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2014年2月22日 (土)

通勤電車シリーズ 101系 その2 製造年次と形態変化

国鉄101系の2回目、今回は製造年次と形態変化について触れようと思います。

101
表1 101系の番号と製造予算の関係

まず鉄道ピクトリアル誌(2013年4、5月号N874,875)の情報をもとに年度予算と製造番号の関係を表1にまとめました。

この表から分かるように、試作車10両、回生ブレーキ試験車2両、量産車(Mc: 1-209, M'c: 1-193+801-806, M: 1-264, M': 1-263+80-811, Tc: 1-85, T'c: 1-95, T: 1-145+201-301, T': 1-107+201-244) の1523両 計1535両製造されています。回生ブレーキ試験車は後に電装解除されてクハ101、クハ100に編入されています。

前回の記事で記述したように私が小学生になる前の1960年末の時点で中央線の新性能化は終了しており、1964年頃の新製車はカナリヤ色(黄色5号)で総武・中央緩行線に投入されていました。

しかし、なぜかクハ101-51クハ100-49はオレンジ色で出場し、武蔵小金井区所属で中央快速線に投入されました。当時、毎日電車に乗ると製造銘板を見ながら製造所と製造年を確認しており、昭和39年製のこれら2車両の新車の雰囲気は格別でした。

101_7803
お茶の水橋から写した中央線快速電車東京行き 1978/3
前3両の付属編成はMcM'T'cでT'cにはパンタ台が見えます。

編成は基本7両+付属3両で、東京寄りに3両が連結されており、三鷹や武蔵小金井で解結が行われていました。

基本編成は中間にサハ3両を挿入した

←東京
McM'TTTMM'c

でしたがサハ3両はサハ101、100が混ざっていましたが。101系のサハ100は将来の全電動車化を考慮してのモハ100に対応するものでしたから、7+3編成 (6M4T)の時代には格段の意味はありませんでした。将来の電装化に備えてパンタ台などを準備したサハ100の姿はなにか不格好にも見えました。一方で、7両基本編成ではMG/CPの所要数が不足となったため、MH81-DM44(5kVA)のMG、MH80-C1000のCPを搭載したTT'の200番台が製造され組み込まれていました。この200番台のサハは3両の中間に連結されていました。

101_790923
西国分寺に到着する101系 1979/9/23 こちらの付属編成はTcMM'c

付属編成は
←東京
McM'T'c   と TcMM'c の二通りがありました。

この付属編成、1966年の豊田電車区の開設の頃は、オリジナルの配置区だった三鷹区の編成はMcM'T'cに統一され、豊田区はTcMM'cに統一され、武蔵小金井区は両タイプが配置されていたそうですね(参考、鉄道ピクトリアルNo.874)。

101_810829
千駄ヶ谷を通過する快速東京行き 1981/8/29 McM'T'cの付属編成

製造年代におけるモデルチェンジに関して小学生の観察で気づいた点は

・標識灯の形態が内バメ式から、外バメ式に変わったこと

・屋根の雨樋がオレンジ一色から、上辺に白いゴムが加わったこと

・避雷器の変化 

 初期のタイプは置物のような形の物体が乗っていましたが、後期には103系で見られたような筒状のカバーが付けられました.上の写真の車輌は後期タイプです。

・パンタグラフの変化
 

 上記の表にあるようにM'車やM'c車のパンタは当初は左右の菱形の枠を結ぶフレームが枕木方向のPS13C形を装備しており、昭和33年債務予算製造車からPS16形になりましたが、PS13C形も後年、PS16形に換装されました。PS13形搭載車の写真は中央快速線の写真ではありませんでしたが、2012/12/2の関西本線の記事2012/12/3の大阪環状線の記事の写真にありました。

・運転台と客室の仕切り窓が小型になったこと 参考:2013/10/1の記事

・線路方向のみだったつり革に対して、ドア付近では高い位置に枕木方向のつり革も設置されたこと などでした。

101_2
五日市線運用に入っているTcMM'cの付属編成 1983/2/19 拝島
雨樋に注目!!

101_3
こちらは青梅駅の付属編成 McM'T'c
Mcは1960年以降の製造のもので雨樋には白いゴムが見えます。

これらの形態変化のうち、雨樋の変化に関しては鉄道ピクトリアルの記事には書かれていませんでしたが、昭和33年製などのごく初期の車両では上辺に白いゴムが当初は見られませんでした。

101_830226
市ヶ谷を通過する快速青梅行き 1983/2/26
先頭のクモハ100は標識灯の内バメ式タイプ

1967年7月にはそれまで快速オンリーだった運用に特別快速が登場しました。登場時は運転台窓ガラスの内側に小さく特別快速(特と快の字が大きく)の表示を出していました。

次回の記事では特別快速や改造冷房について触れます。

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コメント

先日昔撮影した写真のアルバムを見てたら名古屋駅に止まってる中央線の101系の写真を見つけました。
現役時代は知らないっていいましたけどなんだ~。
ちゃんと撮影してるじゃないか~ってちょっぴり懐かしい思いでしたよ^^。

中央線のというのは、首都圏のオレンジ色の車輌ですか?

ということは新製時の甲種回送か何かでしょうか?

それとも何かの試験かで、東海道を走ったのでしょうか?

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