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2013年12月31日 (火)

5両の保存D52を観に18切符で日帰り旅行 その7 山北駅裏手 交通公園のD52 70号機

D52を観て歩く旅、今回は山北駅裏手の交通公園に静態保存されているD52 70号機です。

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山北駅裏手の交通公園に保存されているD52 70号機 2013/12/21

御殿場線に乗車して御殿場方面から山北駅に到着する際に、進行方向右側の車窓を眺めていると屋根付きの保管状態の機関車の姿が駅到着直前に目に入って来ます。山北駅の玄関は東口だけですが、観光案内所脇に自由通路となっている跨線橋があるので、そこを渡ると線路の反対側に行くことが出来ます。地図はこちらですYahoo地図 。

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現役時代はシールドビーム灯を装備し、太いボイラーに対してアンバランスな感がありましたが、現在はオリジナルタイプのライトになっています。

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先輪はプレートタイプであり、煙室が前方に位置している関係もあって前台枠の形状や先輪担いバネの取り付けに特徴があります。

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動輪やクロスヘッドは塗装されず、今にも動き出しそうに油で磨き出されているのがこの機関車の最大の特徴です。第一動輪の上側にはフランジ途油装置が見えます。車輪と接している回転部が回ると遠心力で油が車輪に噴き出し、フランジに油が塗られます。

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モーションプレートは穴の大きいタイプです。

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従台車は密閉タイプのLT157Bで、速度計の伝達ロッドが付いています。キャブ下の空気分配弁にはカバーはありません。

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動輪軸には塗装が施されていないためしっかりとL-4 D52 70の刻印を見て取ることが出来ます。

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山北機関区の区名札や運用行路票も刺さっています。

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キャブ内部に立ち入ることも出来、焚口は開いていました。

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後部の様子、ナンバープレートやライト、標識灯も装備されています。

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私もこの箱がボイラーの清罐剤送入装置と知ったのは最近のことなのですが、こういう風に後付けされているところが如何にも蒸気機関車らしく感じます。

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非公式サイドからキャブへの入口には山北駅の表示があります。

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デフレクターは点検窓のないタイプ、砂管は御殿場線配属機特有の3本が並行に後方に流れるタイプです。

この機関車の履歴を、沖田祐作氏の機関車表から、

D5270      川崎重工兵庫工場=2974      1944-04-29(4/30?) S84.30t1D1T(1067)
   車歴;1944-04-29(4/30?)製造→ 納入;国鉄;D5270→ 配属;広島局→1944-05-12 配属;下関→
      1944-05-15 使用開始;広島局→1945-11-21 小郡→1946-01-00 新鶴見→
      1946-00-00 特休;新鶴見→1951-02-24 国府津→
      1953-05-07 装備改善/ 炭水車D52453 のものに交換(浜松工場)→
      1959-02-27 新缶に振替(浜松工場)→1968-08-08 廃車[関東支社達56];国府津→
      保存;神奈川県山北町「鉄道公園」;D5270(老人いこいの家児童公園説?)

元々は乙缶、あるいは丙缶機としての製造だったのかも知れませんが、御殿場線で活躍するようになってから、装備が改善された様ですね。

今の季節は花はありませんが、おそらく桜が満開の時期は素晴らしい風景になると思われます。是非その際にもう一度来てみたく思います。

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2013年12月30日 (月)

5両の保存D52を観に18切符で日帰り旅行 その6 313系 V編成

前々回、御殿場線の今日に至る歴史を振り返って見てみましたが、今回は今日の御殿場線で活躍する313系の話題に触れようと思います。

3133000_v1_070304_3身延線で活躍する313系V1編成 2007/3/4 富士

<313系>

1999年にそれまでJR東海の主力だった103系、113系、165系などの国鉄形車輌の置き換えを目的に登場した車輌です。車体断面はJR東海における最小の車両限界である身延線を基準に決定され、管内すべての電化路線での走行が可能です。また、従来の車両と比べてもパワーアップが図られており、311系に代わり、東海道本線におけるほぼ全ての快速列車にも充てられています。

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V2編成 2009/8/13 谷峨

1998年度末に77両、1999年度に104両が投入され、共に1999年に営業運転を開始しました。これにより103系が全車廃車となり、165系も定期運用から離脱しました。また、東海道本線名古屋地区では113系の定期運用が消滅するなど、国鉄形車両の淘汰を進め、JR東海における自社形電車の比率を55%にまで向上させました。

その後2001年に6両、2006年度に204両の増備が行われ、総計391両を有する最大両数系列在来線電車となるとともに、同社の国鉄型車両である113系、115系、123系を淘汰しました。

さらに、2010年から2013年にかけて120両の新製を予定しており、これにより国鉄形電車のほぼすべてを自社形に更新する予定です。これにより119系が廃車(一部えちぜん鉄道へ譲渡)となりました。117系2013年3月16日のダイヤ改正で、定期運用が消滅しました。

また、2015年に予定される武豊線の電化に伴い、28両の新製が計画されています。

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V3編成 2007/3/29 甲府

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V4編成 2014/1/2 竪堀

車体構造は片側3扉を有する軽量オールステンレス製車体であり、運転台部のみ普通鋼製で、連結時に通行可能な貫通扉と貫通幌(幌受)を備えます。前面窓は側面に回り込むパノラミック・ウィンドウで、運転席側上部に行先表示器、助士席側上部に種別表示器、前照灯は前面窓下部と貫通扉上部に計4個、尾灯は前面窓下左右に前照灯と一体化されて2個設置されています。側板のビード(浮き出し線)が残されており、その本数は211系や311系と変わりません。雨樋部は張り上げ屋根構造です。扉間の客室窓は1枚固定式であり、窓柱は荷重を受けない構造として窓ガラスの内側に設け、車内仕様による窓割りの違いに対応しています。戸袋窓・妻窓は設けられていません。連結面寄りの側窓は、非常時に上部が内側に折れて開けることのできる構造となっています。先頭部は白色に塗装され、前面から側面にかけJR東海のコーポレートカラーであるオレンジ色の帯を巻いています。

 

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V5編成 2009/8/13 松田

主電動機は373系で実績のあるC-MT66A形三相誘導電動機(出力185kW、端子電圧1,100V、電流125A、周波数86Hz、定格回転数2,525rpm)を使用し、MT比を1:1とすることで加速性能を向上させると同時に、10パーミル上り勾配での均衡速度は130km/hを確保しています。MT比は編成にかかわらず固定され、3両編成には主電動機数を半分にした車両が組み込まれています。また、制御装置は373系のGTO素子に代わり、東芝製IGBT素子によるVVVFインバータ(PWM制御、1両2群・1C2M方式)が採用されています。

台車は、211系の流れをくむ円錐積層ゴム式の軽量ボルスタレス台車(C-DT63A形/C-TR251形)であり、空気バネ位置に改良を加えられたほか、ヨーダンパを装備します。付随台車は1軸2ディスクブレーキを採用するとともに、踏面清掃装置を備え、踏面ブレーキを省略しています。また、全軸に滑走検知装置を備えています。

運転台は373系に準拠しており、貫通式であるためコンパクトにまとめられています。左手ワンハンドル式マスコン、右側にはタッチパネル式液晶モニタ装置を配備し、ボタン式のEB装置、定速制御を装備する。力行は5段、ブレーキは抑速ブレーキと常用ブレーキ7段、非常ブレーキの計9段階です。

ブレーキ制御は電気指令式です。回生ブレーキを主、空気ブレーキを従として、編成全体のブレーキ力を確保する「T車遅れ込め機構」を有しており、空気ブレーキの作動を抑制することで褶動(しゅうどう)部のメンテナンス軽減を図っています。また、回生ブレーキは同一き電区間内に力行車両がないと失効しやすいことから、発電ブレーキ機構を一部の番台区分に搭載しています。さらに、回生ブレーキが失効した場合でも、その不足分のみを空気ブレーキと発電ブレーキで補うブレンディング制御を採用しており、回生効率の向上と回生失効時における衝動の抑制を図っています。これらのシステムは373系のものを継承しています。電動空気圧縮機 (CP) は、実績の多いレシプロ(ピストン)式を採用しながらも、動力源を交流電動機に変更して騒音低減を図っています。

また、柔軟な運用にも配慮されており、在来車の211系、213系、311系と併結する際には、併結する系列に対して313系が性能(引張力)を合わせる設定とすることで、編成間の性能不均衡を防ぐ設計となっています。

 

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V6編成 2013/12/21 沼津

<静シスの313系>

御殿場線に投入される車輌は静岡車輌区(静シス)の配置で、V編成3000番台2両、W編成2300、2350番台2両、T編成2500番台3両、N編成2600番台3両があります。

まずV編成ですが、

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V1~V12編成は車内の配色は緑を基調とし、座席はクモハ313形の車端部と扉付近がロングシート、それ以外は固定クロスシートです。座席数は従来の車両と同程度を確保しています。扉間の窓配置はシートピッチに合わせ、不等間隔に4分割されています。

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V7編成 2013/2/21 山北

ワンマン運転設備として、出入口表示機、運賃箱、運賃表示機、整理券発行機、サイドミラー、自動放送装置を搭載しています。寒冷地で運用されるため、車内保温のための押ボタン式半自動扉機構を搭載するほか、クモハ313形は霜取りのためパンタグラフが2基搭載されています(製造当初より本番台のクモハ313形には準備工事がなされており、2006年度よりパンタグラフの増設工事を開始、同年度中に全車の増設が完了)。列車本数の少ない線区での運用を考慮し、発電ブレーキを搭載しています。静岡車両区所属のV1編成では、電気二重層キャパシタを用いた鉄道車両用電力貯蔵システムの試験が行われました。

1999年5月6日に営業運転を開始し、同年12月4日のダイヤ改正以後ワンマン運転を開始しました。

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V10編成 2013/12/21 御殿場

V13,V14編成は3100番台と称し、仕様は3000番台と同一であり、製造当初からパンタグラフを製造当初から2基搭載しています。

2006年8月7日に営業運転を開始しました。当初は123系の運用を置き換える形で身延線を中心に運用されましたが、同年10月1日のダイヤ改正から3000番台初期車と共通に運用されるようになり、御殿場線にも入線するようになりました。

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V12編成 2012/1/9 沼津

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V13編成 2013/12/31 甲府 (追記)

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V14編成 2014/1/2 入山瀬 (追記)

とりあえず、これまで撮影済みのV編成の写真をupdateしました。文章の作成ではWikipediaの記事を参考に致しました。
W、T、N編成に関しては次回以降の記事で触れる予定です。

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今回の旅、御殿場駅から少し西に向かって歩けば富士山が真正面に見えます。

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2013年12月29日 (日)

5両の保存D52を観に18切符で日帰り旅行 その5 D52 72号機 御殿場駅前

D52を観て歩く旅、今回は御殿場駅前のD52 72号機です。

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御殿場駅前の汽車ポッポ広場に保存されているD52 72号機 2013/12/21

この機関車は以前、駅から2km程の湯沢平公園に保存されていましたが、2010年9月28日から29日にかけて現在の場所に移されました。371系の写真を撮りに御殿場線を訪問した際に、湯沢平公園の訪問も考えたのですが、時間の関係で断念しておりました。

こちらも大変美しい姿をしていますが、形態的に沼津の136号機と何カ所か違いがあるのがわかります。

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デフレクターは点検窓のあるタイプです。

3本の砂撒き管は第二動輪前と第三動輪前後に出ているため、3本が斜め並行になっています。これは御殿場線で運用された際の後進運転に備えての形態的特徴とのことです。

モーションプレートは丸穴ではなく長い穴のタイプです。
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ボイラーは昭和34年2月に浜松工場で交換されたようです。

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御殿場線で活躍していた頃の写真ではシールビームタイプの前照灯を装着していましたが、今はオリジナルのLP403タイプを装着しています。

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現役時代の写真も展示されています。

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炭水車側のライトは136号機のように奥まって付いているのではなく、縁に装着されていましたが、ガラスがありません。また後部のナンバープレートもありません。

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ランボード上の四角い箱は清缶剤投入装置です。垂直のパイプは汽笛吹鳴のために圧縮空気を送り込むための展示用の仕組みですね。

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キャブに立ち入ることは可能で、炭庫の底にはストーカ(自動給炭装置)の穴がありますが、蓋がかぶせてありました。

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キャブ内、蒸気分配箱のバルブ類、水位計、メータ類もきちんと整備されています。

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136号機と違って耐寒仕様ではないため、空気分配弁にはカバーがありません。

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展示されている場所は線路のすぐ脇で、汽車ポッポ広場と命名されております。

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Wikipediaの御殿場線の記事によると、御殿場線分離後も御殿場駅には軍隊用ホームが設置され、多くの兵士が出征しました。沿線の小学校で教師をしていた富原薫氏はこの光景を見て、童謡『兵隊さんの汽車』を作詞したとされています。この童謡は戦後『汽車ポッポ』と歌詞が改められています。 その碑が機関車の横に展示されています。

最後にこの機関車の履歴を沖田祐作氏の機関車表から

D5272      川崎重工兵庫工場=2976        1944-05-26(5/9?) S84.30t1D1T(1067)
   車歴;1944-05-26(5/9?)製造→ 納入;国鉄;D5272→ 配属;広島局→1944-06-03 配置;下関→
      1944-06-08 使用開始→1946-01-03 新鶴見→1946-00-00 特休;沼津→
      1954-12-16 国府津→1955-12-05 装備改善(浜松工場)→
      1958-12-26 新缶に交換(浜松工場製= 浜松工場施工)→
      1968-08-08 廃車[関東支社達56];国府津→
      1978-07-00 静岡県御殿場市「湯沢平公園」;D5272

この機関車は新製後、新鶴見配属を経て、終生、御殿場線で活躍し、廃車後も国府津機関区のランドハウス内で保存されていました。

その姿を1975年3月4日、下関まで乗車した急行「高千穂・桜島」の車内から撮影していました。

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再掲ですが、その写真を。 1975/3/4

ごてんばせんネットの情報によるとこの扇形庫はサンゴニッチというフランス人 技師の設計によるもので、中世ヨーロッパの古城や教会を連想させる優美な姿でした。確かにそう言われるとそう感じます。

以上です。

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2013年12月28日 (土)

5両の保存D52を観に18切符で日帰り旅行 その4

D52を観る旅、高沢公園を後にして、沼津駅に戻り、9:51発の国府津行(2538G 313系3000番台V6編成 2連)に乗車し、次なる目的地、御殿場に向かいました。列車番号にGが付いているのはワンマン運転の意味のようです。

ここで御殿場線の歴史について触れてみようと思います。

1889年2月1日 東京~大阪間の幹線の一部として国府津~御殿場~沼津~静岡間が開通

1891年1月12日 御殿場~沼津 3月1日 小山~御殿場 複線化

1896年4月1日 東海道線と命名

1901年2月5日 国府津~山北 6月11日 山北~小山 複線化完成

1909年10月12日 主な幹線を本線と呼ぶようになり東海道本線に

1912年 富士裾野演習場が開設、物資、兵員輸送に活用

なんといっても当時の非力な蒸気機関車にとって、山回りの東海道本線は勾配のきつさが最大のネックで、その時代毎の最新鋭の機関車が投入されました。また、連結器の強度の問題から中間に補助機関車を挟んだり、あるいは平坦区間で連結されていた食堂車を切り離すといった措置も採られたそうです。

1918年 熱海線建設開始

1934年12月1日 丹那トンネル開通、東海道線のルートは熱海線経由に

1943年7月11日 山陽本線の柳井線ルートの複線化、横須賀線の横須賀~久里浜間の建設、樽見線への橋梁の転用のため、単線化

今でも沿線に、複線規模なのに単線という風景を見ることができます。

1955年9月1日 旅客列車に気動車導入
    10月1日  小田急電鉄の新松田~松田間の連絡線が開業

山北の記事で登場しますが、ディーゼルカー運転記念碑も残っており、ダブルエンジンのキハ50形はここが発祥の地でキハ51、52、55、58形式と発展していったのですね。小田急の当初の準急「あさぎり」の乗り入れ車両はキハ5000形でした。1968年6月30日に気動車準急は終了。

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再掲ですが、153系編成に連結されて保土ヶ谷付近を下る165系3連の急行「ごてんば」編成

1968年7月1日 全線電化 急行「ごてんば」運転開始、当初は165系3両編成で、1981年10月1日から167系4両編成に、1985年3月14日に廃止

小田急は電化とともに急行「あさぎり3000形SSE車で乗り入れ、1991年3月15日に急行としての運行は終了

1979年10月16日~18日 72系電車「さよなら」運転

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御殿場線で活躍していたスカ色の72系 1977/9/23 沼津

通年半自動ドア扱いであり、4両編成の中間に入る付随車には便所が設置されていました。

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クモハ73900先頭の編成 1977/9/23 沼津

クモハ73900はクモハ73174からの改造だそうです。

1987年4月1日 国鉄民営化でJR東海に 神奈川県内で唯一JR東海の管轄に

1991年3月16日 「あさぎり」特急化

1999年6月1日 313系を投入 12月4日 一部列車でワンマン運転開始

2007年2月14日 115系の定期運転終了 3月18日 113系の定期運転終了

1152000_b02_050821

こちらも再掲ですが、JR東海の115系 おそらくこの2000番台が御殿場線でも活躍していたのでは 2005/8/21 島田 

119系するがシャトル編成が乗り入れていたこともありました。

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以前、沼津に同じ時間帯に到着して20000系見つけて撮影しようとしたところ、カメラを準備している間に車庫に回送するため動き出してしまい慌てて撮ったのがこの写真でした。 2009/8/13

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20000系の写真、「はこね」の写真は何枚かありましたが、「あさぎり」はあとこの1枚でした。 2009/10/10 代々木上原

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谷峨を通過する371系 X1編成 2009/8/13 この駅は素敵な駅舎も魅力ですね。

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千歳船橋を通過する371系 2009/10/10 あさぎりの運用を引退してもまだ廃車にはならず臨時列車等で活躍しているのは嬉しいことです。 

2012年3月17日 「あさぎり」沼津~御殿場間廃止、371系・20000形「RSE」による相互乗り入れから60000形「MSE」による片乗り入れとなりました。 

E231系1000番台も山北駅まで乗り入れていましたがJR東日本との直通運転も廃止されました。

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山北駅裏の鉄道公園でD5270号機を撮影していたら、60000形MSEの「あさぎり」が通過して行きました。展示機関車用のカメラで撮ったもので広角過ぎる写真です。 2013/12/21

ということで、10:25、沼津から30分強の乗車で御殿場に到着しました。

車窓からは白く雪を戴いた霊峰、そして今年 世界遺産に認定された富士山の風景を満喫することが出来ました。

今回はここまでです。Wikipediaの記事を参考に纏めました。

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2013年12月27日 (金)

5両の保存D52を観に18切符で日帰り旅行 その3 D52136号機 高沢公園

今回は、旅行記のなかに公園保存蒸気機関車の話題を入れて、進行して行こうと思います。

まずは、沼津市の高沢公園に保存されているD52 136号機の話題から行きます。

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D52 136号機 沼津市高沢公園 2013/12/21 地図はこちらYahoo地図

今回、見学したD52はどれも非常に美しく整備されていました。NECO BOOKSから出版されている鉄道車両ガイド vol4はD52とD62の特集ですが、この機関車に関する記事があります。

136号機は東海道、山陽線で使用後、1960年に北海道に渡ったグループの一台で、渡道後密閉キャブ等の耐寒装備が施されたとのことです。なおこのように密閉キャブに改造されたのは、56,136,201,235号機の4両だけだったそうです。デフレクターは標準タイプですが、点検窓は無いタイプです。

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前照灯はオリジナルのLP42タイプ、スノープラウが装備されていますが、ナンバープレートは字体からレプリカが装着されています。なんといっても正面から見ても分かる、ボイラーの太さ、迫り来る感じがD52の最大の特徴です。

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第二動輪の上に位置する逆転機を構成するモーションプレートですが、このタイプは大小の丸穴が2個のタイプです。またスノープラウもしっかりした支持棒で装着されているのが分かります。

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炭水車のライトはかなり奥まった位置に取り付けられています。後部のナンバープレート、標識灯はありませんが、ボディをよく見ると

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D52101もしくは107と見えます。

因みにこの機関車の経歴を調べると(データは沖田祐作氏の機関車表から)

D52136     汽車製造大阪工場=2436      1944-08-31(3/30?) S84.30t1D1T(1067)
   車歴;1944-08-31(3/30?)製造→ 納入;国鉄;D52136→ 配属;名古屋局→ 配置;稲沢→
      装備改善→1953-11-28 吹田→1954-11-05 借入;米原→ 返却→ 集煙装置取付(鷹取工場)→
      1956-11-07 姫路一→1957-08-28 新缶に交換(鷹取工場?)→1960-01-00 旋回窓取付(左側)→
      1960-10-06 五稜郭→1960-10-24 耐寒工事施工/ 集煙装置撤去(苗穂工場)→
      1962-03-00 運転室を密閉式に改造→1965-03-00 旋回窓取付(右側)→
      1973-05-23 廃車;五稜郭→ 保存;静岡県沼津市「高沢公園」;D52136

101号機は製造後、長く広島におり、136号機との接点はありませんが、107号機は1949年3月に廃車になるまで吹田におりましたから、炭水車は107号機のものを引き継いだのでしょうか。

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案内板には沼津市が要請して設置に至った経緯なども書かれています。

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密閉キャブのため、炭水車の前縁はカーブでの衝突を防ぐため後退角がが付けられています。キャブ下の空気分配弁にも耐寒カバーが付けられています。

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キャブに入ることは不可能ですが、ドアの下の隙間にレンズを差し込んで写真は撮ることが可能でした。下から立ち上がっている太い管が自動給炭装置ストーカーです。

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炭水車の台車はLT204で車輪は3軸がプレートタイプです。これまで観てきた蒸気機関車のスポーク車輪とは違って重厚な雰囲気があります。

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2013年12月26日 (木)

5両の保存D52を観に18切符で日帰り旅行 その2

5機のD52保存機を観て回る旅、行程はまず沼津まで行き、そこから御殿場線を戻り、国府津へさらに、平塚へ、茅ヶ崎で相模線に乗り換え、橋本へ、そこから横浜線で淵野辺へというルートを辿りました。

つくばの自宅を5時過ぎに出発、荒川沖5:27の常磐線上りの初発電車1320Mで上野に向かいます。この電車は週末撮影旅行などで再三利用しております。上野到着は6:27ですが、日暮里で京浜東北線か、山手線に乗り換え、東京に。東京駅では朝食用に弁当を購入。

東京駅では8番線ホームに小田原行き733M E233系3000番台が入線しております。これまでも18切符の旅で名古屋、関西方面に出かける際によく利用していますが、小田原まで乗車すると折り返しのため接続列車と異なるホームに到着するため、ひとつ手前の鴨宮(8:05)で下車。

20131221
鴨宮のホームからは冠雪した富士山が綺麗に見えました。 2013/12/21
といってもフォーカスは富士山でなく、手前の架線に合っています(笑)。

さらに、733Mを追うようにTOYOTA Cargoの2053列車が貨物線を下って行きました.牽引機はEF210-170でした。程なく、熱海行き737M E231系が到着、この列車は平塚発です。熱海までの27分ほどの乗車となりました。熱海では7分の接続で、8:47発 429M JR東海の313系+211系に乗り換え。函南、三島と停車して、沼津到着は9:05でした。荒川沖から3時間半で静岡県の沼津に到着しました。

2115000_gg4_131221
6分間の停車後沼津を出発して行く429M 313系T15+211系GG4編成 2013/12/21

090813
沼津はこれまで鉄道でもあるいはクルマでも再三、訪れていますが、ここで下車するのは初めてかも知れません。

Ef210153_120109_12
この写真は今回の旅行ではありませんが、東海道線を行く貨物列車、あるいは牽引機もよくここで撮影したものです。 EF210-153(岡) 2012/1/9
拙blogにおいてもEF60 125号機、511号機、513号機 EH10 下枠交差型パンタ機の写真などを掲載しました。

最初の目的地、高沢公園は沼津駅北口を出て、徒歩10分程度のところにあります。

131221
沼津駅北口 

駅のロータリーの先の太い道路を静岡方面に1ブロック半ほど歩いたところに最初の目的地、高沢公園はありました。

131221_2
高沢公園の前の表示 2013/12/21

今回はここまでです。

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2013年12月25日 (水)

5両の保存D52を観に18切符で日帰り旅行 その1

12月21日は御殿場線方面へ、23日は常磐線を北へ福島県の湯本まで、保存蒸気機関車に会いに行く日帰り旅行を致しました。

21日は静岡、神奈川両県に静態保存されているD52 5両を観るために、沼津、御殿場、山北、平塚、淵野辺と回りました。

私が初めてD52の存在を知ったのは、朝日新聞社の年鑑「世界の鉄道」で1973年版の蒸気機関車の特集がD52とD62でした。

73
この本にはD51と似た形をしていながら、太いボイラー、前方にせり出した短い煙突など力強い蒸気を印象づけたD52,D62の勇姿が満載されていました。活躍のシーンは瀬野~八本松間での補機、特に特急「かもめ」のヘッドマークを炭水車に掲げての姿は誇らしげであり、電化前の御殿場線を行く姿、あるいは雪の函館本線の走行シーンも印象的でした。我が国の蒸気機関車の中では最大の出力を発揮し、動輪周囲の最大定格出力は1660馬力でした。D51は1400馬力です。

<D52形蒸気機関車>

太平洋戦争中、国内の貨物輸送は貨物船の供出や機雷封鎖により、船舶による輸送力が不足し、鉄道貨物需要が逼迫しました。そういった状況に対処するために1200トン貨物を牽引することができ東海道、山陽、函館、室蘭本線で運用するためにD51を改良して誕生した形式がD52でした。

戦時中のため物資が極端に不足していたため、戦争完遂までの数年間活躍できれば良いという戦時設計でした。特に銅系の材料を節約し、木材などで代用したため造りとしては非常に質の悪いものとなりました。当然、本来の出力を出せない車両が多く製造されました。

ボイラーは用材の幅広鋼材が不足したため、缶胴の長さを変えることで、用材の寸法取りを合理化しました。その結果、3種類の長さのボイラーができあがり、原設計のものが甲缶に対して、短いものは乙缶、丙缶とされました。煙間長5000mmは決まっていたので煙室長で調節したそうです。基本的には鋲接で組み上げ、将来の増圧(18kg/cm2)に備えて2鋲式が原則でしたが、乙缶、丙缶では1列鋲で長手継手を溶接で製造するといった簡略化も図られました。

製造は民間メーカ-5社(日本車輌製造、川崎車輌、日立製作所、汽車製造、三菱重工業)、2カ所の国鉄工場工機部(浜松、鷹取)で行われました。当初は492両の製造予定でしたが、終戦で285両で打切りとなりました。

表1に番号と製造所ごとの割り当ての関係を表示します。

Table_1_d52表1 D52 の番号と製造割り当て

セルの色は製造年度を意味しており、黄色が1943年度、緑が1944年度、青が1945年度で、無色は番号が割り当てられたものの終戦で未製造となったものです。151、152号機は三菱重工業で製造予定でしたが、川崎車両に振り替えられました。

続いて、製造された285両が全機登場した時点、1946年3月末の配置表を表2に示します。

Table_2_194603_d52
表2 1946年3月末時点での配置表 285両

こうやってみても、D51の場合とは違って、軸重の関係もあり、入線できる線が最初から限定されていることが分かります。

戦争中の酷使と、工作不良でボイラー爆発などの事故が3件も発生したため、一旦全車の使用がが停止となり、ボイラー検査が実施されました。その結果、事故車と状態不良車、55両が1950年までに廃車となりました。また、下記の改造用の70両を除いた160両のうち、D52 12, 96, 126, 131, 146, 216, 222, 340, 417, 419, 456, 460の12両を除いた148両が1951年以降、浜松工場、鷹取工場ならびに広島工場において、代用材を標準材に取り替え、ボイラーを順次新製された甲缶に交換するとともに、自動給炭機(メカニカルストーカー)設置などの装備改造を行うことによって、ようやく当初の設計どおりの性能を発揮できるようになりました。一方、装備改造から漏れた12両は、除煙板や歩み板、石炭庫側板等の木製部を鋼板製に取り換えた程度で、自動給炭機も装備されず、戦時型の面影を強く残していました。

軍事輸送の終了で貨物機に余剰が出始め、一方、旅行制限の撤廃と旅客需要の急増に対処するために1948年から1949年にかけて49両(D52の種車は50両)のC62形式がD52のボイラーと、C59の足回りに従台車を2軸西他方式で登場しました。また1950年から1951年にかけて、従台車を2軸化して軸重を軽くしたD62形式に20両が改造されました。表3にそれらの番号対応を載せます。

Table_3
D52の1950年までの早期廃車(55両)、C62への改造、D62への改造

C62 24号機はD52 106号機と233号機 乙缶と丙缶のボイラーを組み合わせて1両分の良品を捻出したそうです。

戦後しばらくして、函館・室蘭本線からはいったん撤退し、東海道・山陽本線をはじめ御殿場線、岩徳線、鹿児島本線(門司 - 鳥栖間)で運用されました。また一部は瀬野八の後部補機として使用されていましたが、そこの配置車には自動給炭機が装備されていないものもありました。

最終的には一部が再度北海道に渡り、函館・室蘭本線で1972年まで使われました。最終使用は1972年12月で、稼動状態で最後まで残ったのはD52 202号機1両でした。

そういった生涯において、御殿場線沿線、そして神奈川県に5両、トップナンバーがJR貨物広島車輌所、ラストナンバーの468号機が梅小路蒸気機関車館に保存されており、468号機は梅小路で見学しておりましたが、今回の旅行では

D52 70 - 神奈川県足柄上郡山北町「山北町鉄道公園」(山北駅前)

D52 72 - 静岡県御殿場市御殿場駅前ポッポ広場

D52 136 - 静岡県沼津市「高沢公園」

D52 235(138) - 神奈川県相模原市「鹿沼公園」 現車は138号機ではないか、との説がありましたが、2009年8月、「相模原D52保存会」の手により整備された際、現車のロッドに235号機の刻印があるのが発見されました。

D52 403 - 神奈川県平塚市「文化センター」

を見ることができました。

今回の記事はD52に関する予備知識ということで、Wikipediaの記事を参考に纏めました。

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2013年12月24日 (火)

西武鉄道 赤電の時代 701系 その3

西武鉄道、赤電の時代、701系の3回目ですが、今回はいわゆる後期タイプの写真を紹介したく思います。

701_2_2
前の4両 拝島行き 後の2両 多摩湖行き の時代 武蔵関~東伏見

701_1755_80812
755F 1980/8/12 萩山 西武遊園地発小平行きの4連 昼間の萩山での分割併合がなくなり、多摩湖線は小平~西武遊園地間で折り返しになった頃でした。

701_1756_80812_2
同編成の反対側、クハ1701形の前面が強化されているのも分かります。

初期タイプに対する形態上の変化は、乗務員室扉、両側の手摺りが埋込タイプになり、全幅もそれまでの2930mmから2865mmになっています。また前面強化対策も747Fまでは未施行で登場し、1970年頃に施行されたのに対して、こちらは最初から施行済みで登場しました。

701系の編成毎の竣功日のデータがありました。
出典は保育社 私鉄の車両6 西武鉄道です。

701F~707F   1963/12/24
709F           1964/1/30
711F           1964/2/25
713F           1964/4/10
715F           1964/5/8
717F           1964/6/5
719F           1964/6/30
721F           1964/7/30
723F           1964/8/18
725F           1964/10/29
727F           1964/11/21
729F           1964/12/23
731F           1965/1/26
733F           1965/2/20
735F           1965/3/16
737F           1965/4/9
739F           1965/5/2
741F           1965/5/28
743F           1965/6/19
745F           1965/7/13
747F           1965/8/7
749F~761F   1966/3/29
763F           1966/4/21
765F           1966/5/17
767F           1966/6/9
769F           1966/6/30
771F           1966/7/23
773F~777F   1966/12/10
779F           1967/1/9
781F           1967/1/28
783F           1967/2/18
785F           1967/3/16
787F           1967/4/8
789F           1967/5/9
791F           1967/5/27
793F           1967/6/20
795F           1967/7/15

701_800524
小平駅の引き上げ線に入る多摩湖線用4連 ここにはデッドセクションがあることも分かります。 1980/5/24

前回の記事で記述したように701系は全編成とも西武所沢車両工場で製造されており、1編成に要する日数は間隔から判断して26日程度だったようです。
747Fの後、749Fでマイナーチェンジが行われていますが、上記の竣功日のデータも749Fの竣功まで7ヶ月半のブランクがあります。恐らく工場の方ではその間もコンスタントに製造は続けていたのかと思いますが、事務手続き上、701系の続番で行くのか、あるいは新系列名にするのかでタイムラグがあったのかも知れません。あくまで勝手な想像ですが。

701_3
東長崎を通過する飯能行き準急 この頃の東長崎は今と違い、南側に電留線がありましたが、通過待ちの出来る駅ではありませんでした。

701
江古田を出発する701系の各停 この頃は江古田が池袋線の石神井公園~池袋間の追い越しの出来る駅でした。

701
国分寺線 国分寺駅 この頃は国鉄とはフリーパスでした。

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2013年12月23日 (月)

西ベルリンの思い出 BA British Aerospace ATP G-BTPA etc

西ベルリンのテーゲル空港で撮影した旅客機のシリーズ、今回はBritish Aerospace が製造したATPです。

Gbtpa_cn_2007_british_aerospace_atp
G-BTPA cn 2007 British Aerospace ATP 1989/4/8 TXL

我が国ではあまりなじみの無いタイプですが、1910年1月1日に創設された世界初の航空機会社Avro(アブロ)が開発したターボプロップ機Avro748もしくはHawker Siddeley 748 (後日、Dan Airの時に紹介予定)の発展形として当時、低騒音で燃費の良い短距離用ターボプロップ機の市場が拡大するとの予想のもとに改設計されたものです。我が国のYS-111980年代に再設計されたと思えばよいかと思います。

改良の項目は、胴体の延長、主翼や機首部分の再設計、エンジンの換装(ロールスロイスDartsからP&W PW126)、プロペラを4枚羽根から6枚羽根などにしたことです。定員はシート配置により、64名から72名でした。

初飛行は1986年8月6日で、1988年ブリティッシュ・ミッドランド航空の路線に就航しました。このクラスにはデ・ハビランド・カナダDHC-8パンナムエクスプレスの時に紹介したATR42などの先行ライバル機が存在したため受注が振るわず、1996年に通算64機で製造が打ち切られました。

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G-BTPA  前脚が長く胴体が少し前上がりなのが特徴です.。 1989/4/8 TXL

2001年には貨物機転用のプロジェクト(ATPF)も開始され6機がコンバートされ、West Air Swedenで活躍を始めました。同タイプの初飛行は2002年7月10日でした。

2011年11月の時点で40機が現役で活躍しており、West Air Sweden (12), Atlantic Airlines (12), NextJet Sweden (4), Deraya (2) Air Go Airlines (1)となっており、NextJet Swedenの1機のみが旅客用として現役です。

派生型として、ATPのプロトタイプG-PLXI (ser no 2001)を改造し、1994年5月10日に初飛行したJetstream61があり、量産型4機 (cn 2064-2067)の製造が進められましたが、ATR72への生産参加で1995年1月26日にキャンセルとなりました。その他、対潜哨戒機用としてMaritime ATP, 早期警戒機ATP-AEWなども提案されましたが、計画で終わりました。

Gbtpa_cn_2007_british_aerospace_a_3
G-BTPA なんといっても最大の特徴は6枚羽根のプロペラかと思います。

過去に保有した航空会社は以下の通りです。

Air Wisconsin
Asian Spirit
Biman Bangladesh Airlines[2]
British Airways
British Midland
British World Airlines
Loganair
Manx Airlines
Merpati
SATA Air Açores
Sun Air of Scandinavia
Aireuropa Express
United Feeder Service

これらの中でBritish AirwaysとManx Airlinesの機体は撮影しています。

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手前がG-BTPC (cn 2010)奥がG-BTPA 1989/6/25 TXL

British Airwaysとしては当時、ブレーメン線、グラスゴー線、ハノーファー線、マンチェスター線、ミュンスター・オスナブルック線、シルト線など、ロンドン線、フランクフルト線、ミュンヘン線などに較べて乗客が少ない線にATPを投入していたと思われます。

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2013年12月22日 (日)

公園保存蒸気 C12 29 大宮 山丸児童公園

全国の公園等に静態保存されている蒸気機関車を見て歩く旅、今回はさいたま市大宮区の山丸児童公園のC12 29号機です。地図はこちらYahoo地図

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C12 29号機 デフレクターなしのオーソドックスな姿 2013/11/24

C12_29_131124_19

大宮駅の東口を出て線路に沿って南下し、徒歩約10分で到着します。大宮市民会館、合同庁舎などのすぐそばです。

131124
かつて大宮停車場、大宮工場を誘致した元大宮町長白井助七氏の功績を記念して大宮市役所におかれていたそうですが、現在はここ山丸児童公園に移されています。

C12 29号機の履歴です。いつものように沖田祐作氏の機関車表のデータからです。

C1229      日立製作所笠戸工場=470           1933-02-28 S50.00t1C1t(1067)
   車歴;1933-02-28 製造→ 納入;国鉄;C1229→ 配属;? → 配置;? →1941-03-31 現在;滝川→
      1945-09-30 現在;滝川→1949-03-01 現在;渚滑支区→1955-08-01 現在;横浜→
      1959-02-00 大宮工場→1969-00-00 廃車;大宮工場→
      保存;埼玉県大宮市「大宮市役所」;C1229(山丸児童公園= 市民会館)

1933年の製造後、北海道に配置となり、その後関東に移り、大宮工場での入れ換え機として活躍したようです。

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履歴を詳しく説明した案内板も準備されています。

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後部のライト、ナンバーのきちんと装着されています。

余談ですが、この地域は中山道の宿場町で、塩地蔵尊もありました。

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中山道史蹟散歩の案内表示

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塩地蔵の3体

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ちゃんと塩が供えられていました。

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2013年12月21日 (土)

2013 夏 新潟の旅 13 EF510 基本番台 19号機

EF510の基本番台シリーズ、今回は19号機です。

甲種回送日は2009/7/7とのことです。

Ef51019_101024
青森信号所を8時53分に出発し、手前の青森駅からの線と合流し、奥羽本線を南下する4094列車牽引中の19号機です。 2010/10/24

4094列車は札幌タ発、名古屋タ行です。

Ef51019_101210
千里丘を通過するEF510とEF210-100番台の単機重連です。 2010/12/10

面白いことに、EF510、EF210両者シングルアームパンタではありますが、関節の向きが逆向き、即ちEF510が> < なのに対してEF210は< > となっています。

これには意味があるそうで、進行方向→に対して 

>  向き  と 
<  向き  とでは抵抗が若干、後者の方が大きいので

常時両方のパンタを上げる直流機では< >として、通常は交流区間で後方のパンタを上げる交直両用機では後方パンタが進行方向→に対して>になるように関節を内側にしているそうです。(といったやりとりがやぶおさんの掲示板でありました)。

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2013年12月20日 (金)

485系 「雷鳥」 2003年9月から終焉まで その2 A2編成

485系特急「雷鳥」のシリーズ、その最終段階2003~2011年の第2回ですが、今回はA2編成です。

まず2007年冬頃の編成内容です。

Tc   M'   M    M'   M    T    M'   M    Tsc
801 232 128  72   72  501 1029 505 2002

編成データから想像できますが、この編成の最大の目玉は金沢方の先頭車、クハ481-801かと思います。2003年ダイヤ改正前まではA1編成に組み込まれていた車両ですが、この改正からA2編成になりました。言わずもがなですが、かつて特急「くろしお」に485系4連が投入された際に改造されたクハ480の再改造版です。

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早朝の山崎を通過する雷鳥回送編成、京キトからの回送のため編成の向きは逆です。2005/8/22

485_a02_060618
岸辺の大カーブを行く雷鳥 2006/6/18

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千里丘を通過する雷鳥回送編成 2006/6/19

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東淀川の北方貨物線を通過する雷鳥回送編成 2006/6/24

クハ481の中では「なんだこの顔は!」の異色車両でしたが、もう見られないとなると一抹の寂しさもあります。

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2013年12月19日 (木)

西武鉄道 赤電の時代 701系 その2

西武鉄道の赤電、今回は701系の2回目です。

701_800518
国分寺線 恋ヶ窪駅に到着する国分寺行き電車 台車は既にFS072に換装されていますが、乗務員室扉横の掴み棒の形態から747Fまでの初期タイプと分かります。 1980/5/18

主要な機器に関しては、登場時においては601系と大差なく、中間電動車は2両を1ユニットとし、奇数車に電動発電機 (MG) ・電動空気圧縮機 (CP) などの補助機器を、偶数車に制御装置・抵抗器などの走行関連機器をそれぞれ分散して搭載しました。

制御装置は電動カム軸式の抵抗制御・直並列組合せ制御MMC-HT-20Aを採用し、偶数車に搭載しました。電動車2両分・計8基の主電動機を、4基直列繋ぎの2群として直並列制御を行う1C8M制御仕様でした。制御段数は起動1段・直列10段・並列7段・弱め界磁5段の力行制御のみで、発電制動機能はありませんでした。

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平日の朝の通勤用の10両編成が下り回送電車となって基地に戻るシーンです。 1981/8/4  井荻駅 この駅では、このように下り電車を待避させておいて、下りの準急や急行が手前の上りホームを通過して追い抜くという大胆きわまりないシーンが見られました。その際の上り電車は背後の線に停車していましたが。この701系も初期型です。

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同回送電車の後姿 奥にみえるポイントがこの駅での追い抜きに重要な役割を果たしていました。 後の4連も701系初期型でライトも白熱灯のようです。

主電動機は直流直巻電動機HS-836-Frbを採用し、電動車1両当たり4基搭載し、定格出力は120kW(端子電圧375V時)、駆動方式は撓み板継ぎ手式中空軸平行カルダン、歯車比は5.60 (84:15) でした。

電動車の台車は、601系同様に国鉄DT21台車と同等品である住友金属工業製ウィングばね式金属ばね台車FS342(固定軸間距離2,100mm)を装着しました。

701_811003

所沢駅を後にする急行西武新宿行き この頃から列車種別表示のプラスティック板が少し大きくなりました。 1981/10/3 初期型の701系

制御車の台車については、国鉄払い下げ品である省形釣り合い梁式台車改造のTR11Aを装着しました。601系同様、単なる中古品流用ではなく、原形では板材組み合わせによって構成された軸箱守(ペデスタル)部を強度の高い一体鋳鋼製部品に置き換え、軸受部をコロ軸受(ローラーベアリング)化するなど改修を施工した上で転用されました。

制動装置は601系と同一のA動作弁による自動空気ブレーキに電磁給排弁を付加して制動応答性の向上と在来車との互換性の両立を図ったAMAE (ACAE) 電磁自動空気ブレーキを装着しました。

集電装置は当時の西武における標準機種である、工進精工所製の菱形パンタグラフKP-62Aを採用し、偶数車の池袋・本川越寄りに各1基搭載しましたた。国鉄101系などとは異なり、モハ2両ユニットの外側パンタ方式となりました。

補機類に関しては電動発電機 (MG) は、直流出力仕様の国鉄制式電動発電機MH77-DM43(定格出力3kW)を1両当たり2基、奇数車に搭載しました。電動空気圧縮機 (CP) は、MH16B-AK3(通称「AK3」、定格吐出量990L/min)を採用し、奇数車に1両当たり2基搭載しました。

制御車の台車は落成時からTR11Aで電動車モハ701形と比較して乗り心地が劣ったことから、1969年以降、当時最新のダイレクトマウント式空気ばね台車であるFS072への交換が順次実施されました。また1970年以降、落成当初前面強化対策が未施工であったクハ1701 - 1748に対して、前面腰板部の厚板化による補強工事が施工されました。さらに一部編成については、電動発電機 (MG) を801系と同一のMG-534-Mrbに換装し、低圧電源の交流化が実施されましたが、こちらは全編成には普及せず、後述冷房化改造まで低圧電源が直流仕様のままであった編成も存在しました。

その他、747編成は101系新製に先立つ1968年9月から翌1969年2月までの期間、同系列に採用された車体塗色の試験塗装が実施され、レモンイエローとウォームグレーの2色塗装に変更されました。同編成においては101系とは異なり客用扉部分も車体と同色に塗り分けられたため、若干印象が異なる外観を呈しました。

この塗色があったことは後年、寺田牧夫様の轍楽之路 西武鉄道画像保管箱 掲示板の情報等で知りましたが、実際にみたことはありませんでした。1968年9月からということは中学1年の時で、杉並区に住んでおりましたが、もっぱら中央線方面がメインで西武線とは疎遠だったからかも知れません。今のように情報が入手しやすければ、すぐにでも自転車で沿線に駆けつけたとおもいますが(笑)。

以上、Wikipediaの記事を参考に致しました。

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2013年12月18日 (水)

西ベルリンの思い出 BA Boeing 737-236 G-BKYK

西ベルリンのテーゲル空港で撮影した航空機の写真を紹介しながら関連エピソードについて記述しているシリーズ、今回はBritish AirwaysBoeing 737-200シリーズの6回目で、最終回となります。

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G-BKYK (cn 23169 ln1081) Boeing 737-236Adv 1988/10/23 TXL

航空会社の思い出となるとついつい事故の話題になってしまうのですが、Boeing 737-236型が起こしてしまった事故について今回は触れようと思います。

British Airwaysの子会社で前回の記事でカレドニアン航空の項で紹介したチャーター便の運航を行っていたBritish Airtoursが起こした事故が一件あります。

1985年8月22日、思えば日航ジャンボ機123便の御巣鷹山墜落事故から僅か10日後にマンチェスター空港で発生した事故です。

同日の早朝、British AirtoursのKT28M便(Boeing 737-236 G-BGJL"River Orrin" )は乗員6名(ピーターテリントン機長、ブライアン・ラブ副操縦士他)、乗客131名を乗せ、ギリシャのコルフ島国際空港に向けてマンチェスター空港のRWY24を離陸しつつあった午前6時12分、左の第一エンジンがトラブルを起こしました。操縦士は直ちに離陸を中断し、誘導路上に機体を進めましたが、機体が炎上したため、乗員乗客15名がやけとなどで重傷を負い、機内からの脱出が遅れた54名が有毒ガスを吸うなどして犠牲(1名は事故から6日後に死亡)となりました。

原因はエンジンのファンブレード(combustor)No9が熱疲労で破断、飛散し燃料タンクを損傷、漏れ出した燃料に引火したことでした。 機体停止後も燃料漏れが続いたため機体にも燃え移り、犠牲者の多くはそれにより発生した有毒ガスで死亡しました。また、操縦士がエンジン爆発による衝撃音をタイヤのパンクと誤認し、ブレーキを強くかけなかったため停止まで時間がかかったことや、煙により非常口を開くのに手間取り機内が混乱したことも犠牲者を多くする要因となったと考えられています。

なお、逃げ遅れの原因として『脱出テスト時にパニックを想定していなかった』事も挙げられており、脱出しようと通路や出口に殺到したため、結果スムーズな避難が行えなかったようです。

Gbkyk_cn_23169_1081_boeing_737236_2
G-BKYK

この事故を教訓に、難燃性のシートカバーの装着、床の案内灯の設置、耐火性の内壁、天井パネル、消火器の増設、明快な脱出手順の表示が義務づけられました。

以上、英語版のWikipediaを参考に記事に纏めましたが、私がこの事故のことを知ったのはNational Geographics Channelで放映されているMaydayシリーズ "Panic On The Runway" で見たのが最初でした。

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2013年12月17日 (火)

公園保存蒸気 39685 さいたま市中央区役所

日本全国の公園等に静態保存されている鉄道車両を見て歩くシリーズ、今回はさいたま市中央区役所の構内に保存されている9600形の39685号機です。地図はこちらYahoo地図

39685_131124_2
これまで見てきた九州の9600が門鉄デフだったり、デフなしだったりするのに対して、こちらは正調の大型のデフを装備しています。 2013/11/24

9600形式の保存機に関してはこれまでに九州の福岡市の貝塚公園の49627号機北九州市若松の久岐の浜広場の19633号機を見て参りましたが、関東地方にも9600形式は何両か保存されております。

さいたま市中央区というのはほぼ旧与野市に相当する地域で、この場所もかつての与野市役所だったそうです。2001年5月1日の浦和市、大宮市、与野市の合併、さらに2003年4月1日の政令指定都市指定で中央区となりました。

39685_131124_5
9600形式は大きなボイラーを小半径の動輪上に載せているため、甲虫という愛称が付けられたそうです。

それではこの機関車の車歴を見てみましょう.データはいつものように沖田祐作氏の機関車表からです。

39685      川崎重工兵庫工場=538            1920-02-00 S59.80t1DT(1067)
   車歴;1920-02-00 製造→ 納入;国鉄;39685→1920-02-10 使用開始[門鉄達272];大里→
      1927-04-01 現在;鹿児島→1933-06-30 現在;大分→ 行橋→1950-09-00 頃転出→
      1964-04-01 現在;坂町→1971-11-29 廃車;坂町→
      保存;埼玉県与野市「与野市市役所」;39685

最初は九州日豊本線などで活躍し、米坂線で最後を迎えたようです。

39685_131124_6
煙室扉は補強されているのか二重になっています。

39685_131124_10
表面には錆の浮き出しも見られます。

39685_131124_24
旧与野市はバラで有名なそうで、この機関車もバラに囲まれて余生を送っていました。

131124
ちなみに旧与野市の痕跡は足元のマンホールの蓋に残っております。 2013/11/24

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2013年12月16日 (月)

2013 夏 新潟の旅 13 EF510 基本番台 18号機

EF510の基本番台のシリーズ、今回は18号機です。

ネットの鉄道関係のニュースサイトの情報によれば、今年3月の改正で常磐線貨物運用の任を解かれ、田端機関区から富山機関区に転属したEF510-500番台も新天地で運用を開始したようですね。

18号機の甲種回送は2009/5/27だそうです。

Ef51018_120915
向日町にて 2012/9/15

EF510の基本番台に関してはこれまで関西出張や新潟、北陸、青森方面への旅行の際に撮影して来ましたが、昨年夏時点で撮ったナンバーを確認したところ、18号機だけが抜けていることに気付きました。ちょうど9月に京都に出張する機会があり、逢えるかなと思っていつもの3095列車を狙って来たのが18号機でした。

Ef51018_130807
この夏、笹川流れで有名な羽越本線桑川駅で下車して写真を撮り、駅横のレストランで昼食を摂っていた際に駅中線に入線してきた4093列車 慌てて箸を置いて写真を撮った憶えがあります。 2013/8/7

Ef51018_130807_4
幸い同列車の中線での待避時間は長かったため、食事を終えるとそそくさと酒田方面に歩き、同列車の発車を前から狙いました。

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2013年12月15日 (日)

485系 「雷鳥」 2003年9月から終焉まで その1 A1編成

485系特急、1985年以降の写真を紹介しつつ、列車ごとに思い出を紹介しておりますが、今回からは特急「雷鳥」の最後のステージ、パノラマグリーン車が復活してから廃止までです。

A1からA10まで編成ごとに紹介して行こうと思います。今回の写真はA1編成です。

編成は

Tc   M'    M    M      M     T    M     M    Tsc
323-264-162-1004-1004-604-606-504-2001    2007年の編成表より

(A1からA10まで在籍しています)

485_a01_050708_2
朝7:10 山崎を通過してサントリーカーブにさしかかるA1編成 キトからの回送のため編成の向きは逆向きで、クハ481-323先頭です。 2005/7/8

まずは2003年9月から終焉までの歴史です。

2003年9月20日:「雷鳥」の定期列車における485系のボンネット型先頭車の運用が終了。代わりにパノラマグリーン車が復活し、「雷鳥」のグリーン車も「サンダーバード」と同じく大阪寄りを向くようになりました。「加越」から転用された非パノラマグリーン車も「雷鳥」ファミリーに同時追加されました。

485_a01_050708_3
同編成のラストはクロ481-2001 連結器カバーが赤いことに注目です。 2005/7/8

2009年5月:ゴールデンウィークに運転されたのを最後に「ふるさと雷鳥」は以後、設定されなくなる。

    6月1日683系4000番台が運転開始。また、すべての列車が禁煙となる。
   10月1日:.683系4000番台の追加投入により、「雷鳥」3往復が「サンダーバード」に置き換えられる。ただし「サンダーバード」化による所要時間の変更はない。「雷鳥」は6往復になる。同日以降は基本的にパノラマ型グリーン車を連結した編成のみ運用されるようになる。

485_a01_060622_5
岸辺付近を行くA1編成の試運転列車

485_a01_060622_4
                        クロ481-2001

2010年3月13日:「雷鳥」4往復が「サンダーバード」に置き換えられ、「雷鳥」は1往復になる。土曜・日曜運転の「雷鳥」23・22号、日曜運転の「雷鳥」29・42号が廃止。
「雷鳥」は6両編成となり多客期のみ9両編成での運転になる。
「雷鳥」は市販の時刻表上でのエル特急の指定が解除され、荷物便である「雷鳥レールゴーサービス」の取り扱いも廃止される。

2011年3月12日:雷鳥」が廃止され、列車名が「サンダーバード」に統一される。

485_a01_080226
千里丘を通過して岸辺へ 連結器カバーは白色に 2008/2/26

Tc   M'    M    M      M    T    M     M    Tsc
323-264-162 - 76-  76 - 702-606-504-2001    2011年の編成表より

この時点ではA1, A3, A4, A6編成が残存していました。

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2013年12月14日 (土)

西武鉄道 赤電の時代 701系 その1

西武鉄道の赤電シリーズも終盤に入って参りました。

今回からは赤電の決定版、最終グループといわれる701系です。801系は701系のマイナーチェンジ版なので701系が実質的に最後のグループと思います。

701_tr11
パンタが半分切れていてお恥ずかしい写真ですが、クハの台車がTR11Aだった頃の701系 東村山
私が西武線の写真を撮り始めた頃は701系クハの台車交換、前照灯のシールドビーム化がかなり進んでおり、710番台の僅かの編成がこのスタイルで残っていました。

701系は、西武初のカルダン駆動車として新製された601系に続いて、1963年12月より新製が開始されました。外観は吊り掛け駆動車の551系と同一の車体を採用した601系に対して、車体埋込型の大型行先表示器を採用し、左右腰部に2灯設置された前照灯の周囲にステンレス製の化粧板(飾り板)を配するなど、目新しさを打ち出したデザインが採用されました。一方で主要機器の仕様は601系を踏襲し、制御車の台車については601系同様に国鉄払い下げ品の省形釣り合い梁式台車の改造品であるTR11Aを採用、制動装置は発電制動を持たない自動空気ブレーキ仕様、低圧電源は直流100V仕様と、経済性ならびに従来車との併結を考慮した結果、新製当時において他の鉄道事業者が新製したいわゆる「高性能車」各形式と比較すると、主要機器の仕様は若干見劣りするものでした。

1967年7月までに4両編成48本の計192両が全車西武所沢車両工場にて新製され、1968年1月より801系の新製に移行しました。

車体

構体は601系に準じた全金属製構造で、台車中心間隔(ボギーセンター間隔)は13,600mmと601系と同一ですが、701系・801系においては台枠を枕梁中心より外方に前後各2.5mmずつ延長し、先頭車・中間車とも車体長19,505mmとなりました。一方で連結面間隔については前後各2.5mmずつ縮小したことから、全長は20,000mmで変化はありません。

前面形状は非貫通構造の2枚窓構成で、501系電車(初代)より採用された「湘南型」デザインを踏襲していますが、7従来前照灯設置箇所であった前面幕板中央部に行先表示器を新設し、行先表示器の左右には後部標識灯および通過標識灯を単一のケースに収めたものを設置、前照灯は白熱灯 (100W) タイプのものを前面腰部に左右1灯ずつ設置し、前照灯の周囲にはステンレス製の飾り板を配するなど、大幅な設計変更が加えられました。なお、前照灯については701系749編成より照度を高めたシールドビーム (150W) 仕様に改良されたほか、落成当初より前面腰板部の鋼板を厚板化し前面強化が実施されました。

701
上石神井駅 701系の冷房改造車が登場した後でもTR11Aを履いたオリジナルスタイルで残る701系編成 ライトが緑がかって見えるのも白熱灯の特徴でした。

側面形状は従来車同様に3扉構造ながら、クモハ451形以降601系まで採用された側窓2枚を1組としてユニット窓風の見付とした構造を改め、各々の側窓が独立した構造に変更されました。窓部の設計変更に伴って各部寸法も変更され、側窓幅は800mmで変化はないものの、扉間寸法は5,150mm(601系は4,970mm)、車端部寸法は2,652.5mm(同2,830mm)とされました。客用扉は1,300mm幅の両開扉で、551系において採用された、扉窓を金属枠固定支持方式としたアルミ合金製のハニカム構造の扉を装備しました。窓配置は先頭車がd1(1)D(1)4(1)D(1)4(1)D(1)2(d:乗務員扉、D:客用扉、数値は側窓の枚数、カッコ内は戸袋窓)、中間車は2(1)D(1)4(1)D(1)4(1)D(1)2です。側面乗務員扉脇の手すりについては、701系クハ1701 - 1748 においては従来車同様に露出形状とし、車体全幅は2,930mmでしたが、クハ1749以降においては埋込形状に設計変更され、全幅も2,865mmに縮小されました。

車内照明は蛍光灯式で、直流電源のためDC20W仕様の蛍光灯を1両当たり22本(先頭車)もしくは24本(中間車)を装備しました。車内送風機は扇風機を採用、先頭車に7台・中間車に8台それぞれ装備し、扇風機の直上には中間電動車のパンタグラフ搭載位置を除いてグローブ形ベンチレーターを搭載しました。

今回はここまでです。

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2013年12月13日 (金)

西ベルリンの思い出 BA Boeing 737-236 G-BKYF

西ベルリンのテーゲル空港で撮影した旅客機を紹介するシリーズ、今回もBritish AirwaysBoeing 737-236です。

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G-BKYF (cn 23164 ln1060) Boeing 737-236Adv  1989/9/17  TXL

写真はこの一枚で、いささか遠いです。
今回はBAで使用されたBoeing737-200型について触れようと思います。

British_airways_boeing_737200
表 British Airwaysで使用されたBoeing 737-200 型機のリスト

いろいろなサイトからの情報を集めてみると51機のBoeing 737-200型がBritish Airwaysで使用されていたようです。

そのうちBA自身が発注して、カスタマーコード-36が与えられた機体はG-BGDAからG-BGDUまでの19機(M, Qは欠)、G-BGJEからG-BGJMまでの9機、G-BKYAからG-BKYPまでの16機の計44機です。前回の記事の歴史と照合させると最初の19機が1978年7月に発注された19機で、1983年に導入されたのがG-BKYAからG-BKYPまでの16機なのかと思われます。これらの機体は河川の名前が愛称として与えられていたようです。また1990年代末期にはWorld imageとして様々なパターンが尾翼に描かれていました。B737-200に関してもヒースロー空港などで撮影した写真があったと思いますので、後日アップする予定です。

それら以外のBoeing 737-200に関しては

オランダのPHレジのままで使用された機体

1)1969/5/27 ユナイテド航空(-22)、1975/5/1 トランザビア・コム 1977/11/3 BA PH-TVI

2)1969/10/7 ユナイテド航空(-22)、1975/3 トランザビア・コム 1978/11/3 BA PH-TYH

3)*1975/3/31 トランザビア・コム(-K2)、1975/12/14 サウジアラビア航空、1978/9/22 BA PH-TVD

4)*1975/4/16 トランザビア・コム(-K2)、1975/11/20 サウジアラビア航空、1978/10/1 BA PH-TVE

*これらの2機は末尾にCが付いているのでConvertible typeだったようです。

イギリスのレジではありますがG-IBT*のレジの機体

5)1981/10/29 ラデコ航空(-E3)、スパンタックス、エアUKレジャー、1988/12/14 BA G-IBTY

6)1989/5 カレドニアン航空(ILFC: -Q8) 1989/10 BA G-IBTW

7)1981/5/8 ブリタニア航空(OSL Villa Holidays: -U4)、193/11/22 アメリカウエスト航空、1988/12/13 BA G-IBTZ

があります。

<ラデコ航空>
かつてチリに存在した航空会社で、本社はサンティアゴにありました。「Línea Aérea Del Cobre」を短縮したものだそうです。1958年に運行が開始され、主にチリの主要都市間と国際線の運航を行なっていました。1994年ラン・チリに買収されるまで運行していました。

<カレドニアン航空>
カレドニアン航空はかってイギリスに存在したチャーター航空会社です。本社はロンドンのガトウィック空港にあり、1988年にブリティッシュ・エアウェイズがブリティッシュ・カレドニアン航空(British Caledonian)を買収したことから生まれた航空会社です。ブリティッシュ・エアウェイズのチャーター便を運行する子会社としてブリティッシュ・エアツアーズ(British Airtours)がありましたが、その名称をカレドニアン航空に変更したものです。
1995年にブリティッシュ・エアウェイズはカレドニアン航空をイギリスの旅行代理店であるインスピレーションズ(Inspirations)に売却しています。

<ブリタニア航空>
ユーライア・ロンドンとして1962年に設立され、1964年8月ブリタニア航空と改称されましたが、2005年5月トムソンフライと再度改称されています。2007年に親会社のドイツの旅行会社TUIとファーストチョイス航空の親会社である英国のファーストチョイス・ホリデーズが合併したことでトムソン航空となりました。

あくまでも想像ですが前の4機はBA自身が発注した機体がデリバリーされる前のつなぎ的役割で導入されたものでしょうか。後半の3機は需要に対処するためにリース等で対応したものでしょうか。

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2013年12月12日 (木)

公園保存機関車 EB10 府中市郷土の森公園

今回は蒸気機関車ではありませんが、公園保存車両の一環として、以前D51296号機をご紹介した東京都府中市郷土の森公園に保存されているEB10についてご紹介致します。

Eb10_130813
D51296号機とともにこの場所にEB10が保存されていることは知らなかったため、見たときには驚きました。EB10自身の存在はかつて朝日新聞社刊の年鑑「世界の鉄道’69」で見て知ってはいたのですが。 2013/8/13

69
世界の鉄道 ’69 の表紙 同書は私にとって鉄道趣味のバイブル的参考書で1969年版は蒸気9600と電気機関車の特集でした。

国鉄の電気機関車で動軸が2本の機関車はこの形式が唯一の形式であり、さらに元々は蓄電池機関車(AB10形)を改造したものです。

AB10形は1927年に2両製造された蓄電池機関車で、東北本線の貨物支線(通称、須賀線)として開業した王子 - 須賀間2.5km、および王子 - 下十条(現在の北王子)間1.2kmで使用するために製造されました。須賀線は全線が東京市王子区(現在の東京都北区)にあり、須賀駅で大日本人造肥料(後の日産化学工業)などの側線と接続していましたが、途中には陸軍の火薬製造工場があり、その側線も接続していました。蓄電池機関車を導入した理由としては、架線と集電装置の間に生じたスパークによる引火の危険性を考慮したことや、線路が王子電気軌道(のちの東京都電)と平面交差していたためといわれますが、結局、須賀線は1931年には電化され、AB10形も電気機関車に改造されました。

製造当時は10形(10・11)と称しましたが、翌1928年に実施された車両称号規程の改正により形式がAB10形となり、10→AB101、11→AB102に改番されています。製造は機械部分を汽車製造、電気部分を芝浦製作所が担当しました。蓄電池は湯浅製作所製造のものを使用しました。また充電のため田端機関区構内に安川電機製の電動発電機を設置していました。

Eb10_130813_11
EB10 1号機の逆側のエンドです。ナンバープレートがありません。

構造

中央に運転室、前後のボンネットに機械室を置いた構成で、形状は国鉄の電気機関車としては珍しい凸形です。 前後の機械室部分には蓄電池をそれぞれ72個、計144個置き、一方に空気圧縮機、他方に制御器を置きました。足回りは板ばねの2軸台車で、貨車の台車を強化した様なものです。台車の前後左右に計4個、砂箱が配置されています。

制御器のノッチは1 - 5ノッチが電動機直列・電池並列、6 - 8ノッチが電動機並列・電池並列、9 - 12ノッチが電動機並列・電池直列の順で、電力を有効に用いるため段数を多くとっています。

Eb10_130813_5
運転台に入ることも可能です。中央運転台のためスペースはかなり広く感じました。ハンドルのとれたマスターコントローラーには芝浦製作所東京と表示されていました。

改造

AB10形は1931年、須賀線の電化にともない、芝浦製作所で架線から集電する電気機関車に改造され、形式がEB10形に改められました。

蓄電池の代わりに抵抗器などの機器を搭載して機械室部上面に通風口を新設し、運転室屋根上にはパンタグラフを設置しました。これにより前照灯は庇の下に移設している。制御方式は主電動機2個永久直列接続、抵抗制御のみとなりました。

運用

新製時から廃車まで東京機関区、田端機関区に配置され、在籍時は終始、須賀線を往復していました。1両を運用し、もう1両は王子駅に隣接した機関庫で待機していました。1971年に須賀線が廃止になると用途がなくなり、1972年に廃車になりました。

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案内板

終戦直後1946年1月、極端な車両不足に見舞われた東京急行電鉄井ノ頭線(現在の京王井の頭線)に貸し出されました。プッシュプルで付随車を引く計画でしたが、試運転は行われたものの車両限界に抵触したため井ノ頭線での使用は断念され、さらに厚木線(現相鉄本線)で試運転が行われましたがやはり使用には至らず6月に国鉄へ返還されました。

Wikipediaの記事を参考に致しました。

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2013年12月11日 (水)

2013 夏 新潟の旅 13 EF510 基本番台 17号機

EF510の基本番台シリーズ、今回は17号機です。

甲種回送日は2009/5/8とのことです。

Ef51017_101207
桂川駅を通過する17号機牽引の3092列車 2010/12/7

Ef51017_120913
京都駅に接近する17号機牽引の4076列車 2012/9/13

Ef51017_120913_2
上記の続き 2012/9/13

京都駅で米原方面に向かう列車を撮影したことはしばしばありましたが、こうやって大阪方面に向かう列車を撮影したのは実は1980年代以来、久しぶりのことでした。

長大な貨物列車がS字を描きながらうねうねと進む光景もなかなか写欲をそそりました。

ということで今回は京都駅の歴史について触れてみようと思います。

所在地:京都府下京区
乗り入れ路線:JR西日本5方面(東海道本線、山陰本線、奈良線)、JR東海(東海道新幹線)、近畿日本鉄道、京都市交通局

歴史

1877年2月6日 神戸駅~京都駅間の鉄道の終着駅として開業

1879年8月18日 官設鉄道が大谷駅まで延伸、後に大津駅まで延伸され東海道本線の一部となる。ただし、東山トンネルを掘削する技術がなかったため、現在の奈良線を稲荷駅付近まで南下した後、現在、名神高速が通っている敷地を大津駅に向かうものだったそうです。

1895年9月5日 奈良鉄道が京都駅~伏見駅間を開業させて、乗り入れ

1897年4月1日 奈良鉄道の京都駅を七条駅として分離

   11月16日 京都鉄道(現在の山陰本線)が大宮駅から延伸して乗り入れ

1905年2月7日 奈良鉄道が関西鉄道に事業譲渡

1907年8月1日 京都鉄道が国有化

    10月1日 関西鉄道が国有化

1909年10月12日 国有鉄道の線路名称制定。新橋駅~神戸駅間は東海道本線、旧・奈良鉄道の路線は奈良線、旧・京都鉄道の路線は京都線となる。

1912年1月31日 線路名称改定。京都線が山陰本線に編入される。

1913年6月21日 貨物の取扱いを新設の梅小路駅に分離。

1914年8月15日 2代目駅舎供用開始。1915年10月完成。

1921年8月1日 新逢坂山トンネル完成により、馬場駅(現・膳所駅 - 当駅)間を新線に切り替え。同時に奈良線旧線(伏見駅 - 当駅間)が廃止され、桃山駅 - 稲荷駅間に新線を建設し、東海道本線旧線(稲荷駅 - 当駅間)を奈良線に編入。

1934年1月8日 駅構内で呉海兵団入営臨時列車の見送り客圧死事故(京都駅跨線橋転倒事故)。

1950年11月18日 駅構内の食堂からアイロンの不始末により出火し、駅舎全焼。

1952年5月27日 3代目駅舎完成。

1964年10月1日 東海道新幹線が開業。

1970年10月1日 東海道本線で新快速の運転が開始され、京都駅が東側の起終点となる。

1985年3月14日 日中の快速が高槻駅まで各駅に停車するのに伴い、この時間帯の当駅始発・終着の普通の運行を廃止。

1987年4月1日 国鉄分割民営化に伴い、新幹線部分を東海旅客鉄道(JR東海)、在来線部分を西日本旅客鉄道(JR西日本)が継承。

1989年3月11日 山陰3・4番のりば(現在の32・33番のりば)増設。

1991年3月16日 奈良線用ホーム8・9番のりば増設。従来の8番のりばを10番のりばに呼称変更。

1994年9月4日 山陰1番のりばを「はるかホーム」に、山陰2 - 4番のりばを山陰1 - 3番のりばに呼称変更。
    12月3日 「はるかホーム」を30番のりばに、山陰1 - 3番のりばを31 - 33番のりばに呼称変更。

1997年7月12日 4代目駅舎となる新・京都駅ビル完成。駅部分供用開始。同時に近鉄京都駅と改札を分離する。
     9月1日 駅ビル開業を控えて日中の当駅始発・終着の普通の運行を復活。
    9月11日 京都駅ビル全面開業。ジェイアール京都伊勢丹開業。

2002年 1番のりばを0番のりばに呼称変更。

2007年8月23日 JR京都駅NKビル開業。ビックカメラJR京都駅店が入店。店内に嵯峨野線ホームと直結する改札口の西洞院口を開設。

2008年2月13日 南北自由通路の西側橋上(西口改札前)に「スバコ(SUVACO)・ジェイアール京都伊勢丹」開業。

2009年7月20日 嵯峨野線当駅 - 丹波口駅間(京都駅構内は単線)が複線化。

関東在住でも年に一二度は関西に出張などで出かけることがあり、京都駅はよく乗り降りする駅で通る毎に変化を感じるものですが、今回こうやって纏めてみることで、その辺かの時系列が分かりました。特に京都発の各停が一時なくなっていた時期があったことは何となく思い出しました。

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2013年12月10日 (火)

485系 「雷鳥」 2001年3月から2003年9月まで その3 番外編

2001年から2003年にかけての京キトの「雷鳥」シリーズですが、今回は「雷鳥」用の車両を用いた「びわこライナー」について触れようと思います。

485_a06_481122_030329
485系A6編成を使用した「びわこライナー」 2003/3/29 新大阪 クハ481-122

現在は米原~大阪間の特急として走っている「びわこエクスプレス」の前身が「琵琶湖ライナー」です。座席定員制のホームライナーでした。

485_a07_481101_030325
A7編成の大阪側先頭車を務めていたクハ481-101 前回の記事の編成表では金沢方に繋がっているはずでしたが 2003/3/25 新大阪

1987年10月:北陸本線の特急車両の間合いを利用する形で「びわこライナー」の運転が始まりました。

1988年3月:定期列車となりました。

2003年6月1日:「びわこライナー」は廃止され、「びわこエクスプレス」が運転開始されました。

485_a07_030325
A7編成、金沢側は200番台のクハでした。 2003/3/25 新大阪

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A3編成 クハ481-323をラストにした「びわこライナー」 2002/6/21

485_a10_489702_030327
A10編成の「びわこライナー」 思えばこの編成は両端クハがクハ489-302と-702といった「白山」時代を彷彿させる組み合わせだったのですね。 2003/3/27

運転時刻は米原発5:31 大阪着 7:31 で平日ダイヤでの運行でした。

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2013年12月 9日 (月)

西武鉄道 赤電の時代 601系 その3 クハ1657~

西武鉄道の赤電シリーズ、今回は601系の3回目で、701系の冷房化改造で、編成を解かれたクハ1601形が辿ったその後です。

1657
本川越発の新宿線急行で活躍するクハ1657他 6連 所沢

保育社のRAILWAYS 私鉄の車両 6 西武鉄道 企画 飯島巌 解説 町田浩一 写真 荒川好夫 によりますと、601系のモハユニットを取り込んだ6連化の日時は

701     1976.4.19     赤電塗色で出場
705     1976.6.18      〃
703     1976.8.24  黄色一色で出場
707     1981.3.14             〃
709     1981.4.30      〃  
713     1981.6.17      〃
711     1981.7.31      〃

となっています。

前回、記述しましたように701~705の6連化の際の1601~1606はクハ1411形の後釜として、クモハ451形とペアを組みました。相手方の451形の車番に従って改番しているため1657からの番号になっていますが、一応クハ1651形と名乗ったようです。

1601 >  1657+458       457+1658  < 1602
1603 >  1659+460       459+1660  < 1604
1605 >  1661+462       461+1662  < 1606

となりましたが、1981年の冷房改造時には赤電の2連や相手のクモハ451形の廃車も進んでおり、クハ1607以降は1981年5月にそのまま廃車となりました。貫通路は451形に合わせて狭幅化されました。

1657_2
東伏見~武蔵関を行くクハ1657他 回送

活躍の場は池袋線や新宿線は101系や701系、801系の冷改車、さらにデビューした2000系がメインの状態でしたので、主に支線での運用となりました。

1657_3
最後の働き場となった多摩川線 武蔵境駅

1984年になると451形の廃車も進み、3両が廃車となり、残った3両がクモハ556~558と組んだそうです。貫通路は再度、広げられたそうです。さらに台車もFS40に交換したそうです。私はこのころは既につくばに移って、西武沿線を離れておりましたので、この最晩年の様子は知りませんでした。

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2013年12月 8日 (日)

西ベルリンの思い出 BA Boeing 737-236 G-BKYB

西ベルリンのテーゲル空港で撮影した旅客機のシリーズ、今回はBritish Airwaysの4回目となります。

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G-BKYB cn23160 ln 1053 Boeing 737-236Adv 1989/9/17 TXL

ネガがガビにやられているせいで見苦しい写真で恐縮ですが、今回はBAにおけるBoeing 737の導入からリタイアにいたる歴史について触れようと思います。

1978年7月:Boeing 737-236 19機(G-BGDA~DU)、BAE1-11 539型 3機を発注

1980年3月:British Airwaysの子会社であるBritish Airtoursが導入されたBoeing 737-236でBoeing 707-436の置き換えを開始

1980年12月:British Airwaysのヨーロッパ域内、英国内路線用にB737-236の納入開始

1983年:1986年までの騒音規制の期限までにトライデントを置き換えるためにBoeing 737-236のさらに16機発注

1988年10月:Boeing 737-300, 400, 500, およびBoeing 767-300 6機発注

1992年10月:Boeing 737-400の納入開始、トライスターがリタイア

    11月:Dan Airを吸収合併

2000年6月:9機目のA319 が投入されることでBoeing737-236はリタイア

Gbkyb_cn_23160_1053_boeing_737236_2
G-BKYB 1989/9/17 TXL

この歴史をみても分かりますように、BAにおけるBoeing 737の導入はそれまでBOACやBEA時代に活躍していたトライデントやBAC1-11といったイギリスが開発した旅客機を置き換えて行く過程で導入され、近中距離路線の主役となっていったことがわかります。

今回はここまでですが、次回の記事ではB737-236のリストとそれ以外にBAで活躍した-200についてみて行こうと思います。

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2013年12月 7日 (土)

公園保存蒸気 C11 322 鴻巣せせらぎ公園

公園などに保存されている蒸気機関車を訪ね歩くシリーズ、今回は鴻巣せせらぎ公園に保存されている、C11 322号機です。こちらを訪問した時の様子は2013年10月2日の記事に記述しました。

C11_322_130928_7
角形のドームの形から一見して戦時形とわかる322号機 2013/9/28 鴻巣市せせらぎ公園

機関車の履歴をいつものように機関車表(沖田祐作氏による)から引用いたしますと

C11322     日本車輌名古屋工場=1404           1946-03-12 S66.1t1C2t(1067)
   車歴;1946-03-12 製造→ 納入;国鉄;C11322→ 配属;東京局→1946-03-12 竣工→
      配置[東鉄達297];東京局→1946-03-22 配属;高崎二→1949-01-01 高崎一→
      1949-03-00 現在;浜川崎→1951-02-00(3/1?)横浜→1954-09-21 現在;五日市支区→
      1955-08-01 現在;五日市支区→1963-04-01 現在;五日市→ 浜川崎→
      1961-12-00 大宮工場→1969-06-00 廃車;大宮工場→
      保存;埼玉県鴻巣市市民会館;C11322(東裏1 号公園説?)

製造は名古屋でしたが、東京局に配属され、高崎、浜川崎、五日市、大宮と現在のDE10などと同じように首都圏周辺で活躍したようです。

C11_322_130928_12_2
正面のステップは入れ換え作業の際に誘導掛が乗るためのものでしょうか

C11_322_130928_4
花などに囲まれて美しく整備された環境で過ごしているようでした。

C11_322_130928_19
後部のライトはありませんが、機関車自身は非常に綺麗に整備されていました。

C11_322_130928_2
案内板もこのように新たに整えられたようです。

冒頭で戦時形と記述しましたが、Wikipediaの記述では

4次形 (C11 247 - 381)

資材と工数を節約した戦時設計機で、除煙板は木製となり、砂箱と蒸気ドーム被いは工作の容易化のために角形(かまぼこ形)となった。後年の装備改造で3次形までと同様の形態に改められたものが多いが、砂箱と蒸気ドーム被いは原形のまま残ったものがある。

となっており、真岡鉄道で活躍する325号機が丸形のドームなのに対して、こちらは角形なのは?と思いましたが、325号機の方が装備改造された様ですね。

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2013年12月 6日 (金)

2013 夏 新潟の旅 13 EF510 基本番台 16号機

EF510の基本番台シリーズ、今回は16号機です。

甲種回送日は2009/3/9です。

Ef51016_100709
吹田信を発車して梅田に向かう16号機牽引の4092列車 2010/7/9

Ef51016_100709_3

上記列車の機関車単機回送 単658列車

Ef51016_101023
一路南へ 津軽新城を通過する16号機牽引の4092列車 2010/10/23

Ef51016_110528_2
高岡を通過する16号機牽引の3097列車 2011/5/28

Ef51016_130323
米原駅で休む16号機 62~63運用  2013/3/23

こうやっていろいろな場所で撮っている写真を並べて見返してみても、EF510の活動範囲は本当に広いと感じます。

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2013年12月 5日 (木)

485系 「雷鳥」 2001年3月から2003年9月まで その2

前回に続いて特急「雷鳥」の2001年3月から2003年9月にパノラマグリーン車が復帰するまでの様子について触れます。

485_a08_030324
山崎付近を行く「雷鳥」の編成 A08編成 クハ481-120 2003/3/24

最晩年のクハ481-100はスカートを切り詰められてだいぶ様相が変化していました。

前回は金サワにおける変化について記述しましたので今回は京キトにおける変化です。向日町運転所は、JR化後は近ムコ、その後、本ムコ、さらに京ムコ、京キトとなり、2010年12月以降は近キトとなっています。

2001年3月3日の改正での運用です。

←大阪
TcM'MTsM'MM'MTc×10 所要8(臨時+2)
雷鳥(10)(臨時+3.5)
 休
 向日町‥大阪8121102金沢16121907大阪21082235米原
 米原553731大阪9121159金沢14151707大阪18122105金沢
 金沢614905大阪11121400金沢19192211大阪‥向日町
 向日町‥大阪10121255金沢15151806大阪20082301金沢
 金沢11191410大阪16571948金沢
 金沢7081004大阪17122001金沢
 金沢8141107大阪16121858金沢‥松任
 松任‥金沢9141206大阪13121559金沢17142003大阪‥向日町/大阪19122155金沢
 大阪8481152金沢/大阪10541341金沢14171712大阪
 金沢7231034大阪11551446金沢/金沢12091511大阪/大阪14121705金沢19002147大阪

「雷鳥」用にA1~A10の10本の編成が用意され、8本使用の体制でした。この時点での車両の出入りは前回の記事で記述した金サワからの転入のみでした。

485_a09_030329_4
新大阪駅に入線する「雷鳥」 A09編成 クハ481-205 2003/3/29

485_a09_030329_2
北方貨物線を向日町から回送されるA09編成 クハ481-701 2003/3/29

前回の記事のクハ481-200、300番台はスカートが本来のグレーからクリーム色に塗られていましたが、こちらはオリジナルのままでした。

2003年6月1日からは5月末に金サワからクロ481-2003、2004が転入したので、編成の一部組換えを行い、早速パノラマグリーン車を金沢方先頭車にした「雷鳥」が走り始めています。

←大阪
TscMM'TMM'MM'Tc×2 所要2
雷鳥(3)
 向日町‥大阪10121256金沢15161806大阪20082259金沢(パノラマグリーン)
 金沢614905大阪11121400金沢19392235大阪‥向日町(パノラマグリーン)

TcMM'MM'TsMM'Tc×8 所要6(臨時+2)
雷鳥(7)(臨時+1)、ふるさと雷鳥(臨時1)
 休
 向日町‥大阪8121103金沢16111907大阪21082235米原
 米原553731大阪9121159金沢14161707大阪18122102金沢
 和倉温泉1009金沢11191410大阪16571946金沢
 金沢7071004大阪17122001金沢
 金沢8151107大阪16121859金沢‥松任
 松任‥金沢9151206大阪13121559金沢17152003大阪‥向日町/大阪19122156金沢
 大阪9221622新潟/新潟12351926大阪
 大阪7491041金沢12031454大阪

M'M×2 Tc×2 Ts×2

485_a10_030324
山崎付近を行くA10編成 クハ481-302 2003/3/24

最後にこの時代のA1~A10編成の編成表を載せます。データの出典はJR電車編成表'02夏号です。

2001
2001年3月から2003年6月頃までの京キトA1~A10編成表 9-は489系

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2013年12月 4日 (水)

西武鉄道 赤電の時代 601系 その2

西武鉄道の赤電シリーズ、今回は601系の2回目です。

601_801009
保谷駅の電留線で休むクハ1612 上回りに較べて古典的な台車がよく分かります。

601
池袋線運用に入ったのでしょうか 所沢 

前回の本シリーズの記事でも記述しましたが、601系の編成が解かれて701系の冷房改造車に組み込まれたのは1976年4月から6月にかけての3本(1701F, 1705F, 1703F)が最初でした。最初の2本は赤電塗色で出場し、電連カバーは在来車との区別のためか黄色く塗られていました。601系由来のユニットは701-1といったハイフン方式で付番されました。残されたクハはクハ1411形の廃車で相手を失ったクモハ458、457と2連を組み、クハ1657、クハ1658などと改番されました。貫通路は601系時代は広幅でしたが、クモハ451形との併結に合わせて狭幅に改造されました。

残った1607F~1613Fは1707F~1713Fが冷房改造されるまではそのままで活躍していましたが、1981年4月から改造が始まるとモハユニットは組み込まれましたが、クハは今回は再利用されることなく廃車となりました。

601_2
上石神井に到着する準急 本川越行き 

次回は601系クハ1601形の2連化後の姿を紹介致します。

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2013年12月 3日 (火)

西ベルリンの思い出 BA Boeing 737-236 G-BGDS

西ベルリン留学時代にテーゲル空港で撮影した旅客機を紹介しているシリーズ、今回はBritish Airwaysの3回目です。

今回はBoeing 737-200というタイプについて触れてみようと思います。

Gbgds_cn_21806_699_boeing_737236adv
写真といっても今回の写真は些か遠いのですが G-BGDS 21806/699 Boein 737-236Adv 1989/6/25 TXL

Boeing737は85~215席クラスの短中距離の旅客機で、エンジンは主翼下に2発搭載し、胴体はBoeing707以来のものを使用しており、標準的エコノミークラスであれば、通路を挟んで6列の座席を配置することができます。Boeing757の製造が終了しているので現在では唯一製造されているBoeing社のナローボディジェット機です。

1965年に、地方路線に数多く残っていたダグラスDC-4コンベア440などのプロペラ旅客機や、ロッキード L-188などのターボプロップ旅客機を代替する100-150人乗りの小型の短距離用のジェット旅客機として、当時ライバル会社であったダグラスDC-9に対抗すべく開発が始められました。初飛行は1967年4月9日で、ボーイング社の旅客機としては初の2人乗務が可能となった機体です。路線就航はルフトハンザ社の機体で1968年2月からでした。

設備が貧弱な地方の中小空港や、騒音規制の厳しい大都市の空港間を頻繁に離着陸する短距離路線において使用されることを想定し、短い滑走路での離着陸や、短時間での巡航高度への上昇を実現するために、主翼には比較的強力な高揚力装置が装備されており、主脚は飛行中の外気導入による自動冷却効果を狙い機体の「くぼみ」にはめ込むタイプのため、引き込んだ状態でも車輪の側面が剥き出しになります。さらに、エアステア(機体内蔵タラップ)をオプションで装着できるなど、さまざまな技術、装備が導入されています。

初期型の-100、-200の生産の後、エンジンを高バイパス比のターボファンに換装した-300、-400、-500が登場しました。その小回りのよさなどから、現在でも主翼を改設計して効率を高め、777の技術を用いた-600型から-900型の「Next-Generation(ネクストジェネレーション/NG)」とよばれる最新鋭シリーズの生産が続けられており、2009年2月の時点で総受注機数8,179機・総生産機数5,942機のベストセラー機です。同シリーズは2011年12月16日に、通算7,000機目の737(-800)をフライドバイへ引き渡されました。また通算7,500機目は、2013年3月20日マリンドエア(B737-900ER)へ引き渡されました。

第一世代 -100/-200型

1967年から生産が開始された737最初のシリーズです。エンジンはプラット・アンド・ホイットニーのJT8D (:en:JT8D) を両主翼下に1基ずつ装備しました。

このエンジンはパイロンを介さず直接主翼に取り付けられており、機体の地上高を低く抑えています。また、このエンジンは低バイパス比(バイパス比0.96 - 1.00)であるので、逆噴射装置(スラストリバーサ)はエンジン後方のノズルに蓋をするような構造になっています。

-100型は全シリーズを通して最も小さな機体で、胴体の長さは28.6m、航続距離は3,440 kmでした。ローンチカスタマーは前述のようにルフトハンザ航空で、1965年2月19日、-100型21機を6700万ドルで契約しています。ルフトハンザ航空はアメリカ以外の航空会社で初めてBoeingの旅客機のローンチカスタマーとなりました。

-200型ユナイテド航空のリクエストによる-100型より胴体が1.9m長い30.5m(翼前方で36インチ、後方で40インチ)で、航続距離も長い(約4,000km)などの違いがありますが、基本的にはほぼ同じ機体です。初飛行は1967年8月で、路線就航開始は1968年4月、シカゴ~グランドラピド間でした。-200型には目的に応じて貨物機としても旅客機としても使用が可能な-200C型(-200 Convertible)という派生型もありました。

1971年には離着陸性能を向上させ、機内インテリアのデザインにオーバーヘッドストウェッジを導入するなど最新型にグレードアップさせた改良型(-200 Advanced)が導入され1988年まで生産が続けられました。Advタイプはln135以降の機体で、ペイロードが15%上昇、燃料タンクの容量増大なども図られています。

-100型の生産機数は30機、200型は初期型と改良型を合わせて1,114機。当初は性能不足や2名乗務へのパイロット協会(ALPA)の反発を受け、販売が低迷しましたが、改良型は世界中の航空会社で導入されました。

なお、日本の航空会社では-200型と-200Advanced型が全日本空輸日本近距離航空南西航空が導入し、離島路線や地方路線のジェット化に貢献し、2003年まで使用されました。また、香港ドラゴン航空ナウル航空フィリピン航空などが日本乗り入れ機材として使用し、現在もサハリン航空が日本への乗り入れ機材として使用しています。

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2013年12月 2日 (月)

公園保存蒸気 C57 26 行田市 本丸児童公園

全国の公園に静態保存されている蒸気機関車を訪ねて歩くシリーズ、今回は埼玉県行田市の本丸児童公園に保存されているC57 26号機です。

こちらを訪問した時の様子は2013年10月2日の記事で記述致しました。

C57_26_130928_2
行田市本丸児童公園に保存されているC57 26号機 2013/9/28

下から見上げているので些かわかりにくいですが、この機関車の煙突、通常のC57に較べると短いように感じます。

C57_26_130928_4
屋根無しの雨ざらし状態ではありますが、錆などは浮き出てなく引退時の状態を表面的には保っているように感じました。

C57_26_130928_6
やはりこの角度から見ると煙突が短いことが分かります。C57が貴婦人と呼ばれるのに煙突の長さがひとつの要素のように思えますが・・・

さて、この機関車の履歴を機関車表のデータから見てみますと

C5726      川崎重工兵庫工場=1883            1938-02-04 S67.50t2C1T(1067)
   車歴;1938-02-04 製造→ 納入;国鉄;C5726→ 配属[達115];名古屋局→1938-02-07 使用開始→
      配置;名古屋局→1945-04-01 現在;宇都宮→1955-09-15 保留指定→
      1955-10-08 保留指定解除→1955-10-01(10/9?)名古屋→1956-07-00 山田→
      1962-10-01 現在;伊勢→1964-04-01 現在;亀山→1967-03-31 現在;亀山→
      1971-12-13 廃車;亀山→ 保存;埼玉県行田市「行田市水城公園」;C5726(行田市役所説?)

1938年に川崎重工兵庫工場で製造され、国鉄では名古屋局に配属、最初の10年間は浜松に配属されたようです。1960年代、山田、伊勢、亀山に在籍し、1971年に廃車になっています。

煙突が短いのは集煙装置、重油併燃装置を装備した名残のようです、ドームの後に重油タンクが残っています。C57でも初期のタイプのため、ボイラーが円柱に近く、後期の180号186号に較べて、C55に近い形をしていることが分かります。

C57_26_130928_15
炭水車のライトはオリジナルのまま、装着されていますが、標識灯は少し高めの位置に引っ掛け式のものが付いています。

C57_26_130928
機関車と展示の経緯の説明が書かれています。全走行距離、2985,783kmだそうです。ただ機関車の絵が、パシフィックタイプではなく、2軸従台車のハドソンタイプになっているのは要修正ですね(笑)。

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2013年12月 1日 (日)

2013 夏 新潟の旅 13 EF510 基本番台 15号機

EF510の基本番台シリーズ、今回は15号機です。

甲種回送日は2009/2/19とのことです。

15号機との遭遇はまだ2回で、いずれも関西です。

Ef51015_100710
最初の出会いは千里丘駅での、単重回送で2010/7/10の朝でした。

Ef51015_101205
続いては2010/12/5 吹田機関区を外から眺めた時でした。

といったわけでまだ貨物列車を牽引しているシーンは見ておりません。

今回は吹田機関区について触れてみようと思います。

所在地 大阪府吹田市平松町1番1号

国鉄時代は大阪鉄道管理局に属し、SL、DLが所属する吹田第一機関区とELが所属する吹田第二機関区に分かれていましたが、1984年2月1日の組織改編で統合されました。事業者はJR貨物です。

所属車両を見てみると

(2013/2/14時点)

EL 
EF66 
   0番台12両                     21 24 26 27 29 30 32 33 35 36 52 54
   100番台 33両                     101-133
EF200
       900番台 1両                     901
          0番台 19両                     2 - 20
EF210 100番台 27両                103 - 109 114 115 139 - 141 144 - 146 149 154
                                                156 - 160 166 - 169

Dd51_833_100709
おおさか東線(城東貨物線)電化前までは毎日のように見ることが出来たDD51牽引の貨物列車 DD51 833 2010/7/9 吹田

Dd51_1188_101205_2
電化後は職を失った様ですが DD51 1188  2010/12/5 吹田機関区

乗務員乗務範囲は

吹田信号場 - 稲沢駅間
吹田信号場 - 西岡山駅間
吹田信号場 - 敦賀駅間
吹田信号場 - 大阪貨物ターミナル駅間
吹田信号場 - 梅田駅 - 安治川口駅間
吹田信号場 - 百済駅間
吹田信号場 - 徳庵駅間

となっています。

以上、Wikipediaの記述を参考にしました。

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