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2014年1月13日 (月)

西武鉄道 赤電の時代 801系

西武鉄道の赤電シリーズ、いよいよ最後となります。701系のマイナーチェンジ版 801系の登場です。

801_2
武蔵関~東伏見間を行く本川越行き準急で活躍する801系編成 1974年頃

ドアは既に101系同様のステンレスドアに変更されています。

701系1967年7月まで48本、計192両新製された時点で番号は796まで行きましたが、そのままゆけば800番台に突入するところで、1968年1月からは801系の新製に移行しました。

801
主に新宿線を活躍の場にした赤電時代の801系 クハ1806他 新大久保のホームから撮影

車体外観・主要機器の仕様とも概ね701系を踏襲しましたが、車体側面の雨樋が上方に移設されて張り上げ屋根風の見付となったことに加え、制御車の台車が空気ばね台車に変更され、また低圧電源が新製当初より交流仕様に改良された点が異なります。

801系は1968年1月と3月の二度にわたって増備され、4両編成5本の計20両が新製されました。全車、西武所沢車両工場において製造されました。

前述のように701系制御車が当初、国鉄払い下げ品である省形釣り合い梁式台車改造のTR11Aを装着して登場したのに対して、801系制御車は新製時から枕ばねを空気ばねとした住友金属工業FS067(固定軸間距離2,100mm)を新製し装着しました。同台車は101系において採用されたFS372・FS072台車に先行して新製された軸ばね式台車でした。

Wikipediaによると、将来的な旧型台車との交換による他形式への装着を考慮して、枕ばねを車体直結(ダイレクトマウント)構造とせず、車体と枕ばねの間に枕梁(上揺れ枕)を設けたインダイレクトマウント式とした点が特徴であったとあります。

実際に西武鉄道においてFS067による旧型台車の代替は行われず、対応する電動車用台車FS367も製造されませんでした。その代わりにクモハ411形551系の記事で紹介しましたようにFS067,367の基本設計で同じインダイレクト方式空気バネ台車のFS40が製造されました。但し、固定軸間距離は2450mmに変更されています。

制動関係は701系のシステム(AMAE)に中継弁 (Relay valve) を追加して制動力の増圧を図ったAMA-RE (ACA-RE) 電磁自動空気ブレーキを採用しました。旧型車との併結運用を行う都合上発電制動を持たず、常用制動・非常制動とも空気制動のみとされましたが、ブレーキシューを従来の鋳鉄製からレジン製のものに改良し、所要の制動能力を確保しました。

補機MGに関しては交流出力仕様のMG-534-Mrb(定格出力12kVA)を1両当たり1基、モハ801形の奇数車に搭載しました。

801_3
所沢駅にて 

冷房化改造以前には主だった改造は行われませんでしたが、1973年以降、軽量構造が災いして走行中の振動が著しかったアルミハニカム構造の客用扉について、101系同様の扉窓固定支持をHゴム方式としたステンレス無塗装扉に順次交換されました。私も、アルミナニカム構造扉時代の801系は見ておりますが、写真を撮り始めた頃にはすべてステンレス無塗装扉に置き換えられていました。

801_820829
国分寺線で活躍する801系 東村山

<追記> 801系 5編成の竣功日データを載せます。参考:私鉄の車輌6 西武鉄道 保育社

801F 1968年1月12日
803F 1968年1月12日
805F 1968年1月12日
807F 1968年2月1日
809F  1968年3月18日

これで赤電、シリーズは終わりです。

次回からは701系、801系、クモハ411形~クハ1451形の冷房改造によって登場した車両群に触れようと思います。

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民鉄:西武鉄道グループ」カテゴリの記事

コメント

こんにちは。モモパパです。
西武鉄道ですか。
貴重な写真ですね。
西武鉄道といえば僕が大学時代につきあってた女の子のアパートに遊びに行く時よく乗ったな~。
でも小田急の向ヶ丘遊園駅からは遠かったけど。

モモのパパさま、こちらにもありがとうございます。

小田急線は私にとっては逆に縁が薄く、これまでにも数回しか乗っていない私鉄かなと思います。

こんばんは。

801系は、このFS40の寸詰まりのようなFS067台車が印象に残っています。FS372は高さが低い分、見た目がFS40に似ているので、FS067だけが寸詰まりに見えるんですよね。冷改後もずっとこの台車でしたし。

赤電シリーズは一区切りですか。赤電の紹介ページって案外と少ないので(私の頁も赤電時代の701系列の画像が無いので、そこらあたりはほとんど触れていません)ちょっと残念ですが、引き続き楽しみにお待ちしています。

MiOさま、おはようございます。

早速のコメントありがとうございます。

801系のクハの台車、最初に空気バネ方式の台車を見たときは感動した憶えがありますが、101系が登場してそれが当たり前と感じるようになって行きました。

私の西武史もクハ1411形以前は見てはいても写真は撮っておらずで、ある意味赤電からその一部が冷房改造される時代を体感した歴史でした。1983年以降は東京北西部からつくばに移りましたので、少し縁が遠ざかりました。

B767さん、こんにちわ(^^)801系って池袋線でも走っていたと思っていたら…主に新宿線が活躍の場だったとは。赤電・非冷房の時に、両開きドアがステンレスに変わったんですね。

西武線の場合、わたしも801系がどっちでメインかと言うことになると些か怪しいのですが、
概して新車なり、改造出たての車輌はまず池袋線に投入されていたように記憶しています。
2000系の場合を除いて。

そして、701系などの冷改車が明確に新宿線集中配置になったのは、1980年3月の改正からだったと記憶しています。

B767さん、こんにちは(^^)またお邪魔致します。そうそう‼︎確か…1980年3月の西武鉄道のダイヤ改正覚えてます‼︎当時小2の終わり頃だったっす、私ゃ。池袋線に101系(従来型・新型)が集中配置されて、新宿線に701系・801系の冷房車、401系が集中配置されたんですよね。ちょうど、あのダイヤ改正以前に新宿線に101系・従来型(4両編成・6両編成)と前年(1979年)に登場した新101系(2両編成)が走っていたんだけど、そのダイヤ改正で新宿線で走っていた101系全車が池袋線に移動したんですよね。私ゃ、実は…当時ショックでしたね〜〜「新宿線から101系が全部いなくなった〜〜(泣)」ってな。私がお子ちゃま(幼稚園時代〜小学校に入学した頃。)の頃、新宿線で101系が走っていたのでよく覚えているんですよ。親と一緒に乗った事もあるから。

マスダっち1971さま、こんばんは。

私自身もそうなんですが、小さい頃、特に仰っておられるような小学校に上がる前後の頃の趣味の世界の記憶って言うのはしっかりと憶えているものですよね。

わたしも1962年頃の萩山駅での玉川上水・多摩湖行きの解結シーンとかはしっかり憶えています。逆に、その趣味からちょっと遠ざかってしまった1990年代の記憶が薄かったりしますが(笑)。

701系などの冷改シリーズの次は101系、新101系、さらに701系併結用101系と行くつもりです。

B767さん、ワタシ今頃気付いちゃった。赤電・非冷房車の頃の801系って…パンタグラフが一個だけ設置されていたんですね。てっきりパンタグラフは…二個設置されているのかと思っていましたね。多分、赤電・非冷房車の頃の701系も、パンタグラフは…一個だったんだ。

マスダっち1971 さま、こちらにもコメントありがとうございます。

冷房化で電源確保のためMGの容量が大きくなって、集電能力も上げる必要から2個パンタにしたようですね。

今だったら、SIV方式かもしれませんが、当時は冷房用などのサービス電源の確保には直流でモーターを回して、交流発電するといった方式しかなかったのですね。701系の冷改車も最終グループでブラシレス方式のMGが導入されましたが、インバータではなかったのですね。

B767さん、おはようございます(^^)気になっていた事があるんです、801系(赤電・非冷房車)の両開きドアが、旧101系と同じステンレスに替わったのって......いつ頃からなんですか??

マスダっち1971さま、こんばんは。

私も自分が写真を取り出したころは既にステンレスドアに換装されていましたが、西武701系のWikipediaの記述では以下のように書かれています。

>1973年(昭和48年)以降、軽量構造が災いして走行中の振動が著しかったアルミハニカム構造の客用扉について、101系同様の扉窓固定支持をHゴム方式としたステンレス無塗装扉に順次交換された。

引用は『私鉄電車ガイドブック3 西武・京王・小田急・東京モノレール』 (1978) pp.60 - 63となっています。

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