西ベルリンの思い出 BA Boeing 737-236 G-BKYK
西ベルリンのテーゲル空港で撮影した航空機の写真を紹介しながら関連エピソードについて記述しているシリーズ、今回はBritish AirwaysのBoeing 737-200シリーズの6回目で、最終回となります。
G-BKYK (cn 23169 ln1081) Boeing 737-236Adv 1988/10/23 TXL
航空会社の思い出となるとついつい事故の話題になってしまうのですが、Boeing 737-236型が起こしてしまった事故について今回は触れようと思います。
British Airwaysの子会社で前回の記事でカレドニアン航空の項で紹介したチャーター便の運航を行っていたBritish Airtoursが起こした事故が一件あります。
1985年8月22日、思えば日航ジャンボ機123便の御巣鷹山墜落事故から僅か10日後にマンチェスター空港で発生した事故です。
同日の早朝、British AirtoursのKT28M便(Boeing 737-236 G-BGJL"River Orrin" )は乗員6名(ピーターテリントン機長、ブライアン・ラブ副操縦士他)、乗客131名を乗せ、ギリシャのコルフ島国際空港に向けてマンチェスター空港のRWY24を離陸しつつあった午前6時12分、左の第一エンジンがトラブルを起こしました。操縦士は直ちに離陸を中断し、誘導路上に機体を進めましたが、機体が炎上したため、乗員乗客15名がやけとなどで重傷を負い、機内からの脱出が遅れた54名が有毒ガスを吸うなどして犠牲(1名は事故から6日後に死亡)となりました。
原因はエンジンのファンブレード(combustor)No9が熱疲労で破断、飛散し燃料タンクを損傷、漏れ出した燃料に引火したことでした。 機体停止後も燃料漏れが続いたため機体にも燃え移り、犠牲者の多くはそれにより発生した有毒ガスで死亡しました。また、操縦士がエンジン爆発による衝撃音をタイヤのパンクと誤認し、ブレーキを強くかけなかったため停止まで時間がかかったことや、煙により非常口を開くのに手間取り機内が混乱したことも犠牲者を多くする要因となったと考えられています。
なお、逃げ遅れの原因として『脱出テスト時にパニックを想定していなかった』事も挙げられており、脱出しようと通路や出口に殺到したため、結果スムーズな避難が行えなかったようです。
G-BKYK
この事故を教訓に、難燃性のシートカバーの装着、床の案内灯の設置、耐火性の内壁、天井パネル、消火器の増設、明快な脱出手順の表示が義務づけられました。
以上、英語版のWikipediaを参考に記事に纏めましたが、私がこの事故のことを知ったのはNational Geographics Channelで放映されているMaydayシリーズ "Panic On The Runway" で見たのが最初でした。
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