通勤電車シリーズ 101系 その1 試作車、山用800番台
新たに通勤電車のシリーズを始めようと思います。101系、103系、201系、203系、205系, 301系と大都市圏で活躍してきた4扉通勤電車の話題を形式毎に順番に触れて行こうと思います。
最初は101系です。これまでにも拙blogでは
2012年12月2日の記事で関西本線の話題
2012年12月3日の記事で大阪環状線の話題 などでも101系や103系の話題を取り上げてきました。
まずは中央快速線、武蔵野線のオレンジ・バーミリオン(朱色1号)の車両から行きたく思います。
101系は国鉄電車として初めて中空軸平行カルダン駆動方式を採用した新性能電車の最初の形式で
・1.3m幅の両開き4扉の軽量構造の全金属製車体
・扉間7人掛け、車端部3人掛けのロングシート
・コイルバネ台車、ウイングばね軸箱支持
・直巻整流子電動機(MT46A)
・発電ブレーキ併用電磁直通ブレーキ(SELD)
・電動車MM'ユニット方式 CS12A主制御器で2両分8個の電動機を制御
等、以後の通勤車両に受け継がれた方式が初めて採用された車両でした。
1957年に試作車10両1本が登場し、12月から営業運転が開始されましたが、すぐに使用電力の多さが問題となり、限流値を280Aの低めに設定した加速力抑制運転をせざるを得ない状況になりました。
1958年3月に量産車が同じ全電動車方式で投入されましたが、性能を十分に発揮することは出来ませんでした。
←東京 高尾→
Mc503-M'004-M005-M'c502 + Mc501-M'000-M001-M'002-M003-M'c500
大井工場 日本車輌 近畿車輛 汽車会社 日本車輌
M': モハ90000・90002・90004 => モハ100-901~903
M: モハ90001・90003・90005 =>_ モハ101-901~903
M'c:モハ90500・90502 => クモハ100-901~902
Mc: モハ90501・90503 => クモハ101-901~902
晩年、量産化改造された試作車 クモハ100-901 1974/12/15 八王子
量産車のクモハ100と違ってジャンパ栓受けが車体にある点、雨樋が前面に回り込んだスタイルが特徴でした。また量産車ではHゴムだった戸袋窓、ドア窓はアルミ枠からHゴム化されましたが行き先表示、運行番号窓はアルミ枠のままでした。
当初はモハ90系電車として登場しましたが、1959年の称号改正で101系と改番されました。
大井工場に展示されていた頃のクモハ101-902 2005/8/27 大井工場一般公開の際
試作車の面影はジャンパ栓受け以外に殆どなく見事なまでに量産車と似てしまっています。
編成全車が製造費用の高い動力車でありながら性能を殺して運転するのは非効率であることから、同年11月より順次全電動車編成をやめ中間に2両の付随車を入れることとなりました(8M2T)。
付随車を入れた編成は限流値を350A固定まで引き上げましたが動力車が減ったため起動加速度は全電動車時代と大きくは変わっていませんでした。このとき製造された付随車は将来的に電気設備などが増強された際に容易に電装改造ができるような構造としていたものの、全電動車編成による高加減速高速性能と言う当初の思想は後退することになりました。
中央線の新性能化の後は山手線、京浜東北線への投入が考えられており、これらは8両編成だったので4M4T方式が計画されましたが、試験の結果、主電動機の温度上昇の点で無理との判断が下されました。結局、これらの線区には101系でなくMT比1:1が可能なあらたな通勤車両が適当と考えられ103系の開発に繋がりました。
その間も、101系による通勤輸送増強は続けられ、1959年の主電動機の熱容量試験を受けて8M2Tからさらに付随車の数を増やし6M4Tとして中央線で使用することで車両投入費を抑制することが計画され、1960年末にはこれにより新性能化を完了しました。また、このとき新たに製造された制御車およびMG・CP付きの付随車も1958年に登場した付随車同様、容易に電装改造ができるような構造となっていました。
以上、Wikipediaの記事を参考に101系の技術的革新性と実際に投入して明らかになった問題点を纏めてみました。
私自身は1963年、小学2年の2学期から中央線101系のお世話になっておりました。西武国分寺線の小川から国分寺に出て、国分寺から国立まで通学、1964年12月に荻窪に引っ越し、より中央線とのつきあいが深まりました。
荒れた写真で恐縮ですが低屋根山用800番台のクモハ100 新宿
あの頃の101系の思い出といえば、
・山用スタイルといわれた モハ100 クモハ100の800番台
・モハ90で登場した試作モデルの900番台
・電力回生ブレーキ試験用に登場した910番台
・基本編成7両化に合わせてMG・CP付きで登場したサハの200番台
などの区分番台の他、
・製造年代によるモデルチェンジ 標識灯、パンタグラフ
・将来の電装化に備えてパンタ台が用意されていたクハ・サハ100形
・MM'ユニット方式といってもMcM'とMM'cとMM'や山用800番台があったため番号が全く揃っていなかった電動車
・朱色1号の塗色は退色が激しく、時間が経つとオレンジ色からピンク色に変色が目立つ塗装でした。そのためか、Wikipediaの「朱色1号」の記事に書かれているように
”登場当初は「1YR 5.5/9.5」という設定であったが、褪色などの対策のため、少しずつ設定を変更し、1963年ごろに「0.5YR 5.3/8.8」という設定とされ、以後この設定が標準となった。”
など小学生の眼から見ても極めて突っ込みどころの多い電車でした。
今回はここまでで、次回は量産車の製造年代と形態の違い等を写真で紹介できればと思います。
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コメント
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僕。
現役時代の101系には乗った覚えがありません。
103系ならあるんですけど。
確か鶴見線でも走ってたような覚えが・・・。
投稿: モモのパパ | 2014年2月16日 (日) 08時50分
モモのパパさま、おはようございます。
名古屋の方でもスカイブルーの103系が中央線に走っていましたね。
わたしも名古屋駅で写したことがあります。
首都圏では、中央、山手、赤羽、総武、京浜東北、青梅・五日市、南武、武蔵野、鶴見だったでしょうか。
投稿: B767-281(クハ415-1901) | 2014年2月16日 (日) 10時38分
はじめまして。あなたさまの記事を見て、驚きました。私も1969年小学校2年生の春から、鷹の台から国立の私立小学校まで国分寺線、中央線経由で通学しておりました。加えて、親戚が武蔵小金井や荻窪に住んでいたので、ここまでの中央線も何度となく乗っていました。時代にズレはあるものの、きっとお互いのこと同じような色合いの景色が脳裏に残っているものと、勝手に思い描いております。これからも時々、拝読させていただきます。よろしくお願いします。
投稿: たかのだい | 2019年7月29日 (月) 13時33分
たかのだいさま、はじめまして。
コメントありがとうございます。そうでしたか、あの頃の西武国分寺線、中央線の風景をご覧になっておられましたか。
学年的には7年ほどお若いかと思いますが、そういった方がこちらにコメントを寄せていただけること大変嬉しく思います。
今は私も週末は多摩湖線をはじめとして西武線沿線の風景を再度眺めております。
これからもどうかよろしくお願いいたします。
投稿: B767-281(クハ415-1901) | 2019年7月30日 (火) 04時47分
101系試作車の先頭車で最も量産車に似たスタイルのクモハ101-902は量産化改造が最も早かったのですが、その上の写真の車両はクモハ100-902で、量産化改造が最も遅く簡略化のために前面に雨どいと屋根布抑え(本来は連結部のみ)まで前面に露出したため、72系等の旧型国電みたいなスタイルになってしまい、101系変顔ナンバー1と呼ばれていたようです。(昔の某雑誌参照)。ちなみに、クモハ101-901とクモハ100-901は改造時期がその間であり、前面に雨どいのみが露出したスタイルになっております。
投稿: | 2020年5月10日 (日) 21時45分
モハ90は試作車だけでなく101系の量産車のうち、クモハ101-54までの編成がモハ90として落成されていたようです。
投稿: | 2020年5月10日 (日) 21時50分
コメント、ありがとうございます。
貴重な情報をありがとうございます。
私も小学校時代の記憶ですが、101系の試作車の変化についてうっすらと憶えています。
投稿: B767-281(クハ415-1901) | 2020年5月11日 (月) 06時05分