西ベルリンの思い出 BA Boeing 737-236 G-BGDJ
西ベルリンの思い出シリーズ、今回からはBritish Airwaysです。
IATA code: BA
ICAO code: BAW
コールサイン: Speedbird
我が国では知らない人はいないと思われるイギリスのフラッグ・キャリアであり、ロンドンヒースロー空港を拠点とするヨーロッパでは第三位、世界でも第九位にランクされる大手航空会社です。
私達家族も西ベルリン留学の往復はBAの便のお世話になりました。
テーゲル空港ではBoeing737-200シリーズを6機、BAeATPシリーズを4機写していました。
G-BGDJ (cn 21799 ln 660) Boeing 737-236Adv 1989/6/25 TXL
British Airwaysとしての設立は1974年3月31日で、それまでの英国海外航空 British Overseas Airways Corporation (BOAC)、British European Airways (BEA)、 Cambrian Airways (Caridiff拠点)、Northeast Airlines (Newcastle upon Tyne拠点)が英国政府の指導で合併してのものでした。1987年2月に保守党政権のもと、民営化されました。その後、1987年にBritish Caledonian航空、1992年にDan Air、2012年にBritish Midland International 航空を合併して巨大化しました。
One Worldの創設メンバーで2011年1月21日にはスペインのイベリア航空と合併し、International Airline Group (IAG)も設立しています。
BOAC、BEA以前からの歴史を見てみると、
1924年5月 ハンドリー・ページ・トランスポート(世界初の機内食提供)やダイムラー・エアウェイズ(前身のAT&Tは世界初の国際定期便開設)など4社が合併してインペリアル航空 が創立。大英帝国ルートと呼ばれた南アフリカ、インド、マレーシア、香港まで足を伸ばし、オーストラリアのQantus航空 (Queensland and Northern Territory Aerial Services Ltd)やニュージーランドの TEAL航空 (Tasman Empire Airways Ltd)とも提携していました。
1939年 インペリアル航空とブリティッシュエアウェイズLtd.(1935年設立)が合併し、国営の英国海外航空 (BOAC、British Overseas Airways Corporation) が誕生。
1946年 国内線と欧州域内の国際線を担当する英国欧州航空 (BEA,British European Airways) を設立し、BOACは長距離国際線を運航する会社となりました。
<コメットの悲劇>
1952年5月2日 世界で初めてジェット機コメット Mk.I (デ・ハビランド DH106)により、ヒースロー - ヨハネスブルグ(ローマ、カイロ、ハルツーム、エンテベ、リビングストン経由)間で行われ、所要時間を一気に半減させてみせました。同年内には5機のコメットMk.Iが完成し、定期運航や試験飛行に使用されました。
コメットMk.Iは乗客数は当時のライバル機であったダグラスDC-6やロッキード・コンステレーションなどの従来のプロペラ機と同等かそれ未満で、航続距離も同様であり、太平洋はおろか大西洋横断路線の無着陸横断も不可能でした。しかし、従来の2倍の速度だけでなく定時発着率の高さも実証され、さらに天候の影響を受けにくい高高度を飛行することや、ピストンエンジンと違い振動も少ないなど快適性もレシプロ機の比ではない事が明らかになり、英国海外航空のみが就航させていた初年度だけで3万人が搭乗する人気を博しました。しかし、1954年1月にローマを離陸したMk.I/IA機が墜落し、乗客乗員35人が全員死亡する事故(英国海外航空781便墜落事故)が起き、空中分解が疑われ、さらに運航再開後の同年4月にも、イタリア近海を飛行中の南アフリカ航空のMk.I/IA機が墜落し、乗客乗員21名が全員死亡する事故(南アフリカ航空201便墜落事故)が発生し、2度に渡る空中分解を受けてコメットは再び耐空証明を取り消され、全機運航停止処分になりました。
徹底した事故調査の結果、高空を飛行するジェット機の与圧の繰り返しで窓枠の角、或いは航法装置取付部に亀裂が発生し、これが成長して機体が破裂的な空中分解に至ることが明らかにされました。
この教訓から徹底したフェイルセイフの導入が図られ、1958年10月4日に改良型のMk.IV機による大西洋横断便が就航しましたが、わずか1か月弱後に就航した、より高速でより大型のBoeing 707やダグラスDC-8ら第2世代機との競合には勝てず、BOACもコメットに見切りをつけBoeing 707を発注しました。
ただ転んでもただでは起きないBOACで、エンジンはあくまで英国製のロールスロイス(RR)エンジンに拘り、707-320をベースにターボファンエンジンのコンウェイMk.508型を搭載した-420を開発させ、広告などにおいてもBoeing 707ではなくロールスロイス707と表記したようです(関連記事)。
以下にBOACが導入した航空機のリストを示します。年代順です。
1935 de Havilland Express
1937 Short Empire
1937 Lockeed 10 Electra
1938 Lockeed 14
1939 Armstrong Whitworth Ensign
1939 Short S.26
1940 Consolidated Model 28 Catalina
1940 de Havilland DH.91 Albatross
1940 de Havilland DH.95 Flamingo
1940 Douglas DC-3
1940 Focke-Wulf Fw 200B Condor
1941 Boeing 314A
1941 Consolidated Model 32 Liberator
1941 Curtis Wright CW-20
1941 Lockheed Hudson
1941 Lockheed Lodestar
1942 Armstrong Whitworth A.W.38 Whitley 5
1942 Short Sunderland
1942 Vickers Warwick
1942 Vickers Wellington
1943 De Havilland Mosquito
1944 Avro Lancaster
1944 Avro York
1945 Avro Lancastrian
1946 Avro Tudor 1
1946 de Havilland DH.104 Dove
1946 Handley Page Halifax
1946 Handley Page Halton
1946 Lockheed Constellation
1946 Short Solent
1947 Short Sandringham
1948 Airspeed Oxford
1949 Airspeed Consul
1949 Boeing 377 Stratocruiser
1949 Canadair C-4 Argonaut
1949 Handley Page Hermes
1951 De Havilland Comet
1955 Bristol Britannia
1956 Douglas DC-7C
1960 Boeing 707
1964 Vickers VC10
1969 Boeing 747
これらの中で印象に残っているのは日本の空が呪われたといわれた1966年3月の富士山麓空中分解事故を起こしたBoeing 707と、ソ連のイリューシンIL62にデザインをコピーされたVC10です。
G-BGDJ 1989/9/17 TXL
一方、BEAの方はBOACの欧州部門と第二次世界大戦中運航していた国内の複数の航空会社を統合する形で、1946年1月に設立されました。当時はロンドンの西にあるイギリス空軍ノーソルト空軍基地からDC-3、デ・ハビランド DH.89 ドラゴン・ラピード、ドイツ製のユンカース Ju52等の戦時中の機材を寄せ集めて運航していました。
その後、BEAはBOACと同様にイギリスの航空産業の発展と共に英国製の最新鋭旅客機を投入するようになり、BEAのフリートの歴史はイギリスの旅客機開発の歴史とも言えるようになりました。
1946年9月から Vikers Viking オスロ、コペンハーゲン線へ 11機の基本モデル1Aと31機の発展型モデル1Bを導入
1951年5月 Airspeed AS57 Ambassador エリザベータン をロンドン~パリ線に投入
1958年 Vickers Viscount 701を投入、さらに802, 806型へ
1960年 Vickers Vanguard 951を投入
1960年4月 コメット4Bをロンドン~モスクワ線に投入
1964年3月11日 HS.121 トライデント1Cを投入
1967年1月27日 BAC1-11 Srs.510
1968年 トライデント2E、さらに3に発展
1973年からのトライデントのリプレイスに向けて Lockheed L.1011-1 „TriStar“の発注を決定 しかし、BOACとの合併でこの決定はBOACの海外部門へ。
まさに、イギリス製の旅客機のオンパレードであり、同時にイギリスと一部の国のエアラインでしか見られなかった航空機が多いですね。
コメットはフランスのシュッド社との提携で有名なSE210 カラベルにその胴体を伝え、ホーカー・シドレー トライデントはBoeing 727よりも先に3発リアエンジン形式を採用した機体であり、航空機史上エポックメーキングな機体でした。またトライデントはプラモデルで組み立てたこともありますが、前脚が胴体の中心線上になく、オフセットされている点もユニークでした。
BEAが1951年から飛ばしていたAS57はミュンヘン空港で離陸に失敗して、マンチェスターユナイテドの選手が多く犠牲になった事故(1958年2月6日)でも記憶に残っている機種ですね。CSのナショナルジオグラフィックチャンネルのメーデーシリーズにあります。
にほんブログ村 最後まで読んで戴きありがとうございます。
上のリンクをクリックされると面白い鉄道記事満載のブログ村に飛ぶことができます。
« 公園保存蒸気 D51 885 深谷市仙元山公園 | トップページ | 西武鉄道 赤電の時代 411系 その2 »
「事件・事故」カテゴリの記事
- 2023年晩夏の関西旅行 JR貨物編 その3 彦根駅を通過する東海道線貨物列車(2024.11.14)
- 2023年晩夏の関西旅行 JR貨物編 その1 安治川口駅(2024.11.12)
- 2023年晩夏の関西旅行 JR西日本編 その1 新大阪で運転が打ち切られた上りサンライズ瀬戸・出雲(2024.09.23)
- 羽田空港C滑走路衝突事故 続報(2024.01.08)
- 謹賀新年 2024年は初っ端からとんでもないことが連発する年となってしまいました。(2024.01.04)
「旅客機 Boeing 737」カテゴリの記事
- 2019/8/31 久しぶりの成田空港 その13 MIATモンゴル航空(2019.09.30)
- 2019/8/31 久しぶりの成田空港 その6 厦門航空のBoeing 737(2019.09.23)
- Omaha in Nebraska より無事帰還 その2(2018.06.01)
- 日曜日は羽田空港でSpotting 2 日本の航空会社編(2017.05.18)
- JAレジの737 8 国際線でも活躍するJALの737-800(2017.05.15)
コメント