に統一。 この増発で、号数が下り53号、上り52号までに達しました。それまで50番台の号数は在来線列車の場合、臨時列車に与えるのが国鉄の慣例になっていましたが、定期列車で初めて号数が50番台に達したため、国鉄最後となったこの改正より、臨時列車には(ほかの列車名を含め全て)80番台の号数を与えるように改めることとなりました。

485_4810_870331
1987/3/31 国鉄最後の日に上野駅で発車を待つ「ひたち」 このクハはこの時点でもスカートにタイフォンが残っていることから、38か40あたりかと思われます。

車両についてはクハ481形300番台が再度配置され、臨時の「鳥海」と共通運用となったほか、普通車座席を従来の回転クロスシート・簡易リクライニングシートから、フリーストップ式リクライニングシートへの交換がこれ以降進捗しました。 

クハ481-300番台転入:311, 313, 315, 332, 333, 345 全て盛アオより
モハユニット転出: 3, 5, 7, 10 (福フチへ) 11, 12 (金サワへ)
サロ481転入: 1002, 1003, 1004, 1006, 1007, 1051, 1052, 1053 (秋アキより)
     転出: 97(大ムコへ)、100, 101(鹿カコへ)、114, 124, 125(新カヌへ)

←上野
TcM'MTsM'MM'MTc×18 所要14(臨時+3)
ひたち(26.5)(臨時+3.5)、鳥海(臨時1)
 休
 勝田‥水戸455629平733943仙台10411515上野16002036仙台
 仙台7411214上野13001642原ノ町18292218上野‥尾久
 尾久‥上野8301001水戸10301153上野15301652水戸17301853上野19302052水戸
 水戸552726平8421117上野12001435平15371817上野19002135平‥草野
 草野‥平606905上野9301058勝田14221553上野16301752水戸19002023上野21002336平‥草野
 草野‥平7381014上野11001542仙台16412114上野‥尾久
 尾久‥上野8001050平11391420上野15001651高萩1730平1810高萩18502051上野‥尾久
 尾久‥上野700946平10411321上野14001633平17101950上野‥尾久
 尾久‥上野7301108原ノ町1236仙台1413原ノ町15301914上野20002158高萩
 高萩749950上野10301158勝田15221653上野17301851水戸
 水戸747914上野10001157高萩1239平1339高萩14211615上野17001938平22002327勝田
 勝田9221053上野11301258勝田16221753上野18302000勝田21222253上野‥尾久
 尾久‥上野9001241原ノ町13371714上野18002153相馬‥原ノ町
 原ノ町‥相馬517924上野22002352日立‥勝田
 勝田13231454上野/上野12301358勝田/勝田11221254上野13301532高萩
 勝田12221354上野14301556勝田‥水戸17151845上野
 秋田6281505上野15332353秋田

485_481300_870331_2
同じく国鉄最後の日、上野駅にて1986年11月の改正で勝田区に300番台が転入し、「ひたち」にもこの顔が復活

1989年3月11日651系電車を投入。愛称を「スーパーひたち」として運転開始。 当初は1日7往復。なお、指定券発売時の区別等のため、485系の「ひたち」は号数が100番台に変更されました。.「ホームライナー土浦」が485系で運転開始。この改正に先立って、秋アキより、サハ481-108, 109が転入

←上野
TcM'MTsM'MM'MTc×8 所要6(臨時+2)
ひたち(9.5)(臨時+3)
 水戸14051534上野16031739勝田/上野18111944勝田20242147上野22302357勝田
 勝田‥水戸552723平732941仙台10491515上野16002019仙台
 仙台7511214上野17001929平‥草野
 草野‥平7461014上野11001519仙台16522116上野‥尾久
 尾久‥上野9001230原ノ町13451714上野21002327平‥草野
 草野‥平614905上野9301127高萩12551454上野15301652水戸17301853上野19302055勝田
 勝田11241254上野13301527高萩
 高萩16291840上野

TcM'MTsM'MM'MTc×8 所要6 →1989.5より順次TcM'MTM'MTc
ひたち(13.5)、さわやかひたち(0.5)
 勝田9241054上野11301325高萩14541653上野17301925高萩
 高萩707917上野13001629原ノ町18372219上野22452342土浦‥尾久
 尾久‥上野700936平10511321上野14001624平17191950上野20302219日立‥水戸
 水戸‥日立533735上野8301001水戸10301153上野12301353水戸14301553上野16301753水戸19002023上野‥尾久
 尾久‥上野7301057原ノ町1202仙台1430原ノ町15441914上野20002153高萩
 高萩751951上野10301153水戸12301354上野14301556勝田16241753上野18302000勝田

TcM'MTsM'MM'MTc×2
T×2

1990年3月10日:「ホームタウンひたち」、および「おはようライナー土浦」運転開始。 「おはようフレッシュひたち」等といった列車を運行する基礎となりました。また、651系の増備によりこの改正で「スーパーひたち」は15往復へ倍増、ほぼ1時間毎の運転となり、仙台駅まで運用区間を拡大しました。なお、この改正により北千住駅停車が終了しました。
その一方485系「ひたち」は平駅以北の運転がなくなり、同時にグリーン車の連結も中止されて7両編成に短縮されました。モノクラス化とボンネット型クハの老朽置き換えのため、サロ481形等を改造したサハ481形300番台(8両)及びクハ481形1100番台(8両)が編成に組み込まれました。

サロ481-126・129・1051・サロ183-1054・1051・サロ189-51 - 53
→サハ481-301 - 308

サロ481-1003・1004・1006・1501 - 1505
→クハ481-1101 - 1108

←上野
TcM'MTM'MTc×10 所要7(臨時+2)
ひたち(15)(臨時+4.5)、さわやかひたち(上1)、ホームタウンひたち(下1)
 勝田9341105上野11301253水戸13401505上野15301700勝田19342105上野22452342土浦
 土浦555704上野730928高萩11051304上野13301458勝田16341805上野18302031高萩
 高萩8011004上野10301300平14291705上野17301858勝田
 勝田10331205上野12301353水戸14401604上野16301758勝田20342205上野22302352水戸
 水戸552722平8001025上野21002328平‥草野
 草野‥平618906上野9301101勝田12341404上野14301627高萩18042005上野20302231高萩
 高萩522735上野8301036高萩1223原ノ町-1330仙台1407-原ノ町1513高萩17051905上野19302057勝田
 水戸9151044上野/勝田10141143上野13061440勝田‥水戸16181741上野18061944勝田
 上野630804勝田-836高萩‥勝田10141143上野13061440勝田‥水戸18171943上野

TcM'MTsM'MM'MTc×7
TcM'MTc×1
M'M×1 Tc×1 Ts×1

1992年3月:上野駅 - 会津若松駅間の特急「あいづ」の受け持ちが秋田から勝田に移管となったため、「あいづ」への送り込みの列車に限り、485系「ひたち」のグリーン車が復活。
この頃から「ひたち」用485系に新色(濃淡のグレーに薄緑の帯)の車両が登場。

1993年12月1日:「あいづ」廃止により再び485系「ひたち」のグリーン車の連結は廃止されました。

1994年12月3日:臨時急行「十和田」廃止。

1997年10月1日E653系電車による「フレッシュひたち」が運転開始。 「フレッシュひたち」には当初より、定義が曖昧になっていた「エル特急」の呼称は与えられませんでした。
また、この改正より号数の100番台使用を取りやめ、「スーパーひたち」「フレッシュひたち」「ひたち」をすべて合わせ、1号から順の付番に戻されました。

←上野
TcM'MTM'MTc×7 所要4
ひたち(5.5)(併結+1.5)、さわやかひたち(上1)(併結+0.5)、ホームタウンひたち(下2)
 勝田549728上野8301006勝田11331304上野13301457勝田16331804上野18302028高萩
 高萩515728上野8301006勝田12331404上野14301556勝田16331804上野18301957勝田20332204上野22302359勝田
 勝田9331104上野22452342土浦
 土浦557708上野730931高萩10031204上野22002330勝田

TscM'sMsTsM'sMsc×1(ゆう)
リゾート「ゆう」ひたち(臨時1)
 勝田‥上野16031842いわき‥勝田/勝田‥いわき13111548上野‥勝田

TcM'MTM'MTc×3
TcM'zMTc×1

1998年12月1日:485系電車の全車が、651系電車・E653系電車へ置き換えられたのに伴い、「ひたち」「さわやかひたち」「ホームタウンひたち」は名称上消滅。ホームライナー・おはようライナー土浦を「フレッシュひたち」へ格上げ。この結果、常磐線の特急列車は「スーパーひたち」「フレッシュひたち」の2系統となりました。

早いもので、常磐線特急「ひたち」から485系の運用が無くなって、15年の月日が過ぎようとしており、その後に登場したE653系も「フレッシュひたち」から去っています。今から思うと1992年から1994年の東京勤務時代、毎日のように見ていた485系「ひたち」の新塗装というかJR塗装も「いつか撮らなくては」と思っているうちに撮らずじまいで終わっており、きちんきちんとまめに記録することの大切さを身にしみて感じている今日この頃です。

2回にわたる485系「ひたち」の記事作成にあたり、「485系の動き 配置および編成・運用の移り変わり 一覧」のデータとWikipediaの記事を参考に致しました。

にほんブログ村 鉄道ブログへ
にほんブログ村 最後まで読んで戴きありがとうございます。
上のリンクをクリックされると面白い鉄道記事満載のブログ村に飛ぶことができます。

« 西武鉄道 赤電の時代 551系 その1 | トップページ | 2013 夏 新潟の旅 13 EF510 基本番台 10号機 »

電車481/483/485/489系」カテゴリの記事

コメント

クハ415-1901さん、こんにちは。
(ひたち)の485系アルバムを拝見しました。
実はひたちの全盛時代は、東北筋の特急電車の方に心を惹かれた私ですが、
今こうしてアルバムを拝見すると、
偕楽園の梅をあしらった愛称サインが愛らしいですね。

スカートに白帯を巻いてオシャレをした姿にうっとりです。
門ミフの表示に平行きの幕とは・・・ああ国鉄時代だなあと思います。

やぶお さま、こんばんは。

今晩もご訪問とコメントありがとうございます。

私も1985年の改正のことは今でも鮮烈に憶えています。

1983年につくばに就職したのですが、当時はまだ独身で週末には東京の実家に戻っておりました。
といっても車でつくば~東京を往復していました。
1985年3月は筑波万博の開幕で、常磐道も柏から南~首都高が繋がり、常磐線も万博中央駅がオープンし、さらに「ひたち」に降ってわいたようにボンネット車がバンバン走り出し、おまけに赤スカート車が走っているのですから何かお祭り騒ぎのように感じました。
国鉄時代もその後2年で終焉を迎えたわけですが、今から思えばローソクが消える前に明るく燃えると言った感じだったのかも知れませんね。

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 485系特急 「ひたち」 その2 1985年3月改正から終焉まで:

« 西武鉄道 赤電の時代 551系 その1 | トップページ | 2013 夏 新潟の旅 13 EF510 基本番台 10号機 »

カテゴリー

2020年2月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
フォト
無料ブログはココログ

日本ブログ村

  • 日本ブログ村