« 西ベルリンの思い出 パンナムのA300 N202PA その2 | トップページ | 2013 夏 新潟の旅 13 EF510 基本番台 5号機 »

2013年10月 6日 (日)

西武鉄道 赤電の時代 501系 池袋線編

西武鉄道の赤電時代を懐かしむシリーズ、今回は前回のクモハ351形4連の増備と置き換え用に20m車体として登場した501系(二代目)です。

501
豊島園行き運用の501系 8連 今は高架化されてすっかり昔と変わってしまった練馬駅です。

最後尾のクモハですが、足元からはわかりにくいですが、側面(扉開閉確認灯の下の出っ張り)に空気バネ故障知らせ灯が付いているので空気バネ台車装着車と思われます。

モハ501形(Mc)-サハ1501形(T)-サハ1501形(T)-モハ501形(Mc)からなる4連で編成され、1957年に登場しました。電動車・中間付随車ともに20m車体で統一され、全鋼製車体に設計変更されて落成しました(521編成以降)。

さらに床面高さが1,160mmと初期車グループよりも40mm低くされたほか、屋根部曲面の断面形状も異なっており、初期車グループと比較すると屋根が薄く平たくなった印象を受けます。屋根の仕上げはモハ511(初代)・サハ1511以降同様ビニール張りです。ベンチレーターは初期車グループ同様ガーランド形を搭載し、ファンデリア直上のベンチレーター(1両あたり2個)が大型の特殊形状のものとされていることも初期車グループに準じています。

客用扉は1,100mm幅の片開扉で、初期車グループと異なりプレス模様のない扉を装備しました。側窓は初期車グループ同様二段上昇窓ながら、窓枠がアルミサッシ化されたほか、上下段の窓開口部比率が1:1に改められ、戸袋窓もHゴム固定の一枚窓となりました。窓配置はモハが20m級車体となったことに伴いd1D5D5D2(d:乗務員扉, D:客用扉)と変化し、サハは初期車グループと同様でした。また、連結面貫通路が1,200mm幅の広幅貫通路となり、貫通扉は廃止されました。

車内は床がグレーのロンリューム貼りとなり、壁面は初期車グループ同様ピンク系塗装塗り潰しながら、壁材が鋼板に変更されています。その他、シートモケット色や手すり・網棚形状等は初期車グループの仕様を踏襲しています。

主電動機は鉄道省制式のMT30(128kW)を搭載しました。これは当時西武が保有した主電動機では最も高出力のものであり、本系列の新製に際しては自社ストック品のほか、モハ311形に搭載されていたものを転用するなどして所要数を確保しています。

制御器は国鉄制式の電空カム軸式CS5を搭載し、界磁接触器CS9との組み合わせで弱め界磁制御を行いました。弱め界磁制御を取り入れたのは西武では本系列が初のことであり、MT30主電動機の高出力と相まって、最晩年まで本系列が後継のカルダン駆動車各系列に伍して第一線で運用され続けた要因ともなりました。

制動装置はA弁を使用したAMA/ATA自動空気ブレーキで、車体側に1両あたり1基搭載されたブレーキシリンダーを介して前後台車の計4軸の制動を動作させる、古典的なブレーキワークが採用されました。後年長大編成化に対応して電磁弁を追加し、AMAE/ATAE電磁自動空気ブレーキに改良されました。

後期車グループも主要機器の仕様は初期車と同一でしたが、モハの台車が全車TR22(DT11)で統一された点が異なります。サハは初期車グループ同様、全車TR11系を装備しました。また、CPおよびMGがサハへ搭載されて自重の均等化を図ったため、初期車グループとは異なりモハ単独での走行は不可能となりました。

<初代501~520編成の置き換え用新製>

モハ501~520(初代)の17m車(後のクモハ351形)を20m車に統一するために1958年8月より20m車体のモハ501~520(二代目)が新製され、順次置き換えられました。

代替新製された20両の電動車は後期車であるモハ521 - 530とほぼ同一仕様とされましたが、屋根がビニール張りから塗装仕上げに変更されて外観に差異が生じたほか、主要機器を初代から流用した関係で一部の車両は台車が異なりました。

また、これら代替新製された電動車に組み込まれることとなったサハ1501 - 1520は半鋼製車であり、床面高さが全鋼製車と異なっていたことから、編成替えに際して連結面貫通路の広幅化のほか、貫通路高さの調整を施工しています。加えて、サハ1521 - 1530同様にCPおよびMGが新たに搭載され、仕様の統一が図られました。

<空気バネ台車>

1959年2月より、401系(初代)モハ401・402においてTR25台車の枕バネを空気バネに改造した試作台車の実用試験を実施し、その実績を反映する形で501系のモハが装備するTR25・25A台車の空気バネ化改造が1961年から開始されました(こちらのサイトに拡大写真あり)。

改造内容はTR25・25A台車に装備されている枕バネ(4連板バネ)を撤去し、当該部分にベローズ式空気バネを設置するもので、同時にボルスタアンカーも新設されました。なお、この台車改造に際してはモハの一部で台車の振り替えが実施され、さらに予備品のDT13に同様の改造を施工して装備したものや、401系(初代)の廃車に伴って発生した台車を流用したものもありました。

これら台車改造は乗り心地の大幅な改善に寄与し、401系(初代)を例外とすれば、1967年から新製された801系の登場まで唯一の空気バネ台車を装備した車両でした。また、空気バネ台車を装備した車両は側面中央部の戸閉表示灯直下に空気バネ故障知らせ灯が追加され、外観上の特徴となっていました。

<2M4T編成>

501系が他系列と比較して高速性能に余裕を有していたことに着目した西武は、性能的余裕を活用する形で本系列に新たにサハ2両を組み込み、より安価に輸送力増強を図ることを計画しました。こうして1962年に新製されたのがサハ1551形1563 - 1572であり、これらを521 - 530編成に各2両ずつ組み込んで、2M4T編成が5編成誕生しました。都市部の高密度ダイヤで運行される高速鉄道におけるMT比1:2の編成は当時としては非常に特異な例でした。

しかし、実際に運用を開始すると編成出力が著しく低下したことによる加速性能、特に起動加速の劣化が到底看過し得ない程度のものであるということが明らかとなりました。肝心のラッシュ時の運用においては遅延の要因となって乗務員から不評を買う結果となり、結局1968年に編成を解消し、521 - 530編成は本系列のみの4連に戻されています。

なお、編成を解除された後のサハ1563 - 1572は半数が電動車化され、新たに551系の中間車として転用されました。

にほんブログ村 鉄道ブログへ
にほんブログ村 最後まで読んで戴きありがとうございます。
上のリンクをクリックされると面白い鉄道記事満載のブログ村に飛ぶことができます。

« 西ベルリンの思い出 パンナムのA300 N202PA その2 | トップページ | 2013 夏 新潟の旅 13 EF510 基本番台 5号機 »

民鉄:西武鉄道グループ」カテゴリの記事

コメント

高校時代に通学で利用していました。池袋を発車してポイントを渡っていくときの空気ばね台車の独特の揺れが懐かしいです。

西武赤電アルバムを拝見しました。
501系はクモハ351型とそっくりですが、
車長が20メートルあるのですね。
湘南顔の20メートル8両編成・・・存在感十分ですね。
通勤電車のエアサス車・・・乗り心地を試したかったですね。

コメントありがとうございます。

私も当時、501系の空気バネ車両にあたった時はこれが空気バネ台車の感触かと感じたものでした。ただ一度だけは、タイヤが急ブレーキのためか一部いびつになっていた車両に乗り合わせて、石神井公園から池袋までのノンストップ、ノロノロの急行電車でえらく不快な思いをしたのも記憶に残っています(笑)。

やぶおさま、おはようございます。

501系は351形のクモハを20m化したバージョンとして登場し、池袋線の顔、西武線の正面2枚窓の元祖として長らく使われたという感じでした。

晩年は新宿線や支線でも活躍するようになりました。それは次回の記事でふれようと思っています。

B767さん、おはようございます(^^)そういや、501系で思い出した事が…。私がお子ちゃまの頃、母親と中村橋の親戚のおばちゃんちに行く時だったかな〜〜中村橋駅の踏切で当時池袋線を走っていた501系を見たことがあるかも‼︎私が見たのは…501系のW(4+4=8)だったかな。

マスダッチ1971 さま、おはようございます。

今となっては、501系も中村橋の踏切も思い出の彼方ですね。

当時は石神井公園と富士見台間が随分離れていて、富士見台と中村橋はえらく近かったように記憶しています。

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 西武鉄道 赤電の時代 501系 池袋線編:

« 西ベルリンの思い出 パンナムのA300 N202PA その2 | トップページ | 2013 夏 新潟の旅 13 EF510 基本番台 5号機 »

カテゴリー

2022年8月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31      
フォト
無料ブログはココログ

日本ブログ村

  • 日本ブログ村