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2014年1月31日 (金)

公園保存蒸気 D51 946 湯本 石炭・化石館

全国の公園等に静態保存されている蒸気機関車を見て歩くシリーズ、今回は昨年暮れに青春18切符で常磐線沿線を訪れた際に見ることができた「いわき市石炭・化石館 ほるる」の駐車場に展示されているD51 946号機です。

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湯本 石炭・化石館の駐車場に展示されているD51 946号機 2013/12/23

ナンバープレートが赤いのもひとつの特徴ですが、この機関車D51形式ですが、D52のような特徴が見られました。

いわき市石炭・化石館は、常磐炭田の採掘の歴史と、市内で発掘された化石や、 地球の歴史を物語る諸外国の化石資料を展示する施設で、2010年4月、新たな愛称「ほるる」とともにリニューアルしたそうです。

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石炭・化石館の全景 機関車は画面の右端奥に アメリカの開拓時代を思わせるポンプの櫓が象徴的でした。

小学校の社会で習った憶えがありますが、常磐炭田は20世紀の前半に福島県富岡町から茨城県日立市にかけて広がって存在した炭田です。Wikipediaによれば、戊辰戦争が終結した直後、神永喜八、片寄平蔵らにより発見され、1870年代から、茨城県北部(旧水戸藩)から福島県浜通り南部(旧磐城平藩)にかけての海岸線に面する丘陵地帯にかけて、大規模な炭鉱開発が行われました。

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石炭・化石館の玄関には石炭の父と讃えられている片寄平蔵の像があります。

硫黄分を多く含有し、純度の低い炭質(低品位炭)という不利な条件があり、さらに地層が激しい褶曲を受けているため、石炭層を求めて地下へとひたすら掘り下げる、高い掘削技術を要する炭鉱でした。

地下水が多く温泉も湧き出すため坑内は暑く過酷な環境で、1tの石炭を採掘するのに4t程度の地下水が湧き出すともいわれ当時世界最大級の排水ポンプを並べるなど採炭コストも高かったようです。しかし首都圏に最も近い大規模炭田であり、また石炭以外にも銅を産出する地域(日立銅山)も含まれており、第二次大戦前には首都・東京に近い鉱工業地帯として発展しました。

第二次大戦後、特にエネルギー革命と高度経済成長が起こった1960年代になると、慢性的なコスト増で産出資源の競争力が失われ、更にマッチ用の燐、化学工業原料や火薬などの用途があった副産物の硫黄資源も、技術革新により石油の脱硫処理から硫黄がより容易に生産されるようになり、市場から駆逐されました。各鉱は採算が次第に悪化。最後まで残った常磐炭礦(1970年より常磐興産)の所有する鉱山も1976年に閉山し、常磐興産は炭鉱業自体も1985年に撤退しました。

常磐興産は、炭鉱の斜陽化による収益の悪化を観光業に転換することで生き残りを図りました。かつては炭鉱の坑道から温泉が湧出し、労働者を悩ませただけでなく常磐湯本温泉を湯枯れさせてしまいましたが(1tの石炭を掘る為に40tの湯を廃棄していた)、その温泉を利用して常磐ハワイアンセンター(現スパリゾートハワイアンズ)を建設し成功を収めました。また鉱床をボーリングして常磐湯本温泉の安定した源泉を確保しています。さらに地場の大手電機企業である日立製作所とその関連企業が石炭産業従事者の大部分を吸収し、自治体としての基盤の維持に貢献しました。

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機関車の下にはピットも用意されており、下から観察することも可能です。

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機関車自身は大変綺麗に保たれていました。

D51 946号機の履歴(沖田祐作氏の機関車表から)です。

D51946     川崎重工兵庫工場=2961            1944-03-00 S77.60t1D1T(1067)
   車歴;1944-03-00 製造→ 納入;国鉄;D51946→ 配属;? → 配置;? →1946-00-00 現在;新鶴見→
      1947-10-00 現在;新鶴見→1955-08-01 現在;新鶴見→1957-11-00 現在;田端→
      1958-03-00(4 月?)水戸→1958-04-00 ストーカー取付→1968-04-00 現在;平→
      1970-04-09 廃車;平→ 保存;福島県いわき市「松ケ岡公園」;D51946→
      移管保存;福島県いわき市「いわき市石炭化石館」;D51946

太平洋戦争末期の1944年3月に製造され、戦後の歴史は新鶴見からスタートし、田端、水戸、平とまさに常磐線の石炭輸送に活躍したようです。水戸機関区時代にはストーカーの取り付けも行われています。これはWikipediaにもありますが、

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D51としては珍しいストーカー装備です。

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焚口の下に通じるストーカーの管

品質の悪い石炭を常用する常磐線で運行されていた水戸、平機関区配置のD51 112・121・123・248・313・381・389・411・503・551・645・647・672・695・821・914・931・946・1024・1068の20両には1仕業での投炭量が4 - 5トンを超過していたことから、機関助士の2人乗務を避けるべく自動給炭装置(メカニカル・ストーカー)を追加搭載 といった理由からだそうです。

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946号機の構造的特徴はメインロッドのビッグエンドの形にもあり、通常のD51が長方形のような形をしているのに対して円形をしていることです。これは戦時形のD52にもみられる構造的特徴です。

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メーターやバルブ類も極めてよくオリジナルが保たれており、水位計のガラスが残っているのも数少ないケースかと思います。機関士席、助手席ともにシートもしっかり残されています。

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助手席前のランボードには清罐剤挿入装置も搭載されています。

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最後に説明板を 全走行距離は124万km とのことです。

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2014年1月30日 (木)

EF510-500番台 501号機

EF510 500番台の活躍の様子、田端運転所時代のものをこれから1機ずつ紹介して行こうと思います。

501号機の川崎重工出場は2009年12月18日で田端運転所までの甲種回送牽引機EF65 1080号機だったそうです。

2010年6月25日の8009列車「カシオペア」の同形式投入初列車、さらに2010年7月14日の1列車「北斗星」の投入初列車、さらには2010年12月1日の常磐線貨物列車投入初列車に501号機が投入されています。

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投入後初となる上りの8010列車寝台特急「カシオペア」を牽引して栗橋~古河間の中通り踏切に接近するEF510-501号機 2010/6/27

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その1ヶ月後、「北斗星」にも投入され、その上り初列車を牽引する501号機 2010/7/25 栗橋

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再掲となりますが、5388列車を牽引する501号機 2012/11/4 ひたち野うしく~荒川沖

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前夜からの常磐線コンテナ貨物初仕業の一環として2097列車を牽引する501号機 2010/12/2 ひたち野うしく~荒川沖

田端運転所時代の活躍は過去のものとなり、JR東日本の車籍も抹消され、今後はJR貨物の機関車として日本海縦貫線を中心とした活躍が期待されますが、是非あちらで活躍する姿も記録したく思います。

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2014年1月29日 (水)

485系 「雷鳥」 2003年9月から終焉まで その7 A7編成

最晩年の485系特急「雷鳥」シリーズ、今回はA7編成です。

←金沢                 大阪→  
Tc      M'   M   M'  M  T     M'   M    Tsc
9-604 288 186 75 75 751 1027 1027 2301

今回からは非パノラマのクロを大阪寄りに連結した編成となります。

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東淀川の北方貨物線を通過する回送編成 先頭はクハ489-604となります。 2005/7/8

隙間風の防止措置からでしょうか、貫通扉は溶接されています。

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同列車の後追いショットです。クロ481-2301が最後尾となっています。

<クロ481-2300番台>

1990年クハ481形300番台を種車としての「かがやき」「きらめき」へのグリーン車用に吹田工場で改造されました。2003年に京都総合運転所へ転属し「雷鳥」で運用された後、2009年クロ183-2707 - 2709へ再改造されました。

クハ481-307・325・327→クロ481-2301 - 2303

<サハ481-751>

2003年の「しらさぎ」「加越」への683系電車投入による「雷鳥」転用で、サハ481形が500・600番台の7両では不足することからモハ485形の電装解除により充当したための区分で 751は種車が1000番台による区分です。
モハ485-227・228・1029→サハ481-701・702・751

これまでにお気づきの方もいらっしゃるかと思いますが、両先頭車のスカートには編成番号が表記されており、写真を撮影した後の判別に大いに役立っているのですが、A0xと表記されている場合とAxと表記されている場合がありますね。

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2014年1月28日 (火)

西武鉄道 HSCブレーキ化・冷房改造 3 701系 (701F~705F)

西武701系の冷房化、HSCブレーキ化改造、今回は701F, 705F, 703Fの改造に触れようと思います。

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701_1701f_7600_2_2
701F編成の準急本川越行 1976/8 所沢

それぞれの編成の出場は

701F: 1976年4月19日
705F: 1976年5月18日
703F: 1976年8月24日    でした。

705Fまでは赤電塗装で出場しましたが、703Fからはレモン色一色塗装での出場となりました。

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本川越行き準急6連の701F 1976年8月 武蔵関~東伏見

以前、601系の記事で記述したように。これらの編成は601系の電動車ユニットを偶数側のクハと電動車ユニットの間に挿入し、番号は701-xとハイフン付きに改番して6連化しました。編成を解かれた601系のクハ1601~1606ハ1651形と改番され、クモハ451形とペアリングされました。

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先日の749F編成の記事で紹介した東長崎の電留線で休む701F6連+749F4連の混色10連

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所沢を出発する705F

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初めて見たレモン色1色の703F編成 武蔵関~東伏見

701_1703f
所沢にて

これにて、701系は4連で冷房改造・ブレーキHSC化改造されるパターンと6連で改造されるパターンが出揃いました。さらに驚いたのは411系の2連に同様の改造を施して、冷改グループが増殖していったことでした。また後年は新101系グループからも需給調整のため、冷改グループと併結可能な新101系改造車も現れました。

この辺の話題を出現順に記事にして行こうと思います。

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2014年1月27日 (月)

西ベルリンの思い出 アブロ748 (HS748) その3

今回はHS-748の3回目ですが、第1回で記述したように同機の路線就航は1960年8月で、1987年まで生産が続けられました。我が国では殆どニュースにならない機体ですが、例によって事故の記録をAviation Safety Networkのデータベースを検索すると105件の事故データが出てきます(表1a, 1b, 1c)。

Gbfll_cn_1658hawker_siddeley_hs748_
G-BFLL cn 1658  Hawker Siddeley HS-748 Srs2A245 1988/12/4 TXL

105件のうち、全損事故(hull-loss)が88件、機械的、天候等トラブル等による事故が90件、ハイジャック等によるものが3件です。

Table_1a_hs748_accident_1_2
表1a HS-748機の関係した事故(その1)

Table_1b_hs748_accident_2
表1b HS-748機の関係した事故(その2)

Table_1c_hs748_accident_3
表1c HS-748機の関係した事故(その3)

犠牲者が多い事故を年代順にいくつか取り上げてみると、

1.1970年2月4日 アルゼンチン航空707便(cn 1539 LV-HGW) 乗員4名乗客33名
  アルゼンチンのCorrientes-CambaからRosario-Fishertonに向かう便が悪天候の中で    loma Altaに墜落 乗員乗客全員死亡

2.1970年4月21日 フィリピン航空(cn 1643 PI-C1022) 乗員4名乗客32名
  フィリピン航空の機体がCabanatuan付近の高度10500フィートを飛行中に後部トイレ付近で爆発 機体の後部が分解し墜落 乗員乗客全員死亡(テロによるものと考えられている)

3.1975年2月3日 フィリピン航空(cn 1590 RP-C1028) 乗員4名乗客29名 
  マニラ空港のRWY30を離陸直後、第2エンジンから出火、RWY06へのアプローチが許可されるも水田に墜落 乗員乗客全員死亡

4.1976年1月20日 TAME Ecudor(cn 1683 HC-AUE/683) 乗員6名乗客36名 
  Loja空港からGuayaquil-Simon Bolivar空港に向かっていた機体がFL100で飛行中に高度を失い、樹木に翼端を引っ掛け山腹に激突 乗員6名乗客28名が死亡

5.1976年4月14日 Yacimientos Petroliferos Fiscales(cn 1540 LV-HHB) 乗員3名職員31名 アルゼンチンのRincón de Los Sauces空港からCutral 空港に向かっていた臨時便(職員輸送便が高度4000フィートで空中分解 搭乗者全員死亡 金属疲労が原因?

6.1978年3月3日 Linea Aeropostal Venezolana - LAV(cn 1744 YV-45C) 乗員4名乗客43名 ベネズエラのCaracas-Maiquetía空港発、Cumaná 空港行きの定期便が離陸直後、水平飛行に問題が生じ、空港に戻る途中で墜落、乗員乗客全員死亡

7.1980年4月27日 タイ航空(cn 1568 HS-THB) 乗員4名乗客49名 
  Khon Kaen Airport からバンコクドムアン国際空港に向かっていた定期便がRWY21Rにアプローチ中の高度1500フィートで雷雨に巻き込まれ、ローカルダウンバーストによる気流で墜落。乗員4名乗客40名が死亡

8.1987年2月26日 フィリピン航空(cn 1637 RP-C1015) 乗員4名乗客46名
  マニラ国際空港発、Baguio-Loakan空港行きの定期便が悪天候の下、標高2100mのUgo山に墜落、乗員乗客全員死亡。

9.1995年4月28日 スリランカ空軍(cn 1757 4R-HVB) 乗員3名乗客42名
  Jaffna-Palaly空軍基地からコロンボに戻るフライトで豪雨の中を離陸した機体が第2エンジンから出火し、空軍基地に戻ろうとしたもののRWY200m手前で墜落。全員死亡。そもそものエンジン出火の原因は反政府勢力によるミサイル攻撃ではと考えられている。

10. 1995年4月29日 スリランカ空軍(cn 1768 4R-HVA) 乗員3名乗客49名 前日の事故と同様にAnuradhapura基地発の空軍機がJaffna-Palaly空軍基地に向けて3000フィートまで下降したところで、ミサイル攻撃に遭い墜落。全員死亡。

といったように結構大きな事故も数件起きています。

それにしても製造期間が長かったせいもあると思いますが、まだ現役で飛んでいる機体もあるのですね。

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2014年1月26日 (日)

公園保存蒸気 C11 368 中野紅葉山公園

公園に保存されている蒸気機関車を観て歩くシリーズ、今回は中野区の紅葉山公園(中野文化センター)に保存されているC11 368号機です。

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文化センターの南側の公園につながる場所に屋根付きで保存されているC11368号機 2013/11/24

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以前は前照灯のガラスが欠損していたそうですが、シールドビームタイプの灯にガラスが入っていました。

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よくあるケースですがこちらでも鉄道関係の小道具が添えられて展示されています。

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外板の表面は非常に綺麗で後部のライト、ナンバープレートも装備されています。はしごは子供が登らないようにか、ブロックされています。

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番号的には4次形で資材と工数を節約した戦時設計機に属しますが、製造後の装備改造で砂箱と蒸気ドーム被いは丸形になったタイプです。

煙突の後ろの管は空気ブレーキ用蒸気排出管でマフラー付きです。

この機関車の履歴(沖田祐作氏の機関車表より)です。

C11368     日本車輌名古屋工場=1459           1946-12-26 S66.1t1C2t(1067)
   車歴;1946-12-26 製造→ 納入;国鉄;C11368→ 配属;仙台局→1946-12-26 竣工→
      配置[仙鉄達21];仙台局→1955-08-01 現在;小牛田→1972-07-24 廃車;小牛田→
      保存;東京都中野区「中野文化センター西館」;C11368

1946年製造後、仙台、小牛田と東北一筋に勤務し、1972年に廃車となっています。

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2014年1月25日 (土)

EF510-500番台 プロローグ

EF510、基本番台は23号機にまだ遭遇していないので予告通り、今回からEF510-500番台シリーズに入ろうと思います。

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2010年5月22日の大宮センターの公開で展示された製造間もない頃の501号機

EF510-500番台は田端機関区に配置され、北斗星、カシオペアなどの寝台特急牽引や常磐線貨物列車牽引などの運用を担当していたEF81の老朽置き換えのため、2009年から0番台を基本に、ATS-P・ATS-Psとデジタル無線、ブレーキ設定器に尾久駅 - 上野駅間での客車推進運転用のスイッチを設置し、JR貨物の機関車にはない東北本線黒磯駅の交直セクションを通過するための自動列車選別装置も装備して製造されました。

501 - 508・511 - 515号機は青い車体に流星をあしらい金色の帯を巻いた「北斗星色」塗装で落成し、2010年7月に甲種輸送された509・510号機は、E26系客車に準じたシルバーメタリックの車体に流星と五本帯を入れた「カシオペア色」で落成しました。

Ef5101501_100522
隣にはこの展示のために富山から1号機も回送され展示されていました。 
この出会いが数年後には富山機関区や日本海縦貫線で当たり前のようになるとはこの時点ではどれだけの人間が予測したでしょうか?

2011年5月20日、震災及び原発事故で運転を中止していた北斗星・カシオペアの運行再開にあたり、東北・上越・長野の各新幹線車両と同様の復興推進キャンペーンのステッカーを貼付していました。

2009年12月に1両目の501号機が登場したのち、各使用線区での試運転や乗務員訓練と並行して製造が続けられ、2010年10月までに全15両が出揃いました。
2010年6月25日から上野駅発札幌駅行「カシオペア」より運用を開始しました。さらに、7月14日からは同区間の「北斗星」での運用を開始しました。また、11月17日には新小岩操駅 - 金町駅 - 田端操駅間の工事臨時列車を、さらに12月1日からは常磐線の貨物列車牽引を開始しました。

2013年3月16日ダイヤ改正で田端運転所の貨物輸送受託が終了したため、常磐線を中心とした貨物列車の運用はEH500形に変更され、これにより車両に余剰が発生し、501 - 508・511号機は運用から外されて保留車となりました。これら保留車は7月23日から26日にかけてJR東日本での車籍を失い、2013年7月26日からJR貨物高崎機関区に配給輸送され、その後JR貨物東新潟機関区、JR貨物富山機関区へと順次輸送されています。2013年9月24日に吹田機関区に入場していた511号機がJR貨物仕様の保安装置の換装等の整備を受け、富山機関区に無動力回送されました。外装は側面の流星マークと「EAST JAPAN RAILWAY COMPANY」のロゴが消され、東日本大震災復興キャンペーンのステッカーが外された以外は青地に金色のストライプもそのままで、車両番号の改変も行われていません。

Ef510501_100522_2
501号機の片面には北斗星、もう一方にはカシオペアのHMが掲げられました。

このように、15両揃っての田端運転所における活躍期間は2010年10月から2013年3月までの2年数ヶ月と短く、既に「北斗星」、「カシオペア」の定期運用が2015年度末までに廃止されることも報じられており(1,2)、今後のJR東日本所属機の未来は明るいものではないかと思われます。尤も長岡のEF64,EF81,青森のEF81、仙台のED75のように定期仕業はなくとも臨時列車、工臨などの仕事はあり、細く長く生きながらえる可能性はありますが。

私も15両揃って、常磐線貨物運用に就いた頃は、EF510-500番台による時代がこんなに早く終焉を迎えるとは思っていませんでした。

15両という手頃な両数、さらに「北斗星」「カシオペア」「コンテナ貨物」「安中貨物」といった4種類の異なった列車形態は全部撮影するのに格好のターゲットと考え、コンプリートを目指すことにし、達成することが出来ました。すでに「安中貨物」に関しては同一地点での15両の写真を記事でアップしていますが、今回のシリーズは1機ずつ4種類の列車の写真をアップして行こうと思います。

今回の記事作成にあたり、Wikipediaの記事を参考に致しました。

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2014年1月24日 (金)

485系 「雷鳥」 2003年9月から終焉まで その6 A6編成

最晩年の485系特急「雷鳥」シリーズ、今回はA6編成です。

←金沢                    大阪→  
Tc     M'      M     M'   M    T    M'   M    Tsc
326   292   190  1026 1026 503 605 506 2101

パノラマグリーン車連結の「雷鳥」編成の中でも最も注目された編成でした。その理由は”窓の大きい”パノラマグリーン車クロ481-2101のためです。

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岸辺に進入するA6編成 先頭車の窓の大きさに注目です。 2006/6/19

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新大阪に進入するA6編成 2006/11/19

以前の記事(スーパー雷鳥)でも記述しましたが、1989年のスーパー雷鳥運転開始に伴い、サロ489形1000番台に吹田工場でパノラマ運転台を新設し、制御車化改造してクロ481-2000番台が登場しました。5両はサロ489-1000から、1両はサハ481-118から改造されたため、座席配置と合わない大窓のグリーン車としての登場となり、番号も2100番台となりました。

  • サロ489-1001・1006・1003・1007・1009→クロ481-2001 - 2005
  • サハ481-118→クロ481-2101
  • 485_a06_080905
    連結器カバーの色もスカートと同色となったA6編成 2008/9/5 金沢

    485_a06_100708
    東淀川付近の北方貨物線を行く回送列車 2010/7/8

    485_a06_101210_2
    島本駅を通過する特急「雷鳥」 2010/12/10

    パノラマグリーン者を含む編成はこれで終わりですが、「雷鳥」シリーズはA7~A10と続きます。

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    2014年1月23日 (木)

    西武鉄道 HSCブレーキ化・冷房改造 2 701系 (749F, 751F)

    西武鉄道の701系、ブレーキ・冷房改造車、第二弾として登場したのは701系後期グループのトップ編成、749F751Fでした。

    749Fの出場が1975年12月23日、751Fが1976年2月14日でした。

    701_1749f1751f_7609
    最初は池袋線に投入された749F+751F編成 1976/9 保谷にて

    701_1701f1749f_10_3
    朝の通勤輸送で活躍した701系改造車グループ10連が東長崎の電留線で休む姿がこの頃は見ることができました。 ある朝、まだ赤電塗装のままの701F編成とレモン色一色に塗り替えられた749F編成の混色10連が休む姿も見ることが出来ました。

    701_1749f_8005
    後年、401系の冷房改造編成も登場し、新宿線で6連運用で活躍する749F編成 1980/5 東伏見

    列車表示のプラスティック板もこの時代のものになっています。

    以上です。次回は601系電動車ユニットを組み込んで6連化した701Fです。

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    2014年1月22日 (水)

    西ベルリンの思い出 アブロ748 (HS748) その2

    西ベルリンのテーゲル空港で撮影した旅客機のシリーズ、今回も前回に引き続きHS-748です。

    Gazsu_cn_1612_hawker_siddeley_hs748
    G-AZSU cn1612 Hawker Siddeley HS-748 Srs2A232 1988/10/23 TXL

    今回はHS-748の派生型について触れようと思います。

    1) オリジナルタイプ 748 Series 1

    ロールスロイスDart RDa 7 Mk 514 ターボプロップエンジンを2個搭載したタイプで24機製造されました。

    2) Series 2

    1961年から製造されたタイプで、エンジンがMk 531 となり、最大離陸重量が大きくなりました。 111機製造されました。

    3) Series 2a

    今回と次回写真を紹介するDan Air の機体がこのタイプで、1967年から製造され、Mk 532 もしくは 534 エンジンを搭載し、最大離陸重量はさらに大きくなり157機が製造されました。タイプ別ではこのグループが最大勢力でした。

    4) Series 2b

    Hawker-Siddeley が British Aerospaceに吸収された後のメインの製造タイプで翼幅が4フィート伸ばされ、Mk 536 エンジンの搭載で最大離陸重量も増え、客室は近代化され、システムも改善されました。前回ご紹介したBritish AirwaysのG-BOHZはこのタイプです。28機が製造されました。

    5) Super 748

    基本的には2b同じでエンジンに騒音防止のためのハッシュキットが装着されました。8機が製造されています。

    6) Hawker Siddeley HS780 Andover

    前回の記事でご紹介したように英国空軍向けの機体で前脚の伸縮装置、後部から荷物の出し入れ対応の設備が付加されています。

    7) Coastguarder

    海上パトロール用バージョン

    8) 748 Andover

    軍用兵員輸送機

    9) HAL 748

    前回の記事で紹介したようにインドのヒンドスタン航空機におけるライセンス生産型

    10) HAL 748 Series 2M

    大型の貨物ドアを装備したインド空軍向けの機体で生産最後の20機

    Gazsu_cn_1612_hawker_siddeley_hs7_2
    G-AZSU 1988/10/23 TXL

    こうやって間近で見るとYS-11とは似ているものの、胴体長の短さ、操縦席後方の大型の貨物ドア等の違いが分かります。

    Dan Air Londonに関してはBoeing 727737の記事で触れる予定です。

    追記:Dan Airのフリートなどの情報はこの記事を書いている時点では分からなかったのですが、後日DanAirRemembered.comというサイトを見つけました。同サイトにはHS748のフリートリストも載っており、色々な塗装の機体の写真を見ることが出来ます。

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    2014年1月21日 (火)

    公園保存蒸気 C50 123号機 小山駅東公園

    全国の公園に静態保存されている蒸気機関車等を観て歩くシリーズ、今回は2013年11月24日栃木・さいたまシリーズで最初に訪問した、小山駅東公園に保存されているC50123号機です。

    C50_123_131124_8
    C50 123号機 小山市 駅東公園 2013/11/24

    栃木県の県庁所在地、宇都宮駅の東側にも駅東公園があり、そこにはEF57 7号機が保存されているようですが、地図で見ると小山の駅東公園の方が駅から近く、歩いて5分程度で到着出来ます。

    C50_123_131124
    C50 123号機の保存されている状態

    一見すると動物園の檻のような中にC50123号機は保存されており、「C-50 小山号」という看板が掲げられています。

    現役時代に観ることはなかったC50ですが、保存機を見て観て歩くようになって、北鹿浜公園の75号機に次いで2台目、2014年1月2日にも焼津の96号機を観ているので3台観たことになります。

    C50_123_131124_2
    デフレクターの有無でイメージは大きく変わりますが、この機関車の場合は装着されており、フォーマルな雰囲気がします。檻の網の目にカメラのレンズを差し込んでの撮影となり、自由度が制限されました。外板の様子など、近くから見たわけではありませんが、極めて美しく保存状態が良いことが分かります。

    C50_123_131124_9
    公開時にはキャブの中も見ることが出来るのでしょう。

    C50_123_131124_10
    ボイラーが細いためか相対的にスポーク動輪が大きく見えます。さらに元空気ダメをランボード下に装着しているため、ランボードの段差が結構あるように見えます。

    C50_123_131124_12

    炭水車の台車は3軸方式で、軸重のバランサーが見えます。また外板のリベットも時代を感じさせます。

    C50_123_131124_13
    標識灯は片方ですが、ライトは装備され、ナンバープレートも付いています。

    131124_2
    今回の訪問は早朝だったので展示時間外でしたが、小山は比較的よく行く場所なので再訪しようと思います。

    131124
    市が力を入れているのか公園の東側の通りにはこんな表示も。

    最後にこの機関車の履歴を機関車表(沖田祐作氏)から、

    C50123     日立製作所笠戸工場=400           1930-05-02 S49.50t1CT(1067)
       車歴;1930-05-02 製造→ 納入;国鉄;C50123→ 配属;門司局→ 配置;早岐→ 小郡→
          1933-06-30 現在;浜松→1954-05-01 現在;小山→1964-04-01 現在;小山→
          1970-08-13 廃車;小山→ 保存;栃木県小山市「駅東中央公園」;C50123

    製造は1930年で、九州に配属となり、小郡、浜松時代を経て、1970年廃車となるまでは地元小山機関区で過ごしたようです。

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    2014年1月20日 (月)

    2013 夏 新潟の旅 13 EF510 基本番台 22号機

    EF510の基本番台シリーズ、今回は22号機です。

    22号機の川崎重工出場は2012年7月24日とのことです。出場の模様はこちらにレポートされています。富山機関区への甲種回送は26日だったそうです。

    Ef51022_120913
    東海道本線経由で山科を通過する22号機 2012/9/13

    出場から1ヶ月半後に8094列車のスジで山科を通過する22号機を撮影していました。私はこの山科の下り線を長大貨物列車がやってくる風景が好きです。

    山科駅には湖西線の0キロポストもあるそうですが、全国の0キロポストを見付けたら写真を撮るようにしているのですが、まだ湖西線の0キロポストの写真は写しておりません。

    山科駅の歴史は

    1921年8月1日 - 東海道本線の馬場駅(現在の膳所駅) - 京都駅間が新ルートに改められた際に開業しました。
    客貨取扱を開始。
    新逢坂山トンネル・東山トンネルの開通によって現在の大津駅 - 京都駅間のルートが完成し、それに伴う開設です。
    それまでの東海道本線のルートは、馬場駅 - 大谷駅 -(旧)山科駅 - 稲荷駅 - 京都駅間でした。旧線は新線開業と同時に廃止となりました(稲荷駅 - 京都駅間は奈良線に転用)。以前、京都駅の歴史で記述しました。

    なお旧線に存在した(旧)山科駅は、京都駅 - 大津駅間鉄道のうち、京都駅 - 大谷駅間が開業した1879年8月18日に開設されました。現行の駅のかなり南方にあり、現在は名神高速道路が通っている地下鉄東西線小野駅付近とのことです。徳冨蘆花の『不如帰』や、萩原朔太郎の『夜汽車』でも描かれました。

    1971年10月1日 - 貨物取扱が廃止。
    1974年7月20日 - 湖西線開業。
    1986年11月1日 - ダイヤ改正により、新快速停車駅となる。
    1987年4月1日 - 国鉄分割民営化により、西日本旅客鉄道の駅となる。
    1995年10月5日 - 地下鉄東西線の山科駅工事開始。
    1997年10月12日 - 地下鉄東西線の駅が開業。 地下鉄の駅はJR・京阪京津線との連絡のために設けられることが決定されました。しかし実際には、京阪京津線との接続駅の役割は、隣の御陵駅が担う形になりました。
    2003年11月1日 - ICカード「ICOCA」供用開始。

    さらに山科駅とは深い関係にある京阪京津線の話題を。

    かつて京阪京津線は本線と共通の三条駅を起点として京都~大津間を結んでおり、蹴上げ付近では碓氷峠並の66.7‰の急勾配もありました。

    86801211
    1980/12/11 京都出張の際に蹴上で撮影した京津線電車

    1997年10月12日に御陵駅以西が廃止となり、京都市営地下鉄東西線へ乗り入れを開始しました。 

    812_120913_3
    現代の800系 2012/9/13 山科駅前

    EF510基本番台は23号機まで出場、活躍していると思いますが、23号機はまだ撮影していないのでシリーズとしては今回の22号機で最後としておき、23号機に遭遇する機会があれば載せたく思います。

    次回からはEF510-500番台シリーズを始めます。

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    2014年1月19日 (日)

    485系 「雷鳥」 2003年9月から終焉まで その5 A5編成

    最晩年の485系特急「雷鳥」、今回はA5編成です。

    485_a05_050708
    東淀川を通過する特急「雷鳥」A5編成 2005/7/8

    ←金沢                    大阪→  
    Tc      M'      M     M'   M    T    M'   M    Tsc
    9-702 9-211 9-26 90  90   603  607 503 2007

    この編成の金沢よりの3両は489系です。

    489系の歴史は2013年1月25日の特急「白山」の記事で記述しましたが、ボンネット形クハの5編成、貫通形クハの5編成、非貫通形クハの4編成の計14編成が特急「白山」の3往復最盛期でも489系専用の運用に入ったことはなく、1本は485系との共通運用でした。

    485_a05_050823
    A5編成の金沢よりクハ(回送中なので編成向きは逆)はジャンパ栓がひとつないクハ489-702 2005/8/23 千里丘

    485_a05_061118
    岸辺を通過する同編成 2006/11/18

    非貫通形のクハ489-300, -700はクハ481-300と同じ時期に製造されたため形態は似ていますが、CPの装架がクハ481とは異なり床下装架となりました。そのためクハ481-300の運転台下部に見られたCP用のルーバーが無くなりました。クハ489-300には2,000l/minのCP(MH113B-C2000M)を1台、-700番台は2台搭載しています。このタイプ、8両全てがJR西日本に継承されました。

    485_a05_100709_2
    2010/7/9 吹田を通過する回送編成 既に6連化され、連結器カバーも白系統に

    485_a05_100709
    2010/7/9 こちらは同日の営業列車 終着、大阪を目指す

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    2014年1月18日 (土)

    西武鉄道 HSCブレーキ化・冷房改造 1 701系 (731F,733F)

    前回の801系で、オリジナルの赤電シリーズは終了しましたので、今回からは701系、801系、401系、501系などの赤電からブレーキのHSC化、冷房改造で登場した車輌群について触れようと思います。

    まずは、701系です。最初に改造の白羽の矢が当てられたのは731F, 733F編成でした。

    6
    いつも参考にしている保育社 私鉄の車輌 6 西武鉄道 (上記写真)によると、最初の冷改編成(731F)の出場は1975年10月1日でした。恐らく4連単独では運用に就けなかったので、次の733Fの出場、1975年11月8日を待って、池袋線の運用に入ったのではと思います。

    701_1731f1733f_7609
    江古田を通過する731F+733Fの701系 赤電塗装の8連 1976/9

    701系、801系などの冷房改造は本来、101系が集中的に投入された池袋線に対して、非冷房、吊り掛け駆動の従来車が主流だった新宿線の格差解消が目的だったと思いますが、最初は4連x2だったためか池袋線で活躍していました。

    改造の内容

    冷房装置は101系量産冷房車グループにおいて採用された集中式の三菱電機CU-72Bで車内天井部に風洞を新設し、補助送風機は従来の扇風機に代わってラインデリアが新設されました。また冷房装置搭載に伴って電力使用量が増加することから、モハ701形・モハ801の偶数車に搭載するパンタグラフを従来の1基から2基に増設し、電動発電機も大容量のMG-117A-S(定格出力150kVA)1基に換装されました、床下儀装スペースの都合から従来モハ701形・モハ801形の奇数車に搭載された電動空気圧縮機はクハ1701形・クハ1801形の偶数車へ移設されました。

    運転台パネルが101系類似の形状に変更されたほか、客用扉を101系ならびに801系と同様の扉窓固定支持をHゴム方式としたステンレス無塗装扉に交換されました、前照灯が白熱灯仕様で落成した車両についてはシールドビーム化が施工され、また制動装置の電磁直通ブレーキ化に伴って電磁自動空気ブレーキ仕様の従来車および未改造編成との併結が不可能となったことから、先頭部の電気連結器カバーを黄色に塗装し、従来車と区分しました。

    1975年当時、私は大学2年生で、練馬区南大泉の自宅から、吉祥寺経由の井の頭線で通学していたため、東西方向の西武線とは縁が薄く、701系の冷房改造車登場という大ニュースも気付くのが遅れ、初めて撮影したのは登場から11ヶ月後のことでした。当時、既に703F編成がそれまでとは異なるレモン色で出場し、新宿線で活躍を始めていましたので、赤電塗色で出場した、731F、733F、749F,751F, 701F, 705Fが塗り替えられるのも時間の問題かと感じていました。

    701_1731f1733f_7609_2
    赤電塗装で出場した731、733F 上の写真の折り返し豊島園行き 東長崎 1976/9

    701_1731f1733f_7609_2_2
    豊島園行きの逆側エンド 正面から見ると従来の赤電と区別が付きにくいためか、電気連結器カバーが黄色く塗られたのがこのシリーズの識別ポイントなりました。

    今から考えてもこの701系の冷房改造編成の登場がそれまで他の首都圏の大手私鉄の中で大きく引き離されていた西武電車のイメージを挽回するきっかけだったようにも思えます。

    次回のこのシリーズでは同じ701系の4連で749F、751Fについて触れます。

    改造の内容等に関してはWikipediaの記事を参考に致しました。

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    2014年1月17日 (金)

    西ベルリンの思い出 アブロ748 (HS748) その1

    西ベルリン留学時代にテーゲル空港で写した機体、前回の予告ではDan Air Londonとお伝えしましたが、もちろんメインはDan Air Londonの機体(アブロHS748)に関する話題で行くのですが、British AirwaysのHS748機も一機だけですが撮影していましたので、本シリーズに含めます。

    Gbohz_cn_1785_british_aerospace_bae
    G-BOHZ cn 1785 BAe-748 Srs2B378 1988/10/23 TXL 
    テーゲル空港でただ一度だけ見たBritish AirwaysのHS-748 スタイルは我が国のYS-11とよく似ており、エンジンはロールスロイスのダートエンジンで同じです。この写真の手前に垂直尾翼の先端だけ写っていますが、形態と塗色からDan Air LondonのHS748がいることがわかります。

    前回までの記事でBAe ATPをご紹介致しましたが、HS748はそのベースとなった機体と言えます。

    WikipediaなどではAvro748として紹介されており、1950年代後期にアブロ社によって開発され、試作機の初飛行は1960年6月24日、量産型は1961年8月30日に初飛行をしています。1962年に就航しました。

    最初に生産されたタイプはスカイウェイズ・コーチ航空へ納入されましが、大多数はアルゼンチン航空に納入されました。短距離離着陸性能に優れていたため、短い未舗装滑走路や荒れ地で運航する中南米諸国で人気を博したそうです。

    アブロ(Avro: A.V.Roe and Company)は第二次世界大戦で活躍した爆撃機アブロランカスターのメーカーとして有名ですが、BAe ATPの記事でもご紹介した通り、1910年1月1日、マンチェスターで創設された世界初の航空機製造会社でした。ライト兄弟の世界初の有人人力飛行成功が1903年12月17日のことですから、それからわずか6年ちょっとということになります。

    1912年には木製複葉機アブロ504を開発し、翌年初飛行し、第一次世界大戦では敵味方双方で使用された航空機となりました。8340機も生産され、20年間も使用されました。第二次世界大戦でもアブロマンチェスター、アブロランカスター、アブロリンカーンが製造され、ランカスターは7000機以上製造されました。冷戦期にはアブロヨークが軍用、民間用として重用され、チューダーとともにベルリン分鎖に伴う、ベルリン大空輸でも大役を担いました。またアブロバルカン爆撃機はイギリスの核抑止戦略の一環として核ミサイルを搭載したアラート任務にも就き、フォークランド紛争でも通常爆撃任務で出動したそうです。

    1957年にイギリスの国防方針が転換され、アブロは民間機市場に再参入することとなり、ダグラスDC-3の買い換え需要を目当てに地域間小型旅客機として1958年に設計が開始されたのがアブロ748です。

    軍用機としても成功し、イギリス空軍から発注された戦術輸送機型はHS748アンドーバー(Andover)と命名され、イギリス空軍やイギリス連邦各国で使用されました。王室用飛行隊にも納入されています。インドのヒンドスタン航空機でもHL-748としてライセンス生産され89機が製造されました。このうち72機はインド空軍向けだったそうです。最終モデルのスーパー748の生産終了は1987年のことであり、なんと30年近く生産されたことになります。

    アブロ社は1963年7月にホーカー・シドレー・アビエーションと合併し、さらに1977年にはホーカー・シドレーグループが政府によって国営化され、ブリティッシュ・エアロスペース(BAe)になりました。いずれご紹介するBAe146はブランドイメージを残すためにAvroRJとして販売されていました。

    Hs7483b727_881023_txl
    遠方の駐機場にPA, TWA、Dan Air LondonのBoeing 727と顔を合わせたHS-748、日本でもかつてJALやANAのBoeing 727とYS-11が顔を合わす機会がありましたが、そのサイズの違いがよく分かります。

    HS748は最初の写真のようにYS-11とよく似ています。両者のスペックを下表で比較してみました。

    Hs748_vs_ys11
    表 HS-748とYS-11の比較

    どの数字をとってもYS-11の方が若干大きいことがわかります。

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    2014年1月16日 (木)

    公園保存蒸気 9687号機 川口市青木町公園

    全国に静態保存されている蒸気機関車を観て歩くシリーズ、今回は栃木・さいたまシリーズの一環として、2013年11月24日に訪れた川口市青木町公園に保存されている9687号機です。

    9687_131124_2
    9687号機 2013/11/24 川口市青木町公園

    いわゆる4桁の96です。場所は西川口駅から北方向に徒歩約10分で、地図はこちらYahoo地図 です。今回は前回の記事でご紹介した蕨の大荒田交通公園に引き続いて訪問したため、西川口駅からは歩いてはいません。

    131124
    青木町公園は陸上トラック、野球場、テニスコート、プールも有した総合運動公園(青木町平和公園とも言われている)で、機関車は西側ゲートのそばに、京浜急行236号車と並んで保存されています。訪れた日は秋の運動会だったのか、多くの子供達、家族ずれで公園全体が賑わっていました。

    131124_2
    公園の西門の脇に屋根付きのスペースが用意されて保存されていました。奥には京急の236号の車体も。

    記事を書くにあたり、いつも参考にさせて戴いているTADAさまのサイトの情報によると2013年9月下旬にボランティアの方々による清掃が行われたそうです。

    9687_131124_16
    柵等の関係で気に入った角度から写真が撮りにくいと行った難点はあります。

    9687_131124_7
    9687号機はデフレクターは装着されていません。いくつもの機関車の写真を撮っていると砂管や給水温め器の配管の様子も気になってきます。

    履歴を機関車表(沖田祐作氏)から見てみると

    9687      川崎重工兵庫工場=226            1916-00-00 S59.80t1DT(1067)
       車歴;1915-12-00 製造→ 納入;国鉄;9687→1915-12-25 使用開始[東管達1336];東京局→
          1929-00-00 現在;高崎→1936-10-00 現在;高崎→1943-05-21 大阪局→
          1945-07-11 札幌局→1947-00-00 現在;五稜郭→1955-08-01 現在;五稜郭→
          1965-03-31 現在;五稜郭→ 函館→1965-09-23 大宮→1969-11-06 廃車;大宮→
          保存;埼玉県川口市「児童文化センタ-」;9687

    製造されたのは1915年で当時の川崎造船ですね。最初は高崎に配置されますが、戦時下、大阪へ、さらに北海道に渡り、廃車時は大宮でした。大宮時代は4桁の96として人気が高かったそうですね。

    9687_131124_5
    川口といえば古くから鋳物の街として有名ですが、1881年の日本鉄道設立後の事業開始で工事用の車輌の組み立てが川口市で行われたことが縁で機関車の保存に繋がっているのですね。

    同じ9600形といえば、九州福岡県の炭鉱でかつては有名な志免町に保存されていた29612号機が公園の改修工事に絡んで移転を余儀なくされたところ、移転費用の捻出ができず解体の危機に陥っているとのことです。蒸気機関車など保存車両を網羅されており、私も現地訪問などで参考にさせて戴いているやまてつ様のサイトに詳細が載っています。ひとつの案として大分県玖珠町にある豊後森機関区に移転してはという話もあるそうです。

    過去にも維持が出来なくなり、解体となった車両は多くあると思いますが、蒸気機関車は単に鉄道ファンのノスタルジーではなく、産業遺産としての価値、すなわち蒸気機関が産業の発展に貢献をしたことを示す貴重な教材でもあると思います。そういった意味においてこれまで保存してきたものをこれからもきちんと維持して行くことは極めて重要と思います。

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    2014年1月15日 (水)

    2013 夏 新潟の旅 13 EF510 基本番台 21号機

    EF510の基本番台シリーズ、残すところあと僅かとなって参りました。

    今回は21号機です。

    出場は2012年6月26日で、20号機の出場から3年間のブランクを経てのものだったようです。引用させて戴いた「鉄風味な写真日記」さまのブログのページ、川崎重工兵庫工場から出場する21号機のピカピカのお写真が掲載されています。

    私も、辛うじて昨年夏に新津駅で偶然見かけただけで、まだ、まともな写真は実は撮っておりません。今度、あちら方面に出かける機会があり、かつ21号機を撮影出来たらこちらの記事に追記する予定です。

    Ef51021_130808
    新津駅に進入してきたEF510-21号機牽引  3097列車 2013/8/8

    Ef51021_130808_2
    EF510牽引の貨物列車の到着を全く考慮していなかったので、1番線ホームにおり、こんな写真しか撮れませんでした。

    因みに私も一度だけ、川重からの出場日に関西にいたことがあり、和田岬線の撮影も兼ねてその様子を見ました。2008年12月12日のことで、当日はEF210-152号機の出場日でした。

    Ef210152_081212
    和田岬線の車内から撮った出場待ちのEF210-152号機 2008/12/12

    今回は川崎重工業車両カンパニーについて触れてみてみようと思います。川崎重工業の鉄道製造部門であり、創業は1906年です。現在までに9万両以上の車両を製造しており、兵庫工場が主力ですが、北米にも工場を有しています。

    生産能力は月間で客電車80両、機関車8両

    1906年に川崎造船所として鉄道車両の生産を開始していますが、私が小学生時代に西武国分寺線でお世話になった西武モハ550形・クハ600形(後のクモハ151-クハ1151形)も1927年の川崎造船所の製造でした。同形式を含むこの時代の車両は電車のボディを木造から鋼鉄製に切り替えたもので、阪神急行電鉄に納められた510形をはじめとして全鋼製車両が日本で初めて製造され、川造形といわれる独特な形態の車両として各社に供給されました。1928年に鉄道車両部門を川崎車輛として分社化しましたが、1969年に本体に合併しています。

    新幹線、特急形電車、公営事業向け車輛に強みを発揮し、普通鋼製に限らず、ステンレス製、アルミ合金製などあらゆる材質の鉄道車輛の製造技術を有しています。JR東日本の209系などの2シート貼り合わせ工法、従来の工法にみられる骨組みを用いない工法によってステンレス車などを独自に製造しています。

    Dd51_833ef210152_081212_2
    DD51 833号機に牽引されて鷹取駅(神戸貨物ターミナル駅)まで運搬されてきた出場車輌 2008/12/12

    1927年から1937年の昭和初期の不況時代には多角経営の一環として、橋梁、鉄骨製作も実施し、永代橋、清洲橋、勝鬨橋と東京市の震災復興事業を象徴する隅田川の3橋梁の製作を請け負ったそうです。1980年代以降は国外向けの車両も積極的に受注しており、特にニューヨーク市都市局への納入は多いそうです。

    Subway_in_nyc_020706_nyc16
    果たして川崎重工製かどうかはわかりませんが、New York市地下鉄の車輌です。 2002/7/6 JFK空港近くの駅にて

    鉄道ファンとしてはどんな製品があるか興味のあるところですが、

    国鉄、JR

    新幹線:800系以外の全て 800系は台車のみ

    国鉄: 63系、103系、151系、485系、583系、211系、C57形、EF65形など、
        昭和期の鉄道車輛全般

    JR北海道:721系、731系、733系、785系、789系、キハ261系(構体・台車のみ)

    JR東日本:651系(全車輌)、209系、E231系、E233系、E331系、E531系、701系、E721系

    JR東海:311系、371系、383系

    JR西日本:281系、283系、285系、287系、681系、683系、221系、223系、225系、521系、125系(全車輌)、207系

    JR九州:DF200形「ななつ星in九州」 JR九州はこのDF200形から、JR四国は5000系まで取引はないそうです。

    JR貨物:EF66形100番台、EF210形、EF510形、DF200形

    大手私鉄は小田急、京阪、京急、東京メトロ、西鉄、阪神などと実績がありますが、西武は自社の所沢工場で製造しているため、151系以降取引がないそうです。京成も1979年6月以降なし、東急も東急車輌製造(現、総合車両製作所)で製造しているので現在はなしです。阪急はナニワ工機設立後は、なしです。

    以上、Wikipediaの記事を参考に作成致しました。

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    2014年1月14日 (火)

    485系 「雷鳥」 2003年9月から終焉まで その4 A4編成

    最晩年の485系特急「雷鳥」シリーズ、今回はA4編成です。

    485_a04_061117
    新大阪駅を後にする特急「雷鳥」A4編成  2006/11/17

    まだこの頃は連結器カバーが赤い色をしています。

    Tc   M'   M    M'   M    T    M'   M    Tsc
    322 315 213  73   73   602 613 502  2004

    A4編成の構成は上記のようになっており(2008年冬号データ)、大阪寄りのTM'Mの3両はハイグレード仕様でした。

    485_a04_070310
    東淀川に接近するA4編成 終点大阪もあと少し 2007/3/10

    A4編成に関してはクロ側の写真のみで、残念ながらクハ481-322の写真はありません。

    485_a04_101207
    湖西線ではなく、米原方面からの東海道本線を走るA4編成 2010/12/7

    琵琶湖西岸の強風により、雷鳥が米原経由で迂回運転したときのショットです。

    2010年3月の改正で編成も6両の短縮バージョンとなり、多客期のみ9連での運行となりました。連結器カバーの色もかわっています。

    485_a04_101209
    千里丘を行く特急「雷鳥」 2010/12/9

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    2014年1月13日 (月)

    西武鉄道 赤電の時代 801系

    西武鉄道の赤電シリーズ、いよいよ最後となります。701系のマイナーチェンジ版 801系の登場です。

    801_2
    武蔵関~東伏見間を行く本川越行き準急で活躍する801系編成 1974年頃

    ドアは既に101系同様のステンレスドアに変更されています。

    701系1967年7月まで48本、計192両新製された時点で番号は796まで行きましたが、そのままゆけば800番台に突入するところで、1968年1月からは801系の新製に移行しました。

    801
    主に新宿線を活躍の場にした赤電時代の801系 クハ1806他 新大久保のホームから撮影

    車体外観・主要機器の仕様とも概ね701系を踏襲しましたが、車体側面の雨樋が上方に移設されて張り上げ屋根風の見付となったことに加え、制御車の台車が空気ばね台車に変更され、また低圧電源が新製当初より交流仕様に改良された点が異なります。

    801系は1968年1月と3月の二度にわたって増備され、4両編成5本の計20両が新製されました。全車、西武所沢車両工場において製造されました。

    前述のように701系制御車が当初、国鉄払い下げ品である省形釣り合い梁式台車改造のTR11Aを装着して登場したのに対して、801系制御車は新製時から枕ばねを空気ばねとした住友金属工業FS067(固定軸間距離2,100mm)を新製し装着しました。同台車は101系において採用されたFS372・FS072台車に先行して新製された軸ばね式台車でした。

    Wikipediaによると、将来的な旧型台車との交換による他形式への装着を考慮して、枕ばねを車体直結(ダイレクトマウント)構造とせず、車体と枕ばねの間に枕梁(上揺れ枕)を設けたインダイレクトマウント式とした点が特徴であったとあります。

    実際に西武鉄道においてFS067による旧型台車の代替は行われず、対応する電動車用台車FS367も製造されませんでした。その代わりにクモハ411形551系の記事で紹介しましたようにFS067,367の基本設計で同じインダイレクト方式空気バネ台車のFS40が製造されました。但し、固定軸間距離は2450mmに変更されています。

    制動関係は701系のシステム(AMAE)に中継弁 (Relay valve) を追加して制動力の増圧を図ったAMA-RE (ACA-RE) 電磁自動空気ブレーキを採用しました。旧型車との併結運用を行う都合上発電制動を持たず、常用制動・非常制動とも空気制動のみとされましたが、ブレーキシューを従来の鋳鉄製からレジン製のものに改良し、所要の制動能力を確保しました。

    補機MGに関しては交流出力仕様のMG-534-Mrb(定格出力12kVA)を1両当たり1基、モハ801形の奇数車に搭載しました。

    801_3
    所沢駅にて 

    冷房化改造以前には主だった改造は行われませんでしたが、1973年以降、軽量構造が災いして走行中の振動が著しかったアルミハニカム構造の客用扉について、101系同様の扉窓固定支持をHゴム方式としたステンレス無塗装扉に順次交換されました。私も、アルミナニカム構造扉時代の801系は見ておりますが、写真を撮り始めた頃にはすべてステンレス無塗装扉に置き換えられていました。

    801_820829
    国分寺線で活躍する801系 東村山

    <追記> 801系 5編成の竣功日データを載せます。参考:私鉄の車輌6 西武鉄道 保育社

    801F 1968年1月12日
    803F 1968年1月12日
    805F 1968年1月12日
    807F 1968年2月1日
    809F  1968年3月18日

    これで赤電、シリーズは終わりです。

    次回からは701系、801系、クモハ411形~クハ1451形の冷房改造によって登場した車両群に触れようと思います。

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    2014年1月12日 (日)

    西ベルリンの思い出 BA British Aerospace ATP G-BTPF & G-BTPH

    西ベルリンのテーゲル空港で撮影した旅客機の話題、今回はBritish Aerospace ATPの2回目です。

    Gbtpf_cn_2013_british_aerospace_atp
    G=BTPF cn 2013 British Aerospace ATP 1989/6/25 TXL

    私が西ベルリンにいた頃は最新鋭のターボプロップ機として期待されて登場したATPでしたが、1996年に通算64機で製造を終了してしまいました。

    今回はその64機のうちで不幸にして事故を起こした機体について触れようと思います。全損事故は3回です。

    最初は1997年4月19日、インドネシアのTanjung Pandan-Bulutumbang Airport (TJQ) (ジャカルタの北方、ブチトゥン島の空港)にアプローチ中だったジャカルタ発のメルパチ・ヌサンタラ航空の106便(国内線 PK-MTX cn 2048 乗員5名、乗客48名 )が2000フィートでコントロールを失ってココナツの林に墜落して3つに分解した事故で乗員4名乗客11名が犠牲となりました。事故調査の結果、プロペラの一枚に損傷が見つかったそうです。

    2度目の事故は1999年12月11日、ポルトガルのアゾレス諸島のPonta Delgada-Nordela Airport, Azores (PDL/LPPD)を出発してHorta Airport (HOR/LPHR)に向かっていたSATA航空の530便(CS-TGM cn 2030)が猛烈な雨風の中を飛行中にSao Jorge 島の標高1067mのPico da Esperança 山に墜落したもので、乗員4名、乗客31名の全員が犠牲となりました。

    http://aviation-safety.net/database/record.php?id=19991211-0 このサイトの地図を見るとわかりますが、アゾレス諸島、ポルトガルの領土で自治権のある諸島だそうですが、リスポンからは1500kmも離れているのですね。

    3度目の事故は2007年6月15日、インドのChennai 空港(MAA/VOAA)に着陸しようとしたFirst Flight Couriersの貨物便(VT-FFB  cn 2039)がハードランディングで前脚を破損した事故です。犠牲者はありませんでしたが、機体は修復不能で廃棄となりました。

    Gbtph_cn_2015_british_aerospace_atp
    G-BTPH (cn 2015) British Aerospace ATP 1989/9/17 TXL

    今回の記事はBritish Airwaysの話題ではなくBAe ATPのしかも他の航空会社事故の話題となりましたが、次回の本シリーズでは後年 British Airwaysと合併したDan Air Londonについて触れようと思います。

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    2014年1月11日 (土)

    公園保存蒸気 C11 304 大荒田交通公園

    各地の公園に静態保存されている蒸気機関車を観て歩くシリーズ、今回は東北本線、西川口~蕨のほぼ中間の線路沿いにある、大荒田交通公園に保存されている C11 304号機です。

    2013年11月24日に訪問しました。

    このときは栃木~埼玉シリーズとして、自宅から常磐線を北上し、友部へ、友部で水戸線に乗り換え、小山へ、小山で駅東公園に保存されているC50 123号機を見た後、東北本線で大宮へ、大宮で先日ご紹介した山丸児童公園のC1229号機を観て、徒歩で北与野へ、埼京線で与野本町へ、中央区役所の39685号機を観て、埼京線、武蔵野線を乗り継ぎ、蕨へ、そこから歩いて公園に到着しました。

    ちょうど、この日は保存会の方々でしょうか、補修作業や掃除が行われているところでした。

    C11_304_131124_3
    C11 304号機 2013/11/24 大荒田交通公園

    C11としては先日、ご紹介した鴻巣せせらぎ公園のC11322号機と同様の蒸気ドーム、砂箱がカマボコタイプの戦時スタイルでした。

    C11_304_131124
    現地に行くまで機関車がどちら向きに置いてあるのかは分からないので、場合によってはこういったモロ逆光の写真になってしまいます。太陽の位置を判断しつつ、出来れば再訪しようと思っています。

    C11_304_131124_2
    C11_304_131124_13
    フェンスの位置が微妙な距離にあり、引いて撮れば上のように、網にレンズを差し込んで撮ると下のような写真に(笑)。

    C11_304_131124_12
    クロスヘッドや逆転リンク周辺は綺麗に塗装されていました。

    C11_304_131124_7
    後部のナンバープレートは装着されていますが、ライトはガラスがなかったようです。

    C11_304_131124_5
    鴻巣の322号機の写真と較べると石炭の積載量を増やすためでしょうか、炭庫に囲いが見えます。植栽の向こう側は東北本線の線路です。

    この機関車の履歴をいつものように機関車表のデータ(沖田祐作氏)から

    C11304     日本車輌名古屋工場=1386           1945-05-10 S66.1t1C2t(1067)
       車歴;1945-05-10 製造→ 納入;国鉄;C11304→ 配属;? →1945-05-10 竣工→ 配置;? →
          1955-08-01 現在;茅ヶ崎→ 甲府→1960-03-00 大宮工場→1961-02-00 茅ヶ崎→
          1964-04-01 現在;茅ヶ崎→ 大井工場→1970-00-00 廃車;大井工場→
          保存;埼玉県蕨市「大荒田交通公園」;C11304

    履歴からすると相模線や身延線(甲府?)で活躍したようです。茅ヶ崎時代は僚機として真岡鉄道の325号機がいたそうです

    C11_304_131124_4
    最後に現地に掲示されている説明板を。

    この後は、引き続き歩いて、線路の反対側の川口市西青木の児童文化センターに向かいました。

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    2014年1月10日 (金)

    2013 夏 新潟の旅 13 EF510 基本番台 20号機

    EF510 基本番台シリーズ、今回は20号機の写真を紹介致します。

    甲種回送日は2009/7/24とのことです

    Ef51020_100717
    柏崎駅を通過する20号機牽引の4097列車 2010/7/17

    2010年の夏休みの初っぱなに直江津に撮影旅行に行った際、柏崎駅で偶然撮ることができた写真です。当時、新製から1年経過した頃の20号機です。

    Ef51020_130807
    笹川流れで有名な今川駅を通過する20号機牽引の3098列車 2013/8/7

    昨年の夏、新潟旅行の初日に笹川流れの桑川、今川駅を訪れた際に、今川駅で撮影したものです。

    今回はこれまでも数回訪問している柏崎駅について触れようと思います。

    100717_1
    「柏崎」の表示が見えませんが、2010年7月当時の駅北口正面の様子です。 2010/7/17

    タクシーの向こうに見えるオブジェは四季の波を意味するそうです。

    JR東日本とJR貨物が共同で使用する駅で、開設は1897年、北越鉄道の駅として柿崎方面からの終着駅として生まれました。1912年、越後鉄道(後の越後線)が乗り入れ、両社がその後、国有化されたので国鉄の駅となりました。分割民営化の後、JR東日本、JR貨物の駅となりましたが、貨物に関しては1997年に発着はなくなり、トラック輸送に切り替えられ自動車代行駅となり、2006年にコンテナ部門は柏崎オフレールステーションに変更されました。

    100717
    2010年夏 花火の広告も駅に掲示されていました。 2010/7/17

    拙blogではこれまでも越後線の話題、485系「はくたか」・「北越」・「白鳥」、旧形国電EF15, EF62などの話題で柏崎周辺で撮影した写真を載せて来ましたが、保線用車輌の写真はまだでしたので今回載せます。

    082xs_100717_2
    Ksp20_100717
    形式等は良く分かりませんがマルチプルタイタンパー(マルタイ)の一種でしょうか。 2010/7/17

    こういった保線用車両はよく目にするのですが、全く知識がなく整理できていないのですが、車体に表記されている第一建設工業は、新潟市中央区に本社を置く鉄道施設の工事を中心とする建設会社だそうです。

    創業時の経緯から鉄道工事に強みを持ち、現在もJR東日本とつながりが深いとWikipediaに書かれていました。

    KSP20 まで判別できますが、形式はKSP-20 02E-JPというのか、ブラッサー製バラストレギュレーターのようです。

    駅から歩いて10~15分ほどで海岸まで行くことが出来、港がありました。

    100717_1_2
    長さ2280mの西防波堤の内側に西埠頭、中央埠頭、東埠頭、中浜埠頭と7つの岸壁があり、中浜埠頭と東埠頭には大型船舶が接岸できるそうです。

    100717_2
    自衛艦の姿もありました。 2010/7/17 

    Wikipediaで調べると輸送艦「しもきた」のようですね。

    100717_3
    そして反対側、新潟方向には柏崎刈羽原子力発電所も見えました。

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    2014年1月 9日 (木)

    485系 「雷鳥」 2003年9月から終焉まで その3 A3編成

    D52 5両を観て歩く旅の紹介が一段落しましたので、また元のサイクルに戻ります。

    この冬シーズン、18切符では御殿場線以外にも常磐線、中央本線、東海道本線(静岡周辺)、総武本線と5回の日帰り旅行を敢行し、計19両の公園保存蒸気を見て参りましたが、それらに関しては通常のシリーズの中で報告して行こうと思います。

    485_a03_060621
    山科駅を通過するA3編成 「雷鳥」 2006/6/21

    さて、485系特急「雷鳥」、末期の話題ですが、今回はA3編成です。

    ←金沢 Tc    M'    M    M'   M    T   M'   M    Tsc  大阪→

    A03      701  313  211  82   82  601 1025 501 2003

    といった構成で編成が組まれていました。

    金沢寄りの奇数方向先頭車はクハ481-701で、2003年改正前はA09編成の大阪寄りに組み込まれていました。1985年3月の改正に対応してサハ489-11を先頭車改造した車輌で、床下に210kVAのMGを装備し、床下に装備していたCPを運転台下部に移設しました。AU13E冷房装置が運転台設置の関係で後方に移設されているため前より2台が近接しているのが形態的特徴でした。

    サハ481-6012001年3月改正で「スーパー雷鳥」を「しらさぎ」に転用する際に不足する付随車を補うためにモハ484 200番台を電装解除したもので、600番台としては-333, -335, -332, -321の4両が改造されています。2003年の改正で「しらさぎ」が683系化されたため余剰となり塗色を変更して「雷鳥」に使用されました。

    モハ485-5012001年の改正で「スーパー雷鳥」から「しらさぎ」への転用でクロ481-2000番台の次位に連結されていたサロ481-2000番台を編成から外すことになりましたが、そうすると圧縮空気の容量が少なくなるため、モハ485形にCPを搭載することになり、0番台にCPを搭載したグループで、金沢で6両(-234, -222, -218,-232,-248, -237)が改造されました。既に撤去されていた水タンクの後にサロ481-2000から外したCPが取り付けられました。

    485_a03_061118_2

    岸辺の貨物線を行く回送編成 2006/11/18
    交直両用から直流専用化されたクハ481-200番台「北近畿」とのすれ違い

    485_a03_060621_2
    トップの写真の後追い写真です。2006/6/21

    同時期に撮影した他の編成では連結器カバーが灰色担っていますが、この編成では赤い色をしています。

    485_a03_080905
    ヘッドライトが切れてしまっていますが、越前花堂駅を通過するA03編成上り「雷鳥」 2008/9/5

    以上です。

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    2014年1月 8日 (水)

    5両の保存D52を観に18切符で日帰り旅行 その14 相模原市鹿沼公園のD52 235(138)号機

    D52 5両を観て歩く旅、いよいよ最後のD52 235(138)号機です。

    横浜線の淵野辺駅から歩いて数分の相模原市鹿沼公園に保存されています。
    地図情報も添付します Yahoo地図

    D52_235_131221_2
    D52 235(138)号機  2013/12/21 相模原市 鹿沼公園

    この機関車は1960年に北海道に渡ったグループで耐寒装備がなされています。廃車後、五稜郭機関区の片隅に放置されていたのが後年、保存に至ったとのことです。以前、記述したようにこの機関車に関しては帳簿上は235号機、刻印も235号機や138号機を示す部品から構成されており、保存されているD52 7両のなかではミステリアスな機関車として有名です。その辺りを刻印の写真ともに紹介されているサイトもあります。

    これまでの4両と形態を比較してみると

    1) デフレクターは点検窓のないタイプ
    2) 砂管は3本が下に向かって開くタイプ
    2) モーションプレートは穴の小さいタイプ
    3) 清缶剤投入装置は取り付けられていません。

    その他、

    D52_235_131221_12
    逆転棒はカバーに包まれています。

    D52_235_131221_27
    キャブ前方の旋回窓はかなり突出したタイプが取り付けられております。そのためかキャブ前方ドアの開閉方式が通常とは異なり蝶番が外側に付いています。

    D52_235_131221_3
             風格漂う正面

    D52_235_131221_6
    公式サイド側はプラットホーム構造となっております。また先輪がスポークタイプのなのが分かります。

    D52_235_131221_13
    ちょうど訪問した時は補修作業の途中だったのかも知れませんが、公式側はオレンジ色のペンキが目立ちました。

    D52_235_131221_18
    後部の様子 炭水車のライトの位置、沼津の136号機や山北の70号機とも違う位置に取り付けられています。標識灯は2つ装着されています。

    D52_235_131221_16
    キャブ内の様子 ストーカの管が存在感を示しています。

    D52_235_131221_24
    炭水車の台車 LT204と思いますが車輪は4軸とも同型のプレートタイプでした。

    最後に沖田祐作氏の機関車表から履歴データを

    138号機のもの

    D52138     汽車製造大阪工場=2438           1944-09-16 S84.30t1D1T(1067)
       車歴;1944-09-16 製造→ 納入;国鉄;D52138→ 配属;大阪局→ 配置;姫路→
          1945-05-07(1946-05-10 大鉄局報)鷹取→1946-12-31 現在;鷹取→
          1951-09-06 姫路一→1953-03-10 吹田→ 集煙装置取付(鷹取工場)→
          1956-03-00 新缶に交換→1956-11-16
    姫路一→1960-01-00 旋回窓取付(左側)→
          1960-10-07 五稜郭→1960-11-00 耐寒工事施工/ 集煙装置取外(苗穂工場)→
          1967-09-00 旋回窓取付(右側)→1972-12-09 廃車;五稜郭→
          保存
    ;神奈川県相模原市「鹿沼公園」;D52235(番号をD52235 に変更して保存?)

    235号機のもの

    D52235     川崎重工兵庫工場=3108            1946-01-31 S84.30t1D1T(1067)
       車歴;1946-01-31 製造→ 納入;国鉄;D52235→ 配属;東京局→ 配置;新鶴見→
          1946-01-31 竣工[達122];東京局→1947-10-00 現在;新鶴見→ 装備改善(浜松工場)→
          国府津→1952-09-00 頃稲沢→1953-11-09 吹田→ 集煙装置取付(鷹取工場)→
          1956-11-20 姫路一→1958-03-00 新缶に交換(浜松工場製= 鷹取工場施工)→
          1960-01-00 旋回窓取付= 左側(苗穂工場)→
    1960-10-07 五稜郭
          1960-11-30 耐寒工事施工→1961-09-00 運転室密閉化→1964-04-01 現在;五稜郭→
          1967-09-00 旋回窓取付(右側)→1973-05-23 廃車;五稜郭→
          保存
    ;神奈川県相模原市「鹿沼公園」;D52235(実際にはD52138 がD52235 を名乗っている)

    138号機、235号機 履歴的に観ると1953年の吹田以降重なっていますので、全検時などに部品が交換、一部流用されたのでしょうか。

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    2014年1月 7日 (火)

    5両の保存D52を観に18切符で日帰り旅行 その13 平塚文化センター周辺

    今回の旅で、平塚駅の北側周辺に初めて降り立ち、辺りを見て歩く機会に恵まれました。

    131221

    石に刻まれた平塚文化センターの案内図 2013/12/21

    先日のD52 403号機の記事でも触れましたが、この辺はかつて横浜ゴム平塚製造所があり、その記念館が残されています。また平塚八幡宮や八幡山公園もあり、風光明媚な地区となっています。

    <平塚八幡宮>

    古くは鶴峯山八幡宮と呼ばれており、毎年5月5日に大磯町国府本郷の神揃山で行われる国府祭に参加する相模五社の1社ですが、相模国における式内社ではなく、一国一社の八幡宮、鎮地大神と称えられています。境内にはいくつかの末社があり、西の池に鎮座する平塚弁財天は、「湘南ひらつか七福神めぐり」のひとつとされています。

    131221_6
    弁財天の池では水鳥たちが戯れていました。

    社伝によると西暦380年にこの地方を襲った大地震に際して、仁徳天皇の勅願で応神天皇を祭神として創建されたそうです。その後、聖武天皇により、相模国一国一社の霊場とされ、「吾妻鏡」では源頼朝が北条政子の安産を祈願した神社だったそうです。戦国時代には武田信玄が北条氏康を攻めた際、陣所とされた記録も残り、江戸時代には徳川家康が参拝し、幕府の寄進で荒廃した社殿が再建されたそうです。明治になって近代社格制度により、県社に列せられ、八幡神社と改称し、第二次世界大戦後は神社本庁が包括する別表神社となり、1978年に平塚八幡宮と改称しました。

    131221_5_2
    平塚八幡宮の大鳥居と本殿に通じる参道

    <八幡山公園>

    戦災により焦土と化した平塚の市街地に1946年戦災復興土地区画整理事業として造られた公園です。「平塚八景」のひとつに数えられて、「かながわ美林50選」にも選ばれているそうです。

    131221_4
    八幡山公園の案内板

    131221_5
    施設の配置図

    131221_2
    平塚八幡山公園の慰霊塔

    <旧横浜ゴム製造所記念館>

    八幡山公園にある洋館で、建物はもともと追分の横浜ゴム平塚製造所の敷地に存在していたそうですが、1912年頃、日本火薬製造により建造されたそうです。当時の最新の建築様式が取り入れられており、1919年に日本火薬製造が海軍によって接収され、海軍火薬廠となってからは主に将校クラブの応接室や娯楽室として利用されたそうです。
    戦後は進駐軍によって接収され、1950年に接収解除後は旧火薬廠の跡地は横浜ゴムに払い下げられ、同社平塚製造所の会議室や応接室として利用されました。1955年の神奈川国体開催時には昭和天皇の御休憩所としても利用されました。2004年4月に横浜ゴムから市に無償贈与され、2004年7月に登録有形文化財に登録されました。その後、現在の地に移築されました。

    131221_3
    旧横浜ゴム製造所記念館 

    以上、Wikipediaの関連記事、八幡山公園のWEBサイトの記事を参考に作成致しました。

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    2014年1月 6日 (月)

    5両の保存D52を観に18切符で日帰り旅行 その12 313系 N編成

    D52を見て歩く旅にからめてのJR東海の主力車輌、313系の紹介、今回は静シスのN編成です。

    3132600_n1_090813
    313系2600番台 N1編成 2009/8/13 谷峨

    3132600_n2_140102
    N2編成 2014/1/2 焼津

    3132600_n3_140102
    N3編成 2014/1/2 富士

    先日、ご紹介したT編成と同様の3両編成ですが、発電ブレーキを搭載した2600番台から構成されています。2両編成のV編成に対してのW編成があるのと似た関係でしょうか。なお、クハ3122300番台となっており、T編成の続き番号です。

    営業運転の開始は2006年11月です。

    3132600_n4_070304
    N4編成 2007/3/4 三島

    3132600_n5_131221_2
    N5編成 2013/12/21 御殿場

    編成番号 クモハ313 モハ313 クハ312 新製月日
            Mc3          M6         T'c2
    N1       2601         2601       2327     2006/11/22  近車
    N2             2602         2602       2328     2006/11/22  近車
    N3             2603         2603       2329     2006/12/6  近車
    N4             2604         2604       2330     2006/12/6  近車
    N5             2605         2605       2331     2006/12/13   近車
    N6             2606         2606       2332     2006/12/13   近車
    N7             2607         2607       2333     2007/1/19     近車
    N8             2608         2608       2334     2007/1/19     近車 
    N9             2609         2609       2335     2007/1/25     近車
    N10           2610         2610       2336     2007/1/25     近車 

    Mc3はSIVを搭載し、容量は150KVAで、さらに発電ブレーキ装置(ブレーキチョッパ装置・抵抗器)を搭載しています。M6は奇数側の台車のみに電動機を搭載し、容量1kl/minのCPを搭載し、さらに発電ブレーキ装置を搭載しています。

    3132600_n7_070304_3
    N7編成 2007/3/4 源道寺

    3132600_n8_131231_2
    N8編成 2013/12/31 甲府

    3132600_n9_131221
    N9編成 2013/12/21 沼津

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    2014年1月 5日 (日)

    5両の保存D52を観に18切符で日帰り旅行 その11 D52 403号機 平塚文化センター

    静岡県、神奈川県に静態保存されているD52を観て回る旅、今回は平塚文化センターに保存されている403号機です。

    D52_403_131221_2
    D52 403号機 2013/12/21 平塚文化センター 既に正月用の飾り付けがなされておりました。地図はこちらですYahoo地図 。

    この写真からも分かりますが、この機関車の形態的特徴は
    1) デフレクターは点検窓のないタイプ
    2) 砂管は御殿場線で活躍した機に共通の斜め後ろに3本平行タイプ
    3) モーションプレートは穴の大きいタイプ
    4) 清缶剤投入装置は搭載していない

    ことがわかります。

    D52_403_131221_4
    この写真からD52の場合、煙突の中心線がシリンダー中央からかなり前方に張り出しているのがよく分かります。また先輪はテンダーと同じタイプの鋳鉄製のものが取り付けられています。

    また展示場内には平塚の駅名標も用意されています。

    131221_2
    見学は申し込み制で平塚博物館に連絡が必要とのことでした。

    D52_403_131221_5
    キャブサイドの窓はガラス破損防止のためか網がかけられています。

    D52_403_131221_6
    この角度から見るとD52のボイラーの太さをまじまじと感じます。

    D52_403_131221_8
    炭水車の車輪、3個はプレート式ですが、2番目の車輪はスポークです。

    D52_403_131221_10
    炭水車のライト、標識灯はありません。

    D52_403_131221_18
    威圧感のあるボイラーはD52,D62ならではのものでしょう。

    D52_403_131221
    403号機がこの地に至った経緯等が書かれています。

    沖田祐作氏の機関車表からの履歴データです。

    D52403     日立製作所笠戸工場=1970           1945-03-18 S84.30t1D1T(1067)
       車歴;1945-03-18 製造→ 納入;国鉄;D52403→1945-03-18 配属;名古屋局→
          1945-03-00 配置;静岡→1946-03-15 より1949-05-16 迄一休(新製より一休明迄未使用)→
          1949-05-12(5/16?)浜松→1951-05-12 浜松→1951-09-15 米原→
          1952-05-10 装備改善/ 炭水車D52378 のものに交換(浜松工場)→1954-11-07 借入;吹田→
          1955-01-07 返却→1955-11-12 岡山→1956-06-24 沼津→
          1958-09-01 新缶に交換(浜松工場)→1960-02-10 国府津→
          1968-08-08 廃車[関東支社達56];国府津→ 保存;神奈川県平塚市「文化センタ-」;D52403

    後日、別の記事で平塚文化センターをはじめとするこの地域の歴史について触れようと思いますが、D52 403号機がこの地に運ばれた際にはかつてこの地にあった横浜ゴムの専用線を用いたそうです。

    以上です。

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    2014年1月 4日 (土)

    5両の保存D52を観に18切符で日帰り旅行 その10 313系 T編成

    東海道本線、身延線、御殿場線で活躍する静シスの313系、今回は3両編成のT編成について触れます。

    3132500_t1_070304
    313系2500番台 T1編成 2007/3/4 富士

    3132500_t2_070304
    T2編成 上記の写真の反対側です。

    T編成はT1~T17の17本、51両が配置されており、2500番台と称しています。クハのみは2300番台となっています。T編成のクハ312はW編成のクハの続き番号で2310から始まります。

    3132500_t4_090813
    T4編成 2009/8/13 沼津

    3132500_t5_090404_2
    T5編成 2009/4/4 浜松

    3132500_t6_070304
    T6編成 2007/3/4 熱海

    313系の場合、1000の位は座席の構成で分けられており、0番台は転換クロスシート、車端部固定シート、1000番台は転換クロスシート、車端部ロングシート、2000番台はロングシート、3000番台はセミクロスシート、8000番台は転換クロスシート特別仕様となっています。また3両編成の電動車は500を加えて、1.5M方式、即ちM車の奇数側台車にのみ主電動機を搭載しています。

    3132500_t8_090320
    T8編成 2009/3/20 静岡

    3312500_t9_090813_2
    T9編成 2009/8/13 沼津

    3312500_t10_090813
    T10編成 2009/8/13 沼津

    車内の配色は青を基調とし、座席はロングシート、輸送力確保のため扉間の座席を10人掛け、車端部を4人掛けとしたことで、座席数が従来の車両より減少することとなりました。扉間の窓配置は3000番台と同様、不等間隔に4分割されています。ロングシートの仕様は1000番台や3000番台と異なり、スタンションポールが設けられています。寒冷地での運用を考慮し、車内保温のため押ボタン式の半自動扉機構を搭載しました。

    3132500_t11_090320
    T11編成 2009/3/20 静岡

    3132500_t12_120109
    T12編成 2012/1/9 沼津

    3132500_t14_090320_4
    T14編成 2009/3/20 浜松

    3132500_t15_131221_2
    T15編成 2013/12/21 沼津

    2007年1月から113系を置き換えて営業運転を開始しました。2007年3月18日のダイヤ改正以降、東海道本線(熱海 - 豊橋)および御殿場線(沼津 - 御殿場)で運用されています。

    2009年3月からは211系6000番台との併結で身延線西富士宮までの運用も開始されました。静岡車両区配置の211系は全編成トイレなしのため、211系との併結運転を多くし、トイレの確保に努めています。

    編成番号   クモハ313   モハ313    クハ312
              -2500            -2500            -2300    製造年月日 会社
                            Mc1              M4                T'c2
    T 1                   2501           2501                2310        2006/12/21 日車
    T 2                   2502           2502                2311        2006/12/21 日車
    T 3                   2503           2503                2312        2006/12/21 日車     
    T 4                   2504           2504                2313        2007/1/19   日車
    T 5                   2505           2505                2314        2007/1/19   日車
    T 6                   2506           2506                2315        2007/1/31   日車
    T 7                   2507           2507                2316        2007/1/31   日車
    T 8                   2508           2508                2317        2007/1/31   日車
    T 9                   2509           2509                2318        2007/2/5     日車
    T10                  2510           2510                2319        2007/2/5     日車             
    T11                  2511           2511                2320        2007/2/5     日車 
    T12                  2512           2512                2321        2007/2/13    日車
    T13                  2513           2513                2322        2007/2/13    日車   
    T14                  2514           2514                2323        2007/2/13    日車
    T15                  2515           2515                2324        2007/2/16    日車
    T16                  2516           2516                2325        2007/2/16    日車      
    T17                  2517           2517                2326        2007/2/16    日車 

    Mc1は3・4両編成に組み込まれるクモハでSIVの容量は150KVAです。
    M4は3両編成に組み込まれるモハで、MT比1:1とするため奇数側の台車のみに主電動機を搭載し、制御装置もそれに応じたものとなっています。パンタグラフは搭載せず、さらに容量1kl/minのCPを搭載しています。

    Wikipediaの記事とJR電車編成表2012冬号のデータを参考に纏めました。

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    2014年1月 3日 (金)

    5両の保存D52を観に18切符で日帰り旅行 その9 山北駅の栄華

    保存されているD52を観て回る旅、今回は山北駅についてもう少し触れようと思います。

    今は松田駅管理の簡易委託駅とされていますが、かつては機関区も置かれていた駅でした。開業は1889年2月です。

    131221
    かつてこの地に機関区があったことを示す碑がD5270号機の横に設置されてありました。2013/12/21 山北

    国府津方面から沼津に向かう下り列車に補機を連結する作業が当駅で行われ、その補機の機関区が駅構内に設置されていました。機関庫にはほぼ180度に展開した扇形庫やターンテーブルもあったようです。当時の写真が御殿場線ネットのサイトに紹介されています。

    131221_2_2
    鉄道院と刻まれた支柱や鉄道荷物用の秤も展示されていました。

    大正から昭和初期にかけて650人もの職員が駅や機関区で働いていたと言われます。

    山北駅は、補機連結のほか、蒸気機関車に石炭や水を供給する役割も担ったため、急行列車も必ず停車していました。停車列車が増加すると、鮎寿司の駅弁や山北産のみかんが販売されるようになり、機関区では多くの蒸気機関車が待機し、大量の煙を上げていたために、「山北の雀は色が黒い」という言葉があったほどだそうです。

    131221_3
    機番は不明ですがD51もしくはD52の動輪も保存されています。

    1934年の丹那トンネル開通を機に、東海道本線が熱海経由のルートに変更され、山北を通る路線が「御殿場線」という地方路線となり、停車する旅客列車・貨物列車の本数は削減され、それに伴って駅員・機関区の機関士も削減されていきました。1943年には御殿場線の資材供出に伴う単線化と、山北機関区の廃止がなされました。

    131221_2
    さらに山北機関区の縮小、解散を記した碑も隣に置かれています。

    山北町は観光に力を入れているようで、

    131221_4
    このようなバスが町内を循環しており、

    131221_5
    観光案内板も整備されていました。

    131221_6
    今の山北駅舎 御殿場線ネットの写真と比べると自動販売機の置かれている場所にキオスクがあったのが分かります。

    D52_70_131221
    プラットホームから見た鉄道公園 桜の咲く頃はさぞ見事ではないかと思います。

    131221_7
                            鉄道公園の表札

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    2014年1月 2日 (木)

    5両の保存D52を観に18切符で日帰り旅行 その8 313系 W編成

    御殿場線、身延線等で活躍する静岡の313系、今回はW編成について触れます。

    3132350_w1_131221_3
    313系2350番台 W1編成 2013/12/21 御殿場

    W編成も先のV編成同様に2両編成ですが、発電ブレーキを搭載しており、2300番台となっております。W1~W9の9本が在籍します。3次車として2006年度に製造されました。V編成のV13、V14編成とは同期生となっています。

    3132350_w2_090404
    W2編成 2009/4/4 浜松

    それまでの313系との仕様の変更点は

    行先表示器・前照灯
    行先表示器は前面・側面とも従来の幕式に代わり、LED式(フルカラー)に変更されました。側面のものは一定の速度を超えると消灯します。また、前照灯は白熱灯(黄白)から、窓下のものはHIDランプ(青白)に、貫通扉上のものは超高輝度白色LEDに変更されました。

    車内トイレ
    車椅子による利用を容易にするため、拡大と自動扉化が行われました。これに伴い、対面の座席は廃止されました。

    ブレーキ関連
    3両編成以上の初期車では容量2kl/minの空気圧縮機(CP)をクハ312形に搭載していましたが、増備車ではシステムの冗長性を確保するため、クハ312形、サハ313形および3両編成のモハ313形に1kl/minのものを分散搭載しました。また、純電気ブレーキを採用し、ほぼ回生ブレーキのみで停止させることが可能となりました。ただし、発電ブレーキと併用する場合は、従来通り約5km/hで電気ブレーキは切りとなります。

    3132300_w3_070304
    W3編成 2007/3/4 三島

    W1、W2編成は霜取りのためパンタグラフを2基搭載しており、この編成のクモハ313形は2350番台と称します。冬季に限りこの2本は身延線、御殿場線系統での限定運用となっています。2350番台は事故により運用を離脱した213系に代わり飯田線での営業運転を行ったこともあるそうです。

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    W4編成 2009/8/13 沼津

    3132300_w5_140102
    W5編成 2014/1/2 焼津

    編成番号    クモハ313 クハ312 新製月日          ATS-P取り付け

     W3       2301       2301     2006/12/15  日車    2010/2/17
      W4              2302       2302     2006/12/15  日車  2010/3/23
      W5              2303       2303     2007/1/19    日車  2010/7/2
      W6              2304       2304     2007/1/19    日車  2010/7/22
      W7              2305       2305     2007/1/28    日車  2010/8/16
      W8              2306       2306     2007/1/28    日車  2010/11/24
      W9              2307       2307     2007/1/28    日車  2010/12/28

      W1              2351      2308      2006/12/8     日車  2010/9/28
      W2              2352      2309      2006/12/8     日車  2010/10/28      

    Wikipediaの記事とJR電車編成表2012冬号のデータを参考に纏めました。

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    2014年1月 1日 (水)

    謹賀新年

    明けましておめでとうございます。

    本年も宜しくお願い致します。

    20131231mt_fuji_simpu

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