« 公園保存蒸気を訪ねて 水戸駅周辺 | トップページ | 西ベルリンの思い出 Euroberlin France その2 »

2014年2月28日 (金)

通勤電車シリーズ 101系 その3 特別快速と改造冷房車

通勤電車101系のシリーズ、今回は1967年夏に登場した特別快速1972年に登場した改造冷房車の話題です。

101_741215
八王子駅に到着した中央特快101系冷房車 1974/12/15

JRR発行の1979年版国鉄電車編成表には当時の中央快速線の運用の様子が出ております。

それによると列車番号の末尾、Aは三鷹区、Hは武蔵小金井区、Tは豊田区、Bは中野区で中野区の運用は快速電車運転前に武蔵小金井出区の528Bが東京駅に到着後、628Bで三鷹行きで折り返す運用だけでした。

特快運用は豊田と三鷹の受け持ちで平日東京駅10時7分着の51T から始まり、61T(11:22)、63T、65T、67T、51T、53T、55T、57A、59T、61T、63T、65T、67T、51T、53T、61T(15:57)と朝夕のラッシュ時間を除く昼の時間帯に運用ました(時刻は東京駅到着時刻)。

101
東京駅で出発待ちをする101系特快冷房車

一本の編成の周期で見ると同じ編成が高尾まで往復して帰ってくるのが2時間11分後でした。一日の運用でひとつの編成は特別快速として3往復しています。

101系の冷房改造車は1970年に登場した山手線103系冷房改造車の成功を受けて、1972年に製造年度の新しい4編成がまず改造されました。その編成が運用に投入される前に武蔵小金井電車区に留置されているのを私も見た憶えがあります。

その車輌は

クモハ101 168, 175, 199, 200, 206, 207, 208, 209
クモハ100  167, 182, 187, 188
 モハ101   224, 249, 258, 259
 モハ100   207, 222, 253, 254260, 261, 262, 263
 クハ100    57, 63, 73, 81
 サハ101   129, 130, 131, 132, 135, 136, 282, 299, 300, 301
 サハ100  105, 106

の40両で改造は大井、浜松、大船工場で施工されました。

101_2
国分寺を通過する特別快速

冷房装置はAU75A(42,000kcal/h)でMGをMH129-DM88(210kVA)に取り替え、5号車のモハ100と10号車のクモハ100に搭載し、自車を含めて5両分の給電方式としました。AU75Aの取り付け位置は後位側にずらして取り付けられました。通風器はパンタ搭載車とクハ100、サハ100は4台、その他は5台でした。この4本の10両編成は3+7の方式ですが、給電の関係で分割は不能でした。

101

                 三鷹を通過する特別快速

1976年度から1978年度にはさらに52両が改造されました。

クモハ101  163, 176, 178, 181, 184, 185, 186, 189, 197, 198, 203, 205
クモハ100   184, 190, 193 
 モハ101    203, 245, 250, 261, 264
 モハ100    190, 196, 225, 227, 237, 238, 239, 240, 244, 249, 251, 252, 257, 259   
 クハ100      56, 75, 76, 77, 79, 81, 89, 90, 91 
 サハ101    119, 120, 121, 122, 123, 124, 125 126, 298

冷房装置はAU75Bになり、MGはMH135-DM92(160kVA)を搭載、給電方式は自車を含めて4両とし、付属編成の2号車のモハ100にも搭載されました。AU75B取り付け位置は車体中央部となり、通風器もパンタ搭載車は5台、その他は6台となりました(2014/5/2:細井様のコメントにより、修正致しました)。

にほんブログ村 鉄道ブログへ
にほんブログ村 最後まで読んで戴きありがとうございます。
上のリンクをクリックされると面白い鉄道記事満載のブログ村に飛ぶことができます。

« 公園保存蒸気を訪ねて 水戸駅周辺 | トップページ | 西ベルリンの思い出 Euroberlin France その2 »

電車101系」カテゴリの記事

コメント

こんにちは。モモパパです。
101系はリアルタイムで走行してたシーンをあんまり見た記憶がないのですが好きな車両でもあります。

モモのパパさま、おはようございます。

身近の通勤電車というのは、毎日見ていても意外と後になると写真を撮っていないものですが、
今回のシリーズできるだけ特徴的な写真をアップしてゆこうと思います。

B767さん、こんにちは(^^)いつも【西武鉄道グループ】のスレばかりお邪魔していたから、今度は…こちらにお邪魔致します。お初ですが。101系の冷房改造車、中央線快速で走っていましたいました‼︎登場したのが…1972年なんですね。1972年っつったら…ワタシ1歳かな。101系の冷房改造車って…中央線快速ではいつ頃まで走っていたのか気になるな〜〜‼︎

マスダっち1971さま、こんばんは。

国鉄101系にもコメントありがとうございます。

101系が中央快速線で活躍していたのは1983年頃までだったとお思います。

冷房車はその後、南武線に集結したように記憶しています。

その辺は次の次あたりの南武線の記事でしっかりと纏めるつもりです。しっかり調べておきますね。

b767-281様 初めまして。ネットで偶然貴サイトにたどりつきました。なかなか渋い車両を取り上げられていますね。101系冷房改造車、私にとっては懐かしい車両です。というのも豊田電車区のすぐ近くに住んでいるもので、自然と101系のファンになりました。1972年の夏は特別快速ように40両が冷房改造されるという話がアナウンスされ、今か今かとほとんど毎日電車区を覗いていました。夏休みもうじきという7月12日(多分)クモハ101−199他10連が最初に回着しピットに入っているのを確認し、早速事務所に行き見学させていただきました。当時は今のようにファンも多くないので、快く手があいている方が案内してくださいました。ピットの何て言うのでしょうか、屋根と同じ高さの点検大から冷房装置も見せていただいたのを覚えています。その後翌年2月には103系量産冷房車が導入され101系は66両が武蔵野線よう1000番台に改造され、サハ101の4両がサハ103ー750番台に改造されました。さて貴記事中、量産改造車(1976年以降)の記述中、クハ100のベンチレータは5個とありますが、クハ100の改造タネ車はすべて電装準備の無い後期タイプなのでパンタ台はありません。従ってベンチレーターは6個が正解です。また量産改造車にはサハ100はありません。(1972年改造の−105,106の2両のみ)微細な指摘で申し訳ありません。今後とも宜しくお願いいたします。

細井忠邦 さま、はじめまして。

コメントありがとうございます。わたしも1972年頃は高校生でしたが、101系が冷房化されたり、1000番台改造されたり、慌ただしく変化していった頃でしたね。

ご指摘のようにクハ100やサハ100に関しては電装予備工事のないが冷房化の対象でしたね。記事の方も修正致します。.ありがとうございました。

B767しゃん、こちらのスレに…またお邪魔致しますm(_ _)mそういえば、中央快速線の101系の冷房改造車って…当時は主に【特別快速】のみの運用だったんすか⁉︎稀に【快速】運用もあったんすか⁉︎

マスダっち1971 さん こちらにもありがとうございます。

101系の初期の改造冷房車は給電の方式から7+3の分割ができなかったので、10連で高尾まで行く特別快速専用に運用されたのでは思います。
いつ頃までだったか忘れましたが、快速運用は三鷹や武蔵小金井で切り落としという運用が結構ありました。

こんにちは。小学生のあてにならない記憶をたどれば、初冷房車の運転開始は1972年7月15日でしたか。1編成ぐらいは私が乗る下り方向に来ないかなと、淡い期待を胸にいつもより早めに国分寺に行きましたが、ダメでした。この日は4編成が連続に近い形で東京行でした。当然といえば当然ですね。羨望の眼差しで見送りました。当時は正面窓にぶら下げサボ、ドア窓にシールで冷房車であることをアピールしてました。下校時に稀に各停運転にはいっていて乗車する機会があると、歓喜でした。うるさい小学生達だったことでしょう。8月31日をもってピタっと冷房をやめたのには、大変驚きました。料金をとらない各停への冷房サービスに対する原価意識だったのでしょうか。数年後に東急のヘビーユーザーになりましたが、この会社も当時は8月31日限りの冷房サービスで、つまらんことを真似すんなと、嘆いておりました。

たかのだい さん、おはようございます。

1972年7月15日でしたか、わたしも本文に書きましたが、101系の高尾よりクモハ100-190番台の編成がムコに留置されているのを見て、これからは冷房車の時代かと感じました。今じゃ、それが当たり前に時代になっていますが。

そして、1971年から私も東横線を使うようになりましたが、自動改札が導入されており、ステンレス車両が当たり前のように走っている光景には西武線沿線で育った人間にはまぶしすぎる光景でした。

国鉄101系の冷房改造車で,先行改造車での残存させたベンチレーターの数についてです.101系先行冷房改造車の偶数向き車輌の全ての車輌で,ベンチレーターを残存させた数が,1つ少なく4つであるとされて居ります.確かに101系の偶数 向き車輌の電動車では,おくじ

国鉄101系の冷房改造車で,先行改造車での残存させたベンチレーターの数についてです.101系先行冷房改造車の偶数向き車輌の全ての車輌で,ベンチレーターを残存させた数が,1つ少なく4つであるとされて居ります.確かに101系の偶数 向き車輌の電動車では,屋上にはパンタグラフを搭載して居りますので,ベンチレーターを残存させるのは4つであり,101系電車は設計時は,全車電動車で設計されており,付随車や制御車が,後から起こされた時にも電動準備車として製造されましたので,パンタグラフ搭載準備を施して合ったので,奇数向き車輌に比べて,ベンチレーターの搭載して居た数は1つ少なく製造され始めました.しかし,全車電動車では電力が足りないので,全車電動車にする事を中止致しました.此の時迄は,付随車と制御車が,偶数向き車輌と奇数向き車輌が別に製造されて来ましたので,制御電動車のクモハ,電動車のモハ,付随車のサハ,制御車のクハ全てのタイプに偶数向き車輌100形と奇数向き車輌101形が合ったのですが,付随車のサハ100形は不要になるため,付随車はサハ101形だけにされ,クハ100形とクハ101形は片渡りの為に向きが異なるので,製造されましたが,電動車準備の設計から,完全な付随車と制御車として製造が行われて為に,クハ100形にもパンタグラフ搭載箇所には,準備は行われ無いので,ベンチレーターが設置されましたので,奇数向き車輌と同じく,ベンチレーターは7つ設置されて製造されて居りました.そのために冷房改造を行うのには,主に後期車輌から選定されたので,付随車のサハ100形の2両だけが電動準備車から改造をされ,その他は完全な付随車と制御車のみ種車にされました.ですからクハ100形は後期製造車輌であるので,ベンチレーターは2つ取り外しのため,5つの残存となりました.量産冷房改造車では,中央の1つのみ取り外しをされたため,奇数向き車輌と同じ6つのベンチレーターが残されて,居りました.ご存知の通り奇数向き制御車のクハ101形は,冷房改造はされて居りません.制御車,付随車は1969年迄,制御電動車と電動車は1966年迄,製造されて居りました.制御電動車と電動車の電装品は,同じ時に製造開始されました特急形の151系と161系を,強力電動機に交換して181系に揃えて後から181系として製造された車輌と併せて使用する為に,MT54電動機と交換された後に残存した電装品を,再利用をして製造がされた車輌でありました.
父親は国鉄の静岡運転所→三鷹電車区→国鉄本社→中野電車区等を亘り歩きJR化でJR東で,定年退職をしており,201系の受け取りを,豊川の日本車輌から持って来た事もあり,マスターコントローラーを,縦軸横廻しか横軸縦廻しかと,運転台のパネルの角度の決定等も行って居りますので,自宅には201系の900番台の図面が,大量にありました.職場で撮影した写真 もかなり有ります.最初に三鷹電車区に赴任した時の,新性能電車(101系の事)取り扱い方と云う取り扱い説明書も有ります.

Rafael-Lomgさま、初めまして。 コメント並びに貴重なお話、ありがとうございます。

私も101系には小学校時代からお世話になっており、サハ100の存在、さらにはサハ100やクハ100にパンタ取り付け台だけが準備された構造をよく憶えています。冷房改造に伴うグロベンの数の変化もありましたね。さらにクハ100を含めタイプの編成が優先的に冷房改造されたことも今でも記憶しています。
お父様はまさにその時代から201系の時代にかけ、国鉄マンでいらしたのですね。これからもよろしくお願いいたします。

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 通勤電車シリーズ 101系 その3 特別快速と改造冷房車:

« 公園保存蒸気を訪ねて 水戸駅周辺 | トップページ | 西ベルリンの思い出 Euroberlin France その2 »

カテゴリー

2023年1月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31        
フォト
無料ブログはココログ

日本ブログ村

  • 日本ブログ村