西ベルリンの思い出 Dan-Air London Boeing 727 その1
西ベルリンのテーゲル空港で撮影した旅客機のシリーズ、今回からDan Air のBoeing 727のシリーズとなります。
G-BHNE (cn 21676 1417) Boeing 727-2J4Adv 1989/4/15 TXL
まずは
Dan-Airの歴史から見て行こうとおもいます。
1953年5月、サウスエンド空港をベースとするDouglas DC-3 (G-AMSU) 1機で創業されました。同機は、元々は同空港をベースとし、1952年に創業したチャーター航空会社Meredith Air Transportの保有機でした。創業者はDavies and Newmanで1922年以来、ロンドンにおいて船舶の仲介業を営んでいました。Davies and NewmanはMeredith Air Transportの資金援助も行っており、同社が経営難に陥った際に、Douglas DC-3を買い取り、さらにサウスエンドと西ベルリン・テンペルホーフ空港との間の6ヶ月間のチャーターフライトの権利も手にしたようです。
Davies and NewmanからDANとし、Dan Air Services Limited で1953年5月21日、資本金5000ポンドでスタートしました。Dan Air Londonと胴体に大書されているのはDanish(オランダ)の航空会社と誤解されるのを避けるためだそうです。
包括的ツアーチャーター便、短距離定期便、大西洋横断便、事前予約チャーター便(Advanced Booking Charters)、石油産業サポート飛行を運航し、ロンドン・ガドヴィック空港、西ベルリンテーゲル空港等をハブ空港としました。
G-BHNE
ガラスが反射して見苦しい写真ですが。
運航機材では、世界最大のコメット(de Havilland Comets)フリートを有し、最後までコメットを運航した会社となりました。その数は1966年から1976年で49機でした。もっとも全てが飛行に供されたのではなくスペアとして部品取り役だった機体もありました。1980年11月に最後の1機が引退しています。コメット自身、世界初のジェット旅客機でありながら、相次ぐ空中分解事故で大改修を余儀なくされ、その間にBoeing 707やDouglas DC-8といったアメリカ製の第二世代ジェット旅客機が台頭し、多くの航空会社が手放したことで、安価に入手できたこと、さらにBAC1-11-500やBoeing 737-200が中古市場に乏しかったことも要因と考えられます。
また、Airspeed AS 57 Ambassadorの最後のオペレーターでもあり、1971年9月にJersey—Gatwick間の定期便で引退しています。
イギリスはBoeing 727のライバル機であったトライデント(Hawker Siddeley Trident)を製造していましたが、Dan-AirはBoeing製の3発機のイギリス初のオペレーターであり、1973年4月13日にかつてJALが導入していたBoeing 727-100タイプ 3機を導入しました。英国航空局の要求に基づいて失速防止装置が装着されていました。1973年から1978年にかけて独自に発注した8機のB727-100シリーズでは後部胴体両側に非常脱出口が装備され、”stick-pusher”と呼ばれた失速防止装置も装備されました。その費用は一機あたり、10万ポンドでした。
さらにBAC1-11とHS-748を運航しました。そして1983年5月にはBAe 146を短距離路線に就航させました。
運航機材をリストすると
Airbus A300 B4
Airspeed Ambassador
Avro York
BAC One-Eleven 200/300/400/500 series
BAe 146-100/300
Boeing 707-320/320C
Boeing 727-100/200 Advanced
Boeing 737-200/200 Advanced/300/400
Bristol Freighter
de Havilland Comet series 4/4B/4C
de Havilland Dove
de Havilland Heron
Douglas DC-3
Douglas DC-4
Douglas DC-7
Handley Page Dart Herald
Hawker Siddeley 748 series 1/2
Nord 262
Piper Apache
Vickers Viscount series 700/800.
DAN AirはBoeing 707, 727, 737を運航しましたが、自社で製造発注した機体は無かったようで、Boeing 社からのカスタマーコードは与えられ無かったようです(あくまで調べた限りですが)。
1989年頃から、経営が悪化し、さらにイギリスのツアー会社の経営一体化の波に乗り遅れたことがひとつの原因となり、もうひとつはフリートが多種多様にわたり、老朽化しAir Europeなどの競争他社に較べ見劣りし、1992年11月にBritish Airwaysに公称1ポンドで売却となり、39年の歴史に幕を降ろしました。
テキストはWikipedia の記事を参考に纏めました。
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コメント
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こんにちは。モモパパです。
コメット。
短期間の間に大事故を頻発させましたね。
その間に他のメーカーの台頭を許してしまった。
せっかくの世界初のジェット機だtったのに。
投稿: モモのパパ | 2014年2月 1日 (土) 09時07分
モモのパパさま、おはようございます。
産業革命、コメット、ビートルズ イギリスという国はほんとうに世界を驚かすものを出す国ですね。
投稿: B767-281(クハ415-1901) | 2014年2月 2日 (日) 05時46分