西ベルリンの思い出 Euroberlin France その1
冷戦下の西ベルリン、テーゲル空港で撮影した旅客機のシリーズ、今回のからはEuroberlin Franceという航空会社について触れます。
G-MONH (cn 23685 ln 1357) Boeing 737-3Y0 Euroberlin 1989/4/8 TXL
これまでにも出てきましたが東西分裂時代の西ドイツ本土と西ベルリン(民間空港ではTempelhof空港やTegel空港)を結ぶ東ドイツ上空の航空路は1946年2月に設定されたLuftkorridor(Berlin)<空の回廊>と呼ばれた限定された空域でのみ飛行が許可されていました。空域の幅は20マイル(32km)で高度は10,000フィート(3000m)まででした。管制は占領軍ベルリン航空安全センター(BASC: The Berlin Air Safety Center)が担当していました。
そしてこの空域に進入できる航空機はアメリカ(N)、イギリス(G)、フランス(F)国籍の非戦闘軍用機と旅客機でパイロットもこれらの国のパスポートを保持するものに限られていました。ただ例外的にLOTポーランド航空のワルシャワ~ベルリン・シェーネフェルト空港経由~ロンドン・パリ便の飛行が認められていました。
西ドイツのルフトハンザ航空はこの取り決めにより、西ドイツ本土と西ベルリンを結ぶ路線を運航することは出来ませんでした。一方、フランスのAir France航空は連合国の航空会社として西ベルリン線を運航していましたが、Pan AmやBAに押されがちで辛うじて西ベルリンとパリを結ぶ路線を直行もしくはデュッセルドルフ経由で1日1本運航していましたが、1980年代半ばからの西ベルリン線の旅客数回復の状況においても営業成績の回復は見込めそうに無い状況でした。さらにアメリカの他の航空会社、American Airlines, Continental Airlines, Delta Air Lines, Northwest Airlinesなども西ベルリン線の旅客回復により、PAやBAによる独占状態に不満を持ち始め、運航権の獲得に動き出そうとしていました。
G-MONL (cn 24255 ln 1625) Boeing 737-3Y0 Euroberlin 1989/4/8 TXL
その状況を打破するために、エールフランスとルフトハンザが手を組んで設立したのがEuroberlin Franceです。パリに本社を置き、ベルリンテーゲル空港に事業本部を置き、エール・フランスが資本の51%、ルフトハンザが49%を出資した会社でした。1988年から1989年の冬シーズンの1988年11月7日に運航が開始されました。
私共が西ベルリンで生活を始めたのが10月中旬なので、まさにその直後でした。機材はイギリスのルートンをベースとしたMonarch AirlinesのBoeing 737-300型機を4機と乗組員もリースするウエットリース方式で、機材のメインテナンスもMonarch航空の姉妹会社のMonarch Aircraft Engineeringが担当しました。私も記憶していますが、1988年の秋時点ではベルリンの壁が1年後に崩壊して1990年10月に東西ドイツが再統一されることなど全く考えられない状況でしたから、フランスの航空会社という仮面を被ってルフトハンザがついに西ベルリンに進出したのかと考えていました。
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コメント
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こんにちは。モモパパです。
僕。
この航空会社。
聞いたことはありましたけどそういう経緯を辿ってたとは知りませんでした。
投稿: モモのパパ | 2014年2月23日 (日) 08時49分
モモのパパさま、こんにちは。
今回もコメントありがとうございます。
結果的には冷戦の終了で終わってしまいましたが、当時の流れからはなるほどと思わせるやり方で
ビジネスチャンスがつくられたんだと感じさせる設立の仕方でした。
投稿: B767-281(クハ415-1901) | 2014年2月23日 (日) 15時49分