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2013年11月 1日 (金)

西ベルリンの思い出 TWA Boeing 727-31 N848TW

西ベルリンで撮影した旅客機のシリーズ、今回はTWAの3回目です。

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N848TW cn18751/ln 75 Boeing 727-31 1989/6/25 TXL

前回予告したように、今回はTWAが関係した航空機事故について触れようと思います。

Aviation Safety NetworkのデータベースによるとTWA関係では1950年8月31日以来、70件の事故が登録されています(表1a 1970年まで、表1b1971年から)。そのうちの30件がハイジャックや犯罪行為(表1abでHJK, CROで示したもの)によるもので、8件が2機以上が関係した衝突事故、残りが単独機による事故となっています。

Twa_accident_1a
表1a TWA機が関係した航空機事故 1950年から1970年まで

Twa_accident_1b
表1b TWAが関係した航空機事故(1971~2001)

略号の説明:
APR approach 降下中
CRO criminal occurrence 犯罪行為によって発生した事象
ENR enroute 巡航中 
HJK hijack ハイジャック
ICL initial climing 離陸上昇中
LDG landing 着陸中
STD standing 駐機中
TAX taxing 走行中
TOF take off 離陸中

fat 当該事故での犠牲者の数 +は機上と地上

<ハイジャックや犯罪行為によるトラブル>

Pan Amと並んでアメリカを象徴するエアラインであったが故にハイジャック事件に巻き込まれた数は多く、1968年7月4日TW329便カンザスシティ発ラスベガス行(Boeing 727詳細は不明)で発生以来、1988年12月11日、中央アメリカのTurks and Caicos IslandsでSan Juan発マイアミ行がハイジャックされるまでの20年間に30件もの事件に巻き込まれています。

最も人的被害の大きかった事件は1974年9月8日TW841便(テルアビブ発、アテネ、ローマ経由、ニューヨーク行(乗員9名乗客79名)(N8734: Boeing 707-331B) がアテネを出発後、28000フィートで飛行中に突然、救難信号も発せずに上昇し、続いて左旋回して、急降下し、ギリシャのケファロニア島付近のイオニア海に墜落した事故です。搭乗者全員が犠牲になりました。機体後部の貨物室に積み込まれていた爆発物が飛行中に爆発し、キャビンの床を破壊した際に、方向舵、昇降舵をコントロールするケーブルがやられ操縦不能に陥ったようです。

<空中衝突事故など>

次に目立つのが他の飛行機との衝突事故(飛行中が6件、離陸時が2件)が8件あることです。

最初は1955年1月12日TWA694便シンシナティ発クリーブランド行、乗員3名乗客10名(N93211: Martin 2-0-2A)がシンシナティ空港近郊の上空700-900フィートでDC-3(N999B)と衝突した事故でTWA機側は全員、DC-3側は2名全員が犠牲になりました。

二番目は1955年7月12日、TWAのパイロット技術評価試験でカンザスシティ空港を離陸し、近隣のフェアファックス空港でタッチアンドゴーを行ったC-47-DL(DC-3)(N51167)が1750-1900フィートでCessna 140A(N1158D)と空中衝突した事故です。C-47側は軽微な損傷で無事着陸しましたが、Cessna側は操縦性を失い墜落し、2名が犠牲となりました。

三番目は1956年6月30日に発生した航空史に残る大事故で、グランドキャニオン上空で当時の大型旅客機だったTW002便(LAX発カンザスシティ経由ワシントンDC行)(N6902C: Lockheed L-1049-54-80 Super Constellation)とユナイテド航空UA718便(LAX発シカゴ経由ニューアーク行)(N6324C:Douglas DC-7)が空中衝突し、双方の乗員乗客全員計128名が犠牲となった事故です。双方が有視界飛行であったこと、当時は機体の位置を監視するエンルートレーダーが装備されていなかったこと、操縦士の判断でショートカットルートをとることが許容されていたことなどから、起こるべくして起こった事故であることが明らかになり、教訓としてレーダーの整備や航法技術の近代化が進められました。

大型機の空中衝突事故はさらに起こり、1960年12月16日にはTW266便デイトナ発コロンバス経由ニューヨーク・ラガーディア行(N6907C: Lockheed L-1049 Super Constellation)とまたしてもユナイテド航空UA826便シカゴ発ニューヨーク・アイドルワイルド(現在のJFK)行(N8013U: Douglas DC-8-11)がスタテン島ミラー空軍基地上空約5000フィートで衝突した事故です。双方の乗客合わせて128名と地上の6名が犠牲となりました。この事故はDC-8の初めての全損事故であり、アメリカ製ジェット旅客機初の死亡事故でもありました。

五番目は1965年12月4日TW042便サンフランシスコ発ニューヨーク行(N748TW: Boeing 707-131B)とイースタン航空EA853便ボストン発ニューアーク行(N6218C: Lockeed L-1049C Super Constellation)が853便のパイロットの高度の錯覚で衝突した事故です。衝突に依る被害は大きくなかったため双方が緊急着陸し、TWA機は全員無事でしたが、イースタン機は機長を含め4名の犠牲者が出ました。

六番目は1967年3月9日TW553便ニューヨーク発ハリスバーグ、ピッツバーグ、デイトン経由シカゴ行、乗員4名、乗客21名(N1063T: Douglas DC-9-15)がオハイオ州ウルバナ上空4525フィート付近で降下中にBeechcraft 55(N6127V)と衝突した事故でTWA機は全員、Beechcraft機は1名が犠牲となりました。

続く2件は離陸時に発生しており、最初は1970年11月30日、テルアビブ空港を離陸しようとしたTWAの貨物便テルアビブ発フランクフルト行(N790TW: Boeing 707-373C)が滑走路を横切ろうとした牽引中、無灯火のイスラエル空軍のストラトクルーザーを見付け、速く離陸しようと試みたのですが、別の機体に衝突し、出火に至った事故です。地上で2名が死亡しています。

もう一件は1994年11月22日TW427便セントルイス発デンバー行(乗員8名、乗客132名)(N954U McDonnell Douglas MD-82)がセントルイス空港を離陸しようとした際に、RWY30Rに誤って進入したCessna441(N441KM)に80ノット/hで衝突した事故でTWA機は軽微な損傷で犠牲者は出ませんでしたが、セスナ機は破壊され搭乗者2名が死亡しました。因みに1994年にはUSAirの427便もピッツバーグで墜落事故を起こしています。事故の報告書を読んでいて、この事故は2001年10月8日にミラノリナーテ空港で発生したスカンジナビア航空SK686便(SE-DMA:McDonell Douglas MD-87)とCessnaサイテーション機(D-IEVX)の衝突事故と似ていると感じました。セントルイス空港での事故の後、こういった事故を防止するためにASDE-X(Airport Surface Detection Equipment)の設置が推進されました。

<単独機事故>

航空機事故は離着陸時に多く発生しますが、まず離陸時(TOF、ICL) から見てみると、1956年4月1日TW400便ピッツバーグ発ニューアーク行(乗員3名乗客33名)(N40403: Martin 4-0-4)がピッツバーグ空港を離陸した直後にエンジントラブルを示す警報が出てパイロットが混乱し、RWY端から1690フィートの地点に接地した事故で、乗員1名、乗客21名の犠牲者が出ました。

もう一件の大きな事故は1963年11月23日TW800便(あのBoeing747の事故と同じ便名ですが)ローマ発アテネ行(乗員11名乗客62名)(N769TW: Boeing 707-331)がフミチーノ空港RWY25から離陸を試みた際に第4エンジンの推力0が表示され、続いて第2エンジンのスラストリバーサーが展開した表示が出たため、パイロットは離陸を断念したのですが、停止する際に第4エンジンが滑走路と接触して出火した事故です。機体は全損し、乗員5名乗客45名が犠牲となりました。

続いて降下・着陸時(APR. LDG)の大きな事故は2件あり、ひとつは1967年11月20日TW128便LAX発シンシナティ行(乗員7名乗客75名)(N821TW: Convair CV-880-22-1)がシンシナティ空港に着陸を試みた際に工事でILS誘導標識が使えなかったためビジュアルアプローチを試みたのですが、滑走路端の木に機体を接触させてRWY手前6878フィート地点に墜落した事故です。視界は1.5マイル、雪の夜でした。この事故で乗員5名乗客65名が犠牲になりました。この事故は1966年3月4日羽田空港で起きたカナダ太平洋航空402便着陸失敗事故と似ていると感じました。

もう一件の事故は1974年12月1日TW514便インディアナポリス発コロンバス経由ワシントン・ナショナル空港行(乗員7名乗客85名)(N54328: Boeing 727-231)がナショナル空港が横風が強いためにダレス空港にダイバートされたのですが、高度1800フィートまで降下する際にWeather山(山頂1754フィート)の西の斜面に激突し、乗員乗客全員が死亡した事故です。

最後に巡航中(ENR)の事故としては、5件あります。会社の存続に関わった1996年7月17日Boeing747-131(N93119)事故に関しては後日、フランクフルトで撮影したジャンボ機の写真(事故機とは別の機体ですが)を紹介する記事で触れようと思います。

最初は1950年8月31日TW903便ボンベイ発カイロ、ローマ経由、ニューヨーク行(乗員7名、乗客48名)(N6004C: Lockeed L-749A Constellation)がエジプト上空で10,000フィートを上昇中に第3エンジンがトラブルに見舞われ出火し、カイロに引き返そうとしましたが、砂漠に緊急着陸を試みる事態となり、失敗して乗員乗客全員が死亡した事故です。エンジントラブルの原因は潤滑油の異常でベアリングが破壊されたためだそうです。

二番目は1955年2月19日TW260便アルバカーキ発サンタフェ行(乗員3名乗客13名)(N40416: Martin 4-0-4)がアルバカーキ空港を離陸後、高度8300フィートを飛行しているのを最後に消息を絶った事故で、翌朝残骸がアルバカーキ空港の北東13マイル地点で見つかり、乗員乗客全員の死亡が確認されました。原因は不明とのことです。

三番目は1956年6月26日TW891便ミラノ・メルパンサ空港発パリ・オルリー空港行(乗員9名乗客59名)、(N7313C: Lockeed L-1649A Starliner)がミラノを離陸12分後、高度10000フィートを上昇中、突然空中分解した事故です。事故調査の結果、7番タンクの燃料が気化して発火、爆発したものとされました。搭乗者全員が犠牲になりました。1996年のB747-131の事故と似ています。

四番目は1961年9月1日TW529便ボストン発ニューヨーク、ピッツバーグ、シカゴ・ミッドウエイ空港、ラスベガス、LAX経由サンフランシスコ行(乗員5名、乗客73名)(N86511: Lockeed L-049 Constellation)がシカゴを離陸後、昇降舵の動きを制御するシステムのボルト(5/16 inch AN-175-21 nickel steel bolt)が抜け落ちて、システムが異常を起こし、機体は失速状態に陥り、墜落した事故で、搭乗者全員が死亡しました。この事故のレポートを読むと2000年1月31日に発生したアラスカ航空261便の事故との相似性を感じます。

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N848TW 1989/6/25 TXL

それにしても歴史が長く、国内線・国際線の経験値も豊富な航空会社であったため、航空史に残る数多くの事故を経験し、その教訓から航空安全システムの開発も行われて来ているのがよく分かりますが、一回事故が起こり、原因が究明されているにもかかわらず、数年後に同じような事故が起こっていることもよく分かりました。

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