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2013年11月30日 (土)

485系 「雷鳥」 2001年3月から2003年9月まで その1

今回の485系雷鳥」シリーズでは、1985年3月の改正での和風車両「だんらん」の登場、1989年3月の改正での「スーパー雷鳥」の登場、1991年9月の改正では電化された七尾線乗り入れ用の併結編成の登場といった話題に触れてきました。

この時期は私自身、どちらかと言えば鉄道から旅客機に興味が移っており、週末の鉄道巡りが空港巡りに代わっており、鉄道の写真もあまり多くは撮っていない時期でありました。ですから、「スーパー雷鳥」が廃止され、その編成が「しらさぎ」で活躍していた頃の写真などは全く撮っておらず、また北陸本線で同じ時期活躍していた「かがやき」「きらめき」も取り逃がしておりました。

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京都駅に到着するA01編成 2002/6/5 先頭はクハ481-801です。

485_a01_020605_2
同編成の逆側のエンド 貫通扉を溶接したクハ489-604

2001年以降はカメラも銀塩からデジタル一眼レフになり、フィルムの枚数も気にすることもなくなり、また現像代、焼き付け代といった面での心配もなくなり、撮り放題の時代になりました。しかしそれと反比例するようにそれまで走っていた急行、寝台特急、国鉄型車両がどんどん消えて行く時代となり、撮れる体制は整っているのに撮るものが減ってきてしまいました。アメリカで9.11テロ事件が起きて、それまで自由に入れた空港のチェック体制も厳しくなり、またBAが一旦導入した尾翼のマーキングをユニオンフラッグに統一し始めた頃から、鉄道に興味が戻り、今日に至っています。

2003年9月の改正でパノラマグリーン車が復活するまでの間の485系特急「雷鳥」の姿を編成毎に紹介して行こうと思います。この時代の写真としてはA01, A02, A04, A08, A09, A10編成の写真があるので、2回に分けて紹介致します。

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北方貨物線を向日町から回送される雷鳥 A02編成 クハ481-322他 2003/3/27 新大阪

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同編成の最後尾は向日町に新製配置以来在籍したクハ481-253でした。 
クハ481-2531973年8月24日、大ムコに200番台のラストとして配属され、1975年3月の改正で、それまで配置されていた200番台クハが一挙に門ミフに転属したあとも、唯一大ムコに所属していました。そして2004年2月2日付けで廃車になるまで、終生大ムコに留まりました。これまでも拙blogではその写真を載せております(雷鳥はくたか北越)。

その1回目は金サワにおける変化です。

2001年3月3日改正

←米原、金沢、上野
TcM'MTsM'MM'MTc×3 所要2(臨時+1) 489系(ラウンジ/コンビニ連結)
能登(1)、はくたか(臨時2)
 金沢10261321越後湯沢13581658金沢2212605上野‥東大宮
 東大宮‥上野18361930鴻巣‥上野21242223古河‥上野2354641金沢
 金沢14021704越後湯沢19392243金沢/金沢12011523越後湯沢16081924金沢

TcM'MTsM'MTc×10 所要6(臨時+4) 2001.4~順次TcM'MTM'MTsc
しらさぎ(8)(臨時+2.5)、雷鳥(臨時1.5)
 金沢‥富山524907名古屋10111347富山15241907名古屋21582242関ヶ原‥大垣
 大垣700741名古屋7541132富山13261707名古屋18112153富山
 富山‥青海635714直江津721912富山11241507名古屋16111948富山‥金沢
 休
 金沢718816富山9281307名古屋14131749富山
 富山7031052名古屋12131547富山18052152名古屋22182303関ヶ原‥大垣
 大垣800841名古屋9131311和倉温泉14121807名古屋20112347富山‥金沢
 金沢12551608名古屋16572011金沢
 名古屋10261414富山14301839名古屋19272239金沢
 大阪7491039金沢13131608大阪(TcM'MTsM'MM'MTc)
 金沢10131608大阪(TcM'MTsM'MM'MTc)

TcM'Mc×3 所要2(臨時+1)
しらさぎ(併結3)(臨時+1)
 富山11241407米原17131948富山
 金沢‥富山524807米原11131347富山15241807米原
 米原8591132富山13261607米原19132153富山‥金沢

TscM'M(M'M)Tc×3 所要3
加越(4)、雷鳥(臨時0.5)
 金沢517721米原8331034金沢11081309米原14101609金沢
 金沢8091009米原-福井14471657大阪米原16101815金沢
 金沢13081509米原2246044金沢

TscM'MM'MM'MTc×2 所要2 (ハイグレード車)Tsc:2200,2300台
はくたか(3)
 金沢702959越後湯沢13291622金沢17302022越後湯沢‥石打
 石打‥越後湯沢9191215金沢13121615越後湯沢19582255金沢

TscM'MM'MTc×3 所要2(臨時+1) (一部ハイグレード車)Tsc:2200,2300台
加越(3)、雷鳥(臨時0.5)
 休
 金沢539630羽咋708809金沢9081111米原12101408金沢17071909米原20202219金沢
 金沢710911米原18102007金沢
 金沢15241821大阪

TscTsMM'MM'TcMcM'Tc×3 (一部ハイグレード車)Tsc,Ts:2000,2100台
TscTsMM'MM'TMM'Tc×3 (一部ハイグレード車)Tsc,Ts:2000,2100台
M'M×1 M'Mc×1

2001年3月3日のダイヤ改正では
683系の投入により、「スーパー雷鳥」が廃止され、「サンダーバード」は15往復になりました。
雷鳥」の系統を富山駅・和倉温泉駅発着の「サンダーバード」と、金沢駅発着の「雷鳥」に整理。「雷鳥」は10往復になりました。
「雷鳥」の新潟駅発着列車が廃止され、金沢駅 - 新潟駅間は「北越」になりました。なお、新潟駅発着は多客期のみ「ふるさと雷鳥」として運転されました。
「雷鳥」の自由席がこれまでの7 - 9号車から「サンダーバード」と同じ5 - 7号車に統一されました。

<モハ485-500>

「スーパー雷鳥」に用いられてきた編成を「しらさぎ」に転用するため、編成から抜かれるサロ481-2000番台のCPをモハ485形に移設する改造が施されました。施工は金サワで、「スーパー雷鳥」時代にトイレ・洗面所を撤去し自動販売機を設置した車両の床下水タンク跡にCPを設置しました。

モハ485-234・222・218・232・248・237→モハ485-501 - 506

<サハ481-600>

同時にモハ484形を電装解除し、サハ481形600番台としました。種車のAU71形集中式冷房装置はそのまま流用されました。335(602)はかがやき編成時代にトイレ・洗面所が撤去され、電話室と自販機が設置されていましたが、サハ改造時にトイレと洗面所が復活しています。

モハ484-333・335・332・331→サハ481-601 - 604

なお、「しらさぎ」用付属編成の捻出と「スーパー雷鳥」用編成の10両貫通化を目的として1997年にはサロ481形より、サハ481-500番台が3両改造されています(関連記事)。

サロ481-66・121・131→サハ481-501 - 503

<クハ481-801, 701>

1985年3月の改正から1986年11月の改正まで特急「くろしお」で活躍したクハ480形の-8, -6はクハ481-801, 802に改造され1986年8月には日根野から福知山に転属し、さらにクハ480-5は1987年にクハ481-851に改造されて同じように転属していました。802は1990年6月にクハ183-801に再改造され、851もクハ183-851へと再改造されましたが、クハ481-801は1991年1月に金サワに転属していました。その801が2001年6月に京都に転属しました。

1985年3月にサハ489-11に運転台取り付け改造を施して誕生したクハ481-701も2001年9月に京都に転属しています(関連記事)。その他、モハ485-484ユニット221-323、サロ481-132、モハ489-488ユニット26-211、クハ489-204, 205, 604, 302, 702が京都に転属しています。

485_a04_020621_3
こちらも貫通扉が塞がれた200番台クハ先頭のA4編成  2002/6/21 新大阪
2002夏の編成表データではクハ481-105でしたが、すでに置き換えられていたのかと思われます。

485_a04_030325_2
北方貨物線を回送されるA04編成 2003/3/25 新大阪
2002夏の編成表データではクハ481-121でしたが、すでに置き換えられていたのかと思われます。

一連の動きが落ち着いた頃、2001年10月1日時点での運用の様子です。

←米原、金沢、上野
TcM'MTsM'MM'MTc×3 所要2(臨時+1) 489系(ラウンジ/コンビニ連結)
能登(1)、はくたか(臨時1)
 2001.3~と同じ

TcM'MTM'MTsc×7 所要6 (一部ハイグレード車)Tsc:2000,2100,2350台
しらさぎ(8)
 金沢‥富山524908名古屋10051343富山15261908名古屋19502023大垣(パノラマグリーン)
 大垣700740名古屋7511130富山13271708名古屋18052151富山(パノラマグリーン)
 富山‥青海635714直江津721912富山11261508名古屋16051946富山‥金沢(パノラマグリーン)
 休
 金沢718816富山9281308名古屋14131749富山
 富山7031052名古屋12131547富山18052153名古屋22302316関ヶ原‥大垣
 大垣800840名古屋9131311和倉温泉14121808名古屋20132347富山‥金沢

TcM'Mc×3 所要2(臨時+1)
しらさぎ(併結3)(臨時+1)
 富山11261409米原17101946富山
 金沢‥富山524807米原11101343富山15261809米原
 米原8571130富山13271609米原19102151富山‥金沢

Tc(MM')MM'Tsc×3 所要3
加越(4)
 2001.3~と同じ

TscM'MM'MM'MTc×2 所要2 (ハイグレード車)Tsc:2200,2300台
はくたか(3)
 2001.3~と同じ

TcMM'MM'Tsc×3 所要2 (一部ハイグレード車)Tsc:2200,2300台
加越(3)
 休
 金沢539630羽咋708809金沢9081109米原12101408金沢17071909米原20202219金沢
 金沢710909米原18102006金沢

TcM'MTsM'MTc×5 所要臨時2
しらさぎ(臨時2.5)
 金沢12551608名古屋16572011金沢
 名古屋10281414富山14301854名古屋19202239金沢

M'M×7 M×2 M'Mc×2 Mc×2 Ts×9 Tc×4

3月から10月にかけての車両の改造や移動で「雷鳥」の運用が完全に消えているのが分かります。

<サハ481-701~702, 751>

2003年の改正で「しらさぎ」に投入されていた編成を「雷鳥」に転用するにあたり、サハ481形500、600番台では不足するので、モハ485形を電装解除し充当することとしました。751は種車が1000番台のため、別区分に。

モハ485-227・228・1029→サハ481-701・702・751

その他、老朽化された車両が廃車となり、また「北近畿」などのために交流機器使用停止、取り外しが行われ、183系化改造され福知山への転属も進められました。

この記事を作成するにあたり、Wikipediaの記事と「485系の動き 配置および編成・運用の移り変わり 一覧」のデータを参考にさせて戴きました。

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2013年11月29日 (金)

西武鉄道 赤電の時代 601系 その1 新宿線

西武鉄道の赤電シリーズも、ついに吊り掛け車からカルダン車になります。

その第一弾は551系の車体を踏襲して、TcMM'Tcとした601系です。この方式は、以後701系、801系、101系、2000系へと受け継がれて行く、4連方式となりました。

601
1974年頃、本川越にて まだサボ差しが残っており、方向幕を使用始めた頃

登場は1962年末でそれまでの国鉄払い下げ中古部品搭載の車輌から性能向上を目指し始めた車輌ではありましたが、過渡期の存在であったことも事実です。1963年までに7本が製造され、以後の増備はモデルチェンジした701系になりました。後継の701系が、1975年頃から冷房化、ブレーキのHSC化で大きく生まれ変わったのに対して、601系はモハこそ、701系の6連化の際に同様の改造対象となりましたが、クハは赤電のまま、クモハ451形、あるいは551系のクモハと組む形で生涯を終えました。

601_611f
611F この写真は701系の6連冷改車が登場した頃、武蔵関~東伏見間で撮影したもので、当時、あぁこれで601系も系列が終わるのかと思いながら撮ったのを記憶しています。

車体

西武所沢車両工場製造の20m級の3ドア軽量車体で全金属製です。外観は、前年の1961年に製造された吊り掛け式の551系とほぼ同型で、正面は細いピラーを中央に通した湘南形2枚窓、扉は鋼板プレスドアに戻っています。

台車の関係からか551系と比べて床面高さが高くなり、連結器を避けるための欠き取りが小さくなっています。正面ワイパー位置が551系の窓上装備に対して窓下装備となりました。

主電動機

中空軸平行カルダン駆動方式の日立HS-836-Frbで、国鉄が開発したばかりの最新型である「MT54形」とほとんど同一の設計でした。ギア比はMT46搭載車だった国鉄101系電車と同一の84:15 ( = 5.60) で、MT54搭載の国鉄近郊形(ギア比4.82)よりもさらに加速力・牽引力重視の設定となりました。

601_613f
613F 国分寺線で活躍する601系 701系の冷改ですぐに601系7本が解体された分けではなく、最初に601、603,605の3本、しばらくしてから残りが改造されたため、607F以降はしばらく見ることができました。 東村山

制御装置・補機類

主制御器は日立MMC-HT-20A(弱め界磁起動1段、直列10段、並列7段、弱め界磁5段)電動カム軸式1C8M制御の多段制御器で、2両分8個のモーターを制御する。4両編成で制御器1基、パンタグラフも1基で済まされており、コストを抑制しています。

制御段数は発電制動がないため、力行(加速モード)のみの23段です。電動発電機や空気圧縮機は、旧型国電用の部品を充当しています。空気圧縮機AK-3形は旧型国電からの中古品だけでなく新製したものも存在し、5000系レッドアローや2000系2両編成車に至るまで、西武標準形として広く採用されました。

台車・ブレーキ

電動車の台車は住友金属工業製FS342で、実質的に国鉄の通勤電車・普通電車用標準台車であるDT21そのものです。付随車の台車は、中古の流用品のTR11が用いられました。
ブレーキは電磁給排弁付のAE電磁自動空気ブレーキで、電磁給排弁の付加で特に長大編成時の応答速度は向上しているが、発電ブレーキがないこともあって制動能力そのものは旧型車並みでした。電動車のブレーキシリンダーは中継弁を介した台車シリンダー方式としたが、制御車は台車側のブレーキワークの関係もあって車体装架でした。

Wikipediaの記事を参考に記述しています。

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2013年11月28日 (木)

西ベルリンの思い出 BA Boeing 737-236 G-BGDK

西ベルリン留学時代にテーゲル空港で撮影した旅客機の写真を紹介しつつ、当時乗り入れていた航空会社の思い出等を、綴っておりますが、前回に続いてBOAC(英国海外航空)の思い出について触れたく思います。

今回写真を紹介するのは前回同様、Boeing 737-236シリーズの中の一機で、G-BGDKのレジを付けた機体です。

Gbgdk_cn_21800_661_boeing_737236adv
G-BGDK cn 21800 ln 661 Boeing 737-236/Adv 1988/10/23

英国海外航空として今も憶えているのは、1966年3月5日世界一周便として、羽田から香港に向かう途中、富士山麓の太郎坊付近に墜落したB707-436型機(G-APFE)の事故ではないかと思います。

前にも話題にしましたが、あれは1966年春に日本で起きた連続航空機事故の3番目の事故でした。最初は2月4日金曜日全日空Boeing 727-81 (18822/126 JA8302)が東京湾に墜落して乗客乗員133名全員が犠牲になった事故で当時、一機の航空機事故としては世界最大の事故でした。そして3月4日金曜日カナダ太平洋航空の402便(DC-8-43 CF-CPK)が羽田空港のC滑走路に着陸する際に高度を低くとりすぎたために、進入灯に主脚を引っ掛け護岸に激突大破炎上した事故で、乗客62名乗員10名計72名のうち64名が犠牲になりました。

その翌日、カナダ太平洋航空機の残骸の横を離陸した羽田発香港行きBOAC911便が、富士山麓の上空で富士山特有の乱気流に巻き込まれ機体は空中分解し、乗客113名乗員11名計124名全員が犠牲となりました。この便はサンフランシスコから東京を経由して香港に向かう世界一周のルートで、本来は金曜日に東京に到着する予定でしたが、東京地方は濃霧のため、板付にダイバーとされていました。

私はこの連続航空機事故の際は小学校4年でしたが、その後に読んだ柳田邦男氏の「マッハの恐怖」とともに今でもしっかり記憶しています。特に偶然撮影された前日のカナダ太平洋航空機の残骸の横を離陸するBoeing707機の写真は今でもしっかり憶えています。

Gbgdk_cn_21800_661_boeing_737236a_2
G-BGDK

これらの事故の頃はすでにブラックボックス(フライトデータレコーダーとボイスレコーダー)はBOAC機には搭載されていたそうですが、生憎、墜落時の火災で破壊されていたそうです。ただ、富士山上空で空中分解する様子は富士山測候所の職員、陸上自衛隊東富士演習場の自衛隊員、路線バスの運転手などが目撃しており、たまたまラジオ放送(西鉄対巨人のオープン戦)の実況を聴いていたこともあって、空中分解の正確な時刻が割り出されました。さらに乗客が撮影していた8mmカメラの画像から黒いコマが生じる衝撃を実験的に再現することで、機体が事故当時うけた衝撃の強さ(7.5G以上)も割り出されました。

Flight_hndkjj_081207_2
羽田から熊本に向かう便から見た東京上空の風景 2008/12/7

乱気流は山岳波の中でも特殊な剥離現象によると言うことが事故から4年後に発表されました。残された物的証拠や目撃証言を総合して、事故の全体像が明らかにされて行く過程はまさに優れたドキュメンタリーであり、自分自身のその後の進路にも影響を与えたと思います。

Flight_020402_hndngs
羽田~長崎便からみた富士山山頂、こうやって機内から富士山を見ると今でもBOAC機の事故を思い出します。 2002/4/2

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2013年11月27日 (水)

公園保存蒸気 D51 140 熊谷市荒川公園

全国の公園等に保存されている蒸気機関車を訪ね歩くシリーズ、今回は先日その訪問記を記事にした熊谷の荒川公園のD51 140号機です。

D51_140_130928_3
D51 140 号機 2013/9/28

荒川公園はその名の通り、熊谷市の荒川の河川敷沿いに立地した公園で、駅から数分で到着する場所にあります。機関車は森の中にぽつりと置かれているといった感じでした。

D51_140_130928_27
いつものようにこの機関車の履歴を見てみますと、

D51140     日本車輌名古屋工場=664 1938-10-00 S77.60t1D1T(1067)
車歴;1928-10-00 製造→ 納入;国鉄;D51140→
配属;東京局→1938-11-06
使用開始→1938-11-16 配置[東鉄達961];
宇都宮→1944-11-13 大宮→1969-05-02 高鉄局配置表(5/1?)高崎一→1970-04-09 廃車[関東支達79];高崎一→
保存;埼玉県熊谷市「荒川公園」;D5114

沖田祐作氏の機関車表では最後にD5114となっていますが、14号機ならばナメクジスタイルなので、140号機の誤植かと思われます。

この履歴が示すように名古屋工場製(1928も1938の間違い?)ですが、東京局に配置され、廃車まで北関東一帯で活躍したようです。廃車も比較的早く1970年とのことです。

D51_140_130928_8
炭水車のライトはきちんと装着されていました。

連結器や動輪などはかつて白く塗られた跡がしっかり残っていますが、車体全体にさびが出ており、かなり荒廃している感は否めません。

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車体表面の様子はかなり荒れているようでした。

D51_140_130928_16
荒れた中でもお召し機のように連結器が白く塗装された様子が残っているのは逆に不釣り合いな感じもしました。

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2013年11月26日 (火)

2013 夏 新潟の旅 13 EF510 基本番台 14号機

EF510の基本番台シリーズ、今回は14号機です。

まず、いつものように14号機の甲種回送は2009/2/4とのことです。

Ef51014_100709
2010年7月9日 この日は天気が悪く露出アンダーの写真となりましたが、大阪ターミナルから重連単機で吹田機関区に戻る14号機です。 千里丘

Ef65_1036_100709
相棒は今も2036号機として現役の1036号機でした。

Ef51014_110529_2
2011/5/29 高岡を通過する4076列車を牽引する14号機 2011/5/29

今回も高岡の写真が出ているので、同じときに撮影した気動車の写真を何枚か紹介します。

まずは氷見線です。高岡駅-氷見駅間16.5kmで、途中能町駅から新湊線に乗り入れて高岡貨物駅までJR貨物の貨物列車も走っています。旅客列車は富山地域鉄道部所属のキハ40形・キハ47形です。

47_1092_110529_3
高岡駅に到着する氷見からのキハ47 1092他2連

47_1064_110528_3
おなじ場所にて氷見に向けて出発するキハ47 首都圏色 

歴史を見てみると

1900年12月29日:中越鉄道 伏木駅 - 高岡駅間(7.34km)が延伸開業。伏木駅・能町駅が開業。
1912年4月4日:島尾駅 - 伏木駅間(6.28km)が延伸開業。島尾駅・雨晴駅が開業。
1912年9月19日:氷見駅 - 島尾駅間(3.06km)が延伸開業、氷見駅 - 高岡駅 - 城端駅間が全通。氷見駅が開業。
1916年4月1日:中川停留場が開業。
1920年9月1日:中越鉄道全線が国有化。伏木駅 - 高岡駅 - 城端駅間が中越線、伏木駅 - 氷見駅間が氷見軽便線となる。中川停留場が駅に変更され越中中川駅に改称。
1922年9月2日:軽便線の名称を廃止し、氷見軽便線が氷見線に改称。
1942年8月1日:氷見線が高岡駅 - 氷見駅間に変更される。
1953年7月1日:越中国分駅が開業。
1978年3月1日:伏木駅 - 氷見駅間の貨物営業が廃止。
1987年4月1日:国鉄分割民営化により西日本旅客鉄道が継承。日本貨物鉄道が高岡駅 - 伏木駅間の第二種鉄道事業者となる。
1991年4月1日:高岡駅構内をのぞいた全線が金沢支社の管轄から高岡鉄道部の管轄になる。
1992年3月14日:ワンマン運転開始。
2009年6月1日:組織改正により高岡鉄道部が廃止され、全線が富山地域鉄道部の管轄になる。

40_2135_110529
氷見市出身の藤子不二雄A氏の忍者ハットリ君がラッピングされたキハ40形

複線区間:なし(全線単線)
電化区間:なし(全線非電化)
閉塞方式:特殊自動閉塞式(軌道回路検知式)

2014年度の北陸新幹線開業を控えて、JR西日本の社長は赤字対策として氷見線の廃止バス転換を行うか、本数削減などを含めた地元自治体との協議の意志のあることを示していましたが、2012年1月28日の発表では金沢開業後も引き続きJR西日本が運営し、運転本数なども変更がないことが発表されました。

47_25_110529
雨の氷見駅に到着するキハ47形

2011年5月に高岡を訪問した際、氷見まで足を伸ばしたのですが、ちょうど台風が接近しており、富山県地方は激しい雨となり、結局氷見駅から一歩も出ぬまま、折り返し列車で高岡に戻りました。もしまた出かける機会があれば、ぜひ氷見の街を訪問したく思っています。

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2013年11月25日 (月)

485系 「雷鳥」 金サワのスーパー雷鳥

前回の当シリーズの記事では「和風車だんらん」について触れましたが、今回はその後の金サワ担当のスーパー雷鳥です。

4854812000_920314_2
サロから改造され、塗装も新しくなったクロ481-2000番台 1992/3/14 大阪

国鉄からJRになって数多くのスーパーが付く特急がデビューしました。「雷鳥」の場合も、1989年3月11日の改正で「スーパー雷鳥」がデビューしました。「雷鳥」は大ムコと新カヌの担当、「スーパー雷鳥」は金サワの担当だったのですね。

この改正に関連して

1)<サロ489-1000からの改造>
サロ489-1000番台は1978年に特急「白山」のサービス電源安定化のため、MGを搭載したサロとして、新製されたものでしたが、短編成化でその役目を終えていました(関連記事)。まずサロ489-1001, 1006, 1003がクロ481-2001~2003に改造され、パノラマグリーン車として登場しました。前回の記事で記述したようにサハ481-118からクロ481-2101も改造されました。
サロ489-1000番台の1002, 1005, 1008, 1010は特急「北越」の短編成化に向けて、同時期クロ480-1001~1004に改造されました(関連記事)。サロ489-1004はサハ481-118の改造にMG・CPを提供し、サロ489-101と改番しました。

2)サロ481-502, 503, 504, 505はサロ481-2001~2004に大ムコで改造されて転入

3)モハ489-18, 19, 20, 21のラウンジ・コンビニ化

4)モハ485-226, 227, 232, 234, 237, 238, 248, 1025, 1029
   モハ484-335, 605, 606, 1025, 1029
   クハ481-309(元クロハ481-301),317のハイグレード化改造

6)モハ485, 484 ユニット 130-234, 132-236, 147-249, 148-250, 1025, 1029
   クハ481-114, 116, 117, 126
   サロ481-39, 66, 85 の大ムコからの転入

といった動きがありました。

1989年3月11日の改正

←米原、金沢、上野
TcM'MTsM'MM'MTc×5 所要4 489系(ラウンジ/コンビニ連結)
白山(2)、北越(1)
 休
 金沢11301745上野18131840大宮‥東大宮
 東大宮‥上野9301532金沢16562041新潟‥上沼垂
 上沼垂‥新潟10041346金沢15302145上野22052232大宮‥東大宮
 東大宮‥上野15302132金沢

TcM'MTsM'MTc×14 所要9(臨時+6)
加越(6)、しらさぎ(8)(臨時+2)、北越(臨時3)、白鳥(臨時1)
 休
 金沢720816富山9381320名古屋14101753富山
 富山‥青海614654直江津701849富山11351520名古屋-金山1603-名古屋16101951富山‥金沢
 金沢9191123米原12101409金沢15191820名古屋19102258富山‥金沢
 金沢‥富山7001050名古屋-1055金山-名古屋12101553富山17052050名古屋21002133大垣
 大垣758837名古屋9101208金沢13191523米原16101812金沢18392048米原21422343金沢
 金沢8191023米原18102010金沢
 金沢11191323米原14101613金沢17191923米原21102306金沢
 金沢‥富山530920名古屋-932金山-名古屋10101353富山15381920名古屋20002034大垣
 大垣715757名古屋8101152富山13381720名古屋-金山1804-名古屋18102156富山‥金沢
 金沢8561212名古屋17022028金沢
 名古屋10251335金沢15351848名古屋
 金沢13031609長岡17552044金沢
 金沢9061210長岡13081634金沢
 金沢10391412長岡15381906金沢
 金沢10542227青森/青森10292216金沢

TscM'MM'MTc×4 所要4 Tsc:1000台
北越(4)
 金沢605951新潟16002037福井‥南福井-2247大阪
 南福井‥福井8051243新潟14001746金沢‥森本
 森本‥金沢15051847新潟19252310金沢
 金沢9521244長岡13461639金沢(TscM'MM'MM'MTc)

TcM'MTc×3 所要3 (ハイグレード車)
かがやき(4)、きらめき(1)、加越(臨時0.5)、雷鳥(臨時0.5)
 金沢730923米原13371443福井15421740大阪‥米原2229020金沢
 金沢717958長岡11461425金沢16371909長岡20422314金沢
 金沢537809長岡9041136金沢12231458長岡17462019金沢

TcM'MM'MTsTsc×4 所要3(臨時+1) (指定席ハイグレード車)Tsc,Ts:2000,2100台
スーパー雷鳥(4)(臨時+1)
 金沢‥富山8071134大阪12551626富山17382104大阪‥宮原
 宮原‥神戸6351026富山1306長野1353富山16332036神戸‥向日町
 向日町‥大阪8551218富山14071734大阪18552218富山‥金沢
 大阪9001139金沢13521657大阪

M'M×4

485481300_920314_2
新大阪に到着する特急「スーパー雷鳥」 前3両は併結編成 1992/3/14

1991年3月から9月の改正に向けて

1)クロ480-1002がクロ480-2301に改造(かがやき用)

2)サロ489-1007,1009がクロ481-2004, 2005に改造 
 一連の改造で、サロ489-1000番台は消滅しました。

3)クハ481-307, 325, 327がクロ481-2301~2303に改造(かがやき、きらめき用)

4)サロ481-508をサロ481-2006に改造、残りの501, 506, 507は改造されることなく1993年8月31日付けで大ムコで廃車となっています。

5)スーパー雷鳥の七尾線乗り入れに伴う、3連の併結編成準備のために、モハ485をクモハ化
モハ485-219, 220, 235, 236, 246, 247, 239をクモハ485-201~207に改造

1991年9月1日改正

TcM'MM'MTsTsc×6 所要5 (指定席ハイグレード車)Tsc,Ts:2000,2100台
スーパー雷鳥(7)
 休
 金沢‥富山8151134大阪13101652和倉温泉17232108大阪‥宮原
 宮原‥神戸6351021富山1306長野1353富山16412031神戸‥向日町
 向日町‥大阪9101249和倉温泉13461734大阪19102227富山
 富山525907大阪10401435和倉温泉15121908大阪20102337富山‥金沢
 金沢‥富山11421504大阪17102027富山‥金沢

TcM'Mc×7 所要6 (指定席ハイグレード車)
スーパー雷鳥(併結7)
 休
 金沢‥富山8151134大阪13101637富山
 富山14021734大阪19102227富山
 富山525907大阪10401416富山17352108大阪‥宮原
 宮原‥神戸6351021富山1132立山1534富山16412031神戸‥向日町
 向日町‥大阪9101235富山1348宇奈月温泉1404富山15251908大阪20102337富山‥金沢
 金沢‥富山11421504大阪17102027富山‥金沢

1992年3月の改正に向けて

クハ481-224をクロ481-2201に改造(かがやき、きらめき用)
485481300_920314
新大阪を出発する併結編成の「スーパー雷鳥」 1992/3/14

この後、車輌構成は変わらず、

2000年3月11日の改正が「スーパー雷鳥」として最後の改正となり、

TscTsMM'MM'TcMcM'Tc×3 TscTsMM'MM'TMM'Tc×3 所要5(臨時+1) (一部ハイグレード車)Tsc,Ts:2000,2100台
スーパー雷鳥(7)(臨時+1)
 金沢554730七尾‥和倉温泉912-金沢10201306大阪15421824金沢-1907富山‥金沢(TscTsMM'MM'TcMcM'Tc限定 和倉温泉-金沢McM'Tcなし 金沢-富山TscTsMM'MM'Tcなし)
 金沢‥富山8161134大阪13421710富山17512121大阪‥宮原
 宮原‥大阪7421108富山12051536大阪17422119魚津‥富山
 富山6261004大阪11421505富山16081933大阪21082235米原
 米原553730大阪9421300富山14141734大阪19262251富山‥金沢
 金沢13131608大阪/大阪14121708金沢

2001年3月の改正で「スーパー雷鳥」は廃止され、車輌は「しらさぎ」に転用されました。転用に際して、先頭車が不足するためクハ489-301がクロ481-2351に改造されました。

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2013年11月24日 (日)

西武鉄道 赤電の時代 411系 その2

西武鉄道の赤電を懐かしむシリーズ、今回は411系の続編です。

4111411ii
新所沢行準急に投入された411系 3次車 所沢 準急の教示が緑の大きなタイプに 1978年頃

411系の3次車として製造された423~429編成は、当時701系のマイナーチェンジ版として登場していた801系同様に、雨樋の位置が上方に移動し、張り上げ屋根風の外観になりました。さらに乗務員室扉の手すりも埋め込み式になり、戸閉表示灯の形状も丸型に変更されました。

1971年から1972年にかけて、電動車の台車をTR14Aから住友金属工業製ペデスタル式空気バネ台車FS-40へ換装する工事が実施されました。同台車は台車側にブレーキシリンダーを有するため車体側の基礎制動装置は撤去され、また同時に手用制動の廃止ならびに保安制動の新設が施工されていますが、これはFS-40台車には手用制動が取り付け不可能であったための措置だそうです。

4111411ii_2
武蔵関~東伏見間を行く411系 台車がFS-40に換装されているのがわかります

さらに101系の冷房化改造により発生した低出力MG(日立製作所製HG-534-Mrb、出力12kVA)ならびに天井板・交流蛍光灯・扇風機を流用して低圧電源の交流化が施工され、前照灯のシールドビーム2灯化、前面窓内側への行先表示器新設などが順次施工されました。

4111411ii_3
こちらは池袋線の準急ですが、まだ表示のプラスティックが小さい頃です。 所沢

1975年から701系、801系の冷房化、電磁直通ブレーキ(HSC)化が施行されると、2連の増結用編成が必要となり、411系も1978年から同様の改造が施行されることとなり、改造後は401系(クモハ401形奇数+偶数:もとのクモハ411がすべて偶数車に)となりました。この改造401系に関しては西武鉄道 黄電の時代シリーズで触れるつもりです。

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2013年11月23日 (土)

西ベルリンの思い出 BA Boeing 737-236 G-BGDJ

西ベルリンの思い出シリーズ、今回からはBritish Airwaysです。

IATA code: BA
ICAO code: BAW
コールサイン: Speedbird

我が国では知らない人はいないと思われるイギリスのフラッグ・キャリアであり、ロンドンヒースロー空港を拠点とするヨーロッパでは第三位、世界でも第九位にランクされる大手航空会社です。

私達家族も西ベルリン留学の往復はBAの便のお世話になりました。

テーゲル空港ではBoeing737-200シリーズを6機、BAeATPシリーズを4機写していました。

Gbgdj_cn_21799_660_boeing_737236adv
G-BGDJ (cn 21799 ln 660)  Boeing 737-236Adv 1989/6/25  TXL

British Airwaysとしての設立は1974年3月31日で、それまでの英国海外航空 British Overseas Airways Corporation (BOAC)、British European Airways (BEA)、 Cambrian Airways (Caridiff拠点)、Northeast Airlines (Newcastle upon Tyne拠点)が英国政府の指導で合併してのものでした。1987年2月に保守党政権のもと、民営化されました。その後、1987年British Caledonian航空1992年Dan Air2012年British Midland International 航空を合併して巨大化しました。

One Worldの創設メンバーで2011年1月21日にはスペインのイベリア航空と合併し、International Airline Group (IAG)も設立しています。

BOAC、BEA以前からの歴史を見てみると、

1924年5月 ハンドリー・ページ・トランスポート(世界初の機内食提供)やダイムラー・エアウェイズ(前身のAT&Tは世界初の国際定期便開設)など4社が合併してインペリアル航空 が創立。大英帝国ルートと呼ばれた南アフリカ、インド、マレーシア、香港まで足を伸ばし、オーストラリアのQantus航空 (Queensland and Northern Territory Aerial Services Ltd)やニュージーランドの TEAL航空 (Tasman Empire Airways Ltd)とも提携していました。

1939年 インペリアル航空とブリティッシュエアウェイズLtd.(1935年設立)が合併し、国営の英国海外航空 (BOAC、British Overseas Airways Corporation) が誕生。

1946年 国内線と欧州域内の国際線を担当する英国欧州航空 (BEA,British European Airways) を設立し、BOACは長距離国際線を運航する会社となりました。

<コメットの悲劇>

1952年5月2日 世界で初めてジェット機コメット Mk.I (デ・ハビランド DH106)により、ヒースロー - ヨハネスブルグ(ローマ、カイロ、ハルツーム、エンテベ、リビングストン経由)間で行われ、所要時間を一気に半減させてみせました。同年内には5機のコメットMk.Iが完成し、定期運航や試験飛行に使用されました。
コメットMk.Iは乗客数は当時のライバル機であったダグラスDC-6ロッキード・コンステレーションなどの従来のプロペラ機と同等かそれ未満で、航続距離も同様であり、太平洋はおろか大西洋横断路線の無着陸横断も不可能でした。しかし、従来の2倍の速度だけでなく定時発着率の高さも実証され、さらに天候の影響を受けにくい高高度を飛行することや、ピストンエンジンと違い振動も少ないなど快適性もレシプロ機の比ではない事が明らかになり、英国海外航空のみが就航させていた初年度だけで3万人が搭乗する人気を博しました。しかし、1954年1月にローマを離陸したMk.I/IA機が墜落し、乗客乗員35人が全員死亡する事故(英国海外航空781便墜落事故)が起き、空中分解が疑われ、さらに運航再開後の同年4月にも、イタリア近海を飛行中の南アフリカ航空のMk.I/IA機が墜落し、乗客乗員21名が全員死亡する事故(南アフリカ航空201便墜落事故)が発生し、2度に渡る空中分解を受けてコメットは再び耐空証明を取り消され、全機運航停止処分になりました。

徹底した事故調査の結果、高空を飛行するジェット機の与圧の繰り返しで窓枠の角、或いは航法装置取付部に亀裂が発生し、これが成長して機体が破裂的な空中分解に至ることが明らかにされました。

この教訓から徹底したフェイルセイフの導入が図られ、1958年10月4日に改良型のMk.IV機による大西洋横断便が就航しましたが、わずか1か月弱後に就航した、より高速でより大型のBoeing 707ダグラスDC-8ら第2世代機との競合には勝てず、BOACもコメットに見切りをつけBoeing 707を発注しました。

ただ転んでもただでは起きないBOACで、エンジンはあくまで英国製のロールスロイス(RR)エンジンに拘り、707-320をベースにターボファンエンジンのコンウェイMk.508型を搭載した-420を開発させ、広告などにおいてもBoeing 707ではなくロールスロイス707と表記したようです(関連記事)。

以下にBOACが導入した航空機のリストを示します。年代順です。

1935 de Havilland Express
1937 Short Empire
1937 Lockeed 10 Electra
1938 Lockeed 14
1939 Armstrong Whitworth Ensign
1939 Short S.26
1940 Consolidated Model 28 Catalina
1940 de Havilland DH.91 Albatross
1940 de Havilland DH.95 Flamingo
1940 Douglas DC-3
1940 Focke-Wulf Fw 200B Condor
1941 Boeing 314A
1941 Consolidated Model 32 Liberator
1941 Curtis Wright CW-20
1941 Lockheed Hudson
1941 Lockheed Lodestar
1942 Armstrong Whitworth A.W.38 Whitley 5
1942 Short Sunderland
1942 Vickers Warwick
1942 Vickers Wellington
1943 De Havilland Mosquito
1944 Avro Lancaster
1944 Avro York
1945 Avro Lancastrian
1946 Avro Tudor 1
1946 de Havilland DH.104 Dove
1946 Handley Page Halifax
1946 Handley Page Halton
1946 Lockheed Constellation
1946 Short Solent
1947 Short Sandringham
1948 Airspeed Oxford
1949 Airspeed Consul
1949 Boeing 377 Stratocruiser
1949 Canadair C-4 Argonaut
1949 Handley Page Hermes
1951 De Havilland Comet
1955 Bristol Britannia
1956 Douglas DC-7C
1960 Boeing 707
1964 Vickers VC10
1969 Boeing 747

これらの中で印象に残っているのは日本の空が呪われたといわれた1966年3月の富士山麓空中分解事故を起こしたBoeing 707と、ソ連のイリューシンIL62にデザインをコピーされたVC10です。

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G-BGDJ 1989/9/17 TXL

一方、BEAの方はBOACの欧州部門と第二次世界大戦中運航していた国内の複数の航空会社を統合する形で、1946年1月に設立されました。当時はロンドンの西にあるイギリス空軍ノーソルト空軍基地からDC-3、デ・ハビランド DH.89 ドラゴン・ラピード、ドイツ製のユンカース Ju52等の戦時中の機材を寄せ集めて運航していました。

その後、BEAはBOACと同様にイギリスの航空産業の発展と共に英国製の最新鋭旅客機を投入するようになり、BEAのフリートの歴史はイギリスの旅客機開発の歴史とも言えるようになりました。

1946年9月から Vikers Viking オスロ、コペンハーゲン線へ 11機の基本モデル1Aと31機の発展型モデル1Bを導入

1951年5月 Airspeed AS57 Ambassador エリザベータン をロンドン~パリ線に投入

1958年 Vickers Viscount 701を投入、さらに802, 806型へ

1960年 Vickers Vanguard 951を投入

1960年4月 コメット4Bをロンドン~モスクワ線に投入

1964年3月11日 HS.121 トライデント1Cを投入

1967年1月27日 BAC1-11 Srs.510

1968年 トライデント2E、さらに3に発展

1973年からのトライデントのリプレイスに向けて Lockheed L.1011-1 „TriStar“の発注を決定 しかし、BOACとの合併でこの決定はBOACの海外部門へ。

まさに、イギリス製の旅客機のオンパレードであり、同時にイギリスと一部の国のエアラインでしか見られなかった航空機が多いですね。

コメットはフランスのシュッド社との提携で有名なSE210 カラベルにその胴体を伝え、ホーカー・シドレー トライデントBoeing 727よりも先に3発リアエンジン形式を採用した機体であり、航空機史上エポックメーキングな機体でした。またトライデントはプラモデルで組み立てたこともありますが、前脚が胴体の中心線上になく、オフセットされている点もユニークでした。

BEAが1951年から飛ばしていたAS57ミュンヘン空港で離陸に失敗して、マンチェスターユナイテドの選手が多く犠牲になった事故(1958年2月6日)でも記憶に残っている機種ですね。CSのナショナルジオグラフィックチャンネルのメーデーシリーズにあります。

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2013年11月22日 (金)

公園保存蒸気 D51 885 深谷市仙元山公園

日本全国の公園等に静態保存されている蒸気機関車を訪ねるシリーズ、今回は以前、記事でご紹介した深谷市仙元山公園に保存されているD51 885号機です。

D51_885_130928
深谷市仙元山公園に保存されているD51885号機 2013/9/28

まずはこの機関車の履歴です。いつものように沖田祐作氏の機関車表のデータによりますと

D51885     日立製作所笠戸工場=1823           1944-03-28 S77.60t1D1T(1067)
   車歴;1944-03-28 製造→ 納入;国鉄;D51885→ 配属;? → 配置;? →1948-07-01 現在;一戸→
      1955-08-01 現在;亀山→1962-08-01 奈良→1968-03-31 現在;奈良→
      1973-11-08 廃車[工車1051];奈良→ 保存;埼玉県深谷市「厚生会館」;D51885

とのことで、日立製作所笠戸工場で1944年に製造された後、最初は不明のようですが、案内板の説明では

1944年5月2日 仙台鉄道管理局管内、尻内機関区(青森県八戸市)に配属、その後、1945年11月に盛岡機関区に配置転換、さらに一戸機関区(岩手県)、姫路第1機関区(兵庫県)、亀山機関区(三重県)、奈良機関区と配置替えされ1973年9月末日まで約29年5か月間走り続け、その運転キロ数は、15,079,713キロメートルにおよび、地球を約40周したそうです。

D51_885_130928_2
炭水車の台車にも色が入っているのは初めて見たような

外観的には綺麗に整備されていると思うのですが、赤や白の色入れが随所に目立ち些かやり過ぎの感もあります。

D51_885_130928_3
案内板は機関車に乗せないで別の場所に掲示した方が機関車本来の美しさが出るのではないかと思うのですが・・・

D51_885_130928_4
炭水車のライトはきちんと装着されています。

今回は以上です。

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2013年11月21日 (木)

2013 夏 新潟の旅 13 EF510 基本番台 13号機

EF510の基本番台シリーズ、今回は13号機です。

甲種回送日は2008年1月23日だそうです。

実はまだ1度しか遭遇しておりません。

Ef51013_110528_2
2011/5/28 高岡 3092列車

13号機に関しては特別の話題がないので、今回は高岡駅について触れようと思います。

110528
駅名標 2011/5/28

まずはその歴史からです。

1898年1月2日 - 中越鉄道(現在の城端線)の駅が開業。
     11月1日 - 官設鉄道が金沢駅から延伸、官設鉄道の駅(一般駅)が開業。

1899年3月20日 - 官設鉄道が富山駅まで延伸。途中駅となる。
1900年12月29日 - 中越鉄道線が伏木駅まで延伸(現在の氷見線にあたる)。
1909年10月12日 - 官設鉄道で線路名称制定が行われ、北陸本線の所属となる。
1920年9月1日 - 中越鉄道が国有化され国有鉄道中越線となり、国有鉄道単独駅となる。
1942年8月1日 - 線路名称改定。当駅を境に中越線の伏木方が氷見線に編入され、城端方は城端線に改称。
1966年11月 - 駅舎改築。
1986年11月1日 - 貨物・荷物の取扱を廃止(旅客駅となる)。
1987年4月1日 - 国鉄分割民営化により西日本旅客鉄道の駅となる。
2011年8月28日 - 橋上駅舎完成・供用開始。

この駅の歴史が示すように城端線の開通の方が北陸本線の開通よりも早かったため、通常なら駅長室のある駅舎(駅本屋)側からホームの番号は振られますが、この駅は城端線ホームを1番線にしています。

Jr_110528
北口の正面 2011/5/28

110529
2011年の時点ではまだ残っていた荷物輸送用テルファー

110529_2
このときの旅行では高岡駅すぐ脇のホテルに宿泊したため、ホテルの部屋の窓から高岡の気動車区の様子も写真に収めました。

110529_3
気動車区のそばには転車台も

110528_2
機関区には城端線の貨物を牽くDE10のすがたも

110528_3
駅の東側には氷見線DCの留置線が

以上はJR関係で、他に万葉線高岡軌道線の高岡駅前停留所がありますが、その写真は別の機会に紹介します。

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2013年11月20日 (水)

485系 特急「雷鳥」 和風車「だんらん」連結の頃

北陸本線の花形特急「雷鳥」に関しては

2013年1月21日の記事485系特急、
1月22日の記事489系特急、
1月28日の記事583系特急としての歴史について触れました。

今回は1985年3月14日の改正で短編成化、食堂車の連結廃止、和風車輌「だんらん」が登場してからの歴史について見て行こうと思います。

概観すると国鉄末期時代は485系の短編成化と改造の時期であり、さらに大ムコ一本化から、大ムコ(JR西日本)、新カヌ(JR東日本)の2配置区体制となります。2001年3月に東日本の担当分は廃止となります。一方、西日本の方は、「和風車だんらん」連結の時代から「スーパー雷鳥」の登場となり、金サワが再び担当区となり、2001年3月に「スーパー雷鳥」は廃止されます。

今回は、激動の改造時代と「和風車だんらん」組み込み時代、さらに東日本の「雷鳥」について触れます。

485_4810_850421_3
1985年4月21日、大阪駅で出発を待つクハ481基本番台を先頭にした「雷鳥
この先頭車はクハ481-27で、約1年前に上野駅で臨時「ひばり」として撮影していたクハでした(関連記事)。以前、「ひたち」の話題でも触れましたが、同じ時期、勝田区には1975年3月の改正で大ムコから鹿カコに移動した、クハ481赤スカート車が集結しており、この元仙セン車の「雷鳥」と言い485系のそれまでの固定観念が崩れだした時期でした。

1984年2月1日以降、特急「雷鳥」は大ムコが13往復(臨時1本を含む)、金サワが3往復(臨時1本を含む)を担当していました。食堂車が連結されていた最後の改正です。その後、2001年3月からは再び京都総合運転所(1996年3月16日に向日町運転所と向日町操車場が統合されました。2012年6月、吹田総合車輌所に)に一本化され、2011年3月の改正で「サンダーバード」に統合されて廃止となっています。

大ムコ

←大阪
TcM'MTsTsTdM'MTM'MTc×16 所要12(臨時+1)
雷鳥(13)(臨時+1)、北越(1)
 休
 向日町‥大阪7051106富山12201625大阪18052207富山
 富山10201425大阪16052006富山
 富山6481055大阪13051706富山18202225大阪‥宮原
 宮原‥大阪9051314富山14501855大阪‥向日町
 向日町‥大阪10051321金沢13411752新潟18532303金沢‥南福井
 南福井‥金沢8071125大阪13251638金沢17372055大阪‥向日町
 向日町‥大阪11351854新潟‥上沼垂
 上沼垂‥新潟10001725大阪‥向日町
 向日町‥大阪8051206富山12501655大阪19052308富山
 富山9201325大阪15051908富山
 富山527925大阪11051506富山16202025大阪‥向日町
 向日町‥大阪10351357金沢14371755大阪‥向日町
 大阪8321243富山15501956大阪

金サワ

←大阪、金沢
TcM'MM'MTsTdM'MM'MTc×10 所要7(臨時+2) 489系
白山(3)(臨時+1)、北越(2)、雷鳥(1)(臨時+1)
 休
 金沢7341434上野16002254金沢
 金沢10281734上野‥尾久
 尾久‥上野9001549金沢16472057新潟
 新潟8551314金沢15332234上野‥尾久
 尾久‥上野14002044金沢
 金沢535952新潟14002125大阪‥宮原
 宮原‥大阪7351454新潟17482204金沢
 金沢8551634上野/上野10341745金沢
 富山944-金沢10301355大阪16412011金沢-2100富山

TcM'MTsTsTdM'MTM'MTc×10 所要8(臨時+2)
雷鳥(2)、しらさぎ(7)(臨時+2)
 

T×3 Ts×3 Td×2

この後、1985年3月の改正までの間、

大ムコにおいては

1)サハの交換 サハ481-3,4,5,11が門ミフに転出し、替わりに115,116,117,118が転入、これは食堂車廃止による編成短縮でMG,CP供給車として集められました。サハ481-100番台はこの後、運転台取り付け改造を経て、183系、189系として巣立って行きます。一方、九州に移動したサハ481は改造されることなく生き延びて2000年3月末に消滅しています。

2)仙センよりボンネットタイプクハ-27, 28, 29, 30, 102, 103, 104が転入、300番台クハ338, 340も転入

3)盛アオより、モハ485-1501~1508のユニットが転入

4)サシ481-54, 55, 69, 70, 71, 73, 74, 81, 82が改造転入 
 だんらん用サロ481に改造 501~505(盛アオ)、506,507(大ムコ)、508~509(金サワ) ()内は改造区所

5)水カツへモハ485-64,67,68のユニットが転出(関連記事

6)金サワよりモハユニット転入(モハ485-484)
99-203, 103-207, 106-210, 108-212, 114-218, 119-223, 128-232, 162-264, 183-285, 185-287, 187-289, 188-290, 189-291, 215-317

7)盛アオよりクハ481転入 258, 261, 263, 335

8)仙センよりサハ481-104, 105, 106, 107, 114が転入

9)秋アキ盛アオ、よりモハ485-484 1000番台ユニット転入 1001~1006, 1025~1029

10)日根野にサハ481改造のクハ480が転出 12,13,14,15,16,17,18,19 がクハ480-1~8に(関連記事

11)サハ481-110,111がクハ182-1,2に改造され、長野へ転出(関連記事

12)金サワより、サシ489-10,12が転入

金サワにおいては

1)サロ489-2,5,10がサロ110-352,355, 356に改造転出(関連記事

2)サハ489-201, 204, 252がクハ480-9, 10, 11に改造され、日根野に転出(関連記事

3)盛アオよりクハ481-337が転入(関連記事

4)サハ489-11がクハ481-701に改造(関連記事

5)サハ489-7,9がクハ183-101, 102に改造され長野に転出(関連記事

といった大きな変化がありました。

1985年3月14日の改正では金サワは特急「雷鳥」の運用はなくなり、大ムコに一本化されました。さらに、「和風車だんらん」を含む10両編成と、含まない10両編成に運用が分けられました。

←大阪
TcM'MTsTsoM'MM'MTc×9 所要6 Tso:500番台
雷鳥(7)、アルペン(臨時1)
 休
 向日町‥大阪7051058富山12551652大阪18352134金沢‥森本
 森本‥金沢8121117大阪14051758富山2310505大阪
 富山8251222大阪14351741金沢18422152大阪‥野洲
 野洲‥大阪13301641金沢17422047大阪‥向日町
 向日町‥大阪12051601富山17252122大阪‥宮原/大阪2337520富山
 宮原‥大阪8051104金沢12421552大阪‥向日町

TcM'MTsTM'MM'MTc×16 所要13(臨時+2)
雷鳥(11)(臨時+2.5)、白鳥(1)、北越(1)
 休
 向日町‥大阪11351845新潟
 新潟9051612大阪18052158富山
 富山9251322大阪15052209新潟‥上沼垂
 上沼垂‥新潟8141522大阪17052058富山
 富山524922大阪11051411金沢16121922大阪‥向日町
 向日町‥大阪10302351青森
 青森4501812大阪‥向日町
 向日町‥大阪10051311金沢14421752大阪19052301富山
 富山10251422大阪16051959富山
 富山6491052大阪13051658富山18252222大阪‥宮原
 宮原‥大阪9051300富山14551852大阪‥向日町
 向日町‥大阪7351438新潟16102011金沢‥南福井
 南福井‥金沢7351142新潟13152022大阪‥向日町
 金沢6501031大阪16302032富山
 富山953-金沢10421352大阪15251848金沢19462305大阪

Ts×7 Td×14 T×2

485_481500_850421_2
サロ481-500番台 和風車だんらん 元サシであったことがよく分かる窓の配置です。 1985/4/21 大阪

485_481500_870224
サロ481-507 和風車だんらん 上の写真とは逆のサイド 金帯を配すところなどは当時のバブリーな風潮の反映でしょうか 1987/2/24 大阪

次の1986年11月、国鉄として最後のダイヤ改正に向けて上沼垂に485系が配置されるようになり、またしても485系の移動が行われました。この時の様子は2013年7月24日の記事で触れました。1985年の改正の前に大ムコに移動した多くの485系が、その後、1986年の改正の前に上沼垂に再移動しているのが分かります。9両編成8本の体制で、上沼垂では特急「雷鳥」を2往復担当し、特急「白鳥」と共通運用でした。

485_481753_870224_3
クハ481-753 を最後尾に連結した新カヌ編成の「雷鳥」 1987/2/24
クハ481-753はサハ489-5の改造車で、2001年には「きらきらうえつ」に再改造されています。

新カヌ 1986年11月1日改正

←大阪、青森
TcM'MTsM'MM'MTc×8 所要6(臨時+2)
白鳥(1)、雷鳥(2)、北越(1)(臨時+1)、いなほ(臨時1)
 休
 上沼垂‥新潟9041556大阪‥宮原
 宮原‥大阪10402340青森
 青森4501801大阪‥宮原
 宮原‥大阪7501437新潟17002045金沢
 金沢7441142新潟13152005大阪‥向日町
 向日町‥大阪11501844新潟‥上沼垂
 新潟11191402酒田15031742新潟
 上沼垂‥長岡8411128金沢16331742長岡‥上沼垂

1988年10月から一部の車輌でグレードアップ改造が開始されています。2001年3月に特急「雷鳥」が廃止されるまでの間の車輌の出入りも2013年7月24日の記事に纏めてあります。

485_4811505_870224_2
クハ481-1500番台が最後尾を務める特急「雷鳥」 上沼垂の編成ならでは 1987/2/24 大阪

1997年10月に特急「白鳥」の運用が京都に移管されるまではほぼ同じパターンで運行されました。

1997年10月1日改正

←大阪、青森
TcM'MTsM'MM'MTc×6 所要5 (指定席グレードアップ車)
雷鳥(3)、いなほ(1)
 上沼垂‥新潟20222230酒田
 酒田8031011新潟15162147大阪‥宮原
 宮原‥大阪8121435新潟‥上沼垂
 上沼垂‥新潟7331406大阪17121959金沢
 金沢8141107大阪16122233新潟‥上沼垂

1998年3月14日改正

←大阪、青森
TcM'MTsM'MM'MTc×8 所要6 (3000台/指定席グレードアップ車)
雷鳥(3)、いなほ(1)、はくたか(1)
 上沼垂‥新潟20222230酒田
 酒田8031011新潟15162147大阪‥宮原
 宮原‥大阪8121435新潟‥上沼垂
 上沼垂‥新潟7331406大阪17121959金沢
 金沢8141107大阪16122233新潟‥上沼垂
 金沢10351321越後湯沢14411734金沢(3000台)

1999年12月4日改正

←大阪、青森
TcM'MTsM'MM'MTc×8 所要5 (3000台/指定席グレードアップ車)
雷鳥(3)、はくたか(1)
 休
 上沼垂‥新潟7501410大阪18122105金沢
 金沢9141206大阪16122233新潟‥上沼垂
 上沼垂‥新潟15412211大阪‥宮原
 宮原‥大阪8121436新潟‥上沼垂
 金沢9501244越後湯沢16401939金沢(3000台)

2000年12月2日改正

←大阪、青森
TcM'MTsM'MM'MTc×7 所要5 (3000台/指定席グレードアップ車)
雷鳥(3)、はくたか(1)、いなほ(臨時0.5)
 休
 上沼垂‥新潟7501410大阪18122105金沢
 金沢9141206大阪16122233新潟‥上沼垂
 上沼垂‥酒田11211342新潟15412211大阪‥宮原
 宮原‥大阪8121436新潟‥上沼垂
 金沢9501244越後湯沢16411939金沢(3000台)

この後の、2001年3月の改正で上沼垂担当の特急「雷鳥」は廃止となりました。

一方で、1986年11月改正前に大ムコでは

1)水カツからサロ481-97が転入

2)サシ481-31, 33, 36, 37, 46, 47, 49, 51, 52, 53, 56, 57, 58, 59が廃車に

3)サロ481-37, 41, 47, 60, 61, 63, 65が廃車に

4)サハ481-117, 103, 112, 104, 102がクハ182-101~105に改造され松本へ転出(関連記事

5)サハ481-101, 113がクハ188-601,101に改造され長野に転出(関連記事

6)サハ481-107,105, 114がクハ183-103~105に改造され松本に転出(関連記事

といった動きがありました。

1986年11月1日改正 大ムコ担当分

←大阪
TcM'MTsTsoM'MM'MTc×9 所要6 Tso:500番台
雷鳥(7)
 休
 向日町‥大阪10201313金沢14101707大阪18502143金沢‥森本
 森本‥金沢8101108大阪13201702富山18322215大阪‥宮原
 宮原‥大阪9201302富山14541838大阪1910神戸‥向日町
 向日町‥大阪15202210新潟
 新潟8161505大阪16502030富山
 富山6491039大阪12201602富山17252109大阪‥向日町

TcM'MTsM'MM'MTc×11 所要8(臨時+4)
雷鳥(10)(臨時+4)、アルペン(臨時1)
 休
 向日町‥大阪8201112金沢12401537大阪17202101富山
 富山10251409大阪16201958富山
 富山8241207大阪14201758富山
 富山525909大阪11201416金沢16101909大阪‥向日町
 向日町‥神戸1324大阪13501642金沢17402037大阪‥宮原/大阪2353530富山
 宮原‥大阪7201102富山12541639大阪18202203富山2335510大阪
 富山13541739大阪19202303富山
 富山9251309大阪14501742金沢18402137大阪‥向日町
 富山9441341大阪15501904金沢
 大阪8001106金沢13431651大阪
 大阪8481148金沢14271736大阪
 大阪11331518富山16272024大阪

Ts×1 T×6

1987年の改正に向けても移動や改造の動きは続き、

1)金サワからクハ481-227, 305, 318, 321, 322, 323, 343、及びクハ489-303, 703転入し、ボンネット型の104, 107,108, 109, 113, 115, 124, 125が転出

2)サハ481-106, 115がクハ188-102, 602に改造され、長野に転出(関連記事

これ以降、1989年3月11日の改正前までは「だんらん」の時代が続きます。

1988年3月13日の改正

大ムコ担当分

←大阪
TcM'MTsTsoM'MM'MTc×5 所要3(臨時+1) Tso:500番台
雷鳥(4)(臨時+1)
 休
 向日町‥大阪9251309富山14241809大阪21002234米原
 米原550736大阪10251320金沢14101708大阪19252308富山
 富山525909大阪12251604富山16552038大阪‥向日町
 大阪13351545福井16141841大阪

TcM'MTsM'MM'MTc×15 所要11(臨時+4)
雷鳥(14)(臨時+3)、リゾート'88信越(臨時1)、アルペン(臨時1)
 休
 向日町‥大阪7251105富山12561638大阪18252207富山
 糸魚川827富山9251309大阪15251905富山2004糸魚川
 富山10561439大阪16252002富山
 富山6211004大阪11551450金沢16101909大阪‥向日町
 向日町‥大阪8551233富山13561739大阪20052259金沢
 金沢8101108大阪13251621金沢17102008大阪‥向日町
 向日町‥大阪15552232新潟
 新潟7131351大阪16552035富山
 富山8251208大阪14251804富山19052249大阪‥宮原/大阪2353512富山
 宮原‥大阪8251118金沢13101608大阪17252108富山2325510大阪
 富山6491039大阪13551650金沢18102108大阪‥向日町
 大阪8021151富山13081747神戸
 大阪8351138金沢/富山19112311大阪
 大阪11351542魚津16152032大阪
 神戸6301359長野14462234神戸

Ts×5 T×4

この改正が「和風車だんらん」連結の最後の改正となりました。

485_481100_870224
クハ481-100番台先頭の最もオーソドックスな「雷鳥」ですが、こういった時代も長くは続かず、この後はスカートに切れ込みが加えられて行きます。 1987/2/24 大阪

1989年3月の改正に向けて、再び動きがありました。

1)サロ481-502, 503, 504, 505がサロ481-2001~2004へ改造され、金サワに転出

2)サハ481-118がクロ481-2101に改造され、金サワに転出

3)モハ485-484ユニット 130-234, 132-236, 147-249, 148-250
   モハ485-484ユニット 1025, 1029が金サワに転出

今回の記事を書くにあたり、いつものように「485系の動き 配置および編成・運用の移り変わり 一覧」のデータを参考にさせて戴きました。

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2013年11月19日 (火)

西武鉄道 赤電の時代 411系 その1

西武鉄道の赤電シリーズ、今回からは411系です。

4111411
武蔵関~東伏見間を行く411系とカルダン車4連の併結編成 1975年頃 
縦雨樋が露出した初期タイプです。一見、451形のようにも見えますが、側窓から411系と分かります。また細かく見れば前面窓の上下位置が数十mm上方に移動しているそうで、両者を並べると印象が違って見えたそうです。また、車輌間の貫通路も幅広となりました。

411系はさきにご紹介したクモハ451形の増備、改良版として、701系の増備に合わせる形で1964年から1968年まで製造されました。クモハ411形とクハ1451形からなる2両編成で、451形がクモハ単独で製造されたのはこの点がまず異なります。

番号はクモハ411 - 429、クハ1451-1468, 1470 の19編成38両の所帯で、全車西武所沢車両工場製です。西武の場合、2両編成は奇数・偶数のペアとなり、411-1452の次は1451-412といった具合に付番されるので、奇数本の製造の場合は、最後に欠番が生じてしまいます。性能は吊り掛け駆動車で、他の旧性能車に合わせられました。

車体構造

20m級全金属車体の3扉構造という構体設計は701系に準じていますが、前面形状は湘南型デザインではなく、451系に酷似した切妻形状に変更されました。前照灯は451系同様1灯式のものが前面幕板中央部に埋め込まれ、前面行先表示幕の装備もされず、前面窓下中央部には行先種別表示板受けが設置されました。

側面窓配置は701系と同一のd1D1・1・1・1D1・1・1・1D1・1(d:乗務員扉, D:客用扉)であり、窓構造は全開可能な二段上昇窓です。客用扉は551系以来の標準仕様となるアルミハニカム構造扉を採用しました。また、側面の戸閉表示灯は451系同様に横長形状とされた点が特徴でした。側窓が451形のようにユニット窓とはならず、単独窓となった点が大きな相違点でした。

ベンチレーターは701系同様グローブ型を採用、制御電動車に6個、制御車に7個搭載し、車内送風機として扇風機を各車とも7基装備しました。

車内はロングシート仕様で、その仕様は年次別の改良項目を含めて701系と同一でした。

なお、411 - 422編成は701系同様に雨樋が低い位置に設置されましたが、1967年10月に落成した423編成以降は雨樋位置が上昇し、張り上げ屋根風の形態に変更されました。これは自動洗車機導入に伴う洗車効果改善目的で改良されたものであり、同時期に落成した801系同様の側面見付を有しました。

4111451
新宿線 準急西武新宿行 2+2+2の6両編成 所沢

主要機器

製造コスト抑制目的で従来の旧性能吊り掛け車両同様、国鉄より払い下げを受けた機器を搭載しました。

主電動機はMT15E、制御器は電空カム軸式CS5と界磁接触器CS9の組み合わせ(直列5段・並列4段・弱め界磁1段)、制動装置は発電制動を持たないAMAE電磁自動空気ブレーキ、基礎制動装置は車体側搭載、台車は電動車が鉄道省制式の釣り合い梁式TR14A・付随車が同TR11Aと、大正後期から昭和初期にかけて新製された省形国電とほぼ同一のスペックを有しました。

その他、パンタグラフは工進精工所製KP-62系を電動車の前位側(運転台寄り)に1基搭載し、電動空気圧縮機 (CP)はAK3を搭載しました。

なお、CPおよび電動発電機 (MG)といった補機類は制御車へ搭載し、西武の旧性能車の標準仕様であるMTユニット方式を踏襲しています。

1451_800601
頭がぶれてしまっていますがクハ1451形を先頭にした編成 このクハは雨樋が埋め込まれています。 武蔵関~東伏見間

Wikipediaに書かれているように411系は製造過程で形態が変化しています。

411 - 414編成は701系1次車と同一の仕様を有し、客用扉下部靴摺が縞鋼板仕様であることや、戸袋窓車内側の窓が若干小型であることなどが特徴でした。

415-417編成は701系2次車で加えられた改良を反映し、客用扉下部靴摺の材質変更、戸袋窓車内側の窓拡大が実施されました。といっても外観写真からは判別が難しいですね。

418-422編成は従来乗務員扉後部に露出していた側面縦樋が車体内部に埋め込まれた点が異なります。なお、同時期に落成した701系753編成以降では乗務員扉手すりが埋込式に改良されていますが、本グループは従来タイプの露出型のままでした。これは上の写真で分かります。

そして、最終グループの423-429編成に関しては次回の本シリーズの記事で触れます。

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2013年11月18日 (月)

西ベルリンの思い出 Air Berlin その2

前回、このシリーズでは西ベルリン時代のAir BerlinBoeing 737-3Y0 N67ABを紹介致しました。

1988年10月から1989年10月までの一年間の滞在の後、最初にベルリンを訪問したのは1992年12月でわずか1日の訪問でしたが、その時は既に東西ドイツの統一もなされ、ブランデンブルグ門を通り抜けられ壁が無くなったことを実感しました。

西ベルリン時代に撮影したN67ABはその後、サウスウエスト航空に売却されN682SWとして活躍中のようです。もしかしたら撮影しているかも知れません。撮影していたら、後日、追記します。

その後、1999年3月、2003年6月、2009年4月にベルリンを訪問し、2009年以外はテーゲル空港で撮影を行っており、Air Berlinの機体を写していますが、それは後日、ベルリン旅行シリーズで紹介することにして、今回は引き続きN67ABの写真を紹介します。

N67ab_cn_23496_1217_boeing_7373y0_8
N67AB cn 23496 ln 1217 Boeing 737-3Y0 1989/5/4 TXL

Boeing 社のカスタマーコードによるとこの機体はGuinness Peat Aviation(旅客機販売リース会社で1975年、アイルランドの航空会社Aer Lingusによって設立)の所有機です。

Ab_fleet_development
表1 Air Berlinのフリートの発展

前回の記事でAir Berlinの歴史を見てきましたが、英語版のWikipediaを参考に同社のFleetの変遷を表に纏めてみました。

最初のB707はTWAから購入したことを考慮すると、
-331 17676/79 でN763TW からN763AB
-331 17682/104 でN767TW からN767AB の2機ではと思われます。

続いて導入されたBoeing 737-200はAirliners.netから
-2K5/Adv  22596/763  で当時のレジはN2941Wです。写真はこちらに

その後がN67ABで、

ドイツ国籍になってからは、相次ぐ吸収合併でフリートが増加して行きました。

N67ab_cn_23496_1217_boeing_7373y0_2
N67AB 1989/4/8

Ab_current_fleet
表2 Air Berlinの現行のFleet  英語版Wikipediaのデータを参考に作成

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2013年11月17日 (日)

公園保存蒸気 C57 66 大田区入新井児童公園

全国の保存蒸気を訪ね歩くシリーズ、今回は大田区入新井児童公園に保存されているC57 66号機です。

C57_66_130907
C57 66 2013/9/7 入新井児童公園

この機関車の最大の特徴は、動くことです。といっても移動するのではなく、圧縮空気をシリンダーに送り、ピストンが動くことで動輪が回転する機構が装備されていることです。

C57_66_130907_7
駆動のメカニズムに関する説明板

C57_66_130907_2
手前の黒い箱がコンプレッサーなどが収納されている箱

C57_66_130907_4
動輪はコロで支えられていて、この上で回転します。

C57_66_130907_8
わたしも出かけたときは運転時間に間に合いましたので、動輪の回転をビデオに録画しました。

汽笛が鳴って、5分間に渡って回転しますが、なかなか迫力がありました。

児童公園だけあって、赤ん坊連れのお母さんたちもいらっしゃってましたが、いきなり汽笛が鳴って動き出したときはさすがに驚かれていた方もいました。

C57_66_130907_3
公園は京浜東北線大森駅から線路東沿いに南下して5分ほどの場所にあります。

いつものように機関車履歴を見てみましょう。データは沖田祐作氏の機関車表からです。

C5766      川崎重工兵庫工場=1965            1938-08-00 S67.50t2C1T(1067)
   車歴;1938-08-00 製造→ 納入;国鉄;C5766→ 配属[達673];大阪局→1938-08-20 使用開始→
      配置;大阪局→1942-09-30 現在;宮原→1945-04-01 現在;門司港→
      1955-08-01 現在;門司港→1958-03-00 大分→1964-04-01 現在;大分→
      1968-10-09 宮崎→1969-10-23 全検→1973-06-21 休車→
      1974-11-08 廃車[工車976];宮崎→1974-02-11 発送→
      1974-03-22 付貸与[工車1157]保存;東京都大田区「入新井西児童交通公園」;C5766

1938年に製造され、1945年まで大阪で活躍した後、九州に渡り、1974年に宮崎で廃車になるまで、日豊本線系で活躍しました。

C57_66_130907_9
全走行距離は312万4千kmとのことです。

C57_66_130907_6
炭水車のライトは副灯のようなシールドビームタイプでした。

C57_66_130907_5
機関車の据え付けられている方向が北を向いているため、写真を撮ると逆光になってしまいます。

既にこちらの機関車を紹介されているサイトのひとつを拝見すると、現役時代の66号機の写真が掲載されており、さらに興味深いエピソードも載っていました。中でも興味深かったのは末尾が6のC57は比較的よく保存されていることだそうです。また動輪が動くシーンはYou Tubeなどの動画が多く投稿されています。

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2013年11月16日 (土)

2013 夏 新潟の旅 13 EF510 基本番台 12号機

EF510の基本番台シリーズ、今回は12号機です。

この機関車の甲種回送日は2008年1月9日とのことです。

Ef51012_081210
吹田信号所を出発する12号機牽引の3095列車 2008/12/10

Ef51012_100710_00
大阪ターミナルから吹田信号所に到着する3095列車 2010/7/10

Ef51012_110529_2
雨の高岡駅を通過する3092列車 2010/5/29

Ef51012_120318
桂川を通過する同じ3092列車 2012/3/18

100709
今回は3095列車に充当されるEF510の入れ換えがよく見える千里丘駅について触れようと思います。

開業は1938年12月1日で、あと少しで開業75年になります。

大阪府千里丘一丁目に位置し、東京から544.7km、京都から31.1kmの距離となります。1970年に大阪万国博覧会が開催された際に最寄り駅に想定されたそうですが、隣の茨木駅に敗れ、10年間再開発されない状態が続き、1983年に改築され橋上駅舎となりました。

100710_2
駅跨線橋から吹田第二信号所方向を見る 2010/7/10

貨物列車の撮影で関西方面に出かけた際にはよく訪れる駅ですが、常に何かしら工事をしていたのがこの付近でした。

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2013年11月15日 (金)

日本海縦貫線の昼の女王 特急「白鳥」 その2 1982年11月の改正から2001年3月の廃止まで

このシリーズ、前回に続き特急「白鳥」の歴史です。今回は1982年のダイヤ改正以降です。

1982年11月15日:ダイヤ改正により金沢 - 青森間の急行「しらゆき」を発展的解消させ福井 - 青森間で1往復を増発。「白鳥」は計2往復となりました。急行「しらゆき」は2013年7月19日の特急「いなほ」の記事でも触れましたが、1963年4月20日に運行を開始した金沢~秋田・青森(上り)間の急行でした。DC急行のメリットを生かした多層建て列車で金沢~糸魚川間は「白馬2号」を併結し、秋田~青森間は「きたかみ1号」を併結していました。

←上野、新潟
TcM'MM'MTsTdM'MM'MTc×6 所要4
白鳥(1)、鳥海(1)
 休
 青森4501825大阪‥向日町
 向日町‥大阪9552351青森
 青森7561834上野‥尾久
 尾久‥上野10302113青森

TcM'MM'MTsM'MTc×11 所要8
白鳥(1)、いなほ(5)、はつかり(3)
 休
 青森9552159福井‥南福井
 南福井‥福井5481803青森
 青森453715盛岡8301105青森13021940新潟‥上沼垂
 上沼垂‥新潟7201124秋田13461740新潟19052306秋田
 秋田8291230新潟15151920秋田
 秋田534939新潟12051613秋田17202122新潟
 新潟9051550青森
 青森7401015盛岡11301405青森14401715盛岡18302105青森

M'M×9 Td×16

58_800503
急行「しらゆき」に併結されていた急行「白馬」 1980/5/3 松本

1984年11月1日:大阪発着の2・3号に連結されていた食堂車の営業が休止となりました。

TcM'MM'MTsM'MTc×11 所要8
白鳥(1)、いなほ(5)、はつかり(3)
 休
 青森9552159福井‥南福井
 南福井‥福井5481803青森
 青森453715盛岡8301105青森13021940新潟‥上沼垂
 上沼垂‥新潟7201124秋田13461740新潟19052306秋田
 秋田8291230新潟15151920秋田
 秋田534938新潟12051613秋田17202122新潟
 新潟9051550青森
 青森7401015盛岡11301405青森14401715盛岡18302105青森

1985年3月14日:ダイヤ改正で福井 - 青森間「白鳥」1・4号を「北越」・「いなほ」の2列車に系統分割。再び1往復となりました。

485_481100_850421_2
1985年3月の改正で再登場となったボンネットクハの「白鳥」 1985/4/21 大阪

485_481300_850503
300番台クハの特急「白鳥」も撮影していました。 1985/5/3 鶴形~東能代

残存した大阪 - 青森間列車の食堂車連結を中止。車両運用を向日町運転所に移管しました。このときの改正で大ムコに配置されていたクハ481-100が特急「白鳥」の先頭に立つことになりました。日本海循環線電化当時、盛アオにクハ481-100が僅かの期間配置され、特急「白鳥」の先頭に立ったこともあったようですが、今回はその再現となりました。

向日町

TcM'MTsTsoM'MM'MTc×9 所要6 Tso:500番台
雷鳥(7)、アルペン(臨時1)
 休
 向日町‥大阪7051058富山12551652大阪18352134金沢‥森本
 森本‥金沢8121117大阪14051758富山2310505大阪
 富山8251222大阪14351741金沢18422152大阪‥野洲
 野洲‥大阪13301641金沢17422047大阪‥向日町
 向日町‥大阪12051601富山17252122大阪‥宮原/大阪2337520富山
 宮原‥大阪8051104金沢12421552大阪‥向日町

TcM'MTsTM'MM'MTc×16 所要13(臨時+2)
雷鳥(11)(臨時+2.5)、白鳥(1)、北越(1)
 休
 向日町‥大阪11351845新潟
 新潟9051612大阪18052158富山
 富山9251322大阪15052209新潟‥上沼垂
 上沼垂‥新潟8141522大阪17052058富山
 富山524922大阪11051411金沢16121922大阪‥向日町
 向日町‥大阪10302351青森
 青森4501812大阪‥向日町
 向日町‥大阪10051311金沢14421752大阪19052301富山
 富山10251422大阪16051959富山
 富山6491052大阪13051658富山18252222大阪‥宮原
 宮原‥大阪9051300富山14551852大阪‥向日町
 向日町‥大阪7351438新潟16102011金沢‥南福井
 南福井‥金沢7351142新潟13152022大阪‥向日町
 金沢6501031大阪16302032富山
 富山953-金沢10421352大阪15251848金沢19462305大阪

Ts×7 Td×14 T×2

Ed75_718_850804
東能代駅 朝6:30 日本海縦貫線昼の女王と夜の女王の行き違い 1985/8/4

それまでHMが無かったED75にもHMが復活してまさに千両役者のツーショットになりました。

1986年11月1日:ダイヤ改正で日本海縦貫線に関係する特急車両配置基地の見直しを行った結果、車両配置を上沼垂運転区に移管。

←大阪、青森
TcM'MTsM'MM'MTc×8 所要6(臨時+2)
白鳥(1)、雷鳥(2)、北越(1)(臨時+1)、いなほ(臨時1)
 休
 上沼垂‥新潟9041556大阪‥宮原
 宮原‥大阪10402340青森
 青森4501801大阪‥宮原
 宮原‥大阪7501437新潟17002045金沢
 金沢7441142新潟13152005大阪‥向日町
 向日町‥大阪11501844新潟‥上沼垂
 新潟11191402酒田15031742新潟
 上沼垂‥長岡8411128金沢16331742長岡‥上沼垂

485_481100_870504
編成は9両、G車も1両となりましたが、依然として昼の女王の風格は保っていた特急「白鳥」 1987/5/4 鶴形~東能代

485_4811500_870224
北海道運用には不的確の烙印を押されて盛アオに戻った485系1500番台でしたが、本州内の特急で活躍するする姿は今でも話題性十分ですね。 1987/2/24 大阪

民営化後に上沼垂所属車は指定席車のシート交換とピッチ拡大・自由席車を簡易リクライニングシートに統一などのグレードアップ改造と塗色変更などを施工。JR東日本の所属になった特急「白鳥」で、唯一沼垂色となったボンネット車はクハ481-102で、そのクハが特急「白鳥」の先頭に立つシーンも実現しました。

485_481102_920314
沼垂色となったクハ481-102を先頭にした特急「白鳥」 1992/3/14

485_481200_920314
今では過去帳に入ってしまった200番台クハを最後尾に繋げた特急「白鳥」 1992/3/14 大阪

1988年3月13日:青函トンネル開通に伴うダイヤ改正で「白鳥」の対北海道接続が従来の青函連絡船から青森 - 札幌間の夜行急行「はまなす」に変更。

←大阪、青森、酒田
TcM'MTsM'MM'MTc×8 所要6(臨時+1)
白鳥(1)、雷鳥(2)、北越(1)、いなほ(臨時1)
 休
 上沼垂‥新潟9011538大阪‥宮原
 宮原‥大阪9552251青森
 青森5521844大阪‥宮原
 宮原‥大阪7551438新潟16562040金沢
 金沢7531143新潟15052149大阪‥向日町
 向日町‥大阪11251759新潟‥上沼垂
 新潟11581423酒田14501724新潟

1997年3月:車両配置を京都総合運転所に移管。

←大阪
TcM'MTsM'MM'MTc×9 所要6(臨時+3)
雷鳥(6)(臨時+3)、白鳥(1)
 休
 向日町‥大阪11121358金沢15151808大阪20102339富山
 富山8361205大阪14421809富山19162247大阪‥宮原
 宮原‥大阪7421107富山12071536大阪18122106金沢
 金沢614906大阪13121558金沢16451938大阪‥向日町
 向日町‥大阪10122247青森
 青森6111835大阪‥向日町
 大阪9181252富山14171741大阪
 大阪11551449金沢17452039大阪
 大阪14121659金沢19112209大阪

1999年:秋田 - 青森間の車内販売営業が廃止される。

←大阪
TcM'MTsM'MM'MTc×9 所要7(臨時+1)
雷鳥(6)(臨時+1.5)、白鳥(1)
 休
 向日町‥大阪9121159金沢14151706大阪20102300金沢
 金沢8141107大阪17122001金沢
 金沢642940大阪13121559金沢17142003大阪‥向日町
 金沢614905大阪11121358金沢15151806大阪‥向日町
 向日町‥大阪10122259青森
 青森6111906大阪‥向日町
 向日町‥大阪16571948金沢/大阪18482144金沢
 大阪9501316富山14181742大阪

M'M×1

2001年3月3日:ダイヤ改正で日本海縦貫線の昼行列車運転系統を新潟で分離することになり「白鳥」を廃止。以下の運転区間に分割。

大阪 - 金沢・富山間:「雷鳥」「サンダーバード」
金沢 - 新潟間:「北越」
新潟 - 青森間:「いなほ」

因みに1974年当時の特急「白鳥」と現在の同区間の特急のダイヤを比較してみるともちろんスピードアップの効果は出ていますが、スジは良く保存されていることが分かります。

   1974.12時刻表から     現在のダイヤ
     4001M                4013M
            サンダーバード13
大阪   1010            1012
京都      1041                 1040
敦賀      1201                 1134 1055M
福井      1236                 1209  北越5
金沢      1332                 1257  1337
富山      1416                       1416
直江津    1543                       1533  2009M
長岡      1637                       1627  いなほ9
新潟      1725                       1720 1729
酒田      1951                             1944
秋田      2117
東能代    2210
弘前      2320
青森      2350

           4002M

青森       450
弘前       520
東能代     631               2006M
秋田       716              いなほ6   1056M
酒田       852                854     北越6
新潟      1116               1101     1302
長岡      1203                        1356
直江津    1302                        1447  4032M
富山      1425                        1603  サンダーバード32
金沢      1513                        1641 1519
福井      1607                              1607
敦賀      1642                              1642
京都      1811                              1741
大阪      1845                              1809

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2013年11月14日 (木)

西武鉄道 赤電の時代 551系 その3 571系の独立と終焉

「西武の赤電」を懐かしむシリーズ、今回は551系の3回目です。

571_800710_3
571系 2連 1980/7/10 多摩川線 中間車として増備され、最初は501系に組み込まれ、続いて551系6連化で551系と手を組んだものの、最後は独立して571系となった車両

1975年から701系、801系については冷房装置を新設し、ブレーキもそれまでのシステムから電磁直通ブレーキ(HSC)化する改造が施行され体質改善が図られました。これは411系にもおよび、旧性能車の2両編成が不足を来す事態となりました。

1978年9月から1979年3月にかけて、そのバランスを取るために経年の浅かったモハ571形、サハ1571形に運転台を取り付け、先頭車化する工事が施行されました。

新設された運転台側前面は411系(2代)同様の切妻形状とされましたが、前面左側窓上に埋込型の行先表示幕を装備したことが特徴となりました。これは411系(2代)を改造した401系(2代)と同一の意匠であり、車体側に行先表示幕を設置した例は旧性能車では唯一となりました。また、これも旧性能車では唯一となる起立形状とされた運転台パネルやスイッチ配置等にも401系(2代)の意匠が反映されています。前照灯は竣功当初からシールドビーム2灯であったものの、部品共通化の観点から従来車のシールドビーム2灯化に使用されたものと同一品を前面幕板部に装備しています。

1571_800710
クハ1571 1980/7/10 白糸台 台車は赤電の場合、701系のクハより前の付随車両は終生、TR11系でした。

なお、同改造に際して電動車の台車がFS40に統一されたほか、モハ579(クモハ579)は主電動機をMT15系に換装され、性能の統一が図られました。

これら改造に伴ってモハ571形は車番はそのままにクモハ571形と改称し、サハ1571形はクハ1571形1572 - 1580(偶)へ改称・改番され、新たに571系と新規系列に区分されて551系より独立しました。

551系 廃車の発生

4両固定編成という特性上、比較的晩年まで本線系統で多く運用された551系でしたが、非冷房の旧性能車であることがネックとなり、1984年に初の廃車が発生しました。廃車となったのは前述空気バネ台車化の対象外とされ、最後までTR14A・11A台車を装備した559・561編成で、同年3月28日付で除籍されました。

次いで、451系全廃に伴い余剰となったクハ1651形(601系の記事で触れますが、601系のモハが新性能化された際にクハが2連化されたもの)とクモハ551形を編成して短編成化を実施することとなり、新たに2両編成が3本誕生し、主に多摩川線で運用されることとなりました。

同編成替えによって余剰となったクモハ555・サハ1555 - 1558の5両は1984年5月29日付で全車廃車となりました。

4両編成のまま残存した551・553編成はいずれも新宿線系統に配属され、拝島線における区間運用や西武園線等の支線区で運用されましたが、1985年3月に553編成が、同年10月には551編成が相次いで廃車となり、551系の4両編成は消滅しました。

一方、571系は前述の通り旧性能車編成の増結目的で誕生したものの、1980年代以降の旧性能車大量淘汰によって旧性能車の本線系統における運用そのものが激減したことから、後年は狭山線・西武園線等支線区における運用が主となったのち、前述556 - 558編成と前後して多摩川線へ転属しました。

571_2
一見すると451形かと思わせるスタイルですが、埋込式行き先表示で571形と分かります。1980/7/10 白糸台 台車がFS40であることがわかります。

終焉

晩年の551系・571系両系列は、前述の通り主に多摩川線で運用され、1980年代における多摩川線は多摩湖線と並んで旧性能車(赤電)の最後の牙城となりました。なお、同線においては編成がほぼ固定化されていたことから、551系・571系ともに常時先頭に出る先頭車の電気連結器が撤去されていたことも特徴でした。

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クハ1571形 池袋線での珍しい出会い 1980/6/6 保谷

しかし、1987年より本線系統で余剰となった401系(2代)および701系によって多摩川線の冷房化促進・新性能化を実施することとなり、同年10月には検査期限の迫った551系558編成および571系575編成が代替廃車となりました。翌1988年には残る551系556・557編成および571系571・573・577・579編成も順次運用を離脱し、同年2月から3月にかけて除籍となり、551系・571系は形式消滅しました。

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2013年11月13日 (水)

西ベルリンの思い出 Air Berlin N67AB

久しぶりに「西ベルリンの思い出」シリーズです。

今回からはAir Berlin (IATA  code: AB, ICAO code: BER)に触れようと思います。

N67ab_cn_23496_1217_boeing_7373y0_8
N67AB cn 23496 ln 1217 Boeing 737-3Y0 1989/4/8 TXL
当時としては同社にとって唯一の保有機だったBoeing 737-300

Pan AmTWAの場合はアメリカ合衆国において1978年の航空自由化の前に国際線運航の権利を与えられた航空会社がヨーロッパにハブを持ってヨーロッパ域内で営業する形で、アメリカ国籍機の西ベルリンおよび空の回廊運航権を利用しての就航でした。Air Berlinの場合は航空自由化を機に西ベルリン就航を目的として、米国・オレゴンに会社を創業したものです。

まずはその歴史から見てみましょう。

1978年 オレゴンの農業系資本Lelcoの一部門が西ベルリンから地中海方面へのチャーター便を運行する会社としてAir Berlin USA Inc.を創業 テーゲル空港にオフィスを構え、Leonard Lundgren が代表に就任しました。

1979年 免許取得後、TWAから2機のBoeing 707を譲り受け、同年4月28日、西ベルリンからパルマ・デ・マヨルカへ初便就航

1980年 Air Floridaより2機のBoeing 737-200をリース

1982年 Boeing 707はリタイア

1980年代中期は1機のBoeing 737-200もしくは1986年からはBoeing 737-300を運航(このBoeing 737-300がN67ABです)。

1990年1991年には2機のBoeing 737-400がフリートに加わる。

N67ab_cn_23496_1217_boeing_7373y0_2
N67AB

1989年11月9日にベルリンの壁崩壊、1990年10月3日には東西ドイツが再統一という1980年代には予想も出来なかった事態となり、ベルリンを取り巻く航空事情も大きく変わることとなりました。

ドイツの航空会社がベルリンに乗り入れることが可能となり、1991年に会社と従業員90名はかつてLTU Internationalの営業部長だったJoachim Hunoldの手に渡り、Air Berlin GmbH & Co. Luftverkehrs KGとなりました。資本もドイツに移されました。

1997年はそれまでのチャーター便専門の会社から定期便を運航する会社となり、IATAにも加入、1999年までにBoeing 737-800を10機導入しました。

2001年11月 ウイングレットを装着したBoeing 737-800型(D-ABBC)のボーイング社からデリバリーフライトでシアトルからベルリンまでの8345kmをノンストップで9時間10分で飛ぶという記録を樹立しました。

2002年にはツアー旅行の目的地から、ロンドン、バルセロナ、ミラノ、ウイーンへの低運賃フライト路線(City Shuttle)が加わりました。

さらにドイツ内の拠点もベルリンに限らず、6つの空港(ドルトムント、デュッセルドルフ、ハンブルク、ミュンスター・オスナブルック、ニュルンベルク、パーダーボルン・リップシュタット)も拠点としました。

ただし、Air Berlinの運賃設定はヨーロッパのLCC(Buzz, Hapag-Lloyd Express, Ryanair,Virgin Express)に較べると少し高めに設定されているようです。

LCCとの違いは以下のようなサービスにあるようです。

座席指定制
機内誌の提供
機内での新聞のサービス
機内ドリンク、機内食の提供
機内エンターテイメント(テレビ、スカイマップ等)の提供
ハブ空港での乗り継ぎ保証
マイレージシステム
就航空港はLCCが利用する中小空港ではなく、大空港であること

2004年にはオーストリアの格安航空会社ニキ航空(ニキ・ラウダが2000年11月ラウダ航空を手放した後に再参入するために設立した会社)の株式24%を取得、後に49%まで増資、さらに2011年には100%出資に

2005年にはGermaniaとの提携、後年Germaniaの子会社化はされませんでした。

2006年 ミュンヘンの格安航空会社dba(旧Deutsche BA)を完全子会社化、同年60機のBoeing 737-800の発注と15機のBoeing 737-700機の発注。

2007年3月 LTU国際航空を買収、これによってA321, A330がフリートに加わりました。

2007年7月7日 Boeing 787-8 Dreamliner 25機の発注を発表

2007年8月21日 スイスのチャーター航空会社Belairの株式49%を取得

2008年9月 TUIfly(ハノーファーを拠点とするLCCで2007年Hapag Lioyd FlugとHapag Lioyd Expressの合併で誕生した現在、ドイツ第三位の航空会社)との業務提携

2009年1月 中国の海南航空(中国第四位の航空)と提携

2009年3月末 TUITravelとの戦略的業務提携でTUIflyの持っていた全ドイツ国内路線とイタリア、クロアチア、オーストリア路線を手中に、さらにBoeing 737-700フリートも

2009年9月28日 トルコのLCCペガサス航空とも業務提携

2009年10月 タイのバンコク航空とも業務提携

2010年4月 ロシアのS7航空とも業務提携

2010年7月 One World Allianceに加盟することを発表

2011年6月15日 British Airways とのコードシェア契約を締結し、ヨーロッパ域内40都市以上でコードシェアフライトを飛ばすことに

2011年9月1日 CEOのJoachim Hunoldが退任、ドイツ鉄道の前CEOのHartmut Mehdornが後を継ぎ、2013年1月からは Wolfgang Prock-Schauer がCEOに。

2011年9月 イタリアのMeridiana Flyとも提携

2011年12月 アラブのEtihad Airwaysに増資、この契約で世界の77カ国、239都市へのフライト

2012年3月20日 One Worldに正規メンバーとして加入、80カ国、800都市へのフライト

その後も積極的な経営戦略でドイツ第二位、ヨーロッパ第七位(旅客輸送実績で)、従業員数9284名の航空会社となっています。

正直言って、日本でこのAir BerlinのSuccess Storyを知っている方はあまり多くはないのではと思います。少なくとも日本のマスコミがこの話題を取り上げたことはないのではと思います。1988年頃は一機のBoeng 737-300で西ベルリンからチャーター便を飛ばしていた航空会社の歴史を見返してみてその発展ぶりに驚いている次第です。

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2013年11月12日 (火)

公園保存蒸気 D51 70 つくば市さくら交通公園

前回まで地元のつくばエクスプレスのイベントについて触れて参りましたの、今回はおなじつくば市内に保存されているD5170号機について触れようと思います。

D51_70_130915
D5170号機、なめくじスタイルのD51です。 2013/9/15 さくら交通公園

さくら交通公園、その名前の由来はかつてこの辺が新治郡桜村(1987年12月1日、合併してつくば市になる前は日本で最も人口の多い村)だったことによります。

D51_70_130915_2
かつてJR東日本がD51498を復活させた際にいろいろな保存SLを調査して回ったときにこの70号機も保存状態の良さから、復活の候補に挙げられていたそうです。

D51_70_130915_3
かつては手前の線路に戦前のガソリンカーの生き残りで
国鉄キハ41056→キハ048→遠州鉄道キハ802→
北陸鉄道キハ5211→関東鉄道(筑波鉄道)キハ461 といった履歴を持つ気動車が展示されていましたが、大宮の鉄道博物館に移されました。その辺の経緯はこちらのサイトに詳述されています。

D51_70_130915_4
運転席

D51_70_130915_5
キャブ中央のバルブ群

確かにこれまでキャブに立ち入ることができた蒸気機関車のなかでもメーターの硝子類まできちんと残っていたのはこの機関車が初めてでした。

この機関車の履歴をいつものように沖田祐作氏の機関車表のデータで見ると

D5170      日立製作所笠戸工場=870      1937-09-29 S77.60t1D1T(1067)
   車歴;1937-09-29 製造→ 納入;国鉄;D5170→ 配属;広島局→1937-09-29 使用開始→
      配置[広鉄達1024];岡山→1950-03-23 岩見沢→1950-08-02 五稜郭→1960-11-00 滝川→
      1960-12-01 小樽築港→1972-03-31 現在;小樽築港→1974-03 現在;追分→
      1976-03-19 廃車[工車1224];追分→ 保存;茨城県筑波学園都市「さくら交通公園」;D5170

1937年製造で、当初は広島配置で山陽本線等で活躍しましたが、1950年に北海道に渡り、国鉄からSLの営業運転が終わる1976年3月まで活躍しました。

D51_70_130915_6
案内板の説明によれば全走行距離は287万8千キロになるそうです。

同公園には国鉄ハイウエイバスの車体も保存展示されています。

130915
747-9901 号車 

130915_2
機関車の展示場所のすぐ後に建つ事務所棟もなかなか魅力的な赤煉瓦風の建物でした。

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2013年11月11日 (月)

常総線開業100周年記念イベントとTX祭り その7

第9回つくばエクスプレスまつりの4回目、最後に1000系、2000系について触れます。

Tx1000_2000
表1 現在活躍中の1000系、2000系の製造所と、甲種回送による土浦到着日

(4号車の5号車寄りのサイト様のサイトのデータを参考に致しました)

1000系は2003年に量産先行で1編成、開業前に2~14編成まで製造されました。
2000系は同じく2003年に量産先行51編成、開業までに52~66編成製造され、さらに2008年に67~70編成の4編成、2012年に71~73の3編成増備されています。

甲種回送はかならず2編成ずつで行われており、量産先行車は1と51編成、その後は2003年6月14日到着分は6編成と62編成のペアでしたが、それ以外は1000系、2000系でそれぞれ2編成のペアでした。そのルールが崩れたのが71編成単独の甲種回送でした。

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車両基地直通車両として活躍していた3編成    2013/11/3 総合車両基地

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停車位置から考えて洗車体験列車は9編成だったと思います。

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12編成の姿もありました。

11月8日の記事でご紹介したように11編成が31番線で電車と綱引きに、10編成が臨修庫にいました。

一方、2000系の方は増備車をメインに展示されておりました。増備車は外観的にも赤い帯が加わったスタイルになりました。

2170_131103_4
70編成

2171_131103_5
71編成

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72編成

ここで2000系の増備に伴う変更点について触れておこうと思います。

一次増備車における変更点

・火災対策の強化として天井部の空調装置ルーバの材質をアルミ合金製に変更
・床敷物を塩化ビニル材からゴム材に変更
・ドア戸袋部の引き込まれ防止ゴムの材質を硬くし、乗客の荷物等が引き込まれるのを防止できるようにした
・座席モケットのクッション材を改良し、より柔らかいものにした
・7人掛け座席間の枕木方向につり革を増設、女性専用車にもなるつくば方先頭車1号車と優先席部にある一部のつり革(落成時からオレンジ色)のつり高さを50mm低くした
・車内の非常用ドアコックなどの、車内ステッカーの一部を蓄光式ステッカーに変更
・乗務員室背後の電磁鎖錠用の通行表示灯(仕切開戸解錠時に通行可を表示)を大型化した
・座席やガラスに記載される「優先席」のロゴが異なる。
・携帯電話のマナーを記載したステッカーも別のものに変更

二次増備車における変更点

・省エネルギー化のため、室内灯を蛍光管式からLED照明に変更
・座席の座り心地を改善するために座席構造を根本的に見直した
・ロングシート、クロスシートともに座席フレームの構造を改良することで座席詰め物を厚くさせ、バケット形状の改善が図られた
・冬期の車内環境を改善するため、ロングシート車では約20%(1基あたりの容量は750W→960Wまたは750Wに)、クロスシート車では約10%(1基あたりの容量は400W→750Wまたは450Wに)暖房容量の増加が図られた
・同時に取り付け位置を若干下げたことにより、床面付近の足元温度を約3℃向上させ、車内輻射熱の増加が図られた
・視覚障害者への配慮として従来からのドア開閉チャイムに加えてドア開案内チャイムを付加し、駅停車中に5秒間隔でチャイムを鳴動させている
・つり革はロングシート一般席部のつり革のつり位置を50mm下げ、床面高さ1,600mmに統一した
・車内換気量増加のため、各車の車端部優先席部と車椅子スペース部の側窓を200mm開閉できるように改良した

以上、Wikipediaの記述を参考にしました。

以上で、11月3日の2つのイベントのレポートを終わります。基地自身の訪問は両方とも過去にもありましたが、2つのイベントを訪問して、常総線は100年の歴史を感じさせる伝統感のあるイベントであり、つくばエクスプレスの方は客層の年齢も若く、まさにお祭りといった雰囲気でした。

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2013年11月10日 (日)

常総線開業100周年記念イベントとTX祭り その6

第9回つくばエクスプレスまつりの3回目となりますが、今回からは展示車両について触れます。

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奥から13, 62, 67, 06と顔を揃えたTXの車両達 2013/11/3 つくばエクスプレス総合基地

今回はふだんあまり目にすることのない保線車両です。基地の最も西側の線路が保線車の留置線になっており、以下にご紹介する車両が展示されていました。

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総合計測車

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この案内板にあるようにレール面の変位、電車線の高さ、偏位を測定する車体で、45km/hで走行しながらデータを取れるとのことです。松山重車両工業製で2007年に導入されました。

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レール削正車
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赤いカーテンで見えませんが、グラインダーが装備された部分です。
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こちら側は検測部分です。

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写真を斜めから撮っているため非常に読みにくいですが、各部分に関して写真付きで説明されていました。こちらも松山重車両工業製で2009年に新規導入されました。

Gt2001b_131103
電軌軌道内作業車 GT200-1Bという形式だそうです。架線の点検などの作業のために導入されています。

今回の記事作成にあたり、4号車の5号車寄りのサイトのつくばエクスプレスの項目の情報を参考に致しました。

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2013年11月 9日 (土)

常総線開業100周年記念イベントとTX祭り その5

今回は第9回つくばエクスプレスまつりの2回目です。

拙Blogにおいて地元の鉄道でもある「つくばエクスプレス」について初めて触れる機会ですので、開業以前の甲種回送、車両搬入、2003年4月29日の基地の公開、開業日の様子などを紹介しようと思います。

建設の経緯

1978年、茨城県は「茨城県県南県西地域交通体系調査委員会」(委員長・八十島義之助)を設置し、「第二常磐線」構想を発表しました。

1983年、茨城県は「第二常磐線と地域開発に関する調査研究会」を設置し、東京都心と筑波を結ぶ具体的な鉄道路線を検討し、発表しました。

1985年7月11日の運輸政策審議会答申第7号では「常磐新線の新設」という項目が設けられ、東京 - 守谷間が「目標年次までに新設することが適当である区間」、守谷 - 筑波研究学園都市間が「今後新設を検討すべき区間」とされ、後者についてはさらに「需要の動向、沿線地域の開発の進捗状況等を勘案の上、整備に着手する」とされました。

1987年9月 「常磐新線整備検討委員会」が設置されました。

1988年11月には同委員会で「常磐新線整備方策の基本フレーム」についての合意が成立し、当面の建設区間を秋葉原 - 筑波学園研究都市とすること、建設主体は第三セクター会社とし、完成後は東日本旅客鉄道(JR東日本)が運営を行うことなどの方針が決定しました。また、費用の関係で始発駅は当初予定の東京駅から秋葉原駅となりました。

1989年3月には運輸省が「新たなフレーム(案)」を示し自治体の負担軽減を提案しましたが、JR東日本は常磐新線に距離をとる様になりました。

1990年11月15日の関連自治体副知事会で1990年度中に第三セクターを設立し、開業目標を2000年とすること、事業費用と負担割合についての合意が成立しました。

1991年3月15日に沿線自治体の出資により建設主体となる第三セクター会社「首都圏新都市鉄道株式会社」が設立されました。当初、運営主体となることが予定されていたJR東日本が最終的に参加を見送り、首都圏新都市鉄道は1992年1月に第一種鉄道事業免許を取得しました。

1994年10月 秋葉原で起工式

1996年12月 2000年の開業予定が2005年に変更されました。

2001年2月には、常磐新線イメージづくり調査委員会の答申に基づいた路線新名称として「つくばエクスプレス」が首都圏新都市鉄道より発表されました。

Hm_131103

今回のイベントで展示されていた開業時のHM

2005年7月22日に完成検査に合格し、同年8月24日に開業しました。当初は10月開業予定でしたが、地元の強い要望と学校の2学期に間に合うように2か月繰り上げての開業となりました。

甲種回送

Ef65_1001_041205
EF651001号機に牽引されて大船を通過するTX1000系 2編成12両の甲種回送列車 2004/12/5 なにかのトラブルで当初予定されていた時間より数時間遅れでの通過だったように記憶しています。

1611_041205
11編成+12編成でした。今となっては東海道線の113系も懐かしいです。

つくばエクスプレスの車両、2000系は山口県下松市の日立製作所笠戸事業所で製造され2~3日かけて、山陽本線、東海道本線、武蔵野線、常磐線を経由して土浦駅まで運ばれます。1000系は川崎重工兵庫工場で製造されています。

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土浦駅貨物線に到着した51編成と1編成 2003/3/21

2651_030321_7
当時の常磐線415系 本線から分岐している引き込み線に進入した後、手前の貨物線にスイッチバックし、さらに荒川沖方面に進んで、さらに東側の線路に進入する方式をとっていると思われます。 2003/3/21

常磐線で土浦駅に到着後、入れ換えの様子は、線路巡礼さまのサイトに詳述されています。また、2008年6月の甲種回送と陸送の様子は、こちらのサイトに素晴らしい写真が載っています。

土浦で車体と台車は分離し、トレーラーで国道354号などを経由して、守谷の車両基地まで陸送されました。噂によれば午前2時頃に起きて待っていれば通過シーンを見ることが出来るそうですが、残念ながらまだ見ていません。

2003/4/29車両基地公開 

2003年4月の時点では後に量産先行車と言われる1編成(1601F)と51編成(2601F)が製造されており、開業時に準備された後の編成は2004年以降に製造されました。

1101_030429_3
1000系の第一編成は屋外に

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2000系の第一編成は庫内に展示されていました。

030429_3

当時の写真で興味深いのはこの仮の駅名です。写真からは読みにくいので補足しますと、
秋葉原-元浅草-新浅草-南千住-北千住-青井-六町-八潮-三郷中央-南流山-流山運動公園-流山新市街地-柏北部中央-柏北部東-守谷-伊奈谷和原-萱丸-島名-葛城-つくば下の写真にある開業時の駅名とは随分違っていますね。

試運転風景

2652_050625
開業日まで2ヶ月を切り、沿線では導入された新造車両での試運転の光景が見られました。 2005/6/25  みらい平~みどり野間

開業日

050824_2別に切符コレクターではないのですが、滅多にあることではないので、開業日の朝、一番電車で秋葉原まで往復しました。その際に記念に購入した入場券です。

050824_3
つくば発一番電車の車内 沿線の駅名表示も上の写真と見較べるとかなりかわっていることが分かります。  2005/8/24 つくば

TX車両に掲げられたHMが今回のイベントでは展示されていました。

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開業後初の新年、2006年新年のHM

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開業1周年のHM

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2011年第7回 つくばエクスプレスまつりのHM

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2012年 第8回 つくばエクスプレスまつりのHM

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そして今回のイベントのHM 70編成に取り付けられました。

今回はここまでです。

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2013年11月 8日 (金)

常総線開業100周年記念イベントとTX祭り その4

今回からは「第九回つくばエクスプレスまつり」についてです。

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イベント会場一番入口に近い場所に停車していた1111編成 
2013/11/3 つくばエクスプレス総合基地

常総線水海道車両基地から無料のシャトルバスで約20分ほどで、守谷市とつくばみらい市に跨がって位置するつくばエクスプレス総合基地に到着しました。

今回で9回目になるつくばエクスプレスのイベントですが、ここを訪れるのは開業前の2003年4月29日の車両基地公開以来ですが、訪れてみてその広さ(Wikipediaによると186,936.8平方メートル)、人の多さに驚かされました。

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第9回つくばエクスプレスまつり2013のパンフレット 表と裏

人の数と施設の広さ、そして出店の数等では午前中の常総線の基地公開の数倍はあるように感じました。それでも方や100年の歴史を持つ鉄道、方や開業してまだ8年の鉄道で歴史が違いますので、それぞれのイベントが独自の色を出しているように感じます。

まずは臨修庫(F)内での部品等の展示を見てみました。TXの旅客用車輌は直流用の1000系が13編成、交直両用の2000系が23編成、配置されています。

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展示されていたモーター 以下のような理由で東芝製か日立製か?

1000系も2000系もVVVF方式なのでモーターは共通かと思っていましたが、帰って調べて見ると両車とも190kWのモーターですが、1000系は東芝製でSEA-397形モーターを、2000系は日立製EFO-K60形モーターを搭載していることが分かりました。また編成も同じ6連でも1000系は3M3T、2000系は4M2Tです。したがって編成全体の出力は1000系:2,280kW、2000系:3040kWとなっています。

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続いては2000系に搭載されている交直切替器で、常磐線の415系やE531系でもよく目にする方式で、M1 TX-2200 M1' TX-2400の屋根上に装備されています。

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こちらは真空遮断機で交直切替前の交流電源の遮断や設定値以上の大電流が流れた際の安全装置として働きます。

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一見すればだたの鉄の箱ですが、電動空気圧縮機CPでクノールブレムゼ製SL22系 クノールブレムゼはドイツ・ミュンヒェンを本拠とする輸送用機器製造業

なお、2次増備車以降はスクリュー式空気圧縮器(除湿装置一体型・吐出量1,600L/min)からオイルレス式空気圧縮機(除湿装置一体型・吐出量1,600L/min)に変更されているとのことです。

M_131103
M車の駆動系で車軸への動力伝達はTD並行カルダン駆動方式 2枚のたわみ円盤を使う自在継手方式

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庫内には1110編成が停めてありました。

131103_2
先頭車両の台車 川崎重工業製のKW168 (電動車はKW167)

今回はここまでです。

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2013年11月 7日 (木)

常総線開業100周年記念イベントとTX祭り その3

11月3日の常総線のイベント、3回目の今回は1990年代以降、自社発注で増備された新鋭気動車群です。

キハ2100形

1993年から1996年かけて新潟鐵工所で12両が製造されました。完全に新造の気動車としては1963年に導入されたキハ900形以来のことだそうです。エンジンは新潟鐵工所製DMF13HZを採用しました。変速機も本来のエンジン出力に対応したものを採用したために330psで使用しています。変速機は直結2段式のTACN-22を採用し、在来車より大幅な性能向上を実現していますが、同じ20m級車体であるJR東日本のキハ110系(エンジン出力420ps)と比較すると、出力が低い分性能は若干下回っています。

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2101-2102編成 2013/11/3 水海道車両基地

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ラッピング塗装でもあった2103-2104編成 2006/7/30 水海道

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2105-2106編成 2006/7/30 新守谷

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2107-2108編成 2002/4/20 新守谷

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2109-2110編成 2003/4/29 水海道車両基地

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2111-2112編成 2003/4/29 水海道

車体は片運転台で2両編成で組成され、キハ300・350形の3扉ロングシートを踏襲しました。側窓は一枚下降式を採用。床面高さも可能な限り低くし、側扉のステップを廃止しています。車体塗装は京成グループの貸切バス統一カラー「Kanac」に準じています。

キハ2200形

1997年10月より運用開始されたキハ2100形の単行運転バージョン(両運転台車)です。当初は2両でしたが、翌年9月に2両増備され、4両となりました。

この形式で特筆されるのは扉配置です。キハ2100形が両開き扉を片側3つ配置していたのに対し、キハ2200形は両端の2つが片開き、中央の1つのみ両開きとなっています。これはワンマン運転を考慮したものです。

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2202 2013/11/3 水海道車両基地 
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2203 2013/11/3 水海道車両基地

主に水海道-下館間の単線区間で運用されますが、守谷でつくばエクスプレスと乗り換える乗客の便宜を図るため、取手 - 水海道間の複線区間に直通する運用もあります。普通・快速列車問わず幅広く運用されている。休日ダイヤの快速は、当車両またはキハ2400形に限定されています。

2011年4月には2201キハ5000形と同様の塗装に変更され、他の車両も塗装変更されているようです。

キハ2300形

2000年から2002年にかけて、2両編成5本(10両)が新潟鐵工所で製造されました。 片運転台の車両で電気指令式ブレーキや変速機自動切換、駅名案内装置(LED)などを装備しています。

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2301-2302編成はちびっこ綱引きの相手をしていました。

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2303-2304編成 2013/11/3 水海道車両基地 手前は2402

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2305-2306編成 2003/4/29 水海道

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2307-2308編成 2013/6/29 取手

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2309-2310編成は会場内の休憩所を勤めておりました。

基本仕様はキハ2100形に準じていますが、ブレーキについては関鉄初となる電気指令式ブレーキを採用して近代化を図っています。エンジンは新潟鐵工所製DMF13HZを採用。全車両、前面・側面の行先表示器はLED式です。

キハ2400形

2004年12月23日、1次車2両が導入されました。現在は6両が在籍しています。新潟鐵工所が製造を担当しました。2004年12月23日より運用開始。

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2404 2013/11/3 水海道

基本仕様は、キハ2200形に準じ、キハ2300形で導入した電気指令式ブレーキや変速機自動切換えなどを引き続き採用し、キハ2300形の両運転台仕様となりました。

キハ5000形

2009年8月に新潟トランシスで製造され、同年10月に営業運転を開始しました。両運転台車でキハ2300形キハ2400形との総括制御が可能となっています。

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5001 2013/11/3 水海道車両基地 

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5003 2013/11/3 水海道車両基地

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5004 2013/11/3 水海道

車体は従来と同様の鋼製ですが、塗装は従来と比べて青味がかっている白を基本に赤と青の3色からなる新しいものを採用しています。
コモンレール式燃料噴射システムを搭載した最新形環境対応エンジンを装備し、従来と比べて微粒子状物質・窒素酸化物・ハイドロカーボン・騒音の削減、燃費の向上が図られています。ユニットブレーキ式のボルスタレス台車を採用しました。室内は、従来の車両よりも腰掛の色を明るくし、座席にはスタンションポール(握り棒)を設置しています。2013年投入の2次車については排障器の大型化と吊り手を三角形化する改良が行われています。

従来車との共通点としては側扉は両端に片開き式,中央に両開き式のものを配置した片側3扉構造となっており、ブレーキ方式は電気指令式ブレーキを採用し、ワンマン運転にも対応しています。

以上が、11月3日の常総線100周年基地公開の様子です。これまでに撮っていた常総線の車両の写真もこの機会に纏めてご紹介致しました。次回は守谷の車両基地で同日、開催された第九回つくばエクスプレス祭りの様子です。

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2013年11月 6日 (水)

常総線開業100周年記念イベントとTX祭り その2

2013年11月3日の2つのイベント、今回は常総線開業100周年イベントの2回目で、展示車両について触れます。

131103
写真撮影会で顔を揃えた常総線の新旧車両群 奥からキハ100形101、DD50 2号機、キハ310形314、キハ2100形2102、キハ5000形5003 2013/11/3 水海道車両基地

まずは常総線の100年の歴史を振り返ってみましょう。

1911年、現在の路線の敷設に際し「下館 - 水海道 - 佐貫」の計画案と「下館 - 水海道 - 取手」の計画案がほぼ同時期に申請されたそうです。両者の話し合いの結果、佐貫計画案の事業者が申請を取り下げたため現在の路線が建設されました。

1913年11月1日に常総鉄道として 取手 - 下館間が開業しました。

1928年9月7日 内燃動力併用開始。

1945年3月20日 筑波鉄道(初代)と合併して常総筑波鉄道に改称。

1965年6月1日 鹿島参宮鉄道と合併して関東鉄道となる。

1974年7月16日 貨物営業廃止。

1984年11月15日 取手 - 水海道間複線化。

沿線は一部の市街地を除いて、概ね田園地帯を通る単線の路線でしたが、1960年代に東洋観光興業造成の住宅街(新取手)が開発されて以降、取手口で東京通勤路線としての性格を強めました。1970年代 - 1980年代にかけて、常総ニュータウンやパークシティ守谷などの大規模開発が行われると東京のベッドタウンとして沿線の人口が急増し、取手口の輸送力増強が必要となり、日本住宅公団などから資金分担を得て、取手 - 水海道間を複線化しました。全国でもこれだけ長い複線の非電化路線は珍しいのではと思います。

1992年3月6日 水海道車両基地が完成し使用開始。小絹 - 水海道間に南水海道信号所開設。
6月2日 - 取手駅で列車が駅ビルに衝突する事故 (常総線列車衝突事故)。

電化が検討され、茨城県石岡市にある気象庁地磁気観測所の観測に影響を与えない直直デッドセクション方式による直流電化の実験が行われそうですが、必要な変電所数が増えるため費用負担が大きいことが判明し、当面は非電化で営業を続けることとし、1990年代以降は高出力の新型気動車を相次いで投入しています。

2004年10月16日 南水海道信号所での運転停車を廃止。列車の増解結時以外は通過となりました。

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南水海道信号所に準備されていた乗務員待機用の設備 2006/7/30

2005年7月9日 つくばエクスプレス開業を控えてのJR常磐線ダイヤ改正に合わせ、快速列車訓練運転開始によるダイヤ改正。速度照査式ATS使用開始。

 8月24日 つくばエクスプレス開業に伴うダイヤ改正。快速列車新設を含む増発及び全列車1 - 2両のワンマン運転化。その後、取手口の混雑対応のため、平日朝の5往復が4両編成(車掌乗務)に戻されました。

路線距離(営業キロ):51.1km
軌間:1067mm
駅数:25駅(起終点を含む)
電化区間:なし(全線非電化)
複線区間:取手 - 水海道間17.5km
閉塞方式:自動閉塞式
保安装置:速度照査式ATSおよびCTC一括制御
車両基地所在駅:南水海道信号所(水海道 - 小絹間) →水海道車両基地

それでは今回のイベントでの展示車両両と過去に撮影した車両を車輌形式毎に見て参りましょう。

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キハ303 2006/7/30 水海道車両基地で休む姿 

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キハ3016 2003/4/29 水海道車両基地 キハ30 25からキハ3016に改造され、さらにワンマン化でキハ104に改造されましたが、キハ2200形の投入でキハ3016に戻されました。

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キハ101(現在)

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キハ101 2006/7/30に水海道駅で見たときは102と同じ2色の塗装でした。

1987年から1992年にかけて、国鉄のキハ35系気動車を譲り受けたもので、現在国鉄首都圏色となっているキハ101(キハ30 55からキハ306を経て、ワンマン化改造でキハ101に)が展示されていました。

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クリームとブルーのツートンのキハ102(キハ30 96からキハ3013を経て、ワンマン化改造でキハ102に)が会場内の乗車列車として運行されていました。

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キハ352 2006/7/30 水海道車両基地

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キハ3511 2013/11/3

キハ350形は国鉄清算事業団、JR九州、東日本から導入された片運転台仕様のキハ35形・キハ36形をベースとしていますが、クリームとオレンジ帯のキハ3511(キハ35 187から)の姿がありました。

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続いてキハ0形は元国鉄キハ20系の車体新製車ですが、工場棟内にキハ003がいました。
キハ0形は1982年以降運用している車両で、国鉄キハ20系の機器を流用しています。キハ310形との違いは雨樋の縦樋が車体に埋め込まれている点です。

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キハ314 旧標準色 2013/11/3

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キハ314 2006/7/30 水海道車両基地

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キハ315 もっともこちらの方は展示車両ではなく、通常業務に就いていたのかと思われますが。

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キハ316 2006/7/30 水海道車両基地

キハ310形1977年に国鉄キハ10系を譲り受けたものでキハ314(キハ16 94から)とキハ315(キハ17 171から)の姿がありました。314と315、同じ形式ながら塗装のパターンは異なっていました。

キハ310形は車体は新製されており、台車も1983年にオリジナルのDT19、TR49からDT22、TR51へと交換されています。さらに冷房化、機関更新、行き先方向幕の設置、前照灯の移設等も行われており、オリジナルのキハ16、17のスタイルは殆ど窺い知ることが出来ません。またキハ0形との差異も殆どありません。

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DD50 2 2013/11/3

Dd50_2_030429_10
DD50 2 2003/4/29 車内から ロッド式であることが分かります。

この機関車は1956年日本車輌製の自社発注車でセミセンターキャブ方式、ロッド式のディーゼル機関車です。私と同じ年齢ですか。
1974年の貨物営業廃止後は、取手 - 水海道間の複線化工事に伴う貨車の牽引、下館 - 水海道車両基地間の譲渡車両・新製車両の回送に用いられており、稼働することは少なくなっています。

次回は1990年代以降に増備された新鋭の気動車について触れます。

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2013年11月 5日 (火)

常総線開業100周年記念イベントとTX祭り その1

11月3日の日曜日、関東鉄道常総線水海道車両基地公開イベントと第9回つくばエクスプレスまつりが開催されました。

両会場は比較的近い距離に位置しており、会場間を結ぶ無料シャトルバスも運行されておりましたので、最初に水海道のイベントに参加して、午後からTXの基地を見てきました。

水海道の車両基地は水海道と小絹の間に位置しており、これまでも自宅から車で何度か撮影に出かけていましたが、今回は駐車場は無いと言うことで公共交通を使うことに致しました。

WEBサイトによると、水海道から車両基地までの臨時列車が10:13発で運行されるとのこと、乗車のためには硬券乗車券(無料の乗車整理券)が必要で、9:20より配布されるとのこと、定員は200名とのことで、少し早めに水海道駅に行くことと致しました。

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水海道駅の駅名標 なにかレトロな風情が漂っています。 2013/11/3

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水海道駅の駅舎と整理券発行の様子

8:30頃、駅西口に出るとすでに長蛇の列が出来ており、最後尾につくと既に約110名が並んでおられました。

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硬券の整理券とイベント案内のパンフレットを受け取って、1番線ホームへ。臨時列車は10:05に入線とのこと

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100周年のHMを付けた2101-2102の編成が水海道車両基地行き臨時列車として入線してきました。2番線側には単行の5004、取手行きが。

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臨時列車は基地内の乗降用ステップのある線路に入線

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会場入り口には100周年の横断幕が

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イベント案内のパンフレット

パンフレットによると会場は気動車のエンジンなどの部品展示、クレーンによる車両吊り上げ実演の工場棟と野外の車両展示のようです。

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工場棟内にはキハ003形が入場しており、台車はすでに分離されていました。写真は駆動側の台車でした。

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DMH13HZエンジンのクランクシャフト

Wikipediaによるとこのエンジンは元々新潟鐵工所が開発した船舶用の高速回転エンジンで鉄道車両用に改設計したものだそうです。DMH17系やDMH15系に較べると小型軽量で高出力だそうです。直噴式、横形直列6気筒でターボチャージャー付きです。

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そのターボチャージャーも展示されていました。上側がインテイク側、下側が排気側ですが、意外と小さい物だと思いました。

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キハ003のクレーンによる吊上実演の様子

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                 車体はかなり高く吊り上げられて移動

普段はなかなか見ることが出来ない気動車の床下ですが、エンジン、ラジエター、燃料タンク、空気タンクなどが、車体の向こう半分の床下に集中して取り付けられているのがよく分かります。

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吊り上げられた車体は分離された台車の上に

なかなか迫力のある実演でした。

今回はここまでで次回の記事で展示車両の紹介を致します。

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2013年11月 4日 (月)

2013 夏 新潟の旅 13 EF510 基本番台 11号機

EF510基本番台のこれまで撮った写真を紹介しているシリーズですが、今回は11号機です。

11号機の甲種回送日は2006年12月27とのことです。

Ef51011_100709
千里丘駅横の貨物線を通過する11号機牽引の3092列車(A51) 2010/7/9

Ef510411_100709
通過する列車をカメラで追うと吹田第二で出発待機する3095列車牽引の4号機とツーショットに

Ef51011_120915
山科を通過する11号機牽引の列車 2012/9/15 

16:12の通過ですが、湖西線強風のための米原経由なのか列番不明の列車でした。

今回は大阪貨物ターミナルについて触れようと思います。

大阪貨物ターミナル駅は、大阪府摂津市安威川南町二丁目にあるJR貨物の貨物駅で東海道本線貨物支線の終端となっています。貨物輸送量増加に伴い、(貨)梅田駅の機能分担のために設置されました。

1982年11月15日に開業し、1986年11月1日には東京貨物ターミナル駅との間でピギーバック輸送が開始され、1987年4月1日、国鉄分割民営化によりJR貨物の駅となりました。

駅構造は、地上駅でJR東海の東海道新幹線および鳥飼車両基地に沿う広い構内を持っており、コンテナホームは3面、荷役線は6本あります。着発線はホームの北東に4本敷設され、ここから単線の貨物線が吹田信号場へ伸びています。

コンテナホーム上にはコンテナの検修庫が設置されている。検修作業と構内での入換作業はJR貨物グループのジェイアール貨物・関西ロジスティクス(元関西フレートサービス)に委託されています。このほか、駅構内には日本運輸倉庫の大阪(タ)営業所も設置されています。

以上、Wikipediaの記事を参考に致しました。

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2013年11月 3日 (日)

日本海縦貫線の昼の女王 特急「白鳥」 その1 登場から1982年11月の改正まで

今回からは、1961年10月1日から、2001年3月2日まで、大阪~青森間1052.9kmを走り、日本海縦貫線の昼の女王といわれた特急「白鳥」について触れようと思います。

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柏崎付近を行く 4002M 特急「白鳥」 1975/11/3

ついこの前のような感じがしますが、かれこれ38年前の写真になるのですね。青森・大阪寄りの先頭車が300番台クハ、新潟寄りの先頭車が200番台クハでした。
当時のダイヤでは柏崎は通過で、長岡12:03、直江津13:00でした。青森発4:50、大阪着18:45でしたから行程の半分を超えたあたりですね。

私自身の特急「白鳥」との最初の出会いは、このblogの2012年10月25日の記事で記述した北海道向けの485系1500番台がならし運転のために投入された1974年秋のことでした。1972年8月5日の日本海縦貫線の全線電化で、同年10月から485系特急化されて2年経過した頃のことですが、いつもの通り、その登場以前からの歴史を追ってみましょう。

日本海縦貫線が全通したのは、1924年7月31日に羽越本線の村上駅 - 鼠ヶ関駅間が開業した時です。開業と同時に、早速神戸駅 - 富山駅間の急行列車を延長して神戸駅 - 青森駅間を結ぶ急行列車が設定されました。全区間が急行列車化されたのは、1926年8月15日でした。

1929年9月15日、運転区間が大阪~青森に変更となりますが、戦局の悪化により、1943年2月1日には廃止されました。

1947年7月5日、大阪~青森間で急行列車の運転が再開され、同列車は1950年11月8日日本海」と命名されました。1961年2月9日には羽越本線を走行中に崩れた土砂に乗り上げ牽引機C571号機が大破する事故などもありましたが、同列車は1968年10月1日の改正で、急行「きたぐに」と20系寝台特急「日本海」に発展しました。

一方、1961年10月1日のダイヤ改正では、キハ82系気動車を利用した特急「白鳥」が大阪~青森、大阪~上野間にデビューしました。前者を青森白鳥、後者を信越白鳥と国鉄内部では区別していたようです。

青森白鳥 青森行き2001D/大阪行き2002D
信越白鳥 上野行き4002D/大阪行き4003D 信越本線経由

青森白鳥の受け持ちは大ムコ

←長崎、宮崎、松江、青森
DcDsDdDDDc×13 所要10
白鳥(1)、かもめ(1×2)、みどり(1)、へいわ(1)、まつかぜ(1)
 大阪18002240広島
 広島7301210大阪13402235博多
 博多7251620大阪
 京都8002005長崎
 長崎9502200京都
 京都8002200宮崎
 宮崎8002200京都
 大阪8052350青森
 青森5202112大阪
 京都7301405松江15002135京都

キハ82形 8, 9,18,19,20, 21,22,23,26,27,28,29,30,31,32, 33,34,35,36,37, 38,39,40,41,42, 43  以上26両
キハ80形 15,16,22,23,24, 27,32,33,36,37,38,39,40,41,42, 43,44,45,46,47
48,49,50,51,52, 53   以上26両
キロ80形 9,11,13,14,19, 20,21,22,23,24, 25,26,27 以上13両
キシ80形 6, 7, 8, 9,13, 14,15,16,17,18,19,20,21   以上13両

信越白鳥の受け持ちは北オク

DcDsDdDDDc×5 所要4
つばさ(1)、白鳥(1)
 上野12302100秋田
 秋田8101640上野
 上野8502112大阪
 大阪8052035上野

Dc×2 Dc×1 D×5 Ds×2 Td×1 Dd×1

キハ82形 1, 2, 3, 4, 5,10,11,14,15,24,25 以上11両
キハ80形 13,14,17,18,19,20,21,30, 31,34,35  以上11両
キロ80形 7, 8,10,12,16,18 以上 6両
キシ80形 2, 3, 4, 5,11,12 以上6両 
(特急「はつかり」用の車輌分は除く)

青森では青函連絡船深夜便(1/2便)を介して、北海道内の特急「おおぞら」(1D/2D)と接続するダイヤでした。

1963年6月1日の改正を前に尾久から
キハ82形 1, 2, 3, 4, 5
キハ80形  13, 14, 17, 18, 19
キロ80形 7, 8
キシ80形  2, 3

が大ムコに転属し、信越白鳥の担当も大ムコになりました。

この間に大ムコのキハ80系は1962年7月から9月にかけて一部、函ハコへの転出があったものの、続々と新製配置があり、1964年10月の時点ではキハ82形37両、キハ80形54両、キロ80形19両、キシ80形16両の体制となっていました。

←長崎、宮崎、青森
DcDsDdDDDDc×12 所要10
白鳥(1×2)、かもめ(1×2)、みどり(1)
 大阪8152020上野
 上野9052107大阪
 大阪8152347青森
 青森5202107大阪
 京都8002008長崎
 長崎9502200京都
 京都8002201宮崎
 宮崎8002200京都
 新大阪10302135熊本
 熊本8301935新大阪

DcDsDDDDc×2 所要2
みどり(付属1)
 新大阪10302110大分
 大分9101935新大阪

DcDsDdDDDc×3 所要2
まつかぜ(1)
 京都7302055博多
 博多8202140京都

DDDc×2 所要1
まつかぜ(付属1)
 京都7301333米子15342140京都

Dc×1 D×2 Ds×2 Dd×1

関西を中心に北は青森から南は熊本まで広域運用であったことが分かります。

1965年10月1日のダイヤ改正では信越白鳥は「はくたか」と名前を変え、独立しました。これ以降の「はくたか」の歴史は2013年1月26日の記事に記載しました。

←上野、金沢
DcDsDdDDDDc×2 所要2
はくたか(1)
 金沢13002100上野
 上野7401530金沢

Dc×2 D×2 Ds×1 Dd×1

1965年6月から10月にかけて、キハ82-1, 2, 3, 4, 5, 8、キハ80-13, 14, 15, 16, 17, 18, 19, 22、キロ80-7, 8, 9、キシ80-2, 3, 6が金サワに転出しました。この時が金沢運転所初のキハ80系の配置となり、「はくたか」、臨時「雷鳥」(1967年1月から)、「ひだ」(1968年10月から)を受け持ちますが、1969年10月には「はくたか」が電車化され、1975年3月には「ひだ」は名古屋移管となり、同所のキハ80系配置の歴史は幕を閉じました。

一方、大ムコの運用は白鳥の基本編成は独立運用となり、付属編成は特急「まつかぜ」と共通運用となりました。

DcDsDsDdDDc×3 所要2
白鳥(1)
 大阪8002335青森
 青森4402040大阪

DDDDc×6 所要5
まつかぜ(付属1)、白鳥(付属1×2)
 京都7301334米子15362150京都
 大阪8001640新潟
 新潟11452040大阪
 大阪8002335青森
 青森4402040大阪

1970年3月1日の大阪万国博覧会に対応した改正では、基本編成はこの改正から登場した特急「やくも」(新大阪~浜田)と共通運用化され、付属編成は独立と「やくも」と共通に分けられました。

DcDsDsDdDDDc×5 所要4
白鳥(1)、やくも(1)
 大阪8402340青森
 青森4552003大阪
 新大阪12002022浜田
 浜田8201633新大阪

DDDDc×3 所要2
白鳥(付属1)
 大阪8402340青森
 青森4552003大阪

DDc×4 所要4
白鳥(付属1)、やくも(付属1)
 大阪8402340青森
 青森4552003大阪
 新大阪12002022浜田
 浜田8201633新大阪

山陽新幹線岡山開業の1972年3月15日の改正が気動車特急「白鳥」としての最後の改正となりましたが、

←長崎、宮崎、新潟
DcDsDdDDDDc×7 所要6(臨時+1)
かもめ(1)、なは(1)、まつかぜ(1)、あさしお(臨時1)
 京都7301912長崎
 長崎10302225京都
 大阪7252109西鹿児島
 西鹿児島9052243大阪
 京都7202050博多
 博多8152150京都
 京都8261226鳥取15321934京都

DcDsDDDDc×7 所要7
かもめ(付属1)、日向(1)、まつかぜ(1,付属1)、はまかぜ(2)
 京都7301848佐世保
 佐世保10502225京都
 大阪7252042宮崎
 宮崎9302243大阪
 京都7201210鳥取12461704大阪18002217鳥取
 鳥取6301044大阪12101624鳥取16552150京都
 新大阪9251417倉吉14421940新大阪

DcDsDsDdDDDc×3 所要2
白鳥(1)
 大阪9102350青森
 青森4551930大阪

DDDDc×3 所要2
白鳥(付属1)
 大阪9102350青森
 青森4551930大阪

DcD×3 所要2
白鳥(付属1)
 大阪9102350青森
 青森4551930大阪

D×1 Ds×1 Dd×1

この時刻を1965年時点の時刻と比較すると、青森側の時刻は青函連絡船の接続等の関係でほぼ固定されているのに対して、大阪側の時刻はスピードアップの効果が出ているのが分かります。

485_481200_791223
大阪駅11番線に入線する200番台クハの4001M 特急「白鳥」 1979/12/23 
当時のダイヤでは白鳥は青函連絡が考慮されていたため、大阪発は10:20と比較的遅めの出発でした。1978年のダイヤ改正前後から愛称幕は絵入りに。

かくして、特急「白鳥」は1972年10月2日の改正で1961年以来の気動車特急から電車特急に生まれ変わる訳ですが、サンロクトウの改正で日本全国にデビューしたキハ82系特急のうち、この時点で電車化されていたのは1年弱で「つばめ」に置き換えられた「へいわ」(大阪~広島)、1967年10月の改正で581系電車化された「みどり」(大阪~博多)、1965年10月改正483系電車化された「ひばり」(上野~仙台)でした。

1972年10月2日の日本海縦貫線電化完成によるダイヤ改正で、特急「白鳥」は盛アオ所属の485系が担当することになりました。

←上野、新潟
TcTsTsM'MM'MTdM'MM'MTc×2 所要2
白鳥(1)
 青森4501848大阪‥向日町
 向日町‥大阪10102350青森

TcTsM'MM'MTdM'MM'MTc×8 所要7
いなほ(2)、やまびこ(1)、ひばり(4)
 青森7301739上野‥東大宮
 東大宮‥上野9001257仙台14051804上野‥東京18552254仙台
 仙台8101204上野13001904盛岡
 盛岡9001504上野17002056仙台
 仙台9101309上野14302203秋田
 秋田6101339上野14001758仙台18502244上野‥東大宮
 東大宮‥上野10302035青森
 休

M'M×2 Tc×4 Ts×1

「白鳥」の編成はグリーン車2両組み込みの関係から他の東北特急とは区別された編成となっておりました。なお、「いなほ」の運用が東北特急編成の盛アオとの連絡運用であったことは、2013年7月19日の記事でご紹介した通りです。

1972年5月頃から、盛アオに485系が配置となり、10月の時点では

モハ485形 59,  60,  61,  68,  69,   70,  71,  75,  76,  77, 78,  79,  80,  81,  89,   90,  91,  92,  93,  94, 95,  96,  97,  98,  99, 100, 101, 102, 103, 104, 105, 106, 107, 108, 109,
110, 111, 112, 113, 114, 115, 116

モハ484形 59,  60,  61,  68,  69, 70,  71,  75,  76,  77, 78,  79,  80,  81,  89, 90,  91,  92,  93,  94, 95,  96, 201, 202, 203, 204, 205, 206, 207, 208, 209, 210, 211, 212, 213,
214, 215, 216, 217, 218, 219, 220 (以上42ユニット)

クハ481形 113, 114, 115, 116, 117, 118, 123, 124, 125, 126, 201, 202, 203, 204, 205, 206, 207, 208, 209, 210, 213, 214, 219, 220 (以上24両)

サロ481形 40,  43,  44,  45,  50, 51,  52,  53,  54,  55, 56,  57,  58 (以上13両)

サシ481形 32, 34, 35, 38, 39, 40, 41, 42, 43, 44 (以上10両)

といった配置となっていました。

485_481300_800805
鶴形~東能代間のカーブをゆく4002M特急「白鳥」 1980/8/5

この中でも興味深いのはボンネット型クハの100番台が配置されていたことですが、クハ481-200番台の新製配置とともに、大ムコに転出して行き、1973年4月の時点ではすべて-200番台になってしまいました。これは当時、東北特急に分割併合の構想があり、貫通型の-200番台を優先して投入したそうですが、結局、先日の485系「くろしおで使用されるまで-200番台の貫通扉は開かずの扉でした。今から思えば、あのままボンネット型クハが残存していたら東北特急のイメージも大きく変わっていたのではと思います。

485_481300
同じく鶴形~東能代間のカーブを行く4002M 特急「白鳥」

その後、1974年4月から6月にかけて、書類上は札幌運転区に配置された485系1500番台が慣らし運転のため、盛アオに貸し出され、「白鳥」編成に投入されました。1500番台はモハユニット(1501~1507)、クハ(1501~1508)のみの小世帯のため、在来の485系と混成の編成を組み、愛称幕もシールを貼っての対応となりました。約1年間のならし運転のあと、1975年3月には北海道に渡りました。

1975年3月10日の新幹線博多開業の改正では前年に開業した湖西線の本格使用が開始され特急「白鳥も山科~近江塩津間が湖西線経由となりました。

1978年10月2日の改正からは、盛アオに485系最後のモデルとなった1000番台が投入されました。と同時に、これまで「白鳥」編成と「はつかり」「いなほ」「やまびこ」「ひばり」編成はグリーン車の連結から区別されて来ましたが、その区別が無くなり、共通運用化されました。また、ヘッドマークがイラストマークに変更されました。

←上野、新潟
TcM'MM'MTsTdM'MM'MTc×22 所要17
白鳥(1)、いなほ(1)、やまびこ(4)、ひばり(4)、はつかり(3)
 休
 青森4531343上野14332101盛岡
 盛岡6401313上野14301845仙台‥岩切
 岩切‥仙台7581219上野13001715仙台18282243上野‥東大宮
 東大宮‥上野13332225青森
 青森4501825大阪‥向日町
 向日町‥大阪10182350青森
 青森11202009上野‥東大宮
 東大宮‥上野9331601盛岡
 盛岡9161543上野16332259盛岡
 盛岡8161443上野1530013青森
 青森12552142上野‥東大宮
 東大宮‥上野6331301盛岡14162043上野‥東大宮
 東大宮‥上野10001415仙台15582013上野‥東大宮
 東大宮‥上野10502145青森
 休
 青森8071833上野‥尾久
 尾久‥上野9001315仙台14581913上野‥尾久
 尾久‥上野8331725青森

M'M×1 Tc×2 Ts×1

1980年10月には1975年夏から北海道で活躍していた485系1500番台が、485系は北海道の冬には対応不可能と判断され、盛アオに転属となりました。

485_4811500_811010
鶴形~東能代間を行くクハ481-1500番台を組み込んだ4002M「白鳥」 1981/10/10

1982年6月23日の改正では東北新幹線の部分開業で、特急「やまびこ」が廃止され、それまで東北路を走っていた車輌が別の活躍の場を求めて、転出して行き、

←上野、新潟
TcM'MM'MTsTdM'MM'MTc×22 所要14
白鳥(1)、いなほ(1)、ひばり(5)、はつかり(3)
 休
 青森4531343上野14301845仙台‥岩切
 岩切‥仙台7581219上野13001715仙台
 仙台10581513上野16002015仙台
 仙台8581316上野1530013青森
 青森12552142上野‥東大宮
 東大宮‥上野13332225青森
 青森11202009上野‥東大宮
 東大宮‥上野8001215仙台15582013上野‥尾久
 尾久‥上野8331725青森
 休
 青森4501825大阪‥向日町
 向日町‥大阪10182350青森
 青森8071833上野‥尾久
 尾久‥上野9001315仙台17582213上野‥東大宮
 東大宮‥上野10502145青森

M'M×1 Tc×2 Ts×1

1982年11月15日の上越・東北新幹線開業による改正では、特急「白鳥」は急行「しらゆき」の格上げで2往復になりましたが。

←上野、新潟
TcM'MM'MTsTdM'MM'MTc×6 所要4
白鳥(1)、鳥海(1)
 休
 青森4501825大阪‥向日町
 向日町‥大阪9552351青森
 青森7561834上野‥尾久
 尾久‥上野10302113青森

TcM'MM'MTsM'MTc×11 所要8
白鳥(1)、いなほ(5)、はつかり(3)
 休
 青森9552159福井‥南福井
 南福井‥福井5481803青森
 青森453715盛岡8301105青森13021940新潟‥上沼垂
 上沼垂‥新潟7201124秋田13461740新潟19052306秋田
 秋田8291230新潟15151920秋田
 秋田534939新潟12051613秋田17202122新潟
 新潟9051550青森
 青森7401015盛岡11301405青森14401715盛岡18302105青森

M'M×9 Td×16

485_481300_801212
青森から14時間かけて大阪に到着した4002M特急「白鳥」 1980/12/12

ここまで、気動車特急時代の11年間と電車特急時代の10年間についてWikipediaの記事等を参考に纏めました。

今回、奥羽北線を走る特急「白鳥」の写真を何枚かご紹介致しましたが、同じ場所では青森方向に向かう下り寝台特急の「日本海」や昨日、今年度での廃止が発表された「あけぼの」の写真も1970年代後半から1980年代にかけて撮影しておりますので、後日、触れようと思っています。

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2013年11月 2日 (土)

西武鉄道 赤電の時代 551系 その2

西武鉄道の赤電時代を懐かしむシリーズ、今回は551系の2回目です。

551_561f
西武新宿線鷺宮駅に進入する551系 561Fの本川越行準急 1975年頃

561Fは551系一族の中でも異端児扱いで、6連化されず、台車も終生、TR14Aのままだったと思います。

前回までに6連化に至る過程を記述しましたので、今回はその後の改造について触れようと思います。

1966年から1968年にかけて貫通路渡り板を3枚構造化し、併せて運転台スイッチの一部ノーヒューズブレーカー(NFB)化、および中間連結部分を通常のジャンパ線を使用した連結方式に改め、同部分の電気連結器を撤去する改造が施工されました。恐らくここで捻出された電気連結器は同時期に新製されていた701系などに転用されたのかと思われます。

551_811004
所沢を出発する池袋線各停の551系 1981/10/4 列車無線のアンテナやライトのシールドビーム化が行われた晩年の姿です。

1972年より、車内吹き抜け風対策としてサハ1551形奇数車およびサハ1571形の池袋・本川越寄り車端部に両開き貫通扉が新設され、1970年代半ば頃にはサハのMGを101系および701系の冷房化に伴う発生品(日立製作所製HG-534-Mrb, 出力12kVA)に換装して低圧電源が交流化されたほか、主抵抗器を旧型の6箱仕様のものから新型の2箱仕様のものへの換装が実施されました。

551_790923
西武球場で野球が開催されるひだったのか、平日の夕方の西武球場前行 551系の急行 1979/9/23 池袋

その他、車内送風機の扇風機化、暖房機のシーズ線化に伴う車内座席下蹴込み板のステンレス化、先頭車前面窓内側に行先表示幕の新設、ATSの整備および列車無線の搭載、前照灯のシールドビーム2灯化等が順次施工されています。

空気バネ台車への換装

1971年より比較的経年の低い吊り掛け駆動車各形式の電動車を対象に、台車を住友金属工業製ペデスタル式空気バネ台車FS40への換装が実施されました。本系列も1973年よりクモハ551 - 556・モハ571, 573, 575を対象に交換が実施されています。なお、台車交換を行った車両はブレーキシリンダーが台車側装備となったことから、制動装置に中継弁を追加しています。

5514_801009
保谷駅の電留線に停車中の4連化された551系 1980/10/9

さらに1978年以降、411系(2代)の新性能化改造に伴って余剰となったFS40台車を流用し、クモハ557, 558・サハ1551 - 1556についても空気バネ台車化が実施されました。

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2013年11月 1日 (金)

西ベルリンの思い出 TWA Boeing 727-31 N848TW

西ベルリンで撮影した旅客機のシリーズ、今回はTWAの3回目です。

N848tw_7848_cn_18751_75_boeing_7273
N848TW cn18751/ln 75 Boeing 727-31 1989/6/25 TXL

前回予告したように、今回はTWAが関係した航空機事故について触れようと思います。

Aviation Safety NetworkのデータベースによるとTWA関係では1950年8月31日以来、70件の事故が登録されています(表1a 1970年まで、表1b1971年から)。そのうちの30件がハイジャックや犯罪行為(表1abでHJK, CROで示したもの)によるもので、8件が2機以上が関係した衝突事故、残りが単独機による事故となっています。

Twa_accident_1a
表1a TWA機が関係した航空機事故 1950年から1970年まで

Twa_accident_1b
表1b TWAが関係した航空機事故(1971~2001)

略号の説明:
APR approach 降下中
CRO criminal occurrence 犯罪行為によって発生した事象
ENR enroute 巡航中 
HJK hijack ハイジャック
ICL initial climing 離陸上昇中
LDG landing 着陸中
STD standing 駐機中
TAX taxing 走行中
TOF take off 離陸中

fat 当該事故での犠牲者の数 +は機上と地上

<ハイジャックや犯罪行為によるトラブル>

Pan Amと並んでアメリカを象徴するエアラインであったが故にハイジャック事件に巻き込まれた数は多く、1968年7月4日TW329便カンザスシティ発ラスベガス行(Boeing 727詳細は不明)で発生以来、1988年12月11日、中央アメリカのTurks and Caicos IslandsでSan Juan発マイアミ行がハイジャックされるまでの20年間に30件もの事件に巻き込まれています。

最も人的被害の大きかった事件は1974年9月8日TW841便(テルアビブ発、アテネ、ローマ経由、ニューヨーク行(乗員9名乗客79名)(N8734: Boeing 707-331B) がアテネを出発後、28000フィートで飛行中に突然、救難信号も発せずに上昇し、続いて左旋回して、急降下し、ギリシャのケファロニア島付近のイオニア海に墜落した事故です。搭乗者全員が犠牲になりました。機体後部の貨物室に積み込まれていた爆発物が飛行中に爆発し、キャビンの床を破壊した際に、方向舵、昇降舵をコントロールするケーブルがやられ操縦不能に陥ったようです。

<空中衝突事故など>

次に目立つのが他の飛行機との衝突事故(飛行中が6件、離陸時が2件)が8件あることです。

最初は1955年1月12日TWA694便シンシナティ発クリーブランド行、乗員3名乗客10名(N93211: Martin 2-0-2A)がシンシナティ空港近郊の上空700-900フィートでDC-3(N999B)と衝突した事故でTWA機側は全員、DC-3側は2名全員が犠牲になりました。

二番目は1955年7月12日、TWAのパイロット技術評価試験でカンザスシティ空港を離陸し、近隣のフェアファックス空港でタッチアンドゴーを行ったC-47-DL(DC-3)(N51167)が1750-1900フィートでCessna 140A(N1158D)と空中衝突した事故です。C-47側は軽微な損傷で無事着陸しましたが、Cessna側は操縦性を失い墜落し、2名が犠牲となりました。

三番目は1956年6月30日に発生した航空史に残る大事故で、グランドキャニオン上空で当時の大型旅客機だったTW002便(LAX発カンザスシティ経由ワシントンDC行)(N6902C: Lockheed L-1049-54-80 Super Constellation)とユナイテド航空UA718便(LAX発シカゴ経由ニューアーク行)(N6324C:Douglas DC-7)が空中衝突し、双方の乗員乗客全員計128名が犠牲となった事故です。双方が有視界飛行であったこと、当時は機体の位置を監視するエンルートレーダーが装備されていなかったこと、操縦士の判断でショートカットルートをとることが許容されていたことなどから、起こるべくして起こった事故であることが明らかになり、教訓としてレーダーの整備や航法技術の近代化が進められました。

大型機の空中衝突事故はさらに起こり、1960年12月16日にはTW266便デイトナ発コロンバス経由ニューヨーク・ラガーディア行(N6907C: Lockheed L-1049 Super Constellation)とまたしてもユナイテド航空UA826便シカゴ発ニューヨーク・アイドルワイルド(現在のJFK)行(N8013U: Douglas DC-8-11)がスタテン島ミラー空軍基地上空約5000フィートで衝突した事故です。双方の乗客合わせて128名と地上の6名が犠牲となりました。この事故はDC-8の初めての全損事故であり、アメリカ製ジェット旅客機初の死亡事故でもありました。

五番目は1965年12月4日TW042便サンフランシスコ発ニューヨーク行(N748TW: Boeing 707-131B)とイースタン航空EA853便ボストン発ニューアーク行(N6218C: Lockeed L-1049C Super Constellation)が853便のパイロットの高度の錯覚で衝突した事故です。衝突に依る被害は大きくなかったため双方が緊急着陸し、TWA機は全員無事でしたが、イースタン機は機長を含め4名の犠牲者が出ました。

六番目は1967年3月9日TW553便ニューヨーク発ハリスバーグ、ピッツバーグ、デイトン経由シカゴ行、乗員4名、乗客21名(N1063T: Douglas DC-9-15)がオハイオ州ウルバナ上空4525フィート付近で降下中にBeechcraft 55(N6127V)と衝突した事故でTWA機は全員、Beechcraft機は1名が犠牲となりました。

続く2件は離陸時に発生しており、最初は1970年11月30日、テルアビブ空港を離陸しようとしたTWAの貨物便テルアビブ発フランクフルト行(N790TW: Boeing 707-373C)が滑走路を横切ろうとした牽引中、無灯火のイスラエル空軍のストラトクルーザーを見付け、速く離陸しようと試みたのですが、別の機体に衝突し、出火に至った事故です。地上で2名が死亡しています。

もう一件は1994年11月22日TW427便セントルイス発デンバー行(乗員8名、乗客132名)(N954U McDonnell Douglas MD-82)がセントルイス空港を離陸しようとした際に、RWY30Rに誤って進入したCessna441(N441KM)に80ノット/hで衝突した事故でTWA機は軽微な損傷で犠牲者は出ませんでしたが、セスナ機は破壊され搭乗者2名が死亡しました。因みに1994年にはUSAirの427便もピッツバーグで墜落事故を起こしています。事故の報告書を読んでいて、この事故は2001年10月8日にミラノリナーテ空港で発生したスカンジナビア航空SK686便(SE-DMA:McDonell Douglas MD-87)とCessnaサイテーション機(D-IEVX)の衝突事故と似ていると感じました。セントルイス空港での事故の後、こういった事故を防止するためにASDE-X(Airport Surface Detection Equipment)の設置が推進されました。

<単独機事故>

航空機事故は離着陸時に多く発生しますが、まず離陸時(TOF、ICL) から見てみると、1956年4月1日TW400便ピッツバーグ発ニューアーク行(乗員3名乗客33名)(N40403: Martin 4-0-4)がピッツバーグ空港を離陸した直後にエンジントラブルを示す警報が出てパイロットが混乱し、RWY端から1690フィートの地点に接地した事故で、乗員1名、乗客21名の犠牲者が出ました。

もう一件の大きな事故は1963年11月23日TW800便(あのBoeing747の事故と同じ便名ですが)ローマ発アテネ行(乗員11名乗客62名)(N769TW: Boeing 707-331)がフミチーノ空港RWY25から離陸を試みた際に第4エンジンの推力0が表示され、続いて第2エンジンのスラストリバーサーが展開した表示が出たため、パイロットは離陸を断念したのですが、停止する際に第4エンジンが滑走路と接触して出火した事故です。機体は全損し、乗員5名乗客45名が犠牲となりました。

続いて降下・着陸時(APR. LDG)の大きな事故は2件あり、ひとつは1967年11月20日TW128便LAX発シンシナティ行(乗員7名乗客75名)(N821TW: Convair CV-880-22-1)がシンシナティ空港に着陸を試みた際に工事でILS誘導標識が使えなかったためビジュアルアプローチを試みたのですが、滑走路端の木に機体を接触させてRWY手前6878フィート地点に墜落した事故です。視界は1.5マイル、雪の夜でした。この事故で乗員5名乗客65名が犠牲になりました。この事故は1966年3月4日羽田空港で起きたカナダ太平洋航空402便着陸失敗事故と似ていると感じました。

もう一件の事故は1974年12月1日TW514便インディアナポリス発コロンバス経由ワシントン・ナショナル空港行(乗員7名乗客85名)(N54328: Boeing 727-231)がナショナル空港が横風が強いためにダレス空港にダイバートされたのですが、高度1800フィートまで降下する際にWeather山(山頂1754フィート)の西の斜面に激突し、乗員乗客全員が死亡した事故です。

最後に巡航中(ENR)の事故としては、5件あります。会社の存続に関わった1996年7月17日Boeing747-131(N93119)事故に関しては後日、フランクフルトで撮影したジャンボ機の写真(事故機とは別の機体ですが)を紹介する記事で触れようと思います。

最初は1950年8月31日TW903便ボンベイ発カイロ、ローマ経由、ニューヨーク行(乗員7名、乗客48名)(N6004C: Lockeed L-749A Constellation)がエジプト上空で10,000フィートを上昇中に第3エンジンがトラブルに見舞われ出火し、カイロに引き返そうとしましたが、砂漠に緊急着陸を試みる事態となり、失敗して乗員乗客全員が死亡した事故です。エンジントラブルの原因は潤滑油の異常でベアリングが破壊されたためだそうです。

二番目は1955年2月19日TW260便アルバカーキ発サンタフェ行(乗員3名乗客13名)(N40416: Martin 4-0-4)がアルバカーキ空港を離陸後、高度8300フィートを飛行しているのを最後に消息を絶った事故で、翌朝残骸がアルバカーキ空港の北東13マイル地点で見つかり、乗員乗客全員の死亡が確認されました。原因は不明とのことです。

三番目は1956年6月26日TW891便ミラノ・メルパンサ空港発パリ・オルリー空港行(乗員9名乗客59名)、(N7313C: Lockeed L-1649A Starliner)がミラノを離陸12分後、高度10000フィートを上昇中、突然空中分解した事故です。事故調査の結果、7番タンクの燃料が気化して発火、爆発したものとされました。搭乗者全員が犠牲になりました。1996年のB747-131の事故と似ています。

四番目は1961年9月1日TW529便ボストン発ニューヨーク、ピッツバーグ、シカゴ・ミッドウエイ空港、ラスベガス、LAX経由サンフランシスコ行(乗員5名、乗客73名)(N86511: Lockeed L-049 Constellation)がシカゴを離陸後、昇降舵の動きを制御するシステムのボルト(5/16 inch AN-175-21 nickel steel bolt)が抜け落ちて、システムが異常を起こし、機体は失速状態に陥り、墜落した事故で、搭乗者全員が死亡しました。この事故のレポートを読むと2000年1月31日に発生したアラスカ航空261便の事故との相似性を感じます。

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それにしても歴史が長く、国内線・国際線の経験値も豊富な航空会社であったため、航空史に残る数多くの事故を経験し、その教訓から航空安全システムの開発も行われて来ているのがよく分かりますが、一回事故が起こり、原因が究明されているにもかかわらず、数年後に同じような事故が起こっていることもよく分かりました。

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