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2013年12月19日 (木)

西武鉄道 赤電の時代 701系 その2

西武鉄道の赤電、今回は701系の2回目です。

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国分寺線 恋ヶ窪駅に到着する国分寺行き電車 台車は既にFS072に換装されていますが、乗務員室扉横の掴み棒の形態から747Fまでの初期タイプと分かります。 1980/5/18

主要な機器に関しては、登場時においては601系と大差なく、中間電動車は2両を1ユニットとし、奇数車に電動発電機 (MG) ・電動空気圧縮機 (CP) などの補助機器を、偶数車に制御装置・抵抗器などの走行関連機器をそれぞれ分散して搭載しました。

制御装置は電動カム軸式の抵抗制御・直並列組合せ制御MMC-HT-20Aを採用し、偶数車に搭載しました。電動車2両分・計8基の主電動機を、4基直列繋ぎの2群として直並列制御を行う1C8M制御仕様でした。制御段数は起動1段・直列10段・並列7段・弱め界磁5段の力行制御のみで、発電制動機能はありませんでした。

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平日の朝の通勤用の10両編成が下り回送電車となって基地に戻るシーンです。 1981/8/4  井荻駅 この駅では、このように下り電車を待避させておいて、下りの準急や急行が手前の上りホームを通過して追い抜くという大胆きわまりないシーンが見られました。その際の上り電車は背後の線に停車していましたが。この701系も初期型です。

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同回送電車の後姿 奥にみえるポイントがこの駅での追い抜きに重要な役割を果たしていました。 後の4連も701系初期型でライトも白熱灯のようです。

主電動機は直流直巻電動機HS-836-Frbを採用し、電動車1両当たり4基搭載し、定格出力は120kW(端子電圧375V時)、駆動方式は撓み板継ぎ手式中空軸平行カルダン、歯車比は5.60 (84:15) でした。

電動車の台車は、601系同様に国鉄DT21台車と同等品である住友金属工業製ウィングばね式金属ばね台車FS342(固定軸間距離2,100mm)を装着しました。

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所沢駅を後にする急行西武新宿行き この頃から列車種別表示のプラスティック板が少し大きくなりました。 1981/10/3 初期型の701系

制御車の台車については、国鉄払い下げ品である省形釣り合い梁式台車改造のTR11Aを装着しました。601系同様、単なる中古品流用ではなく、原形では板材組み合わせによって構成された軸箱守(ペデスタル)部を強度の高い一体鋳鋼製部品に置き換え、軸受部をコロ軸受(ローラーベアリング)化するなど改修を施工した上で転用されました。

制動装置は601系と同一のA動作弁による自動空気ブレーキに電磁給排弁を付加して制動応答性の向上と在来車との互換性の両立を図ったAMAE (ACAE) 電磁自動空気ブレーキを装着しました。

集電装置は当時の西武における標準機種である、工進精工所製の菱形パンタグラフKP-62Aを採用し、偶数車の池袋・本川越寄りに各1基搭載しましたた。国鉄101系などとは異なり、モハ2両ユニットの外側パンタ方式となりました。

補機類に関しては電動発電機 (MG) は、直流出力仕様の国鉄制式電動発電機MH77-DM43(定格出力3kW)を1両当たり2基、奇数車に搭載しました。電動空気圧縮機 (CP) は、MH16B-AK3(通称「AK3」、定格吐出量990L/min)を採用し、奇数車に1両当たり2基搭載しました。

制御車の台車は落成時からTR11Aで電動車モハ701形と比較して乗り心地が劣ったことから、1969年以降、当時最新のダイレクトマウント式空気ばね台車であるFS072への交換が順次実施されました。また1970年以降、落成当初前面強化対策が未施工であったクハ1701 - 1748に対して、前面腰板部の厚板化による補強工事が施工されました。さらに一部編成については、電動発電機 (MG) を801系と同一のMG-534-Mrbに換装し、低圧電源の交流化が実施されましたが、こちらは全編成には普及せず、後述冷房化改造まで低圧電源が直流仕様のままであった編成も存在しました。

その他、747編成は101系新製に先立つ1968年9月から翌1969年2月までの期間、同系列に採用された車体塗色の試験塗装が実施され、レモンイエローとウォームグレーの2色塗装に変更されました。同編成においては101系とは異なり客用扉部分も車体と同色に塗り分けられたため、若干印象が異なる外観を呈しました。

この塗色があったことは後年、寺田牧夫様の轍楽之路 西武鉄道画像保管箱 掲示板の情報等で知りましたが、実際にみたことはありませんでした。1968年9月からということは中学1年の時で、杉並区に住んでおりましたが、もっぱら中央線方面がメインで西武線とは疎遠だったからかも知れません。今のように情報が入手しやすければ、すぐにでも自転車で沿線に駆けつけたとおもいますが(笑)。

以上、Wikipediaの記事を参考に致しました。

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コメント

こんにちは。モモパパです。
さすがに詳しいですね。
僕。
ここまで電車の知識を持ちあわせてませんよ。
いや~。
すごいです。

モモのパパさま、おはようございます。

今朝は早速、コメントありがとうございます。

記事のデータに関しては基本的にWikipediaの記述を使わせて戴いておりますので、
自分がオリジナルから調べたものではありません。

自分が撮影した写真とそれを紹介する文章を組み合わせることで、写真にもう一段意味合いが加わるのではと感じております。

こんばんは。お久しぶりです。

最後の写真、奥に新101系が見えますね。新101系が登場していた頃にまだ赤電の701系が健在だった事が分かる写真です。701系列が新宿線に集められた頃(旧101系が全て池袋線配置となった頃)にはまだ非冷房の101系も居たわけですから、新造と改造の両面から冷房化を徐々に進めていった当時の西武の状況が良く分かる1枚なような気がします。

MiO さま、おはようございます。

お久しぶりです。コメントありがとうございます。

仰る通りですね。

701系、801系、411系の冷房改造、HSC化、さらに501系の登場といった変化は1976年3月頃から1983年までかかっており、その間に新101系も登場、さらにその一部253F~などの701系冷改グループとの併結対応改造などもありましたね。

今回の写真の新101系も電連カバーが黄色く塗られた併結対応車だったと思いますが、編成需給の関係からか当時予想もしない動きがありましたね。

赤電シリーズの後はその辺のことも思い出しつつ記述して行ければと思います。

B767さん、こんにちは(^^)井荻駅…昔はこんな感じでしたね。今と全然違う!ていうか、この頃の井荻駅…下りの通過待ちって…可能だったんすか⁇井荻駅の通過待ちって、ほとんど上りの通過待ちのイメージしかなかったし。

マスダッチ1971さん、こんばんは。

コメントありがとうございます。

逆に私は最近の井荻駅をよく知らないのですが、環状八号線なども広がって随分変わったのでしょうね。

あの頃の井荻駅は、まさに下り通過電車が一旦上り線を通過して下り線に戻るという大胆な追い越しをやっていました。
もちろん、その際に上り線は上り待避線に誘導されていました。

今となっては懐かしい思い出ですね。

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